入院騒動

 上の子は本当に病気一つしなかった。検診以外で病院に行ったのは、4歳の頃。女の子だから丈夫だったのか、北国(ボストン)育ちで充分冷たい外気を吸わせたからか、熱を出しても、元気いっぱいでほとんど心配をしたことがなかった。

 ところが下の子はそう都合よくはいかなかった。1月からの育児休業あけに備えて、10月頃から慣らし保育をしていたのだが、12月にはマイコプラズマ肺炎になり、1週間近く保育所を休んだ。今年の冬は寒い、なんだか手強い予感。

 そして1月、育休明けをねらったかのように、子どもが熱を出した。23日(月)8度の熱があると保育所から電話を受ける。私はセンター入試で週末が休めず、自分の体調も不安なくらい。博士論文の審査だったのだが、事情を話して、少し早退させてもらった。「子どもの病気」で先輩や同僚に迷惑をかけたくはない、これは誰しも思うことなのだろうが、そうした行動が累積することで、「子育てのしにくい社会」ができあがる。幸いいままで私の周囲はみなさん、快く受けとめてくださる。それだけでもありがたい。

 翌24日、近所の小児科へ。一番心配していたインフルエンザは陰性。気管支に痰のからむ音がするということで、エリスロシンと解熱剤を処方されたが、熱は下がらず。翌25日にかけて高いときは40度を越え、解熱剤でかろうじて9度台にさがる、という感じ。26日になっても容態は変わらず。食欲がなく、薬もうまく飲ませられない。この間たまたま冬学期の休講期間があり、私が時間を作ることができた。しかし治らないのでは話にならない。26日(木)の夕刻、教授会を休み、近所の医者が休みなので、意を決して日赤の救急外来に出かけた。

 いろんな人がいる。素人目で見ても、病院に来るような大したことじゃないだろうという人から、救急車で担ぎ込まれる人まで。そもそもなぜうちの近所の町医者は、みな日曜と木曜に休むのだろう。子どもの病気と曜日などなんの関係もないはずで、休みが病院ごとにずれていれば、こんなことにはならないだろうに。

 延々と待たされたあげくレントゲンとRSウィルス、アデノウィルスの検査。「赤ちゃんのレントゲンご覧になったことありますか?」もちろんない。みてみたらすごい格好だった。両手を万歳したような状態でネットで固定されるのだ。なるほどわざわざ解説してくれるわけだ、「児童虐待だ」と言う人がでてきてもおかしくない。

 ウィルスは二つとも陰性。レントゲンの所見は肺がパンパンになって吸った息を吐けないtrapping という状態で、ほかに気管支にも問題ありとのこと。吸引をして、処方箋薬をもらい、夜9時に帰宅。この間4時間、こっちの鬱病の方がつらくなってしまった。帰宅後はミルクを120cc、元気なし。辛そうにうめく弟の横で上の子は大の字になって、スーピーといい寝息を立てている。 

 あけて27日(金)、終日私がみることにした。体温は38〜40度。ぜいぜいと苦しそうな息をたて、ぐったりしている。一日ほとんど歩かなかった。

 土曜日は大学院の入試のため、私は出勤。代わりにつれあいがかかりつけの医者に行ったところ、「すぐに日赤に行きなさい」とのこと。日赤では入院にするか、在宅にするかを問われたのだが、薬を飲まないので入院を選ぶ。病名は気管支肺炎。私は試験を終えて、4時頃合流した。完全看護を選んだので、終日つきそう必要はない、とのこと。二人がフルタイムで働いて、終日付き添ったりしたら大変だ。

 29日は日曜なので、交代で様子を見に行った。祖母、母、父、母の順。静脈注射で入れる抗生剤が効き始めたようで、体温が37度台に下がり、容態も安定してきた。点滴、酸素吸入、血中酸素と脈拍を計る装置などで体がぐるぐる巻きにされており、午後はしきりにそれをはずそうとする。

 「生きる」とは「生きる」ために必要なもの以外の余剰に対して用いられる言葉だ。注射で栄養をとり、ただ呼吸をして寝ているだけの状態を「生きる」とは言わない。人が生き生きした表情を見せるのは、「生きる」以外の余裕を持ったとき。昔飼っていた犬が、病気になったときにも同じことを思った。飛び回る蝶にちょっかいを出したり、ご飯の皿にしっぽを振ったり。立ち上がって笑う我が子をみて、少しホッとした。

 30日月曜も私が休んで様子を見に行った。血のめぐりのよさそうな赤いほっぺが戻り、昼食も全部食べた。向かいのベッドの男の子は、付き添いの人に「ママ来る?ママ来る?」と5秒に一回繰り返す。「来るよ、来るよ」と何度なだめても聞こうとしない、「ママ来る?ママ来る?」なにが彼をそこまで追いつめるのだろう。

 午後3時頃抗生剤を投与し、巡回の医師に「明日には退院できるだろう」と言われた。病室はパソコンでも持ち込めれば、何か作業ができるのだが、付き添うだけでは仕事にならない。

 火曜日、朝採血。12時に担当医が来て、退院してもよいとのこと。ただし3〜4日は自宅で安静にして療養をと。「三、四日」と聞いて、天を仰いだ。保育所にも行けず、病院にもいられない。これでは入院していたときの方がよっぽど楽だ。子どもの体調が戻るのが一番で、贅沢なことはいえないのだが、今週残りの3日間をどう都合つけるか途方に暮れてしまった。

 昼過ぎに退院。ちなみに請求された費用は食事代の2340円のみ。「えっ?」完全看護を選んだので、当然その分は費用を請求されるのだと思っていた。医療費の総額は12万円ほど。7割が私の健保から出て、残りの3割を渋谷区の乳幼児医療保険がカバーする。我が家は、税金も保険料もたくさん払っているから、もらう資格はあると思うが、少し安すぎるような気がする。町医者が必要以上の薬を出そうとするのも、こうした制度の欠点だ。

 そこからの水〜金の三日間の方が親の方は大変だった。祖父母宅でみていただいたり、交代で休暇を取ったり。試験期間で講義がなかっただけでもラッキーだったというべきか。

 上の子があまりに楽だったので、ここまで時間的に仕事と衝突する経験をしてこなかった。研究はできなくなったが、鬱病をかかえて授業だけはこなしてきた。今回の入院騒動は、それよりはるかに大きな負担だった。

 男の子をかかえる親は口をそろえて「男の子は大変だ」という。どこまでが性差でどこまでが個人差なのかはわからないが、我が家でもそのとおりになった。保育所から呼び出されて、保育所に戻れるまで2週間。私の子育ての苦労も、ようやく人並みの水準になったということだろうか。


実験の成果

 5月の連休明け、娘をインターナショナルスクールの面接に連れて行くことになった。What is your name ? How old are you ? といった基本の質問を含めて直前に特訓……、「英語しゃべんなきゃいけないから大変だよ」。これじゃ子どもには迷惑なだけだ。子ども以上に親の方が緊張して出かけた。まるで「お受験」じゃん。私は小学校入学のための試験なんて何の意味もないと思っているというのに。

 少しなまりのある英語をしゃべる優しいおじさんがお相手だった。「きっとmainstreamに入れるよ」とやりとりが始まった。色の付いたマグネットを見せてWhat color is this ? それを並べてCan you count this ? とりあえず無難にクリア。Draw a circle ? と言われて、一瞬What is circle ? 。すぐに○を描き始めたのだが、これはむしろ文法がよくわかっている証拠。上出来上出来。

 次にABCを見せられた。「あっちゃー!」これはダメだ。We haven't taught her ABCs.と説明する。だいたいひらがなも完璧に書ける状態ですらないのに、ABCはまだ早いと思っていた。面接のおじさんは少し顔をしかめるようにしてMainstream students can read.それは娘にはまだだいぶ先の話だ。というわけで英語を集中して学ぶIntensiveに入ることに。

 日本に戻って4年半、アメリカ国籍を持つ、ということの意味を「過剰」に意識して、子どもに英語で接してきた。でももう私にとっても限界。子どもとのコミュニケーションの複雑さに、自分の英語力がついていかない。

 What is circle ? これが4年半の成果だったのだと思う。単語ではなくて、(少し間違っていても)かろうじて文法構造として頭に入っている。You did great. 井の頭線に乗りながら、娘の頭をなでた。3つの国籍を持つということの不思議を、いつか理解し、葛藤するときがあるだろう。そのときに私のやった「実験」が彼女にとって何らかの助けになっていることを信じたい。
(2006.0817)


宿題の山
 上の子がインターナショナルスクールに通うようになった。一所懸命英語で話しかけてきたけれど、私の努力もそろそろ限界。でもそれだけやっても、とても日本色の強い部類に入るインターナショナルスクールの、しかも英語ができない子向けの「集中クラス」。子どもの頃、まったく英語ができないまま突然アメリカの小学校5年生に放り込まれた自分は、3ヶ月ほどでそれなりに適応するようになったので、高をくくっていたのだが、そんなに甘くはないようだ。

 まず宿題が大変。日本の学校なら4月から1年生になるところを、半年早く1年生にあがっているのだから、勉強なんて適当にやってくれればと思っていたのだが、すごい量の宿題が出る。当然当人ができない分、親は付きっきりで面倒を見なければいけない。おまけに単純きわまりないことなので、こちらはイライラしてしまう。Do you have a lot of homework today ? と聞いて、Yeah. などといわれるとその段階から気が重くなってしまう。

 算数なんか教えたこともないのに、英語の文章題をやらされる。仕方ないので日本語で、「1たす1は?」と聞いたら「たすって何?」と聞き返されてしまい、天を仰いだ。そんな「哲学的な」質問をされても、説明のしようがない。

 アルファベットも書けない状態で入学してしまったので、英語のwriting やreadingの授業が大変。アルファベットは、ひらがなに比べてはるかに平素な文字体系だが、英語はヨーロッパ諸言語の中で例外的に、スペルと読み方が一致しないややこしい言語だ。せっかくaの音を憶えたのにallが出てきてわけがわからなくなったり、15点満点で3点なんていうテストを持って帰ってきたり……。

 そういえばアメリカで私が一番苦労したのも社会科の教科書を読んでくる宿題だった。それこそ生まれて初めてテストで3点を取り、先生から質問がわからなかったのか、内容がわからなかったのかと聞かれて、質問がわからないと答え、その日から母親が毎日のように、教科書の読解につきあってくれた。小学校1年生から宿題の山に埋もれる必要はないと思うのだが、ある程度は仕方ないのかも知れない。

 少し驚いたのは、宿題に対する子どもの態度だ。完璧にやろうとするには学力も不足しているし、時間もない。「適当にして早く寝なさい」というのだが、泣き叫びながら「宿題するの!」と食卓にかじりつこうとする。親がいいというのだから、「ラッキー」と思ってやめるかと思っていたのだが、彼女なりに教室という空間の中で自分がどう振る舞うべきかを気にしているようだ。根がまじめな子なのかもしれない。

 最初のPTAのときに「宿題が多すぎる」と陳情をしたら、少し軽くなった。さらに帰りのスクールバスの中でできる子に教えてもらうという技を身につけたので、大学の裏で彼女を拾って、下の子のいる保育所にいったん預けるときには、宿題が3分の2くらいに減っているときがある。さらにさらに保育所に時々卒園児の現役東大生が宿題の面倒を見に来てくれるので、ここで少し片付くときもある。それでもうちは共働きなので、家で宿題を見られるのは夕食を終えた7時半頃から。お風呂に入ったりしているとあっという間に9時前になってしまう。そんなときにwritingとmathが一緒に宿題にでると、夜の10時前まで泣きながら取り組んでいる。

 そんなにがんばらなくていいんだよ。勉強なんてゆっくりやればいいんだから。本当はそう声をかけたいのに、いつも「早く宿題やって!」と怒鳴り散らす。ごめんね、君はよくやっているよ。


デジャビュ

 二人目の子どもというのは、何でもかんでもいい加減になる。こないだも講演のついでで親戚のいる鹿児島から久留米に行き、九州新幹線に乗ったりしたのに、写真一枚残っていない。

 1歳6ヶ月の歯科検診もずっとほったらかしたまんまだった。私の住む渋谷区は月に1度区役所のある建物の中での歯科検診なので、こちらも予定を立てて行かねばならず、後回しになってしまっていたのだ。

 平日の午前中会場に行ってみると、数十組の母子の群れ。お父さんが子どもを連れているのは、私しかいなかった。これどっかで見たような気が・・・。そう上の子のときの歯科検診だ。思い出した。そのときは壁に「育児をしない男を父親とは呼ばない」というSAMのポスターがあり、それを指さして娘が「パパァ!」と言ったのだった。

 あれはぁ?そうもう5年前だ。5年も経って結局やっぱりお母さんだけなの?渋谷区の合計特殊出生率は0.70で、全国最低の東京都の中でも最低。そして専業主婦の比率も高い。松濤や広尾など高級住宅街もあるので、所得も全般に高いのだろう。

 植林をする林業者と植林をしない林業者が競争をすると・・・といういつものネタを繰り返すのは、もういい加減にやめにしたい。いつまでこれを繰り返せば、状況が変わるのだろう。

 父親が家事をしない理由には、3つの仮説があるといわれている。一つ目は、古い考え方に影響されているという「伝統規範仮説」。二つ目が、男性の方が時給が高い、逸失利益が大きいからという「相対的資源仮説」。三つ目が、男性の方が労働時間が長いという「労働時間仮説」。アメリカのデータでは、この三つの仮説がすべて効いているらしいのだが、日本では労働時間の影響が大きいのだという。

 この5年間で30代・40代の男性の労働時間はむしろ長くなっている。お父さんを早く家に帰してあげればいいのだろうか?「何かおかしいと思わないですか?」5年前のデジャビュと一緒に、会場にいるお母さんたちに訴えかけたかった。でもお母さんたちだって、それを疑問に思っている人は少なくないはずだ。何かがおかしい。でも振り上げたこぶしをどこに振り下ろせばいいのか……。

 5年分の徒労感と一緒に会場をあとにした。「おまえはね、ちゃんと仕事を休んで歯科検診に行く親になるんだよ」。そんな言葉をわかるはずもない息子に話しかけながら。