毎日新聞連載「夫の言い分」(一部改稿)
育児ノイローゼ?
我が家の選挙権
男の「母性」?
我が家の「民族紛争」
男のプライド?
ドリンク剤の犯罪?!
スープの冷めない距離
最初の記憶
家族という呪縛
育児ノイローゼ?
娘は2歳半になる。育児休業明け以来職場の東大駒場キャンパスにある保育所に通っている。職場に保育所があること自体は、大変ありがたいのだが、最近時折「こんな不幸なことはない」と邪念が頭をよぎる。なにせ私の職場に保育所があるのだ、送り迎えは基本的に私の仕事になる。
文科系の教員なんて必ずしも毎日出勤するわけではないのに、私はとりあえず毎朝大学へ。用もないのに大学に行くと、なぜかよけいな用が降ってくる。研究とは無縁の雑用に追われているうちにあっという間にお迎えの時間になり、また子どもを自転車に乗せる。
当然家にはつれあいより早く着いてしまうので、夕食の支度くらいはしなければならない。準備の途中に相手が帰ってきて、バタバタと家事を分担し、食事をとり、お風呂に入れ、保育所から持ち帰った袋いっぱいの着替えを洗濯し……。子どもが寝るのが九時前後。つれあいも一緒に寝てしまう。
それから片づけをして一息をつく十時頃からさて仕事、とできればいいのだが、その頃にはエネルギーが残っていない。 仕事が進まず、思い詰めた表情で、「あかん俺こんな生活してたらノーベル賞は取れへん」と同僚に話したら、一笑に付されて終わりであった。
そう、別に特別なことをしているわけではない。世の働くお母さんたちがみんな抱える悩みだし、私などつれあいが世の男性よりはるかに家事をしているのだから、ずっと楽なはずなのだ。それに娘との時間は純粋に楽しい。日本の父親でこんなに子どもとの時間を過ごせる人は少ないだろうから幸せだとも思う。
でも論文は書けないし、夜酒を飲みにも行けないし、時々ギャーと叫びたくなる。でも後から思えば今が一番かわいい時期なのだろうし、単に育児に逃避しているだけかもしれないし……。とまぁ育児ノイローゼになりそうな毎日なのである。
我が家の選挙権
統一地方選挙が終わった。選挙の開票速報というのは、どんな娯楽番組よりも好きだったりするくらい、私は政治に関心があるのだが、その一方で投票に行くたびにいつも少し憂鬱になる。
我が家はインターナショナルで、日本人が二人、韓国人が二人、アメリカ人が一人の三人家族である。「は?」と思われたかもしれないが、うそではない。在日韓国人のつれあいとの間にアメリカで子どもが生まれたので、娘が国籍を三つもっているのだ。たぶんあの子が一人生まれたことで世界の人口は三人増えたはずだ。
いきなり何の話かと思われたかもしれないが、憂鬱の原因は、我が家にはそんなに人がいるのに一票しかないことにある。いやまぁ二歳半の娘に選挙権がないのは当たり前だ。「おまえの国は戦争を始めたねぇ」と英語でしゃべりかけても、「オオカミ来るの?」と言っている。どうやらウォー(戦争)をウルフだと思ったらしい。この子に選挙権を与えても選ばれるのはくまのプーさんやミッキーマウスだ。
ところが日本生まれ、日本育ちで、所得税も住民税も納めている私のつれあいにも選挙権がない。憲法上国政選挙の選挙権は「国民」が持つが、地方自治体の選挙の場合は「住民」が持つとされており、法律さえ定めれば、定住外国人の地方参政権を認めることは可能と解釈されている。だが法案は準備されているのに一向に通る気配がない。
選挙権を持たない人間に向かっては、政治家は好き勝手なことを言う。某都知事の「三国人」発言の時にその恐ろしさをいやというほど味わった。定住外国人が選挙権を持っていたら、ああした差別発言には、きちんと票でお返しができるはずなのだ。
アメリカでも外国人は選挙権を持たない、と反論する人がいるが、出生地主義の社会では、そもそも出生と同時に国籍が与えられるのであって、在日韓国人のようなことはおきえない。
一体いつまで待たされるのだろう。現行の国籍法上、娘は満22歳までは三重国籍だから、2020年の米大統領選で投票できる。22年の参議院選挙もOKだ。彼女の母親がどこにも一票を持たない分、娘は世界に二票を持つ。そうやって溜飲を下げろと言うのだろうか。
男の「母性」?
私は子供が嫌いだった。新幹線で赤ん坊が泣いていたりすると「勘弁してよ」と言いたくなるタイプ。論理の世界に生きてきたので、あんな理屈の通じない怪獣のような存在は、相手にできなかった。
ところがそれが子どもが生まれて劇的に変わる。生まれてしばらくした頃だったろうか、一人で飛行機に乗っていて、赤ん坊の泣き声が聞こえたとき、無性に抱き上げたくなった。泣き声を雑音ではなく語りかけてくる声として認識するようになったのだ。自分でも驚くような「身体」の変化だった。
出産にはもちろん立ち会い、生後一年間はべったりと赤ん坊とつきあう時間を持った。育児で男にできないことなんてない、と自信を持てたし、「母性」の名のもとにいかにいい加減なことが言われてきたかも実感した。
「お母さんは赤ちゃんがおなかをすかせる頃には自然と目が覚めて……」などと言う人がいるが、あれは単にがんばって起きているだけだ。だいたい我が家の場合、赤ん坊が泣き声を上げたときにすぐに目が覚めるのは、眠りの浅い私の方。おまけに母乳は六ヶ月ほどで終わったので、その後は夜中の授乳も私の仕事だった。二歳半の娘は今も寝る前には、「パァパ、ミルクゥ!」と必ず私に要求する。
そうやって「母性」に目覚めてしまったのだろう。今は子どもといない時間が長いことが純粋に辛い。昔よくやった二泊の国内出張は決してしなくなり、極力日帰り、長くて一泊。それも娘が寝付く九時までに帰るようしている。何か特別なことをするわけではない。ただ娘といるその瞬間、瞬間が貴重だと思うようになった。まるでお母さんね、と女性の友人にも言われた。
全幅の信頼を寄せて親を頼ってくる子どもを、いとおしいと思う気持ちに、母も父もない。もともと威厳などとは無縁だから、「父性」を振りかざすことなど、できるわけもない。「母性」が性別に依存しないならば、「親性」とでも呼ぶべきか。
「父性の復権」なんて基本的には、特権を奪われた抵抗勢力の最後のあがきだろう。でも「父親が育児に関わるべき」と主張している点だけは評価したい。今の日本の論壇では、誰もが「父親の育児参加」を主張していることになる。せめて子どもが寝る前に、お父さんが帰れる社会を実現したい。
我が家の「民族紛争」
私の連れあいは韓国人。在日の三世なので、韓国文化の痕跡はそれほど濃厚ではない。それでも意外なところに微妙な違いがある。まず食べ物。味付けや正月料理などがはっきり違う。私も韓国に留学し、キムチなしでは生きられない体になってしまったので、韓国料理を勉強できるのは楽しかった。
逆に驚いたのは、「お雑煮を食べたことがない」と言われたとき。そういえば正月のお雑煮はほとんど自宅か親戚の家でしか食べず、日本でも白みそだの何のと地域差が消えない。固有の食文化が残りやすい食べ物なのだろう。
もう知り合ってから十年以上経つというのに、最近わかった違いがある。彼女は私に対して、「ありがとう」や「ごめんなさい」をあまり言わないのだ。これはかねがね私にとって不満の種だった。
「保育所のお迎えに行って、夕食作って待ってたんだぞ、一言ありがとうくらい言ってくれたって」。毎日というわけではないし、それくらいで威張るようなことではないのは十分わかっているのだが、私には「こんなにやってるのに」という不満がたまることがある。だからどうというのではない、ただ一言ありがとう、と言ってもらいたいのだ。
日本もかつてそうだったが、韓国人は家族の間で、いちいち「ありがとう」だの「ごめん」だのを言わない。親友の間でもそうだ。そうした言動は「水くさい」ものとしてかえって嫌われる。つまり「ありがとう」を言わない関係こそ深いつながりなのだ。「親しき仲にも礼儀あり」と距離を置こうとする日本社会とは逆の発想だろう。そして彼女が「ありがとう」を言わないことも、そうした文化の反映だったのだ。
日本の学校や会社にずっといるのだから、もちろん他人には「ありがとう」を言う。しかし家の中で、感謝をわざわざ言葉で表現するという習慣を持たないのだ。彼女にしてみれば、心の中で思っていれば十分で、なんでわざわざを口に出して言う必要があるの、ということになる。
私はついこないだまで、彼女が感謝をしない、と思っていたのだが、実はそれは民族文化と関係するものだったというわけなのだ。そうか、納得……といかないところが難しい。やはり私の方は「ありがとう」と言われないと安心できないのだ。我が家の「民族紛争」はまだまだ続きそうだ。
男のプライド?
夕食の支度をしていたら、突然涙があふれてきた。タマネギを切っていたのではない。地の底に落ちるような恐怖感に襲われて、その場に座り込んだ。学位論文の重圧から抗うつ剤を処方してもらっていた頃に、経験した感覚だ。
マラソンの翌日のような倦怠感が連日続く。メールを見るのが怖くて、パソコンも開けなくなった。これはまず、仕事を断らなければいけない。原稿などの依頼を断ろうとするのだが、これが難しい。連絡自体がおっくうで、もたもたしていると、次から次へと催促が来て、よけいに追いつめられるのだ。
求められる仕事に自分の能力が追いつかないときには、能力を上げるか、仕事を減らすかしかない。元気ならともかく、この状態でエンジンの出力をあげると、飛行機は墜落してしまう。
子どもが生まれ、保育所の送迎や夕食の準備に追われるようになった。ジェンダー論を志したのだから、育児に関わることは、望むところなのだが、研究は進まない。何をしてるんだろうと考えているうちに、この落ち込みがやってきた。子どもはいいわけかもしれない。連れあいも十分に家事をしてくれるのだから、世の働くお母さんより恵まれているはずなのに、キリキリ舞いする飛行機を操縦しているような気分だった。
「安定着陸していますよ」知り合いの記者にそう言われ、泣いてしまった。「男の子なんだから、泣くんじゃない」。泣き虫だった私は、父からよくそう怒られたっけ。でも今は、泣いて弱さをさらけ出すしかない。
日本は自殺大国で、年間3万人が命を落とす。交通事故死者数の約4倍、その7割が男性だ。自殺はもともと高齢者が病気を苦に、というのが多いのだが、近年の特徴は四、五〇代の男性が、住宅ローンを払えるようにと命を絶つこと。自殺のデータは、男性役割を担おうとした男が、文字通り自らの首を絞めている状況を表しているのだ。
生活は苦しくても、今の日本では体さえ健康なら、飢え死にをすることはまずない。「男のプライド」を捨てることができれば、命を保てた人はいたはずだ。 「パパ、どこでぶつけたの?痛いの痛いのとんでけ!」座り込んだ私を、二歳の娘が助けにきてくれた。みっともなくてもいい。とりあえず生きることを優先しよう。
ドリンク剤の犯罪?!
「ファイト、一発!」「お父さん、がんばって!」「疲れたときによく効きます」ドリンク剤、ビタミン剤のコマーシャルの決まり文句だ。
病気になる前は、単に「まぁよくそんなに元気でいられるわ」とせせら笑っていた。ところがうつ病を患うようになってから、それがとてもとても恐ろしいメッセージに聞こえるようになった。
数年前のアリナミンVドリンクのCMをご記憶だろうか。丸山茂樹が出るようになった初代のものだが、玄関先で美人の奥さんが「あなた疲れてるのね、でもがんばって」というのだ。
冗談やない!元気ならともかく、疲れてるときに、「でもがんばって!」なんて過労死をしろというのに等しい。 「したいことだけすればいいからね、あとはゆっくり休んで」というのが、本当に疲れたパートナーが求めている言葉だ。
お父さんだけが馬車馬のように働く一頭立て馬車体制のもと、男たちは職場に縛りつけられた。このシステムが確立したのは高度成長期だ。すべてが右肩上がりに進み、男たちの給料も毎年どんどん上がっていった。
しかしこのデフレ期に、男だけを「がんばって」と送り出しても、待っているのは「サービス残業」という名の違法行為とリストラだけだ。
行政には、不払い残業を追放するための取り組みの強化を強く要請したい。労働組合は、賃上げ一辺倒の方針を捨てて、この異様な残業をなくすことに力を注いでほしい。そして家計は共働きの二頭立て馬車体制でリスクの分散をはかるしかない。
お父さんの給料が少し減って、お母さんの働く時間が増えても、それで家族が食卓をともにする機会が増えるのなら、その方がいいと私は思う。家族内でのワークシェアリングだ。だいたい夫が残業するよりも、早く帰って家事を、分担し、妻もフルタイムで働いた方が、家計は豊かになるに決まっている。
ドリンク剤が効くのかどうかについての定量的データはない。そもそも疲れ自身が数値化されていないからだ。私たちはCMに踊らされて、カフェインとビタミンが入った程度の液体で、元気になったように錯覚する。もうやめてほしい。そんながんばらんでもええやないか。といいつつ、つい私もコンビニで手を伸ばしてしまうのだが
スープの冷めない距離
つれあいの実家は同じマンションの別棟にある。というわけで私が出張のときの保育園の送迎など、ことあるごとに実家の手を借りることになる。もうリタイアされているので時間に余裕があり、こちらとしても頼みやすい。
でもだからといって私がつれあいと同じように実家にお願いするわけではない。彼女が遅いときは私が一人で子供の食事その他の面倒を見るが、私が遅いときは、彼女は実家に行ってご飯を食べてくる。気楽な反面、不均衡を感じることもある。
つれあいは7時頃に帰宅すると子どもより先に9時前には寝てしまうことが多く、そのかわり朝5時頃起きて家事を分担している。朝ご飯は子どもを連れて実家に食べに行き、私はつれあいの出勤する8時頃に目を覚まして9時前に実家から子どもを受け取って保育所に連れて行くという毎日だった。
朝誰もいない部屋で朝食をのどに通そうとしていると、悲しみがこみ上げてきた。相手がともに暮らしていないような感じがぬぐえなかったからだ。
夜も早く寝てしまい夫婦間の会話もない状態で、朝食までこの調子では一緒に暮らしている意味がない。家事育児は対等に分担しているつもりだったので、どうしていいのかわからなくなってしまった。
とりあえず朝ご飯は自分の家で食べてくれるようにお願いした。子どもの顔を見ながら食事ができるのは自分にとって救いだったが、その分私は早起きをする必要があり、病状からいって少し辛かった。休息をとるか、時間の共有をとるか、難しい選択だ。
もう少し私が気楽につれあいの実家とつきあうべきなのかもしれない。しかし都合のいいときだけ甘える気にもなれない。もちろんいろいろ助けてくださっていて、とても感謝しているけれど、私としてはつれあいに、もう少し自分が相手として選んだ家族と向き合ってほしかった。
スープの冷めない距離が理想だといわれる。その意味では彼女にとっては理想的な環境なのかもしれない。しかし私は仮に自分の親とであってもあまり近い距離はとりたくない。スープの代わりに夫婦関係が冷めていくような気がするからだ。でも実際には実家の助けがあって、うまくいっているのだし……、我が家の場合、正解はまだ見つかっていない。
最初の記憶
大学の精神科に通うようになって半年が経つ。大学院生時代にも同じところに通ったことがあるのだが、今は治療法が全く違う。「薬で必ず治る病気ですから」といわれ、昔は1時間単位だった診察時間は20分となり、主に処方箋の説明が中心だ。病気になる元となったプレッシャーの問題などに触れることはない。それは自分で解決できる問題だということらしい。15年ほどの間に鬱病の治療法もずいぶん変化したようだ。
「子どもの頃の親との記憶で一番最初に残っているのは何ですか?」昔、同じ精神科に通院した頃聞かれた質問だ。
さて何だったろうか?銭湯の行き帰りに両親に遊んでもらったこと。3歳のバースデーケーキがベランダにおいてあったのだが、残念ながらそれが僕があまり好きではないモンブランだったこと。一つ年上のつかさ君という男の子によく泣かされたこと。共働きだったので、若いお手伝いさんがいたのだが、その人にひどく怒られたこと。いずれも大阪の低所得者向けアパートに住んでいた3歳半頃までの記憶だ。
精神分析に関する質問だったのだろう。「両親に愛されている平和な風景ですね」と担当の医師は答えた。「そんなもんだろうか」とその時は納得したような気がする。
そこで最近はたと気がついたのだが、娘は3歳になったところ、頭の中の記憶のビデオはこの2003年からすでに回り始めているのだ。
9月の誕生日には個室寝台に乗り、名前と同じ北海道美瑛町の町長さんに会い、羽田空港のレストランでバースデーケーキを食べた。
11月には私の父の実家がある鹿児島に行き、84歳の父の兄を指して、「おじいちゃん髪の毛切ったの?」と聞いていた。血は争えないもので、娘の目には、父と伯父は(17歳違いと言えど)同じ「おじいちゃん」に映るようだ。帰りはやはり羽田の同じレストランで食事をしたのだが、「なんで今日はケーキないの?」と鋭い質問をしていた。
空港での食事や親族の集まりは果たして彼女の記憶の奥に残ってくれるのだろうか?愛された記憶として。
私にも大好きな子守歌があった。「ハッシュ・リロ・ベイビー歌って」。娘の好きなアメリカの子守歌を歌いながら、この子の最初の記憶は何になるのだろうと思いを馳せている。
家族という呪縛
年末から春にかけて毎年大量の論文を審査する。特に修士論文は、文科系では今でも研究者としての登竜門という性格が強く、完成までの労力は並大抵のものではない。私自身1千万円もらっても、あの頃には戻りたくない。
学術書に匹敵するような論文を入学から2年弱で書くというのは、崖のような急坂を走って登るようなもので、資料を集めたり、議論を整理したりといった作業以外に、自分を突き動かすような内発的なエネルギーが必要だ。他人にどんなに批判されても、私はこれを主張したいという、魂とでも呼ぶべき気力である。そして読む側も、そうした気迫と向き合うことになる。
今年読んだものの中に、子どもにとっての家族に関する言説を主題にしたものがあった。それは子どもの幸せには両親との関係が重要だと、日本社会が考えるようになったこと自体を、歴史的に問い返そうとする力作だった。
考えてみれば、現代の人間関係の中で、選ぶことができないのは「子どもにとっての親」だけである。夫婦、友人、職場……、あとの関係はすべて自分の考えで選択をすることができる。
しかし一方、子どもにとっての親が選択できないものになったのも、実は戦後、高度成長を経て家族関係が安定をして以降のことである。子どもと縁切りをする勘当、「産みの親より育ての親」といった親が複数ある感覚は、つい数十年前まで、日本でもそれほど珍しいものではなかった。
加えて、養子で皮膚の色の違う子どもを育てることが珍しくない、アメリカのような社会と比べても、私たちは産みの親と育ての親が一致することを当然と考えすぎている。そしてそれは当然仲がよいはずだと。しかし子どもにしてみれば、それは単なる迷惑であるかもしれない。
片親の家庭、親子関係がうまくいっていない家庭……。何も「両親+子ども二人、郊外の家と車つき」だけが、現代家族の姿ではない。「こんなの家族じゃない!」と言い放ってしまうような家族があること自体も当たり前なのだ。
家族なんてうまくいけばもうけもの、そんな一歩引いたスタンスをとれれば、家族という呪縛から、少しは楽になれるのだろうか。親としての私の仕事は、この子が私なしで生きていけるようになることだと今から自分に言い聞かせている。
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