「美瑛と行こう!」

 美瑛を連れて
 生後六ヶ月の汽車旅
 子連れでレストラン
 子連れで飛行機
 日本で汽車旅・外食
 子供を預けて外に行こう!
 保育所に行こう
 三つの国を生きる
 娘を通じて地域に生きる
 夫も育児を!


 美瑛を連れて

 娘の名前は美瑛。九月に二才になったところだ。少し変わっているのは、アメリカ生まれであることと、お母さんが在日韓国人であること。日本人と韓国人の間にアメリカで子どもが産まれると、子どもは三重国籍になり、パスポートも三つ持っている。


 漢字はもちろん北海道の丘の街美瑛からとった。札幌にいた頃、あの風景が大好きで、何度も通ったところなのだ。そしてその字を韓国語読みすると韓国人として自然な名前になる。在日韓国人四世として、民族や差別の問題には常に敏感であってほしいから、敢えて韓国式の名前にした。日本社会のマイノリティーとして、そのことから逃げずに生きてほしいと思う。

 今は私の勤務先にある無認可の保育室に通っている。なので私は毎朝自転車に娘を乗せて出勤し、夕方は子どもを連れて帰って晩ご飯の支度を始めていると連れあいが帰ってくる、という日々を過ごしている。


 北海道と同じ緯度のボストンで生まれたので、厳しい冬の日には極力外に連れ出した。暖かくして、冷たい空気を吸わせることは北の子育ての基本。粘膜が鍛えられて、抵抗力がつく。おかげで娘は帰国後の保育園最初の冬を、ほとんど休むことなく乗り切り、未だに健診と予防接種以外では病院にいったことがない。健康で適応力のある手のかからない子どもだ。


 それもあって、私は仕事にあわせていろんなところへつれ回した。二才にしてすでに飛行機に二〇回以上乗り、世界一〇カ国、日本は北は美瑛から南は石垣島まで旅をしている。


 丈夫な子どもだったからできたといえばそれまでだが、子どもがいるからといって、何にもできないと我慢することはない。子連れの旅行、子連れの食事、やってみれば何とかなるものだ。もちろん夫婦の協力はもっとも大事。


 「美瑛と行こう!」そんな子連れの毎日を、働く男性の立場から描きます。男性が子育てに積極的に関わることの楽しさ、そして子育てに縛られない気楽な姿勢を伝えられればと思います。


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  生後六ヶ月の汽車旅


 私の留学で渡米したのは、会社員の妻が産休に入った八月。育児休業のおかげで、一年間一緒にアメリカで暮らせることになったのだ。翌月には娘が生まれてバタバタしたが、せっかくの外国だからいろいろ行ってみたい。ニューイングランドの厳しい冬が明ける頃から活動開始となった。


 最初の旅行は生後六ヶ月の頃ワシントンDCへ。ボストンからなら普通飛行機だが、少し南まで足を伸ばすことにして、あえて鉄道の個室寝台をとった。


 これが実に快適で楽しかった。少し狭いが子どもが泣き叫んでも、迷惑にならないし、いつでも横にできる。考えることは同じだったようで、となりの部屋も赤ちゃん連れだった。


 おまけに食堂車のディナーまで付いていた。電子レンジで温めただけの簡単な食事だったが、気取らない分、赤ん坊がいても平気。黒人のウェイトレスは、ワインをつぎながら、「うちの子は三歳よ」といって、娘をあやしてくれた。


 連れあいとは久しぶりの「外食」で少し華やいだ気分になった。彼女にしてみれば、ずっと仕事をしてきたのが、いきなり子ども中心の生活になり、退屈だったに違いない。交代で面倒をみたといっても、僕がみた時間の方が当然短い。日本で公園デビューの心配をしているのに比べれば、英語の勉強もできて、有意義な育児休業だったろうが、育休中の育児に関する負担感の解消は結構難しいのだ。


 このころ娘は「クラップ、クラップ」と英語で話しかけると、パチパチと手をたたく赤ちゃん芸を習得しており、至る所で大活躍した。「この子は日米韓の三重国籍で、我が家で唯一のアメリカ国民なんだ」といったら居合わせた男性客が大笑いをして「そいつはいいや、駐日や駐韓の大使にでもなってほしいね」といってくれた。


 駅からはもっぱらタクシー。夕食はスーパーのサラダバーを使ったり、ルームサービスを頼んだりした。アメリカの巨大な肉料理一皿を二人で分けながら、「旅行、なんとかなるもんだね」と話し合った。

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 子連れでレストラン


 子どもが生まれてしばらくは外食もなかなかできなかった。首のすわった頃からは、ちょこちょこと連れ出す。考えてみれば、ミルクさえ飲ませておけば、よいのだから今よりよっぽど楽だった。


 ずっと子どもと一緒だと気詰まりだからとベビーシッターに見てもらって夫婦で観劇と食事に出かけたこともある。まぁでもアメリカのレストランはだいたいあまり気取ったところではないので、それほど子連れで困ることはなかった。


 離乳食を食べるようになった八ヶ月の頃、ボストンから一六日間ヨーロッパを旅行した。オランダ→ベルギー→デンマーク→ノルウェーと仕事もかねて回ったのだ。


 オランダは子連れでレストランに行く習慣がなく、食事には少し気を遣った。世界中、子連れの外食に困ったら、中華に行くのが一番。子どもの泣き声は幸せを呼ぶと考えられているので、だいたい大丈夫だ。


 ただこれでは毎晩中華になってしまい、芸がない。ヨーロッパではなるべくオープンテラスの店を選んだ。少々泣いても響かないからだ。テーブルに座るとまず娘にフランスパンを持ってきてもらう。堅い皮が柔らかくなるまでおとなしくゲジゲジとしゃぶっている間に、夫婦はワインで乾杯。その日見た博物館の感想を話しあった。日の長い初夏のすてきな夕食だった。


 新しい街に着くとまずスーパーの場所を聞き、ミルクや離乳食を調達した。オランダ語やデンマーク語の表示にとまどったが、しょせん同じ子どもの食べ物だ。まぁじっと見ていればなんとかわかる。好き嫌いといったって、本当におなかがすけば何でも食べる。


 みぞれの舞うフィヨルドも経験し、いつまでも明るいノルウェー・ベルゲンの街を山の上のレストランから眺めたりもした。娘の体調を心配したのだが、むしろ暑いオランダのときよりも機嫌がいい。冬の散歩のおかげか。


 「こんなにゆっくり旅行するのは次いつだろうね」。私のだっこひもの中で寝てしまった子どもを見ながら、そんな話をした。


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 子連れで飛行機


 娘は二歳にしてすでに二四回も飛行機に乗っている。このうち三時間以上の国際線も七回ある。


 最初の国際線は生後八ヶ月の頃だったが、振り返ってみれば今よりもずっと楽な旅だった。国際線ならベビーベッドをつけられる席が取れ、ハイハイをしないころならそこに入れてしまえば、結構おとなしくしているのだ。


 首が据わってから、歩き出す手前の頃の旅行というのは、実は一番安全でやりやすい。ちょうど育児休業のとれる時期だから、それを活用して長い旅行に出るのは、おすすめだ。


 むしろちょろちょろと動くようになってからがやっかいである。親が機内食を食べようとすると横からワインを突き飛ばす。じっとしてはいないし、泣きわめくこともある。


 親が疲れては元も子もないので、少し贅沢だが、列車でも飛行機でもなるべく子どもの座席をとるようにした。ビジネスやスーパーシートよりも普通席の方が間の肘掛けをあげられるので、子どもの寝る空間を確保できて楽なときもある。


 娘は時折ママがいいとぐずるので、それ以外の時は私が極力遊び相手をする。ママがいい、くらいでめげていてはいけない。こういうところで点を稼がないといけないのだ。


 飛行機での遊び場所はなんといってもトイレ。おむつ換えの台があるトイレに入り、台の上に立たせたり、流しに水をためて遊んだり。ティッシュだの紙コップだの、「おもちゃ」も豊富で、結構退屈しない。ついでにおむつを替えて、手足を洗ったりしてやると、時間もすぎる。


 そして眠そうにし始めると、すかさず足の裏から腰・肩までのマッサージをしてやる。赤ん坊も疲れているようで、「う゛、きもちぃ」などと声を上げる(笑)。この歳でそんなオヤジみたいな調子でいいんだろうか?


 「かわいそうになぁ、親の都合で連れ回されて。おまえにしてみたら、早く保育園に戻りたいよな」などと言っていると寝てくれる。この技術を習得してから長旅も少し楽になった。


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  日本で汽車旅・外食


 
アメリカでの個室寝台の旅に味をしめて、帰国後もよく列車に乗せた。個室があれば、なるべくそれを使う。ひかり号の個室では、娘が目の前にある赤い非常ボタンを押してしまい、「あ゙!」なんてこともあった。


 もともとはハイソなお方を乗せるための個室だから赤ん坊の目の高さにボタンがあったりするのだが、今では利用者はほとんど子ども連れ。まもなく廃止されるのが残念だ。いずれ機会があれば、話題のカシオペアや船の個室も使ってみたい。そう船のクルーズなんてアメリカでは中産階級の家族連れ向けの商品だから、日本でもあるといいのだが。


 個室でなくとも実は列車には赤ん坊が遊べるスペースがいっぱいある。トイレや荷物置き場など。ぐずったら必ず私が連れ出した。洗面所で延々と水遊びをさせたこともある。


 そして食事。赤ん坊連れの外食というと日本ではどうしてもファミレスが多くなるのだが、それでもヨーロッパに比べて特に外食をしにくいとは思わない。迷惑をかけない配慮は当然大事だが、過度に心配するのも精神衛生上よくない。


 というわけで旅行に出たら、思い切って子連れでもよいかどうかを確かめて居酒屋にも入る。沖縄に行ったときも、座敷を歩き回り、店の人やお客にかわいがってもらった。確かに落ち着かない食事だけれど、それでも家族でいろんなところに出かけて食事をすることは、一人よりもずっと楽しい。


 夫婦も普段は時間がすれ違ってなかなか話もできないのだが、旅行になれば、いろいろコミュニケーションがとれる。


 ただし面倒を見られるときはなるべく私が見る。そういう覚悟でいないと負担のバランスがとれない。子どもは母親の方がおとなしくなるときもあり、自然と相手の負担が増えるのだ。旅を楽しむためには、お互いに疲れないようにする工夫が大事なのだ。


 そしてどこへ行っても食事がすんだら、「楽しかったね」と笑いかける。この自己暗示が旅行の活力になるのだ(笑)。


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 子どもを預けて外に出よう


 日本はとかく子どもの面倒は母親が見るべき、という規範が強い。一日ずっと母親一人が見ていれば、欲求不満がたまるのは当り前で、おまけに連日夫の帰りが遅いとなれば、怒りの矛先が子どもに向かい、虐待につながっても不思議はない。現代日本の専業主婦による子育てというのは、大変不健全な状態になっているのだ。


 三歳児神話が神話であって意味がないことは、知識としては知っていたが、三歳までは母親の手でなんて、よくもまぁそんなアホなことを信じたものだと子育てをしていて実感する。


 今の日本で三歳まで家にいると、接触できるのは母親とその近所のごく数人の友達のみ。地域のコミュニティが成立していないから、年齢の違う子どもとのコミュニケーションなどほとんどない。


 おまけに母親は子育てに疲れきっていて、父親は給料の減った分を残業で取り返そうとして帰りが遅くなる。それは母親がキレてしまうに決まっている。早くどこかに預けて外に出た方がいい。


 保育所の話は次回にゆずるとして、私たちは保育所以外でも娘をいろんなところに預けた。はじめは生後五ヶ月強で、ニューハンプシャーのスキー場に行ったとき。ほんの三時間ほどだったが、まぁなんとかなることはわかった。


 
アメリカ時代は保育所がいっぱいで入れなかったので、学生さんにベビーシッターをしてもらった。


 今でも連れあいが教会に連れて行くと子どもは別室行きだ。外国のホテルにもベビーシッティングのサービスのあるところは結構ある。タイで預けたことがあるが、小さいうちは言語などどのみちあまり関係ないから、結構楽しそうに遊んでいる。


 子連れ旅行は楽しい、でもそれをもっと楽しくするために子どもを預ける時間を作ってもいいと思う。たまには夫婦でゆっくりお酒を飲むのも、大事なことだ。


 この冬はベビーシッターのいるスキー場を探して、久しぶりに信州にスキーに繰り出そうと考えている。今度は少し長く滑れそうだ。 


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 保育所へ行こう!


 娘は私の勤務先にある保育所に通っている。毎朝ヘルメットをかぶせてママチャリに乗せ、大学までの道を走る。着くなり「おはよ!」と遊びの始まり。起きている時間の大半を過ごす、娘の大好きな場所だ。


 保育所なんて子どもがかわいそう、などという人はさすがに私の周囲にはいないが、まだ結構多いらしい。とんでもない、ずっと家にいるより子どもにとってはるかに幸せだと私は思う。


 東大の保育所だから特別な教育をするんですか、と聞かれることがあるが、むしろその全く逆だ。キャンパスの豊かな自然の中でとにかくワイルドに遊ばせるので、毎日どろんこになり、夏は体中汗をかき、冬は鼻水を垂らして帰ってくる。冷暖房完備で何でも消毒・抗菌の「きれいな」保育所ではないので、かえって抵抗力がついて、熱で休むこともない。友達との裸のつきあいもどんどん深まっていく。どれも昔の子どもが普通にやっていたことだ。


 大都市ではいま保育所が足りない。保育所不足が騒がれたのは戦後三回目。過去二回は戦後すぐと一九七〇年前後。いずれもベビーブームのころだから、今回は少子化なのに、保育所だけ足りないことになる。多くの女性が子どもを預けて働くようになったのだ。


 その割には受け皿が少なく、子どもの預け先は常に共働き家庭の悩みの種だ。しかし実は数の面では日本の保育所は比較的充実している。問題はみんな認可園に入れようとすることだ。保育ママ制度はあまり活用されていないし、無認可保育室というとすぐに事故のイメージがつきまとう。しかし全国に星の数ほどある施設のうちで事故を起こしたのはごくわずか。大半の無認可はきちんとした保育をしている。何を隠そう娘の通う保育所も無認可で、財政的に困窮しながら質の高い保育を提供している。


 保育所は共働き家庭だけのものではない。むしろ専業主婦家庭こそ、孤立した子育ての中で窒息しているケースが多く、保育所に預けて一息つく時間が必要だ。それでも三歳まではかわいそう、という人には、鼻水を垂らして裸足で走り回る娘の表情を見せてあげたい。 

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 三つの国を生きる


 「ハウ・オールダーユー?」「トゥー!」娘は最近ようやくこんな受け答えができるようになった。でも聴きとるだけなら、「靴脱いで」「手を洗って」などかなりの英語表現を理解している。先日家に入るときに玄関で、「門を閉めてくれる?」と英語で言ったら、「うん」と日本語で頷いてくるりと引き返し、門を閉めに行った。


 そう、私は娘には生まれてからずっと英語でしゃべりかけているのだ。どのみち言葉は保育園で学んでくるので、私がいくら教えても効果はしれている。ただそれでも生活の中で何度も使っている英語は、少しずつ理解しているようだ。


 私が娘に英語で話しかけているのは、何もこの歳で英才教育を始めようと思うからではない。勉強なんて中学くらいから自分の意思でゆっくり始めればいい。ただ娘がアメリカ人であることを考えると、英語がきちんと話せるような教育を与えなければと思うからだ。


 彼女は韓米日、三つの国籍を持っている。現行の国籍法規定でも、米日の二つを保持し続けることが可能だ。名前の
は韓国語。ただ母方の親戚はみな日本育ちで、韓国語も教えるとすれば、私の役目になる。いきなり三つも教えるのは混乱するだけだろうと思い、今は英語だけにしている。


 彼女はアメリカの感覚で言えば二世。親世代の文化を受け継ぎながら、アメリカ人として生きていくことが期待されるからこそ、アメリカは出生とともに国籍を与える。ニューヨークの移民入管施設があったエリス島の博物館に行ったときに、私はそのことを理解できた気がする。逆に言えば、英語もできないアメリカ人を育てていいのかと自問し、無理して英語でしゃべりかけているのだ。


 日本が、国籍を理由に銭湯の入浴さえ拒むような社会であり続けるのならば、そんな社会は見捨ててくれて構わない。娘には三つの「母国」を持つことを誇りに思いながら、国境などというちっぽけな枠にとらわれない仕事をする人になってほしい。子どもには負担かなぁ、と思いながら毎朝「保育園行くよ!」と英語で話しかけている。  


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 娘を通じて地域に生きる


 十一月の週末は娘の通う保育所のバザーの準備で潰れてしまった。無認可で財政が苦しい保育所にとって、学園祭にあわせて開くバザーは貴重な収入源なのだ。


 保育所は大学外にも開かれた施設として労組が設置したものだが、ずっと大学当局が正式に認知をしてこなかった。しかし文科省が省内に保育所を設置した頃から事務方の対応が変わり、今は学部として公認をする方向での作業が進んでいる。それにあわせて経営主体をNPO法人化することになり、私はその準備作業を引き受けることになった。


 財政基盤の不安定な保育所だけに、父母会がなんだかんだと援助をする。まるで貧乏で優秀な子を一生懸命援助するあしながおじさんのように、みんなが積極的に関わっている。


 また父母の面子がおもしろい。三十人ほどの保育所なのに、弁護士と税理士がいて、法人化に関する業務をお願いした。築五十年を超える木造建築なので、耐震補強や移転が緊急の課題なのだが、移転の図面は一級建築士が描いてくださり、補強・改修工事は、大工さんが夜中にやっている。みんなお父さんだ。


 大学の中にある関係上、研究者は約十人。他にマスコミはNHKと朝日新聞。父母会長は中央省庁の官僚で、忙しい国会審議の合間を縫って父母会の行事に出てくれる。おまけにイラストやデザインの専門家が何人もいて、バザーのポスターやお祭りの飾り付けなどは、プロの作品が登場する。


 高給取りもたくさんいるので、バザーの準備をするよりも一日分の労賃を寄付した方が収益は上がるだろう。でも忙しい仕事を抱える父母が、子どもを通じて出会い、がらくたの整理に汗を流している。これも一つのあり方かもしれない。


 子どもが生まれるまでの自分はとにかく研究を最優先にして、生活を設計していた。今はすっかり子どもの送り迎えが中心になり、さらには保育所の業務が加わる。研究のペースは、話にならないくらい落ちたのだが、まぁそれもいいか、と思う。昔はただ仕事をしている、というだけだったが、今は生活をしている、という気がする。 

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 夫も育児を!


 
数年前「育児をしない男を父とは呼ばない」というポスターが話題になった。子どもを抱いていたSAMはその後安室と離婚してしまい、あのポスターはまずい、という人もいる。でも離婚後の子育てを引き受けるSAMの生き様は、養育費を払わない父親が多い中で、まさに模範的だ。私としては「夫でなくなっても、父でなくなることはない」ともう一枚ポスターを作ってもいいと思うくらいだ。


 この秋厚労省は第二弾のポスターを作った。手を広げる振り付け師パパイヤ鈴木を1歳の娘が見上げている写真に、「パパ(育児が)イヤなんて許されませんよ」。ほのぼのとした雰囲気が気に入って、私は研究室の扉に貼っている。


 この手のキャンペーンは個人の生活に介入するものだといった批判があるが、現状のような極端な不均衡は、個人の自由を越えて問題とされるべきだ。


 今日本中に二種類の林業者がいるとしよう。片方の林業者は植林をすすめながら出荷をする。もう一方は植林をせずにとにかく木を伐り倒して出荷するだけ。こうすると植林をしない業者はその分の手間を木を伐る方に回せるので木材が安い。買い手が安さにつられて、植林をしない業者の木ばかり買うと、植林をする業者は淘汰され、結果として日本中がはげ山になってしまう。


 子育ては植林であり、男性の働き方はまさにこの植林しない業者と同じだ。男性ばかりを雇うと植林もできず、少子化(=はげ山化)が起きているのだ。植林をしながら働ける職場づくりは急務である。


 長期の休暇が無理なら、まず五日間でもいいから夫も産休をとれるようにしたい。忙しい職場でも親の葬式で仕事を休んで文句を言われることはまずない。家族の死と誕生以上の大事件など人生にそうはないとすれば、家族が生まれる瞬間に仕事を休むことは、忌引きと同程度には当たり前であっていいはずだ。


 不景気でダメだというなら賃下げで人を増やして時短をすすめればいい。家計は共働きで乗り切る。仕事と家庭の両立は、男の、そして日本の大問題なのだ。

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