大学1年生・春休み(乗鞍スキー合宿・沖縄無人島サバイバル)
 2月から3月にかけて大きなイベントは3つ。スキー合宿と春山合宿と春の山行。スキー合宿は乗鞍高原のスキー場で民宿に4泊か5泊位してスキーをする。春山合宿は八ヶ岳で雪山訓練である。厳冬期の雪山は行かないことを建前としていたので、天候の安定する3月の南八ヶ岳でピッケル・アイゼン・ザイルワーク・雪上生活を習得するための合宿である。行者小屋にベースキャンプを張り、6泊7日で行われる。春の山行は南の島。

 私はこの3つのイベントにすべて参加することにした。日程的にもた体力的にも金銭的にもきついのではあるが、すっかりワンゲルにのめり込んで、あれもやりたい、ここも行きたいと思うようになっていた。実はこの頃、同じクラスの友達に誘われて、アルバイトを始めた。割烹のようなところで、給仕や皿洗いなどをした。賄い付で食費も浮いて、3ヶ月位で20万円程たまった。宴会で客が残した天ぷらや刺身を片付けながら、つまみ食いもした。結構高級な所で貧乏学生には夢のような味だった。山で鍛えられて胃袋も大きくなっており、この頃人生で最大の体重を記録する。(それでも66s位だった。大学入学時は58s位だったと思う。現在はその中間位。)親からの仕送りもあり、これまた人生で最大のリッチだったかもしれない。
 スキー合宿で私は生まれてはじめてスキーをした。新潟県出身でスキーやったことないのと、みんなから言われた。体育の授業でやらなかったの、とも。関東の人間からすると新潟県人は全員スキーが出来ると思われている。困ったものである。
唯一残っている写真がこんなのでした
 スキー合宿から帰ると次は春山合宿。しかしスキーで痛めたわけでもないのに、右ひざが痛みだし、歩けなくなった。医者に行ったが異常なしと言われた。みんなからは春山合宿に行きたくないからじゃないの、と言われた。そんなことはない。春山合宿に参加しなければ、ピッケルもアイゼンも使うことは許されない。残雪の山にも行けないのである。私はどうしても雪山に行きたかった。それにすでに雪山装備も購入しており、これも10万円近く使っていた。それが使えなくなるのである。しかし合宿直前になってもびっこをひいており、結局断念することになった。

 しかし春山合宿が終わる頃、ひざの痛みが消え、歩けるようになった。回りからは益々、やっぱり行きたくなかったんだ、と言われた。そんな後ろめたさもあったが、歩けるようになったので、その後の春の山行・沖縄無人島サバイバルには参加した。

 沖縄本島から船で1時間半位の所にある座間味島。その回りには無人島があり、そのひとつ安室島で1週間程サバイバルキャンプをするのがその年の春の山行だった。米以外の食料は現地調達。鍋も持っていかず、空き缶でご飯を炊く。実はその無人島には常時15位人がいた。もちろん住人はいないのだが、我々のような大学のワンゲル部が同じことをしに来ていたのだ。なんだ、無人島じゃないじゃないかと、企画したリーダーを責めた。女子大のパーティーもいたのだが、一応無人島を想定しているので、人は見ないことにしようということになって、無視して交流することはなかった。(なんともったいない)

 沖縄への旅の手段は船。お金はないが時間のある学生としては当然のこと。東京の晴海埠頭から那覇港まで50数時間、船中2泊である。乗り物に弱い私にとっては地獄である。もちろん船酔いをしたが、体が慣れたのか3日目には平気になっていた。しかし、帰りもまた50数時間船に揺られるのは嫌だとみんなそう思っていた。2年生のサブリーダーが今で言う鉄(鉄道マニア)のような人で、いいアイデアがある言った。それは鹿児島に上陸すれば、船に乗っている時間は24時間1泊で済むと。そして鹿児島から列車で東京まで帰ろうというもの。確かこの年から「青春18きっぷ」なるものが発売になった。普通列車乗り放題で当時は5日間で8000円だったように記憶している。これをみんなで買って分け合って、3日かけて帰ろうというもの。チーフリーダーだけは早く帰りたいと飛行機で帰って、あとの4人でその案で帰ったと思う。

 西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)に上陸。熊本・長崎・福岡・広島・京都と途中下車しながら、夜はまだ当時走っていた夜行普通列車で過ごす。長崎の夜には居酒屋で見知らぬ親父にご馳走になり、福岡の夜には立ちん坊の女の人に「遊ばんと」と声を掛けられるも、何日もお風呂に入ってなく、お金もなかったので、素通りする。(ほんとうです)さすがに3日目、静岡あたりから、列車に乗っていることが苦痛になったが、無事帰りついた。20日間という長い旅が終わった。バイトで貯めた20万円はきれいさっぱりなくなっていた。


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