12時15分、前穂高出発。重太郎新道を下る。雪と岩が交互に出てきて、午後になり雪が腐りはじめ、アイゼンが団子になる。13時50分、10分休憩。このあたりから夏道が出てきて、ピッケル・アイゼンをしまう。
14時30分、標高2530m地点で再び雪が現れる。約7m程の雪渓のトラバースとなる。トップのO嬢が通過したが、雪が腐っていて滑りやすいとのこと。そのため全員が再びピッケルを持つ。セカンドK君が雪渓でスリップ。5m程滑ったがピッケルによる滑落停止を行い、さらに灌木帯にひっかかり停止した。Y君がK君の所まで行き、キックステップでトレースまで戻る。次にA君が通過。最後に私が通過。私はピッケルを出した時点では、ここを過ぎればまたしまうことになるので、ピッケルバンドを手首に巻いていなかった。しかし前4人が滑ったりして、待つ時間が長かったので、ピッケルバンドを手首に巻いた。(これが後で大きな意味をもつことになる)
私もみんなと同じ所でスリップした。その時点ではみんなと同じようにあの灌木帯で止まると思って、滑落停止行動をとらなかった。しかしすでに雪渓が滑り台のようになっていたのか、勢いがついて、灌木帯が踏み切り板のようになって体が投げ出されて、横転しながら滑落していった。一瞬何が起きなのか理解できない。しかし、加速度がついて滑落停止など出来る状況ではなくなった。回転しながら頭から落ちていった。ザックがはずれた。ザックはそのまま先に落ちていった。2度3度と雪面にバウンドしながら落ちていく。
死ぬ、と思った。よくこういう時は過去のことが走馬燈のように駆けめぐる、言われる。でも逆だった。ここで死んだら、これから経験するいろいろなことを俺は経験せずに死んでいくのか、とそんなことを思った。勢いは増すばかり。もうダメかと思った瞬間、体が止まった。木に引っ掛かったわけではない。あたり一面雪の斜面である。
すでに手から離れていたピッケルが雪の斜面にささったのである。そしてピッケルバンドで繋がれた右手首一本で止まった。うつぶせで万歳した格好で斜面にへばりつくように止まった。助かった、と思った瞬間、落石が頭を直撃。出血。顔中血だらけになる。
近くの斜面で雪上訓練をしていた人が助けにきてくれた。しばらくするとY君も滑落した斜面を降りてきて、合流。眼下に岳沢ヒュッテが見えた。ヒュッテまではそう遠くないので、二人に両肩をかかえられながら降りる。この間、私の意識ははっきりしていた。しかしなぜか息がうまく出来なかった。あとで病院で診察してわかったのだが、肋骨が2本折れて、それが右の肺にささって肺がつぶれていた。外傷性気胸である。怪我の内容はこの肋骨骨折と気胸、頭部裂傷、肘・膝の打撲、左目の内出血であった。
小屋で横になっていてもこの呼吸困難が治まらない。小屋のおじさんが、ヘリコプターを呼ぶか、と聞いてきた。ヘリ飛ばすと30万円かかるが、いいかと。ちょっと待ってくれ、と言ったが、この息が出来ない苦しさは半端ではなく、どう考えても、歩いて下山は無理だった。すみません、やっぱり呼んでくださいと言った。この日北アルプスで7件位の遭難があったようで、すでに県警のヘリは出払っていて、民間のヘリがきた。県警のヘリだとお金はかからいようだった。(結局この30万円は親から出してもらった。情けない限りだ。)
15時45分、ヘリ到着。そのまま松本空港へ。そこから救急車で松本市内の病院へ。医者は呼吸困難の原因がわからず、とまどっていたようだが、レントゲンをとって気胸とわかり、胸に穴をあけて管を通して、もれた空気を出す処置をした。気胸と聞いて、もう自分は一生激しい運動は出来ないと思った。高校時代、テニス部に所属していて(途中退部)、1年先輩が自然気胸で入院した。お見舞いにいったら、先輩が、この病気になると一生激しい運動は出来ない、と言っていたのを思い出した。体育の時間もまともに走れていないのを見ていた。もちろんこんな事故を起こしたのだから、もう二度と山には登らないつもりだった。でも運動が出来なくなるのは嫌だなと思った。(この情報は間違っていたようだ。ちゃんともとの体にもどった。)
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