| 大学1年生・ワンダーフォーゲル部に入部 |
| 1980年代前半を関東の大学で学生生活を送る。大学生と言えばサークル活動。受験勉強から解放されて、何か新しいことを始めたいと思っていた。どこかのサークルに入ろうと思っていろいろ回ってみた。 中学時代は軟式テニス部(現在はソフトテニスと言うらしい)、高校も同じだったが、途中リタイヤした。限界を感じて2年生の途中で辞めてしまった。体を動かすことは好きなのだが、スポーツで輝ける程の運動神経はもっていなかったようだ。 以上の理由で、サークルを選ぶにあたっては、体育会系はやめておこうと思った。それで文化系のサークルをいろいろ回ったが、どれもピンとくるものがなかった。そして選んだのがワンダーフォーゲル部(正式名称は徒歩旅行部)、通称ワンゲル。ワンゲルは一応体育会系サークルに分類されるのではあるが、スポーツのように勝ち負けがなく、また資料集めや記録編集など、文化系的仕事も多く、どちらにも分類されないと私は思っている。 山は遠足で弥彦山に登った以外、登ったことはなく、自然が好きというわけでもなかった。ただ何となくあこがれのようなものはあった。実は高校時代、加藤諦三という作家が書いたいわゆる青春論なる本をいっぱい読んでいた。(悩み多き高校生だったもので)加藤諦三氏は東京大学出身で学生時代、東大のワンゲル部に所属して、山や沖縄の西表のジャングルなどに行っていた。そんな体験記も読んでいて、こんなこともしてみたいと漠然と思ってはいた。でも自分は体力に自信がないので、絶対無理とも思っていた。 どれもピンとこなかったサークルで、そんなあこがれからか、なぜかワンゲル部に入ることになった。山に登るサークルは他にもいくつかあった。地獄の一丁目と言われるのが、山岳部。二丁目がワンゲル部。三丁目はキャンピングツアー部。(ワンゲルのしごきに耐えかねて辞めた人達で作ったと言われていた)あとは旅の会とか。 その中でなぜワンゲルを選んだか。加藤諦三氏と同じワンゲル部という名前へのあこがれもあった。山岳部はきつすぎて部員が少なかった。(体力的にも絶対無理と思った)当時、ワンゲル部は部員数は70人位と非常に多く、伝統もあり、部室も角の一番大きな部屋だった。(途中でその部室は取り壊しになって、新築のサークル棟に移って狭くなったのだが)なんとなく正当派に思えたので、入ることにした。 新歓コンパに新歓ハイキングと楽しい4月が過ぎて、最初の部山行は5月連休。参加した山行は残雪の那須連峰。甲子温泉から入って2泊3日の縦走。バテながらもなんとか1泊目の天場についた。楽しいはずの夕食。メニューはすきやき。アルマイトの食器(1合飯)に山盛りによそられて、1杯目を食べた。食べ終わった頃から様子が一変した。 |
1回戦終わったな。はい、2回戦、と先輩が勝手に2杯目をよそった。もうお腹いっぱいです、と言うと、先輩の人格が変わった。鬼と化したのである。バカヤローの怒号。新人はこれを3杯食べるんだ。雰囲気が一変して、一気にしごきモードに突入。3杯食べるまで絶対に許してもらえず、のどのぎりぎりまで詰め込んで、なんとか食べた。そのあとのミーティングでは行動記録や備品の消費量などの発表で、ちゃんと言えないとまた怒号の嵐。 その時決心した。山から下りたら、絶対退部届けをだそうと。実は夜中にテントから抜け出して帰ろうと思ったが、さすがにそれは無理なので、じっと我慢の3日を過ごした。そして無事完走して、下山。その時の解放感は何とも言えないものがあったが、退部する決心だけは変わらなかった。 |
![]() 那須連峰にてセフコT(左) |
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退部するつもりなので、しばらく部室にも顔をださずにいた。しばらく時間が経つと、完走した時の解放感が何とも言えずよみがえってきて、怒鳴られたりしたことは薄れていった。それと高校時代、テニス部を途中で辞めたこともどこかで気にしていた。もしここでワンゲル部を辞めたら、俺は一生逃げ続ける人間になってしまう、そんなふうに考えたりもした。それと登山靴など山の装備に5万円程注ぎ込んでいて、1回使っただけで、辞めるのはもったいないという思いもあった。(これが結構大きかったかも) 結局、辞めるのはいつでも出来ると思い、しばらく続けてみることにしたのである。 |
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