でも、そんな時をただ待つわけにもいきません。
そこで私は次のような作業をすることを薦めています。

素晴らしい自然に囲まれた時や素晴らしい音楽に出会った時などに、急に悟りを開くように【自尊感情】を回復できることもあるし、
− 感動した瞬間に、その自然の中のひとつの小さな存在である
自分自身も自然と肯定できてしまったというような −
素晴らしい人との出会いの中で知らず知らずのうちに癒され、【自尊感情】が回復していく場合もあります。
どこで?
家庭は無論のこと、
友人関係や
学校、
職場、
社会などかなり広い範囲を含みます。
どんなふうに?
その人の
肉体的なもの(命、人種、民族、障害、病気、性別、容姿、生理的なことなど)や
心理的なもの(意思、感情、要求、好み、考え方、能力、性格など)、
その他(職業やその人のおかれた状況など)が無視されたり、蔑まれたり、否定されたり、利用されたり、嫌われたり、踏みにじられたりした時に、そして、そのことをその人が怒りで押し返せなかった時に、【自尊感情】は傷つくことになります。
愛情に飢えていながら、愛情の姿が見えない。こんなに辛く淋しいことはありません

「『怒りで押し返せなかった時』?
つまりは怒らなかった私も悪いというの?」

誰かの責任を問うつもりでこう書いているのではありません。

『怒り』という感情はあまり歓迎されていないために、抑えこまれていることも多く、まして、「【自尊感情】を保つために怒らなくては」とは誰も教えてくれませんでした。知らないことをしなかったからといって、その人を責められる人がいるでしょうか?

また、その人の持つ怒りのエネルギーよりも、その事態が持つ勢いが強いと、例えそれが分かっていても傷つくことはさけられません。

ただ、
私たちにも対応のしようがあることを、相手にその怒りを表明するかどうかは別問題として、
自分の中にしっかり怒りを感じて、
その怒りを「怒って当たり前のことなんだ。」としっかり受容してしまえば、【自尊感情】の核まで傷つけられずにすむ可能性もあるということを、今後のためにどうしても知っておいてほしいのです。
本当の愛情を信じられない

は愛情への枯渇感が強いけれど、自分自身が愛され得る存在だとはどうしても思えないために、まわりの人に際限のない愛情を求めたり、証明してみせることを要求したり、その要求に応えなければ思いもかけないような騒ぎを起こしたりして、まわりの人を振り回すことになります。

また、

が

でないことを本人はうすうす感づいていますから、本当の愛情にめぐりあっていたとしても、その愛情に安心することができません。「いつか化けの皮がはがれて、この人は私を嫌いになるんだ。」。

自分の目には見えていない

の姿が、まわりの人たちに見えていることも多いのですが、自分の意識が

を演じることにばかり向けられているので、そのことには気付かないのです。
人間を二分する考え方を持つ
良い人と悪い人
人間は誰でも長所と短所を持っている不完全な存在ですが、『良い人』に短所があることを認めません。短所があるのは『悪い人』なのです。付き合い初めは相手を「素晴らしい人」と褒めちぎり、短所がちょっとでも見えた時点で掌を返したように「駄目な人」扱いをしたりします。
敵と味方
これは『適度な距離を保てない』とも関連しますが、自分に対して「NO」を言う人は全て敵で、「YESマン」以外は味方(友達・仲間・恋人)と認めません。批判はその人の全否定と受け止めて、過剰に反応します。
対等な関係が築きにくい

どうしても『支配か、従属か』と言う関係になりやすく、対等に尊重しあう関係が苦手です。その時の相手や状況によって、このふたつのどちらにまわるかが決まります。
支配する側にまわると相手のありようや思いを尊重することを忘れて自分の所有物のように扱い、
従属する側にまわると自分のありようや思いを全く抑え込んで相手の言いなりになります。

例え、自分のことを尊重してくれる相手に出会えたとしても、そんな経験が少ないためにどう対応してよいか分かず、かえって居心地が悪く感じられて離れていくことになります。
適度な距離を保てない

全く心を開かず、関係そのものを拒否してしまったり、心を開いた途端に自分自身と全く同じ考え方や感じ方をしないと満足できなかったりします。

その人に引き受けさせるべきことを自分が代わりにしたり、自分が引き受けるべことを相手にさせたりすることもあります。

自分の自己証明のために、相手に自分が望む姿であることを強要したり、相手にとって自分がふさわしくあるようにと過度に自分の姿を型にはめようとしたりします。

はその孤独感を一時でも忘れさせてくれるならと、本当の愛情とは無縁な関係にのめり込んだりすることもあります。

「自分を受け入れない奴は破壊してしまえ!」とばかりに攻撃的になることもあります。
2.人間関係がうまくいかない
ここで言う【自尊感情】は、

で、【自己肯定感】と言ったりもします。この感情を取り戻すことを【自己回復】と言います。【自尊感情】を持てるかどうかは、『他人と比較して』優秀かどうかとは全く関連がありません。むしろ【自尊感情】が高い人ほど他者の存在に対して敬意を払うことが可能になります。
『ごく普通の欠点も弱点もあるこの自分』を好ましいと思うことは、『まわりにいるごく普通の欠点も弱点もある人たち』を好ましく思うこととほとんど同じ事ですし、まわりの人たちと自分のありようを比較して競争する必要もなくなります。つまり、一般的な印象とは違って、【自尊感情】を高く保つことは良好な人間関係を築く基本となるものだったのです。
以下のことは全て結果であって原因ではありません。
従って、この状態を変えようと努力しても根本的な解決は望めません。
また、これらのことは複合的に現れ、
その時々の状況によって、そのありようは変化します。 |
と
の人格は、ひとりづつでも生きにくい状況を生み出しますが、
こんなふたりを常に抱えながら一生を過ごすとすれば、どうなると思いますか?

その人の中に とは別のふたつの人格が生まれます。
と です。
この3人は考え方も、感じ方も、時には記憶すら異なります。
しかも、3人は互いに互いのことを好きではありません。 |

が陥った耐えがたい苦しみの状態から逃れるために生まれた人格で、「愛されるためには、認められるためにはどうすればよいか?」を考え抜いて、独自の戦略を身につけています。

したがって、勝ち残ることが第一優先順位。まわりの人たちの悲しみや辛さ、それどころか自分の心や身体の悲鳴さえ、聞こえなくなったりします。最後には、何のために勝ち残ろうと必死になってきたのかを忘れて、愛情をも犠牲にして勝ち残ろうとします。

戦略の大きなものは、
『優秀であること』と
『正しくあること』です。大概の人の戦略はこのふたつに分けることが可能です。ただ、どの分野で、どんなふうにその戦略を使って勝ち残ろうとするのかは、人によって、状況によってさまざまです。
『優秀であること』であれば、出世すること、金持ちになること、成績がいいこと、名士になることなどなど。
『正しくあること』であれば、これは少しややこしいのですが、人間として、男として、女として、社会人として正しく生きることなど。

この人格は、世の中には『勝ち組み』と『負け組み』がいて、『勝ち組み』が全ての幸せを独占する、それは当然だと考えています。だから、自分が『負け組み』になる可能性には異常なくらい過激に反応します。それは『肉体の死』より恐れている『心理的な死』だと感じているのです。

この人格が抱えている感情はあまりに大きなものなので、この人格が何かのきっかけで表にでてくると、毎日の何気ない生活ですら苦痛に満ちた、耐えがたいものにかわります。

無力感もとてつもなく大きいので、自分が
とても小さい存在に感じられ、今まで何の問題もなくこなしてきた何気ないことでさえできるような気がしません。その反動でまわりの人間が大きく、力強く思え、人間関係が恐怖に満ちたものに感じられることもあります。

この感情たちは根本原因が分かりにくいので、人は全く違う手段でなんとか解消しようとあがきまわることになります。また、ただ気を紛らわすために刺激の強いものなどにはまることにもなります。

自分自身が愛され得る存在であるとどうしても思えないため、人間関係に力関係や取引を利用することが多くなります。

「周囲の人には隠しているので分からないけれど、これが本来の自分の姿だ。」と感じるのは、この人格であることが多いようです。
人間が本来持っている良さをしっかりと持っています。しかし、新しいふたつの人格が生まれてしまうと、意識の奥のほうに潜んでしまうことになって、本人にもその存在が分からないことがあります。それは、この人格の声が他のふたりのわめき声にかき消されることが多いからです。

自分自身や周囲の人、もの、自然に対しての愛情に溢れています。人間として当たり前の欠点や弱点なども持ってはいるけれど、そのこととも仲良く付き合っていけます。このことは他人の欠点や弱点に対しても同じことが言えます。

何か特別な理由がない限りあまり無理をせず、日々のほんのささやかな『今』にも喜びを感じながら生きて行くことができます。自分は
特別優秀ではないけれど、とても
独特な存在であることを知っていて、そのことにとても満足しているのです。

自分の能力を伸ばすこと、新しい体験をすることなどに無邪気な喜びを感じることができます。これは劣等感の裏返しのすさまじいエネルギーにはかないませんが、この人格の行動のエネルギーとなるものです。

感情は安定していることが多いのですが、怒りを感じて当然な出来事に遭遇するとしっかり怒り、悲しみを感じるべき時にはしっかり感じます。悟りを開くこと自己回復することとは、全く違うことです。
『他者と比べて優れている』という有能感
勝ち残るための独自の戦略
攻撃的で差別的
『将来』勝ち残っているはずの自分の姿に縛られている
大きな無力感と不安感、孤独感、怒り、悲しみ、愛情に対する枯渇感など、持ちにくい感情
自分自身、社会(まわりの人たち)、将来に対する強い不信感
『過去』の辛い記憶に
苦しんでいる
自分自身、社会(まわりの人々)、将来に対する信頼感や愛情
妥当な程度の有能感
『今現在』のささやかなできごとに喜びを感じることができる
ここに書かれていることを、まわりの人や自分自身を分析してレッテルを貼り付けるためや優劣をつけるために使わないで下さい。
また、まわりの人の【自尊感情】を育てるためや人間関係の改善のためにと、部分的に切り取って使わないで下さい。
自分自身が自分の心に問い掛け、本来の活き活きした自分自身を取り戻していく、そのためにだけ使われることを願っています。
もちろん、無断で転載しないで下さい。
宇宙の中にただひとり漂っているような孤独を感じたり、
自分が砂粒のひとつのように感じられて
不安でたまらないと感じたことはありませんか?
そんな人間の生きにくさの根底には【自尊感情】の問題があると私は考えています。
そんな状態から抜け出すために、
まず、自分の心や人間の心理を少し理解してみましょう。
それが、自分と仲良く付き合っていくための第一歩なのです。 |
【自尊感情】の心理学とは人間の心理を読み解く時に、最も重要な要素を【自尊感情】だとする心理学