オペラ徒然草
主にオペラに関するコラムです。

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 旧き良きフランスの薫り クリュイタンスの《ホフマン物語》

ベルギー出身の名指揮者アンドレ・クリュイタンス(1905〜67)は、二つの《ホフマン物語》スタジオ全曲録音を残している。ゲッダ、シュヴルツコップ、デ・ロス・アンヘレスらのインターナショナルなオールスター・キャストを起用し1964年にパリ音楽院管弦楽団と録音したものが、この作品の代表的な全曲セットとなっており、完成度が高いが、1948年にオペラ・コミーク座の管弦楽団と録音した物の方が、はるかに旧き良きフランスの薫りが感じられる。べつにホフマン物語はフランスが舞台ではないからフランスの薫りがしなくたっていいじゃないか、とも思うが、やはりオッフェンバックはフランスの芝居小屋の薫りがしてこないとだめなのだ。この1948年盤は、2002年にNAXOSから復刻盤が出ており簡単に入手できる。表題役のカナダ出身のテノール、ラウル・ジョバン(1906〜74)にとってもこの盤は代表作となっており、彼の傑出した歌唱が大きな支柱となっているが、3人のソプラノ役に、実に魅力的なキャストが揃っている。オランピア役のレネ・ドリア(1921年〜 )はペルピニャン、アントニア役のジェオリ・ブエ(1918〜 )はトゥールーズと南仏出身、ジュリエッタ役のヴィナ・ボヴィ(1900〜83)はベルギーのガン(ゲント)出身。トゥールーズ出身には、上記3ソプラノとほぼ同時期に活躍したジャニーヌ・ミショー(1914〜76)という魅力的なソプラノもいる。40〜50年代の代表的フランス・オペラのソプラノと言えば、あとコルシカ出身のマルタ・アンジェリシ(1907〜73)も押さえておこう。この盤のもう一つの魅力はフランツ、アンドレ、コシュニール、ピティキナッチョの脇役4役を演じる喜劇役者ブールヴィル(1917〜70)の飄々とした味である。彼が出てくると、その崩し方が絶妙で、それでかえって演奏が引き締まるのである。先日、1940年代〜60年代にフランスで一世を風靡したスペイン出身の名テノール、ルイス・マリアーノ(1914〜70)の代表出演作《メキシコの名歌手》の映画版を見ていたら、ブールヴィルがマリアーノの相棒役で出ていた。僕がパリに住んでいた1968年から70年頃、フランス喜劇界の大物と言うと、このブールヴィル、《ファントマ》のジューヴ警部役が当たり役のルイ・ド・フュネス(1914〜83)そして《ドン・カミロ》が有名なフェルナンデル(1903〜71)が3巨頭だった。フェルナンデルもオペレッタに数多く出演して、歌が上手いし、フュネスもピアニストを志したこともあって音楽的素養に恵まれている。このように、この全曲盤は、立役者にフランス系の実力者が揃い、脇も個性的な芸達者がしめていて、バランスが良い。是非NAXOS盤を一家に一枚常備しておきたい。


 スカラ座博物館で開催された「リチャード・タッカー展」

ネット・オークションで、1991年4月27日から6月1日までミラノ・スカラ座博物館がリチャード・タッカー音楽財団と共催した《ニューヨーク・メトロポリタンのテノール、リチャード・タッカー》展覧会のパンフレットを落札した。スカラ座では、1969年に《ルイザ・ミラー》で5回出演しただけのタッカーのために何故スカラ座が展覧会を開催したのか理由は分からないが、そのパンフレットの最後にオペラ人からの献辞が載っているのに興味を持った。レヴァイン、ムーティ、シミオナート、コレッリ、パヴァロッティの5人が文章を寄せている。レヴァインはメトでの思い出、ムーティは彼がフィレンツェのテアトロ・コミュナーレ監督時代に《仮面舞踏会》《道化師》《レクイエム》で共演した時の話、シミオナートはタッカーが歌手としてでだけでなく、人間的にも魅力があったこと、パヴァロッティは、彼が69年の《ルイザ・ミラー》をスカラ座で聴いて、その声に驚嘆したことが語られている。コレッリは、メト時代のタッカーの思い出を語っていて、「タッカーは、ヴェルヴェットのような声で、幅広く、響きの豊かな中音域、力強く、輝かしい高音域を持っていることが分かったが、何よりもイタリア的なテクニックを持っていることがうれしかった」と述べている。ライヴァルのテノールに大していつも尊敬の念を失わないコレッリとしても最上級の献辞だろう。
このパンフレットにはタッカーのメトでの出演役名と出演回数の一覧表のほかに、イタリアでの公演内容も整理されている。それによれば、以下の通り5都市で合計60回出演している。

1947年ヴェローナ《ラ・ジョコンダ》5回
1965年フィレンツェ《仮面舞踏会》4回
1967年フィレンツェ《アンドレア・シェニエ》4回
1968年フィレンツェ《イル・トロヴァトーレ》4回
1969年スカラ《ルイザ・ミラー》5回、ローマ《マノン・レスコー》1回
1970年ローマ《カルメン》7回
1971年フィレンツェ《道化師》5回、《リゴレット》3回、《レクイエム》1回、パルマ《イル・トロヴァトーレ》5回
1972年フィレンツェ《仮面舞踏会》5回、ヴェローナ《アイーダ》4回、《仮面舞踏会》2回
1974年フィレンツェ《仮面舞踏会》5回

1947年から1965年まで18年間の空白が出来たことの理由として、47年の《ラ・ジョコンダ》公演で共演したマリア・カラスにばかりマスコミが騒いだことに臍を曲げたからだという文章もあった。タッカーもまたカラスの犠牲者だったのか。

このパンフレットを読んで改めてタッカーの各種録音を聴いてみたが、1964年にシッパーズの指揮でRCAに録音した《運命の力》のドン・アルヴァーロの歌唱に感心した。決して声の威力だけでなく、実に丁寧に歌っている。この全曲盤には日頃省略されることの多いドン・カルロとの2つ目の二重唱もちゃんと収録されていて、ここでのタッカーがまた素晴らしい。《運命の力》の全曲盤というとデッカがオールス^ーキャストで1955年に録音したフランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ盤が第一に挙げられるがこれには件の二重唱がカットされているのが惜しい。この64年録音のRCA盤は、プライス、メリルも素晴らしく、何よりもシッパーズの指揮がダイナミックで聴き応えがある。
シッパーズは60年代に数多くの重要な全曲盤を残している。62年はデッカにデル・モナコ、レズニック、サザランドらとの《カルメン》、63年はEMIにフレーニ、ゲッダ、セレーニらとの《ラ・ボエーム》、64年はEMIにコレッリ、トゥッチ、シミオナート、メリルらとの《イル・トロヴァトーレ》、デッカにニルソン、タッデイ、プレヴェディらとの《マクベス》、65年はRCAにモッフォ、ベルゴンツィ、マックニールらとの《ルイザ・ミラー》、67年はRCAにプライス、ベルゴンツィ、セレーニらとの《エルナーニ》と言った感じだ(70年にはシルズ。ベルゴンツィ、カップッチッリで《ルチア》も)。タッカーとのイタリアでのコラボレーションでは、68年フィレンツェでの《イル・トロヴァトーレ》と69年ローマでの《マノン・レスコー》がライヴCDになっている。いずれも歌手・指揮者共に熱演である。
1977年に時期尚早の死を迎えたのが誠に残念だ。彼がもう少し長生きしていれば、メトのレヴァイン帝国のあり方ももう少し違った形になっていたことだろう。


 1954年カンヌ・テノール・コンクールで優勝した5人

マリオ・ポデスタというプロデューサーが企画した1954年カンヌでのテノール・コンクールは、フランスのテノールの歴史を語る際に忘れてはならないエポックメーキングなイヴェントだった。一説には1013人の応募があったという、このコンクール、最終的に審査に残ったのは60人ばかりだったそうである。その中から5人が優勝者として選ばれた。
その5名と、彼らがファイナル選考で歌った曲は以下の通り。
アラン・ヴァンツォ:《ベンヴェヌート・チェッリーニ》より「最も荒涼たる山の上で」
トニー・ポンセ:《イル・トロヴァトーレ》より「恐ろしき焚火をみれば」
ロジェ・ギャルドゥ:《ラ・ボエーム》より「冷たい手を」
ギー・ショーヴェー:《トスカ》より「星は光りぬ」
グスターヴ・ボティオー:《アイーダ》より「清きアイーダ」

以前、拙共著『栄光のオペラ歌手を聴く!』でこのコンクールに触れた時は、ボティオーやギャルドゥに関して勉強不足で触れられなかったのだが、この機会に彼らも含めたレポートをまとめておこうと思う。
@ロジェ・ギャルドゥ(Roger Gardes 1922年3月4日パリ〜2004年9月30日パリ)
コンクールのファイナルで歌った「冷たい手を」が高い評価を受けた通り、ロドルフォ役でパリ・オペラ・コミック座にデビューし、ここを中心に活躍した。仏パテに56年に録音した『ラ・ボエーム』(仏語ヴァージョン)全曲盤が代表盤。これを聴くと伊語盤よりもボヘミアンの貧乏詩人の雰囲気が伝わってくるようだ。声の魅力で圧倒するのではなく、リリックな美声で丁寧に歌い上げていくタイプ。
Aギュスターヴ・ボティオー(1926年7月14日パリ〜 )
カンヌでのコンクールのあと、55年にブリュッセルのモネ劇場でピンカートンを歌ってデビュー。50年代から60年代にかけてパリ・オペラ座を中心に活躍した。リリコからリリコ・スピントの諸役を得意とし、カヴァラドッシ、ドン・ジョゼ、ラダメス、ロメオなどを得意とした。仏Orpheeレーベルにアリア集、Vegaにレイエールの《シギュール》全曲盤などがあり、これが代表盤。強めのリリコで輝かしさも力強さもあるが、やや一本調子。
Bギー・ショーヴェー(1933年10月2日仏中部のモンリュソン〜 )
ショーヴェーよりさらに重めのリリコ・スピント。カンヌ優勝後もトゥールーズなどのコンクールで優勝し、パリ・オペラには59年にデビュー。以後80年代まで活躍。サンソンやオテッロのようなドラマティックな役柄にも挑んだ。仏Vegaから出ている2種のアリア集、仏語版《カヴァレリア・ルスティカーナ》が代表盤で、Malibranレーベルから代表的テイクを集めたCDもリリースされている。
Cトニー・ポンセ(1918年12月23日スペイン・アルメリア近郊マリア〜1979年11月13日仏リブルヌ)
1947年に仏国籍を得る。パリ・コンセルヴァトワールで学び、53年にリヨンでデビュー。50年代から70年代にかけてのフランスを代表するリリコ・スピント・テノール。「ハイCの王者」として有名で、Philipsに録音した《ギョーム・テル》ハイライト盤が代\盤。繊細さはないが、豪快な高音が見事で、69年にはカーネギー・ホールで《ユグノー教徒》のラウールも歌っている。
Dアラン・ヴァンツォ(1928年4月2日モナコ〜2002年1月27日パリ)オペラ歌手になる前は、ミュージック・ホールの歌手もしていた。50年代から80年代にかけてフランスを代表するリリック・テノールとして最も人気が高かった。ファルセットを効果的に活用した独特の陶酔的歌唱に特徴があり、ナディール、ファウスト、デ・グリュー、ウェルテルなどを得意とした。59年に仏Le Chant du Mondeに残した《真珠採り》が代表盤。あとVegaに残したアリア集も素晴らしい。


 追悼 フランコ・コレッリ

1.生年のミステリー

2003年10月29日、20世紀で最も偉大なテノールの一人、フランコ・コレッリがミラノで亡くなった。
彼の生年については、諸説あり、公式には1921年4月8日というのが定説になっているが、筆者がアンコーナで取材したところによれば、1923年8月23日が本当の誕生日だそうである。生前、自分の誕生日について明言しなかったコレッリだが、彼に師事した弟子の一人によれば、1921年4月8日は、コレッリの兄の誕生日だそうである。いずれにせよコレッリ本人は、対外的に1921年生年説を通したし、スカラ座も彼の80歳の誕生記念イヴェントを1921年生年説に則り2001年に開催している。

2.輝かしい経歴

コレッリはスポレートのオペラ実験工房出身で、この卒業記念オペラ『カルメン』でオペラ・デビューしたのが1951年だった。1954年には、早くもスカラ座のオープニング公演にカラスの相手役としてヴィスコンティ演出スポンティーニの『ラ・ヴェスターレ』でデビューしている。スカラ座には1965年まで出演を続けたが、特筆すべきは、14年間のシーズンで通算6回もシーズン・オープニングの主役を演じていることである。
特に1960年からは『ポリウート』『レニャーノの戦い』『イル・トロヴァトーレ』『カヴァレリア・ルスティカーナ』『トゥーランドット』と5年連続でオープニングの主役を務めるという記録を打ち立てた。
スカラ座では、1958年のベッリーニ『イル・ピラータ』や1962年のマイヤベーア『ユグノー教徒』といった復活公演の主役も演じ、上演史に重要な足跡を残している。
1961年1月27日ヴェルディの没後60周年記念の日にニューヨークのメトロポリタン歌劇場へ『イル・トロヴァトーレ』のマンリーコを歌ってデビュー、以後この歌劇場には1975年まで368回の出演を重ね、彼のキャリアの後半において最も重要な歌劇場であった。
1962年のシーズンは、『アンドレア・シェニエ』でシーズン・オープニングを飾り、同一シーズン、スカラとメトのオープニング公演に主役を務めるという快挙を成し遂げている。メトでは、従来のレパートリーに加えて、『ロメオとジュリエット』『ウェルテル』といったフランス・オペラの役柄も取り上げて話題となった。
このほかコヴェントガーデン歌劇場には1957年『トスカ』で、ウィーン国立歌劇場には1960年『アンドレア・シェニエ』でそれぞれデビューを飾っている。

コレッリのキャリアで特筆すべきことは、彼がポリオーネやラダメスといったスピントの重い役柄からスタートして、後年になって逆にリリカルな『ラ・ボエーム』のロドルフォや『ロメオとジュリエット』のロメオなどの役柄をレパートリーとしたことである。
短期間のペーザロ音楽院での音楽教育、メロッキら声楽教師への師事したのほかは、ほとんど独学で学んだコレッリの経歴初期の歌唱は、ヴィブラート過多の傾向とレガート歌唱の不完全性が欠点とされていた。コレッリは1960年繽遠ェジャコモ・ラウリ・ヴォルピに私淑し、そのアドヴァイスに基づいて、自らの歌唱法を再構築することに成功した。その結果ヴィブラートの揺れは抑制され、レガート歌唱の洗練度は増し、ブレスコントロール、ディミニュエンドの技術の熟練が顕著となっている。これら歌唱スタイルの完成は1966,7年頃と思われる。

3.引き際の美学

コレッリは、1976年トッレ・デル・ラーゴのプッチーニ・フェスティヴァルで『ラ・ボエーム』のロドルフォを歌い、オペラの舞台を引退している。その後ファンの要望に応えて、1980年、81年に数回リサイタルを開催しただけで、きっぱり表舞台から身を引いてしまった。コレッリが完璧主義であることは有名で、自らの歌唱に対して最も厳しい批評家であり続けたことが、彼の神経をすり減らし、キャリアを短いものにした要因の一つであることは確かだ。90年代に入ってからのインタヴューで、彼は以前よりも自分の声が美しく響かなくなったことも引退の理由の一つとしてあげているが、そうはいっても、まだまだ現役で十分通用する声を保っている時期の引退は、ファンを残念がらせた。
しかし、この引き際の美学が、ボロボロになっても必死に舞台にしがみつく歌手が殆どののなかで、コレッリの存在を逆に際立たせていることも確かである。

4.演じなかった役柄及び残されなかった録音

コレッリが欲しながら遂に舞台で演じなかった役柄といえばオテッロ、『マノン・レスコー』のデ・グリュー、
『グリエルモ・テル』のアルノルド、『清教徒』のアルトゥーロなどがある。この中で特にオテッロに関しては、1960年代後期から70年代にかけてカラヤンがザルツブルグ音楽祭で取り上げる時に、コレッリの起用を最も望んでいたと伝えられているし、70年代初頭、メトでは支配人のビングが彼のオテッロを計画していたことも事実である。録音でも1966年、EMIがバルビローリの指揮で『オテッロ』を録音した時、コレッリにオッファーがあったが、彼はオテッロを歌うのには時期尚早であるとして断った。やはり後年インタヴューで、彼はもっと早く舞台で歌うべきだったと認めている。コレッリは先輩テノールのマリオ・デル・モナコを尊敬しており、彼が遺したオテッロのキャリアを考えて、それに匹敵しうるものでなければだめだと考えていたのだと思う。そのコレッリの完璧主義が、ファンにとっては残念な結果を生んでしまったと言えるだろう。
オテッロのほかにも録音の計画があったのに流れてしまったものは『清教徒』と『運命の力』がある。
デッカが1963年に『清教徒』をボニングの指揮で録音した時、最初専属契約の枠を超えて、コレッリにアルトゥーロの役を歌わせようという考えもあった。結局これは実現せず、ピエール・デュヴァルがアルトゥーロを歌ったのである。また『運命の力』についてはコレッリのドン・アルヴァーロで1969年に録音が決定していたが、直前になって親族の健康問題で時間が割けなくなり、コレッリはベルゴンツィを代わりに推薦したと言われている。ベルゴンツィは素晴らしいヴェルディ歌唱を記録に残したが、コレッリのドン・アルヴァーロが正規のスタジオ録音に全曲残されなかったのは真に残念な事である。

5.ベスト録音

コレッリの最良の姿を伝えている録音は、下記のものである。

(1)スタジオ録音
@1961年収録フランコ・フェラリス指揮による「オペラ・アリア集」
A『アンドレア・シェニエ』全曲(サンティーニ指揮。1963年録音)
B『イル・トロヴァトーレ』全曲(シッパーズ指揮。1964年録音)
C『アイーダ』全曲(メータ指揮1966年録音)
D『カルメン』全曲(カラヤン指揮。1963年録音)
E『トゥーランドット』(モリナーリ=プラデッリ指揮1965年録音)

(2)ライヴ録音
@『トスカ』全曲(モレッリ指揮。1967年パルマ)
A『道化師』全曲(サンティ指揮。1964年メト)
B『トゥーランドット』(メータ指揮1966年メト)
C『エルナーニ』(シッパーズ指揮1965年メト)
D『ロメオとジュリエット』(モリナーリ=プラデッリ指揮。1967年メト)
E『アドリアーナ・ルクヴルール』(ロッシ指揮。1959年ナポリ)
F『ポリウート』(ヴォットー指揮。1960年スカラ)
G『ユグノー教徒』(ガヴァッツェーニ指揮。1962年スカラ)
H『運命の力』(サンティ指揮。1965年メト)
I『イル・トロヴァトーレ』(デ・ファブリティース指揮。1961年ベルリン)


 新世代3テナーズ〜ローランド・ヴィラゾン&アキレス・マッチャード&中島康晴(2003年8月)

テノールの世界にも世代交代が進んでいて、昨今は、アラーニャ、クーラ、アルヴァレス、リチートラ、ヴァルガスらの1960年代生まれの世代が第一線で活躍中だが、既にその次の世代も台頭目覚しいものがある。1970年代生まれのフレッシュな実力派も揃って来たようだ。テノールの中でも、フアン・ディエゴ・フローレスやアントニーノ・シラグーザのようなリリコ・レッジェーロの軽い声質のテノールや、現在払底中のスピント・テノールはまず横に置いておいて、主流のリリコで目覚しい活躍をしている人を世界の舞台で探すとなると、先ずはメキシコ・シティー出身のローランド・ヴィラゾンに注目だ。1972年生まれのヴィラゾンは、メキシコで基礎を学んだ後に、サンフランシスコとピッツバーグの歌劇場の若手養成研修プログラムでオペラのスタイルを固めた。サンフランシスコでは往年の名ソプラノであるジョーン・サザランドのマスタークラスで研鑽を磨いている。彼がブレイクしたのは99年のドミンゴ・オペラリア国際声楽コンコルソで聴衆賞とサルスエラ賞を受賞したのが契機だった。この後は快進撃で、『ラ・ボエーム』『マノン』『愛の妙薬』『ルチア』『ファウスト』『ロメオとジュリエット』『ラ・トラヴィアータ』といったオペラで欧米の歌劇場に進出し、絶賛されている。
やや癖のあるヴィブラートながら、歌唱スタイルがしっかりとしていて歌い崩しがなく、高音はどこまでも伸びやかである。顔が英国のコメディアンであるロワン・アトキンソン(ミスター・ビーン)に似たゲジゲジ眉毛で愛嬌があるのだが、演技も自然でバランスが良く、2002年オヴィエドでの『ロメオとジュリエット』は、理想的ロメオを言われた。
そのオヴィエドの『ロメオとジュリエット』のライヴ全曲盤がスペインのRTVEからリリースされた(65159 3CD)。先ずはアラーニャと並ぶ現代最高のロメオといってよい、素晴らしい歌唱である。先般NHKでも放映されたブレゲンツでの『ラ・ボエーム』も見事な歌唱だったが、現在のヴィラゾンの最良の面が発揮されるのが、ロメオでありロドルフォなのであろう。彼は今年の10月にはメトにアルフレードでデビューするし、来年は4月にコヴェントガーデンでの『ホフマン物語』、6月はシャイーの指揮でアムステルダムでの『ドン・カルロ』にも挑む。
ヴィラゾンよりも少し先に桧舞台へ登場したのがヴェネズエラ出身のアキレス・マッチャードだ。彼はカーディフの声楽コンクールで入賞して注目を集め、ヴェルディの『レクイエム』、プッチーニの『レ・ヴィッリ』などの録音に加え、2001年ヴェローナアレーナで歌った『リゴレット』のDVDもリリースされている。マッチャードは、ヴィラゾンよりも明るい声質で、『ラ・ボエーム』『リゴレット』『ルチア』などで人気を得ている。特に先述のヴェローナでの『リゴレット』での颯爽とした歌唱は、「新しいパヴァロッティ」と呼ばれるのがよくわかる、会心の出来だ。ふくよかな容姿でユーモラスなところもパヴァロッティに通じるものがある。歌いすぎを気をつければ21世紀初頭をリードするリリコになるだろう。
さて、本音を語らしてもらえば、ヴィラゾンとマッチャードも素晴らしいが、本当のイタリア声のリリコの響きを聴きたければ、ミラノへ飛んで、当地で大活躍中の中島康晴を聴かねばならない。昨年来、『オベルト』、『ばらの騎士』『ラ・ボエーム』『二人のフォスカリ』でスカラ座に連続出場を果たし、特にムーティと初共演となった『二人のフォスカリ』は、イタリアを初め外国のメディアで絶賛の嵐だった。スカラ座研修所の優等生として脚光を浴びていたと思ったら、今や実績NO.1のリリコになってしまった。今年も10月にベルガモ、スカラ座で「パリの伯爵、ウーゴ」の復活上演で主役を歌うし、来年は2月、3月にトリエステでオーレンと『セヴィリアの理髪師』、4月にはヴェネツィアのフェニーチェ座のプロダクションで、マリブラン座の『真珠採り』のナディールを歌うという快進撃が続く。中島もヴィラゾン同様、イタリア物だけでなく、フランス物もセンスがあるから、このナディールは今から大いに期待してよいだろう。
さて運と才能に恵まれた彼らが今後精進を重ねて、どんな素晴らしい贈り物を我々に与えてくれるのか。彼らと同時代に生きている慶びを実感するのに、それほど時間を要することはないだろう。

2004年2月追加書き込み
ジョセフ・カジェハ(カレハJoseph Calleja)も素晴らしい!!!

1970年代生まれの恐るべき才能を持ったテノールの新星がまた一人リサイタル盤をリリースした。
ソプラノのミリアム・ガウチと同じく、マルタ島の出身のジョセフ・カジェハは、1997年、19歳の時にデビューしたというから、逆算すると1978年頃の生まれとなる。ユニヴァーサルからリリースされた初アリア集は、シャイー指揮ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ管弦楽団の好サポートを受けて、快調な内容だ。
声の質で言うと、シラグーザと中島の中間くらいの重さのリリコ・レッジェーロで、フローレスに最も近いタイプ。いままでライヴァルの少なかったフローレスに強力なライヴァルが出現したと言えるだろう。しかもフローレスより6歳くらい若いのだ!
調べてみると、既にウィーンでは「夢遊病の女」のエルヴィーノを歌っており、2004年2月にはやはりウィーンでグルベローヴァと「清教徒」で共演する。
アリア集にも「ラ・トラヴィアータ」のハイC、「リゴレット」のハイDが収録されているが、見事な物である。しかし、彼は単に高音域が安定しているだけではなく、フローレスよりも優れているのではないかと思えるのは、歌の表情、表現力が心憎いほど上手い事だ。逆に未知数なのは、フローレスがロッシーニ歌唱で完璧にこなしてみせるアジリタ装飾歌唱の面だ。これは、この初アリア集では判別することは出来ない。
いずれにしろ、恐るべき才能の出現と言える事は確実であり、21世紀の担う若手テノールのトップに躍り出たと言っても過言ではないだろう。
このアリア集の「フェデリコの嘆き」なぞ、同時期にリリースされたヴィラゾン(ヴィヤソン)のテイクと聴き比べていると、その違いが楽しめてワクワクしてくる。
21世紀初頭は、「テノール黄金時代到来」となるかもしれない。
ヴィラゾン(ヴィヤソン)も素晴らしいアリア集をリリースした。個性的な響きの強めのリリコで、ロドルフォ、エドガルドが素晴らしいが、『アルバ公爵』の「清らかで美しき天使」など聴くと、この歌手の非凡さがよくわかる。フランス物のリリースも、最近『ホフマン物語』をコヴェントガーデンで歌って大成功させているので、期待出来るだろう。今は、ファウストやロメオを歌っているが、近い将来、彼の歌う『ウェルテル』『マノン』『ユグノー教徒』『ヴェンヴェヌート・チェッリーニ』などに聴衆が熱狂する日も近いと思う。

さて、残すところはスピント系の新しいスターの登場だ。リリコのマルセロ・アルヴァレスがパルマで遂にマンリーコを歌うが、アラーニャよりも成功を収めるのではないだろうか?リチートラやアラーニャよりもアルヴァレスの方が声の輝きやノビが優れているので、年齢的にも42歳を迎える2004年はアルヴァレスにとって新しい段階へのステップアップの年になるかもしれない。しかし、そうはいっても、彼はスピントではないから、マルティヌッチやジャコミーニ或いはバルトリーニを継ぐ若手スピント・ドランマーティコの出現(ああ!クーラの方向転換と思い違いが誠に残念だ!)が待たれる。あと何年待てば、真のマンリーコやカラフそして何よりもシェニエの歌唱と出会う、慶びの瞬間が訪れるのだろうか。


 リンク集

 刑事コロンボ読本
ピーター・フォーク主演「刑事コロンボ」シリーズ研究の第一人者、町田暁雄さん渾身の考察読本のご紹介。
◎2004年2月別冊宝島より「刑事コロンボ完全事件ファイル」絶賛発売中!!税価格1500円。これも面白い!!
 なつのイタリア文化周遊
イタリアを愛する畏友なつさんのページ。
「夜更日記」は多くの示唆を与えてくれます。
 Welcome to Teatro Tenors!
テノールの高音にこだわる聖像さんのページ。
テノール・フェチ道におけるフランコの大先輩です。
 イタオペは永久に不滅です
歌う蔵元さんのNHKイタオペを中心とするこだわりのページ。
日本音楽コンクールの記録なども貴重!
 どくたーTの音文協奏曲
オペラとミステリーを愛し、データ書誌学の分野でも屈指の徹底度を誇る千葉さんのこだわりのページ。
 Viva! Napoli!
ナポレターナの心を伝える歌姫、松本淳子さんのサイト。是非ライヴに触れて頂きたい!ライヴにいけない方はCD「あなたに」(Straordinaria Tu キング・レコードSeven Seas KICP-745)、「夜は二人のために」(Notte Per Due 篠竹INC. NMF-3006)で歌声を聴こう!
 フランコ酒井のボンジョルノ!
当ページの姉妹ページ!どのように使い分けていくかは、これから整理していきます。当面はイヴェント紹介中心の宣伝・広告ページとして活用しようと思っています。こちらもどうぞよろしく!
 MIXIのページ
友達の輪が広まるMIXIのページです。将来はこちらが本拠地になるかも?!
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オペラ・アリア、オペラのリブレット、ナポリ民謡(カンツォーネ)の読み方と発音のためのサイト。


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