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16世紀頃 |
現在の様な煎った豆を挽き、お湯で抽出するという
コーヒーの原型ができたと思われる |
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| 1536年 |
オスマン・トルコ帝国がイエメンを占領。この頃から、トルコにとってコーヒー豆は重要な輸出品となる他国で栽培されないように湯に浸したり、軽く煎るなどしてから輸出されていた。その中で7粒の種子持ち出され、インド南部のマイソール山地で栽培に成功。 |
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| 1616年 |
オランダ人によって、1本のコーヒーの木がオランダへ持ち込まれた。 |
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| 1650年代 |
17世紀前半、コーヒーは上流階級で高価な薬として用いられていたが、イタリアでアクア・セドラ・タージョというレモネード売りによって、チョコレートや酒類と共に、コーヒーが売られていた。 |
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| 1658年
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セイロンで1616年、オランダへ持ちこまれた木の孫にあたる木が栽培されていた。 |
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| 1670年代 |
ドイツにコーヒーが普及。ここでもコーヒーを飲む習慣は上流階級に限られた。
§コーヒーの魅力にとりつかれたベートーベンは、1杯のコーヒーにきっちり60粒のコーヒー豆を挽いたそう。
★試してみましたが数えてみると8㌘…かなりあっさりでした★
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| 1683年 |
トルコ軍がヨーロッパを攻撃するも撤退。その時トルコ軍の置いて行った物の中に、見慣れない豆の布袋が500個あり、当然何の豆か分からないウィーン市民は焼却し始めてしまう…。アラブ世界で暮らした事のあるフランツ・ゲオルグ・コルシツキーが匂いをかぎつけ、焼却を止めた。その後コルシツキーはウィーンで最初のカフェ「ブルー・ボルドー」を開いた。
ベネチアにヨーロッパで最初のコーヒーハウスができた。コーヒーは薬としてだけでなく、憩いの飲み物として広がって行ったが、フランスの医師達はコーヒーの薬効を恐れ、よくない副作用があると主張した。(根拠は全く無い) |
| 1689年 |
パリ国立劇場の前にフランソワ・プロコプ(イタリアからの移住者)により、カフェ・プロコプがオープン。
§この頃、コーヒー占いが登場した。 |
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| 1696年 |
オランダのジャワ総督が、インドから苗木を取り寄せ、バタビア(現在のジャカルタ)で栽培を試みるが失敗。
その3年後、再度取り寄せ栽培に成功。これがジャワコーヒーの原木となった。 |
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| 1710年 |
フランス人によって、今までのトルコ式(煮出し)ではなく、挽いた豆を布袋に入れ湯を注ぐ方法があみ出された。 |
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| 1714年 |
オランダからフランス政府に1本のコーヒーの木が贈られた。9年後、フランスの海軍士のガブリエル・マチュー・ド・クリューによってフランスの植民地マルティニク島でコーヒーの栽培が始まった。
§コーヒーの木の先祖をさかのぼると、世界中のコーヒーの大部分がマルティニク島のこの1本へ辿りつく。 |
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| 1727年 |
コーヒーが南へ普及するきっかけは、ポルトガル領ブラジルの官史フランシシュコ・デ・メリョ・パリェタが、コーヒーの実をこっそり持ち帰った事で、ブラジル北部に普及していった。 |
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| 1777年 |
ドイツのフリードリヒ大王は「我が国民は、ビールを飲むべきである」とコメント。その4年後、国営工場以外でのコーヒーの焙煎を禁止するなどしてコーヒーを根絶させようとしたが、その努力もむなしくドイツ国内で普及し続けた。 |