この頃の出来事から


34 尺取虫「しゃくちゃん」のこと

私の住んでるマンションのベランダはひどく狭いものだ。そこにかろうじてプランターを置いて、植物を育てている。
夏に義母からもらったふうせんかずらの種をまいたところ、これがまあ、すくすくと成長し、ちょっとした棒では足りなくなり、上の方までテープを張ってあげた。
2つくらいのふうせんかずらの実も結んだ。からからの茶色になったら、そっと開けてみようと思っている。
ふうせんかずらの種を見たことがあるだろうか?
真っ黒な体に可愛い白いハートマークがついてるのだ。あまりのかわいらしさに感動した。 こんど種をとったら見せてあげたい。

そのふうせんかずらに、またなんと、ある日尺取虫がいるのに気が付いた。 彼?は4cmくらいで、つるにつかまっていた。
その日から、朝と晩に私のしゃくちゃんの観察がはじまった。
外があんまり寒いので、心配である。 朝は時間がなくて、けっこう移動するしゃくちゃんを見つけられない日も多い。 夜は暗くて、またわすれたりする。 でもしゃくちゃんはゆうゆうと葉っぱを食べ、そこいらに黒いうんちをしている。

娘が図鑑をみせてくれた。
「これじゃない?」と指差す先にあったのは、「しゃく蛾」という名前の蛾だった。 どうやら尺取虫というのは、しゃく蛾の幼虫らしい。(私にとって目からうろこの事実だった。(^^;)

しゃくちゃんはいつか蛾になって、飛び立つのだろうか?
でも彼がここにいるのは、お母さんの蛾がしゃくちゃんを産み付けたからだということで、筋がとおる。
しゃくちゃんはさなぎになるのだろうか?
無事、大人になることができるのだろうか?

右の写真がふうせんかずらの実です。しゃくちゃんは虫の嫌いな方にはぞくっとするかもしれないので、みても平気な方だけ、写真か ふうせんかずらここクリックすると大きく見えます。(256*256)

1999.12.29
PS:しゃくちゃんの近況はときどきティールームに書くのでそうかそうか、と見てください。


33 かるたを作ろ♪に参加してくださる皆様へ

かるたを作ろ♪に書き込みにきてくださってありがとうございます。
毎日増えていくのを見るのがとっても楽しみです。

登録は、あいうえお順にお願いしたいと思ってます。
「あ」の次は「い」、「う」、「え」、というように
ばらばらになってしまうと、どこかの文字が抜け落ちちゃったり、二重登録になったり わかりにくくなってしまうのでは、という懸念からです。
そのたびまめにソートすればいいのですが、ときおりサボるわたくしの日常を考えますと、 サボった日にトラブルがあっては申し訳ないのです。
ちょっとわがままなお願いですがよろしくお願い致します。

でももちろん投稿してくださった分については、わたしの方でなるべく編集したいと思ってます。すっと浮かんだのを書きたいものね。
51音分ひとそろいそろった暁には、「冬のかるた」としてまとめたいと思います。
(今は表示すると逆順だけど、そのときは昇順にします!)

また、私がログを編集中にたまたま書き込んでくれて、あれ消えてる?ってことがもし万が一あったらすぐ掲示板かメールでご連絡くださいね。 できるだけ早く対応します。
51音全部そろう日が楽しみです♪

一そろいできあがったらもっと自由なつぶやきかるたとして続けようかなって気持ちがすでにふくらんでいます。
そんな気持ちになれたのも、参加してくださる方がいてくれたから。
ありがとう。
素直な気持ちを書いてくれるあなたへ。

「かるたを作ろ♪」管理人 しづく


1999.12.29
BBSに掲示したものを再録しています。


32 細胞が目覚めるとき


今日はひさびさに水泳、水中ウォーキング、アクアビクスの3本立てをした。
この頃プールへいくと、泳がずに歩いてる人が多くなっている。歩く人はなんとなく同じコースで歩き、泳ぎたい組みとは自然に分かれている。
たまに横目で見ると、モモ上げしてみたり、大またで歩いたりとけっこうバリエーションが豊富なのだ。たまたまウォーキングのレッスンが始まってたのでいきおいで参加した。

水の抵抗の中、思うような速さでは歩けないことがわかった。慌てるとプールの底で足が滑る。
私は初めてだったので、一番列の最後でゆっくり歩いた。横歩き、片足とび、後ろ歩き、モモ上げなど、いろんな歩き方を教わった。けっこう穏やかな運動で、体の負担が少なく運動できるような気がした。

アクアビクスは、二度目の参加。アクアビクスの動きは、キックやパンチなどもあってけこうおもしろい。水の抵抗を利用して筋力をつける。参加者が多いので、ちょっと狭いのが難点である。

水中ウォーキングの前と、アクアビクスの後軽く泳いだ。やはり全身を水に預ける水泳が一番好きだ。泳ぎ終わると体中がすごく暖まって活性化してるのがわかる。
細胞のひとつひとつが起きあがってくるような感覚がある。普段つかってない全身の細胞が一気に目覚めるような感じがする。体は動きだすと、不思議なことにもっともっと動かしたくなる。動かさないでいるときは、ちっとも気にとめないくせに。

人もやっぱり動物で、体の正常な機能のバランスを保つためにも運動は必要だな〜としみじみ思った。もう今夜から体のあちこちで始まっている筋肉痛を感じながら、また泳ぎにいこう、と誓う。

1999.12.19


31 愛を乞うひと(原作編)


下田治美さんの原作、「愛を乞うひと」を読んだ。
いくつかの設定が映画と異なるものの、重要なエピソードはほぼ原作どおり
だったことがわかった。
それにしても、映画の完成度の高さには改めて敬服。
そして私は、疑問の一つの解を見つけることができた。

それは、「なぜそんなに我が子を虐待するのか?」という問いだった。

「暴力と恐怖でわたしを支配し、虐待した人間の心情など、理解しなくてよいのだと、
やっと気がついたのです。わかってやらなくてよいのです。」

虐待された被害者の苦しみぬいたこの答え。
人間じゃない鬼畜の仕業は、血の通う人間が理解できなくてあたりまえだったのだ。


1999.11.20


30 愛を乞うひと(映画編)


先日2日間に分けてビデオに撮っておいた映画「愛を乞う人」を見た。
この作品は日本アカデミー賞で数々の賞を総なめした作品という評判だった。
原作は角川文庫にある同名の小説で下田治美さんが書いている。原作の本は私はまだ読んでいない。

この作品について、いろいろ感じたこと、考えたことを書きたいと思ってからずいぶんたった。私が書いたことを読んだ人で、不愉快になる人が必ずいるだろうと思うからだ。 人にはいろんな立場の人がいる。
自分の小さな日常では出会わない人、想像もつかない人。
その人たちを苦しめるような文章は書きたくない。
その葛藤の中で、今の自分の中で考えたことを書いてみたい。それは間違ってるかもしれない。これから変わるかもしれない。私は愚かなのかもしれない。


WebSiteでこの作品についての感想をいくつか検索してみた。
感動したという人、あくまで愚作という人、いろいろだった。
この映画にはみどころがいくつかあって、例えば原田美枝子の2役大変身ぶりとか、 虐待シーンのリアルさとか。
それはともかく、なんとなくわかるような気がするが本当のところよくわからない点もいくつかある。

なぜ彼女は自分の子どもを孤児院から引き取ったのか?
(フツウハセイカツガタイヘンニナルノニ。
サイアイノオットノコダッタカラカ?)

なぜあれほどまでに虐待するのか?
(ジブンヲステタオットヘノフクシュウノタメ?)
(ジブンジシンガキライダカラ?)
(ジブンノストレスカイショウノタメ?)

なぜ彼女は自分の子どもを捨てなかったのか?
(コジインヘアズケトケバヨカッタノニ。
オトコヲドンナニカエテモ、コドモハツレテイッタノハナゼ?
カネヅルダッタカラ? カジヲサセルタメ?)
(ギャクタイスルタイショウトシテ、ノコシテオキタカッタ?)

虐待された子どもはなぜ、そんな親を愛するのか?
(アイサレタイカラ?)
(コジインカラダシテクレタカラ?)
(ホントウハワタシヲアイシテクレテルトオモウコトガ
ココロノササエダカラ?)
(スベテノコドモハ、アイヲコウヒトダカラ)
(オヤニアイサレナイトイウコトハ、カナシイコトダ。
ソレヲミトメタクナイ。ドンナヒドイオヤデモシンジタイ。
ホントウハワタシノコトヲ、スキナンダトシンジルカライキテイケル。
ニゲダシタイ、デモニゲラレナイ。
アイガホシイ。)

原作本を読むとより疑問がとけるのだろうか。
だから読んでみなくてはと思う。

子どもは母親と目があうと微笑みを返す。
母親がそこにいてくれるだけで
その存在そのものがうれしい。
母親の愛をいつもたくさん感じていたい。

虐待されて子どもが殺される事件がこのところ続いていた。
世の中には子どもを愛せない親もいる。
こどもは親を選べない。
こどもは親に依存しているから、その親から離れられない。
誰かが救わなくてはいけない。
虐待する親以外の大人が...

「愛を乞う人」で私が涙をながしたシーンがある。
それは、給料を横取りしようとした母親に生まれて初めて刃向かって、
「もう、おかあさんなんていらない。」と娘が逃げるシーン。
捕まりそうになるのを、弟が止めてくれて、
「ねえちゃん、逃げろ!」って。

私は一緒に「逃げるのよ!」と叫んでいた。
彼女は母親を捨てたのだ。
やっと自由になれるのだ。

どんな人も自由で、安全な暮らしをする権利がある。
それを脅かすものとは、戦わなければならない。
だから、もっと、もっと強くなりたい。
自分の大切なものを守るためには
どんなに強くなっても足りはしない。


1999.11.14


29 三浦綾子さん逝く


三浦綾子さんが亡くなった。長い闘病生活を送りながら生涯現役を貫いた。
私が最初に三浦さんの小説を読んだのはデビュー作「氷点」だった。
その後「続 氷点」「塩狩峠」と彼女の描き出す人間に息を呑むほど惹きつけられた。
 ”三浦文学の魅力、それは何よりもどの作品・言説でも、愚直に真正面から「人はいかに生きるべきか」を問いかけている点にある。”1999/10/13 朝日新聞 黒古 一夫氏

 黒古氏の書いた追悼の辞は私の気持ちの中の思いそのものだった。
 この難問の答えを見つけるために果敢に挑戦しつづけることが、三浦綾子さんの生き方=文学だった。
 この問いを見つめる目を忘れてはならない。
 そして次の世代へも繋いでいくバトンにしたい。

「人はいかに生きるべきか」

1999.10.13


28 またもや一つの家庭が...


昨日新聞を見ていたら、NHKのアナウンサーの黒田あゆみさんが離婚したという週刊誌の見出しが目に入った。
思わずああっとつぶやいてしまうできごとだった。
彼女は東大卒の才色兼備で、物静かな声がとても好きだった。 たしか小学生の女の子がいて、育児関係の雑誌でエッセイを書いたり本も出している。

MVNのたけながさんも離婚したと聞いて、かなりショックだった。
原因はいろいろあるのだろうけど、彼女達が仕事を一生懸命やっていたことと無縁ではないような気がして、私はそれが悲しい。
家庭と仕事の両立、家族と仕事との板挟み、お互いの人間性を問われる夫婦の葛藤。他人事じゃないから胸が痛んで仕方がない。
私自身、「ああこのままじゃ、離縁されても不思議じゃないなあ」と思ったことも何度かある。危機が目の前に迫っていて、事実爆発していた。

そんなことを繰り返しながら、限界に到達して初めて限界がわかる。

両手に抱えるにはあまりに大きな、家族と仕事と自分のやりたい事。まるでお手玉のように今手の中にあるものをしっかり握って、その他は放り上げる、その繰り返しのようにバランスがとれたらいいのに、とは虫が良すぎるだろうか。

1999.09.22


27 新企画「クローバーの咲くはらっぱ」について


昨日バナーで予告しました、お友達との共同企画「クローバーの咲くはらっぱ」をスタートします。一つのテーマを決めてそれぞれが詩やエッセイや小説などで創作活動をしてみるという試みです。

私は今まで自分の好きなペースで、思い付くテーマでいろいろ書き綴ってきましたので、与えられた課題で、ある程度の締め切り期間内に作る、という初めての経験をしました。
パンドラも雅世さんもネットで知り合ってまだ1年にもならないのに、こんな企画を始める仲間になれて私は幸せだなって思います。三人ともとってもわくわくしながらメールでやり取りして準備してきたんです。それがとっても楽しくって♪ 学園祭でみんなで出し物をやるような、そんなノリで。

今回の私の作品はそれほど自信作ってわけでもないんです。(ごめんね、パンドラ)いろいろ迷った挙げ句、今までWebSiteではあまり出していなかった一面と、一番書きたいテーマを選びました。
まだまだ小さいはらっぱですが、これからきっとだんだん広がっていく予感がします。そんな夢が私の気持ちをとても暖めてくれています。ありがとう、パンドラ、雅世さん。

1999.09.10


26 シュノーケルツアー


くまのみ 海でシュノーケルをするというのは、私の旅行の楽しみの一つである。
今まで海外で3回、国内では式根島、八丈島2回、いずれも島でのシュノーケルをしている。

そして今度も宮古島は「イムギャーマリンガーデン」にやってきた。
ここはかなり浅瀬から珊瑚礁が広がっていて、フィン(足ひれ)で蹴らないよう気をつけるほどである。
よろよろ歩きながら、静かにしゃがんでフィンをつける。
外は雨のせいか、水の透明度は今一つ。
水の流れが見えるところでは、急に体が冷たい流れに包まれる。
入り江からすこし入ったところでもう魚と出会う。
5cmくらいの小さなお魚がちょろちょろ泳いでいる。

スタッフに先導されてシュノーケルツアーのみんなが続いていく。
大きな珊瑚が見えてくると、珊瑚の隙間に住んでいる熱帯魚たちとのご対面。
真っ青で小さなるりすずめ。
3cmから5cmくらいの大きさで、群れている。
とにかく目が覚めるような濃紺で、熱帯魚を見た!という満足感をあたえてくれる魚である。

しだいに魚は種類と数を増し、光る水色のデバスズメ、大好きなクマノミ、ドゲチョウチョウウオ などを見る。
珊瑚の色はどちらかというと茶色っぽいものが多いが、ときどき青い珊瑚やむらさき色のものもある。
青ひとでが長い足をぐんにゃりと伸ばしている。
このひとでは触っても毒がないそうだ。裏返すと黄色い。

少し泳ぐのをやめて珊瑚や魚にみとれていると、目の前にこっちを見ている黒い魚がいた。
良く見ると、彼?は私のことをにらみつけているのだ。
「オマエハダレダ。ナニシニキタ。」とテレバシーを送ってくる。
私は驚いて彼が見つめているのは私なのかと疑ったが、こんなに目の前で目を寄せて、
睨んでいるのだ。
おかしくて、つい、「おまえはわたしをみてるのかい?」とごぼごぼと話かけた。
それでも怒ってるようなので、その場を泳ぎ去ることにした。
もしかしたら卵でもあったのかもしれない。

スタッフについてもっと沖へいくと水深も深くなってきて、まさに竜宮城の世界が現れる。
珊瑚と魚と海の生き物だけの世界。
ため息がでるほど美しいこの光景は何度見ても私を魅了する。
このままずっと潜り続けてここに住みたいとさえ思う。

餌付けされてる魚たちはソーセージをあげると奪い合う。
何故か熱帯魚のえさは万国共通でソーセージである。
小さな魚でも囲まれるとちょっと恐い。

また入り江に向かってゆっくりと泳ぎ始める。
気が付くと1時間以上泳いでいて急に疲れを感じた。
それでも入り江の魚を最後まで見つめずにはいられない。
晴れていたらもっときれいでもっと遠くまで海の中がみえたのかもしれない。

海という地球の宝がいつまでも守られますように。


1999.08.25


25 やしがに探検ツアー


私たち家族にとって沖縄ははじめてだった。
羽田から那覇にいき、宮古島いきへ飛行機を乗り継ぐ。
那覇までは2時間少々、さらに宮古へは1時間弱かかる。

一日目の夕方ビーチへでてびっくりしたのは砂の色だ。
三温糖のように柔らかい明るいミルクティーのような色なのだ。
そして海はうすい緑色。遠くなると鮮やかな水色から紺碧へと移っていく。
ホテルの前のビーチには生き物はいなかった。
きれいな砂がどこまでもずっと続いていて、海草が揺れていた。

やしがに 夜、やしがにツアーに参加。
橋を渡って来間島へ行く。
真っ暗な中、懐中電灯を持ってやしがにを探す。
やしがにはやどかりの殻がないやつで、ざりがににも似ているが
体がえびのように丸くなっている。
大きさは大人の握りこぶしくらいで、もっと大きくなると食用にもするらしい。
がけの穴に住んでるようで、夜動き出すそうだ。

バンから降りてすぐ見たのは、闇夜に光る小さな緑の光だった。
これってもしかして蛍??と驚いてる私たちに
蛍はいっぱいいますよ。真冬以外ほとんど一年中います、とのこと。
こんなにたくさんの蛍が瞬いてるのを見るのははじめてなのに、
やしがにのおまけで見られるなんて...びっくりと複雑な心境だった。

やしがには自分では見つけられずに、スタッフの人が捕まえたのを見せてもらった。
かなり大きくてはさみが危ない。
野生のこんな生き物を見られてすごいなーと思った。

あと面白かったのは、ジャングルのような森なのに、やどかりやかにもいっぱいいること。
スタッフの人によると海蛇も休みにあがってくるそうだ。

木にぐっすり眠っている小鳥のつがいを発見。
尾を互い違いにぴったりくっついてまるでボールのようになって寝ている。
とってもかわいい。

蝶も眠っている様子。

見晴らし台へのぼって、みんなのライトを消すと満天の星空が見えた。
天の川、さそり座、夏の大三角など、簡単に見つけられ、その間に無数の小さな星まで見える。
以前山のぼりしたときだって、これほどの星空はみたことがない。
思わず歓声とため息が出る。
感動の一首を作る。(→ Only 5Lines Poem _ Life 見てね)

なんだかやしがに以外のおまけがとってもよかった探検でした(^-^;
注)やしがにが悪かったわけではないです。

1999.08.15


24 ちょうちん


夜バスの中から、商店街のちょうちんの灯りが一斉に灯ってるのを見た。

夏はお盆さんの季節でもある。
小さい頃、入り盆の夜に素焼きのほうろくでお迎え火を炊いていた。
水に浸した裏白の葉を振って火を消したところを3回またぐ。
全員またぎ終わると、ちょうちんを持ってご先祖様のお迎えにゆく。
そこは神社でもなんでもなくて、川の側の石油缶みたいなところに火が燃えていて、ろうそくに火をつける。
持っていったちょうちんにご先祖様が乗り移ってやってくるのだった。

ちょうちんは仏壇の近くで、お盆の間灯かりをともす。
お盆さんが終わると、ちょうちんをそっと持っていき、
そのまま置いてくる。
ちょうちんは燃えて、跡形もなくなっていく。
ちょうちんがいくつもいくつも金網に揺れている。
その光が川面にゆらゆら映っている。

祭りもちょうちんをさげる。
私の生まれた下町は、どの家もおそろいのちょうちんを持っていて、
夜になると電気をつける。
暗い路地に点々とちょうちんの灯かりがつく様子はとても美しい。

夏の夜だけは、お祭りの宵宮や、草市(屋台の出店がいっぱいでる)など、
唯一子どもだけで外出が許される。
夜にちょうちんや裸電球のともる屋台に行くのは、心踊る楽しみだった。

今でも私は電球のともったちょうちんを見ると、胸の中に沸き立つものがある。
懐かしさなのか、そのときのうれしいようなどきどきするような思い出なのか
ちょうちんの灯りを見るとじっと魅入ってしまう。

こんなこと人にいったら笑われるかもしれないが、
私はちょうちんの灯りが大好きだ。

1999.08.05


23 隠しポケットの時間

土曜の朝、用事があって雨の中街へ出かけた。

用事がすんで、せっかく出てきたのだからとそこらの地図を見た。
能楽堂とやらを探そうかと歩き出したが、この辺は古くからの町並みでとても道が入り組んでいる。
いくつかの発見をしたが、あいかわらずの方向音痴のせいで道に迷う。
あっさりあきらめて駅の近くにもどり、ケンタッキーへ入った。

こうしてコーヒーを飲んで、チキンを食べていると
学生に戻った気分だ。
雨の日に歩いてる人は思ったよりみんな元気で忙しそうに見える。
そりゃそうだろう、用事があってこんな日に出かける人が多いのだろう。

私のようにひまとあまり縁がなさそうな人でさえ、
こんな隠しポケットのような時間を手に入れることがある。
時間とは、つくづく自分で創るもの、掴み取っていくものだと思う。

ふらふらと街を歩き
ふらふらとお店に入る
道ゆく人を眺め
頭をからっぽにして
心のセンサーだけをONにして

(あっ五行歌できた)

でも時計はすでに11:00を指している。
つかのまのシンデレラも帰る時間だ。

1999.07.03


22 教会で見つけたもの

昨日、教会へ行った。
こども会のイベントがあったのだ。

看板を見つけた。
質素な2階建てのスペースがあった。
1階の中央にお決まりの長椅子が何列も並べてあった。
事務室もある。
あとの部屋はお祭り用に変わっていてもともとどうなっていたのか 想像がつかない。
そこでは、手作りの射的ゲームや魚つり。ポップコーンやアイスクリームなど全部、
学校帰りに娘がもらったチケットで無償で参加できた。

私は小さいころ、教会のこども会に通っていた。
毎日いくとか、毎週いくとかではない。
気が向くと姉とまたは一人で、橋を渡ってかなり歩いて大きな教会まで通った。
そこで何をしてたのだろう。

いろんな本を読んだようだ。
秋の銀座の光のパレードのときに、募金箱を持って街頭にたったこともある。
イースターの変な卵を不信な目でみてたことも。
どうやら私はそこでいつもと違った気分の時間をすごしていたらしい。

私は小さなマリア様の肖像を持っていて、それは小さなもので、小さなピンクいろのビニールケースに入っていた。
姉はロザリオも持っていたと思う。
ひいおばあちゃんはクリスチャンで、たぶん姉はひいおばあちゃんからもらったのではなかったか?
しかし他の家族はクリスチャンではない。

でも私はお祈りのしかたを知っていたし、よく困ったとき、寝る前に神様にお願いをしたものだった。

2階の部屋はペンシル風船のコーナーであった。
狭い階段を上ってみると、突き当たりに聖書関係の本がぎっしりつまった本棚が 目に止まった。
入ってみてさらに驚いたのは、2間のたたみの部屋はあきらかに牧師さまの個人的な部屋だった。

押し入れにはふとんが入っている。(なぜ押し入れの戸があいてるのかは謎である)
額には教えがかかれている。
後は、服が2着かかっていて、クーラーが1台。
なんと簡素な部屋だろう!

私はそのことに呆然と静かに感動していた。

目の前でおおぜいの人がなんの疑問もなくこの部屋にはいり、長くふくらました風船をねじって犬を作っている。
スタッフの先生は大きな名札をつけて笑っている。
親切に犬の作り方をなんどもなんどもやってみせている。
この人もクリスチャンなのだろうか。

人間にとって必要なものって本当は少ないものなのかもしれない。
少なくとも心が豊かであれば、補えるものってたくさんあるのかもしれない。

私はその日最後まで牧師さまを見つけることができなかった。
でも牧師さまはその部屋を見せてくださることで、私にひとつの生きる姿勢を教えてくださった。

1999.06.21


21 信じるということ

=== トリイ・へイデン著「よその子 見放された子どもたちの物語」について ===

トリイ・へイデンは教育心理学者。
情緒障害児教室、精神病院、福祉施設で働いた体験をもとにしたノン・フィク
ションを多数著している。
処女作の「シーラという子」が世界中のベストセラーとなり、「よその子」は
同じシリーズの日本で翻訳された3作目にあたる。
それぞれ問題のある4人の子ども達を中心に、お互いを助け合うまでに成長し
ていく姿が描かれている。

======

以前別の本を手にとったときは、−ある虐待された子どもの話しだったが−
自分の中で拒絶反応がおきてしまい、直視することができなかった。
本を読むのがこれほど苦痛だったのは初めてだった。

だからこの本も図書館で借りて、だめだったら返そうと思っていた。
この本はあまり生々しい証言は少ない。
子ども達が変わっていく様にどんどん引き込まれた。
そして忍耐強く、愛情深く彼らに接しているトリイ。
そんなトリイに惹かれた。

どんなにとりつくしまのないような子供でも、救える方法があると、
じっくり向き合えばいいところを引き出せると。

努力してもむくわれないこともある。
だけど、努力をあきらめてはその先の夢にとどくことはない。
砂の山をつんでは壊れる繰り返しでも、
山になることもあるかもしれない。
希望と信じるということ。

彼女と正反対の人間が言う。
「この中にあなたが救える子は一人もいないわ。...こんなところで自分
を浪費してはいけないわ」
トリイは
「文明人らしい行動とはその人が何をやるかではなく、
何をがまんしてやらないでいるかではかられることの方が多い、
と私は思っているから」と心の中でつぶやく。

彼女の価値観を尊いと思う。
私の心にトリイという天使のランプが灯った。
これからも彼女が私の心の闇を照らしてくれることを願う。

わたしは情緒障害児ではない。
でも心に傷のない人なんてどれだけいるだろう。
知ることで、そういう人たちが何を経験し、感じ、どう傷ついているか、
ということを知ることで、何かできるのではないかと。
少なくともさらに傷つけることを避けることができるのではないだろうか。

私の父は16年前、脳血栓で倒れた。
その日から父は別人になった。
私が父にしてもらえることはない。
でも彼の中の何かをずっと信じている。

1999.05.29


20 静かな時間の中で

緑のカーテンが揺れる
木漏れ日が揺れる
山道は
ぽくぽくたどる、自分へ還る道


この雑木林は
晴れの日も雨の日も
こうして変わらずにいるんだろう。

私がバグ退治に悩んでる時間も
きっと虫たちは葉をむしゃむしゃ食べてるだろう。

私が雨傘を指してぎゅうぎゅうの街を歩いているときも
みんな静かに雨を浴びてたたずんでいるんだろう。

変わらないものへのあこがれ
目を閉じて、いつでも心の中の山道へ
バーチャルな散策に出かけるよ。

1999.05.08


19 「足」

家族で400mくらいの里山にハイキングへ行った。
娘はちょっと小さいので一生懸命登ってるとすれ違う人が
「がんばれ」と声をかけてくれる。

神社までの石段を何段も登る。
のぼりくだりを何回も繰り返す。
雑木林の中で枝を見つけて杖にする。

山道ではときどき人とすれ違う。
こんにちは、とあいさつする。
その目はみんなやさしくて、確かに人間の目をしている。
そして時には、後ろから追い越されたりもする。

ふと前を行く人を見て娘が言った。
「あの人片足なんだね。」
その人は松葉杖で片足がももから存在してなかった。
自分の荷物はちゃんとリュックをしょっていた。
かたわらにパートナーの女性が見守っていた。

「絶対そうだよ」
彼に聞こえるような声だった。
私は怒ったように「そんなことはどうでもいいんだよ」と言った。
これも聞こえたかもしれない。

その後、「一生懸命歩いてるんだから...」と小さな声で私は言った。

彼が見えなくなってから、歩きながらずっと考えた。
娘の言葉に私はなんと言えばよかったのだろう。
もっと違った表現があったはずなのに、
子供のあまりにストレートな表現になんだかあわててしまった。

木漏れ日の山道をぽくぽく歩きながらぐるぐる考えていた。

「この岩の登りもあの人は登ったんだろうか、
手の力がすごいんだね」と私が言った。
「そうだろう、何もかも腕が頼りなんだから」と夫が言った。
私たちは山頂まで彼らに追いつけなかった。

もしどこかであったら話し掛けてみたい気がした。
さっきの言葉の「どうでもいい」の真意を伝えることができたら...

今ようやくこれを書いてみてわかった。
私が娘に言いたかった言葉。
「人間で大事なのは形じゃなくて生きかたなんだよ」

ごめんなさいね。そしてがんばれ!。

1999.05.05


18 「Only 5 lines love Poem」 スタート

仁尾さんに教えてもらった「五行歌」の世界に私なりに挑戦してみた。

とてもむずかしくて満足な作品とは言えないけど
なんか楽しかった
また少しずつ作ってみたい。

仁尾さんに感謝。

1999.04.24


17 いつのまにやら1000回アクセス

私のWebSiteも1000回アクセスを達成することができました。

このWebSiteを持って、掲示板やメールを介して友人ができたこと、何よりの宝物です。
みんなとふれあえることが、忙しい中でもやってきて良かったと思います。

ありがとう。

1999.04.18


16 揺れる春

爆発的に被害のあったウィルス「メリッサ」の犯人がFBIに逮捕された。

NATOがユーゴの内務省を攻撃した。
なぜ地球から戦争をなくすことができないのだろう。

ウィルスを送り出す犯人の心理は?

東京は今週末が花見に絶好だ!

そんなニュースをアイスクリームを食べながら聞いている。

1999.04.03


15 掲示板考...そして技術の進む道

H11/1/17 に掲示板「しづくのティールーム」をオープンしてからアクセスカウンタ の回りが早くなった気がする。
書き込んでくれる人、読みに来てくれる人がいるお陰だと思う。

そこにいけばいつでも情報が手に入るWWWの世界は、私にとって仕事上欠かせないリアルタイム更新版百科事典だ。
役に立つ情報の提供とともにもう一つ人的ネットワークを広げる役割がプライベートではありがたく思うようになってきた。

WWWをめぐるさまざまな技術を私は少ししか知らないけれど、こういう技術が人と人とを繋げることができる、血の通ったシステムであることに強烈な魅力を感じる。

自分が一生のうちにできる仕事はとっても小さな事だけど、
その中でも誇りが持てる仕事がしたい。
形に残るもの、それを使ってくれる人がいるってこと。 そんな技術者としてのプライドを一生持ち続けることができたら。。。

毎日いろんな壁にぶつかってばかりだけどね。(ははは)。


1999.02.28


14 どじょうくんの死

今日みたら苦しんでいたどじょうが死んでいた。
もう一匹ひっくり返っているのもいる。
よく見ると彼はパクパク息をしている。
そっと小さな子どものバケツに移してやった。

どちらも大きいどじょうである。もう寿命なのかもしれない。
もう一年半くらい我が家のベランダの水槽に住んでいた。
どじょうすくいのイベントで娘がとってきていつのまにやら私が世話をするはめになった。

しょっちゅうえさを忘れるので、水草だけはふんぱつした(一束500円する)。
えさも入れても水を変えるときまで沈んでいたりする。
もっぱら水草とさざえの貝がらが食料だった。
さざえの貝殻は隠れ家になっていいと思っていれたのだが、
いつのまにか、殻が減ってきてどうやら食べているとわかった。
その後あさりはどうかなと思っていれたが、それは全く手を付けない。堅いし平たいからだろう。

今残っているのは3匹で、でもみんな小さい=若い?どじょうだけだ。
彼らは呼んでも来るわけでもなく、手にのるわけでもなく、
水を変えれば大慌てで暴れ回るだけなのだが...。

そんなどじょうでも生きていて、生きている以上ほっとけなくて、
また朝そっとのぞいてみたりする。

なんてことはないけど、ちょっと気になる存在も人には必要なのかもしれない。

1999.02.21


13 こだわりのコーク

先日美容院のマスターと話した。
普段はもくもくと仕事をする職人タイプなのだが、交通事故で数ヶ月休んだ後、
どこか親近感を抱かせる人に変わった。
私もこの店に通ってから3年くらいはたつし、休んだ後また通う常連である。
それはさておき、

彼は「僕はコーラが一番飲み物の中ではうまいと思う」と言い出した。
私はちょっと意外だった。
コーラと氷をたっぷり入れて、きんきんに冷えたやつをポテトチップでからからになったのどに流し込む。
この感動を語ってくれた。(あまり冬向けではないか?)

日頃の彼を見ていて、それはほんの一部かもしれないけど、
信念を感じさせるたたずまいに、きっとこだわりのある人だと思っていた。
私の予想が当たっていたなーとすごくうれしい気持ちになった。
そんなこだわりと喜びを感じられる、そんなものを持っているって素敵なことだよね。

1999.02.11


12 目を見て、にこっ!

昨日昼間、出先でとある中華料理屋へ入った。

「いらっしゃいませ」と言うお姉さんと目が合って、彼女はにこっと笑った。
私も思わずにこっと笑った。
その後、料理を持ってきてくれたときも彼女はにこっと笑った。
当然帰るときも。

彼女のにこっは夜道を帰る私の心に残った。

前に高級イタリアン・レストランを貸し切った結婚式に招待されたときのこと。
イタリア人?のウェイターと目が合って、にこっとされた。
私もにこっとすると、彼のにこっは大きくなった。
その後彼は皿をさげるとき、「おいしい?」と話しかけてきた。
赤ワインはこうやって揺すると良い、というように実演してくれた。
帰るときも、彼の笑顔での接待に、何か暖かい気持ちになった。
さすが、高級な店は違う、と感心したものだった。

中華料理屋の彼女も中国人だった。
手ごろな値段で定食を出す、ごくごく普通の店だった。
日本人の店員だと、店に入ってもほとんどこんな経験はない。
(それはたいした店に行ってないからだ、と言われそうだが。)

フランス人にある研修を受けたときも、彼はいつも毎朝、
「Good Morning」と言い、しっかり目を見てにっこりし、握手する。
ちょっと照れくさいが、気持ちが通じる気がする。

眼を見つめてにっこりすることは、こちらの存在をしっかりと認識してくれてる気がする。
こちらも彼、および彼女を一人の人間として認める。
相手を信頼している証でもある。
嫌いな人と話すときや、心が荒んでいるとき、人は目を合わせず、会話もしない。

会話がなくても、目を見てにこっの効果は絶大である。
確実に好い印象を与える。
気持ちが暖まる。

これからは、「目を見てにこっ!」の密かな実行委員になろうと思っている。(^-^)

1999.01.30


11 ティールームオープン!

ついに決心して?掲示板を追加してみました。(^-^)

ネットサーフィンしてると、みんな掲示板を持っていて、いろんな出会いがあっていいなーと思っていたんです。
今までもゲストブックに記帳してくれた方にはだいたいお礼メールを出していたのだけど、
どうもそれで終わりになりがちでちょっと寂しかった。

ただし、掲示板の実体は自分のプロバイダでないところに置いてあるので、記録が残らない(ページを保存しなければ)。
ゲストブックの方はLOGがファイルで残るので安心なのです。

初めての方、掲示板が動かないとき、
私に確実に届けたいメッセージの場合は、メールかゲストブックをご利用ください。

今回はコマーシャルでした。(^^; 遊びにきてねー!

1999.01.17


10 ネットワーク

ネットワーク、インターネットを悪用した犯罪が連日報道されている。
不自由さと自由さのバランス。
便利と不便のバランス。
長所と短所。

簡単に言い切れることなど何もない。
でも、女性を傷つける目的でこの便利な道具を使う人達には
烈火のごとく抗議したい。

弱い立場の人には情報という武器がある。
インターネットという武器はそんな人たちを救うために役立てたい。

1999.01.17


9 ありがとう、けんごくんとお母さん(ちょっと長文)


 娘が猩紅熱で完治1週間と診断されたためいきの出る土曜日、 (当然保育園1週間休み)
私たちは道でばったりけんごくん親子に出会った。

やけに大きい子がベビーカーにのってるなと思いつつ、よく見ると見覚えのある顔。
”けんごくんですか?”と声をかけると、お母さんがにっこりとして”こんにちは”
とあいさつをしてくれた。

 私が娘を前にして”けんごくん、○○です。こんにちは。”と彼にあいさつした。
すると彼はあっというまに思い出したようで、お母さんの腕に隠れようとしつつ
てれてれのもじもじのでもなんだかうれしそうな反応を全身で表してくれた。

 自宅がけっこう近いこと、来年から養護学校へ行くこと、娘が来年行く小学校へ遊びに行く機会があること、など立ち話した。
じゃあ、また会えますね。といって別れた。

家に帰り、台所で昼食の準備をしつついろいろ考えてたら、なんか泣けてきた。
けんごくんのお母さんの笑顔がまぶしく、ささくれだった私の心にやけにしみていた。
娘の病気は1週間で直っても、けんごくんのお母さんはずっと彼の車椅子を押し続けるだろう。
私は自分を恥じた。

一見弱い立場の人が、そうでない人を慰めたり、励ましたり、教えてくれることっていっぱいある。

1998.11.14


8 向井千秋さんのこと


 向井さんがまた宇宙へ飛び立った。
向井さんは医者であり、女性であり、妻でもある。(母でないのが残念だが)
宇宙飛行士として彼女が選ばれた理由が日本人(ジャパンマネー)だからか、私にはよくわからない。しかし毎日彼女の活躍が報道されている。
 いずれにせよ女性であることが(悪いほうに)判断される基準ではない世界があるという事実がとても嬉しく思う。
 同じ日本人女性として誇りに思う。
こういう価値観の世界があると信じられることが、私たちを支えてくれている。

1998.11.03


7 I miss you.


 TVを見ていたらVTRでMr.Children(以下ミスチル)の映像が映った。
愛しの桜井さんの歌う姿に胸がつまった。

 ねぇ、今頃何をしているの?
 どうして私達の前から姿を消してしまったの?
あなたの歌を聞きたいよ。
 あなたが謳うのをやめるわけがない。
これは性でしょ?死んでもやめられない。
声を聞かせて。あなたの心の声を。

1998.10.06

新聞でミスチルのニューシングル発売の広告を見つけました。(;−;)
MR.CHILDREN NEWSINGLE 98.10.21 RELEASE 「終わりなき旅」
早く聞きたいです
1998.10.22


6 Happy Wedding

 日曜日友人の結婚式二次会へ行った。
 二人の笑顔と視線に幸せを分けてもらった気分。
 あたりまえのことかもしれないけど
人生を歩むパートナーとは愛情で結ばれていたい。
 生活の中で忘れてしまいがちだけど
外にでたときだけじゃなく、
家族にこそ笑顔をかわしたい。
 私は笑顔のマジックを
私の体の半分もない我が子に教えてもらったんだ。

1998.09.14


5 僕死んじゃいたいよ

 この言葉を聞いたとき私の中の全てが一瞬止まった。
 彼は6才の男の子。
 そんな悲しいこと言っちゃいけないよ。お父さんやお母さんがどんなに悲しむか...
 思いつくありったけの言葉を彼にかけた。 言いながら泣けてきた。
 まだ6才だよ。今からそんなことでどうすんの!心の中で叫んでいた。
 子ども達が楽しいと思える生き方ができるかは、回りのすべてに責任があると思う。 (決して母親だけの問題ではなく。)
1998.09.05


4 中田移籍

 中田選手がイタリアのセリエAに移籍した。
 私にとって中田選手は、気になってしかたがないタイプの人だ。
 ストレートに好きというのとちょっと違うのに何か特別に引きつけられる 魅力がある人だと思う。
 世界へはばたけ!と心から応援したい。


3 Ole Ole Japon!

 日本のワールドカップ3敗で終わった。  シュートがはずれる度、大声をあげ、タオルケットをかみ切りそうになった。  選手達の悔し涙の顔。岡田監督の辞任会見。
 中山が1点いれたとき、チーム全体で喜ぶ姿が見られなかった。
 なんかだめだ、とそのとき思った。


2 子供達

 子供達の犯罪が毎日新聞にのっています。  どうして?。私たち大人は模索し続けています。  朝日新聞に朝刊に連載している「ぼくのリビングルーム 三田誠広さん」のコラムがとても真実味のある意見だと思います。  人との比較だけじゃなく、結果だけでなく、子供の努力の過程を見つめ、感じ取り、褒めてやることの大切さ。忙しい毎日の中、自分自身にも心にとめておこうと思いました。


1 有森裕子さん

 有森さんはなんだか大変な人を伴侶に選んでしまったようですね。 くわしいことはよくわかりませんが、そのために「パラリンピックの最終聖火ランナーの内定を取り消される」のはなんか違うんじゃないかと思います。
 本人が犯罪を犯したのならともかく、また彼女の夫が何をしたのかもまだうわさレベルなのに。
 たかが夫のうわさのために、彼女の素晴らしいキャリアまで変な目で見られるのはおかしいです。がんばれ!有森さん!