■なぜ大病院で医療過誤事件が多発するのか? 
  私(弁護士・椎名麻紗枝)の意見

 
 ここ数年医療事故の報道が、激増している。全国の裁判所に提起された医療過誤訴訟は、10年前の平成3年には356件であったものが、平成12年には、767件に倍増している。
 医療過誤訴訟は、以前と比べ、患者側の勝訴率は高くなっているとはいえ、それでも通常の裁判と比べると、半分以下である。
患者側には、医療について専門的知識がないだけではなく、医療は、通常密室で行われることが多く、医療過誤を立証する証拠も患者側にはないからである。カルテの改ざんなども行われても、発見することは容易ではない。
 昨年2月に、12歳の女児が手術中に人工心肺装置の操作ミスで死亡した事件で、東京女子医大は、ミスを隠すために、カルテを改ざんしていたことがわかった。これなどは、内部告発があったから表面化したもので、そうでなければなかなか表にでない。
ある医師から聞いた話であるが、できるだけ検査をして、検査結果は「−」(マイナス)にしておくようにという指導をしている病院もあるというのだ。つまり、マイナス「−」の記載は、ミスった時、「−」をいつでも「+」(プラス)に書き換えができるというわけだ。
 医療過誤のニュースを聞くにつけ、生身の人間として、いつ、病院の世話になるかもしれない身には、そのばあい、どの病院を選んだらよいのかと気掛かりになる。
 一般に、医療スタッフや最新の医療機器が揃っている大病院のほうが、良さそうに思えるが、報じられている医療過誤の多くは、それらの大病院で起きている。
 前述の東京女子医大の医療過誤は、人工心肺装置のミスというよりは、担当スタッフが、装置の使い方を知らなかったという初歩的ミスに原因があるというのだ。
 いくら最新の医療機器が備えてあっても、医療スタッフがその使い方を知らないというのでは無用の長物だ。むしろ使い方を知らないために、使い方を誤って死亡させるという結果になったというのでは、もはや言うべき言葉も見つからない。
 私が、弁護士として扱った医療過誤の事件の多くは、難しい治療上のミスというよりは、医療体制から来るものが多い。大病院には、さまざまな科があって、それぞれ専門の医療スタッフがいるのに、折角の専門家同士の連携がうまくいっていなかったり、自分の専門分野にしか関心を向けないために、患者の全身状態の変化が見落とされてしまいがちになって、早期の対応ができなくて、予期せぬ結果を招ねいていることが多い。
 大病院では、専門が細かく分かれているために、個々の患者を総合的に見て、患者の治療にあたることが少ないからだ。
 私が、現在担当している医療過誤の事件でも、若い有為の青年が、本当に初歩的な医師のミスで、命を失ったり、あるいは植物人間になるなど、悲惨な事件が2件ある。いずれも、東京医大、T大学付属病院という大病院で起きた医療過誤である。

 東京医大との裁判では、先日(2003年4月18日)、患者側勝訴の判決が言い渡されたが、東京医大は、この判決に不服であるとして、東京高裁に控訴した。
 この東京医大のケースは、当時29歳の青年が、心のう試験穿刺を受けた際、その際心筋に針を刺されてしまったが、担当医師は、それに対して、なんらの処置も行わなかったため、この間に、大量出血や心停止となり、脳に虚血状態をもたらし、その結果、ショック状態、免疫機能の低下、感染症から多臓器不全をひき起こされた。
 また、脳の虚血状態から低酸素脳症による中枢神経障害も引き起こし、そのため、抗けいれん剤を多用し、肝機能障害を引き起こし、全身状態の悪化を招き、その結果人工呼吸器を用いたところ、合併症として、気管支肺炎を引き起こし、最終的には、気管支肺炎で亡くなった。
 東京医大は、針刺しの事実は認めたものの、過失を争い、また、死亡の原因も、骨髄移植にともなうGVHD(移植片対宿主病)が悪化したからであるという主張をした。この裁判は、5年かかったが、その原因の一つは、東京医大の不誠実な応訴態度にも原因がある。
 T大学医学部付属市原病院で起きたHさん(政治評論家)の二男のMさん(現33歳)のケースは、こうだ。
 Mさんは、1997年当時27歳で、早稲田大学を卒業した後、税理士を目指して勉強中であった。 Mさんが、突然、頭痛、発熱、目がかすむなどの症状を感じて、自宅近くの病院で診察を受けた。当初、感冒でははないかと処方された薬を服用したが、改善せず、数日後には、左手足にしびれがでるようになり、再び同病院で、CT検査を受けた結果、異常が見つかり、担当医は、大学病院へ紹介状を書いてくれた。
 Hさん両親も心配し、入院することになれば、実家の近くのほうがよいだろうということで、2月20日、T大付属市原病院で診てもらうことになった。すぐ入院ということになったが、帰りがけに、医師は、付き添って行ったHさんの妻に、「痛みは、脳に膿がたまっているためだ」と説明した。
 ところが、翌日、病院へ出かけたHさんに、医師は、「実は、右脳に、脳腫瘍が見つかった。大きさは、4センチくらい。10万人に4、5人の病気で、26日に脳血管撮影を行い、翌27日に手術をする。本人には、膿瘍と説明をしておく」と言うことを言われた。Hさんは、ハンマーで頭を殴られたようなショックを受けた。
 医師の説明では、脳腫瘍は、急激な症状の進行はないということだったが、Mさんの症状は、急激に悪化していった。入院3日目には、Mさんは、膝を立てることもできなくなった。激しい頭痛を訴えるが、土曜日で、担当医はいない。
 翌23日、Hさん夫妻が見舞うと、Mさんは、足に赤いあざができていた。看護婦に聞くと、一人でトイレに行こうとして、倒れた」ということであった。Mさんは、もう食事ものどを通らない状態になっていた。熱も、37度を超えている。Hさんたちは、不安に駆り立てられたが、これに応えてくれる医師はいなかった。
 24日、月曜日になって、Hさんが医師から聞いたことは、原発性脳腫瘍の悪性ブリオブラストーマで、生存率は、20パーセントから30パーセントというまさに死刑宣告に等しい宣告をうけた。それから、数時間後、Mさんの容態が急変した。緊急手術をした結果、脳瘍であることが分かった。明らかな誤診である。
 Hさんは、脳腫瘍でないことが分かってほっとしたのも、つかの間、手遅れになっていた。その後、Mさんは、10回もの開頭手術を受けるが、自力で呼吸はできるが、自分で身体を動かすことみ言葉を発することもできないいわゆる植物人間になってしまった。入院から、3年経過して、T大学付属病院は、「もう、当病院でやれる治療はない」と転院をすすめてきた。
 Hさんは、訴訟を決意して、転院することにした。T医大の病院に、Mさんが、入院している限り、人質を取られているようなものだから、訴訟には踏み切れない。
 転院して、2000年10月、証拠保全を行った。カルテなどを見れば、誤診であることは明らかだ。Hさんは、病院の方から謝罪をしてくるのではないかと考えた。
 しかし、T医大からは、なんの対応もなかった。そのうち、Mさんの容態が急変した。転院した病院からは、T医大に再入院するように薦めた。Hさんたちは、不安だったが、再入院することになった。その後の手術は、成功した。
 Hさん夫妻は、昨年2002年12月Mさんを退院させ、現在は、自宅で、看護することにした。その話を聞いた時、Hさん夫妻も、病気になってしまうと思い、反対したが、Hさんの妻の真知子さんの決意は固かった。
 現在、Mさんは、両親の深い愛情のもとで、看護をうけ、Mさんの反応も少しづつ現われてきているという。しかし、Hさん夫妻の第二の闘いは、これからである。