■バブル期、銀行被害激増の銀行からの「提案融資」
推進役は東京三菱銀行の三木繁光・現頭取
10数年前起きた空前のバブル。そのバブルをあおり、個人被害客を増大させた大きな原因の一つが銀行による「提案融資」。融資実績を上げるため、銀行同士のモーレツな競争の中で編み出された悪徳手口だが、家や土地をもつ庶民が主な勧誘対象にされたことが大問題である。騙された個人債務者の悲劇の始まりともなった。
「提案」といえば聞こえがよいが、その実態は甘言を装った押しつけ商法(別項)だ。
その提案融資の営業を銀行業界で唱導し、煽ったのが東京三菱銀行の三木繁光・現頭取であったことが、当時の月刊誌インタビュー記事で明白になった。
問題のインタビューが掲載されたのは1989年7月号の「金融ビジネス」。三木頭取が取締役時代、提案融資を主導したことが本人の直話からも証明された。写真入りのインタビュー記事は3ページにわたるが、問題のさわりの個所は以下の通り。
![]() 1989年7月号『金融ビジネス』掲載:三木繁光・三菱銀行取締役のインタビュー記事 |
第一戦の強兵を本部が支援し提案型営業を |
バブルがはじけた後、客と銀行との紛議となり、大きな社会問題に発展した。東京三菱銀行はじめUFJ銀行、あさひ銀行など各銀行は「客の方からの自主的な融資申し込みを受けて融資を実行した」と判で押したように各行横並びのウソの説明で切り抜けようとしている。三木繁光・現頭取のインタビュー発言はその銀行業界のウソを自ら証明するものである。
【提案融資の本質と被害実態】
銀行は、バブル期「相続税対策に最適」「老後生活に万全」「都銀が勧めるのだから、安全安心」「○○銀行がついているから絶対に損がない」などと甘言を並べ立て、変額保険加入、ホテルオーナーズシステム、ペアハウス、テナントマンションの建設……を迫った。
1件あたりの融資資金はほとんどが億円単位であり、そもそも庶民にはそんなカネはない。だから、自分だけでは、事業計画など思いもつかない。年金を元手にどう余生を過ごそうかと考えているのがやっとの人が多かった。
こんなことは銀行は百も承知である。銀行が目を付けたのは、中高齢者の持ち家や不動産である。これを担保にしてカネを貸し込み、融資実績を上げようと狙ったのだ。融資対象は、変額保険でも、ホテルオーナーズシステムでも、賃貸マンション建設でも融資名目はなんでもよかった。
このような融資額アップ第一主義の営業戦略にたって、銀行間競争に血眼になった。庶民が邪悪な銀行のカモにされたのだ。企業がカネを借りなくなった分、個人への融資攻勢が強められたというわけだ。
個人は金融のアマチュアだ。それだけに、銀行が融資をするためには情報開示とリスクを含む説明責任を伴うものだが、銀行はこの義務と責任を果たさなかった。融資実績アップにマイナスと考えたからである。どの銀行もリスクがあることを全く触れなかったことも共通している。
将来の支払いに不安がる客に対しては、銀行は「カネは心配いらない。家や土地を担保にすれば融資金は全部銀行が面倒を見ます」「天下の○○銀行が付いているから心配ない」と断言している。また、テナントマンションの建設を勧められた客の不安に対しては「融資だけでなく、テナントの紹介も銀行が面倒を見ましょう」とアフタケアを約束するなどなど、良いことづくめの勧誘だった。
そもそも銀行が融資をするときは年収の6〜7割が当然とされたが、バブルの時は、そんな常識は度外視された。年収2000万円の社長に32億円融資し、違法な株取引をさせたり(旧東京銀行=現東京三菱銀行)、年収500万円も満たない客に数億円の融資型変額保険を販売したり、あさひ銀行ではホテルオーナーズシステムの販売で年収の数十倍から百倍の融資をしている。
バブルがはじけたら、客たちには山のような巨額な借金だけが残ってしまった。絶対に、一生かかっても、孫の代になっても支払えない借金である。
これが提案融資の本質であり金融のプロである銀行が絶対にしてはならない融資であった。銀行の貸し手責任は明白なのに、客に100%の責任を求め、支払えない客の自宅を差押え、競売にかけ、追い出そうとしている。憲法の生存権を否定する人権問題である。これが銀行被害者たちのおかれた現況である。
「銀行から働きかけられなかったらこんな被害にあわなかった」と変額保険やあさひ銀行被害者の会は銀行の「提案融資」を強く批判している。
このように、提案融資は銀行側の都合による資金需要であって、客側の資金需要ではない。まさしく押しつけ商法である。この理由から提案融資はイギリスでは禁止されているのに、日本では堂々とまかり通っているのだ。提案融資による個人被害は明白な銀行の貸し手責任の放棄の典型である。あくまで、銀行の責任において被害の回復を図るのが筋である。真に日本経済の再生のためにも喫緊の課題であるといえる。