Bhopal
〜Pollution Heavenと企業責任〜
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ボパール化学工場事故 みなさん、インドのボパールという都市で起きた化学物質漏洩事故のことをご存じでしょうか?実は私も最近になって知ったんですが、一晩にして数千人の住民が亡くなったという大事故のわりに、一般にはあまり知られていないようです。実はこれにはいろいろな原因が絡んでいて、私たちの社会が抱える構造的な問題について(環境という観点から)考える良い題材だと思い、取り上げることにしました。
チェルノブイリなど問題にならない死者数 ボパールでの事故は1984年12月2日の深夜に起こりました。ユニオンカーバイド(Union Carbide)というアメリカの化学工業会社が所有する現地の工場でトラブルが起こったのです。その経緯や原因についてはこのあとお話ししますが、事故によって漏洩したのは殺虫剤の原料となるイソチアン酸メチルという化学物質(もちろん猛毒)。それが眠りについていたボパール市民の家々に流れ込み、数千人とも一万人とも言われる住民の命を一晩にして奪いました。インド政府の発表によれば、何らかの被害を受けた人の数はなんと50万人以上に 上るとされています。実はこの死亡者数や被害者数についてはいまだにハッキリとした数字さえ分かっていないという状態なのですが、これについてもあとでお話しします。少なくともいえるのは、公式発表で31人が死亡したとされているチェルノブイリ原発事故など問題にならないほどの人的被害が出た、単発の工場事故としては過去最悪といっても過言ではないほどの規模だったということです。原発事故は放射能汚染で深刻な被害を後世まで残すので、一概にどちらがひどい事故とはいえませんが、阪神大震災で亡くなった方の数ですら6000人あまりということを考えれば、たったひとつの工場でのトラブルによる死者数としてはハンパじゃない数だということがわかります。
利益第一・安全無視のPollution Heaven 事故の原因は、ぶっちゃけた話、ユニオンカーバイド社の現地スタッフ(=アメリカ人)が地域住民の安全を全く考慮していなかったということに尽きます。いくつかの事例を挙げてみると、
・毒性の強い化学物質の工場を、地価が安いというだけの理由で人口密度の高い地区の風上に建設した。 といったところです。どこかの自動車メーカーもビックリな杜撰さです。そしてこの杜撰さの背景にはいろいろな理由があります。 まず、被害にあった住民の大半はいわゆる貧困層に属する人達で、もしも事故が起こっても訴訟などに持ち込む余裕すらない人達がほとんどでした。ユニオンカーバイドはそれを知った上で彼らの住む地区の風上に工場を建設し、有毒ガスが漏れても構わないといった風情の運転を続けていました。有り体に言えば、貧しい人々は多少の健康被害に遭っても文句を言わないだろうという考えです。信じられないようなことなのですが、インド政府もそれを黙認していたフシがあります。正確な死亡者数や被害者数が把握できないというのもこのせいで、戸籍にすら載っていないような人々が多く犠牲になりました。 次に、言わずもがなのことですがユニオンカーバイドが利益最優先だったということです。あとで詳しく話そうと思うのですが、その当時、先進国で風当たりの強くなってきた、化学工場などの「汚い工場」を発展途上国に移設するというのは、環境対策や安全対策にお金を払いたくない会社がよくやっていた利益確保戦略でした(今では環境NGOの反発が強く、難しくなっているようです)。いわゆるPollution Heaven(公害天国?)と呼ばれる現象で、環境問題にあまりうるさくない国に先進国の企業が工場を建設するというのは、それが受け入れ側の国にとって良いことなのか悪いことなのか、 現在でも様々な立場から議論が行われています。 また、それと関連して、インド政府もユニオンカーバイドなどの企業を誘致するために、企業側に有利な条件を飲んでいました。例えば、ユニオンカーバイドが何らかのトラブルを起こしたとき、刑事訴訟はインドではなくアメリカの法廷で行われること、損害賠償の一部をインド政府が負担することなどです。事実、長年にわたる訴訟(原告が後遺症で亡くなることを待つ、企業側の作戦)の末に、死亡者の遺族に支払われた賠償額は 1人あたりたったの$330だったのですが、これはインド政府が自らの負担額を増やしたくないために、ユニオンカーバイドが支払ったお金の範囲で被害者に分配したせいだとされています。
グローバル化に隠れたジレンマ この事件について、ユニオンカーバイドやインド政府を糾弾するのは簡単です。しかし、それだけでは問題の本質は見えてきませんし、第二、第三のボパールだって起こらないとも限りません。端的に言えば、先進国の豊かな生活(そして安全な生活)はこのような発展途上国での犠牲のもとに成り立っているわけで、ユニオンカーバイドをはじめとする多国籍企業を発展途上国に送り出しているのは我々が構成している社会のニーズといえなくもないからです。ボパールの件が大きく報道されないのも、実はこういう現実にあまり触れたくないという社会の「雰囲気」がそうさせているというのは穿った見方でしょうか。事実、このような社会ニーズは国際的な取り決めとして明文化されるまでに至っています。例えば、(これは別の項でまた取り上げようと思っているのですが)、WTO(World Trade Organization)の規定では、「輸入国側は製品の質に文句をつけることは出来るが、それが作られた過程について文句をいうのはダメ」ということになっています。つまり、どんなに杜撰な安全対策のもとに、どんなに大きな健康被害を地元民に与えていようが、作られた製品が安全基準を満たしていれば輸出OKというわけです。グローバル化の影で、本当に得をしているのはだれか、損をしているのは誰なのか、それを考えていくと、環境問題というものもまた違った意味合いを持ってきます。
ボパールの被害者達は、事件から20年近く経過した今でも、十分な補償を与えられることもなく、事故の後遺症に苦しみ、失意のうちに亡くなっていっています。その一方で、当時の責任者であったユニオンカーバイドのボパール支社長は、アメリカの法廷からの出廷命令を無視して行方不明になっているそうです(NGOが探し出したという話もありますが、そこまでは調べていません)。生存する被害者の数が減るにつれ、事件の記憶は風化していきます。しかし、グローバル化の影に隠れたジレンマは、私たちが向き合わなければならない課題として、これからますます重要度を増していくことになるのでしょう。
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