Sustainability

サステイナビリティという考え方

Sustainabilityの定義
環境のことを考えるときに、忘れてはならないコンセプトがあります。SustainabilityあるいはSustainable developmentと呼ばれるものです。日本語では「持続的発展性」などと呼ばれていますが、若干ニュアンスが異なるような気もするので、ここではカタカナでサステイナビリティと表記することにします。サステイナビリティは1980年代に欧米で提唱され始めたコンセプトで、人によって様々な解釈があるのですが、現在では1987年に国連報告書の中に示された定義が専ら用いられているようです。

“Sustainable development is that which meets all the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs.’” (The U.N. Brundtland Commission 1987)
「将来世代が彼らのニーズを満たすための能力を損なうことなく、現在世代のニーズを満たすこと」

環境学は、すべてこのサステイナビリティを実現することを究極の目的としているといっても過言ではないでしょう。ただ、このサステイナビリティ、ちょっとやそっとのことでは実現不可能です。

サステイナブルであるということ

定義だけではいまいちピンと来ない部分もあると思いますので、一例を挙げてみます。100匹の魚がいる湖を考えてみて下さい。この魚たちは1年に20匹の次世代を生むことができ、そのかわり10匹は寿命で死んでしまうと仮定します。つまり、放っておくと10匹ずつこの湖には魚が増えていくことになります。
さて、湖の横に一軒の家があり、そこに釣りの好きなおじいさんが住んでいます。彼がずっとこの湖で釣りを楽しみ、さらに息子や孫の代にも釣りを楽しんでもらうためには、1年間に釣り上げる魚の数を10匹以内に抑える必要があります。これを超えると魚たちの再生能力(reproduction)を損ない、湖の魚の数が年々減っていってしまうからです。
この、おじいさんが年間の釣果を10匹以内に抑えている状態を「サステイナブルである」と言います。同じような考え方を、イノシシ狩りや果実栽培にも適用することができます。つまり、自然の再生能力の範囲で生計を立てることがサステイナビリティの最も基本的なコンセプトなのです。 では、現代の人間社会はサステイナブルであると言えるでしょうか?答えはノーです。理由は追って考えていきますが、これについて詳細に考察を加えた本が前出のBrundtland Commissionから発表されていますので興味のある方は一読されることをオススメします(Our Common Future, Oxford University Press)。


人間の歴史とサステイナビリティ
人間社会はいつからサステイナブルではなくなってしまったのでしょうか?多少、冗長な感もありますが人類の歴史に沿って少し考えてみます(環境というものについて「考える」のがこのページのテーマですのであえて回りくどくとも思考の過程に沿って書いていくことにします)。

地球上に最初に出現したころの人類の生活を想像してみて下さい。まだ農耕という文明が生まれておらず、狩猟と採集だけで生計を立てていた頃のことです。この頃の人類は、火を起こすことが出来るという点で他の生物に比べて長じていたものの、その存在自体は自然の恵みに依存する部分が大きく、あくまでも自然の食物連鎖の一部として生きていました。人類だけが爆発的に繁栄するというわけにはいかなかったわけです。

やがて、農耕文明が出現します。農耕は人間の生活に劇的な変化をもたらしましたが、その中でもとりわけ重要だったのが「安定した食糧供給と貯蓄」を可能にしたという点です。食料が安定して供給されるようになると、平均寿命が延び、病気や災害への耐性がつき、結果的に人口が増えます。人口が増えると狩猟や採集の量も増え、局地的にはサステイナブルではなくなる場合も増えてきます。人類は食物連鎖から開放されると共に、「自然からの享受」から「自然からの搾取」へとライフスタイルを変えることとなりました。

時代は大きく飛んで産業革命期へと移ります。蒸気機関が発明され、人間社会はより大きな「火の力」を必要とするようになりました。ここで本格的な化石燃料、すなわち石炭や石油の利用が始まります。自動車、航空機、電気、電話、印刷技術・・・人間社会がものすごいスピードで便利になり、人口もこれまでに見られないほどの伸び率を示します。特に化石燃料は一度掘り返してしまえば何万年も経たないと再生はされません。化石燃料が文明の基盤になる、ということは、人間の文明そのものがサステイナブルでない段階へとシフトしたことを意味します。

そして現代。 先進国に暮らす我々の生活はとても豊かになりました。スイッチを押すだけで電気が灯り、毎日食べきれないほどの食料をあらゆるところで手に入れることが出来ます。一方で、一部の国々は石油の利権を争って戦争を繰り返し、豊かな生活を実現するための資源を提供してくれるはずの自然は破壊されていく一方です。

将来へと目を向けてみたらどうでしょう?現在60億人超の世界人口は2050年には90億人に達すると見込まれています。石油の埋蔵量はあと50年分とも25年分とも言われています。砂漠化、酸性雨、地球温暖化など複雑かつ大規模な環境問題は局地的な対応ではもはや手に負えなくなっています。現代社会は「将来世代が彼らのニーズを満たすための能力を損なうことなく、現在世代のニーズを満たすこと」 というサステイナビリティの条件を満たしているとは到底言えません。


孫の代の世界を想像する気持ち

1992年の地球サミット(リオデジャネイロ)で、セヴァン=スズキという12歳の少女が「伝説のスピーチ」を行いました。スピーチの全文はこちらにありますので是非一度目を通して下さい。環境スクールに通い、初めてこれを読んだとき、私はかなりへこみました。環境学だ、サステイナビリティだとかっこつけてても、それまでの私には結局「今の世界をどうするか」という視点しかなかったからです。このスピーチを読み、孫の世代に石油が本当に無くなったらどうするんだろう、いや、無くならないようにするには、今何をすればいいんだろう、というような視点で物事を考えるようになりました。

結局、セヴァンの言うとおり、環境問題を解決できるのは政治家やビジネスマンではないのかもしれません。父親、母親として子供や孫を思いやる気持ち。そしてその気持ちを形あるものに変えていく力。今のところ、私個人の力はとても小さいものです。きっと一生かかってもたいして大きなものにはならないと思います。ですから、少しでも多くの人に同じ気持ちを持って頂きたいと思い、この項を立てました。

おまけ:とある授業で技術の発達とサステイナビリティについて議論する機会があり、宿題としてその議論についての感想文を書きました。英文ですが、興味のある方はこちらでのぞいてみて下さい。

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