56回総会−今日の性教育・性問題を考える−

☆特別講演「今日の性教育・性問題」

         一橋大・津田塾大講師 “人間と性”教育研究協議会代表幹事 村瀬幸浩

 性教育の問題はもちろんセックスの問題だけではありません、生きる性と深くつながっています。子どもたちをどう大人にしていくかという中で性の学習というのはかなり大きなテーマですが、それを組織的に進めていく取り組みを日本の大人たちや社会は急いでやらないと、とんでもない状況が生まれてくるのではないかという感じが致します。いずれにしても居場所のない寂しさ、そして誘惑に弱い心情が非常に強くなってきているという感じがしてなりません。

 性を育てるということは性の事実のあれこれを伝えるだけではないです。むしろ、その人の存在そのもののかけがえのなさをどこまで大切にされているかということを中心に、家庭でも性教育の話をするということがあります。教育というとすぐ何かを言葉や文字を教えると考えがちですが、家庭における教育は、「あなたの存在そのものはかけがえのないもの」という、触れ合う安心感とか快感、そういったものをどう積み重ねるかが基本だと思います。状況はどんどん性行動を軽くするような方向に向かっているにもかかわらず、それに対して性教育は進んでいない、ほとんど力になっていない。中高生にとって、あなたの性意識の決め手は何かというとまず友達です。それから雑誌やビデオです。男の子はビデオの比率がとても高く、学校教育というのはずっと低位です。ところが精力的に性教育に取り組んでいる学校の場合、明らかにほかの学校に比べて性交体験が少ないのです。性行動に対して慎重になっているのが分かります。

 性問題は本能の問題ではなく、しっかり学んで知的に自分の意識や判断力を磨いていくこと。性を放っておいても分かるとか、わいせつなものと思っているうちは駄目なのです。このことが本当に男と女の風通しのいい関係、あるいはそういう社会を作るうえの必修テーマです。

☆…「自己決定の力を育む」

 「自己決定の力を育む」−。これも大きな争点です。一生懸命取り組んでいる人たちはなぜ性教育をするかというと、子どもがやがて青年、大人になっていく中で自分の性の在り方を自分で決める力を持つためです。もちろん人間には人権として、自然権として自己決定の権利はあります。しかし、性は自分だけの問題ではなく相手の問題につながっていきます。自己決定の権利があるから子どもだってセックスしていいとは言えません。やはり相手のことを考え、それに対する結果について考えて自分の行動をコントロールすることが必要です。自己決定の力を付けるのは、学校教育であり性教育だと思います。
 人間には自己決定の権利があるが、その力を育てることが不可欠というふうに私は考えます。バッシングする人たちの意見は、子どもたちに自己決定の権利などはない、それは大人が決めればいいのだ。そして、結婚するまでセックスするなと教えればいいという言い方で、自己決定権を否定します。

 ところで自己決定の力を育むということで、私は「予知力と交渉力」という二つの柱を立てています。「予知力」、あらかじめ知る。それから「交渉力」。つまりセックスは一人でしませんから、相手とその気持ちを、意見を交わして交渉をしなければいけません。自分だけの世界で終わりませんから、その力が要ります。それから困ったときには世の中に向かって、病気の心配とか妊娠の心配があったときにはアクセスをしなければいけません。社会的な対応力が要ります。望まないセックスを強制されたときにはレイプの問題、あるいはストーカーの問題などがありましたらどこかへ訴えなければいけません。

予知力の中の一つは「科学的認識力」。これは性に関する科学的な力を付けるということ。言うまでもありませんが、学校教育の大きな柱です。科学的な認識力を育てる。偏見や思い込みではなく、事実、科学に根ざして分かっていくということです。例えば「安全日神話」なんていうのは全然非科学的です。ピルの問題も、大学生や高校生に聞きますと、ピルの利用者が日本はとても低いです。「なぜ使わない?」と聞くと「副作用」と言います。「どんな副作用があるの?」と聞くともう言えません。

 それから、性感染症の問題で言えばオーラルセックスで感染するということも知りません。性感染症というと、すぐにペニスとワギナというふうに言うのだけど、あれは粘膜の面積がワギナは広いから感染しやすいけれども、性感染症は粘膜と粘膜の接触、粘膜と傷ついた皮膚の接触、そのどちらかに病原体があればうつっていく。だからペニス・ワギナに限らない。そして咽喉も粘膜ということも含め、日本の特に若者のクラミジア激増はオーラルセックスでの広がりが一番大きいと専門家は指摘しています。

エイズがすごく広がっています。感染爆発と言われ、これは明らかに学校社会を含めた教育の全くの敗北です。日本のエイズ教育は、学校も社会もほとんど無力だったのです。欧米諸国はピルではエイズは防げないからコンドームを付けることがどうしても必要だったのでしょう。学校も社会も猛烈なキャンペーンと取り組みをやってコンドームについては「ライフガード」と言ったのです。日本はどうかというと、自動販売機は撤去される一方で、青少年健全育成条例に反すると言うのです。言ってみればコンドームはわいせつ物なのです。ヨーロッパなどでは公衆便所には自動販売機を設置していく。それから、フランスやイギリスでは高校のトイレにもコンドームの自動販売機を置いているところがあります。この考え方の違いが、ヨーロッパではHIV感染者が確実に減っていることに現れていて、先進国で唯一日本だけが感染者・患者が右肩上がりです。

 予知力のもう一つは「社会的認識力」です。科学的認識力に対して社会的認識力。つまり、レイプ、セクシュアル・ハラスメント、あるいはストーカー、DV、売買春等です。性を巡る社会的ないろんな取り組みや現状、あるいは考え方も教えなければいけません。スーパーフリーのように集団レイプを起こす人間は、望まないセックスは犯罪という勉強をしてこなかったのです。少しアルコールが入ればすぐそんな妄想が常識を破ってしまうわけです。そういう状況は、特殊な人間だけでなく夫婦の間でもレイプ、しばしばDVはあるし恋人間にもある、そしてそれは学力・職業に関係なくです。社会的な観点から性をとらえるということは、日本の教育の中では皆無でした。これは大問題ではないでしょうか。

 もう一つの交渉力は、相手との関係を作る「力」という問題です。一つは「交渉術」、スキルです。相手にコンドームを着けてとか避妊しようというときに、どう言ったらいいのだろうかということです。実際の場面設定をしながら。あるいは、自分たちがHIVに感染しないために二人で病院に行こうということをどう言ったらいいか、ディベートとかロールプレイングがあります。そういうことを含めて、実際にそういったことを想定して言ってみる。つまり自己決定力を付けるためには、そうしたトレーニングも必要だと私は思っています。さらに、これは一番深くて難しい問題ですが、交渉するためにはプライド(自尊感情)が欠かせません。プライド、私の体、私の命、人生はかけがえのないものという気持ちが、相手に対して交渉する力となるのです。


☆自己肯定感を高めて…

 養護学校の取り組みでは、タッチングを含めてあなたの体、命はかけがえのないものだということを学ばせるところからはじめていこうと実践されていて、脱帽します。そういうことが本来は家庭の中で、育ちの中できちんとあれば力が付いたはずです。親ができることは、赤ちゃんがどうやって生まれるかをどんな言葉を使って説明するかということも意味はあるけれど、一番大事なことは自分の体や命や性はかけがえのないものという、自己肯定感をしっかりと身につけさせることだと私は考えます。そのためにはタッチングを中心とした触れ合う心地良さ、そしてやがて子どもは思春期になれば今度はリスニングという、子どもの言葉に耳を傾けることによって存在を受け止めていくことがいかにかけがえのないことかを強調したいと思います。

 今、日本の子どもはプライドがとてもみすぼらしくなってきています。自己肯定が低いです。自己否定感が強いです。それがトラブルの一番根っこにあると思います。これは学校教育だけではなかなか難しい問題。それから、もう一つの交渉力は社会に対する対応力です。例えば、病気に気が付いたら病院はどういう所があるか、クラミジア検査はいくらお金がかかるか、保険証は使えるか、あるいはHIVだったら保健所へ行けば無料でやってくれるということ。何かあった時に対応していく力を育てなければいけないのに、これが皆無です。

 ピルを処方してくれる病院はいったいどこなのか、何も婦人科でなくたって医師免許があればどこでも処方してくれるのです。そういったことも知りません。保険が利きませんからまちまちです。三〇〇〇円、五〇〇〇年取る所もあれば、たくさんの人に使ってもらった方がいいからと、一ヶ月分一五〇〇円で渡しているところも。ピルの原価は一錠十円もしないとききました。ヨーロッパなどは無料で配っています。中絶だって保険の利く国はたくさんありますが、日本は全部保険不可で、性に対して情けのない国です。実際エイズ感染してしまったら、そこから起こってくる経済的リスクは莫大です。国連の「世界人口白書」を見ると、若者たちにもっとお金を使って、特に教育や児童の福祉に対して力を入れろと。そうしないとやがてものすごい負担を社会や国は負ってくるのだということです。早くそういうことに対する対応の仕方を考えなければと思います。こういったことも含めて社会的対応力と言っているわけです。こんなことを通じて自分で決める力というのは認識できるのではないか。それぞれの分野で、子どもたちが幸せな人生を歩めるために何をどうできるか、改めて検討しなければいけない時代を迎えているのではないかと思います。