| 1975年度〜1980年度 |
堺市立金岡小学校/金岡南小学校(80年) 子供会ソフトボールチーム |
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◆主な戦績: |
80年度 |
校内トーナメント大会優勝。学校代表として市のブロック大会出場。 |
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プロ野球選手になりたいと思っていた割にはソフトボールの6番打者という至って地味な存在だった。 |
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公式戦はもちろん練習試合を含めて3年間、試合出場機会0(ゼロ)の「ド」がつく補欠だった。 |
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セレクションのある硬式野球部入りを諦め、軟式野球部に入部。しかし進学準備の為、2年生の夏の大会を前に退部。
中学高校時代を通じて公式戦出場記録0(ゼロ)のまま野球選手としてのキャリアを終了。 |
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◆主な戦績: |
89年度 |
近畿学生リーグ【二部】優勝 関西学生リーグ【1部】昇格 |
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当時、関西で大人気となり、「大学から始めても勝負できるスポーツ」という評判であったアメリカンフットボールに挑戦。
3回生の時、小学校6年生以来(!)となるレギュラーポジションを獲得。
その年、一部リーグに昇格するが、最終学年は怪我の不養生が祟り、散々な出来で引退した。 |
| 1991年度〜1999年度 |
社会人アメリカンフットボール リクルートシーガルズ |
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◆主な戦績: |
96年度 |
日本社会人選手権「東京スーパーボウル」優勝/ 日本選手権「ライスボウル」優勝 |
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98年度 |
日本社会人選手権「東京スーパーボウル」優勝/ 日本選手権「ライスボウル」優勝 |
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入団当時は一部リーグ昇格2年目の発展途上のチームだったが、着実にステップアップを果たし、入団6年目に悲願の日本一。
個人的には4年目のシーズンでレギュラーポジションを獲得したが、翌年に怪我でシーズンを棒に振るなど、
一進一退を繰り返しながら9シーズンプレーし、2度の日本一を経験。 |
| 2000年度〜2001年度 |
社会人アメリカンフットボール アサヒ飲料チャレンジャーズ |
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◆主な戦績: |
00年度 |
日本社会人選手権「東京スーパーボウル」優勝 日本選手権「ライスボウル」優勝 |
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新たな活躍の場を求めてアサヒ飲料チャレンジャーズに移籍。初年度は春からチーム作りに積極的に関わり、
リーグ戦序盤の大量得点勝利に貢献したがシーズン後半失速。レギュラーポジションを失い、バックアップとして2シーズンを過ごした。 |
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◆主な経過: |
02年2月 |
AFLパシフィックリムトレーニングキャンプに参加。その際、AFL・シカゴラッシュのキャンプへの招待を受ける |
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02年6月 |
シカゴラッシュのコーチの推薦でAFLのマイナーリーグであるAF2ペンサコラバラクーダーズ入団。
1ヶ月間在籍し、出場のチャンスを得たが、ビザ問題がクリアできずチャンスを逃す |
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03年3月 |
AF2・フロリダファイアーキャッツ トライアウト合格。練習生として在籍 |
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03年7月 |
モヒガンウルブス トライアウト合格。
インターナショナルロースターとして契約するがベンチ入りを果たすことなくシーズン終了 |