病床の祖父に、人間の真実を見た
今から28年前、新潟市に生を受けた私は、両親の愛情のもと、すくすくと育ちました。
物心ついた時から、学ぶ楽しさ、自分が向上する喜びを知りました。勉強でも運動でも、何か一つ身につけるたびに、自分自身が大きく成長するのが実感できて、ますます頑張ろうとやる気が出てくるのです。
そのころの私はすべてにプラス思考の性格となり、「なんて人生は面
白いのか、一度きりの人生、自分の夢に向かって全力疾走、行けるところまで行ってあとは倒れるだけ」 と、これからの人生ドラマに思いをはせていました。
ところが、高校に入ってから、その考えが引っ繰り返ってしまう出来事が起こりました。大好きだった祖父がガンで大手術を受けたのです。 若いころ、町の議員まで務めた祖父は力強く、みんなから慕われ、
「楽しい人生だった。私は幸せだ。あとは静かに死ぬ だけだ」 と、口癖のように言っていました。ところがその自信に満ちた言葉は、大病を患い、日に日にやせ衰えていく中で全く聞かれなくなってしまいました。
自分はもうすぐ死んでしまう、という硬く暗い表情は何とも痛々しく、死を目の前にした人間のもろさを目の当たりにしました。
友達と語らい、好きな授業を聞いてから病院に立ち寄ると、一方では今まさに終わりを迎えようと苦しんでいる一人の人間がある。一体人間にとっての現実、真実とはどちらなのかと、いやでも考えるようになりました。
私の悩みが深くなるにつれて祖父の病状は重くなり、まさに骨と皮だけになりました。モルヒネを打たれ、頭までおかしくなり、家族の顔さえ判断できません。
「おまえはだれだ! 出ていけ」と言われた時は、あまりに情けなく、涙せずにおれませんでした。
ひどく蒸し暑い日、祖父は二度と動かなくなりました。骨を拾う私にはもう、自分の夢に向かって無限に向上し、精一杯生きたら、あとは死ねばいいのだとはとても思えませんでした。死を目前にしては、小手先の甘い人生観は吹き飛んでしまうのだ、と思い知らされたからです。
それからは、何をやってもむなしいという思いがぬぐい切れませんでした。映画を見ても、旅行へ行っても、友人と夜通
し語り合っても、心の奥底からは常に、 「人生の本当の苦しみから目をそらしているだけじゃないか、全部終わってしまうんだ、人生一体何のために生きねばならないのか」
と、声なき声が聞こえてくる気がしました。
そんな思いをひたすら抑え、大学に行けば何かあるかもしれないと受験勉強に打ち込みました。そして平成5年春、大学に合格。そこで、親鸞聖人のみ教えと出遇ったのです。
「たとえ死を目の前にしても崩れない、絶対の幸福がある」という言葉に引かれ、聞き求めずにはおれませんでした。そして一ヵ月後、浜松にて初めて高森顕徹先生にお会いすることができたのです。
「人生の目的は苦悩の根元である無明の闇が破られ、人間に生まれてきてよかったという生命の歓喜をうることです」と、説き切られる大自信に、それまでの悩みがすべて解決されていくようでした。
「一度きりの人生、全力で走りたい、この真実にかけよう」
心は定まりました。
親鸞聖人が明らかにしてくだされた、なぜ生きる、人生の目的を、多くの人に、お伝えしたいと思います。 |