この世でハッキリ救われる教え
私は広島県に生を受けました。
私の家は祖父母の代から仏法に熱心で、父も72歳でこの世を去るまで仏法大事の生活を送っていました。そんな父を見て育ったおかげで、結婚適齢期になったら、財産や地位、名誉より、仏縁深い人と縁組みさせてほしいと思っておりました。
そのうち、縁あって浄土真宗の仏縁深い家に嫁ぐことができたのです。
そして夫と2人で店を経営し、時間を忘れるほど忙しい毎日の日暮らしでした。
ところが7年前、最愛の兄が突然、骨髄ガンで亡くなりました。兄は中学3年のとき、学徒動員で軍需工場に動員され、戦後も苦しいことの多い人生でした。
ただ辛抱の連続で「どう生きるか」だけに追われていた兄があわれでなりませんでした。
仏壇に手を合わせるたびに、兄の分まで自分は仏縁を求めなければと、やり場のない気持ちでいっぱいでした。
そんな去年の秋、地元の文化センターで親鸞聖人の法話の新聞折り込みを見て、居ても立ってもいられず、店の鍵をかけ忘れるほど急ぎ、車を走らせました。
それまで、月に1度は寺の説教を聞いていましたが、ただ阿弥陀仏のお慈悲におすがりしておればよいとの説法に、どうしても私は安心することができませんでした。
親鸞会の講師は次のように叫びました。
「『どう生きるか』よりも、『なぜ生きるか』はもっと大事」
「阿弥陀仏の救いは現在ただ今の救いである」
「救われたらハッキリする」
私は、この言葉に、「これこそ真実の教えだ」と実感し、すぐに親鸞会とご縁を結ばせていただきました。
それから、高森先生のご法話にあわせていただくたびに、阿弥陀仏の本願は平生に人生の目的をはたさせて下される教えであり、死んだらお助けの教えではないと知らされます。
私は今、真実にあえた喜びでいっぱいです。地元、広島の法話会には友人、知人を誘って参詣しております。
真宗の一番盛んな広島が再び熱心に聞法する仏縁深き土地になるよう念願してやみません。 |