Photo Gallary

古典と風景


INDEX
1.安芸の宮島「厳島神社」2.大分県「宇佐八幡宮」3..鎌倉「大蔵幕府跡」4.琵琶湖「竹生島」5.藤原定家「小倉山荘跡」
.神奈川県「称名寺」
7.「京都御所」と蹴鞠の庭/8.京都府日野「法界寺」

解説■
Ⅰ 安芸の宮島「厳島神社」平清盛造営の神社ですが、『紫文幻想―源氏物語写本に生きた人々―』中に詳述する、
青年源光行を育んだ後徳大寺実定の訪れた段が『平家物語』にあります。


Ⅱ 大Ⅱ 大分県「宇佐八幡宮」
『平家物語』には十七歳の平経正が奉幣使として訪れ、社殿の前で「青山」という琵琶の名器を弾いて
神々を感動させた記述があります。今でさえ遠いこの神社に、経正だけでなく、清盛も参詣しています。

Ⅲ 鎌倉「大蔵幕府跡」源頼朝が建てた最初の幕府です。現在清泉小学校の敷地内にあって、ふだんは入ることができません。
この日はバザーの開催中だったので入場券を買って入りました。捕われの身となり鎌倉に護送された重衡千手の前と一年間
暮らしたのはこの一画でした。池や庭石が当時のものとは思えませんが、空や山はまちがいなく重衡が眺めた風景でしょう。

Ⅳ 琵琶湖「竹生島」琵琶湖の中の最大の島。全島一帯が聖域です。出陣を待つ平経正が舟をだして訪ね、社殿のなかで
僧侶が差し出した琵琶を奏でたという『平家物語』の記述どおりに宝物館には「経正の撥」が飾られていて息をのみました。
写真は、島を去るときの琵琶湖の光景が中心です。後光のような光のシャワーでした。

Ⅴ 藤原定家「小倉山荘跡」藤原定家の嵯峨の山荘跡です。宇都宮蓮生の中院山荘と近く、蓮生に頼まれて作った百首歌の
色紙が、現在残る「小倉百人一首」といわれます。子息為家が蓮生の娘と結婚。そのために、為家は中院山荘に住みました。
小倉山荘はその近く・・・。ということで、角田文衛氏は、小倉山荘を継いだ孫娘が二条良基の一族と結婚していることから、二条
良基の墓がある場所がそこではないかといわれます。探したら確かに、
近くに二条良基ゆかりの地がありました。中へは入れず、
八重葎の周囲を回るだけでしたが、門にかけられたヤマセミか何かの絵が綺麗でした。
ブログ【孔雀のいる庭】2008.2.8 「宇都宮歌壇と小倉百人一首」をご参照ください。)
参考論文:角田文衛「藤原定家と小倉山荘」

Ⅵ 神奈川県「称名寺」『尾州家河内本生誕の地』金沢北条氏実時が建立した寺院です。発掘によって称名寺の境内を
描いた鎌倉時代の「結界図」どおりの庭園遺構が現れました。現在は絵図のとおりに橋や池が復元されています。その
様式は「浄土式庭園」といい、中央に梵字の「阿」字のかたちの池があり、朱塗りの橋を渡った先に金堂があります。朱色の
橋が陽を浴びて池に映る光景は、浄土を彷彿とします。浄土式庭園は、浄土を願う心から生まれました。西日の射す時間
に訪ねるのがお薦めです。写真は塗り替えられてまだ新しいときのものです。現在は少し褪色してしまっています。実時の
銅像の一枚上の写真は、実時の邸宅の阿弥陀堂があった場所から撮りました。実時が日々を過ごしながら見た苑池の
光景です。下の二枚は二代当主顕時、三代当主貞顕のもの。実時の墓は裏山の一画にあります。最後の写真は境内と
一族の邸宅があった「御所」を結んだ隧道です。ここを通って実時は双方を通行していました。奥に見えているは現在の
金沢文庫です。藤原定家の孫、冷泉為相がこの境内を訪れたことが謡曲『青葉の楓』に謡われています。

ブログ【孔雀のいる庭】2008.2.8 「宇都宮歌壇と小倉百人一首」をご参照ください。)

Ⅶ 「京都御所」と蹴鞠の庭春と秋の二回だけ、特別に一般公開される京都御所です。広大な敷地をぐるりと一周していると、
『源氏物語』の内裏の世界に次第に気持が入り込んでいきます。一画に「蹴鞠の会場」がありました。プレーをするときは、
四隅にそれぞれ柳・桜・松・楓の木を植えます。鉄の格子の嵌った四隅の穴はそのためのものです。

Ⅷ 京都府日野「法界寺」日野富子の生誕地。日野氏の菩提寺です。国宝阿弥陀堂内陣の小壁には、鎌倉時代初期の
創建当時の飛天の壁画が残されています。宝相華文様に囲まれた飛天像のその壁画は、美術史上とても貴重なものです。
この阿弥陀堂は、宇治平等院や三千院往生極楽院、中尊寺金色堂、白水阿弥陀堂と同じ、中央に阿弥陀さまを祀り、その
周囲を修行されるお坊様が念仏を唱えながらぐるぐる廻る、常行堂の形式です。常行堂は比叡山横川ではじまりました。飛天の
壁画はその四面に描かれています。頼むとお寺の方が中に入れて下さって、懐中電灯を手に説明して下さいます。

TOPへ戻る