
『美亜へ贈る真珠』/梶尾真治/ハヤカワ文庫 【bk1】
すべて既読なのだから、今さら買わなくてもと思いつつ、やっぱり買ってしまいました。「ロマンチック篇」ということですが、どうやら題名に女性の名前が入っている作品で統一したのかな?ロマンチックがテーマならここには「百光年ハネムーン」他収録されていてしかるべき作品が他にも多々あると思うし……。
●「美亜へ贈る真珠」 何度読み返してみても美しい作品です。言わずと知れた作者のデビュー作。生きたタイムカプセルの中で他人とは異なった時間をすごす男。そして何年も彼を見守り続ける美亜という女性。もはや彼女と言葉を交わすことすらできない男が贈る真珠とは……。
●「梨湖という虚像」 この作品に登場するコンピュータの名前はフェッセンデン。オールド・ファンには説明不要でしょうが、エドモント・ハミルトンの『フェッセンデンの宇宙』よりのネーミング。コンピュータのディスプレイの中の恋人というイメージは悲しげなのですが、この作品を読むと懐かしの特撮作品『宇宙鉄人キョーダイン』を思い出してしまうぼくは、いけないファンでしょうか?
●「玲子の箱宇宙」 箱宇宙というのは箱庭の宇宙バージョン。箱の中で本物の宇宙。結婚祝いに箱宇宙を手に入れた玲子はそれに夢中になってしまい……。これ、ラストを読み返すたびに、箱の贈り主はいったい誰だったんだろうと不思議に思うのですが・・・・・・。
●「”ヒト”はかつて尼那を……」 作者の短編でぼくがいちばん好きなのがこの作品です。異星人の侵略によりすでに滅んでしまった地球の<保護区>で見世物になっている”ヒト”。異星人の少年は父親に連れられてきた保護区でヒトと出会い、話をするようになりますが・・・・・・。ヒトが異星人の少年に自分がかつて愛していた尼那(ニイナ)という女性のことを話してきかせますが……。淡々とした語りとふたりの心の交流が、とてもすばらしいです。
●「時尼に関する覚え書」 幼い頃に出会った不思議な女性時尼(じにい)は、その後ヤスヒトの人生に大きくかかわってくることに……。これもいい感じの作品です。遡時人という設定が面白いですね。
『新耳袋』/木原浩勝+中山市朗/角川文庫/第一夜 【bk1】/第二夜 【bk1】/第三夜 【bk1】/第四夜 【bk1】
実話というのはどうにも苦手です。ホラー映画は何ともないのに、恐怖体験の再現フィルムは怖ろしくて仕方ないという……。事実は小説よりも奇なり、などと申しますがまったくその通り。まあ、恐怖体験ものというのは、それなりの解釈がされているのが常であるし、再現フィルムとか心霊写真もほんとうかうそかは知りませんが、お祓い済みですという前提だからまだ見ることもできるのかも。ところが、この『新耳袋』、収録にあたって極力この解釈というやつを退けたそうで、このことが凡百の恐怖体験談とは一線を画する仕上がりとなっています。題名は根岸鎮衛の奇談収集『耳袋』によるもの。
さて、トラウマになるような異形の者というのは人それぞれでありましょうが、ぼくにとってはかの<くだん>という牛頭人身の者は強烈なイメージが残っています。はじめてこの異形に触れたのは小松左京の「くだんのはは」。紅い京鹿子の着物で顔のみが牛の少女、その瞳にはあの草食獣のどかか悲しげな雰囲気が漂っている。第一夜・第十二章は、この<くだん>に関わる物語です。解けない謎への問いかけが、無気味で仕方ありません。
そしてもうひとつ。ぼくには忘れられない映像があります。小学生の頃、やはり再現フィルムというやつで見たのですが、それはある建物です。いや、何ということはない単なる小屋のようなところなのですが……そこに足を踏み入れると、逃げられなくなるというのです。何度その小屋を脱出しても、いつの間にか戻ってきてしまう草むらの中の一軒の小屋……。無気味な小屋のイメージが妙に怖いのですよね。第四夜の最終章「山の牧場」を読んで、ぼくはそのときの気分を生々しく思い出しましたよ。幽霊も怪物も怪奇現象も描かれないのに妙にヤバい感じのするこの話、、ホラーの大家
菊池秀行氏が解説で「読むな」とまでおっしゃっておりますが、あなたはどう思われました?
『リプレイ』/ケン・グリムウッド/杉山高之訳/新潮文庫 【bk1】
人生を何度もやり直すなんてとんでもないぞ、というのが個人的な思い。たとえ記憶を保持したままでのやり直しだとしても、意識してやらないことには、何ともままならぬ状況に追い込まれるのは必至。だって常に、前はこうだったのに今度はどうしてこうなったんだろうという思いにつきまとわれるに違いないものね。リセットするとしたらどこからがいいだろうか、などと考えてみたけれど、これが決まらない。まあ、たいていの人はそうではないだろうかな。やり直すということは、そこから先築きあげてきたものも、すべて無くなってしまうということだものね。はたして、今の人生のすべてと引き換えにしても取り戻したい何かがあるかどうか、というところが焦点なんだろうね。
この人生リセットテーマのSFで最初に読んだのは、さて何だったろうか?短編だとマッキントッシュの「第十時ラウンド」あたり。これの主人公は失った恋人を取り戻すために人生を十度もやり直すのだった。自然、このやり直しテーマは、多元宇宙ものになっていくのだよな。平井和正の「次元を駆ける恋」もそうか。梶尾真治の『クロノス・ジョウンターの伝説』とか。コミックスなら藤子・F・不二雄の「分岐点」とか「あのバカは荒野をめざす」とか。失った恋人や子供を取り戻すために時を遡る話が多いよね。
この『リプレイ』の主人公は、そういう状況に、望んでもいないのに投げ込まれる。それも何度も何度も。この何度も何度もというところが、この物語の独特の味になっているのだな。たいていこのテーマのSFだと、やり直しても成功しないからもう一度という意味においての何度もなんだけど、この物語は違う。成功しようが失敗しようが、それまでの努力はすべて水泡に帰してしまうのだ。なんて理不尽な……。その理不尽なやり直しの中で人生の意味を考え、何かを見出していくのだが・・・・・・。この物語を原案に『リプレイJ』(今泉伸二)【bk1】というコミックスが今「Bunch」という雑誌に連載されているけれど、これは原作とちがって、今のところやり直し直球勝負中。まあ、コミックスはコミックスでいい話なんで毎週楽しみに読んでいるんだが、原作のこの何ともいえない暗さは、やっぱり捨てがたいものがあると思うぞ。
『八月の博物館』/瀬名秀明/角川文庫 【bk1】
ふたつ断っておかねばなるまい。まず、ぼくは氏の出世作である『パラサイト・イブ』も『BRAIN
VALLEY』も現時点では未読であるということ。そしてもうひとつは、このページの読者であるならばよくご存知のことであるが、ぼくも少々<書く>人間であるということである。前者についていえば、もし氏の代表的とされる作風とこの物語の間に何らかの隔たりがあるのだとしても、感知しえないということである。後者について言えば、この物語が<物語を書くこと>あるいは<物語を読むこと>をテーマにしている以上、虚心ではいられないということだ。
さて、その上であえて言おう。すばらしい。どうすばらしいというのか?ぼくはこのHPを本来は物語を書くためにはじめたのだが思うにまかせず、掌編を書くことも1997年以降中断してしまっていた。その怠け者に、今さらながらに新作を書く気力を与えてしまったほどである。
物語を綴ることに意味を見出そうとする作家、エジプトにすべてをささげた19世紀の考古学者、そして小学校最後の夏休みをすごす少年。彼らが出会う時間と場所は<八月>、そして<博物館>。これはどちらも特別な時空間を示すキーワードなのだ。この物語は瀬名版の『夏への扉』と言ってよいだろう。あの夏、と言えばだれかが「そうだ、あの夏だね」と頷いてくれるだろうか?たぶん人それぞれに夏の思い出があるのあるのだろうし、その色合いによって返ってくる答えは違うだろう。ぼくのそれは主人公の少年トオルとは違って小学校六年生ではない。もう1〜2年は後のことになる。でも、<博物館>に関する特別な経験を除けば、それは何とよく似ていることだろう。長い休みのうち何日かだけ開いていた図書室で回っていた扇風機、投稿するために初めて万年筆で書いた原稿用紙、ワープロなんてまだない時代に学校のガリ版で作った同人誌、原稿用紙を綴じただけのこの世に一冊しかない雑誌。たぶん、物語を綴る者であれば、年齢の前後はあっても皆トオルと同じような経験があるのではないかと思う。啓太の顔をいっしょに同人誌を作った誰かに置き換えれば、そして鷲巣の顔をその特別な夏に作った特別な本を読んでくれた女の子に置き換えてみれば。あの頃の夏、ぼくたちはトオルと同じように<博物館>の幻影を追ってはいなかったか?具体的なガイド役としての美宇こそいなかったが、それでも何か大いなるものに導かれるように、ぼくらは何かを追っていたはずである。
読了してから書くことはやはりすばらしいことだなどと、あらためて当たり前のことを痛感してしまった。物語とは何か、というそれがわからないから書くしかないのである。プロ作家でさえこんなに呻吟しているのである(作中の登場人物である作家には、作者自身が色濃く投影されていることは論を待たないであろう)。ぼくのごときアマチュアが何の労苦もなく物語を書けるはずもないのだ。だから、あの夏を取り戻すために、あるいはあの夏にふたたび追いつくために、(時間がかかろうと)ぼくは何かを書き続けれるにちがいない。