
『新耳袋』/木原浩勝+中山市朗/角川文庫/第五夜 【bk1】/第六夜 【bk1】
実話は苦手だ、と第一夜〜第四夜の感想にも書きました。ひとつかふたつそういう話を聞いただけでも背筋が寒いような気分に陥るというのに、こう話数を集められては、どうにもなりません。しかも、見知った関西の地名が数多く出てくるというところがみそです。特別な場所でないはずのあちこちを通るたびに、ああここがあの話の舞台になったあたりだ、などと考えていては身が持たないではありませんか。最近、会社が大阪市内に移転してからなおのことそう思います。
それなら、一冊でやめておけばよかったんじゃないの?と言われるでしょうが、それがそうもいきません。逆に、ここには何もないのだろうな、というふうに思考パターンが最近は変わってきたからなのです。あらかじめ仕入れておける情報であるなら、仕入れておきたい。そういう気分です。でも、単行本だともしかすると情報が新しすぎるのではないかという妙に屈折した気分も半ばですね・・・・・・。どうしたものでしょう?もともとホラーだの怪談だのは大好きで山のように読んでいるわけで、たいていのものには耐性があるはずなのですよ。実話は苦手と言いつつ、最近では再現フィルムなんかも大丈夫だったのですが、どうしてこのシリーズのみが心に引っかかるのでしょうか……。
『甘露梅 お針子おとせ吉原春秋』/宇江佐真理/光文社文庫 【bk1】
岡っ引の亭主に先立たれたおとせは、息子が嫁を迎えることになったため、家を出て吉原で住込みのお針子になるが……。連作短編集。
●「仲ノ町・夜桜」 <三十六のおとせは、どう見ても遊女には見えない>とある。時代の隔たりを感じるな。昔は、人生はもっと短かったのだ。その短さを念頭に、吉原のわりなさを噛み締める佳品。
●「甘露梅」 表題作。<四角卵、晦日の月>などと言われても、若年の読者にはもしかするとピンとこないのかも……。真実の気持ちをほんの少しだけ伝えるに甘露梅。
●「夏しぐれ」 <当たり前に物を考える>おとせはやはりここでは部外者であろう。浮舟の言葉が真実そうであるとはぼくには思えない。その、思えない部分を汲み取れないからこその<当たり前>でもあるのか?
●「後の月」 亭主がもと岡っ引という設定がいちばん生きているのがこの編ではあるが、でもあと味が悪い。最後のサプライズにも、なんだかいやな気持ちになったのは、ぼくが現代人だからだろうか?
●「くくり猿」 くくり猿とは客を引き留めるために布団につけるまじないだそうである。まじないは効いたのだと信じたい。そうでなければ、やりきれないではないか。
●「仮宅・雪景色」 <だって、寒かったんですもの> そうだな、なんだか読み進むごとに寒くなった。<当たり前>であるというのは難しいことだ。吉原では、おとせ以外が普通なのである。それが世間一般。<当たり前>なおとせは異常なのだ。寒さを理由にそうするだけのことはあると思う。
『Q&A』/恩田陸/文庫 【bk1】
じつに無気味な話です。こういう話を書くから恩田陸を読むのはやめられない。
大型のショッピングセンターで事故が発生し、居合わせた人々は暴徒と化す。死者69名、負傷者119名、そしてその原因は特定できていない。
最初のほうは原因を探ろうとする何者かが、現場に居合わせた人々にインタビューをするというQ&A形式で進められます。しかし、それらの問いを発する者、そして答える者が移り変わっていくうちに、物語は更なる混迷の度合いを深めていくのです。芥川の「藪の中」ですね。同じ事件のはずなのに、見る者そして方向が変化することによって、まったく別の様相を呈してくる。と、ここまで書いて思ったのですが、ということはTVで流れるニュースなどは、こういう記者たちのQ&Aによるバイアスがかかったあとに我々の目にふれるわけで、どこかの誰かにとって都合の悪い情報が例え切り捨てられていたとしても、わからないということにもなりますね。怖い怖い。最後のあたりの血に塗れたぬいぐるみを引いて歩いていた少女のエピソードが、何よりもそれを強く感じさせます。
そして、この最後の部分がオカルトになっているということで結末の賛否が分かれるのではないかと思うのですが、どうでしょう?ぼくの解釈はこうです。ただでさえ混迷し確たる要因も判らぬ事態にさえ、いや、そういう事態だからこそ、人間というものは自ら<意味>を付与せずにはいられない生き物である。例えそれがどんなにオカルティックで周囲から不自然に見えようが、その人たちにとってはそれが真実なのでしょう。そういう<真実>なしには人間はきっと生きていけない。
確たる原因もなく事件は起こるものであるし、その結果は多くの人々の人生を狂わせるのでしょう。狂い方にもあらゆる種類があって然りなのです。それはとても不幸な巡り合わせですが……。この物語を読み終えた時、インタビュアー恩田陸の携えたマイクが、音もなくこちらを向くような気がしませんか?<それでは、これからあなたに幾つかの質問をします>と。
『グイン・サーガ95ドールの子』/栗本薫/ハヤカワ文庫 【bk1】
この編を読んでいて思うのは、やはり言葉を通じ合わせるというのは難しいことであるな、ということだ。マリウスの詩人の言葉はサイロンの宮廷には虚しく響くだけだし、イシュトヴァーンの思いの熱さは国家という決め事の中ではいびつに感じずにはいられない。両者とも、自分の持つ言葉が最上のものであると信じているのかな?詩という大義を掲げるのも、国家を成すという大義を掲げるのも、しょせんは同じようなものなのかもしれない。それのみに邁進していると、周囲が見えなくなるということにおいてはね。ただ、彼らの言うことがすべて誤りというわけでもなかろう。あんなにも彼らに人々が魅きつけられてやまないのは、そこにふつうは到達しえない真実があるということかもしれない。とはいえ、彼らの言うこと為すことを遠巻きにしてながめているくらいが、ふつうの人間には幸せなのかもしれない、とも思う。同じ言葉をしゃべっていながら、そこには決して通じ合うことのできない隔たりがあるのだから。
『堕ちていく僕たち』/森博嗣/集英社文庫 【bk1】
なんですかこりゃあ(笑)。帯にはファンタスティック・ミステリィとあるけれど、激しく間違っているような気がする。インスタントラーメンを食べたら性転換ってあなた、これはスラップスティックでしょ?少なくとも、新本格とは何の接点もないと思うぞ。S&Mシリーズのファンなんかが次に読むのに選ぶ作品としては、あんまりお薦めできない。何というか、森氏のこれまでの非シリーズ短編にあった言葉遊び的な傾向を持つものをシリーズ化するとこんなふうになるんだよ、ってな見本なのだろうね。連作短編だけど、個々にコメントするのはぼくには不可能ですな。
この本を読んでばか笑いのできる人間はきっと言語感覚に特に優れているのかも。対して、性転換するには、ちょっとお互いに気になるふたりが神社の階段から転げ落ちないとダメなんだよ、とか理屈をこねる思考を持った人にはあんまり楽しめないのかもしれない。ぼくはといえばあれだな。中途半端なファンだからして、ハードカバーで買わなくてよかった、とか思ってます。ハードカバーで肩肘はって読む本じゃない。文庫か新書で気軽にいきたいですねえ、こういうのは。