速達
relay 1999.04.25-1999.07.25
学生時代は人生の夏休みだそうだ。
誰が言っていた言葉だか忘れてしまったけれど。
このあいだ、大学の図書館前のベンチでやっとその長い休暇に入った気分を満喫しながら本を読んでいたら、たまたま通りかかった由美子が同じようなことを言っていたから、きっと使い古された表現なのかもしれない。
由美子は同じ高校からうちの大学に進学した中では、ずばぬけて頭がいい。はっきり言えば、どうしてここに来たのかわたしには納得がいかないところなのだ。きっと由美子は由美子でこの「夏休み」に対する特別な考えがあるのだろう。頭のいい人っていうのはそういうものなのかもしれない。
とにかく、まだ4月すらおわってはいないのだ。新入生気分もゴールデンウイークが明ける頃にはなくなっているのだろうか?考えてみれば、どの講義も数回出席しただけで休みになってしまうのだから、間の抜けた話ではある。まあ、連休といわれても、高校生だった頃のように浮き立つような気分がないのは不思議なところだ。毎日が休暇のようなものだから、休暇というものに不感症になっているのかもしれない。
秋にはみごとに葉が色づくという図書館からずっと南にのびた銀杏並木を自転車で抜けて、ひとつめの信号を右に曲がって5分ほどいくとわたしのアパートである。ひとり暮らしというのもはじめての経験だけれど、今のところは何というほどのこともない。
講義はたいてい3限までで、午後4時前には大学をあとにする。アルバイトとかは5月になってからさがすつもりなので、今のところサークルのない日はそれ以降ひまにしているわけだ。
そんなわけで今日も同じような時間に部屋にもどってきた。アパートの下の駐輪場に自転車を停めて、自分の部屋のある2階にかけのぼる。夕陽というにはまだ昼の匂いをかなり残した光に、何か白いものがきらめいた。ドアの新聞受けにはさまっているのだ。
抜きとってみると、まず「速達」という赤いスタンプが目についた。そしてその下にわたしの名前が「鹿島みどり様」と毛筆で書いてある。達筆だ。けれどおぼえのない文字。
裏を返して差出人を確認する。
(1999/04/25 22:46 by 書庫の彷徨人)
裏返して差出人を見たとたん、あたしはもう一度ひっくり返して、表書きを見直した。
なぜって、裏にもあたしの名前が書いてあったからだ。
だけど、あたしにはこんなものを出した記憶はない。
第一、中学のお習字の時間以来、毛筆ともご無沙汰だ。
いたずらだろうか?
だけど、こんな達筆な筆遣いは、いたずらともほど遠い雰囲気だった。
ともかく封を開けて中を見ることにした。
中には、上品そうな便箋が一枚。
折り目正しくたたまれた便箋を開き、文章を読んだ。
「鹿島みどり様
同窓会のお知らせ
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
突然ではございますが、この度、鹿島みどりの同窓会を執り行うこととなりました。皆さまお忙しいこととは存じますが、何とぞご参加いただきますよう、謹んでご連絡申し上げます。
日時:次の土曜日
場所:午後7時、最寄り駅にお越し下さい。わたくしがお迎えに上がります。
現在のご自身が写った写真を一枚、お持ち下さい。
鹿島みどり」
あたしはポカンと口を開けて便箋を眺めやった。何のことやらさっぱり分からない。
同窓会といって…何の? 個人名を冠した同窓会って、何?
同姓同名の集まり。まさか!
いや、たまたま幹事があたしと同姓同名なだけで……だったら、何の集まりなのよ!
これってミステリーのつもり? それとも三流SF? こんな変テコな展開にして、あとが続かなくなったらどうするのかしらん? ま、作者が心配することであって、あたしは構わないけど。
これがまったく心当たりのない差出人だったら無視したかも知れないけど、どうしても引っかかったあたしは、とにかく土曜日に最寄り駅に行ってみることにした。
だいたい駅名も書かずに「最寄り駅」なんてのも変だけど、あたしのアパートから最寄り駅というのは一つしかない。
7時数分前に、自転車で駅の駐輪場に滑り込む。目的地も分からないので、とりあえず改札口で待つことにした。改札越しにホームを見渡す。
電車が行った後なので、ホームに人影はまばらだった。
ふと、まっすぐこちらに向かって歩いてくる見知らぬ女性と目があった。
(1999/04/27 00:28 by Lepi)
高いヒールに赤いスーツ、そして肩より少し上で揃えた真っ直ぐの黒い髪。いかにもキャリア風の、そう美人と言える女性だった。
これが定番のホラーなら、未来の私と言ったところか。
ならば、結構楽しそうな人生では無いか。奇妙に愉快な気分で、私はその女性を見つめた。勿論、暇に飽かせた想像だ。せいぜい、道を聞かれるだけだろう。結局の処、あれは悪戯だったのだ。
私は、正面で立ち止まり、にこりと笑いかけてきた彼女の言葉を待った。
「鹿島みどりさんですか?」
彼女は言った。
(1999/05/04 02:57 by sakuya)
…えと。その。…何秒間か、わたしが口ごもっていたのは、彼女が【カシマミドリ】と言ったから。だって、わたしは【カジマミドリ】。
「…あの。…あなたがお手紙をくださったカシマさん、なんですか?」
…んふふふ。と声が聞こえてきそうな、やけに印象的な笑顔を見せられた。なにか、そのへんにテレビカメラが構えてたらもうVサインを出したくってたまらない、ってゆう感じの。アゴをちょっと上向けて、にまっ、と曲がっていった彼女の口は、最初の印象よりもずいぶん大きかったみたい。だけど、お茶目な美人、ちょっと好きかも。
「ん〜、まあ私もオトトシまでは《鹿島みどり》やってたんだけどね〜。…い・ま・は、《川崎あかね》っていいます。よろしくね」。
と、ソフトボールの投球をスローモーションでやってるみたいに右手を差し出してきた彼女の表情から、わたしは、明らかに、『あらあら私もまだそんな風に見えるのね』という気分を感じとれたと思う。その気分は、プラスの感情がぜんぶじゃないってゆうところまでは何とかいちおう分かる。普段はそんなに、ひとの気持ちを気にしてる方じゃないんだけどなー、わたしは。
(1999/05/11 09:27 by
わるもの堂主人)
…握手に応えようとして、ちょっと息をついて肩の力を抜きかけたとたんに後ろから両肩を「ぐっ」とつかまれて。なんかラジオ体操のアレみたいな感じで、わたしの上体が後ろ側に遠慮なく「ぐいぐい」反らされていく。左側の首筋には柔らかいけど無駄な肉のついてない細身のアゴが乗りかかり、特に高級そうじゃないシャンプーの香りが(フローラル)。どこから出てるのかわからないみたいな声が耳元で、
「 …じまみ〜。…じまみー・じまみーじまみぃ〜!!」
思わず両腕をぐりぐり振り回しながら、わたしは「(きい〜っっ!)」と腹筋に力を入れ、そっと、ささやいた。(つもり。自分としては。)
「…ゆみこー!! 恥ずかしいのよアンタは〜!! 何なのよアンタは〜!! 何やってんのよアンタは〜!! 誰が『じまみ〜』よアンタあぁ〜!! 小学生? …アンタは〜っっ!!」
…由美子がここにいたのは『ほんの偶然』だとしても、公共の場で公衆の面前でなかんずく(たぶん)知らないひとの目の前で、どうしてこんな行動をとれるのか、はっきり言えば、わたしには納得がいかないところがあるのだ。きっと由美子は由美子でこの「おふざけ」に対する何か特別な考えがあるのだろう。あるいは、本当に何も考えてないのかもしれない。 …頭のいい人っていうのはそういうものなのかもしれない。その中にあっても、少し特殊なのかもしれない。この、《岡田由美子》という女子大生は。
(1999/06/09 14:16 by
わるもの堂主人)
肩で息をしながら、由美子を睨み付ける。しかし、どうも様子がおかしい。
するとそこへ、川崎あかねと名乗った女性が近付いてきた。
「あらあら、駄目じゃない。あなたが《鹿島みどり》をやるのは来年なんだから」
………はあ?
「それに発音もおかしいわね。《じまみ》って……それを言うなら《しまみ》じゃない。それとも、あなたのあだ名?」
いきなり振られて、あたしはプルプルと首を横に振った。
「ま、いいか。本当は今年はまだなんだけど、あなたも来なさいな」
そう言って川崎あかねは由美子の手を引いた。
「さあ、行きましょう、《かしまみどり》さん」
「ちょっと待って!」
あたしはやっと、さっき感じた疑問を思い出した。
「あの……あたし、《かしま》じゃなくて《かじま》なんです!」
川崎あかねはきょとんとあたしを見た。
そう、これは人違いなんだ! あたしがこんな訳の分からんことに巻き込まれる理由なんて無いもん!
彼女はしばし考える仕草をし、
「う〜ん、そうか。あなたの代でも、もう発音が変わっちゃってるのね。そうね、先代ならなんとかしてくれるわ。
写真は持ってきてるわね? じゃ、いいわ。行きましょ」
(1999/06/09 22:43 by Lepi)
と、つぶやきながら彼女はジャケットの内ポケット(左胸部分の裏側あたり)から直径6センチほどのペロペロキャンディと、マヨネーズのチューブ(推定内容量30グラム程度)を取り出し、キャンディに「にゅっ」とひとすじマヨネーズを塗りつけると、棒(キャンディから露出している部分の長さは12センチほど)のはしっこを右手の親指と人指し指でつまみ、あと3本の指を斜めにハネ上げて由美子の顔に近づけた。
「はい、あ〜〜〜ん」
「かぷっ」と声を立てる由美子の口中に、瞬時にキャンディは姿を隠した。長さ10センチほどに見えるようになった棒を除いては。これから5分間あまり、由美子が人語を発することはないだろう。 …由美子は、30秒に1回程度「んみゅんみゅ」といった音を立てながら、どこか遠い世界に −あるいは、流れ出す糖分、または油分へと− 心をさまよわせていくのだ。
高校時代の3年間に、ペロペロキャンディに魂を奪われている由美子の姿を、わたしは少なくとも27回、目撃している。それでも『マヨネーズ塗りつけ』の現場を目にしたことは3回しかないし、最初の目撃例は、わたしのトラウマのひとつになっていると言ってもいい。
「車が待たせてあるからね」、と涼しい顔で言う川崎あかねに、私は問いかける。
「 …あの、こうゆうの…、いつも持ち歩いてらっしゃる、んですか…? その、どう見ても『対由美子』用品にちがいない、ってゆう感じがするんですけど、あの… 」
川崎あかねは唇の左端を少し上向け、
「ん〜。マヨネーズは私がごはん食べるときにも使ってるのよ、納豆ごはんにちょっとかけると美味しくなるからね。 …ま、それはそれとして〜。 何かの役に立ちそうなものはいろいろ持ち歩くようにはしてるの。私の《芸》の都合上ね」
………《芸》。
「 そ。 その。 それって … もしかして… 」
「 『書留』よ。《川崎あかね》の《芸風》は。 …ま、他の《芸人》の『バックアップ』、ってゆうトコね。さらっと言っちゃうと」
(1999/06/14 11:44 by
わるもの堂主人)
書留!
何だ、そういうことだったの。それならそうと、最初から言ってくれればいいのに。無駄に頭悩ましちゃったわ、もう。ホント、その言葉聞いただけで、私、冬眠明けのウミイグアナのように、頭すっきりよ。
さあ、書留ね。書留、書留♪ かっき・とめ♪ 私は腰に手を当てて、スキップしながら、道路で踊る。さあ、気分が乗ってきたわ。書留ってこうよね。私は傍に生えていた街路樹に抱きつき、するすると幹を駆け登り、てっぺんに達した。足場は良好。さあ、準備は出来たわ。今から、書留するわよ。私はその前に、川崎あかねを見やって、にっこり笑った。
すると彼女は、私を呆れ顔で見て、大声で叫んだ。
…バカね、それって、90年代の書留よ。
(1999/06/14 21:46 by
熊本の妖怪)
「90年代の書留・・・」
あたしは、川崎あかねの顔を見つめたままで絶句していた。
ええと、そう言われるということは、もしかして今は90年代ではないのだろうか?
呆然としたままのあたしに嘆息するかのようにあかねが言った。
「もしかして、あなた今が何年かっていうことまで忘れてしまったの?歴代の<鹿島みどり>のなかでも、これほどひどい例は聞いたこともないわね。やっぱり先代にリカバリーを頼むしかないようね」
あたしが、わけがわからないまま立ち尽くしていると、それまで黙っていた由美子がその場でピョンピョンと飛び跳ねながら、喜びを隠し切れないような声で言った。
「わあい、交代、交代、交代よ。今度はあたしが<じまみー>の番だよう」
するとすかさずあかねが
「だめよ、あなたにはまだ<その時>が到来していない。今はまだ<現役のみどり>である彼女自身の<芸>が必要なのよ。そのために先代が<速達>というめったに見せないあの方の<芸>を使ってまで、みどりを呼び出したのだから。それに・・・」
あかねは、ふっと微笑を浮かべながら続けた。
「あなたの<芸>は<口座振替>じゃないの。それではこの緊迫した状況には対応できないわ。あなたの<芸風>は平時において有効なものなのよ、わかるでしょう?」
と言われても、あかねの話は、はっきり言ってあたしにはほとんど理解できなかったけれど、どうやら今が何らかの緊急事態であることだけはおぼろげにわかった。
「あたしの・・・あたしの<芸>?」
おうむがえしのようにつぶやくあたしの背中をあかねはポンとたたいた。
「とにかく事情は先代にまとめて話してもらうほうが整理されてよいと思うわ。さあ、列車が来たから行きましょう」
あかねの言うように、列車があたしたち三人のいる駅に入って来ようとしていた。いやに旧式の列車だ。改札越しにホームを見ると駅名が書かれた札が見える。「明日−最寄り駅−昨日」という妙な表示だが、あたしは何となく納得する気になっていた。
あかねが、由美子とあたしに定期を1枚ずつ手渡した。そこには、「無期限定期 鹿島みどり28号様」とだけ書いてあった。思わずあたしはあかねの顔を見つめ返した
(1999/06/14 23:21 by
書庫の彷徨人)
「ねーねー、車って言ってなかった?」横から由美子が無邪気な声で言った。
「ああ、車ね。大丈夫よ、終着駅から乗れるように<書留>で終点に送っといたから。私の<芸>でね」そう言うと川崎あかねは、あたし達を改札へとせかした。
奇妙な定期券を自動改札機へ通す。改札機はすんなりと開いた。
「さ、ここ。3号車よ」
促されるままに乗り込むと、車両の中ほどに一人の女性が座っていた。その姿を見たとたん、あたしは驚きの余り硬直した。だって……
「せ…先輩!? 小島先輩!」
「はろ〜!」高校時代の一年先輩だった小島加奈子が、手をひらひらさせ、眼鏡の奥から笑いかけた。しかし……しかし先輩は、半年前に交通事故で………
「せ、先輩……生きて……」
「そりゃ私だって生きてるわよ、過去ではね」
「過去!?」
「そ、私、始発から乗ってきたから」
「始発って……」
その時、車内放送が流れると共に、列車はがくんと動き出した。あかねは黙って席に座り、由美子は誰が渡したのか、2本目のキャンディに没頭している。
『本日もご乗車頂き、有り難うございます。この列車は《過去》発《未来》行き臨時特急《くろの28号》、次は終点《未来》まで止まりません……』
「あのう……先輩はどこへ?」
「あらあら、私だって呼ばれたのよ、同窓会へ。私だって27代目なんだから」
(1999/06/15 21:03 by Lepi)
…何か言わなきゃ、と思っても、舌が痺れたように動かない。別に、動けばどうにかなるってゆうわけでもないけど。
窓際に頬づえをついて外を ―たぶん、窓に映る車内の様子も― 見ていたあかねが、視線は動かさないまま口を開く。
「ねえ先代? 《ゆかりさん》見てないわよね?」
どうやら『先代』と呼ばれていたのは小島先輩だったらしい、と、わたしが考え終わる前に、彼女が、
「ええ。たぶん乗ってらっしゃらないと思います、先代。恐縮ですけど私のことは『加奈ポン』と呼んでいただければ。 …自分でも話がややこしくて困るな、と思ってますので」
由美子がキャンディをほおばったまま
「『かにゃぽん』。」
と復唱し、この呼び名は、わたしを除く3名の間での了解事項となった。
「…ま、ゆかりさんが時間を守らないのは予想通りとして、彼女の《特別送達》が抜けちゃう、となると戦力的にヤバ過ぎなのよ。 『来る』とは思うけどね、あのひとのことだから」
と言いながらあかねは立ちあがり、
「私、ちょっと、三浦先生とかにあいさつしてくるわ」
と小島先輩に、右手を2回『閉じたり開いたり』して見せ、
「写真をお願い。あなたの出番よ」
と言うなり、左手でわたしのあたまのてっぺんをなで、あの、『…んふふふ。』という笑顔を残して、歩いていった。
小島先輩はいかにも笑いがこらえきれないという感じで、『くすくす』という声が聞こえそうな表情を見せ、
「…ええ。高木先生にも」
と、オーバーに腹を抱えるしぐさをして見せた。
あかねは振りかえらず、黙って肩越しにVサインを出していた。 …小島先輩は何秒間かあかねを目で見送り、わたしの方に向き直ると、力強く言った。
「…じゃ、写真をお願いね。 …は〜い! ただいまより、《小島加奈子》の芸、《内容証明》を、お目にかけま〜〜っす。 …にひひひ。」
由美子がキャンディをほおばったまま
「よっ。『かにゃぽん』。」
と声を出し、わたしは、『(…ああ、ここにあかねさんがいたら、きっとポケットからクラッカーを出してるところね…)』と、考えていた。
(1999/06/18 12:05 by
わるもの堂主人)
あたしの写真を受け取った小島先輩は、バッグから一冊の本とB5版ぐらいの紙数枚を取り出し、写真を横に何やら熱心に書き込み始めた。
「あのう……先輩、何やって……」
「だから私の芸は《内容証明》だってば。まあ、歴代の中でもいちばん地味なんだけど。あなたと違ってね」
「な、なんの《内容証明》なんですか?」
「ふふ……まあ、先代に頼まれたことだから、先代に説明して頂くのがいいわ。さてと、由美子さん、あなたのは?」
「はい、かにゃぽん」棒をくわえたまま、由美子が写真らしきものを差し出した。
「え……? かなぽ……?」
きょとんとする小島先輩を見て、あたしと由美子は顔を見合わせた。
「かにゃぽん。そう呼んでって」由美子がもぐもぐしながら言う。
「あたしが? そう言った? ふーん………やっぱりピランデルロ現象だわ」
「ピラ……?」首をひねるあたしに、小島先輩は手元の本を差し出した。『西欧近代戯曲集・イタリア編』という題が付いている。
「ピランデルロ。19世紀末から20世紀初頭のイタリア人作家。ノーベル文学賞も取ってるわ」
「く、詳しいんですね……」
「私は文学部志望だったから」先輩のその言葉に、笑いかけたあたしは黙りこくった。ばつの悪さから逃げるように、その本に目を落とす。しおりが挟まれているページを開いてみる。
タイトルは『作者を探す六人の登場人物』、作者はルイジ・ピランデルロ……。
「加奈子さん!」三人が黙りこくったところへ、あかねの声がした。車両の連結部に立って、手招きをしている。小島先輩は書類をバッグに戻すと、立ち上がってあかねの元に歩み寄っていった。
(1999/06/19 20:34 by Lepi)
…『おろおろしている』。それが、今のあかねさんの様子にぴったりの言葉だと感じた。『お母さんにしかられて、今にも泣き出しそうな小学生』。彼女は、そんな表情を浮かべている。ドアの陰に隠れるようにしながら身体を傾け、少しうつむいた彼女は軽く握った両手を、そっと口元に寄せていく。わたしには車内の静けさが異様なほどに感じられ、彼女の50センチほど手前に立った小島先輩にささやかける『あかねさんの声』を、はっきりと聴きとることが、できた。
「 ……『来てる』の、《奥さん》が…。」
…ほんの一瞬、小島先輩の顔面を、『( …そりゃ〜、来るでしょう…。)』という感じの『動き』が通り過ぎ、(座席に預けている体重を、脚の方にだいぶ移動させつつも)席についたままふたりの様子をうかがっているわたしの背後で、『 ちゅぽん。』と、由美子が口からキャンディを引き抜く音が聞こえた。『( …いま、由美子は、子供じみた意地悪な微笑を浮かべている)。』 …そうだとしか、思えない。
「 …《ちーちゃん》さん、にがてだもんね。あかねさん。 …ひひひ」
…由美子の声は、ものすごく、かわいい。
(1999/06/24 10:29 by
わるもの堂主人)
「じゃあ、私と一緒に乗ってきてたんですねえ、気がつきませんでした」
あかねさんは、小島先輩の言葉にぎょっとしたようだった。
「気がつかなくていいわよ、向こうまで一緒に行きましょうなんてことになったら困るじゃない」
小声でしゃべっているつもりらしいけれど、もともと声の通るひとだし、興奮で知らず知らずのうちに大きくなってしまっていて、あたしのダンボの耳には全部筒抜けだった。由美子も、隣でキャンディを振って調子をとりながら『ろーりぽっぷ、ろーりぽっぷ♪』と歌って外を眺めているふりをしているけれど、ほんとは、しっかり聞いていたに違いない。
「……でも『同窓会』なんですから、いづれ会うに決まってるじゃないですか」
「なるべく会いたくないのよー。だから現役の【鹿島みどり】を連れて早めに行く役目を引き受けたのに」
「でも『同窓会』の前にリカバリーをするとしたら、やっぱり《奥さん》も必要ですからね、早めに来るでしょうね」
「そんなあ……」
あかねさんは、会って以来一番情けない顔をして、情けない声で呟いた。このひとでもこんなことあるんだと、なんとなく感心して見ていると、小島先輩があたしの視線に気がついてにっこりした。
「とりあえず、私もご挨拶に行きますよ」
そして、あたしたちに、ちょっと行ってくるわね、と言うと、小島先輩はあかねさんを引っ張って行ってしまった。
……イマイチ何が起こっているのか掴めない。
たぶん、話の中心はあたしなんだろうと思う。でも、全然心当たりがないんだなあ。このままあかねさんたちについて行って、《先代》に会えば分かるんだろうか。
……もしかして、そこまで行かなくてもいいのかも。
あたしは、いいことを思いついて、由美子に提案してみた。
「ね、ちょっと列車の中、探検してみない?」
(1999/06/24 15:15 by じゅり)
由美子が嬉しそうに立ち上がるので、あたしは勇んで車両の後部へ歩き始めた。由美子がすぐ後ろにいるのを確認して、後部車両に通じる扉をがらっと開ける。
……………
「な、何よ、これ!!」
扉の向こうに車両はなかった。ただ空漠たる青空……。
由美子が顔を突き出すと、一陣の風が髪をなびかせていった。右も左も、いや、下にも何もない。ただどこまでも、透き通るような青空が広がっている。
驚きのあまり、あたしは激しく扉を閉じた。
「……この列車、《過去》発《未来》行きだって言ってたわよね」由美子が落ち着いた声で言うので、あたしはおや、と顔を見た。「文字通りの列車とは意味が違うんだわ。私たちの乗った車両は《現在》から乗った私たちのための《演出》であって、他の部分には他のかたちがあるのよ」
こうして立っていると、この列車は確かにガタンゴトンと走っているのが感じられる。窓の外にも、平凡な郊外の景色が広がっている。
あたしはもう一度、ゆっくりと扉を開けた。
………こちら側と同じ、平凡な車両があった。ただし、誰も乗っていない。
「あるいは……」と由美子が、「私たちが後部車両に行くなんてシナリオはなかった。だから、後部車両という《舞台》が、すぐには間に合わなかったのかしら」
目の前の異常現象も不思議だが、あたしには由美子が突然落ち着き払った様子になったことも不思議だった。
「どうしたの、由美子、急に落ち着いちゃって……」
「さあ? やっぱり《ぴらでんろる》現象かしら」
「………ピランデルロ」さっき小島先輩から手渡された本を盗み見して、突っ込みを入れる。……まてよ、由美子は先輩が言った《ピランデルロ》現象というものについて、何か知ってるのだろうか?
そこであたしは、はっと振り返った。その小島先輩が行った前方向の車両はどうなっているのか!? あたしは車両の反対側へ行くと、扉の前に立った。が、話し声が聞こえたような気がして、手を止めた。
振り返ると、由美子の姿がない。元の座席に座って壁を叩き、『はーりぼぉてぇはーりぼて〜』と歌ってる。………誰も知らないって、そんな古いアニメ。それからまた『ろーりぽっぷ、ろーりぽっぷ♪』と歌い出した。由美子の性格がまた変わってる。これが《ぴらんでろる》現象なんだろうか? いや、《ぴらでろるん》だっけ?
などと考えていると、前部車両に通じる扉ががらりと開いた。
(1999/06/25 21:33 by Lepi)
「なにやってんの?」
あたしはあかねさんの顔を間近に見上げる形になってしまい、慌てふためいてしまった。
「席に着きなさいな。もうすぐ到着だから」
あかねさんの後から小島先輩も続き、しごく落ち着いた様子で席に座る。
気が付くと、確かに列車は減速していた。
『本日もご乗車いただき、有り難うございました。間もなく終点《未来》に到着いたします。この列車はこちらまでです。またのご利用をお待ち申し上げております……』
「さてと」あかねさんは由美子とあたしを交互に見た。「列車を降りたら、小島さんと私はちょっと別の《同窓会》に顔を出してくるわ。今も挨拶してきたけど、この《未来》での《先生》方や《奥さん》たちの《同窓会》なのよ」
「あたしが呼ばれたのは違うんですか」
「そうよ。あなたは《鹿島みどり》の《同窓会》に呼ばれたんだから。先代がお急ぎなのでね、由美子さんと一緒に先に行ってちょうだい。私が送っといた車があるし、先代ご自身が駅にいらっしゃってるらしいわ。大丈夫、ここは時間があってないようなもんだから、私たちもすぐに合流するわよ」
列車が止まると、あかねさんはホーム端の小さな改札を示し、小島先輩と一緒に反対側の大きな改札口へと歩いていった。こんなに乗っていたのか、と思うほどの人々が改札へと流れていく。《未来》と大きく書かれた看板の下へ。
反対側の小さな改札へ向かうのは、あたしたちだけだった。心細いこと甚だしい。
改札口に一人の女性が立っているのが見えた。先代だろうか?
あたしたちが改札をくぐると、女性は気さくに頭を下げた。あたし達より、ほんの少しだけ年上だろうか。
「こんにちは。西崎ゆかりです」
「あ、あの……」質問しようとするあたしを、彼女は手を上げて制した。
「先代がお待ちなので、まずは車にどうぞ」
彼女が指し示したところに、一台の乗用車が止まっている。そして、そこにも一人の女性が立っていた。サングラスを外し、にっこり微笑む。年齢不詳の、妖艶と言っていいような美女。
どうやら………ついに「先代」と呼ばれる人に会えたらしい……。
(1999/07/03 22:39 by Lepi)
「お久しぶり……と言っても覚えてないわよね。由美子さんは初めまして、だわね。
改めてこんにちは。鹿島みどりです」
心のどこかで、予想してたのかも知れない。思ったほどのショックは感じなかった。むしろ、初めてではないという奇妙なデジャヴュを感じていた。
落ち着いた雰囲気の部屋で、あたしはもう一人の鹿島みどりと相対する形でテーブルに付いていた。
訊きたいことは山のようにあった。あまりに多すぎて口がその山に押し潰され、勧められた飲み物さえろくに喉を通らなかった。
「そうね、どこから説明すればいいかしら」もう一人の鹿島みどりは、あたしの顔をじっと見つめた。「あなたが不思議がるのも無理ないわ。《鹿島みどり》を演じている最中は、その本人は完全に役になりきってるものね。今のあなたのように。だけど、《鹿島みどり》役を終えたゆかりさんやあかねさん、加奈子さんなんかは、その時のことをちゃんと覚えてるのよ」
……もっと……もっと本質的なところが分からない。《鹿島みどり》を演じている……!?
「演じてるって……これはお芝居か何かなんですか? ここしばらくの出来事は、みんな……」
「あくまで比喩的な意味で、ね。勘違いしないでほしいのは、演じてると言っても、決してこれは虚構じゃないの。あなたは確かに現実の《鹿島みどり》なのよ」
「わかりやすく言えば……」ゆかりさんが口を挟んだ。「人生は一つの舞台だって言葉もあるわよね。その人生という舞台に、《鹿島みどり》という名で出演してるの。これは小島さんの受け売りだけど」
「文学少女の加奈子さんらしいわね」鹿島みどりは微笑んだ。「普通、その人生という舞台では、一生同じ役で通すわよね。ところがいつの頃からか、《鹿島みどり》という役は時々交代するようになったの」
「………そんなこと……何故そんなことに……!」
「さあ、それは『私たちがなぜ生きてるのか』と同じくらい難しい質問ね。人は誰でも、いつもの自分とは違う、もう一人の自分に憧れるわね。そんなとこが理由かもしれない」
「じゃああたしは、本当は《鹿島みどり》じゃないんですね!?」
「いいえ、今は他の誰でもない、本物の《鹿島みどり》よ。ただ、一生《鹿島みどり》ではない、というだけ」
「でも……」あたしは、もどかしく首を振った。「あなたが本物の《鹿島みどり》さんで、あたしは、つまり……」
「私の場合は実名で出演してたわけね。あるいは早い話、私がモデルなのかも知れない。歴代の《鹿島みどり》の原点、みたいな意味で、みんな私を先代と呼んでくれてるんだけど。
もっとも、私はこちら側……《未来》の住人になっちゃったから、あなたのような《現在》の《鹿島みどり》が代を重ねながら、いつかこの《未来》にいる私に追いつくときが来るかも知れない。私はそれを待ってるのよ。この私が《現在》にもう一度生きる時をね。
抽象的なことは別にしてね、一つの仮説があるわ。私たちが生きてるこの世界、皆の日常生活も含めたこの世の中全てが、本当は誰かが作り出した壮大な舞台の一部だ、という考え。さっきは『あくまで比喩的』と言ったけど、実は比喩じゃなくて、この世の中そのものが一つのお芝居なのかもしれない」
この世は全て神の夢……どっかの宗教の言葉だったろうか?
「それじゃ……今こうしているあたし達は、誰かが想像した架空の登場人物ってことですか!?」
「というよりも、そうね……例えば、役者さんを考えてご覧なさい。役者さんは普段、本名でごく普通に生活してるでしょ? ただお芝居の時だけ、誰かが作り出した舞台で、ある役名でもって出演するわけ。この場合は、普段の日常生活もまた実名で登場する『人生』というお芝居であり、その中に実名ではなく《鹿島みどり》という役名で出演する章が挿入されてるってところかしら」
そう言えば、あかねさんは『おととしまで《鹿島みどり》をやってた』って言った。あたしは…?
「あなたの前に《鹿島みどり》だった加奈子さんは、交通事故で《鹿島みどり》を続けられなくなった。その時、別の名前だったあなたが、急遽次の《鹿島みどり》を演じることになった。本当はあなたの舞台は来年まで続いて、そこで由美子さんにバトンタッチするはずだったの」
「そんなこと……誰が決めるんですか!?」由美子が初めて口を挟んだ。
「分からないわ。今私たちがいるこの舞台、つまりこの世の中そのものを作った誰か。原作者か、脚本家か、いっそ造物主とか神様と言った方が分かり易いかもね」
ドアが開き、あかねさんと小島先輩が入ってきた。もう一つの《同窓会》は終わったのだろうか。
「さあ、揃ったわね。小島さん、あの本はある?」
すると先輩があたしのバッグを指したので、あたしは本のことを思い出し、慌てて取り出した。列車の中で渡された、あの本だ。
この本に載っているルイジ・ピランデルロの『作者を探す六人の登場人物』という戯曲は、ずいぶん奇妙な作品だという。ある作家が6人の登場人物を作り出すのだが、話がうまく進まず、業を煮やした登場人物がまた別の作者を求めて劇場へやって来る、という芝居なのだ。
あたしは部屋の中を見渡した。6人。確かにここには6人いる。
「まあ人数は偶然なんだけど」あたしの心を読んだかのように、先代のみどりさんが言った。「それに、この戯曲のように別に作者が不満だとか、作者を探そうってわけじゃないのよ。
どうもね…私たちのいるこの舞台には、《作者》が複数いるらしいの。もしも作者が神様だとしたら、多神教の神様ね」と肩をすくめる。
「例えば、あなたの姓が《かしま》じゃなくて《かじま》に変わってること。由美子さんが突然キャンディを舐めてみたり、また急に落ち着いたりすること。それにあなた、訳も分からず駅前の樹に登ったでしょ。
どうして人の性格とかがコロコロ変わるのか……つまり、《作者》の違いが反映してるのよ。私たちが作者の存在を意識させられるような現象……それをこの戯曲になぞらえて《ピランデルロ》現象と呼んでるの」
「それじゃ、どっちが本当の私なんです?」例に挙げられた由美子が、口をとがらせて言った。
「どちらが正しいというものじゃないわ。どちらも本当。あるいは、どちらも虚構か……。いずれにせよ、どちらも同じ重さを持った現実。
ま、例えばSFのパラレルワールドを考えても良いわね。性格とか出来事とか、それぞれ少しずつ違った世界が平行してあるんだけど、なぜかそれが混ざってしまった……」
小島先輩が不満そうなのは、純文学派だからSFを好いてないためだろうか。
「その混ざった世界を、どれか一つに固定するんですか?」そう尋ねたのは、あかねさんだ。
「そうじゃないわ。だってどれも現実の世界ですもの。ただ、混ざり合った世界をそれぞれまとめる、そのために今の《鹿島みどり》さんの<芸>が必要なわけ」
いきなり名前が出てきて、あたしは飛び上がった。
「あたしの…<芸>?」
「みんなの<芸>に比べてね、あなたのはずっと強力で、そして一回限りなの。だから、この<芸>を使ってしまえば、あなたはもう《鹿島みどり》を続けられない。予定より早く、ここで由美子さんにバトンタッチするのよ。だから、由美子さんも呼んだの」
「な、何なんですか、一体。そのあたしの<芸>って……」
先代であるみどりさんの<芸>は<速達>だ、と誰かが言ってた。ゆかりさんのは<特別送達>だったっけ。あかねさんは<書留>、小島先輩は<内容証明>。由美子は、そう、<口座振替>と言われてた……で、あたしは?
「あなたの<芸>はね……」
皆の視線があたしに集中した。
「あなたの<芸>は、<分割民営化>というの」
「………<分割民営化>って……いったい何をするんですか? 全然分からないんですけど……」
「分からなくて当然よ。どうせあだ名みたいなもんだし。具体的に何かするというんじゃなくてね、あなたは『触媒』なの。《意志の力》の触媒。《過去》《現在》《未来》に連なる、様々な意志の。それぞれが抱く互いに異なった希望や夢を、それぞれの世界で、実現させる力。
そう、あかねさんと加奈子さんが行って来た《先生》方や《奥さん》たちの《同窓会》だって無関係じゃないわよ。未来に、そうありたいと思う姿。実現できなかった希望。未来にたどり着けなかった願い。そうした心のための《同窓会》。その《同窓会》が今日だからこそ、《鹿島みどり》としての《同窓会》も今日に合わせたんだから」
小島先輩が顔をふせ、あかねさんは少しだけ眉を寄せた。
「さあ……『その時』が来るわ」先代のみどりさんは立ち上がり、あたしの手を取った。どうしていいのか分からなかったが、とにかくあたしも立ち上がった。
皆の視線が集中するのが分かった。そして……
何かが頭の中にどすんと落ちてきたようなショックと共に、世界が“揺らぐ”のが感じられた。−「その時」が来たのだ。
(1999/07/16 22:06 by Lepi)
あたまがいたくて、きもちがわるくなったから、寝かせてもらった。たぶん、まる一日くらい、寝ていた。目が醒めたら、俺は、俺になっていた。俺というのは、俺だ。《名波正太郎(【ななみしょうたろう】)》だ。考えてみれば、なんで、俺は《鹿島みどり(【カジマミドリ】)》だったんだろうという気がする。だいたい、俺は生まれたときから《名波正太郎》だったはずだぞ(…ほんとうは、そんな昔の記憶はないんだけどね)。
当然『そうなる』、というのは分かってたはずなんだけど、やっぱり、俺の彼女が《鹿島みどり(【カシマミドリ】)》になってる、っていうのも、なんか『ヤ』な 感じがする。 …このコは、ずっと、《岡田由美子》だったんだから。
『正太郎』と、呼ばれたのは久しぶりだった。たぶん、高3の夏以来だ。…俺は、このコの名前が、なかなか言えない。でも、このコの髪の毛から安っぽいシャンプーのにおいがするのも、アゴが細身だけど柔らかくて感触がいいのも、キスすると砂糖の味がするのも、昔とぜんぜん変わっていない。それが「いい」のか「わるい」のか、あまり「はっきり」分からない。あと、なんか、昔より《由美子》の胸が、ちいさくなっているような気がした。 …昔から、こうだったのかもしれない。でも、これが《みどり》の『感触』なんだな、と、思うことにした。ともかく、俺は、ひとりの芸なしの大学生になったわけなんで、いまの俺にとっては、《みどり》は、『芸能界への窓』っていうか、『何かのつながり』っていう感じのものになっている …はずなんだろうなあ。たぶんね。どういうわけか、今の俺には、何か、『別の』芸がある、っていうような気がしてる。その話は、まだ、誰にもしていない。
という状況で、《同窓会》の「二日目」が、はじまる(…あ〜あ。やっぱり、『ここでは、時間は、あってないようなもの』なんだ)。
(1999/07/22 19:17 by
わるもの堂主人)
…………
空を飛んでいた。右も左も、上も下も、見渡す限りの抜けるような青空。
そこを、俺は……オレ? おれって? あれれ?
そう言えば、なななんだったか、違った名前を思い浮かべてたような気がする。
「ほら、危ないよ!」すぐ脇から由美子の声がした。が、青空ばかりで姿は見えない。そこで、自分自身の姿も見えないことに気付いた。「心」だけが空を飛んでいるのだろうか。
姿勢を整えようとしたとたん、あたしは真っ逆様に落下し始めた。
いくつもの映像が、走馬燈のように目まぐるしくよぎっていった。
男のあたし。歳をとったあたし。赤ん坊のあたし。外国人のあたし。学校に行ってるあたしもいれば、見知らぬ街にたたずむあたしもいた。あり得たかも知れない、あるいは分割されたそれぞれの世界での「あたし」。
そして −
はっと気が付くと、あたしは列車の座席に座っていた。横で由美子がくすくす笑っている。《くろのマイナス27号》という妙な名の列車の中だ。
あの「その時」に何が起こったのか、あたしにはよく分からなかった。あるいは何も起こらなかったのかも知れない。その後、皆は何やら楽しくやってたようだけど、あたしはその間もずっとぼ〜っとしているだけだった。先代のみどりさんが言うには「芸という力を使い果たしたから」だと言うけど、ずっとふわふわした感じが抜けず、夢の中にいるような感じが離れなかった。そこへ時々、今見たような奇妙な夢が挿入されていた。それこそが実は<分割民営化>によって分岐したそれぞれの世界であり、それぞれの現実なのだそうだが……。
それに《同窓会》といっても、今現在《鹿島みどり》であるあたしには、今一しっくりこなかったのもある。
「《鹿島みどり》という主役をやってるときは、主役になりきってるものね」そう言ったのは、あかねさんだった。「私だって《鹿島みどり》役が終わったときは、そうだったわよ。でも、あれは確かに《同窓会》だったのよ。私や加奈子さんやゆかりさんにとってはね」
「由美子さんから更に次の30代目に受け継がれるときも、また《速達》が来るわ。そしてその時は、あなたにとっても《同窓会》になるわよ。今回、私にとってそうだったように」小島先輩が後を続けた。
今、帰りの列車にはあかねさん、小島先輩、由美子、そしてあたしが乗っている。行きと同じだ。
列車が減速し始め、車内放送が流れ始めた。
『本日も《くろのマイナス27号》にご乗車頂き、有り難うございます。間もなく《過去》に止まります。《過去》を出ますと、この列車《くろの29号》として、《最寄り駅》まで止まりません…』
《過去》と駅名の書かれた、懐かしい雰囲気のホームに列車は滑り込んでいった。
「それじゃ」列車が止まると、小島先輩は立ち上がった。「またね」
あかねさんがあたしの肩を叩いた。振り返ると、窓の外を指差している。外を見た瞬間、あたしは思わず叫んでいた。
「おじいちゃん!? おばあちゃん!」
すでに亡くなった祖父母が、ホームに立って穏やかな笑みを浮かべ、こちらを見ている。
「すみません、降ろして!」
駆け出そうとしたが、小島先輩があたしの前に立って、肩をつかんだ。
「今は駄目! あなたはまだここで降りる時じゃない。ここは《過去》だから。あなたがまだ来るところじゃない。でも、誰でもいつかはここに来るわ。その時までみんな待ってるから。それに…」
先輩は微笑み、
「それに、また次の《同窓会》があるわ」
あたしの肩を軽く叩くと、小島先輩はいつものように手を振り、列車を降りていった。
呆然とするうちに、列車ががくんと動き始めた。あたしは我に返り、後部車両へと走り始めた。ホームから遠ざかるのを、少しでも遅らせるために。行きみたいに車両がないんじゃないか、なんてことは思いもしなかった。そしてちゃんと、最後尾まで車両は連なっていた。
ホームの端に祖父母が立っている。優しい顔で、ゆっくり手を振って。いつの間にかその後ろに小島先輩が立ち、ひときわ大きく両腕を振っていた。
あたしはホームが見えなくなっても、いつまでも最後尾の窓に顔を押しつけ、泣いていた。
「どうしたの、泣きそうな顔して?」
耳元の声に、あたしは驚いて振り返った。
岡田由美子……じゃない、鹿島みどりが怪訝そうな顔で見ている。
見渡すと、アパート近くの駅前にあたしは立っていた。広場の時計が午後7時の時報を告げる。
元の時間に戻ってきたんだ。
「もう、麻理ったら。行くわよ」みどりは半ば呆れ顔で、あたしの腕をとった。
そうか……《鹿島みどり》はもう交代したんだ。だから、あたしは……そう、あたしは麻理。ずっと前から。どう記憶を辿ってみても、あたしは昔から水沢麻理だ。そして横に立っている友人は、ずっと前から鹿島みどりのはずだ。
でも、ついさっきまでの記憶が物語っている。ここしばらくの出来事が、奔流のように押し寄せてきた。夢だったのだろうか……それとも幻?
手にしたバッグに、覚えのない重みを感じた。中を見ると、本の背表紙が目に付いた。『西欧近代戯曲集・イタリア編』とある。
− 先輩に返し忘れた!?
だが、背表紙の裏にはこう書いてあった。「Dear Mari from Kanako」
小島先輩の顔が思い出された。《過去》に生きてる先輩。でも、《現在》で志望していた文学部に行くことは出来ない先輩。
来週はまた大学だ。そう……学生時代は《夏休み》だなんて言ってられない。先輩の分も、自分のためにも……。
「まったくもう、麻理ったら……」みどりは少し離れたところで、さっぱり訳が分からない、といった風に首を振っている。みどりは何も憶えていないのだ。あたしが《鹿島みどり》だった時に何も知らなかったように。
「ごめんごめん」あたしはみどりに近寄り、肩を並べて歩き出した。
あの<分割民営化>とやらで何が起こったのか、今もよく分からない。いずれにせよ、あたしは今ここにいる。これが結末の一つなんだろう。めまぐるしい夢の中で見た他の世界でも、きっとそれぞれの結末があるのだろう。
見知らぬ女性がすれ違いざま、ウインクしたような気がした。振り返って見ると、高いヒールに赤いスーツ、そして肩より少し上で揃えた真っ直ぐの黒い髪。いかにもキャリア風の、そう美人と言える女性だった。
そう。彼女のことも知っている。新しいみどりは憶えてないだろうが、さっきまで一緒にいたのだから。そして、きっとまた会うことになるだろう。彼女だけじゃない。いろんな人たち。《過去》にいる人たち。《未来》で待ってる人たち。他の世界の人たち。そして、これから会う人たち。
きっとまた次の《速達》がやって来るのだろう。そしてきっとまた、次の《同窓会》で……。
(1999/07/25 21:52 by Lepi)