1.漢方薬とどうつきあうか

(1)漢方薬をうまく利用しよう


 
病院の主役は医者ではなく患者さんです。ちょうど世の中の主役が、生産者から「生活者」へ移ろうとしている昨今、いまだに「お医者さま」ではあまりに旧いと言わざるをえません。どうかみなさまが医療従事者をうまく利用して下さい。

 病気は患者さんと私どものキャッチボールが続くあいだによくなっていくものです。患者さんから情報を得た私どもが医療を提供する、それを受けた皆さんが二週間後にどうなったかの情報を再び私どもが得て、また新しい医療を提供する、その積み重ねです。ですから、こういった意味での治療の積み重ねを壊してしまうことが、「また一からやりなおし」というガッカリした気持ちを私どもに起こさせてしまうのです。これはうまい利用法とはいえません。

 例えば、自分だけの判断で服薬をしたり、しなかったり気儘にすることはやめて、二週間待てない場合には、途中でどうか面倒でも電話で連絡して、相談して下さい。これがうまい利用法のその1です。
 その2は、他の病院で投薬されている薬や、薬局で買っている薬があったら、全部報告して下さい。できれば持ってきて見せて下さい。いわゆる西洋薬と、当院で出すような漢方薬の併用という問題も勿論はっきりさせておかないといけないません
(すべていけないといっているのではありません、念のため。ほとんど心配ないのですが、問題になることもあるのです)
 最近では漢方薬を投与する病院も増えていますから、これは報告してもらわないと、漢方薬と漢方薬の併用ということになり、漢方医学の考え方からいって、ほとんど服薬が無意味になってしまうことも少なからずあるのです。

 病気の時間も、一生の生活の時間の流れのひとこまです。ですから、生き方上手と病み方上手は、実はひとつのことだと思います。

(2)漢方薬ってどんなもの、のみ方は


いろいろなスパイスを調合したものが漢方薬だというおはなし。
 ここでいうスパイスとは、食品のように大量に食べるには、味や香りがきつすぎるが少量を食品に添えて食べれば、食品の味を引き出したり、毒消しの役割をしたりする草根木皮のことです。
 「良薬口に苦し」といいますが、天然にある植物で、いちどに口に放り込んだら吐き出しそうな、味や香りの強いものが身体にとって薬効があることがわかり、薬として利用されるようになった。一方、ムシャムシャと大量に食べられるものが食品として利用されるようになった、といってよいでしょう。
 この「スパイス類」を分析して薬効成分を抽出し、さらに化学的に合成したものが一般の現代薬品といえます。ですから、スパイスそのものを何種類か混ぜて服用する漢方薬は、ちょうど、食品と現代薬物の中間に位置しているといってよいでしょう。一般に漢方薬は長期に服用しても副作用があまりない、といわれているのもこうした理由でしょう。

 ここで皆さんにお願いしたいことは、
「漢方薬は煎じ薬もエキス剤も、なるべく味わって服用してほしい」ということです。オブラートでくるんだり、甘味を大量に加えて服用することはあまり勧められません。
 口に入れたら吐き出しそうにまずいものを、古代人は「これは効くぞ」と実感して薬として利用し始めました。その「まずい味」に反応する身体の変化を、微妙に感じとっていた筈です(ショウガやカラシを食べると、口の中が火事のようにカッカして汗ばんできます。ぞくぞくと寒気のする風邪に使えそうだ!)

味わって服用する習慣を身につける
 初めはまずくとも、だんだんおいしく感じるようになります。が、そのうち、その薬を「もういやだ」と思う時期がくるかもしれません。それは何よりも確かな「その薬の止めどき」「換えどき」なのです。現代薬品のように、味も香りも糖衣にくるまれていると、自分でいつ止めるかを判断する材料は全く持たず、「お医者まかせ」になりがちです。
 漢方薬は、服用されるその時点から、みなさんの鋭い感覚や反応を楽しみに待っている、といったらよいでしょうか。「あなたまかせ」でない主体的な健康管理の第一歩は、こんな漢方薬服用時のちょっとしたコツにもあるのです。

※漢方薬ののみ方

 漢方薬の服用の時間は、一日2回(または3回)という場合は、
原則として「空腹時」です。薬袋には「食前1時間」と書いてあります。朝、漢方薬を服用して、すぐ朝食を食べてはいけないと思い、そのまま出勤して、途中の乗換駅で、「ちょうど1時間たった、さあ、朝食に立ち食いソバを」という、まことに几帳面な患者さんがいて、びっくりしたことがあります。あくまでも「原則として」「なるべく」食前1時間でありますから、そうできない方は、食事の直前、直後でも一向構いません。几帳面なあまり、大切な朝食が立ち食いソバでは、かえって身体に悪いでしょう。
 その他、急性疾患の場合は、漢方薬は全く別の服用の仕方がありますが、その場合には、こちらから服用の仕方を指示しますので、全く心配いりません。

(3)漢方薬って一生のむの?

 漢方薬は、慢性疾患に対して効く、永く服用しているとじんわりと効いてくる、というまことしやかな言い伝えがありまして、それだからでしょうか、
 「いつまで服用を続けたらいいのでしょうか?」とよくきかれます。
 また現代薬品の、例えば降圧剤については、
 「血圧の薬をのめって、病院でいわれました。でも先生、降圧剤って一生続けなければいけないんでしょ。漢方薬だけで何とかなりませんか?」
と質間されることも少なくありません。
 まず二番目の質間から答えましょう。高血圧に対する降圧剤、糖尿病に対する降血穂薬などは、一生続けなければならないなんてことは決してありません。重症悪性の高血圧や糖尿病は別として、一般に多い中等度から境界領域などといわれるものは、減食や運動や、生活環境の改善や、漢方薬服用等々である程度標準値に近づいてきたら、降圧剤はやめてしまって一向構いません(これは私どもが主として漢方薬を皆さんへ出しているからそういう立場で強弁しているのではありません。循環器の専門の方の最新の知見です)。
 それでは第一の質問。そのようにして漢方薬一本にしたけれど、こんどは生涯のみ続けなければいけませんか?
 一般にそんなことは決してありません。漢方薬も前回述べたように現代薬品よりは食品に近いとはいえ、薬は薬です。
 "生涯口に入れ続けなくてはいけないのは食品であって、薬ではありません。"
 基本的には具合の悪い間は服用し、よくなったら病院のことや薬のことなど、きれいサッパリ忘れて仕事に打ち込みましょう。「具合の悪い間」「よくなったら」と二つの表現を今、無意識にしてしまいました。これがどういう内容なのか、いつなんどきがその境目なのか、まだ気になる方がいるでしょうが。
 あまり先のことまで心配するのはよしましょう。その時点に達すれば、ちゃんと自然に身体と心が納得しますよ。健康を守る、長生きする、それ自体が目標で私たちは生きてるんじゃありません。仕事に専念できるよう健康に留意して、結果として健やかな長寿が得られたら、こんな結構なことはない、というのが私たちの生き方の筈です。漢方薬を服用しはじめたらいつ止めたらいいのか? などと初めから構えてしまわないで、「辛いときには気軽に漢方」「今日も好調、漢方がうまい」と上手に漢方薬を利用することです。
                                     ……タバコだって薬草なのになあー
                                               (嫌煙権ケムタガリ)

(4) 漢方薬って万能なの?

 「漢方」というと何を想像されますか。
 過去の遺物、医学の化石だよ、という方、強精剤や不老長寿を夢みる方、万病に効くという広告に首をかしげる方、副作用がないからとにかくよい、という方。漢方ブーム、はりブームを思い起こされる方。
 漢方にともなう、こういったあいまいな、いろいろの印象、先入観はすべて捨ててください。
 漢方医学が、中国古代に成立したこと、「易」や「道教」などと関係が深く、「陰陽五行説」で漢方医学が説明されることが多いので、現代科学的な私たちの常識からみて、ここに書いてあるようなある種の迷信くささ、神秘的なにおいがついてまわるのも無理からぬことです。漢方など全く信用しない患者さんもいるし、医療従事者の中にも少なからず絶対否定派もいます。
 けれども、漢方医学のような
全身医学液体病理学説ともいいます)は、中国のみならず、ヨーロッパでも、しかもルネッサンス以降も連綿と続いてきたのであり、現代医学(細胞病理学説)が中心になってからは高々100年余りしかたっていないのです。江戸時代に長崎出島を伝わって入ってきた蘭学も、初めは、決して現代医学ではなく、漢方医学と同じ土俵にある医学でした。
 さて、万能かと聞かれれば、何か奇跡を求めるという意味からは、決して万能なんてありえません。漢方医学の大原則のひとつに、「
虚ならずんば外邪入らず」というのがあります。
 身体に弱点、虚
(きょ)なるウィークポイントがなければ、どんな伝染病(外邪)が流行してもその人は発病しない、という意味です。なるほど風邪が流行しても睡眠を多くとり気合の入っている間は平気です。
 でも過労がつづき、その後、仕事に区切りがついてホッとしたりすると一挙に発熱してダウンしてしまうことは、皆さんも経験がおありのことと思います。
 漢方薬は、外邪を直接タタクという意味での抗菌作用では、現代医薬には劣りますが、
虚なる身体を補って充実した身体にする作用は、圧倒的に優れています。この点は、病気が癌であろうと何であろうと同じで、末期癌の患者さんも漢方薬の服用によって、一時的であっても生気がもどってくることは、よく経験します。
 こういう限定された意味で、漢方薬は何にでも効く、即ち万能だというのなら、あながちデタラメというわけでもありません。
 先年亡くなった作家、開高健の自伝的小説『破れた繭』にこんな一節があります。

 「漢方薬の倉庫で働いたこともある。これは家からちょっと離れた、桑津の、貧しい町の運河のそばにある、ただの、がらんとした木造の倉庫であった。……この倉庫では二人か三人の老人がコンクリートの床にゴザを敷き、木の根株を台にして、鉈で一日中コツコツと草根木皮をきざんでいた。……老人たちはここできざんだ怪力乱神をリヤカーでちょっと離れた長屋にはこぶのだが、これは棟割長屋であって、二十人ほどのおばはんが、低い、細い、長い台をはさんでさしむかいにすわりこみ、錆びの出た計量器に乱神をひとつまみずつ指でつまんでのせては紙袋につめている……」

 ここでは漢方薬をその怪しげな雰囲気や効能を含めて、作家らしく「怪力乱神」と表現しています。漢方薬にはどうしても、こういった表現が似合う雰囲気、「古色蒼然とした薬店と、骨董品の百味ダンス、髭の先生が脈をみただけで御宣託を下す」怪力乱神のムードがついてまわります。

 ここ10年の医学界の動きは、もう少し漢方薬を平静に評価し、ダメなものはダメ、使えるものは偏見を捨てて使っていこう、というものであったと思います。大きなキッカケとなったのは、漢方薬のエキス剤が保険扱いされるようになったことで、この10年で漢方薬の保険扱いの消費量は、全医薬品の2〜3%を占めるまでに急成長しました。
 (ゼロからの出発ですから、これでも大発展なのです)これを私はまだ1ケタ足りない、せめて、全体の20〜30%になれば、日本の医療はずいぶんよくなる、と思っておりますが、それはともかく、「子、怪力乱神を語らず」(『論語』述而篇)の孔子のひそみにならい、医療従事者はホラを吹かず、消費者である患者さんは、何が何でも万能と、漢方を信仰の対象にしてしまうのでなく、漢方薬を冷静に上手に利用していきたいものです。