(38)春がきた

 春が待ち遠しかった。真冬のお産でずっとこもりきりだったし、赤ちゃんを抱いての散歩は地形の影響で日中は風がとても強く無理。4月に入ってやっと風が穏やかな日が増え、待ってましたと靴をはく。そろそろおんぶもできる頃なので、2Km離れたお店までの買物も可能。
 梅が咲き、コブシが咲き、梅が満開のうちに桜が咲く。次々と花を楽しむことができるのは冬が長い分なおさら嬉しい。
 春になって咲いたのは花だけではなかった。生後3ヶ月のむつみの体にも湿疹が花開いてしまった。あのアトピー性皮膚炎てやつ。顔がひどく全身にわたっている。できてから一ヶ月余たった今、むつみには爪でのかきこわし防止のため手ぶくろをさせている。かゆいところをかくといっても指でかきむしるなどという高等なワザはまだできず、狂ったように腕をふって手をこすりつけ身をよじらせてるだけ。うんとかゆいと泣く。本人も辛いだろうが見ている方もツライ。
 湿疹だらけの孫と初対面したしゅうとに「母親のせいじゃ」と暴言を受け(その場に一緒にいたダンナは何も言わなかった。こういうことの積み重ねでフウフノシンライカンケイって崩れるのでしょうね)、母からは数日おきに「むつみちゃんの湿疹はどう?」と電話が入る。道を歩けば「可哀そうに」の大合唱。そのうち治るとわかっていても、かなりのプレッシャー。家の中にいて育児書など読んでいたらよけい気分がウツウツとしてくる。
 家の外に出たい私に都合よく、むつみの一番のかゆみどめは“おそと”である。空気が変わるからなのか、見慣れないものばかりだからか、ピタッと止む。多少はかゆがりもするが、おんぶでもしていればじきすんなり眠ってしまう。なのでせっせと連れだすことにしている。折しも畑仕事のはじまるとき、おんぶして鍬をふるうにはちょっと動きが激しいのでできないが、地べたにはいつくばって草とりならできる。6.5kgにもなる赤ん坊を背負いながらのスクワットはほとんどKO(ノックアウト)。
 「またお散歩かい。行っといな行っといな。かゆいのは悲しいがあんたは元気だ。湿疹なんかに負けない負けない。いいねえお母ちゃんにおんぶされて。お天道様にあたって早く大きくなりな」。 近所のおばさんが背中のむつみに話しかけてくれる。
 春でよかった。

(39)アトピー

 この2ヶ月間、私の頭の中は娘のアトピーのことでいっぱいだった。
 こんなにかゆがって苦しんでいるのを楽にする手だてはないか、できることは何でもしてやりたい。何でこのようになってしまったのか、食事その他かなり気をつけていたつもりだったのにやっぱり私のしてきたこと考えていたことが間違っているのではないか、夜中にかきまくって血だらけになった手袋を見て悲しくなる。乳児健診では首のすわりが遅いこと、かゆみの強い赤ちゃんは発達が遅めになることが多いことを告げられ「ああまたこの子のおじいちゃんおばあちゃんにこれからも何か言われるゾ」と落ち込む。症状のひどいところのために処方されたステロイドは恐いくらいにきき、きれいになったからやめるとあっという間に元どおり。
 今まで着せていたお古の風通しの良い服もアトピーを悪化させているようで(おむつをしている所だけがきれいなのだ)なるべく肌に密着できるような衣類の工夫を試行錯誤する。おまけに股関節の異常もみつかりおむつに芯を入れたものをつくる必要も。「慣れない育児」にこれらがプラスされ、私は睡眠不足に、娘は通院のたびに風邪をもらう。「夫の協力」とやらはひたすら後方支援にまわり、すべての判断は私の肩にのしかかる。やっぱり何でも「母親のせい」ってわけね。ダンナに対しては、アンタも親なら娘について何かを判断してその後の状態までひきうけるつもりで付き合ってみろ! と言いたくなる。良くないことばかりに目がいって暗い気分になりがち。世の中の母親が追い込まれていく状態ってこんなことなんだろうか。
 救いなのはアトピーにしろ股関節のことにしろ娘は赤ちゃんとして、人としてちゃんと成長していってるってこと。松柏堂の中村先生やいろんな方から「そのうち良くなる」と言って頂けること。言ってもらえるたびに気持ちが軽くなる。知識としてわかっていてもこんなに励まされるなんて私はつくづく弱い人間なんだな、と思うと同時に言ってくれる人が私のまわりにいることが、こんなにありがたいことなのかと思う。
 かゆみは、炭と木酢液を入れた風呂に入り、服を変えてから改善されてきた。おとといから突然寝がえりを打つようになり、ものを握ることも始めた我がアトピー娘。多少のかきこわし覚悟で手袋をはずしてみることにした。
                               
(40)お金ってなに?

 私は鍼灸マッサージの仕事をしてお金を頂く(最近は子連れOKでお声がかかり、母子ともに無理のないペースでするという恵まれた環境)。近所の直売所ではお百姓さんが汗水流して手塩にかけて育てた野菜がその何十分の一かの値で売られている。山で何十年も手をかけて育てられたスギは切り出されて柱になった時には1本1000円余。日本の林業は経済として成り立たないと言われている上に、市場に出回っているのは外国の山を荒らして出された外材。
 私の仕事は具合の悪い人からお金を頂くもの。他人の役に立つ専門性のある仕事なんだからある程度の額を頂いたっていいじゃないかというなら、お百姓さんの仕事だって山仕事だって専門性のある他人の役に立つことでしょう。いったいものの値うちって何だろう。世の中こんなにモノがあふれてるのにもっと消費を促さないと経済は安定して人は幸福になれないとか。いったいお金って何?
 買物の不便な田舎に住んでみると、家庭の余剰品の“物々交換”の習慣が結構暮らしを豊かにしてくれるものだと実感する。隣近所へのおすそ分けはお返しがつきもの。沢山とれた野菜、煮物、漬物。etc. 得意な分野の労働力の交換というのもある。「付き合いが面倒」という見方もできるが、これはこれでとても意味あることなんじゃないか。これらのことへのヒント、答えがちりばめられた本『エンデの遺言「根源からお金を問うこと」』(NHK出版)を読んだ(授乳時が私の大切な読書タイムなのだ)。
 借りると利子のつくお金の世界は、経済成長が必ず必要。この成長は自然資源や第3世界の収奪の上に成立する。またお金自体が商品として投機の対象でもある。世界で流通する95%は「利が利を生むことをもって至上とする」マネーゲームのお金。「重要なポイントは、パン屋でパンを買うお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つの異なる種類のお金であるという認識です」(本文より)。 人の役にたつための道具としてのお金と競争の道具としてのお金と。ものやサービスの等価代償としての通貨をとり戻すこと。資本主義でも共産主義でもない「老化するお金」「時間とともに減価するお金」といった思想や、各地で実践されている「地域通貨」の例が紹介され、お金について信じていたことがひっくり返る。が、まだ私の頭の中は整理がついていない。
                               
(41)「親の子守で子は嬉し」いおんぶ

 目が離せない赤ん坊がいて家事やら何やらをしようとなると“おんぶ”が一番。それにしても世の母親たちはよくこんな重いものしょって仕事をしてきたよなあ。ただでさえ重いのにおんぶするとよく眠ってくれるというオマケつきだ。おんぶしているうちにずっしりとしてくると眠った合図。体重が変わるわけでもないのになんでこうも目が覚めている時と眠った時の重量感に違いがあるのか。まるでオンブオバケだ。背中で眠ったからおろすと眠っていてくれるなんてそんな都合のいいことは10回に3回位ってところ。大抵は背中からおろして床にねかせたとたんに、安眠を妨げられたことを抗議するかのように強く泣きはじめる。だからおぶいヒモが肩にくいこもうともおんぶしつづけられるときにはそのままだ。
 草とりするにも畑仕事するにも買物に行くにもおんぶ。「最近の若いヨメサマ」は、草とりや畑のことをする人は少ないようで、都会から来て慣れないながらも外に出ている私は「えらいなぇ、よくやるなぇ」で、子どもが生まれてからは、おんぶ姿で早朝と夕方に草とりをしているのはもっとすごいことになるらしい。なんだか今まで以上におホメの言葉が増え、親切にしてもらう機会が増えたような……(なーんて、背中で赤ちゃんが愛想をふりまいているからなのだけど)。
 同世代の人に比べたら、なのだろうが私をホメるアバアサマたち自身はどうだったのだろう。「『親の子守で子は嬉し』だな。お母ちゃんにおんぶされて、ほらアカはこんなに喜んどる。私らんころは子守は兄弟か人を頼んだりしてな、親がみるなんてそうなかった。野良に出とったら、出るまえに乳やって、家にはそう戻れんじゃん。お昼に戻ると子どもがくっついて離れんかった」「おむつもそう替えてやれんくておしりを真っ赤っかにしちまって可哀そうなことをしたよ」。 人を頼める状況にない家庭では「朝起きてからずっとおぶったきりよ。夏暑くて汗をかこうがずっとよ。それが一番危なくないもんでな」。 その頃のことをサラっと言う。
 私はダンナ以外かわってみてくれる人はいない。やらなければならない家事も畑仕事も、昔に比べたらずっと少ないだろうから楽ちんなのかもしれないが、草とりをしている時はベビーシッターがいたらなあと思うのは正直なところ。

(42)育児用の言葉

 赤ちゃんを連れて近所の家に里がえりしていた方と、通りかかったオバアサマとの立ち話。離乳食の話題になり、彼女は「そろそろサンカイショクにしようかと思って……」。一瞬何のことだかわからなかった。もちろんオバアサマもきょとんとしている。あ、そうか「三回食」のことね。
 でた〜育児書用語。それにしてもこういう言葉が立ち話の中で普通に出てくるとわねえ。 私もたまには育児書を開くことはある。そこに使われている言葉は、すべてではないものの、普段の生活とは違う感覚の言葉。著者や監修者のほとんどが小児科医ということもあるから、専門家が客観的に使う専門用語が書いてあるものだと思っている。本は参考にするだけのもので、私が向き合わなければならないのは毎日一緒に生活している「むつみ」という名のついた1人の人間なわけで、そこに専門用語は要らない。だいたいそういう時の専門用語なんて「基準」や「評価」がからんでくるところから必要になってきた言葉だ。親が年中そういう目で我が子を見てどうする。
 子どもをもってみると、小さい子どもを持つ親同士で話をする機会がある。私だけがひっかかっていることなのかどうか、時々普通の会話には不自然な「育児書用語」が出てくるのだ。「○ヶ月児ってこのくらいのことできるんだっけ〜」(自分の子どもを見て)「この月齢になって突発性発疹やったんだ」「カウプ指数18だから……」(太めだ、と言いたい時)
 育児書に頼らないとすごせない状況というのもわかる。が、定期健診など出かけてみると、保健婦さんやお医者さんなどの一番身近な専門家が拍車をかけてんじゃないの? と思うこともある。そういう人たちこそ、「赤ちゃんはひとりひとり違う成長のしかたをするのだから、本ばかりに頼るな」と教えてくれたらいいのに。
 3ヶ月健診の時に、集まった母親一同に「一日3回うつぶせ寝をさせるように」という指導があった。胸の筋肉の発達を促し、寝がえりが早くできるようになるからだとか。早くできるようになるといったって所詮数週間程度のことではないか。その先もっと長い道のりがあるのに、そんなに目先の発達が大切なのだろうか。
 赤ん坊の頃からある基準に沿うように鍛えながら育てなければならないなんて、恐い話だ。

(43)だれか おはなしして ちょうだいな

 生後8ヶ月になる娘は人見知りをしない。しないどころか誰に似たのかやたらと愛想がいい。少しの間なら他人にみてもらえるのでとても親孝行な性格である。道を歩いても人とすれ違うことなどあまりない田舎にいるからなのかどうか、人を見ると嬉しくなってしまうらしい。買物などで町に出ると、店員さんや他のお客さんに「アーアー」と声を出してせっせと話しかけている。気づいてくれた相手は、大抵ニコッとしてくれるか、足を止めて「なんて愛想のいい赤ちゃん」だとか何だとか、お話をしてくれる。まったく見知らぬ人どうしでも、赤ん坊をダシに結構和やかに会話ができるものだ。
 というのがフツーだと思っていた。
 先日、久しぶりに東京に里がえりした。知人に会うために、実家の最寄り駅から電車に乗った。
 日中の電車の空いている時間帯を選んだとはいっても、もちろん普段の暮らしと比較すれば沢山の人々が乗り合わせている。娘はホームにいたときから、次々と周囲の人に「アー」「ウワァッ」と呼び掛けるのだが、誰も応えてはくれない。気づかないというだけではなく、ちらっとこちらを見やってソッポを向く人も幾人も。
 一人奇声をあげる娘を抱いて私は不思議と恥ずかしさは覚えず「うわー、これが都会ってもんかあ」と思いつつ、誰か応えてくれないかと一緒になって期待していたが、30分間で微笑み返してくれたのはたったの1人。
 自分のことに精一杯なのか、他人と関わり合いになりたくないのか。東京をしばらく離れて気付いたのは電車の中で眠っているわけでもなく目を閉じる人の存在。何より手っ取りはやく周囲と関係を絶つ方法。そういえば以前は私もよくやっていた。
 
(44)意外だったこと

 私は主婦である。それも専業の。数年前まで自分がこういう立場になるとは考えもせず、はた目に「面白くなさそうな仕事」と思っていた。が、どうもそんなことはないような気がしてきている。
 買物の不便な田舎に住み、野山も畑もすぐそばにある環境にあって、私自身の現金収入は少ない。自然な成り行きで、なるべくお金を使わない生活をしようとしていた。まずは野菜の自給。今のところ殆ど買うことなくすごせている。少ないなあと思う時に限ってありがたいことに近所から頂いたりもする。
 畑を始めて2年目なので、失敗の積み重ねだ。わかったのは結構頭を使うということ。食べたい野菜をいつ、どのくらいの量をどこに作るか。春先から冬の前まで黄緑色野菜も淡色野菜も両方いつもあるようにしたい。食卓が楽しくなるようにそこそこの種類も欲しい。好きなものや保存のきくものは多めに作りたい。畑の面積も私の作業量も限られている中で、わからないながらも計画のうえでとりかかる。
 収穫したものをどう加工、調理、保存するかも大切だ。漬けたり、干したり、ビン詰め、冷凍、etc 。これらもコツがいることで、失敗するたび“勉強”になる。
 畑だけではなく、季節季節には野山からタダで頂けるものもある。今はきのこや木の実のシーズン。これもどうとっておくか。
 食べることばっかになったが、道具をつくることや家の内外を整えること、遊ぶことにしても同じことがいえる。必要なのは知恵と技術(コツ)と創意工夫。近所のオバアサマやその上の世代の人たちが普通にやってきたことなのだろう。
 私がこうした主婦業を面白く思えるのは、知らないことを知っていけるからだけではなく、自分なりに工夫する余地がおおいにあるから。スーパーの安売り広告に目を光らせて買物上手になることとの違いは大きい。
 「自分探し」を表だってせずとも穏やかに充実して生きているように見えるオバアサマは(全てではないが)自分を活かすー自分の持つ創造力を活かすーことを生活の中でできていたから、なのかもしれない。

(45)干柿

 身近なドライフルーツといえば干柿。11月も半ばをすぎ、甘柿もすっかり食べ終わってしまう頃、干柿づくりの季節となる。家々の軒先の柿すだれと漬物用の干し大根は秋から冬にかけての風物詩だ。
 今年はお隣から渋柿を150個程いただき、渋で指先を黒くしながら皮むきに励んだ。柿を干すのは、秋も深まり、大気の状態が安定してきて、朝キーンと冷え込むようになってからがいいそうだ。それより前だと季節が逆戻りして暖かい日が続いたり、雨が続いたりでカビの心配があるのだ。
 柿はへたの先の枝をT字状につけたまま木からもぎ取る。皮をむき、用意したひもかロープのよりを一部解いて割り、へた先の枝をさし込んでよりを戻す。T字になった枝は止めになって柿はしっかりとひもにひっかかる。
 1本に何個もつけたひもを雨のあたらない風通しの良い軒先などに並べて吊るせば柿すだれのでき上がり。
 干したばかりの時は鮮やかなオレンジ色をしている。秋のぬけるような青空をバックに日の光を受けて輝き、視線を少しずらせば、さかりはすぎたものの紅葉した山の斜面や、その向こうには少しだけ白く雪をかぶった山の頂きが見え、まあ何と美しい光景。
 が、それも数日のことで柿は日を追うごとに黒ずんでしぼんでいく。とても美味しそうには見えない外見(市場に出回る干柿はイオウ燻蒸してあるためオレンジ色をしている)。おまけに、寒くなってどこかに姿を隠していたハエが日中暖かい時間に限って沢山たかるようになるのだ。始めて見た時にはさすがにゾッとしてしまった。ダンナ曰く「昔からそういうもんらしいよ。干柿食って病気になったって話は聞いたことないからいいんじゃないの」。ま、そういうもんかな。私も少し前に流行った「食べ物の衛生過敏症」に毒されてるのかしら。
 近所のオバァサマが言うには「赤い柿(甘柿)は体を冷やし、黒い柿(干柿)は体をあたためる」とかで、妊娠していた去年の秋には甘柿は控えるよう教えられた。
 今年は庭の甘柿もいっぱい食べたし、冬場には干柿をこたつにあたりながら食べるのだ。

(46)薪ストーブ

 薪ストーブを使って2度目の冬を迎えた。ウチにあるのは1万2千円の安い鉄板のストーブに、ダンナが人から教わって中をちょっと改造し、温度調節ができるようにしてあるものだ。テレビに出てくるような、外国製のカッコイイ鋳物とは見た目も性能も値段も違うけど、これはこれで十分温かいし、気に入っている。
 ときどき薪の燃え具合を確認し、くべていかなければならないが、これも慣れれば当たり前のこととしてできるようになるので、それほど面倒なことでもない。温風が出てくるのではないので、部屋の空気がすぐ温まるというわけにはいかないが、空気の汚れ度合はまったく違う。知人は薪ストーブにしてから子どものカゼのひき方が変わったと言っていた。
 手間がかかるといえば薪の調達だろうか。これは専らダンナの仕事。山に取りに行く時などは一応ついて行くが、私が動かすことのできる重さなどたかが知れてる。赤ん坊を背負ってとなればなおさらだ。山ではなるべくナラ、クヌギなどの広葉樹の除材したものを選んでくる。目がつまっていて火持ちがいいからだ。製材所の端材をトラック一山千円位で買うこともあるが、これはたいてい針葉樹で太い薪を燃すためのたきつけか、風呂たき向きだ。ちょうどいい長さに切り、太さに割り、乾燥させ、積み上げる。1〜2日使う分だけ家の中に運びこむ。わたしがせっせとできるのは最後の運ぶことだけ。
 ストーブは煮物には絶好の場。温度は煙突口が一番強く、ここには大鍋にいつもお湯をかけておく。調理にも食器洗いにも便利で、ガス湯沸かし器はほとんど使っていない。煙突口から離れた部分で煮物をしたり、網を置いて干し芋やモチを焼く。丸型に切られたフタを取れば直接火にかけることもできる。
 薪ストーブを使っているというと、町場に住む人にはたいていうらやましがられる。が、手間を考えると、忙しい生活の仕方にはとても具合の悪い暖房のように思う。スイッチひとつで暖もとれるし煮炊きもできる方がいい。 薪ストーブが暮らしの中にあるには、薪が手に入るかどうかよりも、ゆっくりしたスピードで生活できるかどうかの方が必要な気がする。

(47)正しい母親

 子どもの一歳児検診にノコノコ出かけて、また混乱して帰って来てしまった。
 母乳をやめようとしていないことを注意され(身長も体重も順調に増え、元気でごはんも良く食べるのにあえてやめなければならない理由は何か?)、2週間前にカゼをひいて以来ムラ食いすることについて「甘やかしすぎ」(口をこじ開けて食わせろと?)、バイバイの身振りをせず、車のおもちゃを指して「ブーブーちょうだい」に反応しないのは「お母さんの話しかけが足りない」、「バイバイは教えてやらないといけない」「1才半になっても歩かず、言葉の様子も同じだったら相談に来るように」(そりゃ私は芸を仕込んでないが「イナイイナイバー」は仕込まなかったけどできるゾ。それにうちではブーブーという言葉は使ったことがない)
 保健婦さんに質問する時間の余裕はなく、一方的にご指導頂いた。とても鵜呑みする気にはなれないものの、一方で「私はこれでいいのか?」という疑問がフツフツと湧いてくる。帰る道すがら、にわかにペラペラ話しかけてみたりして。
 帰宅すると雪で山仕事が休みの夫と80歳手前のオジイサマが来ていてお茶を飲んでいた。私が胸のつかえを吐くと「だーいじょーぶ。だいじょうーぶ。この子はちゃーんと育っとるら。話しかけが足りねェッてそーんなこたァねェら」。 フッフッと笑いながら答えてくれた。私は何のために子どもの定期検診に真面目に行くのだろう。納得しかねる指導があるのを承知でだ。子どものためになる機会はいかしたいし、私自身もアドバイスがもらえたらうれしい。ただ、今回経験したようなものだと、もし私が育児ノイローゼ気味だったら結構なダメージだよなあ。
 オジイサマに言われた「大丈夫、この子はちゃんと育ってる」の言葉でとても気持ちがラクになった。どんなアドバイスよりも欲しかったのはこれ? そりゃ初めての育児だもの。でも誰かの評価を求めてるってことはウラに「正しい育児をしなきゃ」という強迫カンネンが? 自信のなさが? 子どもを信じられない気持ちが?
 いったい、正しい育児や正しい成長なんてものはどこにあるのだろう。

(48)現在形の生きもの

 「陣痛って痛いんですか?」、最近結婚が決まった知人の男性に聞かれて一瞬答えにつまった。あれ? どうだったっけ? 痛いのは痛かったと思うんだけど……。たった一年前のことなのにすぐ思い出せないことに驚いた。
 本当に痛かったのはほんの一時で、苦しさからいえばゼンソクの発作が出た時の方がよっぽど苦しいと思ったのは覚えている。
 のど元過ぎれば何とやら、陣痛がこんなに忘れてしまうことのできる類のものだからこそ、女は何人も産んだりできるのか。
 産んでしまえば、子どもの日々成長していく現実に向き合うのが精一杯。日進月歩の変化にたった数日前でさえ遠い過去のような気がする。まして産んだ時のことなど改めて振り返ることはない。こうして考えてみると「今」の「現実」にばかり目がいってしまっている自分にも気がついた。先があることをつい忘れてる。
 前回、1歳児健診の時点でバイバイをしないことを書いたが、実は結構アセっていた(すでに「バイバイ」と言いながら手を振るようにはなっている)。
 「その子ひとりひとりの成長のしかたがある」「個性」「そのうちできるようになる」、頭でわかっていても、バイバイができていないと指摘されると、「今」できないことだけを見てしまう。今できていないから不安になり、今安心したいから今すぐできるようになったらいいなと願ってしまう。でも、これって腹が減ったから今すぐ乳飲ませろと我慢も一切なく泣きわめく赤ん坊と同じこと? 24時間くっついているから思考回路まで同化しちゃうのかな。
 「3歳まで歩けなかった」けれども、ちゃんとおとなになって走ることだってできているなんてザラにいる人たちと付き合いがあったのに、いざ自分の子どもとなると情けないものだ。この先だって長いのに。学校行きたくないなんて言われたら気をつけなきゃ(私自身が幼稚園も学校も行き渋りをよくやってたしねえ)。
 「今を生きる」なんて言葉があるけど、これは「未来につながる」今であることが前提なわけだね。でなきゃ恐い文句だ。

(49)おやき

 ウチの最近のおやつは「おやき」である。といっても中に野沢菜やなすなどが入っているまんじゅう型のものではない。私の住んでいる地域では、みそを水で溶いた中に、残りご飯や刻んだ野菜と小麦粉を入れ、小判状に焼いたものをおやきと呼んでいる。簡単にいうとみそ味のご飯入りお好み焼といったところ。
 知らない人に言葉で説明すると怪訝そうにされるが、なかなかこれがおいしいのだ。
 中に入れる野菜は何でもOK。じゃこや小豆を入れたりもする。シソをたっぷり入れると大人がおいしく食べられる。サツマイモやカボチャ、モロコシを入れると甘みが出てまたいい。ピーマンをたっぷり刻んで入れても気にならない。
 1歳8ヶ月になるウチの娘もこのおやきが好物である。山仕事からお腹を空かせて帰ってくるダンナのおやつにもいい。アツアツが一番だが、冷めても食べられるので、つくっておいて私は仕事に出かけることもできる。温めたければオーブントースターで。
 何より私にとっていいのは、中途半端に残ったご飯とみそ汁と娘の食べ残しと、使い道に困っている畑の野菜たちが一気にしかも簡単に片付いてしまうことである。
 まだ小さい娘はムラ食いが激しく、毎食何がしかの食べのこしが出る。私が片付けようにも胃袋の加減次第なので毎食は苦しい。そこで活躍するのがすべてをぐちゃぐちゃに混ぜてつくるおやき。どうせ家族が食べるのだからと横着にリサイクルしている(もちろん痛まない確信があるといきだけ)。おやきにすれば食べるのだし、毎回の食事で何でも食べさせなきゃと頑張る必要もなく、気分的にもラク。保健センターの指導には反するのだが。
 困るのはおやつ時に訪問客があった時。私1人が中身を黙っていればいいのだが……。それにこのおやき、見た目が悪いのだ。こうしたものは今はつくる家庭でしか食べられていないようで、見慣れない人やよその子どもは一瞬ためらうのが見てとれる。で、意外だったように「あ、おいしい」。お年寄は「まーなんつー懐かしいものを」と喜んで手を出してくれるのだが。
 便利さと合理性と横着は美しさを伴わないのだ。

(50)保育園にいく

 子どもも1歳を過ぎたし、はり灸の仕事の依頼もボツボツあるし、目が離せない子どもと畑はできないし、そろそろどうにかしてみようかなあと思ったのは半年前。
 迷いはあった。私の選択ひとつで24時間365日子どもとはりつきで過ごすことも可能な状況にいる中で、「他人様に預け」て「育児を放棄」していいものかと。かといって育児専業でいられる私ではない。
 ウチは核家族で子どもはむつみ1人。両方の実家も遠い。近所に小さい子はいるが互いの都合もあるのでいつも一緒に遊ぶというわけにもいかない。近所のオバアサマは畑に忙しいし、1歳すぎの動きの活発な子相手には、お菓子をくれる間くらいしか一緒にいられない。日中むつみが付き合っているのは母親の私1人。普段から、もっと子ども同志遊んだり、いろいろな人と関わったりできて、本人も楽しめる環境の中に入っていってみてもいいのかな、とも思っていた。
 ベビーシッターetc. 探してみたところ、市内の保育園で一時保育をしているところがあった。子育て支援対策の一環として市が今年から始めたもので、月12日間まで、希望した日に必要な時間だけ預かってくれる。利用料は1時間300円。条件は揃っている。私もフルタイムで働くのはもう少し先にしたかったし、私が鍼灸だけですぐそうなるわけがない。
 早速見学に行き、責任者の先生ともお話しした。いい方だったし、だいいち娘が帰るのを嫌がる程だった。とにかく試しに預けてみて、むつみにストレスになるようならすぐやめるつもりで利用を始めてみた。
 親の心配をよそに、むつみは保育園を楽しみにして通っている。園内では大きな子たちとも一緒になる時もあるようで、いろいろと知恵をつけて帰ってくる。
 預けて半年程になるが、頭の片隅にこびりついていた3歳児神話―子どもは3歳までは親の手で育てないとダメになる―なんて吹きとんでいる。
 私自身も仕事を通して成長するチャンスを貰った。母親だろうと1歳児だろうと人と関わりをもつなかでしか得られないことってやっぱりあるのだと思う。

(51)子育てが難しくなるとき

 今のところ、子育ては楽しい。簡単でラクではないが、難しくて大変なものだとも思わない。テレビや新聞の子どもに関する話題は暗いものが多く(でなければニュースとしての価値はないのだろうが)、子育ての難しさばかりが目につく。でも周りの母親たちをみても、ほとんどはそれぞれ小さな問題はありながらも、幼い子どもとの生活を皆楽しんでいるように思う。
 が、それを脅かすもの―キョーフの乳幼児健診。ちょっと母親同志話すと誰でも嫌な思いをした経験が1つや2つある。
 健診では病気や発達遅滞の早期発見につなげるため医師の診察と、保健婦の個別面談によること細かな育児指導がある。この育児指導が厄介なのだ。標準的な発達スケールに沿ったまるで育児書通りのことをいわれる。発達の遅いところは指摘され、育児で手抜きをしていると思われるところすべて正すように指導される。まともに聞いていたら育児ノイローゼになりそう。私は娘の1歳児健診で「言葉かけが足りない。育児専業ならもっと関わったっていいんじゃないの」と言われた。おとなりのママは小学校教師で普段はおばあちゃんとすごしている何の問題もない子。2歳児健診に仕事を休んで行き「落ち着きがないのは母親との関係が希薄だから。言葉が出てないから専門家にみてもらうように」と言われ憤慨して帰ってきた。もちろん専門家は「まったく心配なし」。例ならキリなくある。
 保健婦さんは指導するのがお仕事だけど、これじゃ子どもと母親のアラ探しだ。早期発見が早期治療、早期療育に効果があるのは確かなのだろうが……。
 もっとお仕事の対象に愛情もって見ることはできないのかなー。相手は人間なんだから。「発達には個人差が大きい」とは口先ばかり、ひとりひとり違った成長のしかたをすることを喜べないのだろう。一定の平均枠から出ると悪者扱い。こういう人たちにとって個性的なことは「異常」で「悪いこと」なのだ。
 健診だけじゃない。この先の保育園、小中学校で似たような構図のできごとはよく聞く話。
 やっぱり育児って難しいのかも……と思わずにいつまでいられるか。

(52)はやく元気にならなきゃ

 久しぶりに寝込んでしまった。子どもの風邪がうつったなーと思っていたら38度、39度という熱が一週間続き、その後も高熱が出たり引っ込んだりが一週間。近くの診療所にずっとかかって、結局抗生剤の点滴をしてやっと発熱しなくなったという有り様。
 寝込んだといっても子どもがいれば寝ているわけにはいかない。もうすぐ2歳の娘はいたって元気だった。相手をしてやったり、食事をさせたりしてから、しんどい私が横になれば、待ってましたと馬乗りになったり、きちんと相手をしてもらえない不安からか、必要もないのに乳を飲ませろと大騒ぎになり、私も消耗するとわかっていても、おとなしくしていてもらうために吸わせてしまう。
 頼みのダンナも嫌な顔せずいろいろやってくれるやさしい人なのだが、気が利く方ではないし、本人は身体が丈夫な方で、寝込んだことなどない人である。言葉で伝えなければならないことが多いとつい自分でやってしまう。こんな時こそ保育園の一時保育を利用したいところだが、車の運転が危なくて連れていけない。近所の助けを……とも思うが「母親が寝込む」ことには同情するより眉をひそめる雰囲気があって、頼む気になれない。
 こういうのは田舎の風潮かなあと思っていたら、やはり四国の田舎に住む義母に長いこと私が調子悪いのがばれた。電話でのお達しは、私の体調を気遣う言葉は全くなく「あんたが寝込むと家族が困るからインフルエンザの予防接種をするように」。寝込んだことがなく、公務員の夫を持つ専業主婦として息子命で生きたきた人なりの、私への励ましなのだろうが、あんまり元気づけられた気はしない。
 母親業をしているいないにかかわらず、休養をとらねばならない人が、休んでおれないことはあるし、休んでも役割を担えない自分を責めながらであったり、周囲からの責めを気兼ねしながらであったりすることもある。長びかせてしまうにつれ、ヘロヘロになってゆく私に「もういい、頑張るな、無理するな、後はやるから」と言ってくれたダンナは涙が出るほどありがたい存在なのだ。

(53)冬の寝方

 信州の夜は寒い。機密性が高くない我が家の夜中は室内でも氷点下になることもある。普段寝室として使っている一番北側の部屋はことのほかそうだ。もちろん布団には湯タンポが欠かせず(いちばんあったかいのは子どもの体なのだが)寝る前は石油ストーブを使って部屋と氷のような布団をすこしでも温めておく。で、毛糸の帽子か布団を頭からかぶって寝る。顔が布団からでていて夜中に頬がピリピリして目がさめたこともある。さすがに子どもが生まれたばかりの頃は夜中じゅう何か暖房していたが。
 1月にはいり、寒さが益々厳しくなる頃、寝室を居間に移動する。居間には薪ストーブがあり、これは夜遅く太い広葉樹の薪をくべておけば、朝までオキで温かい。火を落としたってそう簡単には温度は下がらないのに、それを措いてわざわざ寒い部屋に眠りにいくなんてもったいない。
 この季節にはいつも思うのだが、便利な暖房器具も保温性の高い寝具もなかった頃のひとたちはどうやってこの季節をのりきっていたのだろう。体力勝負? 寝る時にしても、今こうして薪ストーブのまわりに集まって布団をしいているように、囲炉裏のまわりで寝るなんてことあったんだろうか? ひとつの炬燵に家族集まって寝るというのはきくのだけど。
 オキが明け方まで温かいとはいえ、朝、布団から出るのがつらいことに変わりはない。雪が降ればなおさらだ。降ればダンナの山仕事は休みになる。ついダラダラしたくなる。が、そうはいかない。天気が悪ければ家族が朝から揃っていることを周りは知っている。知りあいのオジイサマが朝七時半から手土産持参で訪ねてきたり、「今日お父ちゃんおる? ハリしてもらえん? これから行くで」と電話がかかってくることもある。田舎は冬でも朝が早い。
 居間に布団を敷きちらかしている分、さっさと片づけなくてはならない。居間で寝ることの欠点といったらこれくらいで、こんな面倒はへでもないくらい、夜中凍るような部屋で寝なくていいということは有り難いことなのだ。

(54)愚痴をいう相手がみつかることが大切

 私の住んでいる地区は三世代同居がほとんどである。で、主婦専業のヨメはいない。子どもが保育園に上がるとすぐ働きに出ている。「働く」ことが家から出られる一番無難で正当な理由らしい。はたで見ていてそうだろうなあ、私がその立場だったらやっぱりそうするだろうなあと思っていたら、大阪からヨメに来た30代後半の友人がその通りだ、といった。

 彼女は8人家族(うち子どもは3人!)。家の中にいてはもちろん息が詰まるし、ゆっくり買い物でもすれば「どこで遊んできた!」だし、隣近所、保育園の父母同志はしがらみだらけで言いたいことは言えないし。働いていれば家を空けていても近所や親戚からうるさいことを言われずにすむ。でも 「ジーチャンとバーチャンあんまり仲良くなくて、2人きりにしておくと険悪なムードになることが多いから」と彼女は昼飯を必ず家に帰って食べている。「私でも一人いるだけで違うみたいだから」と言える余裕があるのは、家事は大変になったとしても、敢えて外に出ることを心掛けているからとのこと。気晴らしになるだけでなく、話相手、愚痴を言う相手をみつけられるからだそうだ。
 こちらに来て私も感じたことだが、楽しいことやあたりさわりのない話ならともかく、愚痴や、何かの批判を話すにはかなり相手を選ばなくてはならないのだ。若い人は別として、何だか皆さんそろって他人の噂話が好きなのだ。好きというより田舎の習慣なのかもしれない。どこの誰が何して何を言ったなんていうことはすぐに広まる。おまけに世間が狭いというか、濃いというのか、あちこちの家がどこかで親戚関係だったり、何かのつながりがあったりする。あっちを向いてもこっちを向いてもしがらみだらけだ。例えば私が保健婦さんや保育園の対応について批判まじりの愚痴を言おうものなら「あそこのカアチャンが誰々の姪の悪口をいっとった」ことになりかねない。しゃべった相手の同級生が保育園の先生をしているなんてことも。
 近所のヨメサマたちがなぜみんなフルタイムで働いて、畑をやらないのかの理由のひとつもわかる気がする。それにしても外で働くなんてことのなかった70代以上のオバアサマで健やかに年をとっている人たちの気持ちってどうなっているのだろう。

(55)今年は畑ができるかな

 春になって東京で桜の便りがきかれる頃、こちらは梅がさかりとなる。朝晩はまだ氷点下だが、日中はとても温かくなって、外での作業もずっとラクになる。日除けの帽子や手ぬぐいをかぶったお年寄りが、畑をおこしたり、土手の草焼きをする姿があちこちで見られるようになると、私も畑をやらなきゃ、と少々あせった気分になる。
 秋以来、ひさしぶりに畑に出て一番おどろいたのは子どもの成長ぶり。どうせひとところにじっとしているのを嫌がったり自分を相手にしてくれないのを不満に思う子どものおかげで、たいした仕事はできないつもりでいた。そんなことはなかった。私が雑草を抜けばいっしょになって抜こうとするし、虫を追ってみたり、石や草や土で楽しそうに遊んでいたりと、十分わたしの目の届くところで一人であそんでいる。私は手を動かしながらでも、時々話しかけられたときに答えてやったり、いっしょに唄ってたりしていれば満足している。
 冬のあいだに2歳になり、ちゃんと成長しているのだなあと改めて実感する。去年の夏秋はとにかく目が離せず、ほとんど畑はあきらめていた(それでもこそこそ家で食べるものはできたのだけれど)。一時保育も考えたが、現金収入にはならないことのために保育料を払うふんぎりがつかなかった(それで食費がうんと安くあがり、健康にすごせるなら保育料に見合うと頭では考えたが)。
 いま思えば「私はこの子のために、汗を流して土いじりをするという大好きなことを犠牲にしているのだ」くらいのことを考えてた気がする。仕方ないと、他に換えられない得るものがあるのだからと思っていたのも確かだが。子どもといるのは楽しかったし、時々は鍼灸の仕事もしながらだったのに贅沢なものだ。
 こうして子どもが変化するたびに思い知らされるのは「子どもはいつまでも今のままじゃない」ということ。頭ではわかっているつもりでも、いつもいつも、子育てのツラサの最中では、何故か「ずっとこのまま」という前提でものを感じたり、考えたりしている自分がいる。 私も早くここから成長しないとなー。

(56)平和教育?

 ヨッちゃんは、同じ市内に住み、養護学校に通う17歳の少年。ダウン症である。うちにときどき‘お泊り’にきている。
 彼は初対面のひとにはとても恥ずかしがりやなのだが、慣れるとひょうきんで、小さな子供が大好きなとてもやさしい心根の持ち主。うちの子供が一歳すぎのころからの付き合いだが、根気強くよく相手をしてくれている。
 汗をびっしょりかいてサッカーをしたり、鬼ごっこをするのも大好き。好きなテレビ番組は「ドラえもん」。「となりのトトロ」も好き。嫌いなものは残酷なもの、怖いもの、とても悲しいものなど。宮崎駿アニメでも「火垂るの墓」は嫌い。テレビで夏によく放映されるが、途中で必ず他のチャンネルに変えてしまっていたという。
 そのヨッちゃんが「火垂るの墓」を見た。今年、学校の修学旅行で長崎に行くのだという。「平和教育」の一環として学校の大きなテレビで全員に見せられたという。
 「見たくない」とはもちろん言えず、どんな気持ちがしたか言葉で表わすことも難しい彼は、それからしばらく、お腹痛い、気持ちわるい、ごはんが食べられない、状態になってしまった。
 「あの子たちにおしきせの平和教育なんて必要ないのに」、ヨッちゃんのお母さんから電話をもらって知った。学校では長崎の原爆で7万3千人が亡くなったからと、知的障害のある生徒たちに7万3千個の○を書かせて廊下に貼り出してあるらしい。
 先生たちは何を考えているんだか……? [平和]とは何か、自分の言葉で説明できないんだろうな、と思った。ふと、ホームレス襲撃事件で逮捕されたごく普通の少年が、「人権だなんだと言っている先生がホームレス排除に賛成しているし、自分も襲っていいのだと思った」というようなことを言っていたとどこかで読んだのを思い出した。
 かといって私が「平和」とは何か、どれだけわかっているだろう? ただ、ヨッちゃんのような人たちが、この世でどんなふうに生きてゆけるか、彼らの存在そのものが私たちへの平和教育でもあるんだろうな、とは思う。

(57)ヨソの親子は、うちの子は

 半年前のことになるが、女友達が2歳と0歳の子どもをつれて一週間ほどウチにきていたことがあった。ウチの子どもと合わせて大騒ぎだったが、私とダンナとムスメ各々にとっていい経験だった。マイコプラズマの置き土産をのぞいては。彼女とは東京にいた時の友人で、特に親しいつもりはなく、年賀状をかわす程度のつきあい。いろいろ事情があったようで、ウチも部屋はあるし、ダンナもOKなので、どうぞ、ということになった。上の子は同じ女の子だし生まれも2ヶ月しか違わないので、ウチにあるものでこと足りるだろうと思っていたら、そうはいかないものがいくつかあった。
 例えば服。会ってみて初めて体の大きさが一歳くらい違うことがわかり,慌ててしまいこんでいた小さい服をひっぱりだした。胃腸も丈夫でなく、下痢をしやすいらしい。ウチの娘がなんでもモリモリガツガツ、立派なウンチ、という感じなのでそのつもりでいたら、食事も気をつけなければならなくなった。
 風邪以外での医者通いもよくあるという。彼女の子どもとのつき合いかたをみて、自分は大ざっぱでルーズな子育てをしているなーとも思った。
 普段、よその子たちと遊ぶ機会があると、性格の違いには気付かされることが多かったが、生活をともにしてみないとわからないことに改めて驚いた。というより、いかに自分と自分の子どもだけを基準に単純にものを考えているかに気付く、とっても反省。
 これまでも、子育ての経験者の自分の経験だけを100%ものさしにして他人をとやかく言うのにへきえきすることがあった。例えば、お産は苦しくつらいものでしかないとか、粉ミルクはダメとか、子どもの体が弱いのは親の食事がわるいからだとか(おなじ兄弟で強い弱いがあるのに)、子どもが学校へ行きたくないなんておかしい(自分の子は喜んで行っている)、etc,etc.
 妊娠出産子育てなんて世界中の人がその文化のなかで、ずっと昔からはぐくんできていて、それだけ沢山のパターンがあるはずなのに、たった1〜2回経験しただけで、それがすべてのように錯覚してしまう。それだけ強烈な体験ともいえるのかな。とてもプライベートでとても普遍的な。
 とにかく私は自分の経験だけをものさしにして他の親子をはかる、なんてことなどないようにしなきゃ。

(58)「STILL BORN」

 ただいま妊娠5ヶ月である。もっと早くほしいと思っていたのがやっと授かったところが、妊娠がわかってすぐ流産の兆しが一ヶ月にわたってくりかえした。布団のなかでお腹に手をあてながら「ここにいてね、出ていかないでね」と超音波映像ではまだ人の形にも見えず、心臓の拍動の点滅がはっきりわかるだけのやや子にお願いしてすごした。
 不安はあったが、いったいどこから来るものか「時期さえ来れば必ず落ち着く」という妙な確信のようなものを感じていたとおり、妊娠四ヶ月を過ぎたあたりから体の不調はパッタリおさまった。先日の戌の日には赤飯をせっせと炊いてしまった(うえの娘の妊娠時にはしなかったのに)。
 流産、死産のことを英語でいうと「STILL BORN」というのだそうだ。日本語に訳すときには単純に「死産の、流産の」とされてしまいそうだが、英語の方には「それでもなお生まれた」という含みがあるという。この間はじめて知ったのだが、妊娠時の情緒不安定気味も手伝ってか、その時は涙がでて仕方なかった。
 女で鍼灸師という立場上なのか、仕事かどうかにかかわらず、流産、死産の経験をした人から話を聞く機会は少なくなかった。やるせなく思っていたのは、たしかにひとつの生命が育まれつつあったのに、流産、死産という名前でその存在が無かったことになってしまうこと。宿していた彼女たちにとっては「なかったこと」にするには難しい悲しみと混乱と体の苦痛を経験しているのに。そして同じような経験をした人以外には理解しがたいこととして心の底に。決して無くなることなどなく。
 こんなふうに書いたり人から話をきくことがあったりするのは、実は私自身も一度流産を経験したことがあるからなのだ。周囲の「なかったことにしよう」とするのとは逆に、私は自分を責め続け、妊娠と流産を受けとめきれずにいた。時間もかかり苦しみも伴ったがこのことは私のなかで何かを大きく変えている。何年もたってから思った。私の中で別の生命が生まれることと死ぬことの両方に意味があって必要なことだったのだ。そして生と死がおなじくらいの意味と価値があるのは誰の生命にとってもいえること。
 今まで何があろうと、この先何が起ころうと、私自身も、お腹の子も、私のまわりにいる人たちもみんな「それでもなお生まれた」存在なのだ。
 
(59)網戸

 我が家にもとうとうこの夏、ほとんどの部屋に網戸がついた。蚊はヤブに近寄らなければいないので、寝る時、蚊帳をつれば十分だった。ハエはハエ叩きや、ハイ帳、ハイとりリボン。どちらかといえばハチやアブに入ってきてほしくないとか、夜の電灯のついた部屋に蛾やコガネムシがブンブンするのも厄介という程度なので、これまでは網戸は居間と台所にしかつけていなかった。
 いちばんの理由は猫である。去年あたりから両隣りのオバアサマ方が猫にエサをやるようになり、なんだか猫が次々と増えてきた。
 ウチはちょうど猫の通り道になるらしい。ただ通って草取りして積んでおいた枯れ草の山にウンチをしていく位ならいいが、窓という窓から無断?進入して台所の食べ物を盗み?食いするのだ。人の気配があったってお構いなしである。すばしこさは自分の方が上だということを猫はよく承知している。食えりゃいいのだ。

 中にはいかにも病気があるようなのもいるので衛生面もすこしは気になるが、昼飯のつもりで用意していたものをやられた時ほどいまいましいことはない。
 同じ部落のあるオジサンいわく「オラア自主的に駆除しとるぜ」。棒でぶったたいて土手に放っておけばトンビやカラスが後始末をしてくれると言うのだ。たぶんその通りなのだろう。
私なりには、窓の下部に段ボールや使っていないベビーベッドの柵を置いてみたりもしたが、面倒なのと不安定で娘には危険なのと、どうやっても猫はやはり入ってきてしまうのであまりいいことはなかった。
 「無責任にエサをやるのはやめてくれ」と言うこともできる。南隣りの人たちは、ただ可愛くてあげているだけのようだが、東隣りのオバアサマは、何でも草焼きかなにかをしたとき、子猫がいるのを知らずに火をつけて可哀想なことをしてしまい、それ以来野良猫にエサをやるようになったとか。
 ウチにしてみれば、土足?で上がってきて食物を荒らしさえしなければいいだけのこと。やれやれお陰でこの網戸。この夏いちばんの出費となりそうだ。

(60)とうとう反抗期?

 2歳半をすぎた娘。オムツもとれ、人見知りも少なくなり、言葉でのやりとりも上手になり、ずいぶん楽になったなーと思ったのはつかの間のことだった。今度はいろいろと自己主張をするようになった。それも親にとっては都合のわるいことばかりに対して。
 「パンツはいて」「イヤ」「おしっこは?」「ナイ!」「お昼寝しよう」「イヤ、起きる!」「パジャマ着よう」「イヤ脱ぐ!」等々。いわゆる反抗期っていうやつらしい。ダンナが相手でも同じで、滅多にイライラすることのない人が、2歳の小娘に声を荒げるなんてことも。
 正攻法では必ず「NO」がくるから、その気になるようにおだてたり、注意を別のところにもっていったり、時間をあけてみたり、おどしてみたり。世話をするのにこれまで以上に時間がかかる。その上こちらの反応を伺っている様子だってある。買い物に出かけて自動販売機の前でジュースが欲しいと大の字になって大泣きするなんていうのは、さすがに数回で学習してくれたようだが・・・。
 腹の底で「コノヤロー」と思うこともしばしば。こちらも体調がきつかったり、時間にどうしても間に合わせなければならない時は、きつく叱ったり、力づくでさせたりということもないわけではない。でもできるだけ本人が納得の上で、というようにはしているつもり。だから面倒なのだけれど。
「親になってはじめて親のありがたさがわかる」これまでの子育てではピンとこなかった。出産は楽しかったし、いろいろと大変な面はあっても子どもと過ごすのは、これまでにない楽しさと得るものがあった。「こどもは3歳までに、その可愛いさで親に恩返しをしている」どちらかといえば、この言葉を実感していた。
 が、依存度100%のくせに、非現実的な「NO」の自己主張をするヤツを、それでもやっぱり一番可愛いと思いながらつき合い続けるつもりでいる。これって普通の関係じゃできないようなあ。誰だって通った道だろうし、親ってありがたいものなんだ。ここのところへ来て、やっとそんなことを感じている。
 ちなみに私の母は、私が「反抗期がなく、手のかからない子だった」ことを自慢?にしていた。その先き、すくすくとは育たなかったんだけどねえ。 もうしばらく、イヤイヤ星人との生活をちょっとムカつきながらも楽しんでみたい。

(61)自然な生って・・・?(1)

 妊娠、出産はひとりひとり違うものという。たとえ同じ人が三回出産したとしても、三回共違った経験になるもの、とは専門家も経験者も口をそろえて言う話だ。それが悲しいことになることも含めて。
 8月の末、東京に住む私にとってはとても身近な女性が、助産院で初めての出産をした。お産の始まりはゆっくりだったものの安産、赤ちゃんはすぐに産声をあげ元気だった。それまで「立ち会うのだけは勘弁して」と言っていた彼女の夫は陣痛からずっとつき合い、もちろん出産には立ち会って、週末だったこともあり、そのまま助産院に三日間泊まり込んで、オムツ交換や沐浴まで喜んでこなした(彼女も私も彼をそんなタイプではないと思っていた)。双方の祖父母にもダッコしてもらい、みんなに祝福された。が、赤ちゃんは三日間生きただけで逝ってしまった。
 解剖の結果、心臓の奇形と腎臓の癒着があり、もし設備の整った病院で出産していたとしても助からなかっただろう、ということだった。
 彼女が出産するにあたっては、その助産院と提携している総合病院でずっと定期検診をうけていた。妊娠中は特にトラブルもなく、医師からも問題なし、と無事月満ちてのお産を迎えている。
 彼女とは同じ妊婦同志「自然なお産」のことを話したり、励まし合ってきたが、今度私にできることは、彼女の話を一緒に泣きながら聞くことだけだった。赤ちゃんは救急車に乗っても泣く力はあったが、病院に着いた時には息をしていなかったという。
 彼女は助産院で生んだことを後悔はしていなかったが、もっと早く救急車に乗せられたら、もうすこしは生きていられたかもしれない、もっと早く気づいてやれたらと、全く手を打つこともできずに死なせてしまったと悔やみ、自分を責めていた。ここの助産師さんで、以前はターミナルケアも行う周産期医療センターに勤めていた人には「結果的に助産院でターミナルケアをしたようなものかしらねー」とも言われたらしい。
 彼女と赤ちゃんに起こったことは可能性としては誰にだってある。「自然な生」は「自然な死」と隣り合わせだということ。私自身が妊娠出産のあり方を選ぶ際にも考えてきたことではあった。

(62)自然な生って・・・?(2)

 私は第一子を自宅出産した。今回もまたそうするつもり。もちろんかかっている医師、助産婦さんのGOサインは出ている。
 もしも、のことを考えないわけではない。日本の周産期死亡率からすると約250人に1人の赤ちゃんがお産の前後で亡くなっている。ほとんどはもともとリスクのあった場合のようだが、(62)に書いたようなことだってある。一人目をうちで産むのを決めてゆく時に夫とも話しはしていた。
 最悪の場合、私も赤ちゃんも、ということだってありうる。もしNICU(新生児集中治療室)のある大病院で産んだいたら助かったかも、ということだって考えられる(確率からいけば交通事故にあう可能性よりずっと少ないのだが)。「出産ほど生死が同居しているものはない」そんな言葉もある。 交通事故にあうかもしれないからと車に乗らない人は滅多にいない。もしものことだけ考えてなにかを選ぶより、日々できることはベストを尽くして、納得のいくお産を、新しい生命を迎えることをしたい。ゼロ%ではない「もしも」はそれを受け止める覚悟をするだけ。今ここでこうして生きていることはすべてを説明しきれないように、人がいつどうして死ぬのかなんてわからない。
 死生観は人それぞれのもので、こうして書いていることが誰にでも通じるわけではない。話がずれるが、自宅出産を選ぶということは、「白血病治療に有効で、骨髄移植より危険が少ないといわれる臍帯血移植」には協力できない、ということでもある(だから募金はしたのだけれど)。無事生まれても、その先自分の子がそうした病気や、脳死からの臓器移植しか助かる見込みがない病気になった時、どう判断するのだろうか、と考えたりもする。どう産むのかということにしても、子どもの命や健康が、親の考えひとつで左右されるものなのだ。
 その時ベストだと思って選択したことでも、後で変わるなんて人間だからあるとは思う。 ただ、悲しいこと嬉しいこといろいろあったとしても、自然の力というのか、命の力というのか、命が向かおうとしている方向、を信じたいのだ。赤ちゃんの命、わたしら親自身の命、両方の命の力の向きを。

(63)押し入れの肥やし

 捨てられなくて困っているものに「布」がある。ほとんどが着ることのできなくなった服で、そのうち何とかリサイクルしようと思いながらためこんでいたらダンボール箱がいくつもできて、押入れを占領していた。タンスならぬ押入れの肥やしである。
「要らなくなった服」はものが良ければ誰かにあげたり、リサイクルショップに売ったり、バザーに出すなどできる。そういう道のあるものはとっくにしているし、私も夫もオシャレは得意ではないので、そんな人様にあげられるようなものは滅多にない。私自身の服を手に入れる手段の多くが、友人や妹のお下がりである。お店で選ぶのが苦手なのだ。それらも傷みは繕いながら着て、ヨレヨレになって野良着としても厳しくなってから「要らなくなった服」となる。
 服として使えそうもない服をどうするか。市の資源回収に出すといったって、実際はゴミとして焼却されているのだ。「布」としては工夫すれば何かに使えそうなものをゴミにするなんてもったいない。そうしてためこんでいたら結構な量になってしまった。結婚前、夫とつき合っていた頃の私の姿をみかけた近所のオバアサマから夫は「あんたは身所持ちになる」と言われたそうだ。私の格好が地味でオシャレしそうにないから金を使わない、という意味だったらしい。金を使わなくて、要らないものをためこんでしまう、という別の意味では当たっているかも。
 布を再生させるには手をかける余裕があれば、裂き織りや、使える所をぬい直して子ども服を作るとかできそうなものだ。が、普段の繕い物だけで手いっぱいでなかなかそこまでいかない。手っ取り早いのは雑巾や台所で油汚れを拭き取るためのただ小さく切るだけのもの。
 子どもが赤ちゃんの時はおしりふきやオムツのウンチ汚れを楽に洗濯するためのあて布にも。これらにしたって綿中心。化繊が入ると使い道に困る。綿だって再利用の需要以上の供給が。
 もとはといえば私がもらいもの中心で済ませているからいけないのか。くれる理由の第一は「飽きた」から。まだ着られるのに次々と買い換える人達に頼った生活をしているからこんなことに?
 もったいないからと言いながら生かしきれもない自分もねぇ。思い切って処分してしまえばいいだけのことなんだけど・・・。

(64) 赤ちゃんの個性

 二度目の出産はあっという間に終わってしまった。助産婦さんが心配していたような「間に合わなくて1人で産む」ようなことにならずホッとしている。母子共に出産もその後の経過も無事、順調だからこそ思えるのだろうが、お産にエネルギーをあまり使わないということは、その分を上の子に回せるのだなあと感じている。
 赤ちゃんでも新生児のうちから個性があると育児本には書いてあったが、二人目の子どもという較べる対象ができて、まあこんなに違うものかとびっくり、そして愉しく嬉しくも思っている。
 出産直後の乳首の吸い付き方から始まって、眠り方、抱かれる姿勢や抱っこしてゆらしてあやす時のリズムの好み、お乳の飲み方etc、いくらでも例を挙げられそうだ。
 特に泣き方の違いは上の子が眠っている時、夫との話題によくのぼる。上の子は生まれたての時、お腹がすいても、オムツが汚れても、スイッチを入れたように泣き始めからテンション高く、欲求が満たされるまで泣きつづけていた。赤ちゃんとはそんなものだと思っていたが、今度の子が生まれてみて、もっと落ち着いた?!母子手帳の副読本に書いてあった通りの泣き方をする赤ちゃんもいるのだと初めて思ったくらいだ。上の子は今3歳前。感情表現、好き嫌いはとてもはっきりしているたちで、スイッチを入れたり切ったりするように大声でいきなり泣き始め、ぱたっと泣きやむところがある。これって生まれつきだったのね、と改めて思ったりしている。他の特徴もよく考えてみると赤ちゃんの時の延長のようだ。
 較べるものがあってはじめてその子の個性を確かに思うなんて親としてどうかと反省しなければ。生まれもっての個性なのだったら他人とちょっと変わっていたとしても、その個性を良く伸ばしてやりたいと改めて思った。 (どっちに似た?という話も夫と冗談まじりにするのだが)。
 今度生まれた子はどんな子に育つのだろう。とにかく、今ここにいてくれて、生きていて、生まれつき与えられたものをそのまま表すことができていること、こんな時期を夫とともにいっしょにいられることをとても大切で有り難いことだと思うのだ。
(佐保さんの第二子、いくのちゃんは平成14年12月4日に誕生されました。中村)

(65)ちょっとブルーだった

 次女を出産してから、何となく気分がスッキリしない日が続いていた。人い会いたくない、電話にも出たくない、家事をするのもしんどかったが何とかこなしていた。赤ちゃんはいい子でどんどん大きくなるし、母乳の出はいいし、長女は元気いっぱいで、夫は協力的で、これ以上何の不満があって?私はちょっとお疲れかしら、となるべく家事は手を抜いてすごすように心がけてみたりした。
 そんな折りインフルエンザにかかってしまった。赤ちゃんにだけはうつらないように祈るような気持ちでいた。高熱のせいかどうか、布団の中にいるとどんどん後ろ向きの気持ちになってくる。何がどう悲しいのかもないのに涙が止まらなくなってしまい、久しぶりにずいぶん泣いた(子供も夫も知らない間だけど)。嫌な考えも次々と出てきて、余計にみじめな気分になる。
 泣くだけ泣いたら落ち着いて眠れた。マタニティーブルーっぽいのかなー。産んで一ヶ月半なんだよなー、と思いながら。布団の中でみじめな気分で泣いてばかりいるこの感じ、十年余り前、しっかりウツになった時のこともひさしぶりに思い出した。
 何もできなくなって精神科で抗うつ剤などを処方してもらって家にこもっていた。少し上り調子になった頃、とにかく日々を過ごすのが、時間がたつのが辛くて、アルコールや睡眠薬を飲んでみたり、死ぬことばかり考えたり。何とかしなきゃと思い、始めて役に立ったのがヨガだった。前に2〜3回人に教わったことがあって、本も持っていたので、自分なりにやってみた。ゆっくりゆっくりひとつひとつのポーズをする。今どの筋が伸びてどの関節が曲がっていて、息を吸って吐いて・・・・。やっている間はそれだけを気にしていればよく、何も考えなくて済むのがありがたかった。ゆっくりやるので1〜2時間はすぐに過ぎ、できる時は朝、昼、晩とやっていると酒のびんのふたを開けなくても済んだ。慣れてくると体は柔らかくなり、体を動かしていることがとても気持ち良くなった。そのうち週一回教室に通うようにもなり、やみつきに。その後元気になって忙しくなるにつれ、たまにしかやらなくなったが。
 インフルエンザは4日程で良くなり、赤ちゃんは何事もなく、私はそれまでより気分も少し明るくなった気がしている。前のことを思い出したおかげで、長女を産んで以来ヨガのようなことはすっかりやっていないことも気がついた。また復活してみようかな。

(66)新 し い 道

 私の家から1Km程離れたところに県道が走っている。もう何年も前から改良工事が進められていたが、去年市内の部分は完成した。
 それまでは車一台すれ違うこともできない区間も結構あったので、確かに運転が楽になった。でも、何でこんなに広くてまっすぐな道路が必要なのだろうと首をかしげるくらい立派な道である。
 これまでのくねくね細道を避け、山を削り、谷に橋を渡し、巨木と指定される程ではないけど古くて立派な大きな木を倒して通した道。風景は変わり、車は時速70Km位は当たり前のように出して走っていく。通行量は少ないので信号機などない。こんなに車が通らない所にこんなに立派な道をつくるなんて、これこそ無駄な公共事業ってヤツなんだろうな。 車同志の交通事故も起きるようになった。道端を歩いていても気持ち良くない。車道と距離はあっても車のスピードがスピードなだけに恐い。お年寄りにとっても厄介な道となったようだ。道の反対側に渡るために長い距離を横断しなければならない。車はあまり来ないので渡り始めると、すごいスピードで車が来てしまったりして、危ないことになるのだ。よそにお茶を飲みに行きづらくなった、と嘆いているのを聞いた。
 地域外からも車が入ってきやすくなった。畑を荒らすのはシカやイノシシだけではないらしい。頭に黒い毛が生えたケモノも出没するようになった。アスパラガスがつまれた、越冬用に掘り出して積んでおいた大根がなくなったetc.。春先にはよそからマイカーで山菜取りに来る人達のマナーの悪さが話題になるが、山菜取りのついでに畑のものも摘んでいこうとする現場に遭遇してしまった人の話もきいたことがある。
 速度違反の取締りと事故処理のため、町でしか見かけることのなかったおまわりさんやパトカーを、ときどき見るようになった。
 工事を請けた業者の人たちには仕事ができたし、町に出掛けるのに数分の時間短縮になった。観光客を乗せた大型バスも難なく通る(そんなことは滅多にないようだけど)。
 やっぱり、この道をつくるお金があるのなら、もっと別のところに使うべきなんじゃないの、と思ってしまうのだ。