39.<牛蒡・ゴボウ・悪実・牛蒡子>
薬草園に現在の小屋が建つ前、10年間にわたって借り住まいしていた旧家から坂をおりてくると、右側のかなりきつい斜面がMさんのお宅の畑。70歳くらいの仲のよい御夫婦がいつも手入れしていて、私どもは通りがけにいろんな立ち話をしたものです。帰りに持っていきなと、畑の作物をよく道路わきに置いといてくれました。畑作業が終わって軽トラックで上がってゆくと、ちゃんと目印がしてあって、大根やキャベツ、白菜など頂いたものです。宝物のようだな。そういえば、今薬草園にある苺のご先祖はこのMさんから頂戴したものです。
このMさんの得意技のひとつが牛蒡でした。長さ70cmくらいの太い、ゆたかな牛蒡です。その収穫は斜面を利用したもので、長芋の掘り方と同じ。さくっさくっと深く掘ってゆくと、牛蒡の根全体が横から現われてきますから、あとはその溝に入って、手で外してゆくだけです。この牛蒡だけはあんまり見事で、もらってはわるい、毎冬この季節、正月用に買ったものです。
牛蒡は、食品としてキンピラが一番有名。このキンピラは、金平と書き、江戸時代初期につくられた浄瑠璃の主人公で、なんと坂田金時の子どもで、その名も怪力無双の坂田金平。牛蒡を食べると精がつくから、金平牛蒡と呼ばれたそうです。
ゴボウはキク科の越年草でユーラシア大陸に広く分布し、日本へは中国から薬用として入ってきたといわれます。よく知られているように根を食べるのは日本だけで、ヨーロッパでは葉をサラダにするそうです。根は、センイのよさが見なおされている昨今では、もうこれ自体食べるクスリみたいなものです。
漢方薬としては、種子の牛蒡子(悪実)を使います。悪実(アクジツ)とはすごい名前ですが、トゲトゲのついた格好の悪い実からきたらしく、ちなみに牛蒡の花言葉は「私にさわらないで」だそうです。この成熟種子を乾燥したものは解熱、解毒などの作用があり、風邪くすりや皮膚科のくすりなど多くの漢方処方にはいっています。
なお、ヤマゴボウ(商陸)という生薬がありますが、これは、牛蒡とは別のものです。
40.<蜂蜜・白蜜・石蜜[蜜乳]>
登場するのが遅すぎたくらい、ハチミツも食品であると同時に主要な漢方薬のひとつです。
洋の東西をとわず古代から用いられ、有史以前、例えばアルタミラの洞窟壁画にも蜂蜜の採取風景が描かれているし、古代インドの仏典などにも登場します。日本では、スサノオノミコトがオオナムチノミコトをこらしめるために、蜂の部屋に閉じ込めるという(拷問ですね)記述があったり、『日本書紀』には朝鮮半島、百済の太子余豊が、「養蜂」を日本に伝えたとあります。 2000年前の中国の医書には、常用してもかまわない薬(上品)として、「味甘平、心腹の邪気、驚、癇、痙を除き、五臓を安んじ気を益し、痛みを止め、毒を解し、百病を除き、百薬を和し、久しく服すれば志を強くする。身を軽くし飢えず老いず」とその効能が書かれています。
ハチミツは、働きバチがいろいろな花の花蜜腺を吸って巣に帰り、貯えた甘味物です。いちどハチの前胃の中に入ったものを吐き出すので、この間に花蜜のショ糖は加水分解されて大部分は転化糖になっているのが特徴です。
それ以外に、脂溶性以外のビタミンなど、ほとんどすべての栄養源がそろっているといわれ、古代より人間に重用されていた理由がわかります。なお、もっと凄いといわれるのがロイヤルゼリー(蜜乳、ロイヤルから王乳とも)ですが、これは、蜂蜜でなく、女王蜂をただ一匹残すために働き蜂たちが与える咽頭腺や大腮腺から分泌される栄養物です。なにしろこれだけで育てられる女王蜂は身体が他の蜂より3倍大きく30倍長生きし多くの卵を産みつづけるのですから、そんなぜいたくなものを人間が見逃すはずはなく、特別に高価な健康食品となっているのです。
さて蜂蜜は、漢方では肺を潤し咳を止め、腸を潤し便秘に、胃の痛み、口内炎、火傷などに使われます。外用としては何といっても美肌クリーム。そして何より滋養強壮薬として他の生薬と組んで使われます。いちばん多い使われ方は、漢方薬を飲みやすくする為に味をよくする矯味。八味丸などおなじみの丸剤をつくる時の成型(粉末生薬のつなぎ)。他に、毒のあるトリカブトを蜂蜜で煎じるといった特別な使い方もあります。また潤腸作用をそのまま、まともに発揮させる使い方として、蜂蜜の水分をとばして固形にし、座薬にしてお尻にさし込むという浣腸的な使い方もあります。
41.<阿膠(アキョウ)・膠[煮皮]・ゼラチン>
粉末ゼリーでお菓子のゼリーをつくる、ゼライスという名前で買っていたのではないですか。これは御承知のようにゼラチンという変性蛋白質で、昔から重要な漢方薬でもありました。
膠は、ニカワとよみ、漢字で書くと煮皮で、新鮮な牛や驢馬(ウマ科ロバ)の皮を、毛を抜いてから何回も何回も煮込んでつくります。膠質(コラーゲン)をとことん煮出し、水に溶けだした変性蛋白質(ゼラチン)を固めたものをつかうのです。古書には「こうして煮だした膠には三種類ある。清くて薄いものは画に使用する。清くて厚いものは薬に用いる。濁って黒いものは接着剤として用い、薬にはならない」とあります。使い古しの靴などの革製品を煮込んで膠をとるなんてこともあるようで、これは服用したくない。画に使用するとは墨などの絵の具に光沢や厚みを出すためにまぜるということでしょう。普通の薬では、カプセルなどはこれを用いてつくります。
その昔、山東省の東阿県の井戸水で煮つめてできたニカワが良品とされたので、東阿県の阿をとって阿膠(アキョウ)。これが漢方薬としての一般的な呼び方です。
ゼラチンは常温で固体、60°くらいで溶けますから、お菓子をつくるときも、漢方薬として服用するときも、やや温度を下げてから、溶かし込みます。煮沸してしまうとまた成分が変わってしまうので、必ず他の薬草を煎じた鍋を火からおろして、一呼吸してから阿膠を溶かし込んで服用します。
その主成分は蛋白質で、さまざまなアミノ酸に富んでいます。したがって漢方的効能としては、補陰、補血、一口にいえば滋養強壮の作用がつよい。婦人の産後の体力回復とか、慢性病で体力が低下している状態に使います。もうひとつの効能は止血。鼻血から下のほうのお尻の出血まで、いろいろな出血を止めるくすりに配合されます。
動物の皮を煮ることは普通経験できませんが、焼トリの“カワ”なら知っている。プリプリした食感が膠です。煮魚を一晩おくと煮汁が固まって煮凝りができますが、まったく同じもの、膠です。薬になるくらいですから栄養価が高い。アンコウの皮とか、豚足とか、牛スジとかテールとか、そうしたプリプリした膠質はみな健康食品です。気持ちわるがらずおおいに食べましょう。
42.<百合[ビャクゴウ・ユリ・ユリ根]>

百合と書けば、誰でもユリと読み、あの美しさと清楚さをもちあわせた花や、茶碗蒸しにいれるおいしいユリ根を思い出します。古く日本では由利、由理、あるいは由流などと表記されていたようで、『古事記』には神武天皇が小川のほとりに小さなユリ、子由理(サユリ)をみつけたという記述があります。ユリには多くの種類がありますが、葉が笹のようにみえるササユリについて、牧野富太郎博士のエッセイには「土佐高岡郡佐川町付近の山地にササユリの一変種がある。花の咲いている時分に山村の人が十本くらいの根を一束にして市中に売りにきていた。その根を薬用食にせんがためで、これを食すと痰がとれるといっている。これは私が子どもの時分のことであった……」とあります。
普通郊外の崖などに今でもよく見かける大型の白色のユリはヤマユリと呼ばれ、その根は食品としておいしい。料理ユリといわれたり、地方名をつけて吉野ユリとか箱根ユリとか呼ばれます。もちろん、市場に出ているユリ根は栽培ものですが。
「百合」とは、中国名。日本でもかなり古くからそれにならって由理→百合と表記がかわりました。漢方の世界では、ユリと呼ばずビャクゴウ。なぜ「百合」なのか中国の古医書でも諸説あり、例えば「百合は多くの弁が合わさって出来ているから百合。または百合病を治す薬だから百合」とあります。多くの弁とは花のことをいってるのでなく、ユリ根のあの鱗片の重なりのことでしょう。百合病とは、古書には「百合病は百脈一宗ことごとくその病を致すなり」とあり、未だにはっきりした解釈のつかない病名として有名です。百合しか効かない病気だから百合病というのだ、といわれても、なにしろ具体的症状の記載が古典にあまりないので、いまだにすっきりとしないのです。
薬としての百合は、食用よりはやや苦いといっても基本的には同じものを栽培して漢方処方に入れます。潤肺止咳といって、カラカラに乾いた気道を潤すことによって咳を止める効力があります。ユリ根を食べればわかるように消化がよく滋養にとんでいますから、咳で体力が落ちているときには絶好です。
同じ咳止めで、同じユリ科のアミガサユリの根茎も同じような生薬ですが、これは漢方名貝母(バイモ)といって別に扱います。
43.<鶏子黄[鶏子白・鶏冠血・鶏内金・鶏屎白]>

鶏は古くから家鶏として飼育されていました。日本へは大陸から伝わり、奈良朝頃より飼育されていたといわれます。もっぱら祭礼用、鑑賞用で、古医書には「人家で故なくして鶏が鳴くのは荒鶏であり不祥事のある兆し。夕暮れに鳴くときは天恵のある兆し。老鶏で人間の言葉を解するもの、牝鶏で雄鶏のように鳴くもの、雄鶏で卵を生むもの、これらは殺せばよい」などとあって、やはり朝を告げるあの鳴き声からでしょうか、ただの家畜ではなく、「霊禽」扱いされてます。また近年流行の黒いチキン、烏骨鶏のことも毛の黒いのと毛は白くても骨が黒いものとがあると、書かれています。食用として普及したのはつい明治以降です。食用としての栄養は皆さん御承知の通り。古医書にも、薬として、薬膳として、いろいろな生薬といっしょに煮たチキンスープが沢山紹介されています。
漢方薬名の鶏子黄は卵の黄身のこと。黄身は前に紹介した阿膠(ゼリー)と似た効がありと書かれてますが、実際生薬を煎じたあと、阿膠と黄身を溶かし込む方剤が有名で、熱で身体が弱ったときに使います。
鶏子白は白身のこと。白身の中にはリゾチームと呼ばれる抗菌物質が多量に含まれるため、火傷や外傷の皮膚の修復に最適。指の爪が化膿した(ひょうそ)の時、生卵に穴を明け、その指を突っ込むというやり方。私は実際やったことがあります。白身につつまれると、化膿した部分がじーんと冷やされ痛みが軽くなった印象が残ってます。
鶏冠血は、トサカからしぼった血。意識不明で倒れている人の顔にベッタリ塗ると意識をとりもどすとあります。
鶏内金は、鶏の胃袋である砂ギモの内膜をはがしたもの。つよい消化剤。何でも消化してしまう鶏の胃袋をそのまま消化剤として用いるという古人のやり方です。
鶏屎白は、ケイシハクだから発音は鶏子白と同じでも、鶏の屎の白いところ。屎とは糞のこと。糞の白いところを集めて日干しをし、酒で煮つめてカリカリにしたものを粉末にして使います。糞を口に入れるのは抵抗があるかもしれないが、身近なところではウグイスの糞などはごく最近まで使われていて美顔剤ですから、そんなに奇異なことではありません。お腹の張ったとき服用する、とあります。
44.< 竹[竹葉・竹茹・竹瀝・筍]>

筍(竹の子)の季節。薬草園のお隣の千代子さんの竹林で、筍掘りをさせて頂き、毎春おいしい経験をしています。冬の間に、この竹林の落葉を集めさせて頂き、薬草園の堆肥の大事な原料のひとつにもなってます。
竹は種類も多く、古来日本にも野生していたそうですが、筍で一番有名な孟宗竹は、江戸時代に、沖縄(琉球)地方に大陸の南方から移したもので、それが薩摩藩経由で全国に拡がったそうです。南方系のものですから関東以北にはありません。
竹類は大きく竹と笹に分かれます。葉が堅く茶色にまきついたままになり、むけにくいのが笹だと聞いたことがあります。一般には「ささ」は小さいという意味で、竹の背の低いものの総称。ささは酒のこともいうので、大名に「ささを飲むか」と勧められた八五郎が「いくら貧乏してても熊じゃねえからささ(笹)はくわねえー」とやる落語もあります。このように笹は全国に自生していて、特に熊のいそうな北方に多く、南方中心の竹と異なります。
竹や笹は木か草か。その中間ということになっています。分類は、被子植物のなかの単子葉類イネ科ということになってますが、一日に1メートル以上も伸びることもある竹はイネとは似てない。竹の子が50〜60日も伸びるともう一人前になり、それ以上は太くならない。年輪もないし中空だし、竹を割ったような気性というように、縦にだけ割れて横には決してわれない。堅くなるのは茎に珪酸が多く含まれているから。一方、樹木の幹はリグニンが多く含まれている。形成層から細胞分裂して太くなってゆくので年輪ができる。そういうわけで、竹は草でもなく木でもない特殊な性質をもっているので 「木に竹を接ぐ」(いっしょにしても馴染まない、不似合いだ)というコトバもあるのです。
さて漢方薬ですが、ハチク(淡竹)やマダケ(真竹、苦竹ともいう)などが使われます。竹の葉っぱ竹葉(チクヨウ)は熱病後の衰弱した身体の余熱をとりながらさっぱりさせる作用。竹茹(チクジョ)というのは竹の皮をはいだあとの中間層をうすく削りとったものを使います。基本的には竹葉と同じ作用です。竹瀝(チクレキ)は、竹の茎を縦に割って火であぶってジワーッと両端から出てくる液体を集めたもの。採集するのがとても大変ですから貴重品で、これを凝固したものを「天竺黄」といい、脳卒中やひきつけの聖薬とされていました。
45.<海藻[マクリ・アヤギヌ・マコンブ・テングサ]>

今回は、薬に用いられる海草のおはなし。漢方で薬に用いる海草といえば、まず第一に海藻。発音は同じカイソウ。2千年前の中国の古医書に掲載されていて、日本では江戸時代に、ホンダワラをこれにあてたようです。昔から海のない山間地域では、甲状腺肥大が多く発生し、海藻の有効なことが知られていました。主成分がヨードであることは皆さん御存知。甲状腺ホルモンの成分として全身の代謝に関係しています。原発事故といえばヨード剤。明治初年にフランス人宣教師が海藻の灰からヨードを採る方法を日本に伝え、ヨードの国産化がはじまり日本の近代製薬工業の発展の基礎となったといわれます。漢方では堅い腫れものを軟らかくして消す作用や、過剰な水分をとる作用があるとされ、甲状腺肥大や結核などの頸部リンパ腺の腫れ、肝硬変の腹水などに用いる方剤に配合されます。
マクリは紅藻類の海人草のこと。生後間もない初乳以前の赤ちゃんに、これを吸わせて胎毒を下す、という習慣が1000年以上前からあったので有名。「まくり」は胎毒を下す薬の一般的な呼称ともなり、この海人草の入っていない「まくり」もあった。最近ではあまり用いないが、アレルギーの時代には見なおされてよいかもしれない。海人草のもうひとつの作用は駆虫作用。江戸時代からアヤギヌ(鷓鴣菜)とともに虫下しとして多用された。ともに主成分はカイニン酸で、ヨモギからつくられる虫下しサントニンとあわせて、カイニン酸サントニンとして用いられています。
コンブはおなじみ昆布科のマコンブ。ようやく食べるクスリになりました。クロメやワカメも用います。食品のダシとしてはうま味成分のグルタミン酸やアラニン。薬としては海帯といい、薬効は海藻とほぼ同じ。
テングサ科のヒラクサを煮て溶かして固めた「ところてん」をさらに凍結乾燥したものは、お馴染み「寒天」。江戸時代初期、京都で大名が食べ残した「ところてん」を戸外に捨てたものが寒気で凍結し、鬆の入った乾物になっているのをヒントに宿屋の主人が作ったから寒い日の意味で寒天。御存知のように、この煮出し汁は常温で固体となるので、和風お菓子、微生物実験室の培地として不可欠。粉末で服用すると水を吸って膨隆するので慢性便秘によいし、低カロリーでお腹一杯になるダイエット食としても使われます。
46.<独活[ドッカツ・ししウド・羌活]>

独活といえば、先日亡くなられた張瓏英先生の推奨した独活寄生湯を思い出します。先生は日本に中医学をもたらした大恩人のお一人でした。
日本で独活といえば、ウコギ科のウドのこと。畑の近くの竹やぶの小暗いところにウドを見つけたことがあります。一般には静岡では暖かすぎ、涼しい長野や群馬に自生します。一夏でぐんぐん伸びて見上げる程にもなりますが、しょせん、木でなく一年生の草ですから、茎は太くても柔らかで冬になれば枯れてしまう。なりはでけえが柱としては使えない「ウドの大木」というわけです。「ウドの大木、杖にもならぬ」とも。食品としては、江戸時代から、直射日光を遮って軟化栽培していたようで、現在スーパーに並ぶ白いウドはみなこの栽培品です。アクをとって生のまま、または湯通ししてつくる味噌あえ(ヌタ)は、初夏の私の大好物です。
江戸時代の外科医の華岡青洲のつくった十味敗毒湯という皮膚のできものをきれいにする処方に独活が入ってますが、これは日本産のウドのことでしょう。薬用部分は根茎です。
中国で独活というとセリ科のししウドのこと。先ほどのを和独活というのにたいしてこちらは唐独活。ウコギ科とセリ科は近縁ですから姿形はそっくりです。いのししが食べるから? ししウド。すっくと独り立って風に揺れないから独活というと古書にあります。また、この草は、風には揺れないで自ら動くというので独揺草というともあります。
根茎を乾燥して処方に入れますが、薬効は青洲の十味敗毒湯のように、体表の熱や毒をとる働きがひとつ。もうひとつ、冒頭に述べた独活寄生湯の場合のように、身体の中の風湿を除き、経絡を通す作用があります。健康な身体では、気血が順調に経絡を巡っているのですが、風湿の邪がそこにとりついて、気血の流れを疎滞すると、腫れたり痛んだりするのだという考え方です。具体的には関節の腫れ痛みによく用い、張瓏英先生は関節リウマチに用いると同時に他の膠原病にもこの処方を応用しました。
近縁の植物に羌活(キョウカツ)と呼ばれる生薬があり、薬効は独活とほぼ同じで、よく同時に処方されますが、羌活の方は、より芳香性がつよい(気の働きがつよい)ということで、上半身の痛みや頭痛のくすりによく配合されます。
47.<石榴[せきりゅう・ザクロ・石榴皮]>

ザクロといっても若い人たちは知らないかもしれません。フルーツ店やスーパーで初秋によく探せば今でも手に入ります。赤味がかった茶褐色の厚い皮がはじけて、中に紅いルビーのような珠玉がつまっているといえば、あれかと思いつくでしょうか。私が育った家の庭にはザクロの木があって毎秋、10コくらいの実はつけていました。食べもののない頃でしたから、珠玉をはずしては食べ、その中の小さな種をぺっぺっと吐き出したものです。甘さはあるにはあるが何といっても酸っぱいので子どもたちが好んで食べるフルーツではありませんでした。
このザクロの実の味は、人の肉の味とよく似ているといわれます。王舎城の夜叉神=鬼子母神は千人とも万人ともいわれる子持ちでしたが、人の子を奪って食べるという鬼女でした。これを知った釈迦は、彼女を戒めようとして、彼女の最愛の娘を隠してしまい、子を失った親の悲しみを味わわせて諭したのです。そのうえで、どうしても子どもが食べたくなったらかわりにこれを食べなさいとザクロを与えた、というおはなしが仏教の教典にあります。鬼子母神が懐に子どもを、手にザクロを持っている由来で、仏教ではザクロのことを吉祥果とおめでたい呼び方をします。
ザクロは、2000年前に中国の西方、ペルシャ北方の安石国からシルクロードを伝わり入ってきた外来果物で、実が瘤(こぶ)に似ているから安石瘤、または単に石瘤。ペルシャから西方ヨーロッパへも早くから伝わり、さかんに栽培されました。西の終着点のスペインの町グラナダのグラナダはザクロの意味です。
ザクロは石榴の日本読みといわれます。日本へは大分後、平安時代に薬用に持ち込まれたといわれます。当時の貴族が使った銅鏡はすぐ曇ってしまうので、ザクロの実を袋に入れ、キュッキュッと磨くとクエン酸などの力で金属の鏡がピカピカになったといいます。
ヨーロッパの古医書では、ザクロは根の煮汁は偏平な虫を駆出するとあります。サナダ虫の特効薬というわけです。漢方の世界でも、ザクロの東の方向に伸びた根の皮は回虫やサナダ虫を治すとあります。
漢方薬としては果皮を乾燥してくだいたものを虫下し、下痢止めとして用います。また根皮も上述のように使います。
48.<山茱萸(サンシュユ)[ミズキ・春黄金花]>

九州宮崎県の民謡に「庭のサンシュョーの木、鳴る鈴かけて〜」とあるのを、以前からサンシュユなのかサンショー(山椒)なのか? と思っていました。どうも本来は今回話題にするミズキ科の山茱萸らしいのですが、サンシュユよりも山椒の方が馴染み深いので、現在は民謡協会がサンショウの方に統一しているようです。
山茱萸は、春に黄色い小花が散形花序につき美しいので、春黄金花(ハルコガネバナ)とも呼ばれます。秋には、楕円形の長径1cmくらいの真紅の実をたくさんつけ、これも美しいから秋珊瑚と呼ばれ、庭木として街路樹としてよく見かけます。
この赤い実は、グミの実と似ているけれど、グミは、山茱萸のような高木にならないし、まったく別の植物。グミのことを「茱萸」と書くこともあるのでややこしい。ともに食べられるという点では共通するけれども、別もの。もうひとつ茱萸と書いて、「呉茱萸」という木、これはミカン科の木でやはり秋になる実を漢方薬として使う点では共通しているがまったく別の植物。こちらの実は苦くてまずくてとても食用にはならない。この呉茱萸は当院の薬草園にたくさん植えてあり秋の収穫、その後の処理も楽で、実際使っています。
さて山茱萸ですが、これも当院の薬草園に10本近く植えてありますが、まだ小さく花を少し咲かせるだけで、実の収穫まではいきません。他の薬草園などでびっしり実をつけた山茱萸をよく見かけますが、収穫と処理のことを考えると気が遠くなります。
山茱萸は中国原産のミズキ科の落葉高木で、江戸時代に薬用として輸入されましたが、前述のように今では花木として一般にひろまっています。
漢方では、秋によく熟した実を収穫し種を除き、果肉を乾かして使う。ちょうど干しぶどうのような感じ。酸っぱくて渋いがわずかに甘味もある。この酸っぱさが漢方的には、肝や腎に働き、足腰の痛みや性機能低下や目まいや耳鳴りなどに効きます。渋味は弛緩した働きをキュッとひきしめる働きがあり、夜尿や頻尿など、やはり老化現象に効きます。ですから老化現象一般を防止するといわれる八味丸(六味丸)などに含まれて中心的な働きをしています。民間薬としては同じ意味で山茱萸酒をつくっておけば、八味丸を服用するのと同じ働き、老化防止、滋養強壮剤となります。
49.<地膚子[じふ・箒木(ホウキギ)・トンブリ]>
ヨーロッパ原産でユーラシア大陸に広く分布するアカザ科の一年生草。中国のもっとも古い生薬の本『神農本草経』では、「膀胱にこもった熱をとる作用があり、小便の出をよくし、腎の気をます。さらに久服すれば、耳や目が聡明になり身体が軽くなり、老化を防ぐ」とあります。このように中国でも2000年以上前から薬として栽培されていました。この久しく服すれば年をとっても身体が軽く仙人のように不老不死が得られる、という記述は中国古代の神仙思想といいますが、現代人からみて、ナンセンスと言い切れるでしょうか。現代人が不老長寿を夢見て服用している降圧剤や高脂血症治療薬の方が私にはずっと神仙思想にみえます。
日本では平安時代の『延喜式』に「武蔵国より地膚子一斗五合、下総国から地膚子一斗を貢献する」とあり、貴族たちの薬用としてすでに栽培されていたことがわかります。江戸時代の『農業全書』には、「地膚はハハキキとかほほき草、と呼び、葉をあえ物あつ物として食用にし、種子は薬として、収穫したあとの草は乾燥して“ほうき”として用いる」とあります。学名はKochia Scopariaで、Scopariaは「ほうき、ほうき状の」という意味ですから、洋の東西を問わず,茎や枝を乾燥して束ね、「箒」に使われていたことがわかります。最近では園芸用として玄関先などにおかれてますが、これは学名の前半をとって、コキア(人名)と呼んでます。
ところで種子は薬用、葉は食用となってますが、現在では葉を食べる人はいないでしょう。種子は畑のキャビアなどと呼ぶ、トンブリまたはドンブリのことです。今でも秋田や山形で栽培され、9月頃に小さな果実を収穫して、30分ほど煮てから水にさらすと果皮がとれてトンブリの出来上がり。スーパーや八百屋さんにあります。大根おろしや山芋(とろろいも)といっしょによく食べます。プツプツという食感はキャビアと似ている?
種子を加熱せずそのまま乾燥したものが漢方薬としての地膚子。成分に強壮作用のあるサポニンが含まれているといわれますが、詳しい分析はわかってません。上記のように膀胱炎や排尿障害に効くと同時に、他の利尿薬の効果を高める作用があり、他の利尿剤と合わせてよく使われます。また「皮膚中の熱を去り、皮膚をして潤沢にする、でき物を散ずる」とあり、皮膚科の病気、最近ではアトピー皮膚炎を治す処方によく組み込まれます。
50.<酒[白酒・清酒・薬酒]>
お酒。漢方医学の2千年前の書物にも、お酒で煎じるとか、お酒で服用するとかいう漢方薬の指示がたくさん出てきます。お米からつくった清酒、いわゆる日本酒とみていいようです。
医学の医の字は、矢の入った堅い箱、という意味のようです。旧字体は醫。さらに旧い字体は醫の下の部分が巫で巫女さんのことだから、その時代は占いが医学の主流でした。これが2千年くらい前から醫に変化します。この字の下の酉は酒のことで、堅いケースの中で発酵させる、漢方薬でいうなら、よく煎じてよい味のよく効くお薬に変化させるという意味です。ですから、この醫は占いにかわって、薬物療法という客観的な医学の誕生を指し示しているわけですが、その薬物療法と酒は切っても切れない縁があるというわけなのです。
酒は百薬の長ではありますが、過ぎれば毒で、古医書には次のようにあります。「少しく飲むときは血を和し気をめぐらし、神を壮にし寒を防ぎ、愁を消し、水臓を暖め、薬勢をめぐらす。過て飲むときは、神を傷り、血を耗し、胃を潰し、怒を発し、……甚しきときは吐血、消渇、労傷を醸し、明を失す。禍をなすこと少なからず、尤も甚しき者は酒によりて国家を亡ぼす。戒め、慎むべし」。
注釈は要らないでしょうが、最後の方の甚しき者は、アルコール中毒は、家を亡ぼす。これは事実ですよね。本人と周囲のものを亡ぼします。
漢方薬としての酒は、文中「気をめぐらせ寒を防ぎ、薬勢をめぐらす」といった効能なら私ともにもすぐ納得できるところです。「薬勢をめぐらす」というのは、冬の晩、空きっ腹に温かいお酒を飲むと五臓六腑にしみわたることを私どもは実感しますが、そのようにお酒で漢方薬を服用したとき、その成分が目的の五臓六腑にしみわたりやすいということでしょう。
漢方薬として「酒」が単独で薬になることはもちろんありません。生薬を酒をふりかけながら炙ってその性質をよりつよめたり、生薬を酒に漬けておいてから丸薬にしたり、薬を酒で煎じて服用したり、丸薬や散剤を酒で飲み下すなどの利用法です。皆さんも、当帰芍薬散を服用する御婦人、八味丸を愛飲している御主人など、できれば少量の日本酒で服用されるとよいでしょう。 一方民間薬的な使い方としては、このシリーズの初めの方に登場した屠蘇酒や梅酒のような「浸薬酒」がいろいろあります。
51.<酢[苦酒・ビネガー・木酢・竹酢] >

前回の酒につづいて、今回はお酢。酢もまた食品であると同時に、漢方の世界では昔からクスリとしても用いられてきました。
酢は、酢(醋)酸を4〜5%くらい含んだ酸っぱい溶液ですが、私たちが体験できるのは、漬物の古漬。発酵食品が古くなり発酵がすすみすぎると酢っぱくなる。酸敗するといいます。そのへんまでは食べられますが、それをこすともう捨てた方がよい。牛乳の酸敗がすすんだヨーグルトの酸味(乳酸)もその程度まで。私は以前お米を発酵させてドブロクを作ったことがありますが、これもアルコールの段階をすぎて酸っぱくなってしまいました。最近は自然食の時代で醸造酢を皆さん使いますが、これは、ドブロクと同じように米などを発酵させ、アルコールの度数が5%くらいになったときに、更に酢酸菌を使ってもう一段発酵をすすめて酢にします。以上でもわかるように、酢、酸、それから酢を醋と書くときもありますが、これらは皆「すっぱい溶液」を表わす漢字です。同じように果実からの発酵酒を一段すすめて酢にしたものがビネガー。
酢のつくり方はもうひとつ。待合室に置いてある竹酢もそうですが、木や竹で炭を焼くとき、ベターっと重いタールの上に出てくる液体、これがやはり酢酸を含んだ酢です。現在はこの木酢や竹酢を防臭剤や浴剤として使いますが、以前はこれらから工業的に酢酸をつくっていました。以上は「自然」なつくり方ですが、現在では石油からの合成酢酸が主流で、この酢酸を4〜5%含んだ溶液に香味料などを加えたのが食用の合成酢です。
酢は中国では古く紀元前10世紀くらいには利用されていたようで、放置した酒が酸敗したものが起源らしく、「苦酒」と呼ばれていました。日本には起元 500年頃輸入されたようで「からざけ(唐酒)」と呼ばれたようです。ヨーロッパではもっと古く、紀元前50世紀にはバビロニアでワインビネガーをつくっていたようです。
酢の効能は酢酸による殺菌作用。酢洗い、酢じめ(鮨)、酢づけ(ピックルズ)など御存知の通り。酸味は胃酸の働きを助け食欲増進にもなります。食物中の雑菌を殺しますから、夏には酢の物がいちばん。妊婦が酸っぱいものを欲しがるのもよく知られた事実です。漢方的には酸味は肝と関係が深く、ストレスを和らげてくれます。漢方薬としては、卵の殻の中で、生薬と酢を煎じるという手の込んだ半夏苦酒湯などが知られています。
52.< 羊肉・マトン >

今回は羊肉。マトンです。このシリーズでは動物性のものは少なく、牡蠣、蜂蜜、阿膠、鶏子黄くらいのものですが、今回のように食肉そのものというのも珍しい。
数10年前の北海道の滝川牧場。入り口で七輪とジンギスカン鍋を借り、炭とマトンを買い、持参したのはタマネギやピーマン、モヤシ。美しい広々とした緑の丘陵をどこまでも進んで、好きな所に陣取ります。鍋を囲んでワーワーやっていると、ごく近くを羊の群れがメーメーいいながら通り過ぎます。牧童が導いているという感じはしなかったし、シェパードが列を乱す羊を追い立てていたということもなかったようですけど。私どもはてっきりその羊の肉を食べていると思って「残酷だー」から、「新鮮だ!!」までいろいろもりあがりましたが、後日、あれは羊毛の為の飼育であって、北海道名物ジンギスカンの肉はすべてニュージーランドからの輸入であると聞かされて、拍子抜けした思い出があります。
数年前の夏、中国の北方、内モンゴル自治区近くの砂漠。甘草という漢方薬を見学したときの羊も思い出します。ぐるり
360°地平線がはるかに見渡せる平原というものに初めて立つ経験をしましたが、羊の群れを追っているのは、これは牧童か牧翁かもしれないが、いかにも世界の秘境的な絵になる映像でした。近づいても平気な羊たちが食べているのは甘草の葉。これくらい食われてもその糞の方が甘草にはありがたいわけで、根はよく伸び、掘り起こされて私どもの漢方薬に利用されます。この地方の羊肉は胃が痛いときの薬だと聞いて、鎮痛作用のつよい甘草の葉を食べていると肉にもそんな薬効があるのかとビックリしました。
「美」の字は、「羊」の下に「大」、つまり「まるまると肥えた羊」という意味。だから「美」とは「旨そうだ」「美味しそうだ」の方が字の本来の意味です。ビューティフルはそれから派生した意味です。
漢方薬としては当帰生姜羊肉湯という、羊肉を当帰と生姜の二つの生薬の香りで煮込んだ名前そのまんまの薬が有名です。お腹が冷えきって痛みがつよいときこのスープを飲め、出産後の婦人が、腹痛をおこして体力が弱っているときにも飲むようにと指示があります。おくすりか食品か区別できない薬膳スープです。
53.<別甲・亀板・スッポン・クサガメ>

前回につづき今回も動物性の食べるクスリ。食用としてのスッポン。以前スッポン鍋の前に、生血を盃に一杯頂戴したことがありますが、若かったためか何が有難いのか分からなかった。中年になった今ならどうでしょうか。
中国の古医書には、四ツ足ならテーブル以外は何でも口に入れるというお国柄だけあって、亀の項だけでも十数種類がクスリとして紹介されてます。その中にこんなことが書かれています。「亀と鹿とは、いづれも霊妙な生き物で長寿である。亀は首を腹におさめるから、任脈(体の前面、お腹側〔漢方ではこれを陰の側ともいう〕を流れている脈)を通じるから陰(血や骨や肉)を養うのだ。鹿は鼻が反り返って背中の方を向いてるから、督脈(体の背面〔漢方ではこれを陽の側という〕を流れる脈)を通じるから陽(命、精、気)を養うのだ」と。鹿はその角を漢方薬として用いますが、それは陽を補う。例えば陽根が最近元気のないお父さん。鹿角を服用すれば陽気は確かに補充されるが、充満するべき血がそもそも枯れていては何にもならない。スッポンでも食べて陰を補わねば、というわけです。それじゃ両方というわけで、亀鹿二仙膠という欲張りなお薬があります。
さて亀の方ですが、漢方の市場には普通二種類が流通しています。ひとつは別甲。本来は鼈甲ですが漢字が難しいので、別甲。スッポンの甲羅です。主として背側の甲羅を使います。別甲といっても、くし、かんざしなどのいわゆる別甲細工の別甲とは違います。別甲細工は海ガメの甲羅です。スッポンの甲羅はもっと軟らかく、これをさまざまな植物性の生薬とともに煎じるのですから、まあスッポンスープという薬膳といってよいでしょう。先述したように、滋養強壮のうち、特に陰を補う、補陰作用がつよいといわれます。
もうひとつは亀板。これは日本各地、中国などに普通に分布しているクサガメの甲羅。クサいのでクサガメ、甲羅にはスッポンと違ってはっきりした亀甲形があるのは御存知の通り。ふつう腹側の甲羅を用います。薬効は、別甲とほぼ同じ。陰を補う為の薬に配合されます。
別甲も亀板も煮つめて膠にしたものを、別甲膠、亀板膠といい、膠にすると薬効が上回るといわれます。先述の亀鹿二仙膠という方剤は、その名の通り鹿角の膠と亀板の膠を合わせて用いたものです。
54.<木瓜[モッカ・ボケ・クサボケ・カリン]>
このシリーズで以前、バラ科の杏、梅、桜など紹介したことがありましたが、今回はやはりバラ科の落葉樹、ボケです。
中国原産で古く平安時代頃より日本に渡来し、栽培は江戸時代になって盛んになったといわれます。もともと果実を薬用にするために導入されたようですが、実際の栽培はもっぱら鑑賞用で、さまざまの園芸種ができています。雌雄同株で果実の結実が少ないのも理由でしょう。
花は春3〜4月、桜などよりひとつひとつの花が大ぶりで庭木にされている方が多いようです。秋になると実が熟してくるので、その実を乾燥して砕いたものを生薬として用います。生薬名が木瓜です。
一方日本原産で日当たりのよい山野に自生している小高木のボケはクサボケといい、果実は中国名を真似て和木瓜とか草木瓜といいます。これら木瓜類は、熟す前に収穫して、果実酒にして服用する方が普通です。
同じバラ科で似た果実をつけるのが花梨(カリン)。やはり中国原産の落葉高木で日本でも各地に植えられています。花はひとつひとつ独立した感じで大きめ。果実も木瓜よりは大きめです。堅くて酸っぱくて生食はできませんが、やはり果実酒や砂糖漬けにします。長野諏訪でおみやげの名物、カリンの砂糖漬けは、よく似た同じバラ科のマルメロの果実だそうです。
中国名ではボケは、貼梗海棠といいますが、花の美しい庭木カイドウも同じ仲間です。台湾や中国の南方では、木瓜といえば、パパイヤのことを指します。これの生薬名は香木瓜。これはボケ類とは全く異なる果実です。
先述のカリンの中国の生薬名は、メイサで、ボケの木瓜とは別扱いにし、果実の表面がツルッとしているので光皮木瓜などといいます。ただ日本では従来、薬局方でカリンのことを木瓜と称してますので混乱しています。よく似ているので果実酒にするときにはどちらでもかまわないのですが。
中国では漢方薬として扱うときは、メイサ(カリン)の方は呼吸器系、咳や痰をとるとき使います。日本のカリン酒も疲労回復の他に蜂蜜を加えたりして咳止めに用います。
本題のボケの木瓜の方は、中国では主として体の表面の浮腫(むくみ)や関節の腫れ痛み、リウマチなどに用います。身体のよけいな水分を除くということは共通ですが、カリンの方は痰を除く、木瓜の方は湿を除くというように使い分けているのです。
55.< アロエ[ コダチアロエ・木立蘆會(ろかい)]>

アロエと一口にいっても 300種もあるといわれています。いま日本でよく見かけるアロエは、ユリ科のコダチアロエ。医院の駐車場の傍らのアロエは何も世話しないのに何が気に入ったのか、プランターからはみ出し、雨水のわずかに通るコンクリートの溝のところにまで繁茂しています。数年前ここから葉をちぎって畑の小屋のベランダの下、日当たりのよいところに刺しておいたものも、冬期にビニールや防風ネットで防寒しさえすれば、花を咲かすし、どんどん増えています。誠に手間のかからない生薬です。
ラテン語アロエ(Aloe)の語源はヘブライ語の“苦い”というコトバ allal から。アロエニンなどの成分が知られています。原産はアフリカの地中海地方。古代『ギリシャ本草』にも「収斂作用があり、眠りを催させ、身体をしっかりさせ、胃を洗浄する。黄疸を治す。皮膚病や痔によい。口中の一切の病気によい」等々の記載があります。
中国に入ったのは大分遅れて8〜9世紀頃。10世紀の古医書には蘆會(ロエ)と音訳された漢字で登場します。興味深いのは中国の古書の図にはアロエは木として描かれていることで、ちょっと想像しにくいことですが、20メートルにも達する巨木のアロエもあるそうです。
日本に入ったのは鎌倉時代といわれてますが、民間でよく知られるようになったのは、大正時代に花の鑑賞用として広まってからです。先程書いたように栽培が容易なのでコダチアロエが普及したのですが、中国で薬として使われていた蘆會と同じような薬効のあることが知られて、こんどは鑑賞用としてより民間薬として広まりました。
トゲトゲのある肉厚の葉と、房状朱紅色の花は御存知の通り。
肉厚の中身はゼリー状。これをそのまま虫刺されや切り傷につければ、まことに神効の如くで、畑にはなくてはならぬ常備薬です。夏の朝と夕方、畑にはブヨなどが飛びまわります。チクッとやられたらすぐにベランダ下まで走って葉をちぎり皮をむくようにしてゼリー状の部分をすりつけます。これでたいがいは一晩で跡形もなくきれいになおります。
漢方薬としては、ゼリー状を乾燥して粉末にしたものを用います。下剤として、婦人科のくすりとして。最近の自然食レストランではゼリー状のものをオードブルの一品として出すことがあり、私も一度食べたことがあります。
56.< 胡 麻[ゴマ・芝 麻・脂 麻・セ サ ミ]>

最近の子どもたちには「開けゴマ!!」は死語でしょうか。「アリババと40人の盗賊」のなかのこの呪文は、ゴマに聖なる効力があると古くから人類が知っていたことの証拠です。幼児用番組の「セサミストリート」のセサミはゴマのこと。17世紀に新大陸に渡ったゴマで一財をなしたアンダーソン兄弟がつくった青少年教育機関の故事から、この「セサミストリート」が生まれました。
アフリカ原産のゴマは、古代から宗教儀式の薫香剤に使われていました。現在でも「護摩を焚く」といいますね。栽培も古くから行われ、紀元前後に西域から中国に伝わったといわれてますが、実際はもっと古くから中国へ伝わっていたようです。漢民族から見れば西域の野蛮な民族の呼称のひとつが胡(フン族)。そこからシルクロード経由で中国に伝わったから胡麻。胡椒、胡瓜、胡桃などみな同じ族の名を冠した名称です。種子を使う似た植物では大麻子が中国に以前からあったので、区別して胡麻と名前をつけたのでしょう。
ゴマ科ゴマは春播いて夏にきれいな薄紫色の花を咲かせ、秋になると2〜3cmの長さの実をつけます。実ごとよく乾燥して、踏んだり叩いたりすれば中からバラバラと種子が出てきます。白ゴマ、黒ゴマ、黄金ゴマとありますが、主成分はいずれも油脂。植物の種子は発芽成長の為に栄養を貯えていますが、米や麦のように炭水化物(デンプン)で貯えているものを人類は主食に選び、ゴマや菜種のように脂肪で貯えている種子は副食として、また油を搾って塗りくすりとして、それから電灯以前には燈油として使っていました。ゴマ油は酸化(劣化)しにくく、何回かテンプラに使えますが、それは、セサミオールの抗酸化作用のためといわれます。
黒ゴマは香りがよいのと、黒色は漢方の世界では、先天の元気を養うと尊ばれるので、漢方薬には黒胡麻が使われます。油脂成分ですから滑りやすい。眼を潤したり、便秘の為の下剤にもなります。もちろん、滋養強壮、若返り(白髪が黒くなったり)作用が中心です。
白ゴマは油脂成分がこの三者ではいちばん多いので、そのまま食べるのはもちろん、蒸してから圧搾してゴマ油をとります。料理に使う他、軟膏の基剤として使いますが、皆さんもよく使う「紫雲膏」に使われるので有名です。
黄金ゴマは生産の少ない高級食品。
57.< イ チ ジ ク [無花果(むかか)・無花果葉]>

先日、はしりのイチジクが目にとまったので、といってデザートにイチジクのワイン煮なるものを頂戴しましたが、まだイチジクの風味に乏しくいささかがっがりしたことでした。子どもの頃、家の庭にあって年に一コか二コ食べた記憶があります。学生時代下宿先の庭にもあって、これは沢山実をつけていた。時々シッケイして食べたものです。皮をていねいにむいて食べる人がいますが、私は二つに割って内側から吸いつくように食べるのが好き。指にからまりついて残った皮を振り落としてから、ジーンズのお尻で拭いておしまい。これが美味しいイチジクの食べ方、というような私にはそもそもワイン煮は向かない?!
『旧約聖書』のアダムとイブのビキニだかトップレスだかに使われていたイチジク。葉の形をみれば桑科だとわかります。なぜイチジクというか、地中海地方が原産とされ、アンジール(ペルシャ語)→インジール(ヒンディー語)が唐代に中国に伝わり、中国語で表記して映日(インジン)、江戸時代の初頭に日本に伝わってイチジクと。これが一説。いまでも映日紅(果)などと書くときもあります。中国ではすでに明代には無花果と書かれていますが、それにならって無花果。花がないのに実をつけるからこの名前ということは御承知の通り。でもあの実のうす紅色の中心は、花が密集して咲いているので、それを果として食べているのです。外に向いてたくさん小さな花をつける総状花穂の形が、中央が凹んできて周囲がもり上がり、ついに裏返って花を中に閉じ込めてしまったという形、これを閉在花穂とか隠頭花序といいます。
食品としては日本のように生食の他、地中海地方の乾しイチジクは有名で、栄養豊かでやや緩下作用があります。薬としてはやはり秋によく熟した実を天日で乾かしたものを無花果。夏に葉を採取してよく乾かしたものを無花果葉。無花果は「胃を開き病毒を解す、五痔、咽痛を治す」とありますが、胃腸の調子を整えたり、咽喉の痛みに煎じくすりとして。葉の方はやはり煎じて痔の外用浴剤としてよく使いますし、普通に入浴剤としても使われます。いずれも漢方処方に組み入れられることはなく、単独で民間薬的に使います。
実や茎を傷つけると白い乳汁が出ますが、蛋白分解酵素があるのでイボ取りによいといわれます。ただかぶれやすいので敏感な痔に直接つけない方がいいでしょう。
58.<枇杷(ビワ)[枇杷葉・枇杷仁] >

懐かしい童謡に、「ゆりかごの歌をカナリヤが唄うよ、ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよー」(北原白秋)がありますが、この歌の二番は「ゆりかごの上に、びわの実がゆれるよ、ねんねこねんねこねんねこよー」でした。昔の郊外か農村の広い庭、初夏、濃い蔭を落とす枇杷の木の枝にゆりかごをつるしたのでしょうか。ゆっくりした時間と風を思い起こす何ともいえない郷愁をそそる風景です。
一方、枇杷の木を庭に植えると家人に病気が出る、と縁起の悪い方の言い伝えもよく聞きます。葉が大きく厚く、暗く感じるからでしょうか。幹が堅く木刀を作るのに使われるので人を殺傷するからという説もあります。
「枇杷黄にして医者せわしく……」と、ビワが熟する梅雨時の初夏には病人が増えるという言い伝えがありますが、これは現代にも通用します。温度差が日ごとに大きく、湿度が増え、冷たい飲料を急に飲みはじめ、クーラーも効きはじめるこの季節には体調をくずす方が多いのです。
江戸時代後半から明治時代の初めにかけて「枇杷葉湯」売りが、この季節、京、大坂、江戸にたくさん居ました。枇杷の葉を刻んで乾かしたものに、肉桂や呉茱萸などの、身体を温めるけれども同時に清涼感のある生薬をミックスした煎じ液を熱いままで、売り歩いたということです。暑いときに熱いものを飲む知恵を再認識しなければ。
枇杷の木は、実から連想すれば、桃、梅、杏など、いずれもこのシリーズに登場しているバラ科の漢方生薬の仲間だとわかります。中国大陸の南方が原産とされ、中国の古医書には葉の形が楽器の琵琶に似ているからビワというとあります。日本へは9世紀頃渡来し、前記のように江戸時代には一般の庭にも植えられポピュラーなものになりました。薬用には主として葉を用い、バラ科の桃や杏が種子(仁)を使うのと異なりますが、アミグダリンなどの主成分は共通です。アミグダリンは青い梅を食べてはいけないといわれるように青酸化合物ですが、分解されてベンズアルデヒドとなり、これが先程の清涼感をもたらします。
漢方では、主として気管支炎や鼻炎、蓄膿症に使われる処方に配合されます。また、禅寺に伝わる難病を治すという民間療法は、枇杷の葉を患部に押し当てるというもので、難病に枇杷の「枇杷ブーム」が周期的にくるようです。
59.<胡桃仁(ことうじん)[クルミ・胡桃青皮・分心木]>

ナッツ類で漢方薬というと、桃仁と杏仁が馴染み深いものですが、クルミも食品であることはもちろん、薬として用いられます。
ゴマが胡麻であるのと同じく、中国の西域の漢民族以外の地域から入ってきた桃に似た実だから胡桃(コトウ)。クルミ科の落葉高木で西アジア原産のこの胡桃はペルシャグルミとかセイヨウクルミといわれ、2000年前には西域から中国へ、日本には遅く18世紀朝鮮半島経由で、また19世紀にはアメリカからも入ってきて、長野や山形で栽培されています。これとは別のオニグルミやヒメグルミなどのクルミは古来日本からサハリンにかけて自生しており、縄文時代の遺跡から発掘されるクルミはこちらの方。つい昭和30年代まで、主食の 100%をお米がしめるようになる前の時代までは、山地ではクリやシイなどとともにクルミも重要な主食のひとつでした。幹はヒッコリーといい、家具や昔のスキー板、最近では流行の燻製つくりの燻煙材につかわれます。
青い皮肉は(胡桃青皮)は下痢止めに、すりおろして水虫の外用薬に。熟してきたら、ちょうどギンナンのように果肉を洗い落とすとあの堅い殻です。年寄りが手掌に握ってもてあそんでいると脳卒中の予防やリハビリになるといってましたネ。最近そういう年寄りを見かけなくなりました。私の小さい頃は、クルミ割りや金槌で割ってよく食べたものでしたが最近はビールのつまみのナッツ類の中の破片としかお目にかかりません。殻をうまく割ると中のあの脳の形そっくりの種仁・胡桃仁がまるごとでてきます。殻の内側の薄い隔壁のことを分心木(ブンシンボク)。これは渋味を利用して、頻尿や帯下を止める薬(固渋薬)になります。
さて可食部分のナッツ胡桃仁ですが、もちろん木の実としてクリなどとともに日本人を支えてきた重要な食品。ただし、クリなどに比べるとデンプンが少なく脂が多すぎてしつこいですから、こればかりで主食とはいきません。
その分クスリにはなるわけで、何といっても豊富な脂肪油(リノール酸)が滋養強壮に。形象薬理といって、形から連想すれば、いかにも脳細胞を活性化しそう。体力の落ちたお年寄りのしつこい咳や痰に、体力をつけつつ症状をとっていく処方に配合されます。また、油成分が多いから潤す作用があり便秘などにも使われます。
60.扁桃[巴旦杏仁(はたんきょうにん)・アーモンド]

今回は何をとりあげようかなーと思っていたら、久しぶりに木久蔵の「彦六伝」という落語をきいたので、アーモンドにしました。残暑しのぎに小噺を。今をときめく小朝がまだ若かりし頃、大師匠にあたる彦六の誕生日に、甘党の師匠のためにと、チョコレートを持参してお祝いにかけつけた。さっそく一片を口に入れた彦六「なあ〜んだ小朝、このチョコレートにはタネがあるじゃネーか!!」。 入れ歯でモグモグとアーモンドチョコをなめてしまい、ナッツを口から出して、こりゃ何だ、というあの晩年の彦六の表情も思い浮かび、私の大好きな小噺のひとつです。まあ木久蔵の創作だとは思いますけど。
そういうわけで今回はアーモンド。のシリーズ18〜20回に、梅核、桃仁、杏仁とバラ科のプラム類の種子(ナッツ)をとりあげましたが、アーモンドも同類。特に杏(アンズ)の種子、杏仁とほとんど同じです。
アーモンドは古代から中近東で食用として栽培され、世界各地に広まりましたが、湿度の高い日本では栽培に適さず、現在では地中海沿岸やカリフォルニア産が有名です。
中国の古医書には「樹は杏のようで葉がやや小さい。核種は梅核のようで、実は薄くて種は甘い」とあります。日本では江戸時代に栽培が試みられたらしく、「変種に阿米弁糖(アメンドウ)というのがあり、この実は小さく肉が少なく扁らで味は苦い。ただ核仁の味は甘く油が多いので果(くだもの)に充てるとよい」とあります。アメンドウはポルトガル語からの音訳で、英語でアーモンド。桃の実に似ているが肉が薄くて扁平なので扁桃。咽喉にあるのは扁桃腺ですが似てるかなー?
中国では巴旦杏といいますが、これは原産地ペルシャ語のバタムの音訳。日本でもプラムの出回る季節、ハッタンキョウ(八担杏とも)として売っていたことがありましたが、これはアーモンドを採るのとは別の食用のプラム。
杏仁に、苦甘、二種あって、それぞれ薬用、食用になるように、巴旦杏仁にも、苦味のつよい苦扁桃と甘くておいしい甘扁桃があります。後者がアーモンドです。前者が薬用になるのですが、日本や中国ではほとんど杏仁を使いますからわざわざ苦扁桃を使いませんが、ヨーロッパでは古くから苦扁桃水をつくって鎮咳剤につかっていました。杏仁水とほぼ同じものです。
61.< 白果(ビャッカ)[銀杏・鴨脚・公孫樹]>

先日所用で茨城の大洗に行きましたが、大樹の好きな私は、ついでに近くの二ヵ所のお寺の境内にある銀杏の巨樹を見てまわりました。銀杏は、生きた化石ともいうべき旧い植物で、分類上、イチョウ科、イチョウ目、イチョウで兄弟、親戚のない独特の植物です。なるほどその樹形は、一般の広葉樹の大樹のように枝を広く張るわけでなく、どちらかいえば上へ上へと伸びている。でも杉の大樹のように上へ上へすっきり伸びているのとは違い、ずんぐりこんもりした印象もあり、似た樹を思い浮かべることが難しい。
中国原産で平安時代頃に日本に渡来し、全国で栽培されてます。日本語では普通イチョウもギンナンも銀杏と書きますが、中国語でその実が銀(白)色の杏に似ているから銀杏(インアン)というのをそのまま輸入してギンナン。葉の形を中国では鴨の脚の水かきに似ているとして鴨脚(ヤーチャオ)ともいうので、イチョウはここからきています。中国では公孫樹ともいいますが、これはイチョウの成長が遅くて実を結ぶのに孫の代まで時間がかかる、からきています。
日本のイチョウを世界的に有名にしたのは 100年前の明治29年、平瀬博士による精子(精虫)の発見。イチョウが雌雄異株のことは御存知の通りですが、春に雄木から飛散する花粉が雌木の花にキャッチされたあと、そこで発育し、秋には動物の精子のように鞭毛をもち動きまわって受精され実を結ぶのです。こんな植物は他にはないので冒頭に述べたように分類状一属一種になったのです。
今回私のみた銀杏の大樹は二本とも雌木で銀杏(ギンナン)がすずなりでした。近くに雄の銀杏は見当たらず、どこから飛散してきた花粉をキャッチしたのだろうかと誠に自然の不思議さにうたれます。杉林のあの白いモウモウとした花粉の飛散なら納得できますが。それにあの無数の実が全部ことごとく受精しているのでしょうか。鶏卵の無精卵のような実はないのでしょうか?
落下した実の果肉はちょっと顔をそむける異臭で、洗い落とすのが大変な作業です。15年くらい前当院に来られていたお年寄りは青山墓地の中のギンナンを拾ってきれいに洗ってよく持ってきてくれました。異臭や手をかぶれさす成分は、あの殻を破って初めて出てくる種子の中にもあって、これがギンナンの薬効でもあり、ちょいと癖のある、またクセになる旨味でもあります。漢方薬としては日干したギンナンを刻んで咳止めなどの処方に入れます。また、葉には抗活性酸素作用があるとしてヨーロッパでブームになり、ヨーロッパには銀杏の木がありませんから日本から葉が大量に輸出されているといいます。日本でもイチョウ葉の健康食品が出回っているようです。
62.< 厚朴[コウボク・ホオノキ・ホオ葉]>

ホオノキ(朴の木)はモクレン科モクレン属の落葉高木。山歩きをしていると、くっきりと高さ20メートル以上にもそびえて、大きな葉、初夏の大きな花でよく目立ちます。万葉の時代から厚朴(ほおかしわ)として歌にも詠まれ、大きな葉に御馳走を盛って神に供えたり、朴葉鮨、朴葉飯、朴葉味噌など、香りのよい器として用いられてきました。今では旅館の朴葉味噌焼きでお馴染み。
都心でも庭木のモクレンのそばを通るとき、その香りと美しい花に思わず顔を上げてしまいますが、モクレン属は香りがよく、同属のコブシのツボミは重要な漢方薬。ホオノキの花は大型の純白の花弁と中心の雄しべの花序の鮮紅色が印象的で、なにしろ直径20cmくらいもある大型の花だからまことに見事、同属のタイサンボクの花とそっくりです。花のあと、雌しべの集まりの花心がこれもかなり大きい果実になります。ちょうど小型のパイナップルのようです。表面には多数の袋果が付着していて、秋に熟してくると赤紫色になり中から2個ずつの種子が出てきます。この種は白い細い糸状の導管で垂れ下がり、風で遠くに運ばれやすくなっています。
アニマルファームでは10年くらい前にホオノキの苗木を三本畑のへりに植えました。1メートル以下の高さでしたが、成長が早く今では5〜6メートルくらい。大きな葉をゆらゆらさせて三本並んで小屋の風よけになってます。そして嬉しいことに上記の種から実生のホオノキがちょうど並んで四本目の位置に生えはじめ、もう2メートルくらいの高さになって大きな葉をつけています。
ホオノキの利用は葉の他には何といっても材。今はあまり使われないが日本料理の板前さんが履いている高歯の下駄を朴歯の下駄というように、下駄の材料。彫ったり細工しやすいわりに狂いが少ないので刀剣の鞘に。家具、型版板、版木、ピアノの鍵盤など。ホオノキで作った木炭は緻密できめが細かいので、彫金の金銀の研磨用に使われます。
漢方薬としては、幹や枝(ときには根も)の皮をはがして使います。夏に皮をはぎとり、乾燥して細かく砕いたものが厚朴(コウボク)という生薬です。芳香性の生薬で、胃腸の蠕動を活発にしたり、気管の働きを整えます。
63.< 鬱 金(ウコン)[姜黄・ターメリック]>

熱帯アジア原産で、インドのアユールヴェーダ医学でよく使われる生薬。ヒンドゥーの結婚式では、花嫁はウコンをすり潰したものを身体中に塗る。またウコンを噛んで家の回りに黄色い唾を吐くという習慣もある。居住者を悪霊から守る為であるといいます。口腔内の粘り気をとる清涼剤として歌手がよく噛む。煎じくすりとしてはコショウやニッケイやハチミツと煎じて風邪や咳に用いる、等々。
一見、生姜(ショーガ)と区別がつかないショーガ科のウコンは、上記のようにインド伝来で中国に伝わりました。生姜はこのシリーズ10回目に紹介していますが、ウコンが中国の医学書に登場するのは生姜よりも数百年後のことで、薬としては生姜ほど有名ではありません。
ウコンというインド系の外来語の音を、そのまま漢字で表記して鬱金、ですから宇金とか郁金とも書きます。鬱金とは、ウコンの薬能が「血中の気剤」といわれて、気鬱を開くという意味があり、「気分の鬱を開く黄金色の薬」という意味も兼ねた音訳なのです。
日本でいうウコンの原植物は中国でいう姜黄(黄色いショーガ)のことで、中国でいうウコンとは別種といわれたり、諸説ですが、いずれもショーガ科の兄弟同士で、薬効もそんなに違いません。
普通の生姜と最も違うのは何といってもその色。乾燥して粉末にしたものは、カレー粉の主役、ターメリックです。あのカレーの黄金色の主役が、ウコンのクルクミンという色素なのです。日本でも平安時代には、綿布の染色に使っていましたし、後にはタクアンの着色にも。
日本での栽培は江戸時代に沖縄や九州南部で始まったようです。アニマルファームでも沖縄みやげのウコンを植えてみました。暖地の植物園などで見るウコンは、葉だけでも1メートル以上ある大きなものですが、アニマルファームではそれほど大きくなりません。それでもその根茎を刻んで、焼酎につけたウコン酒は、あざやかな黄色となり、チビチビやってます。まあ梅酒のように口当たりのよい薬用酒ではありませんが。何か肝臓の特効薬のように言われてウコンブームがあり、飛びついた方も多かったようですが、家庭ではウコン酒として毎日おチョコ一杯やるのがよいでしょう。
薬としては、胸や腹の脹り病み、生理痛等々に用いる処方に配合されます。
64.< 蓮肉[石蓮子・荷葉・藕節・レンコン]>

お正月にふさわしい、お芽出たい蓮(ハス)のはなし。
蓮は古代インドでは、ヒンドゥー教でも仏教でも、もっとも聖なる植物とされました。多くの仏さまが蓮の花(蓮華)の台座に立ち、手に蓮の花を持っているのは御存知の通り。古代インドの神話では「原初に存在したのは水だけであった。その水の中からハスの葉が浮かび上がり、太陽のように金色に光輝く千の花弁をもつ花を咲かした。この花(華)は宇宙の扉、開いた口、または子宮である。ハスは創造的根源から生まれた最初の創造物である」と。濁った水の中(現世)から、世にも美しい花を咲かせる(澄んだ水ではハスは育たない)ことや、ハスの花が日が高くなってから開花し、夕方にはしぼんでしまうことなど、太陽や創造と結びつき、聖なる植物となったのでしょう。
『医心方』を著わした丹波康頼の子孫の家系の錦水家では、冬至の日に、「ン」の字が二つ重なる材料を煮て一皿に盛り合わせたものを、古代の医薬神の神農にお供えするという習慣があります。それはニンジン、レンコン、インゲン、キンカン、ギンナン、ナンキン(カボチャ)、カンテンの七種。「運」がたくさんあることによるものでしょう。なかでもレンコンは特に由緒正しいお芽出たい食品です。
インド出身で多年草の水草、スイレン科のハス。中国や東南アジア、西アジア、オーストラリアで自生、栽培されてます。日本にも2000年前には伝わり、ハチスと呼ばれていました。花が落ちて実がなるところ、花托(かたく)が、ちょうど蜂の巣のように穴があき、外観がそっくりなので蜂巣(ハチス)と呼ばれ、それがハスに転じたといわれています。
食品になる蓮根は泥土のなかを横走している地下茎。そのレンコンのくびれた節の所を藕節(ぐうせつ)。生薬として、または炭化して止血に用い、生汁を咳止めに使う。レンコンをすって胸に湿布したことがありませんか。荷葉(かよう)はハスの葉で、解暑といって、暑気あたりや熱病後にいつまでも身熱がつづき身体がだるいときに用います。この葉にモチ米をくるみ蒸したものが蓮飯。煮汁で米をたいたものが蓮葉粥。蓮子は先述の蜂の巣のような花托の穴につまっている堅い実、石のように重いので石蓮子ともいう。この実の堅い殻を除いた中にある大型の種子のことを蓮肉。蓮子粥として食べた方も多いでしょう。薬効としては、安神、補腎、固渋といって、精神を落ち着かせ、下半身の力をつけて、下痢、頻尿、帯下などを止める働きがあります。
65.< 唐辛子[辣椒・蕃椒・トウガラシ]>
このシリーズですでに登場した芥子、山椒などとともにピリピリ系の香辛料。カレー粉や七味唐辛子、また、最近流行の韓国食材コチュジャンのコチュが唐辛子です。栽培植物では古いものらしく5000年前にさかのぼるといわれてますが、それは新大陸でのはなし。コロンブスが世界に広めるまでは知られていなかった植物です。ですから世界中に広まってからせいぜい 500年。コチュジャンやキムチの歴史も、そう旧いものではありません。
江戸時代の前期の書物には「本邦で用いている蕃椒は煙草と相前後して渡来してからまだ100年も経ていない」とあり、中頃の書物には、「京にては高麗胡椒と呼ぶ。秀吉公朝鮮より種を持ち来る。故に唐カラシという。西国及び仙台にては胡椒と呼ぶ。奥羽、上総、遠州では“なんばん”と呼ぶ」とあります。中国でも南方から入ってきたから蕃椒(バンショウ)と呼びます。蕃という字は、日本語でいえば南蛮(ポルトガル人)の蛮。カラシメンタイコが長崎名物なわけ。
「ナス科のピーマンの辛いやつ」でお分かりでしょう。鷹の爪などといって、そのまま漬物に入れたりします。ピーマンを栽培していると、30コに1コくらい真っ赤な変わりものができて、これが辛いかなーと思うとそうでもない。けれど外観は青くて変わらないのに辛くて苦いものが時々あって、唐辛子の親戚だなーと実感することがあります。ピーマンより小型の「ししとう」は唐辛子に近いけれどそんなに辛くはありません。
西洋ではコロンブス以降またたく間に普及したらしく、「この植物(Red pepper)は同様の効果のある胡椒(white or black pepper)の代用として各地で使われている。それは温め、散じ、除く、冷えた胃を強くし、その運動を促す。膏薬にすればあらゆる腫れものを除く」とあります。
外用薬としては、トウガラシを刻みホワイトリカーに漬けておいたものを布でこせば、トウガラシチンキの出来上がり。痛いところ、冷えて困るところに湿布します。最近の暖める湿布薬にもたいていこのチンキが入ってますが、日本の民間薬として有名なのは糾勵根(キューレーコン)という湿布薬。トウガラシの他10種類の生薬を混ぜた薬で、これを水で練って患部に貼ると実に効果的です。外傷ばかりでなく咳のとまらない時、胸に湿布するとよい。当院にもずっと常備して患者さんに勧めるのですが、手間がかかるためか最近の皆さんは使ってくれませんね。
66.<甘茶[甘茶つる・七葉胆]>
まず甘茶。四月八日は仏さんの誕生日、花祭りで、キリストの誕生日のクリスマスほどにぎやかではないが、近くのお寺にいき、甘茶を仏像にかけて、甘いお茶を飲ませてもらった記憶があります。「灌仏会の甘茶供養」で、江戸時代にはじまった日本独自の風習です。アマチャの原料は、日本各地の山野に自生するユキノシタ科のヤマアジサイの変種とされ、外観はヤマアジサイと区別はつきません。中国では使われないので、年間消費量約50トンは、長野県、富山県、岩手県などで契約栽培されてます。ヤマアジサイ同様初夏に青色の花をつけますが、栽培のときは花を摘んでしまいます。9月に地上10cmくらいのところから枝を切り取り、葉をとり水洗いし、日干しします。その後、水を噴霧してからむしろをかけて圧縮すると発酵し、温度が上がります。25°Cになったらむしろの上に広げ、よく揉んでから乾燥すれば甘茶のできあがり。枝は、また挿木しておけば次年度用になります。
このような行程をへて、そのままではやや苦いだけの葉っぱが、蔗糖の400倍、サッカリンの2倍もの甘味のある甘茶に変化するのです。丸剤の矯味薬として家庭薬に入れられたり、口腔清涼剤、醤油の味つけなどに使われています。
なお、伊豆の山々には生の葉をかむと甘い野生の植物があり、甘木(アマキ)と呼ばれていました。甘茶と同じヤマアジサイの一種で、これが「天城」の地名の由来です。
この甘茶とはまったく無関係で間違いやすいのが、日本でもっと古くから知られていたツルアマチャ。葉をかむと甘いこの草は、ウリ科のアマチャツルです。つる性の多年草で、全国各地の半日陰の湿地に自生しています。外観はヤブカラシとそっくり。
約20年前、日本生薬学会でアマチャツルの成分と効果が発表され、薬効成分のサポニンが豊富に含まれている、高麗人参にもまけないくらいだ、と知られるやいなや、「アマチャツルブーム」が起きたことは記憶に新しいことです。それまでの雑草が一躍スターになったわけで、野生のアマチャツルを求めて山に入る人、栽培を試みる人、たいへんでした。現在では大分落ちつきましたが、葉をお茶にして服用すれば何かと身体にいい大衆民間薬として使われています。
67.< サフラン(顔夫藍)[番紅花・蔵紅花]>

サフランはアヤメ科の多年草、クロッカスの仲間、植物分類的には単子葉植物に属し、ユリ科やヒガンバナ科と兄弟で、細い葉などよく似ています。イヌサフランと呼ばれる似た植物はユリ科です。球根(鱗茎)で増え、夏の終わりに植えつければ11月には花が咲き採取できます。
薬品やスパイスとして使うのは、淡紫色の花弁の外にたれ下がるように出ている三つに分かれた鮮やかな紅色の雌シベです。雌シベの重量はわずかだし、しかもその基部はだめで、先端の方(柱頭)のみ使うというのですから、良質のサフラン500gつくるのに花は六万本以上必要です。まことに贅沢な話で、もっとも高価な生薬・スパイスといえます。
サフランの原産地は地中海沿岸といわれ、エジプトのパピルスに記載されていたというのですから歴史は古い。ヨーロッパでは、健胃剤、精神の鎮静剤、通経剤などに使われていました。先述のイヌサフランにはコルヒチンが含まれていますが、コルヒチンは現在も痛風の薬として使われているように、サフランも古代美食貴族の痛風の薬としても使われていました。
中国では、だいぶん下って、16世紀の医書に「番紅花・蔵紅花」として登場します。菊科の紅花(ベニバナ)に似ていて、漢民属の周辺、西域(番)やチベット(蔵)からもたらされたものという命名です。「回回の地(今話題の回教ーイスラム教圏)からもたらされた」という記載があります。日本にはもっと最近、明治になってから、神奈川大磯で添田辰五郎という人が初めて栽培に成功したといわれます。
雌シベの薬効成分はプロトクロチンと考えられ、これが順次酸化して、クロチン(黄色色素)、ピクロクロチン(苦味)、サフラナール(芳香)などが発現すると考えられます。このうち黄色色素は、スペイン料理パエリヤの着色料として有名。フランス料理のブイヤベースにも欠かせないし、サフランケーキも有名です。苦味や芳香は漢方的薬効としては、活血、通経、清心、つまり血をきれいにして、特に婦人の経を通じ、心を安定させるというわけで、先述の古代エジプトの使い方と似ています。現在使われる漢方処方に組みこまれていることはありませんが、最近薬効が見なおされ、漢方的に少しづつ使われはじめました。日常的にはサフラン酒、サフラン茶として使うとよいでしょう。
68.< 紅花[こうか・べにばな・臙脂花(えんじか)]>

紅花は菊科の二年草。野口雨情作詩の「ベニ屋の娘の言うことにゃ、サノ言うことにゃ……」という歌い出し、どうか若い人は祖父母の世代に尋ねてみて下さい。ベニ屋は口紅屋のことで、紅花はクスリよりもまず染料で有名。黄色と赤色と二つの色素をもつ花弁を水でもむと赤い色素だけが残り、これを加工して、ルージュをつくったのです。
資生堂がつづけていた山形の農家との栽培契約が終わったのが昭和54年といいますから、化学染料におされて紅花栽培がすっかり凋落したのも最近のことです。江戸時代には京都や江戸で娘さんたちの化粧や着物の染めに大量に消費され、山形の最上川の周辺には、紅花大尽の紅花屋敷が(ちょうど小樽のニシン屋敷のように)たくさんあったといいます。現在の山形の「花笠祭り」の花笠は、紅花を採集するとき娘たちがかぶる笠のこと。
大陸の燕という国から伝わった染料という意味で臙脂の花、また、半島の国から伝わった染料という意味で韓呉藍と書き「からくれない」と読ませます。万葉集や百人一首にも「からくれない」はよく出てきますが、私のような者は落語の「からくれないに水くぐるとは」の「とは」の意味を物知りの御隠居に突っ込む長屋の熊さんの方を思い出します。ついでに『源氏物語』の末摘花、これは花を採集する時期、初めに黄色く咲いた花弁が紅色に変化した末にようやく摘む、という意味で、これも紅花のことです。
地中海沿岸原産の紅花は西洋でも古代からクスリ、防腐剤、染料として用いられ、『ギリシャ本草』にも記載されています。中国へも2000年前には伝わっていました。前回のサフランのことを番紅花と呼んだことは、あまりに高価なサフランを紅花で代用したこともあったからでしょう。
日本へも奈良時代には伝わっていました。和名「くれのあい」(「久礼乃阿井」)が→「くれない」に変化したようです。
食品としては種子をしぼってとる紅花油が有名。リノール酸が豊富な健康食品といわれます。先述のように日本の紅花栽培はすっかり衰退してしまったので、この紅花油用の種子もほとんどが最大の生産国アメリカ産です。
花弁の色の薬効について、幕末の漢方家、森立之は「凡そ、紅花紫のものは血分に走り清熱の功あり」と書いていますが、紅花は血をきれいにして熱を清ます効果がありますので、いわゆる悪血をとる処方にたくさん組み込まれています。
69.<菊花[黄甘菊・杭菊花・野菊花]>

このシリーズ第37回のカミツレの項でも紹介した菊。前回の紅花とおなじくキク科の「花びら」が生薬となり食品にもなります。
中国の古書に「南陽の山中に甘い水の流れる谷があった。上流には菊がたくさん咲いて花びらがながれてくる。この水を飲む民は長寿で150歳になるものも居た」「甘谷菊水」といわれる故事です。日本でも『風土記』に「かひの国つるの郡に菊の咲く山がありその谷から流れる水を飲む人は鶴のように長寿だった」とあります。山梨県の都留市のことでしょう。『万葉集』には菊の歌は登場しないそうですが、その前の『風土記』には早くもこのように中国由来の説話が翻案されていますので、菊が2000年前には中国から伝わっていたものか、日本原産のものがあったのか? というところです。皇室と菊の関係はずっとあと、鎌倉時代の後鳥羽天皇が菊の紋を好んで以来とされてます。
菊の栽培種は中国でも日本でもたくさん知られてます。山形県で江戸時代に殿様が狩りにでかけ、一軒の農家で休息したところ菊の花のおひたしが出された。「これは美味である。百姓にはもってのほかである」といわれたところからこの食用菊はモッテノホカと呼ばれ、現在でも山形寒河江など(前回の紅花と同じ地方)で栽培されてます。青森県では阿房宮という始皇帝に因んだ菊の品種の栽培がさかんで、花びらを型にいれ蒸して乾燥したものを「菊のり」といって販売しています。汁ものに、おひたしに、和え物などに。先日中国みやげに「杭白菊」を頂戴しましたが、これも菊のり状になっていてお湯をかけ茶わんのなかに咲く菊を観賞しながら味わいます。スーパーで買う刺し身についている菊花は、愛知県豊橋で生産される小型の「つま菊」。毒消しの効能があるはずですが、実際はほとんどプラスチックの菊になってしまいましたね。
漢方では、さっきのお土産のように杭州の菊が有名で「杭菊花」として輸入されています。風邪くすりの「桑菊飲」や、お歳よりの視力低下などに使う「杞菊地黄丸」などに配合されます。「紫式部日記」には菊の着せ綿が登場しますが、これも紅花と同様、菊花で染めた衣服を着ることが厄よけや不老長寿につながるという薬用の使われ方。枕のなかに菊花をいれる安眠のための薬枕としても使われます。
70.< タンポポ[蒲公英・蕗たんぽぽ・款冬花]>

タンポポは世界中に野生している菊科の雑草ですが、食用、薬用に洋の東西をとわず古代から栽培されてきた、人と深いつきあいのある植物です。英語では DANDELION,意味はデンターライオン、即ち「ライオンの歯」です。もちろんあのぎざぎざした鋭い葉裂からの連想ですが、黄色の花がライオンの紋章の金の歯に似てるからだという説もあるそうです。西洋タンポポは原産がギリシャといわれ、黄色の花や茎を切ると出る汁からの連想で黄疸や肝臓の薬、目や意識をぱっちりさせる作用、婦人病などに利用されてきました。食用としても栽培され、ほうれん草のように茹でたり、サラダとしても愛用されてます。
日本では関東タンポポ、関西タンポポなど各地に在来種(最近山歩きマニアから頂戴したのは白花タンポポの種でプランターに播こうと思ってますが、これも数少ない在来種)がありますが、明治時代に北海道で野菜として栽培した西洋タンポポの種子が全国を制覇し、いまでは在来種の方が珍しくなりました。黄色の花びらのように見えるのはひとつひとつが雄しべ雌しべをもった独立した舌状花でそれが集合してひとつの花になってます。それを下から包んでいる緑の苞がしっかり立ったまま花を囲んでいるのが在来種、苞がすっかり反り返って下向きになっているのが西洋タンポポです。もうすぐ咲きだしますから観察してください。夏も終わりになると、小さな軽い種子、痩種が冠毛をつけてふわふわ風に吹かれている様子は御存知のとおり。
漢方薬としては蒲公英(ホコウエイ)といい、花の咲く前にあの深いゴボウのような根ごと収穫し、根も葉も全草を乾燥してカットして使います。古書には「食毒を解し、滞気を散じ、熱毒を化し、悪腫を消す」とありますが、全体に炎症をとめ、熱を下げ、腫れ物を治すという感じです。とくに日本や中国では乳腺炎をなおし、乳の出をよくする為の薬として用いられてきました。
食用としては日本でも葉を江戸時代には栽培していたようですが、今では根を煎ったタンポポコーヒーがカフェインレスで、しかも目や頭をすっきりする健康飲料として流行ってます。
蕗(フキ)タンポポはやはり菊科で似た植物ですが別物でこちらは、肺の炎症、咳を止める処方に款冬花(カントウカ)という名で配合されます。
71.< 丁字・丁香・クローブ >

おなじみのスパイス。インドネシア、モルッカ諸島原産のフトモモ科の常緑喬木チョウジの果実や花の蕾を使う。幹の材質は重く硬く、造船や橋梁につかわれていたという。重いといえばやはり南方系の沈香、水に沈むほど重いから沈水木という名のある香木があります。春に散歩していると振り向いてしまうほど強い香りのジンチョウゲは沈丁花と書きますが、沈香と丁子の両方の香りがするからだそうです。丁子は古代からヨーロッパにも中国にも伝わっており、スパイス、薬としてつかわれてきましたが、十八世紀にはインドシナからアフリカに移植され、現在の主産地は東アフリカだそうです。
紀元前には、すでに中国でその果実が使われており、その形が鶏の舌に似ているところから鶏舌香と呼ばれていましたが、宮廷の貴族は皇帝に拝謁するときはこの鶏舌香を口に含んでいました。口臭をとるためです。殺菌消毒の作用もあるため虫歯にもよく、現在でも中国にはくちゃくちゃ噛む習慣があります。
現在スパイスや薬につかわれるのは花の蕾。小さな釘にそっくりな蕾は漢字で形を表現して丁子、英語のクローブもフランス語の釘(クルー)から。西洋ではまず肉料理やスープに、ローストビーフなどつくるときは肉の塊に釘を刺すようにぶつぶつ刺して香りをつけます。殺菌、防腐の作用もあります。香りがほろ苦く甘味もあるので焼きリンゴやプディングなどのデザートにもよくつかわれます。アロマテラピーでは温かく甘いそしてすーっとする感じのする香りを嗅いだり、精油(丁子油)をからだにすりこんだりします。消化管の働きを促進し、特に女性の子宮の働きを活発にするので、生理痛や出産前につかったりします。
日本でもその香りは好まれ、女性がつかっていた「びんつけ油」のにおいは、この丁子の香りで、現在でも石鹸や整髪料に配合されてますし、前述のように口臭を防ぎますから、チュウインガムや歯磨きに配合されてます。口中清涼剤の仁丹の特有の香りは丁子の香りです。
漢方では温裏去寒剤という分類をされますが、体の裏(中)を温めて冷えを去るという意味です。冷えて働きの弱った胃腸を温めて働きを活発にします。げっぷやしゃっくりにこのシリーズすでに登場の柿の蒂、シテイと組んで、丁香柿蒂湯という方剤があります。嘔吐や消化不良には他の消化剤と組んで処方されます。
72.<山査子(サンザシ)[野山査・南山査,北山査]>
サンザシは、中国原産とされ、梅や桜や桃や杏など、このシリーズでもすでに紹介した一連の食べるクスリと同じくバラ科の落葉樹。小枝が多くこれが変化したトゲと卵型の荒いギザギザの葉が特徴。サンザの木になる実だからサンザ子だが、山査だけでも普通サンザシと呼びます。
江戸時代中期、八代将軍吉宗の時代は大陸や半島から、新しい薬材をさかんに輸入し、国内でも医療に活かせる山野草の発見が奨励され、それら植物の分類や使用方法などを研究する本草学が日本独自にも発展した時代とされますが、サンザシもこの頃、薬用として大陸から導入されたといわれます。日本には栽培種しかなく、落葉(低木)のサンザシは春には白い五辨の可憐な花がいいし、秋には赤い小さな実が美しいので庭木や盆栽にされています。
中国ではこれを野山査、南山査といいこの果実が薬用になります。冬の中国の街角では赤い実のサンザシを串にさして売ってますが、これは食用になる大きい実のサンザシで、オオミサンザシ、北山査といわれ、こちらは落葉(高木)の実。魚を煮るときサンザシをいれれば殺菌になるし骨まで柔らかくなる、消化をたすけるから甘酸っぱいジュース(二日酔いにきく。サンザシジュースは日本でも流行の兆しあり)や砂糖漬けとして中華料理のデザートにでます。
果実の成分はいろいろ分析されてますが、血管拡張、強心作用などが知られ、これらはヨーロッパでセイヨウサンザシが強心薬として使われている根拠です。成分のひとつクラテゴール酸には胃液分泌を促進する作用が知られていますが、これは漢方で山査子といえば消化剤といわれる根拠です。
実際には秋、完熟直前の果実を収穫し、種ごと潰して干燥したものを煎じて服用します。炒って使用する山査を炒山査といい、ほかの強力な消化剤、焦麦芽、焦神麹とあわせて「焦三仙」と呼ばれ、さらに焦梹榔をあわせると「焦四仙」といい、漢方薬に配合される強力な消化剤ユニットになっています。不老長寿の仙人の仙がつくほどよく効くというわけです。とくに肉や脂っこいものの消化をたすけますから、中華料理のあとにはいいわけです。また黒焼きにしたものを山査炭といい、これは下利や出血を止める作用があります。
73.<たらの木[朷木皮・ソウモクヒ・タラ木皮・タラ根皮]>

山菜の王者「タラの芽」のタラの木。ウコギ科。畑の周辺の山林にはいってゆくと、日当たりのよい斜面にときどき見つけることができます。比較的孤立してぽつんという感じで直立していること、背が高いわりには枝が少ないこと、葉が大きいこと、なにより幹にトゲトゲがあるのでわかります。早春にはその若芽を食用にするのはご存知のとおり。中国の古書にも「江南の山谷に生ず。高さ一丈ばかり、直上し枝なし、茎上刺あり、山人、頭を折て食らう。 “鳥不踏”という、刺多く、枝なき故なり」とあります。枝もないしトゲトゲで鳥が止まれないということです。日本では江戸時代の本草書にツノオトシという別名が紹介されてます。タラの木が葉をだすころが、ちょうど鹿が角を落とす時期だから、葉を食べると角が落ちるようだからと。最近はスーパーでも養殖ものがでまわりますが、値がはるわりには香りがものたりない。ここ数年、畑の斜面にタラの木を少しずつ集め、挿木でふやそうとしています。そのうちアニマルファームの春の名物になりそうです。
もうひとつ春のハイキングでみつけることができるのは、同じウコギ科のウド。このシリーズ第46回の独活の項で紹介してありますが、ウドの大木のウドです。先日、畑の斜面で高橋さんが見つけ、さっそく、茎と葉、若芽を天ぷらにしましたが、やわらかく、香りはタラの芽より濃厚。ほろ苦さはタラの芽よりも上品で旨いものです。このウドの根は和独活とか和羌活といわれ、民間でリウマチなど関節のはれ痛みに使われてきました。ウドにはセリ科の独活もあって、セリ科とウコギ科は近縁でよく似ているので混用されていましたが、最近では漢方薬としてはセリ科の独活が輸入され、使われています。
ウコギは漢方薬、薬用酒として有名な五加皮(ゴカヒ)、中国語の音でウージャーピーの音訳です。五加皮の根皮は一般に下半身の衰えやリウマチなど関節の腫れ痛みに効きますが、薬用酒が有名なのは、おなじウコギ科の朝鮮人参が意識されてのことでしょう。
さて漢方薬としてのタラの木は、タラ木皮、タラ根皮と呼ばれ、中国での朷木白皮、朷木根皮などに相当します。日本ではタラ根湯が糖尿病に効果あるといわれ、民間薬として使われてきました。朷木皮は先述のほかのウコギ科の生薬同様、リウマチなどの関節痛につかわれますが、若返り、強壮作用や精神の安定をはかる安神作用なども知られています。
74.<落花生[地豆・ピーナッツ・南京豆・長生果]>
ピーナッツは私の世代では子どものときはおやつ、長じてからはビールのつまみに、欠かせないものですが、お菓子やつまみが豊富な現在では、以前ほどの必需品ではなくなりましたね。都会っ子の私はピーナッツを畑で栽培するまでは、どんな実の付き方をしているのか知りませんでした。ピーナッツそのままの種を買い、これでいいのかなと春に半信半疑で植え付けます。夏に花が咲き、それがおわると「子房柄」が伸びて地面に潜り込み、そこで実をつけます。花が地面に落ちてその直下に実をつけるようだから落花生。地上部が枯れたころ堀りおこすと、ずるずるとあの殻の落花生がでてきます。はじめから種が地下に埋まっているのですから(地豆ともいう)、とり残すと翌年生えてきます。翌秋、他の野菜の間にピーナッツが出現してこれをまた食べたこともありました。こうして収穫した落花生は殻をとってフライパンでから煎りするとおなじみのピーナッツになりますが、まだ殻がしんなりしているとりたてを殻ごと茹で、枝豆感覚で食べると脂っこさがつよくなく甘さが上品でとてもおいしい。柔らかいピーナッツはとても新鮮な感じでアニマルファーム秋の名物になりました。
落花生は世界中で栽培されていますが、原産地は南米のボリビアといわれています。
ちょうどコロンブスの新大陸発見のあと、奴隷船の往復でアフリカに伝わり,そこからヨーロッパへ、アジアへと伝わりました。中国に伝わったのは明代でその栄養価の高いことから「長生果」といわれます。日本へは江戸時代の元禄のころ中国から伝わったので「南京豆」。
脂肪50%、タンパク質25%、その他ヴィタミンB、Eなど栄養抜群。搾った油は落花生油でオレイン酸とリノール酸にとむ良質の植物油。薬理作用を発揮するサポニンは、特にあの薄皮におおく含まれ、血液の出血傾向を調節するといわれ、中国では血友病や紫斑病の注射液が落花生の皮からつくられています。民間では豊富な栄養から乳汁不足などに、油は外傷火傷に使われます。中国の古書には「花がおわる時にはその中心に糸があって垂れて地に入って実を結ぶ。故に落花生、または落地生となづく。ナマでけずって食せば痰や咳を治す、炒めて食せば胃を開き腸をうるおす」とあります。おすすめは酢ピーナッツ。薄皮ごと酢につけて数個ずつ食べると、疲労回復、これからの梅雨をのりきるのにおすすめ。
75.<麻の実 [麻子仁・火麻仁・大麻仁・苧実・おのみ]>
麻(ハシーシュ)のワイシャツなどはいまや贅沢品で、なかなか着る方は少ないですが、人類は古くから麻の繊維を衣類、ロープ、魚網などの原料として、実を薬用として用いてきました。クワ科の麻は高さが3メートル以上にもなる雌雄異株の一年生草で夏に小さな花をつけ秋に3ミリほどのちいさな扁平球形の実をつけます。茎を夏に収穫し皮をはいで蒸してほぐすと麻の繊維がとれます。紀元前1000年くらいには中央アジアからヨーロッパへ、東は中国から日本へも伝わり、弥生時代には日本で栽培も始まっていたようです。現在でも栃木県などで栽培されています。もうすぐお盆ですが、迎え火や送り火に使うのは苧殻(おがら)で、お盆のあいだ家に帰ってきている故人が食べやすいようにお供えにそえるお箸を苧殻箸といいます。この苧殻は皮をはいだあとの麻の茎のことです。
秋に収穫する麻の実(種子)が生薬としての麻子仁ですが、一般には苧実(ちょじつ、おのみ)として鳥の餌や七味唐辛子にはいっているので有名。ここでクイズ。七味唐辛子の七味を全部あげてください。苧実はプチプチした食感をたのしむものですが、油脂を豊富にふくみ搾った麻油は食用、工業用につかわれます。この油成分が大便を柔らかくし排便を促進するので漢方薬としては緩下剤の代表です。杏仁、桃仁などこのシリーズでも紹介してきたナッツ類も同じ作用があります。大黄やセンナなどでは強すぎるお年寄りや病後の方の慢性便秘に最適で、麻子仁丸やその名もずばり潤腸湯などが有名な処方です。もうひとつ虚弱な方の動悸や不整脈に使われる炙甘草湯という、やはり有名な処方に配合されますが、これはこの油の滋養作用を強調したものです。
さて麻といえば麻薬としての大麻(マリファナ)を思いだしますが、これは実ではなく雌株の未熟果穂や枝先の葉を使います。二千年前中国の伝説の名医華佗はこの大麻を使って麻沸散という麻酔薬をつくり、手術をしたと伝えられます。麻薬の麻はしびれるという意味(麻痺)で、魔薬とは書きませんね。
さて、さきほどのクイズの答え。京都では七味、江戸では七色とんがらし。唐辛子、麻の実、山椒、胡麻、菜種、芥子、陳皮、海苔などなどから江戸時代につくられた和製混合スパイス。地方や製造元によりすこしづつ異なります。これらのほとんどは、すでにこのシリーズで紹介済みです。
76.< たばこ・煙草 >
出たーっ、という感じしませんか? タバコのどこがクスリなのか冗談じゃないと。もちろん、農薬として一部つかわれる以外に医薬品としてタバコを使うことは現在ではないし、漢方薬にもふくまれていません。でも嘗ては、ちょうどお茶が医薬品であったのと同じくタバコも医薬品だったし、現在では食べはしないにしても口にすることが多い、一種の薬草としてとりあげてみました。
タバコの野生種は南米の中北部に多くみられ、栽培の起源も南米ボリビアあたりとされています。紀元前から栽培され、インディオは宗教的儀式に、お香として用いたり、煙を病人に吹きかけて悪霊を追い払ったり、あるいは直接葉を食べさせてお腹の悪いものを吐き出させたりと医薬的に利用していました。喫煙の習慣も早くからあったようで、8世紀頃には中米のマヤ族などに伝わり、15世紀末にはついにコロンブスと出会うことになります。
16世紀にはポルトガルでタバコの栽培がはじまり、中東からロシア、中国と伝わってゆきます。一方、中米から太平洋を越えてスペイン人などによりフィリピンに伝わったタバコは、福建商人によって中国大陸を北上します。17世紀末にはロシア政府に委託されてシベリアでタバコの販売をしていたイギリス商人と北上してきた中国商人がぶつかる事件がおきます。ちょうどコロンブスから200年でタバコは東回り西回りで世界を制覇したのでした。コロンブスが新世界から旧世界へもたらしたもう一つの大きな文化!に梅毒という病気があるのは周知のことですが、これもあっという間に世界を制覇しました。
ヨーロッパで栽培の始まったタバコは、初期は医薬品として用いられたことがありましたが、なんといっても嗜好品、喫煙として拡がります。労働者の勤勉、貴族のサロンでの学問の発達など、近代ヨーロッパをつくった大きな要因に、昼間からワインを飲んでいた人々がインドなどから伝わったコーヒーを飲むようになったことがあるといわれますが、頭をすっきりさせ、興奮させる喫煙もコーヒーとともに産業革命を促したことは間違いないでしょう。
日本へは16世紀末に南蛮船によって伝わり、九州で栽培がはじまり、江戸時代には各地で、明治以降は栽培していない県はわずかというほど拡がりました。戦前はきざみタバコを煙管(キセル)で吸うのが一般的で、戦後は巻きたばこ中心になったのはご存じのとおり。
「タバコ」という名は、スペイン人が新大陸の住民が用いていたパイプの呼び名〈タバコ〉を、葉の名前と間違えて旧大陸に伝えたものとされています。タバコは初期にはクスリでした。ヨーロッパに伝わってからも、当初はペストを防ぐ作用があるなどと喧伝されましたが、やはり嗜好品として急速に広がっていきました。
ヨーロッパにおけるタバコの栽培は1542年にポルトガルのリスボンで宮廷に庭にまかれた種からといわれます。当時ポルトガル駐在のフランス大使だったジャン・ニコー〈Nicot〉は自国の皇太后が頭痛持ちだったものですから、その種の一部を国に持ち帰り、皇太后に嗅がせて頭痛を治しました。嗅ぎタバコです。このことからフランス宮廷内でもタバコを嗅いだり、吸ったりの習慣が定着しました。ニコチンの名称は彼の名前が由来です。
このように万能薬として、また嗜好品として、庶民の間にも流行していきますが、保守の側からの禁止令もしばしば出ました。イギリスでは17世紀初頭、ジェームス一世が「タバコへの挑戦」という文書で、喫煙を野蛮人の汚れた習慣と非難し大論争になりました。次のチャールズ一世も喫煙を弾圧しましたが,清教徒革命で処刑され、勝利した市民のあいだに喫煙がますます定着しました。17世紀中ころの疫病流行のときには、嗅ぎタバコに予防効果があると、女性や子ども「嗅いで」いたそうです。政府はとうとう弾圧を諦め、税金をかけて国庫の増収を図る方向に政策を転換します。こうして17世紀のロンドンには当時南方からはいってきて流行しはじめた、茶、コーヒーの喫茶店・喫煙所が市民の社交と歓談の場になったのでした。イギリスを例にとりましたが、フランス、イタリア、ドイツ、ロシアなども似た経過をたどって弾圧よりも税収という経過をたどってます。
日本での喫煙の習慣は秀吉の朝鮮征伐〈文禄・慶長の役〉のとき兵士にひろまり、兵士が故郷に帰って全国的に喫煙習慣が拡がったといいます。江戸時代の初頭1609年には幕府は、はやくも禁止令をだしています。火災の危険と奢侈を理由にですが、これもお膝元の大奥にまで喫煙の習慣がひろまり、江戸時代に禁止令が何回出されても流行を止めることはできませんでした。明治政府になり日露戦争のとき戦費調達のために専売制度をとりいれ、タバコの税収は以後、国庫の大きな柱になりました。
現在の喫煙論争は禁煙派の一方的勝利のようですが、歴史的にどういう経過をたどるのか注目しています。
77.< 南蛮毛[玉蜀黍・玉米鬚・コーンシルク]>
民間薬としてよく知られている、トウモロコシの鬚のことです。イネ科の一年生草。
トウモロコシの原産は中南米で、紀元前二千年には栽培されていたようです。米や小麦のない中南米ではトウモロコシは唯一の安定した主食であり、これがマヤ文明とかインカ文明などを開花させたのです。ちなみにインカ文明の「アンデス」地方とは、山の斜面にインディオが石積みの技術を駆使して作った整然とした美しいトウモロコシの段々畑を見たスペイン人がつけた名前です[スペイン語で段々畑=アンデネス]。現在でもトウモロコシを粉にして焼いたトルティニヤ、それに肉や野菜を包んだタコスなどは中南米の主食で、日本でも流行しています。
タバコと同様、コロンブス一行により旧大陸にもたらされたトウモロコシは、品種改良をともないながら、たちまち世界中にひろまり、小麦、トウモロコシ、米の三大穀物になりました。日本へは16世紀にポルトガルの宣教師によって伝えられました。五穀の黍(キビ)にも相当するポルトガルからきた穀物だから南蛮黍と呼ばれました。中国でも周辺地方の名前から蜀黍。唐蜀黍(トウモロコシ)とは、要するに外国・外国・黍という意味ですし、玉蜀黍と書くときは貴重・外国・黍ということです。
大型のイネ科のトウモロコシは花が雌雄別々に咲きますから、風媒による他家受粉で結実します。アニマルファームのように少量のスウィートコーンを栽培するときは、自然に任せないで、茎の先端に咲く雄花(雌しべが退化している)の花粉を茎の中程の節に2〜3個咲く雌花の花柱にパラパラとつけてあげます。こうして受粉させるのです。結実した実の先端のこの花柱が、トウモロコシの毛、中国では玉米鬚、絹のようだから英語ではコーンシルクと呼ばれる今回の薬です。
トウモロコシの最大の消費は家畜の飼料。食用としては、デンプン(コーンスターチ)をさまざまに用いますが、薬剤の賦形薬にもなります。コーンオイルは食品の他、薬では軟膏の基材になります。さてコーンシルクですが、むしりとって乾燥したものは煎じて、欧米でも古くから利尿剤、利胆剤としてつかわれていました。中国でもこれを調合した新しい方剤があります。日本でもスイカなどとともに、利尿剤として腎炎などの浮腫に民間薬としてつかわれています。
78.<スイカ[西瓜・水瓜・西瓜糖]>
ちょっと季節外れですが、夏のスイカです。50年前、千葉の海岸で遊んだときのことを思い出します。民宿のおばさんが朝、スイカを荒縄で上手にくくり、井戸におろすのです。一日海で遊んでペットボトルなどない時分、疲れきって、渇ききった子どもに冷えたスイカがどんなに美味しかったか。井戸水を頭からざぶざぶかけられて、海水を洗い落とすのももどかしく、海水パンツが半分脱げかかったまま、おばさんがざくざく切ってくれたスイカにむしゃぶりつきます。縁側にちょこんと腰掛けて、足をぶらぶらしながら。種を食べると盲腸炎になると真面目に言われてましたから、ペッペッと吐き出しながら。でもそうしていると冷たさが充分味わえないから、けっきょくガブッと種ごと。冷蔵庫がなくて、今のように甘い品種はなく当たり外れの多かったあの時分、どうしてあんなに冷たく美味しかったかのか、夢のようです。隣りのトトロ的なこうした思い出はどうして書いていて涙がでてくるのでしょうか。
それはスイカがほとんど水分だからだ、という情けない落ちで現実にもどります。確かに英語では、water-melon ですから、直訳すれば水瓜ですが、これは間違い。中国で西域からもたらされた瓜だから西瓜、それがそのまま日本語になった西瓜が正しい。スイカは紀元前四千年にはアフリカで栽培され、種を食用にしていたといわれます。果肉を食べるようになったのは地中海方面に広まってから。ヨーロッパや中国に伝わったのは大分後、紀元後10世紀くらい。日本には、16〜17世紀のころ。諸説ありますが、一説にはポルトガルの宣教師が、カボチャ(南蛮・南瓜)とともに西瓜の種を伝えたと。当時のスイカはラグビーボールのような冬瓜型。色も黒に近い深緑で今のような模様はなかった。味もけっして甘くなく、甘い品種は明治に入ってからアメリカからもたらされ、以降一般にひろまったといわれます。
薬効は「渇をとめ、暑を解し、酒を解し、小水を利する」といわれる。実感された方も多いでしょう。漢方薬には、皮を用いた「西瓜翠衣」が清暑益気湯という先ほどの薬効そのままの名前の処方に組み込まれています。果汁を煮詰めたものは「西瓜糖」と呼ばれ利尿作用がありますから、腎炎などの浮腫に使われます。
79.<麹[こうじ・糀・神麹・六曲・六神曲]>
米のデンプンを糖化して飴(アメ)を作り、その糖分を発酵させて酢や酒を造る(すでにこのシリーズに米も飴も酢も酒も登場済み)。その発酵のとき活躍するのが麹。先日所用で北海道に行き、美味しい麹漬けを頂戴したので、このシリーズにまだ登場していなかったと思いつきました。炊きあがった米や麦を30度くらいに冷まし、麹菌という黴の一種を混ぜて繁殖させたもの。昔は中国の古医書に「米や麦をつき砕いて茹で汁などで団子にし、楮葉に包んで風の当たるところに49日かけておけばできあがる」とあるように、自然の発酵菌で長時間かけて作っていた。このように団子状のものと、日本の麹のようにばらばらの米を発酵させたものと2種類ある。作用別の分類では、ここで述べているようにデンプンを発酵させる力の強い麹で酢や酒を造り、一方タンパク質を発酵させるに適した麹では味噌やチーズを造る。
麹を作るとき室(むろ)に寝かした米に黄色の黴で花が咲いたように見えるから米の花「糀」とも書く。「麹」という字は改めてよく見ると、「麦」と「米」が、自然の発酵菌が豊富に付着している葉や藁などに「包」まれて発酵している様子をそのまま字にしたもの。だから米だけから作るコウジは米麹だし、麦だけから作るコウジは麦麹と区別する。素人が麹をつくるのは難しいので、麹屋さんから買って来て味噌などを造る。当院で作っている味噌は麦粒が残っている方が好きなので麦麹を使うことが多い。一般にはただ麹といえば米のほうを指すことが多いようだ。これなしでお酒は造れないから「酒母」ともいう。
古医書に「昔の人は麹を用いるのに多くは酒造りに使った。後になって医者が神麹を造りもっぱら薬として用いた」とあるように、薬としての麹は一般の麹とはすこし異なる。薬には必ずある種の信仰、神仙思想などがともなうから、「諸神、聚会の日にこれを造る」とあり、ここから薬としての麹を神麹(しんきく)という。
薬としての麹は他に六曲ともいい、これはもともと6種の植物を入れて造った麹という意味。青蒿・蒼耳・野蓼・杏仁・赤小豆などの生薬の細粉に米や麦を混ぜて長時間かけて発酵させたもの。効能はもちろん消化の促進。早い話がエビオスのことです(若い人はエビオスを知らない?)。どちらかといえば麹は炭水化物の消化が得意で、タンパク質の消化を促進する山査子(これもすでに登場済み)と合わせた漢方薬も有名です。