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和之と茂はK高校の郵便友の会の一応部員だった。 郵便友の会というのは、切手を集めたり、郵便事業につ いて研究したりする全国的な高校生のサークルで、切手 収集に国民的な人気があった当時は、ほとんどの高校に このサークルがあった。真面目な部員もいたが、大半の 部員は県内の高校生同士の交流会が目当てであった。だ から、和之と茂も一応なのである。K高校は男子校だっ たので、部員はみんな彼女をつくる場として交流会を心 待ちにしていたのである。
夏休みが始まって1週間ほど経ったころ、今年最初の 交流会が木幡緑地公園で行われた。県下から二百名ほど の高校生が集まって、フォークダンスをしたり、ゲーム をしたりして、夏の焼け付くような日差しの中で青春の 一日を楽しんでいた。
茂が負けた。
「わぁ〜い!やった〜!」
と和之は大声を上げた。
何事が起こったのかと、周りの視線が自分たちに急に当
てられたので、内気な茂は恥ずかしいが上にも恥ずかし
くなって、心臓は早鐘を打つように鳴り響いていた。
「さあ、言えよ!あの娘、あの娘だぜ!いいか!」
和之は茂をせかせた。
「分かってるよ!言えばいいんだろう!言えば!」
茂は顔を真っ赤にして怒ったように答えた。
何で僕がこんな役をしなけりゃいけないんだ。でも、確
かに僕の方が先にあの娘可愛いねえって言ったんだしな。
ここでやめたら、僕はもう卑怯な奴というレッテルを貼
られて、学校には行けなくなるだろうな。
そんなことを考えつつ、茂はその娘のいる輪の方へおず
おずと歩き始めた。夏の暑さに加えて恥ずかしさによる
汗が額からしたたり落ちて、目にしみた。茂はその汗を
涙じゃないかとも感じた。しかし、ここで勇気を出すか、
逃げるか、それによって茂のその後の学校生活、大げさ
に言えば人生そのものが天国となるか地獄となるかは茂
にはよく分かっていた。やるしかない、と茂は心を決め
た。
「あの〜?」
「あの〜?」
「やあ!何だい!茂じゃないか!お前何やってんだよ?!」
「?」
「お、俺だよ!俺!S小学校の時一緒だった貴人(たかと)だよ!」
「ああ〜!貴人!貴人じゃないか!久しぶりだね!お前何やってんだ?
こんなところで。」
「茂と同じじゃん!交流会に来たのさ。元気にしてたかい?」
「う、うん、まあ一応」
「まあ、そんなトコ突っ立ってないで、こっち来いよ。今、みんなで
さ、泳ぎに行こうよって、話ししてたんだよ。お前も行かないか?泳げ
たよな?」
「う、うん、まあ一応」
茂は事の意外な展開に面食らっていた。こんなことってあるのだろう
か。僕は、5月5日生まれで、男の中の男で、それに、おうし座だから
運が強いって、母さんが日頃から言ってたけど、まさか、こんなことっ
てと、信じられなかった。貴人が神様のように見えた。そのうち、和之
もにぎやかな笑い声につられてそろそろと近づいてきた。
「誰、こいつ?」
「あ、ああっ、僕の同級生の和之。」
「和之でぇ〜〜す。よろしくぅ〜!」
さっきまではあれほどおどおどしていたのに、和之はこんな所に来ても
調子者なんだなと、茂はあきれた。僕の運に乗っかって来やがって。
「君も行くかい?海!」
と貴人が訊いた。
「ああ、もちろんだよ。」
さっきまでのおじけた様子などなかったように和之はやった!とばかり
に勇んで答えた。
「でさ」
貴人がみんなに話し始めた。
「志摩の海だったら近鉄特急で名古屋からは1時間半ぐらいだし、海も
きれいだしってことで、志摩になったんだよね。」
志摩の海、その響きを聴いただけで茂と和之は心が躍った。思ってもな
いことだった。ロマンティックな予感が茂の心に満ちてきた。
「朝一番の特急で行こっ!だってさ、せっかく行くのにたくさん泳ぎた
いじゃん。」
「そうだよね〜」
「朝早いの私苦手だわ〜」
女の子たちが楽しそうにワイワイ話し始めた。
茂は不吉な予感を感じた。茂は午後の早起きは得意だけど、朝の早起き
は苦手だった。いつも母親に起こされてやっとのことで、朝飯も食わず
に学校へ走っていたからだ。1学期だけで、ショートホームルームの遅
刻を27回もしていた。
「じゃ〜何時頃名古屋を出るか、多数決で決めま〜す!」
と貴人がみんなをまとめにかかった。
「じゃ〜、乗る電車どれにするか、7時、8時、9時で決をとりますね。
まず、7時がいい人、手を挙げて!」
貴人が元気よく叫んだ。
茂以外のみんなが手を挙げた。茂の心の中に不安がよぎった。ぼくだ
け寝坊して取り残されるんではないか?
「帰りはその時の気分で決めればいいね〜!」
貴人が言った。
パチパチパチ、拍手と歓声が上がった。
その前日、茂はいつもより3時間も早く床に就いた。女の子と泳ぎ
に行く、いやそもそも女の子と何かをするということ自体が中学・高
校と男子校だった茂にとっては小学校以来のことだった。
まず、あの娘の名前と住所を聞かなくちゃな。これは最低限の目標
だな。何を話そうかな?
といっても、中1から高2まで4年間の女の子とのブランクは大き
かった。
女の子はどんなことを話せば喜ぶんだろうな。学校のことや日常的
な話がいいのかな?文学や映画の話しをした方がいいのかな?いや、
それでは堅いと思われるかな?服は何を着ていこうか?やっぱ、ラフ
な格好がいいだろうな?泳ぎに行くんだもんな。制服じゃ様にならな
いわな。
ワクワクしながらそんなことを考えているうちに、カーテンの向こ
うの空が白んできた。
いけね。眠らなくては。
茂は焦った。でも、心が躍り、眠るような雰囲気にはなれなかった。
ええい、こうなったらもう起きていよ。
と、茂は決めた。
ジ〜〜ンジ〜〜ン。目覚ましがなった。
うるせえな!
茂はいつものように思った。しかし、次の瞬間、
いけね!起きなくては!
と、茂は飛び起きた。時計を見ると5時半だった。
ああ、1時間は眠ったんだな。でも、まだ眠たいなあ。でも、今日 は頑張らなくては。
茂は、急いで準備をし、バス停へと走った。別に、歩いても充分間 に合うのだが、躍る心が茂を走らせた。名古屋駅の近鉄乗り場に着い た。待ち合わせ場所にはもう3,4人が集まってわいわい盛り上がっ ていた。
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みんなが集まった。
「さあ、行こう!」
貴人が言った。
男子4人、女子4人、みんなで8人いた。ちょうどいい人数だ。
茂が名前を知っているのは、同級生の和之と小学校の時の友だちの貴人
の2人だけだった。どの席に座ったらいいんだろう?みんなはうろうろ
していた。ある女の子が、
「アミダで決めな〜い」
と言った。茂たちのあこがれのまだ名前も知らない女の子が
「それがいいね〜」
と言ったので、急遽アミダを作った。男子と女子が2人ずつ座るように
男子は男子、女子は女子でアミダを引いた。
「あっ、わたし、21番」
「僕は、24番」
それぞれがくじで当たった席に座った。何と運のいいことだろう。茂は
憧れの女の子と向かい合って座ることになったのだ。茂の隣は和之。仲
のいい和之が隣であったことで、茂は少しほっとした。向かいのもう一
人の女の子はまだ知らない。少しだけ緊張した沈黙の時間があった。で
も、おどけものの和之がすかさず口火を切った。
「僕、君たちのこと知らないや。」
「私たちも知らないわ〜」
女の子二人が偶然声をそろえていったのがおかしくて、みんなが笑っ
た。これが場の雰囲気を和らげた。
「じゃあまず、自己紹介しようや。」
と、和之が言った。
「じゃあ、まず僕ね。僕は和之と言います。こいつと同じK高校。中学
から男子ばかりなんでつまんないんだ。」
一言多いと、茂は思った。和之が茂の頭をぽんとたたいた。
「あっ!僕?僕は茂。よろしく。」
女の子たちの視線を感じて、茂は思わずうつむいてしまった。しかし、
うつむきながらも目は女の子たちを見ていた。女の子たちはにこにこ笑
っていた。
「きみは〜?」
恐る恐る茂が聞いた。
「わたしは、エミ、S女子高です。よろしく。」
エミ、エミ、何て可愛い響きの名前なんだろう。エミと言う名前は本当
にエミにふさわしいと茂は思った。もう一人の女の子はケイコと言っ
た。ルックスはそうでもないが、しっかりした娘のように思えた。
「トランプしようか!」
和之が言った。
「やろうやろう」「うん」
みんなが口々に言った。
茂は女の子と向かい合って座ったことなどなかった。緊張していた し、恥ずかしかった。でも、自然と目と心はエミの方にばかりいった。 こんな近くでエミを見られるなんて、茂は夢見心地だった。エミはまる で少女マンガから抜け出してきたように可愛かった。髪は肩に掛かるぐ らいの長さで、少し前にカールしていた。前髪は目のすぐ上にまで来て いて、時々目に掛かった。それをなぜるように払いのけるしぐさが何と も言えず色っぽかった。濃いブルーのTシャツに白いジーンズのミニス カートをはいていた。ミニスカートからのぞいているやわらかそうな太 ももの白さに、茂はドキッとした。美しいと思った。見ていることが分 かると恥ずかしいので、トランプで目を隠して、トランプを上下させ て、顔や胸や脚をチラッチラッと見ていた。トランプにまで気が回らな かったので、茂はとんちんかんなことばかりしていた。それがみんなの 笑いを誘って、すごく盛り上がった。勝ったのか負けたのか分からな い。そんなことはどうでもよかった。エミや和之やケイコはよく笑っ た。エミの顔、胸、脚をチラッチラッと見ているうちに、とにかく電車 は鵜方(うがた)駅に着いた。
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どれだけ眠ったのだろう。足がかゆいので目が覚めた。見ると蟻が
足を這っていたので、払いのけた。太陽はもう真上にはなく、西の空
低くで、まだ熱い光線を放射していた。夕暮れ時にはまだ少しあった
がエミもみんなもいなかった。
どれだけ眠ったのだろう。足がかゆいので目が覚めた。見ると 蟻が足を這っていたので、払いのけた。太陽はもう真上にはなく 西の空低くで、まだ熱い光線を放射していた。夕暮れにはまだ少 しあったがエミもみんなもいなかった。
茂は少し不安になった。眠っていたので、起こしてはくれたの
だろうが、僕は起こされてもなかなか起きないから、愛想をつか
されて放っていかれたのだろうか?いや、僕の仲間たちだ、放っ
て行くはずがない。それにしてもどこへ行ったのだろう。あたり
を見渡すと泳いでいる人や砂浜で遊んでいる人はずいぶん少なく
なっていた。こういうときに自分から探して歩き回り、今いる場
所を離れることはかえってよくないという判断は茂にはできたの
で、そのままそこで再びごろりと寝転がった。波と潮風のメロデ
ィーが心地よかった。なにかすてきな詩ができそうな気がして、
茂は頭の中でいろいろと言葉を捜していた。
それからあまり時間は経っていなかった。後ろに何か人の気配
がしたので、茂はふと振り返った。エミがにこにこ笑って立って
いた。
「おきた〜?」
「うん、おきたよ。」
「ふふっ、茂さんたら起こしても起きないんだもの。」
「昨日、ワクワクしてさ、1時間ぐらいしかねむっていなかった
もんで。よく寝たよ〜!」
と言って、茂は大きく伸びをした。
それを見て、エミはまた笑った。何て可愛らしい笑い方なんだろ
うと茂は内心感動した。それにしても、何でエミが迎えに来てく
れたんだろう、僕に気があるのかな?いやいや、そんなはずはな
い。茂はいろいろと考えた。
「で、みんなどこにいるの?」
「みんなはもう帰ったわよ。」
「えっ、俺を残して。」
「冗談よ、茂さんを放って帰るはずがないじゃない。今ね、あそ
このテントでかき氷を食べているの。かき氷、好き?」
「うん、大好きだよ。」
「じゃ、いっしょに行こ。」
このままみんなのところへ行ってもいいのか、と茂は思った。そ
して、エミにどうしても訊いておかなければならないことを訊く
のは今しかないと思った。意を決して、茂は言った。
このままみんなのところへ行ってもいいのか、と茂は思った。そ
して、エミにどうしても訊いておかなければならないことを訊く
のは今しかないと思った。意を決して、茂は言った。
「エミちゃんに手紙書きたいんだ。住所を教えてほしいんだけど。」
「手紙くれるの?ふふ、うれしいわ。でも、私は私から出したいの。
茂さんの住所を教えてほしいわ。」
茂はエミに体をかわされたような気がした。しかし、エミから先に
手紙をくれるということはすごくいいことなんじゃないか。そう思
って、茂は住所を教えた。
帰りの電車の中では、みんな疲れたのか眠りこくっていた。茂だ
けが海でよく眠ったので起きていた。今日一日のエミとのことを思
い起こしてはにやにや笑ったりしていた。エミの寝顔も愛らしかっ
た。ミニスカートからのぞく可愛らしい太ももも今度はじっくりと
ながめることができた。水着よりもミニスカートの方に色気を感じ
ることを茂は何でだろうと思った。これは僕だけなんだろうか、他
の男たちもそうなんだろうか、などと茂は考えた。
それから数日が過ぎた。茂の生活はいつもの休暇のように昼夜反
対になっていた。親から文句を言われると、夜の方が涼しくてよく
勉強できるんだいなどと言い訳をしていたが、茂の家にはまだその
ころクーラーがなかったので、事実でもあった。勉強は宿題を少し
だけして、大部分の時間は本を読んでいた。そのころ茂は武者小路
実篤にこっていて、武者小路を読んでは幸せな明るい未来を感じて
いた。
5日後の夕方、茂が起きるとの机の上に多分母が置いたのであろ
う。1通のきれいな封筒に入った手紙が置いてあった。茂はそれが
エミの手紙であることはすぐに分かった。そして、期待に胸をどき
どきさせながら封を切った。
茂さん、初めてお便りします。
昨日の夜のお月様、見た?
本当にきれいで、私は屋根に登ってうっとりしていました。
庭の小さな白い花までが黄色に染まって、私はお月様の黄色の世
界に酔ってしまいました。
先生がいつか言っていたわ。
夜遅くに手紙を書くといけないんだって。
なぜなのでしょうね?
私は夜の方が日記も手紙もよく書けるわ。
茂さんは夜型だからやっぱりそうなのかしら?
お月様の光で黄色に染まった花びらを押し花にしました。
お手紙と一緒に入れました。
茂さんにも見てほしかったから・・・。
ところで、初めてのお便りで悲しいことを書かなければいけなく なりました。少し前から分かっていたことなのですけど、父が9 月からリバプールに転勤になるんです。とても大切な仕事がある からって、かなり長くかかりそうだからって、私たちもリバプー ルに引っ越すことになったんです。あちらは9月からが新学期な のね。私は向こうの私立高校に通うことになります。
茂さんとはたった一日のことだったけど、とても楽しかったわ。 イギリスに行ってもあの日の志摩の海のことはよく思い出すと 思うわ。茂さん、楽しい思い出をありがとう。 心からありがとう。
1973年8月3日
エミ
エミはイギリスに行ってしまった。もう会えない。 茂は全身から力が抜けてしまって床にへなへなと 座りこんでしまった。しばらく呆然としていた。 どうしようもないという無力感と幸せが自分を裏 切るように去っていった衝撃とに襲われた。
気がつくと和之の家に来ていた。和之の顔を見る と涙がとめどなく溢れてきた。和之は事情をすで に知っていたようで、
「お前、惚れていたからな。」
二人は何もしゃべらなかった。和之にしてみれば
慰めようもなかったし、茂にしても和之に話をし
てもどうなるものでもなかった。
茂は飲んだことのない酒をただただ飲んだ。それ
でよかった。それでよかったのだ。
そのうちに心臓が異常なほどドキドキしてきて、
気分が悪くなってきた。和之が水を飲めと言った。
茂は台所に行って、飲めるだけの水を飲んだが、
気分はよくならなかった。
気がつくと朝だった。頭がガンガンしていたので、
夕方まで和之の家で世話になった。和之は事情を
家の人に話していたようで、和之の家族は誰も部
屋には入ってこなかった。ありがたかった。
その後の夏休みを茂はボーとして過ごした。何も する気がしなかった。
夏休みが終わり、新学期が始まり、クラスは文化 祭の取り組みで活気を呈していた。しかし、茂は 何もする気がしなかった。いつもならクラスの先 頭に立ってクラスをリードする茂であるのに、ク ラス友達は変に思ったに違いない。
運動場の銀杏が黄色く色づき始めたころには、栄
の繁華街へ行っては気を紛らわすのが習慣になっ
ていた。この日は地下街を歩いていた。恋人たち
が手をつないで歩いているのが憎たらしかった。
今日も、行きつけのレコード屋に立ち寄って、買
う気もないのにあれこれジャケットを見ていた。
すると
♪遊園地 ローラースケート 二人で行くはずだ
ったのに〜♪
と歌う男性歌手の歌が聞こえてきた。
あっ!これ、俺のことだ!と茂はびっくりした。
迷わずそのレコードを買った。レコードには「N.
S.P FIRST」と書いてあって、茂よりは少し年上に
見える大学生らしき男3人がギターとベースを弾
いている写真があった。
茂は急いで家に帰り、そのレコードを聴いた。何
回も聴いた。涙が溢れてきてしかたがなかった。
(終わり)