平安京プロジェクト・ダイジェスト

臼井正+宮原健吾+京都天文めぐり*平安京プロジェクトチーム


このページは、平安京プロジェクトの4つのページのダイジェスト版です。
詳しい説明や参考文献はそれぞれのページをご覧下さい。
(このページの最後にもリンクが張ってあります)

1. はじめに

 平城京や平安京など古代の都の東西南北は、かなり正確に真の方位と一致しています。 それでは、平安京の南北(または東西)は、どうやって決めたのだろう?、という話が 京都天文めぐりの勉強会で西村昌能さんから提起されました。

 古代の都の方位については更に謎があります。 京都市埋蔵文化財研究所の宮原さんによると、平安京全体は西に角度の22分55秒振れていた(1分は1/60度で、1秒は1/60分;西に23分は1000m真北に行って西に7m進むくらい)。 他の都では奈良の平城京の振れが西に21分6秒(参考までに朱雀大路の振れは西に22分44秒)で、平安京と同程度の振れ方をしている(平城京の振れの数値は、内田賢二氏の「長岡京条坊復元のための平均計算」 長岡京跡発掘調査研究所ニュース31号 (1984年) を使用しました)。 また、平城京西京極大路(西辺)をそのままの振れで延長するとそのまま平安京東京極大路(東辺)につながるということでした。
 一方、平安京 の前の10年間だけ都だった長岡京は、西に7分の振れで一番真北に近い。 平城京と平安京の振れがほぼ同じなのはどのように考えたらよいか、とのことでした。 右の地図では、角度のズレをものすごく大袈裟に描きましたが、実際にはこのくらい小さなスケールでは全く分からない程度です(この地図では、平城京西辺と平安京東辺の関係は再現されていません)。

 当時、北極星(こぐま座α星;ポラリス)は、歳差運動によって天の北極から10度もズレていたので、何も考えないで北極星の位置を測ると大きな誤差が出るはずです。 また、磁石の指す北は真北とズレていて(偏角)、しかも場所や時代によって変化するので、そのズレを測るには結局、別の方法を使わなければなりません。 又、方位磁石の長さはせいぜい10cmで、角度の1度が2mm以下になってしまうので、精度は出ません。

系統的に23分ズレた可能性としては、
1.単なる偶然
2.正確に真北を測った後、わざと西に23分ズラした(当時は三角関数はないので、150歩真北へ歩いて1歩左に進むと決めていた?;tan23′=1/150)
3.奈良盆地の測量の基準線を、平安京まで延長した
4.天体を使って方位を決めるとき、系統的に西に23分ズレる方法があるか?(我々は思いつかないですが)
といったことが考えられます。

 方位は天体を使って決めたと考えられますが、それについては
A.どうような方法で方位を決めたのか?
B.誤差はどのくらいか? 長岡京の振れ程度の精度が出せるか?
C.その方法で系統的に西に23分ズレるか?
という問題があります。 以下に紹介する文献や計算によっても考えるわけですが、誤差などそれでは分からない部分は、実際に観測して考えよう、というのが基本方針です。

<付記>  我々の研究チームは、その後2008年3月に恭仁京(くにきょう)の測量をしました。 恭仁京は平城京のすぐ北の都で、聖武天皇が一時的に都を移した所です。 都が他所に移ってからは山城国分寺になって、現在は塔と大極殿(国分寺の金堂)の礎石が残されているので、その方位を測ると、ほぼ西に1度の振れでした。 地理的にも時期的にも平城京と平安京をはさむ恭仁京で違う方位が出た、ということは、平城京と平安京の振れが同じくらいなのは偶然だ、という可能性が高まったことになります。
 また、研究会「古代東アジア交流の総合的研究」で、日本の都城の方位の話をしたところ、奈良文化財研究所の方から、平城京の振れは場所によって結構違いがある、また、下ツ道が平城京の基準線となったとすると平城京では天文観測はされなかったのではないか、との御指摘をいただきました。
 太陽や周極星を使った方位決定の実験も進んでいますので、これらの点を含めて、このページも書き直したいのですが、なかなか時間がとれないので、気長にお待ちください。(2008.6.9)

2. 『周髀算経』

 中国古代の書物『周髀算経』には、2つの方位決定法が記されています。『周髀算経』は髀(表ともいう、垂直に立てた棒のこと。英語ではノーモンという)を使って宇宙の構造(蓋天説:がいてんせつ)を計算した周代の数学書という意味で、現在の形になったのは3世紀初頭とされています。 この書は養老令の解説書である『令義解(りょうのぎげ)』(9世紀はじめ)に「およそ算経は、(中略)、周髀、(中略)をおのおの一経と為せよ。学生は経を分ち業を習え」とあるので、少なくともその頃には日本にも入っていたことになります。

2ー1. 太陽を使う方法

 薮内清氏は『周髀算経』に載っている方法をアレンジした右のような方法(インディアン・サークル法;ネイティブ・アメリカンではなく、インド人がこの方法を使っていたらしい)を紹介しています。 まずノーモン(黒い縦棒)を垂直に立てて、それを中心に、水平な地面に円(緑)を描きます。 そして、太陽が昇って影の先端がちょうど円の上に来たところに印をします。 午後にも同様にして印をつけて、2つを結んだ直線が東西線になります。
 太陽を使った方位決定法は『周髀算経』の他にも、『周礼(しゅらい)』の「考工記(こうこうき)」や『詩経』の「定之方中(ていしほうちゅう)」、西洋では古代ローマの建築家ウィトルウィウスの『建築書』の中でも言及されています。

2ー2. 周極星を使う方法

 北極星は天の北極(=真北)からかなり離れているので、何も考えずに観測すると大きなズレが生じますが、『周髀算経』には次のような真北を求める方法が書かれています。 北極星が日周運動で1日で1回転するときの軌道は円になりますが、その1番東に来たときと、1番西に来たときの方位を測って、2つの方位を2等分した方位が真北になる、というものです。

*                 *

 古代の都の方位は上の2つのどちらかの方法で決められたと考えられますが、果たしてどちらか、というのが問題です。 精度を考えると周極星を使った方が有利だと思われますが、精度については実際に観測してみないと分かりません。 平安京などの23分のズレがこうした方法で出るかというと、周極星を使う方法なら系統的なズレは出ないはずです。 インディアン・サークル法では、春分・秋分の頃は太陽の赤緯方向の動きによって、最大7分のズレが出ます(「平安京の東西南北はどうやって決めたのだろう」の このあたりを参照)。 そこで、測量は春分の日に行う、と決めていたとすると系統的なズレが出ますが、それでも7分ですので、都の方位のズレでは説明できません。
 もし、23分のズレが天文による測量で発生しないなら、平城京の基準線を地上の測量で延長して平安京までもってきた、という可能性も考えられるでしょう。 つまり、奈良盆地のどこかで最初に方位を決めたとき西に23分ズレて、その誤差が奈良盆地だけでなく、他の都にも伝播したという可能性です。

3. ピラミッドの方位決定に関するスペンスの新説

 クフ王のピラミッドの方位は、真の方位と角度にして3分程度のズレしかありませんが、 時代が下がるほど精度が悪くなり、第5王朝のネフェリルカラー王のピラミッドは30分もズレています。 スペンスによれば、8つのピラミッドについて真北からのズレをプロットすると、ほぼ一直線上に乗り、時間とともに精度の変化するような方位の決定法が使われたことが推定される、とのことです。

 そこでスペンスは、2つの周極星が垂直になった時の方位(左図の緑の縦線)を使ったとすると、歳差の影響で時間と共にズレが生じることに注目しました。 このような星のペアを探すと、紀元前2467年にはおおぐま座ゼータ星(ミザール)とこぐま座ベータ星(コカブ)を結んだ線上に天の北極が来ることが分かりました。

 スペンスの説によると、この時はクフ王の即位後しばらくした頃にあたります (見て来たようなイラスト(上図)では、クフ王のピラミッドだけが立ち、 2つの星を結んだ線上に天の北極がきているので、 2星が垂直になった時の方位は真北と一致します)。 しかし、時と共に天の北極は2つの星の線上から離れて行って、ピラミッドの方位もだんだんズレる、というわけです (下図、ギザの3大ピラミッドが並んでいる)。 スペンスはこの説を2000年のネイチャーで発表しましたが、その翌年には、それに対する反論(というかコメント)も出ています。

 次に、平安京の方位が同様の方法で決められた可能性について考えます。 まず、造営時にそのような星のペアがあったか? ということが前提になります。 ただし、もしあったとしても、天の北極は100年で30分以上も移動するので、例えば造営に約100年の開きがある平城京と平安京でこの方法を使ったら、両者は別の方位を向いているはずです。

 Pyramid Orientationでも、ピラミッドの方位決定法について色々な説が紹介されています。 このページの著者は、星の南中の観測によって、方位とピラミッドの傾斜角を同時に決めた、という説を出しています。 どうもこの分野は、考古学&文献に何の手がかりもないのをいいことに、皆が好きな事を言っているような気がします。

4.太陽を使った方法を実際にやってみました(その1)

 机の前であれこれ考えてもしょうがないので、まず、太陽を使った方位決定法を実際に試してみて、 どのくらいの精度が出るものなのか調べました。
 観測装置は、京大宇宙物理学教室の冨田良雄さんに作って頂きました。 観測は、2002年6月6日に京大宇宙物理学教室の屋上で行いました。

 左の写真(冨田良雄氏提供)の説明:ポール(高さは約90cm)の手前にあるのは水準器。直径約70cmの円盤の下(水準器の右下)に写っている白い足(他に2ヶ所ある)についたネジを調節して水平を出した。この写真では、ポールの根元から左やや上方に伸びている影の先端は円盤の外にあるが、この直後から観測が始まった。

 データ処理の結果、どうもポールが垂直から少し傾いていたらしい、ということが分かったのですが、それを補正すると内部誤差は1/1000(角度で数分)程度になりました。 これは、時間の異なる観測点で方位を求めたときに、お互いに1/1000くらいの精度で一致していることを意味します。 ただし、この時は、別の方法で真北を求めて比較することが出来なかった、又、観測装置が小さかった、などの課題が残りました。

5.太陽を使った方法を実際にやってみました(その2)

 その後、このページ(の前身)を見て下さった京都市埋蔵文化財研究所の宮原さんからコンタクトがあり、このページの1章で紹介したような発掘データに加えて、発掘測量用の機材&技術を提供して頂けることになって、より大規模な観測を行いました。
 観測は、2002年10月21日に京都市立堀川高校の屋上で行いました。 当日は、場所を提供して頂いた中山先生をはじめ、京都天文めぐりのメンバーも顔を出されました。 まず、発掘測量用のポール(水準器つき;丸川義広氏提供の写真の左方)を古式にならって約2mの高さにして垂直に立てます。 そして、ポールの先端の影の位置を、屋上のコンクリートに直接プロットします。 (写真では、筆者がポールの先端の影を見つめています)。 当日は青空が広がっていたものの、午後の後半には太陽の方向だけ雲がかかってしまい、観測できませんでした。

 測量は後日、宮原さんが測量用のGPSを使って各点の地図上の位置(x、y、z)(北緯、東経、標高)を測りました。 ただし、各点5mm程度の測量誤差があります。 観測点の座標と計算値の座標(各時刻の太陽の方位と高度を計算すると、本当は影の先端がどこにあったのかが分かる)の差は、ほぼ5mm以内に収まっていて、これは測量誤差と同程度です。

 今回、インディアン・サークル法で求めた方位は、作図ではなく、作図と同等の作業をコンピュータで計算しました。 その結果得られた方位は、GPSで決めた真北から西へ1.3分±2.3分という結果になりました。 この日は秋分に近いので太陽の赤緯方向の動きが無視できなくて、この方法で正確に観測すると西へ4.5分ズレた方向が出たはずです。 ということは、3.2(=4.5-1.3)分だけ正解からズレたことになりますが、これはほぼ1/1000に相当します。 このズレには観測誤差に加えて測量誤差も含まれていることを考えると、かなり良いと言えるでしょう(1/1000ということは、2m行って2mmズレる程度ですから測量誤差の中に入ってしまいます)。

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 今回の観測は、GPSによる測量によって真の方位との比較が出来て、インディアン・サークル法の観測誤差は1/1000に収まる程度ということが分かりました。 長岡京の方位決定は、この方法で十分可能だと考えられます。 しかし、平安京と平城京の西に23分という値は実際に観測しても出てきませんでした。 今後の課題は、測量誤差をもっと小さくすること、それからもう一つの周極星を使った方法をやってみることです。 この辺りをもう少し考えて、再チャレンジしようと考えています。

2003年5月16日 バージョン1.0
2003年3月15日 バージョン2.0
2008年6月9日 バージョン2.1
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平安京プロジェクト・ダイジェスト(現在地)

平安京の東西南北はどうやってきめたのだろう
太陽を使った方法を実際にやってみました(その1)
太陽を使った方法を実際にやってみました(その2)
ピラミッドの東西南北はどうやって決めたのだろう

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