WHNインドシナ公式訪問・ハイライト(上)
ミャンマー編


 このページは、2003年夏に世界遺産ネットワーク(WHN)(現在、閉鎖中)の一員として行った、インドシナ公式訪問のハイライト(上)です。 ハイライトとは別に、訪れた全遺跡のリスト+小さな写真多数の公式訪問の記録のページもあります。

ヤンゴン

 ミャンマーは旧ビルマで、1989年に軍事政権によって名称変更されましたが、両者は語源的には同じです。 ヤンゴンがビルマ族によって占領されたのは1755年のことで、イギリスの植民地下で港湾都市として発展し、独立後は首都となりました。  シュエダゴォンパゴダ(下の写真)の原型はビルマ族の征服以前、15世紀のモン族のバゴー王国の時に整えられました。 パゴダとは仏舎利(お釈迦さまの骨)を納めた仏塔のことで、パゴダに貼られた金箔や宝石類は、全て人々の寄進によるものです。 ミャンマーのパゴダや寺院は、全て素足になって入ります。

バガン

 バガンは、アンコール・ワットとインドネシアのボロブドゥールと共に、世界三大仏教遺跡に数えられています。 ただ、僕自身この訪問までバガンの名を知らなかったように、知名度は他の2つに比べてかなり低いですが、それが決して遺跡の規模や重要性が低いためではないことが実際に行ってみて分かりました。

 ビルマ族はもとは中国の雲南省にいた人々で、9世紀から10世紀にかけて南下しこの地に定着しました。 エーヤワディー(イラワジ)川の東岸に広がるバガン(旧パガン)は、ビルマ族が建てた初の統一王国であるパガン王国の首都として栄えました。 11世紀から13世紀にかけて、王をはじめとして王族・貴族が競ってパゴダや寺院を建立しました。 しかし、王国はモンゴルのフビライ・ハンの侵攻により、事実上滅亡してしまいます。 現在は3000を越えるパゴダや寺院が、畑や森の間ににょきにょきと生えているような景観が広がっています。
 
 
中央
アーナンダ寺院
スラマニ寺院
ローカテェインパン寺院
グービャウッジー寺院
ミンガラーゼディパゴダ
シュエズィーゴンパゴダ
プラティパゴダ
シュエサンドーパゴダ
タビィニュ寺院
 パゴダの中は全部詰まっていますが、寺院は内部構造があって下の写真のように仏像が納められてたり、壁画が描かれています。 現在も信仰の対象になっているパゴダ・寺院は金箔がはられてきれいになっていますが、それ以外は結構放置されていて、鳥のフンが足の踏み場もないほど落ちている所もありました。 バガンは観光地というより、遺跡、そして信仰の場という印象が強く残りました。
 
 
中央
アーナンダ寺院の仏像
スラマニ寺院のゾウの壁画
ローカテェインパン寺院の仏像
ローカテェインパン寺院の
釈迦の前世の物語
 実はバガンはユネスコの世界遺産には登録されていませんが、これは遺跡の評価が低いわけではありません。 一つにはミャンマー政府が軍事政権ということもありますが、バガンが現在も信仰の場になっていることも関係しています。 世界遺産に登録されユネスコの管理下に入ると勝手な修復は出来ませんが、現地の人にとっては遺跡ではなく信仰の対象なので、現状ではパゴダ・寺院が調査もされずに破壊、修復されています。

マンダレー

(左)チャウットーヂーパゴダ(マンダレー市内)25年かかって彫った大理石の石仏
(中央)王宮とマンダレーヒル(写真奥の丘)
(右)シュエナンドー僧院の扉。

 マンダレーは1857年、コンパウン朝(アラウンパヤー朝)の9代ミンドン王の時代に首都となり、建設が始まりました。 しかし、その次のティーボー王の時にイギリスに占領されたので、首都としての役割は25年間と短いものでした。 道路は碁盤目状に走り、中心には旧王宮があります。

 個人的には、マンダレーの10km南の町アマラプラにあるチャウットーヂーパゴダで、思いがけずミャンマー独自の星座絵が描かれているのを見たのが印象に残っています。 チャウットーヂーは大理石の意味で、大理石の石仏があります。 星座絵にはゾウや馬などミャンマー独自の星座が描かれています。 帰国後調べたところ、ミャンマーの星座については西山峰雄さんの研究があり、それについてビルマの星座絵で詳しく書きました。


WHNインドシナ公式訪問・ハイライト

(上)ミャンマー編(現在地)
(下)アンコール・アユタヤ編

WHNインドシナ公式訪問の記録
訪問した全遺跡のリスト+小さな写真多数

その1・ヤンゴン〜バガン編
その2・マンダレー編
その3・アンコール〜アユタヤ編

2003年10月4日 バージョン1.0
2006年3月20日 バージョン1.1.1
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