星のしるし(上)

・2006年3月にページを(上)と(下)に2分割しましたので、Googleなどから来られた方は検索ワードが見つからないかも知れません。

 星型と言えばまず☆が思い浮かびますが、それだけが星のしるしではありません。 星のシンボルは、時代や地域によって他にも色々ありました。 このページでは、世界の星のしるしをウェブのリンクを活用して紹介して行きます。

上巻(このページ)の目次
1.先史時代 / 2.エジプト・メソポタミア  / 3.ギリシア・ローマ  
4.中世ヨーロッパ  / 5.ルネサンス以降と紋章  / 6.ペンタグラム
7.画家たちの星  / 8.国旗  /  9.ダビデの星
下巻の目次
10.アメリカ大陸  / 11.オーストラリアと大陸アジア  / 12.日本
13.晴明桔梗  / 付録:星のかたち

・リンクは、基本的にはhtmlファイルに張っていますが、画像の場所が分かりにくい場合は画像ファイル自身にも張りました。
・はるかに短い旧・星のしるしも置いてありますが、あまりお勧めはしません。

1.先史時代

 2000年の8月に、ドイツ・ミュンヘン大学のMichael Rappenglueck博士は、フランスのラスコー洞窟の壁画に星空が描かれているとの新説を発表しました(BBC News;日本語の記事(画像なし)はアストロアーツ>ニュース)。 博士によると、壁画に描かれている「牛の目」「鳥人間」「棒の上の鳥」が、それぞれ「べガ」「デネブ」「アルタイル」を表わし、現在の「夏の大三角形」を構成しているといいます。 さらに、別の所に描かれた6つの並んだ点はプレアデス星団を示している、とのことです。 この説が本当なら、この時点で星座が作られ、星は点で表わされていたことになります。 しかし、夏の大三角形といっても星が描かれているわけではなく、3つの絵の位置関係が夏の大三角形の配列に似ている、というだけで、確証は乏しいような気もします。

 一方、2002年の夏、ドイツのネブラという町で盗掘者が警察に逮捕されました。 そのときに押収された出土品の中から発見されたのが、「天空の円盤」と呼ばれる青銅製の円盤です(Archaeoastronomy & Ethnoastronomy Newsの下方)。 「天空の円盤」は、直径32cm重さ2kgほどで、警察の調査によって本物であることが確認されています。 近くで見つかった剣の様式から、この円盤が埋められたのは紀元前1600年ころと推定されました。 左右の円弧(左側はとれている)は82.7°で、この値は当時の夏至の日の日の出の方向と、冬至の日の日の出の方向のなす角度に相当する、とのことです。 星は小さい円で表わされ、円盤上に均等に配列されています。 中央上の7つの星だけが密集していますが、これはプレアデス星団だという説が有力です。

2.エジプト・メソポタミア

 左図は古代エジプトのヒエログリフの星で、真ん中から出る5本の線で表わされています。 壁画に描かれた星としては、 他にも☆やヒトデに似た形や○などもありました(ちなみに、ヒトデは英語でstar fishです)。 古代エジプトの第19王朝、セティ1世の墓(紀元前13世紀)に描かれた星座絵では、星は丸印で示されています(The Lion (Leo) was known in the New Kingdom - Part 4のFig.1;その下の方の画像にも星が描かれています)。 又、画像左のライオンの回りには、星を表わすヒエログリフが描かれています。 中央上の「牡牛とそれを遣う人」に描かれた星の配列は北斗七星を思わせますが、その他の星の配列は実際のものとは違っていて、現在のどの星に対応するのかは良く分かっていません。
 有名なデンデラ神殿の天文図でも外周に沿って星のヒエログリフがありますが(画像は上記サイトの下のほうのFig.8にもありますが、解像度の関係でそこまでは見えません)、星座絵の上には星は描かれていません。 又、ここには黄道十二宮も描かれていますが(画像では黄色い帯)、これらはメソポタミア起源で、後にエジプトに入ってきたものです。 デンデラ神殿は紀元後1世紀ころのローマ帝国支配下に建てられたものですから、純粋なエジプトの星座を伝えたものではありません。 エジプトでは、もとは天の一周を36に分けたデカンが使われていて、それはデンデラ神殿の星座絵では星のヒエログリフとともに外周に沿って描かれています。

*                 *

 About the cuneiform sign : ANによると、メソポタミアのシュメール人の絵文字では、星は真ん中から出る8本線で描かれ、それが楔形文字(cuneiform)へと変化していきました。 この文字は「アン」と読み、シュメールの天空神アン(バビロニアではアヌと呼ばれた)、神、空を表わしました。 その後、この地を支配した人たちが使ったアッカド語(バビロニア語とアッシリア語)はセム語系(現在のアラビア語やヘブライ語もこの語系)で、シュメール語(言語系統は不明)とは全く違う言語ですが、シュメールの楔形文字を継承して行きました。
 アッカド語の楔形文字には、表音価(phonetic value)、表意価(logographic value)、意味限定詞(determinative)といった働きがあります。 漢字の場合に置き換えると、日米関係の「米」は「亜米利加:アメリカ」の発音だけを表わしていて(表音)、もとの「こめ」(表意)の意味はありません。 また意味限定詞は、単語の前あるいは後につけて、その単語がどんな種類(神、都市、星など)なのかを示します。

 星を表わす楔形文字は、この文字を三個重ねたものです(上記サイトの129a MULによる)。 この文字は、シュメール語ではムル;mul、アッカド語ではカカブ;kakkabuと発音しました(これは、「星」の漢語の読み(音読み)は「セイ」ですが、日本では訓読みして「ほし」とも読むのと同じです)。 現在、こぐま座のベータ星はコカブKochabと呼ばれていますが、これはアラビア語から、さらに遡るとアッカド語から来ています。 地球の歳差運動によって、紀元前1000年頃にはこの星が天の北極に一番近い星で、中国では帝星と呼ばれました。

 左図は古代バビロニアの円筒印章の星です。 円筒印章は小さな円筒の外側に模様が彫ってあって、粘土の上で転がして使っていました。 ここでは狩猟風景(左図では省略)の上に、左から、翼をもった太陽(有翼日輪;皆既日食の時に見えるコロナを表わしたものだとも言われている)、明るい星、月、プレアデス星団の7つの星が描かれています。 明るい星は光が八方に飛び出している形、小さい星は○です。

 紀元前12年頃のカッシート朝バビロニアの境界石(Images from History>Old Babylonian period の下から3番目の画像参照;画像は拡大できます)の上部には、左から、月、金星、太陽が描かれていて、金星は円筒印章の明るい星と同じような形をしています。 バビロニアからは、黄道十二星座の他、長期間の天文の観測記録、60進法や円周を360に分けることなどが古代ギリシアに伝えられ、ギリシアやヘレニズム世界で天文学が花開く基礎となりました。

3.ギリシア・ローマ

 古代ギリシアの壷に描かれた月の女神セレネの画像がGreek Mythology>Seleneにありますが、その上方に2つ描かれているのは星である可能性が高いと考えています。 すると、星は四方に向かう光芒を中心の小円から少し離して描いていたことになります。

 ローマ時代に入って紀元前44年、カエサルがブルータスらによって暗殺された直後、空に彗星が出現しました 後継者でカエサルの養子のオクタヴィアヌス(アウグストゥス)は、それをカエサルが神となり、その魂が天に昇っていくしるしだ考えました。 その後、アウグストゥスの治世中に、このカエサルの彗星をモチーフにしたコインが作られました(画像・左)。 ここでは中心の小円から8本の光芒が出ていて、その一本には彗星の尾を示す房々がつけられています。  その他にも、ギリシア・ローマ時代のコインには星が描かれているものが、多くあります。 下の画像・中央は紀元前100年頃の共和制ローマのコインで、月の女神ルナが2頭立ての馬車に乗り、その回りに8本線の星が描かれています。 右のコインは、西暦170年頃のローマ帝国のコインで、細い三日月の上に6本線の星が刻まれています。

 ローマ帝国の東の端で生まれたキリスト教は急速に帝国領内に広がりましたが、そのライバルとなった宗教にミトラ教がありました。 ミトラ教の礼拝所には、牡牛の化身であるミトラが牛を犠牲にする場面も描かれましたが、この時ミトラがまとっているマントは天空をあらわし、そこにはいくつもの星が輝くとされました。 Mithraismの画像では、小さくて分かりにくいですが、小さい星は6本の、大きい星は8本の線で描かれています(上記サイトの下のほうの画像"Mithras killing bull"にも星が同様の形で描かれています)。

4.中世ヨーロッパ

 度重なる迫害を乗り越えたキリスト教は、313年のミラノ勅令によって公認され、380年には遂に国教となりました。 以降は、西ローマ帝国の末期に首都となったイタリア東海岸の街ラヴェンナをはじめ、各地に壮麗な教会が建てられていきます。 ラヴェンナのアンドレア大司教の教会(Images from History>Ravenna Mosaicsの上から11番目mosaic31.jpg)の天井には、キリストを象徴する十字架のまわりに8本の芒角をもった星がちりばめられています。

 西暦476年に滅びたのはあくまでもローマ帝国の西半分で、東半分はビザンチン帝国としてそれからほぼ千年間生きのびました。 そこでは、多数のイコン(icon:聖像、もとは「像」の意味で英語読みではアイコン)が作られ、中でも聖母子像には、マリアの頭と肩に聖母をあらわすしるしとして星が描かれました。 星の形はいくつものパターンがありましたが、左のギリシアの切手では、中心の小円と8本の芒角を持った星が描かれ、他には右に挙げたように、互いに45度ズレた2種類の光芒が4本ずつ、中心の四角形から放たれているものもあります。 こうしたイコンは、現在でもギリシア北東部の聖地アトス(女人禁制)の修道院で描かれています。

 ヨーロッパ中世では天文学はほとんど行われず、その中心はイスラム諸国に移っていました。 アラビア語の定冠詞「アル」のついた星の名(アルタイルやアルデバランなど)が多く残っているのは、その名残です。 アラビアの星座はプトレマイオスの星座にもとづいていて、星は多くの場合、赤丸で表され、特に明るい星は大きく描くことが多かったようです。

 再びヨーロッパに戻って、次に登場するのは12世紀に生きたドイツの女性神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンです。 幼い時から宗教的な幻視(ヴィジョン)を見ることが出来た彼女は修道女となりますが、やがてその幻視を公開せよとの神の声を聞き、多くの本を書きました。 Norma Gentile>The Illuminations of Hildegard von Bingenに紹介されている画像のいくつかにも星が描かれています。 そのうち上から2番目の画像は『スキヴィアス』に描かれた宇宙創造のヴィジョンです。 上方の8本の光芒をもつ大きな天体は太陽を表わし、その上には惑星が3つ、太陽と同様の形をして並んでいます。 太陽の内側の暗い層には星と月が浮かび、月は輝きが衰えては太陽の光で再点火され、満ち欠 けを繰り返すとされます。 その内側の白い層は雨の源である天上の水で、その更に内側に地球があります。 この絵でも、明るい星は6〜7本の芒角を持って花のように描かれ、小さい星は*になっています。

 15世紀はじめにランブール兄弟が描いた『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』は、宮廷趣味に満ちた国際ゴシック様式の傑作です。 中でも12ヶ月の情景が描かれた月暦図は有名ですが、そこにも黄道十二宮や星が描かれています。 WebMuseum, Paris>Les tres riches heures du Duc de Berry (4/4) などに画像がありますが、そのうち10月の図 (1番上)の説明をします。 前景では、農民が馬にひかせた犂で耕したり、種をまいたりしていて、その奥の中央ではかかしが弓をひいています。 背景に見えている建物はルーブル城で、ベリー公の兄であるシャルル5世の手で美しく拡張され、王宮となりました。 16世紀に取り壊されて新宮殿に建てかえられ、現在はルーブル美術館となっています。 上部の半円形の部分には、10月の太陽が通過する天秤座とさそり座が描かれていますが、背景に描かれた星の配置は、星座とは関係なく全くのランダムです。 星の形は解像度の関係ではっきりしませんが、大きめの星は8本、小さめの星は6本の線で描かれています。

5.ルネサンス以降と紋章

 1543年のコペルニクスの『天球の回転について』から天文学の、そして科学の新しい時代が始まりました。 彼の後にチコ・ブラーエやケプラーが続きましたが、中でもガリレオは様々な物理実験を行う一方、望遠鏡を天空に向け、木星の衛星や太陽黒点などを発見しました。 ガリレオの木星のスケッチ(1610;The Discovery of the Galilean Satellites)や、プレアデス星団のスケッチ(Rebecca Brown>Pleiades;青い円はガリレオの望遠鏡の視野)を見ると、木星の4つの衛星はアスタリスク、プレアデス星団の星も暗いものはアスタリスク、明るいものは6つの芒角の中心に点を打った形として描かれています。

 北方ルネサンス最大の画家デューラーは、全天星図も描いていますが、そこでも明るい星は6つの芒角を持ち、小さい星は○で描かれています。 又、黙示録を題材にした連作木版画の第9図「太陽女と七頭竜」にも星が出てきます(Albrecht Durerの上から10番目apoc-11l.jpg)。 この絵は、黙示録の次の言葉にもとづいています。

また、天に大きな徴(しるし)が現われた。それは、太陽を[衣として]身にまとった女で、月を足の踏み台とし、その頭には十二の星の冠を戴いていた。 女はその胎に子を宿しており、子を産もうとして、陣痛と苦しみで叫んでいる。 また、もう一つ別の徴が天に現われた。 それはほら、赤い巨大な竜で、七つの頭と七本の角を持ち、その頭には七つの王冠を被っている。 竜の尻尾は天のもろもろの星の三分の一を掃き寄せて、それらを地上に投げ落とした。   (保坂・小林・小河訳)
ここでの星は、小さいものは6本か8本の線で描かれ、大きいものは多数の芒角が出ています

 近代的な星図が作られるようになると、等級ごとに違った形が使われるようになります。 左図はフラムスチード星図のこと座(星座絵は省略)ですが、基本的には、明るい星ほど大きく、たくさんの線が飛び出ていて、☆に近い形は5等星、*は6等星と結構暗い星に使われています。

 一方、現代のほとんどの星図では、星はで、明るさの違いによって大きさを変えています(例えば、アストロアーツ>星空ガイドの「今月の星空」をクリックして下さい)。

 西洋の紋章では星のことをestoile(フランス語で星の意;現代フランス語ではetoile)といって、6本かそれ以上の波形の光線で表わします。 紋章では☆もあってmulletといいますが、星または馬の拍車を表わすとされています。 右のコインの☆(1280年頃のスコットランド王アレクサンダー3世のもの)のように、中心に丸があるパターンもあります。
 その他、Irish Family Crests>Other Heraldic Chargesの中ほどの、estoileやmulletの右側の家名(CurryやCunninghamなど)をクリックすると具体例のページにリンクします。 mulletはもとはフランス語で拍車を意味すること(現代フランス語ではmolette)、それから星の形として☆は稀なことを考えると、最初は拍車を表わしたのが途中からシンボルの意味が変わって、星を表わすようになったのだと思われます。

 ここまで、ヨーロッパの星のしるしを見てきましたが、暗い星やスペースが小さい場合は6本か8本線のアスタリスク*に近い形、そして明るい星やスペースが広い場合はもっと芒角の多いような形で描かれることがほとんどでした(アスタリスクasteriskの語源は、aster「星」とisk「小さな」の合成です)。 こうした傾向は、コペルニクス以降の科学革命によっても変わりませんでした。 ☆型は、16世紀のカプラローラ・フレスコや、WebではComet C/2002 C1 Ikeya-ZhangにあるFigure 1: 1661年の彗星(2002年に出現した池谷・張彗星と同一の彗星だと判明)の星図に見られますが、無いことはない、といった程度で、決して一般的な星のしるしではなかったのです。

6.ペンタグラム

 実は、五芒星(ペンタグラム)も古代からありましたが、それは星とは関係のないところで使われていました(ペンタグラムと☆は厳密には違う形です)。 ペンタグラムの歴史については、主に「カナダのブリティッシュ・コロンビアとユーコン州のフリーメーソン・グランドロッジのページGrand Lodge>Pentagram」によりました。 このサイトでは、「フリーメーソンは悪魔の組織で、それはペンタグラムを使っていることから明らかである」という説に反論しています。 又、金星の観測からペンタゴンが生まれたという珍説も紹介されています(Venus and the pentagram)。

 ペンタグラム(pentagram)は五芒星型などと訳されますが、語源的には「5の」(penta;英語で五角形はペンタゴンpentagonで、アメリカの国防総省も建物がこの形であることからそう呼ばれている)と「書いたもの」(gram)の合成で星とは関係ありません。

 ペンタグラムは既に古代メソポタミアでも用いられており、ウル(Ur)やジェムデット・ナスル(Jemdet Nasr)の都市のシンボルでした(天体を表わしたものかも知れないが、確証はないとのことです)。
 古代ギリシアではピタゴラス派のグループ加入の印として使われ、ときには、三重三角形とも呼ばれました(そう言われれば、二等辺三角形3つにも見えます)。 又、ペンタグラムの5つの角にはυγιθαの5つのギリシア文字が割り当てられて、健康という意味のヒュギエイア(υγιεια;ειはθで置き換えられている。英語の衛生学hygieneに当たる)を表わし、健康のシンボルとも考えられました。 ピタゴラスといえば、直角三角形の定理に名を残しているように、現在では数学者として知られていますが、当時は輪廻転生を信じていたカルト教団的な集団を率いていました。 紀元300年頃に活躍したネオ・プラトニズムの哲学者イアンブリコスは次のような物語を伝えています(ダンネマン『大自然科学史・1』所引のローズ・ポール『数学史の短い記事』より)。

 あるピタゴラス派の学徒が旅行しているときに、沿道の宿屋で病気になってしまい、宿の主人の努力もむなしく病勢は悪化した。 学徒は死期が迫ったが一文も払えないので、宿の主人に一枚の板を求め、その板にペンタグラムのしるしを書いて、表にぶら下げるよう主人に頼んだ。 学徒はそのまま死んでしまったので、主人は看板を言われたとおりそれを表にかけた。 それから月日がたってからある日のこと、一人の旅人が馬に乗って宿屋の前を通り過ぎようとしたとき、ふとこの神聖なシンボルを見た。 彼は馬からおりて宿屋に入り、宿屋の主人に一部始終を聞いて気前よくたくさんの金を与えた。

 ローマ帝国でも指輪に刻まれ(右図)、ヨーロッパ中世では護符(タリスマン)として、恋愛を実らせたり、敵に害を与えたりするために使われました。 又、ペンタグラムは教会の装飾にも用いられましたが、天体とは結びついてはいません。 上向きのペンタグラムは良い目的に使われ、下向きのペンタグラムは黒魔術に使われる、という説もありますが、これは20世紀の魔術師エリファス・レヴィが言い始めた説とのことです。

 ゲーテの書いた『ファウスト』にもペンタグラムが登場します。 むく犬に化けて自室に入ってきた悪魔メフィストに、ファウストがもう自由に帰ってよいと言ったのに対して、

メフィスト 思いきって打ち明けましょうか。この部屋を出ようとしても、ちょっと工合のわるいものがあるのです。つまり、敷居の上のペンタグラムのしるしですがね。
ファウスト きみはペンタグラムが邪魔だというのか。これは不思議だ。あれにきみが縛られるくらいなら、入るときはどうして入ったか、それをいいたまえ。 何をどううまくごまかしたのだ。
メフィスト あれをよくごらんなさい。完全に引いてはないのです。外へむかった角のところが、ごらんのとおり、すこしばかり欠けています。(大山定一訳)
という一場面があります。 メフィストはファウストを眠らせた後、ネズミにペンタグラムをかじらせて、ひとまず帰って行きました。 ちなみに、ゲーテの紋章は、六芒星で(Heraldica>An Armory of Famous Writersの1番上;3番目の紋章にはmulletが使われている)、明けの明星を表しています。

 その後、18世紀に流行したフリーメーソンのシンボルにも取り入れられます。 ワシントンに贈られたとされるフリーメーソンの儀式用の前掛け(George Washington's masonic apron)にも、ペンタグラム(右下)と星☆(中央)が描かれています。 しかし、別の前掛けでは、ペンタグラムとは別に、星は*で描かれている場合もあります。 このことは、ペンタグラムと星のしるしは別のシンボルと考えられていたこと、さらにこの時期は星のしるしとして☆と*の両方が平行して使われていたことを示しています。

 このように☆が星のしるしになったのは近代以降のことで、この時期には啓蒙思想が盛んになり、魔術が真剣には信じられなくなったことが関係していると考えています。

7.画家たちの星

 18世紀になると、星のしるしとして☆が登場する機会が増えていきます。 その代表例はすぐ後に紹介するアメリカ国旗ですが、他にもイギリスの画家であり詩人のウィリアム・ブレイク(1757-1827)が、旧約聖書の「ヨブ記」に基づいて描いた連作版画があります(MOTCO Image Database Plate 14)。 その一節には、
 (神が大地を据えた)そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い
  神の子らは皆、喜びの声をあげた。    (新共同訳)
とあって、この言葉がこの絵の主題となっています。 ブレイクは他の絵でも、星を☆として描いています。

 フィンセント・ファン・ゴッホも多数の星の絵を残していますが、弟のテオに宛てた書簡には、星について次のように書いています。

 いつも星をみつめていると、地図の上の町と村を表示する黒点がぼくを夢みさせる ように、おのずと夢見心地になってしまう。 なぜ天空の光点は、フランス地図の黒点よりも、近づきがたいのだろうかと、ぼくはつい考えこんでしまう。 タラスコンやルアンへ汽車に乗っていくように、われわれは星へ行くために死をえらぶのかもしれない。 きっとぼくの考えは正しいのかもしれないよ。死んだらば汽車に乗れないように、生きているかぎりは星へ行かれないからね。(藤村信『ゴッホ・星への旅』より)
WebMuseum, Paris>Gogh, Vincent van Starry Night over the Rhone 「ローヌ河畔の星月夜」では、ローヌ川の向こうに南フランスのアルルの町が、そして北極星の下を通過する北斗七星が描かれています。 アルルの町は実際には川の南岸にあるので、これはゴッホが合成した風景です。 ここでは、中心から放射状に光が放たれています。
 一方、WebMuseum, Paris>The Starry Night 「星月夜」では、星や月のまわりに同心円状に光の輪がとりまいています。 こうした星の描き方は他に類例を知らないので、ゴッホ独自のものと思われます。 きっと、他の人には見えない何かを星空の中に見ていたのでしょう。 ゴッホはこの絵を完成させてから約1年後に、星へと旅立って行きました。
 ちなみに、星月夜は「星の光が月のように明るく見える夜(『広辞苑』)」の意味で、和歌では鎌倉の枕詞となっていますが、それは「永久百首」の次の歌に由来します。
  我ひとり鎌倉山を越え行けば星月夜こそうれしかりけれ
(ゴッホのこの絵に「星月夜」という日本語のタイトルをつけたのは誰なんでしょう?)

 ピカソと並ぶスペインの巨匠ジョアン・ミロの絵にも、星が登場します。 1940〜41年の「星座」シリーズは、スペイン内戦から第二次世界大戦に到る混乱の時代に、心の平安を求めて描かれました。 CGFA>MiroCiphers & Constellations in Love with a Woman, 1941では、星は丸や8本線、ゆがんだ☆で表わされていますが、実際の星座の形とは関係なく、ミロ独特のリズムで配置されています。

8.国旗

 現在、星のしるしとしては☆が世界中で使われていますが、それは各国の国旗を見るだけでも明らかです(星の描かれた国旗一覧は、アストロフォトクラブの星マーク(★)と国旗にあります)。 その代表がアメリカの星条旗(stars and stripes)ですが、独立戦争が始まった当初、現在星がある旗の左上部には、オーストラリア国旗のようにイギリスのユニオンジャックがあしらわれていました。 そこに、独立13州をあらわす13の星が、「新しい星座を象徴する」(representing a new constellation;1777年の国旗条例の一節)ものとして描かれるようになりました(The United States Flag Page>The First United States Flag)。 しかし、星の配列は特に決まっておらず、13の星が輪のように並べられたパターンもありました。 また、星が描かれるようになったいきさつはよく分かっていなくて、市議会などの星をあしらった印章からという説や、ジョージ・ワシントンの司令官旗からという説が有力ですが、他にもハーバードの天文学教授が助言したという説もあります。 ただ、ワシントンの司令官旗を見ると(上記サイト中のWashington's Flag 1775)星は6芒星ですから、いつの間にか☆になったのでしょう。 星条旗は、☆が使われた最初の国旗でした。

 一方、イスラム教の国では、トルコをはじめ三日月と☆を組み合わせたパターンが目につきます。 ただし、月と星を組み合わせたデザインは、イスラムの誕生以前にも多数あり、3.ギリシア・ローマ で紹介したコインの他にも、パルチア(左の画像;紀元前後に中東を支配した国)やササン朝ペルシア(右の画像)のコインにも見られます。
 トルコの新月旗の起源については、次の3つの説があります。 一つ目は、イスラム教が生まれるはるか以前の紀元前4世紀、ビザンチウム(現在のイスタンブール)がマケドニアのフィリップ2世(アレクサンダー大王の父にあたる)に攻撃された時のこと、包囲軍が城壁の下を掘って侵入しようとしたのを三日月の光で察知して、ビザンチウムを守ったことにちなむ、という説。 二つ目は、13世紀末にオスマン=トルコを建国したオスマン=ベイが、三日月がしだいに大きくなり、全天をおおう夢を見たことから、という説。 三つ目は、セルジュク=トルコのアラジンが掲げた旗から、という説ですが、どれが正しいかのはよく分かっていません。 オスマン=トルコのセリム3世の時代(1800年前後)に正式に採択されたときには星は八芒星で、☆になったのは1866年ですから、☆の採用はやはりアメリカの星条旗の方が古いことになります。

 ☆が国旗に使われている国は他にも多数あります。
中国の五星紅旗の大きな星は共産党の指導力を表わし、小さな4つの星は連合戦線を構成する4つの階級(労働者、農民、中産階級、愛国的資本家)を象徴していますが、同時に中国本部、満州、蒙古、新疆(西部の砂漠地帯でイスラム教を信じるウイグル人が多数住む)、チベットという5つの地方をも表わすといいます。 ブラジルの国旗には天球図が、ニュージーランドの国旗には南十字星が描かれていますが、星の形はやはり☆です。 他の形としては、マレーシアの国旗では14の芒角が、オーストラリアの国旗では一番暗い星以外は7つの芒角が出ていて、この数はその国の行政単位の数を表わしています。 オーストラリアの国旗とニュージーランド国旗とは星の色が違うのと、オーストラリア国旗に星が2つ(南十字星の中の小さい星と、ユニオンジャックの下の大きな星=オーストラリア連邦を表わす)プラスされている所が違っています。

9.ダビデの星

 イスラエルの国旗にはダビデの星が描かれています。 これはイスラエル王ダビデの楯に描かれていた印とされますが、歴史的にはダビデの星とユダヤ人が結びつくようになったのは、ごく最近のことだそうです。 ダビデの星は中東や北アフリカで広く使われた護符の形で、ユダヤ人関連では紀元前6世紀のパレスチナで封印や、2世紀のシナゴーグ(ユダヤ教の教会)にも描かれていますが、それは装飾の一つとしてでした。 当時のユダヤ人のシンボルとして最もポピュラーだったのは、メノラと呼ばれる7本枝の燭台でした(メノラの画像はJudaism101>Signs and Symbols#Menorah;その下の方にダビデの星があります。この節は主にこのサイトに依りました。)

 中世末期からはユダヤ人の旗やエンブレムに使われるようになりますが、ユダヤとダビデの星との結びつきが一般的に認められるようになったのは17世紀になってからです。 ダビデの星はこの頃からシナゴーグの外にも取り付けられましたが、なぜこのシンボルが選ばれたのかは、よく分かっていません。 1897年にシオン(エルサレムの雅名)の地に国家を建てようというシオニズム運動が始まった時にそのシンボルとなり、1948年にイスラエルが建国された時に国旗となりました。 しかしこの時にも、あまり伝統のないダビデの星を国旗に採用すべきか論争になったそうです。

 さて、Some Archaeological Outliers >The Bar Kokhba Coin は、ローマ帝国に対して西暦132年に始まった第二次ユダヤ戦争の主導者バル・コクバ(アラム語(セム語系)で「星の子」の意味で、「コクバ」=星はアッカド語の「カカブ」と同じ;2.エジプト・メソポタミア の後半参照)が作ったとされるコインですが、ここに描かれた神殿の上の星はダビデの星になっています。 しかし、これは実は模造品で、本物のコインでは(上のページ内のhereをクリック。ただし、小さくて分かりにくい)、星から8本の芒角が出ています。 このコインが贋物だという根拠として、銘文の文章に誤りがあることなどとともに、星のしるしの違いもその一つとして挙げられています。 模造品を作るときには星のしるしの時代考証もした方がよいでしょう。

 下巻につづく。

リンク切れ、おすすめ本&サイトなどがありましたら、 こちらまでご一報下さい

2000年5月8日 バージョン1.0(旧・星のしるし
2003年1月24日 バージョン2.0
2006年3月20日 バージョン3.0
2007年3月25日 バージョン3.0.1
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