星のしるし(下)

上巻の続きです。

上巻の目次
1.先史時代 / 2.エジプト・メソポタミア  / 3.ギリシア・ローマ  
4.中世ヨーロッパ  / 5.ルネサンス以降と紋章  / 6.ペンタグラム
7.画家たちの星  / 8.国旗  /  9.ダビデの星
下巻(このページ)の目次
10.アメリカ大陸  / 11.オーストラリアと大陸アジア  / 12.日本
13.晴明桔梗  / 付録:星のかたち


10.アメリカ大陸

 現在は世界中どこでも星といえば☆ですが、それは西洋文明の影響で、ヨーロッパ人に接触する前には各地で様々な星のしるしが見られました。 ここからは、それらをいくつか紹介していきます。

 中央アメリカには、マヤとアステカの文明が栄えました。 マヤ文明は、統一国家を作ることはなく各地に都市国家が並び立っていましたが、高度な暦を発達させ、天文台の遺跡も残されています。 彼らは金星の運動にも精通していましたが、それは金星が内合・外合(太陽・金星・地球が一直線に並んで、この時金星は見えません)の後、太陽から離れてはじめて見えるようになった時に戦争を仕掛けたことによるらしく、マヤの戦争は「スター・ウォーズ」と称されることもあります。 チェチェン・イッツァのヴィーナス・プラットフォームと呼ばれている遺跡には、右図のような金星の図が描かれています。


 一方、アステカ文明の歴史を記した絵文書には、太陽、月、日食や、星座が描かれています(左上図はTianquiztliより。Courtesy of Windows to the Universe)。 ここでは、星は○の真ん中に点をうった形で描かれていますが、図中左上がプレアデス星団を表わしていること以外は、どの星座に当たるのかよく分かっていません。, 右上図は、司祭あるいは天体観測者がプレアデス星団の7星を見ているところですが、ここでは星は貝のような形で描かれています。

 北アメリカ大陸では中南米のような帝国が建設されることはありませんでしたが、ネイティブ・アメリカン達ももちろん星空を眺めていました。 おうし座のかに星雲のもととなった超新星の記録が中国(『宋史』)や日本(藤原定家の『明月記』など)に残されていて、爆発したのは1054年だと分かっていますが、ネイティブ・アメリカンもこの超新星を見て、その記録を岩絵に残したという説があります。 特に有名なのが、ニューメキシコ州チャコ渓谷にある岩絵(1054 Supernova Petrograph)で、張り出した岩の下側に月と多数の芒角をもった星と手形が描かれています。 1054年7月5日におうし座で明るい星が出現した時、おうし座は明け方近くになって東の空 に昇り、しかもその側には三日月(というか月令26の月)が輝いていたことが、天文計算の結果分かっています。 超新星を描いたとされるものは他にもあり、他の岩絵では上図のように三日月と円形の星が描かれています(本当に超新星を描いたのかどうかについては異論もあります)。

 アメリカ中部のネブラスカ州のあたりで生活していたスキディ(Skidi)族のポーニー(Pawnee;狼の意味)支族には鹿の皮に星図を描いたものが伝えられています(AncientX.com>Native American Astronomyの一番下)。 ここでは、星は+として描かれています。 周囲に開けられた穴にはかつては糸が通されて袋状になっていて、中には隕石とされた石が包まれていた、という言い伝えもあります。
 その他、ナバホ族の描く砂絵でも、星は+です。 オクラホマ州の旗(OKLAHOMA STATE ICONS)では、ネイティブ・アメリカン流の+印の星が使われています。 全く関係ないですが、富士重工業のスバルのマークも+型の星です(上記リンクページの左上に小さなロゴがあります)。

11.オーストラリアと大陸アジア

 次に紹介するのはオーストラリアの先住民アボリジニですが、民族の名前よりも彼らが狩猟のときに使ったブーメランの方が有名かも知れません。 アボリジニが樹皮に描いた絵では(左図、エイ(南十字星)がサメ(ケンタウルス座のアルファ星とベータ星)に追いかけられています(南十字星の方が先に昇る)。 ここでは星は、たくさんの線が中心の円から発しているように描かれています。

 シベリア一帯に住むアルタイ民族の宗教は、シャーマンを中心としたシャーマニズムでした。シャーマンは、太鼓をたたきながら歌ってトランス(忘我)状態に入り、神や聖霊と交信することによって、予言をしたり病気を治したりすることが出来ると信じられていました。 そこで、太鼓の内側はシャーマンが手助けしてもらうために呼んだ諸霊の集まる場所であり、天地をそなえた世界の縮図とされました。 左図は太鼓に描かれた絵の部分図ですが、下が地面で、上には明るい星が歯車のように表現されています。 大地と星はシャーマンが昇るとされる梯子で結ばれています。

 インドで18世紀後半に作られたコインに、スター・パゴダと呼ばれる金貨があります(Madras Presidency Gold Star Pagoda)。 これは、東インド会社が通貨を発行するまでインドの基準通貨として使われていたもので、表にはヴィシュヌ神の上に4本線の星が、裏にはエジプトの象形文字と同じ5本線の星が描かれています。

 2003年9月、NPO法人・世界遺産ネットワークの一員として東南アジアに行きました。 これは特に天文ネタとは関係なかったのですが、思いがけずミャンマー(旧ビルマ)のパゴダ(下左の写真)のアーチ型の天井に星座絵が描かれているのに遭遇しました(中央が全体図、右は拡大図)。 ゾウや馬などミャンマー独自の星座が描かれていて、星は○で表されています。 帰国後調べたところ、ミャンマーの星座については西山峰雄さんの研究があり、それについてビルマの星座絵で詳しく書きました。

 中国では、星はで表しました。 「星」の元の字は「晶」に読み方を示す「生」の字を加えたものです。 「日」の字は、丸の中に実体を持つことを示す「ヽ」を加えたもの(これは黒点を示すという説もあります)で、それを3つ重ねたものが「晶」になります。
 中国南部の雲南省に住むナシ族は現在でも象形文字を使っている唯一の民族で、トンパ文字と呼ばれています。 そこでも○を3つ描いて星を表わします。 左図は満天の星空という意味で、上の三角は天を表わしています

12.日本

 日本の星も中国の影響をうけてで、たとえば高松塚古墳やキトラ古墳の天井に描かれた星図や、七星剣の星もこの形です(キトラ古墳については古代の学舎>キトラ古墳特集、七星剣については星の神殿>天文民俗学>七星剣を参照して下さい)。 また、日本を含め中国文化圏の星図の星は、明るさにかかわらず同じ大きさです。 こうした表わし方は、江戸時代まで続きました。 江戸時代の星図は、大阪市立科学館の嘉数さんの天文学史ギャラリーから、たどって行って下さい。

 日本の家紋にも星が使われたものが多くあります。 三つ星(オリオン座の)や九曜といったものがそれで、形としてはやはり が並んでいます。(星の家紋については、家紋Worldの星紋のコラムもご覧下さい)。 三本の矢で有名な毛利元就の家紋は長門三つ星で、オリオン座の三つ星は武器を司るとされたことから、武家に重用されました。 九曜は、日月、5惑星と、日月食の起きる原因とされた実在しない星、羅ゴ(ゴは目へんに侯の字)と計都の2星を合わせた呼び名で、九曜の文様は厄よけとされるようになりました。 家紋では大きな丸の回りを八つの小さな丸がとりまいていて、熊本の細川氏もこの家紋です。
 江戸時代の田沼意次は賄賂を取ったとか、商業や貿易を盛んにしたとか、賛否両論ある人物ですが、彼の家紋は七曜でした。 七曜は北斗七星を表わすとされ、彼が失脚した後には
  金とってまつる北斗の七つ星 わが身の罪のあたる剣先
といった狂歌も読まれました。 これは、北斗のひしゃくの先端の星が破軍星と呼ばれ、陰陽道ではこの剣先の方向は不吉だとされたことに掛けたものです。

 というわけで、日本語の「ほし」は小さな丸い点を意味しています。 相撲の白星・黒星やナナホシテントウムシ、碁盤の上の9つの黒点、かぶとの板に打ちつけた鋲の頭など、いずれも「ほし」です。
『平家物語』にも
  雲井をてらすいなづまは、かぶと(甲)の星をかかやかす
とあります。 又、馬の額にある白い斑点も星で、ほしづき(星月)、ほしびたい(星額)、つきしろ(月白)、つきびたい(月額)などとも呼ばれ、平安時代の漢和辞典『和名類聚抄』にも「保之都岐乃宇未(ほしつきのうま;漢語では落星馬)」という言葉が載っています。 英語でも馬の額の白い毛はstarで、日本と西洋では星のしるしは違うものの、この点に関しては同じ表現なのは面白いところです。
他の動物の白斑も同様で、『和名類聚抄』には「保之未多良(ほしまだら;星のような斑点のある牛)」という言葉も載っています。 『今昔物語』巻二十八・三十七には、花山院の御所に勝手に入ってきた男の描写として
  夏毛のむかばき(行騰)のほしづき(星付)白く色赤きを履たり、
とあります。 「むかばき(行騰)」とは馬に乗る時につける足の前部の覆いのことで、鹿の夏毛は白斑が鮮やかになるとのことです(このあたりは『日本国語大辞典』「星」の項を参照しました)。

 西村昌能氏によると、日本で☆が星のしるしとして使われ始めるのは、西洋の天文学書が伝来した江戸時代からで、伊能忠敬の地図にも☆印があり、それは天測(星の観測)によって緯度の測量を行った場所を示している、とのことです。

13.晴明桔梗
 ペンタグラムは日本では晴明桔梗といいます。 日本で星といえばでしたから、この紋は星ではなく桔梗と結びつけられています。 確かに桔梗の花びらは5枚で、晴明紋と似ていますが(左上の写真は風の鈴グラフィック・デザイン(現在、休止状態)のフリー素材集より)、他の桔梗紋とは異なった形をしているので(桔梗の家紋のデザインは家紋Worldの桔梗紋をご覧下さい)、後からの命名だと分かります(美濃の土岐氏の家紋が桔梗紋で、明智光秀も土岐氏の流れと自称していたので同じ桔梗紋を使っていました)。

 中国の陰陽五行説では、世界の構成要素は、木・火・土・金・水の五つで、それらの循環によって色々な変化を説明しますが、晴明桔梗はこの原理を表現したものです。 右上の画像は、福井県名田庄村の土御門殿・天社宮のお札ステッカーです。 土御門家と名前を変えた安倍家は、応仁の乱を避けて荘園のあったこの地に移り住みました。 現在も土御門家にゆかりのある方が住まわれ、隣接する暦会館では土御門家と暦に関する資料が展示されています。 ここでは京都の晴明神社のものとは少し違って、ペンタグラムが2本線で立体交差しているように描かれています(ちなみに、モロッコの国旗も立体交差したペンタグラムですが、よく見ると交差の仕方が左右反対になっています(モロッコの国旗は、(上)の8.国旗 で紹介した「星マーク(★)と国旗」では見にくいので、たかこの世界旅行>世界の国旗・国歌>モロッコ王国へどうぞ)。

 京都の洛東にある真如堂(左の写真は真如堂の本堂(左奥)と三重塔)にも、晴明伝説があります。 そこでは、「晴明蘇生の伝にいわく」として、次のような話を伝えています

 晴明が死んだとき、不動明王が閻魔大王に、この者は寿命が来て死んだのではないから再び娑婆へ返してほしい、と頼んだ。 閻魔大王は承知して晴明に、「これは私の秘印で、現世では横死から救い来世では往生がかなうから、娑婆に持ち帰り人々を導け」と言った。 晴明が蘇生すると、懐中にこの金印があった。

 一方、16世紀のはじめ、それまでの古記録をまとめて作られた『真如堂縁起』(重要文化財)には次のような話がありますが、晴明紋については言及していません。

 文安(1444-1449)の頃、晴明の子孫である安倍有清が、「真如堂の不動像は先祖の持ち物で、特に晴明(原文では清明)が死んで閻魔王宮でお願いしたとき、そのお陰で蘇生した時の持念仏である」と言って、天皇の勅許を得て、真如堂に返還を求めた。 唐櫃(からびつ)に納めて封をして、まず天皇に見せるために御所に持っていって、箱を開けると空だった。 そういえば賀茂川の辺りで急に軽くなった、などと言いながら、真如堂に問い合わせてお堂を調べると、不動像はもとの場所にあったが、向きが変わっていて、剣を膝に載せていた。 天皇も驚いて、晴明の子孫の訴えを退け、不動像はそのまま真如堂に安置されることになった。
「安倍晴明蘇生図」(江戸時代の作)と、真如堂で売っているお札の画像は晴明ゆかりの名所・3にあります。

 晴明紋は、他にも海女さんが潜るときに身につけたり、明治以降の陸軍の階級標にも使われました(帝国陸軍の「帽」の画像参照)。 又、旧二条城を発掘していたときに出土したお地蔵さんに、「清明」の文字と晴明紋が彫られているのが発見されています(このお地蔵さんの写真ほか、晴明伝説については京都の晴明伝説 2をご覧下さい)。

*                   *

 星は、西洋では*など、東アジアでは○で表わされ、他にも色々な形がありましたが、長い間☆は一般的ではありませんでした。 一方、日本と西洋で平行してペンタグラムが作られ、どちらも星とは関係なく魔術に使われました。 そして、今ではそれに似た☆が星のしるしとして一般的に使われている、というように星のしるしにも興味深い歴史があるのです。

 星の絵がカラーで描かれる時の星の色についてちょっとだけ触れますが、星の色としては黄・金・赤がほとんどです。 オリオン座の右下のリゲルなど、実際は青い星もあるのですが、青で描かれることは稀です(このページのイラストは筆者が勝手に青く塗っただけで、多くの場合、元の図像には色がついていません)。 これは、星を描くとき、背景に青や黒が使われる場合が多いことなどによると思われます。

付録:星のかたち

 それでは、実際の星はどんな形をしているのでしょうか? (この節の画像は、NASA's Space Science Photo Galleryから頂きました。画像をクリックすると、拡大画像が表示されます)
 アリストテレスの説が信じられていた時代は、月よりも上の世界は完全・不変で、天体も完璧な球形をしているとされました。 しかし、ガリレオは空に望遠鏡を向けて、月には山やクレーターなどのデコボコがある、又、太陽にも黒点というシミがあることを発見して、衝撃を与えました。 とはいえ、地球や太陽など多くの天体ははぼ球形をしています。 それは、球形が重力的に一番安定な形だからです。 しかし、地球の形も詳しく調べるとやや赤道方向が膨らんでいますが、これは地球誕生時の自転による遠心力の影響です。

 又、小惑星や彗星の核などの小天体は大きさが10km程度のものが多く、重力の影響が小さいので球ではなくジャガイモのような歪んだ形をしています。 左上の画像中、上は小惑星951 ガスプラGaspra、下は火星の衛星フォボス(左)とダイモス(右)です。右上の画像は、ヨーロッパの探査機ジオットが撮ったハレー彗星の核で、太陽の光が左上から当たっていて、太陽熱で暖められた部分からガスが噴き出しています。

 恒星ももちろん球形ですが、あまりにも遠くにあるので普通の望遠鏡では点にしか見えません。 しかし、ハッブル望遠鏡は大気のゆらぎの影響を受けず、細かいところまで観測できるので、オリオン座の左上の1等星ベテルギウスを分解して(大きさをもった天体として)見ることができます。 その結果、ベテルギウスの表面には他の部分よりも明るい点がいくつかあることが分かりました。 この星は年をとった超巨星で、木星の軌道よりも大きく、しかも比較的近くにあるので、このような観測に適しているのです。
 また、光干渉計という方法でも、恒星の表面や直径が測定されています。 アストロアーツの天文ニュースによると、エリダヌス座の1等星アケルナル(日本からは見えません)はかなりつぶれた楕円形をしていて、楕円の長軸は短軸に比べて約1.5倍も長いことがわかり、これはアケルナルがひじょうに高速で自転しているからだと考えられる、とのことです。

 りゅうこつ座のエータ星は、太陽の100倍も重く、進化の最終段階にある星です。 ハッブル望遠鏡による画像(APOD_000813)では、ガスが極方向と赤道面から宇宙空間に吹き出している様子をとらえています(この場合でも星の本体は球形です)。

 一方、2つの恒星がペアになってお互いの周りを回っている時は、重力の相互作用で星の形も歪みます。 特に、2つの星が接近していて、片方の星がコンパクト星(ブラックホール・中性子星・白色矮星など小さくて重力の強い星)の場合には、APOD_991219の想像図のように、もう片方のふつうの星(画像では左下)の重力圏からガスがあふれてコンパクト星に落ち込み、コンパクト星の回りに降着円盤と呼ばれる円盤を形成してX線などを放射します。 この場合、星は水滴のように歪んでいるはずです。


主要参考文献

臼井正「星のしるし」大阪市立科学館「うちゅう」2001年6月号
大枝史郎 『家紋の文化史』 講談社
ゲーテ 大山定一訳 『ファウスト』 筑摩書房
ダンネマン 安田徳太郎訳・編『大自然科学史・1』 三省堂
西村昌能&TENKYO-ML☆型チーム「星と☆型」
  天文教育普及研究会「天文教育」2002年7月号〜
  →この記事は、西村昌熊のページ>Dr.熊のページ でご覧になれます
日本ユネスコ協会連盟編 『国旗総覧』 日本ユネスコ協会連盟
広瀬秀雄 『太陽・月・星と日本人』 雄山閣出版
藤村信 『ゴッホ・星への旅』 岩波新書
森護 『紋章学辞典』 大修館書店
『古代エジプト・シンボル事典』
『世界美術大全集・7』 小学館
『名画への旅 9 北方ルネサンス』 講談社
『フラムスチード天球図譜』 恒星社

リンク切れ、おすすめ本&サイトなどがありましたら、 こちらまでご一報下さい

2000年5月8日 バージョン1.0(旧・星のしるし
2003年1月24日 バージョン2.0
2006年3月20日 バージョン3.0
2007年3月25日 バージョン3.0.1
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