飛鳥プロジェクト

宇野隆夫・宮原健吾・臼井正

はじめに


左の地図下方の青枠を拡大したのが右の飛鳥の地図で、各点が今回の測量ポイント。 衛星写真は、Visible Earth of NASAより。

 日本で方位を意識して都城や陵墓、道路を造りはじめたのは7世紀の飛鳥時代のことです。 奈良盆地では、それまでの斜行道路に替わって、南北に走る三本の直線道路、東から上ツ道、中ツ道、下ツ道が造られ、これらの道路を基準にして、藤原京と平城京が造られて行きました。
 私たちは、2004年11月に飛鳥の古墳や宮のGPS測量を行いました。 宇野隆夫・国際日本文化研究センター教授が団長で、GPS測量は宮原さん(京都市埋蔵文化財研究所)が行いました。 筆者(臼井)は、記録係としてついて行っただけです。
 GPS測量を実施した古墳は、終末期古墳と呼ばれる7世紀後半から8世紀初めの最上層の人々を埋葬した古墳で、特に藤原京の朱雀大路・南北中軸線(上の図の縦の白線;中ツ道と下ツ道の中線に当たる)の延長線上に分布しています。  今回の測量は、短時間で高精度な測量(誤差は30cm程度)の出来るDGPS(Differential GPS)で行いました。 測量地点のサムネイル画像と測量データはこちらにあります。 大きい画像はサムネイルからもたどれますし、2つのhtmファイル(上)(下)にもまとめてあります。
 また、京都の山科にある天智天皇陵については、これとは別の宇野先生による簡易GPSによる測量の結果、藤原京から50kmも離れているにもかかわらず、藤原京の南北中軸線の延長線から西に40m程度しか振れていないことが分かりました。 もしこれが偶然でないなら、大津宮建設時に飛鳥から京都の山科まで非常に高い精度の真北測量がされた可能性も考えられます。

聖なるライン?

 この時代に造られた終末期古墳は、特に藤原京の南北中軸線の延長線上に分布していることが岸俊男氏によって指摘されています。 この線は聖なるラインと呼ばれ、もしこれが確かなら、真方位を意識して古墳の立地が決められていたことになります。 ただし、東西方向に幅があることから聖なるゾーンとも呼ばれ、又、このライン上以外にも終末期古墳があります。 そこで、川上邦彦氏は聖なるラインは存在せず、藤原京の南の一帯に陵園が造られた、としています。

 右図の各点は今回のGPS測量地点を示したもので、立ち入り禁止の古墳はその周囲を4〜6点測りました。 その結果をもとに、聖なるライン上の古墳の東西方向のずれは考えずに、南北方向の距離だけを考えると、天武・持統陵の南端から中尾山古墳までの距離が1200尺(高麗尺の一尺=0.352m:右図の青線)、高松塚古墳までの距離が1800尺、文武天皇陵までの距離が2400尺、キトラ古墳までの距離が5400尺と、いずれも600尺×整数倍になっています。 また、天武・持統陵の北にある菖蒲池古墳は、天武・持統陵の北端から1200尺の距離にあります。 ただし、菖蒲池古墳は,時期が古い可能性があり(7世紀中頃)、この一連の造墓がなされる直前のものであった可能性もあります。
 下の図(クリックで、拡大画像にリンクします)は少し分かりづらいですが、キトラ古墳を原点としてその他の古墳を、600×整数倍だけ南に平行移動させたものです。 1点しか測らなかった古墳もありますが、周囲を測った古墳については墳丘の大きさ程度の誤差で、天武陵・南端と600×整数倍だけ離れていることが分かります。

 これだけでは東西方向のずれは説明できないので地形を見ると(右図の茶色の線:国土地理院の25000分の1の地図より)、天武・持統陵の南北端から600尺×整数倍の東西ラインの中では、標高が高いなど古墳の立地に適した所が選ばれています。 ただし、南北中軸線から一番離れているキトラ古墳については、阿部氏や百済王族など皇族以外の墓であった可能性もあるので、評価は難しいでしょう。

 そこで古墳築造に際して、方位・距離を正確に測定して、南北方向は天武・持統陵からの距離で決めた後、その東西ライン上で一番近い古墳築造適地を求めた、という一つの解釈が考えらます。



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 このページは、2005年2月8日〜11日に開かれる国際日本文化研究センターの国際シンポジウム 「世界の歴史空間を読む −GISを用いた文化・文明研究−」で発表する、「日本古代の墳墓と都城−位置と方位を中心として−」の予稿に、加筆したものです。


サムネイル画像&データ編
飛鳥・藤原・平城 画像編(上)
飛鳥・藤原・平城 画像編(下)
大きい画像を、2つのhtmファイルにまとめたものです。

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2004年11月7日 バージョン1.0
2005年2月7日 バージョン1.2

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