化けくじら七変化


 エチオピアの王ケフェウスの妃カシオペアは、娘のアンドロメダはニンフ達より美しいと自慢します。 それに怒ったニンフ達は海の神ポセイドンに頼んで海の怪物ケトス(κητος)にエチオピアを襲わせ、アンドロメダを生け贄に要求します。 まさに危機一髪のとき通りかかったのが、メドゥーサ退治を終えたペルセウスで、怪物を倒してめでたくアンドロメダと結婚します。 くじら座はその海の怪物が星座になったもので、フラムスチードの星図に描かれている左のようなイメージが一般的です(色は筆者が勝手に塗ったものです)。 しかし、このような形になったのは比較的最近のことで、それまでは変幻自在に姿を変えてきました。 ここではその変遷をたどっていきます。


1.ギリシア

 ギリシア神話では、アンドロメダに襲いかかったケトスの他に、もう一匹のケトスがいます。

ヘラクレスは、9番目の功業の途中で、トロイアに寄港しました。 当時、トロイアはアポロンとポセイドンの怒りにふれて困っていました。 というのは、2人の神がトロイアの城壁を築いてやったのに、ラオメドン王は約束の報酬を払おうとしなかったからで、アポロンは疫病を、ポセイドンは海から高潮にのせて怪物(ケトス)を送り、怪物は平野で人々をさらって行きました。 そして、ラオメドンの娘ヘシオネーが生け贄として岩に縛られたところを、ヘラクレスが怪物を倒して救い出したのでした。
 ヘラクレスは、ペルセウスとアンドロメダの曾孫に当たるので、ケトスは返り討ちにあったことになります。
 ギリシアの陶器に描かれたケトスが、Greek MythologyのTHE KETEAにあります。 これらのイメージは怪物じみたものから、それほど現実離れはしていないものまであって、ケトスのイメージについては空想と現実の間を、揺れ動いていたようです。

 もともとケトスは、クジラ、イルカ、サメ、マグロなど大型海産動物の総称で、単に「海の怪物」という程度のものでした。 アリストテレスは動物に関する知識を集大成した『動物誌』の中で、ケトスをシロナガスクジラなどのヒゲクジラ(プランクトンを海水ごと飲み込み、ヒゲでこしとって食べる)に限りました。 一方、マッコウクジラなどのハクジラ(歯を使ってダイオウイカなど大きな生物を食べる)は、ファライン(phalain)と呼んでいます。 フランス語でクジラのことをbaleineというのは、この系統の言葉です。 ちなみに英語のホエールwhaleなどゲルマン語系の言葉で、円転す、ころがる、というのが元の意味らしいです。 アリストテレスは鯨類と魚を区別し、クジラが胎生で子供に哺乳することも知っていましたが、後世の学者はクジラを再び魚の仲間に入れてしまいました。 現在の生物の分類では、クジラとイルカを含むクジラ類(霊長類と同じく、哺乳綱の下の「目(もく)」のレベル)をCataceaと呼んでいます。

2.ローマ

 ローマ時代のくじらの姿を伝えているものとして、2世紀に作られたファルネーゼ・アトラスや、ポンペイの壁画、アラートスが書いた最古の星座詩『ファイノメナ』の絵入り写本(中世以降)などがあります。 そこでは、顔が細長く、首も長く、体はほっそりして、尾も伸びているような姿で描かれていました。 ちなみに、ケトスから名前を取ったケティオサウルスという恐竜がいますが、その姿は結構このイラストに近いものがあります(The Natural History Museum, LondonのCetiosaurusにイラストがあります)。

 アンドロメダを襲った怪物の名前やくじら座に当たる星座名はギリシア語では一貫してケトスでしたが、ラテン語の文献では色々な名前で呼ばれました。 主にLoeb Classical Library(ギリシア語・ラテン語テキストと、英訳が対訳になっています)で調べると、次のような呼び方があります(もちろん筆者はギリシア語・ラテン語は分かりませんので、辞書と首っ引きですが)。
ケトス cetus:マニリウス『アストロノミカ』のとある箇所、ウィトルウィウス『建築書』
怪物 belua:プリニウス『博物誌』、オウィディウス『変身物語』のとある箇所
怪物 pistris,pristis:『ファイノメナ』のゲルマニクスによるラテン語訳、マニリウス『アストロノミカ』の別の箇所
野獣 fera:オウィディウス『変身物語』の別の箇所

 この怪物は、マニリウスの『アストロノミカ』では、魚のウロコと陸上動物の恐ろしいアゴを持っている、とされています。 どうやらローマでは、ギリシアと違った姿と名前を持っていたらしいのです。 また、プリニウスの『博物誌』には、この怪物の骨が見世物になったという記事があります。

話にあるアンドロメダが曝された怪物の骸骨が、マルクス・スカウルスによってユダヤのヨッペの町から運んで来られ、彼が造営官であったとき<前58年>、ローマでほかの驚異物と一緒に展観されたが、それは長さ40ペス(1ペスは約30センチ)、肋骨の高さはインドゾウを超え、脊柱は1.5ペスの厚みがあった。(中野訳)
 プリニウスは別の箇所ではケトスをクジラ類の意味で使っていますが、ここでは怪物(belua)と呼んでいます。 ヨッペの町の断崖には、アンドロメダが縛られたとき鎖を通したとされる穴の空いた岩もあったといいます。 ローマに運ばれたのはクジラの骨だったと思われますが、実際に見た人たちは果たしてこの口上を信じたのでしょうか?

3.『新約聖書』のケトス

『新約聖書』の「マタイによる福音書」12・40で、律法学者たちとファリサイ人たちが、イエスに徴(しるし)、すなわち、イエスの権威や力が神に由来するという証拠を見せてほしいと言ったとき、イエスは

悪い、不貞の時代には徴を要求[して止まない]。しかし、この世代には、預言者ヨナの徴のほかは何の徴も与えられないであろう。 たしかに、ヨナが大魚の腹の中に三日三晩いたように、人の子も大地の中に三日三晩いるであろう。(佐藤研訳)
と答えます。 『旧約聖書』はヘブライ語で書かれましたが、『新約聖書』はギリシア語で書かれました。 そして、ここで言われた大魚が、ギリシア語原典ではケトスとなっているのです(『新約聖書ギリシア語辞典』)。

ヨナを呑み込んだ大きな魚の話は、旧約聖書の『ヨナ書』にあります。

 ヨナは紀元前8世紀頃のヘブライ人預言者で、ティグリス川のほとりにあるニネベへ向かうように、主のお告げを受けました。 ニネベは、当時アッシリアの首都で、ヘブライ人にとって奢侈と放蕩の代名詞でした。 ヨナはこの使命を嫌がり、逃げ出そうとして、タルシシュ(スペインにあったフェニキア人の交易地)行きの船に乗り込みました。 しかし、神は暴風を起こし、船乗りたちは誰か罪を犯した者が船に乗っているせいではないかと疑い、くじを引いて探し出すことにしました。 くじにあたったのはヨナでした。 そこで、ヨナを海に投げ込んだところ、暴風はまたたく間におさまりました。 神は、巨大な魚を遣わしてヨナを呑み込ませました。 ヨナは生きたまま魚の腹の中で3日間過ごし、やがて海岸に吐き出されました。 ヨナは改めて神の命令を受けて、今度は言われたとおりニネベの都に向かって行きました。
 この怪物はヘブライ語では「ダグ・ガドル」(巨大な魚)ですが、ギリシア語に訳されるときにケトスとなり、『新約聖書』のイエスの言葉に受け継がれたのです。 ヨナの話を描いた絵を見ても、アンドロメダを襲った怪物によく似ています。 又、『新約聖書』の言葉は、『旧約聖書』でのヨナの物語が、イエスが十字架に架けられて三日後に復活することに対応していることを暗示しています。 ただし、イエスは、当時の共通語だったアラム語(ヘブライ語と同じセム語系)を話したと考えられているので、イエスの口からケトスという言葉が発せられたことはなかったでしょう。

4.ルネサンス以降

 ルネサンスになると、形が大きく変化します。 代表的なものとして、北方ルネサンスの巨匠デューラーが描いた星座絵(1515)がありますが、これは彼のオリジナルというよりも、約1世紀前の天文学者レギオモンタヌスの現存しない星図に依ったもののようです。 ゲスナーの怪物誌などに似たような絵があるので、こうした形の変化は博物学の影響をうけたものだと思われます。 くじらの全体像はなかなか見られないために、恐ろしげな姿になったのでしょう。 ただ、博物誌の絵よりお腹がふくれた形をしています。 これは星の配置と対応させるために頭を上に持ち上げるためと思われます。 他の星座絵では背中をそらした魚になっている例もあります。 また、怪物誌のくじらは足が描かれているのに対し、星座絵のほうは足がないという違いもあります。

 その後、このように口を大きく開けた姿になります。やはり頭は持ち上がりぎみです。 このころには、実際のくじらの姿はある程度知られていましたが、星座絵では以前の姿よりも恐ろしさが増しています。 この形がしばらく続いたあと、最初のイラストのような姿に落ち着きます。基本的には初期の形に戻ったわけですが、頭は大きく首は短く変化しています。 こうして見てくると、最初のイラストの形が一番星の配列に合っているように感じるのは、普段見慣れているからでしょうか。

 

主要参考文献

アポロドーロス 高津春繁訳 『ギリシア神話』 岩波文庫
荒俣 宏 『アラマタ図像館・1・怪物』 小学館文庫
アリストテレス 『動物論・動物部分論』 岩波書店
ウェットフィールド『天球図の歴史』 大英図書館・ミュージアム出版
佐藤研訳 『マルコ・マタイによる福音書』 岩波書店
プリニウス 中野訳 『博物誌』 雄山閣
山田 卓 『星座博物館』シリーズ  地人書館
『グロチウスの星座図帳』 千葉市立郷土博物館
『マタイによる福音書』 岩波書店
Loeb Classical Library. Cambridge: Harvard University Press

2000年5月8日 バージョン1.0
2003年3月16日 バージョン2.0
2007年4月4日 バージョン2.0.2
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