| 7月号
1.はじめに 太陽より8倍以上の重い星は最後に超新星爆発をおこし、その一生を華々しく終えます。現在かに星雲(M1)として知られる星雲はそのような爆発の残骸で、年を隔てて撮った写真を比べると今も膨張しているのが分かります。その超新星の記録が中国、そして日本の藤原定家の日記『明月記』に残っていて、それがきっかけとなって爆発の起きた年が1054年と分かりました。しかし、定家が生まれたのは1162年ですから、超新星の出現より100年以上も後のことです。実はこの超新星は、定家が実際に見たわけではなかったのです。定家といえば『新古今和歌集』の選者の一人で、『小倉百人一首』を編んだ和歌の第一人者です。そんな彼がどうして超新星の記録を残したのか、彼と陰陽道のつながりを中心にお話しします。
2. 客星の記録
その記録は定家69才の時、寛喜2(かんぎ;1230)年11月(以下、日付は全て旧暦です)に出現した客星の所に出てきます。客星とは、普段見慣れない星のことで、超新星、新星、それから彗星も含みます。この年の客星は彗星でした。11月4日には定家自身この星を見て、「この星朧々として光薄し。その勢い小にあらず。」と記しています。
3. 安倍泰俊について
安倍泰俊は陰陽寮に属する漏刻博士で、『明月記』に10回以上登場します。泰俊は客星などの天変を知らせる他に、定家のために「鬼気祭(ききさい)」や「泰山府君祭(たいざんふくんさい)」、「土公祭(どこうさい)」といった怪しげな陰陽道の祭りをとりおこなっています。更に、方違えのアドバイス(不吉とされる方角へは行かないように)や新築中の家の棟上げの日時を決めたり、はてはネズミが定家の家の畳を食い破ったことについても占っています。マンガや小説と違って、実際の陰陽師はこのような活動をしていたようです。
4. 冷泉家の七夕
『明月記』は応仁の乱などの戦乱時にも子孫によって守られ、現在の冷泉家に伝わり、2000年に国宝に指定されました。その冷泉家では旧暦の七月七日に乞巧奠(きっこうでん)が行われます。芸事が巧みになるように星に乞い願い、供え物をして祭る(奠)という意味です。この日、「星の座」が作られ星への手向けの品が置かれます。そして天の川に見立てた白い布が敷かれ、その両側に織姫と彦星になった男女が向かい合って座り、和歌を詠み交わします。この乞巧奠の行事が変化して、今私たちが親しんでいる七夕になったのです。
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