凶兆としての流星


1.日本

 「星は、すばる。」ではじまる『枕草子』の星の段はあまりにも有名です。 その後は、「ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」と続きます。 夕づつは宵の明星、金星のこと、そしてよばひ星は流星のことです。 「よばう」は「呼はう」で、恋人の名を大きな声で呼ぶ、ひいては正式に結婚を求めることを 意味するようになりました。 アフリカのケイタ部族では、流星を示す絵文字は、父の家を去って夫の家に嫁いだ花嫁で表わし、流星は「かわいい腰布の持ち主」と呼ぶそうなので、日本と同じ発想です。

 流星は他にも、光り物、人魂などと呼ばれることがありました。 例えば、 『吾妻鏡』には、
  光り物あり、(中略) 或いは人魂といい、或いは流星という。
とあります。 『更級日記』に出てくる人魂も流星のことではないかと考えています(『更級日記』の人魂参照)。
 大流星が飛んだ時には、朝廷で恩赦をだして囚人を解放したこともあり、流星はこの時代には日食、月食などとともに恐れられていたようです。 枕草子の「尾だになからましかば、まいて(尾さえなければ更にいいのに)」の「尾」は流星痕(流星が流れた後、雲のようなものが残ったもの)のことでしょう。 尾があることから、よばひ星を彗星とする説もありますが、同時代の他の記録にも「大流星あり、、、その尾三丈ばかり」や「流星あり、、、色白く尾短し」などとあることから、やはり流星だろうと思われます。 この記述には、流星痕のあるような大きな流星は人魂かもしれないから怖い、といった気持がはたらいたのかも知れません。

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 天文民俗学によると、「よばひぼし」は流星の和名として各地に残っています。 他にも、流星の和名として、オチボシ、トビボシ、ヌケボシなどがあります。 面白いところでは、青森や佐渡のホシクソ、沖縄のホシヌクス(星の糞)という呼び方もあります。 『和漢三才図会』 にも、「陸奥(青森)、出羽(山形・秋田)に星が落ち、あまた処にものがあり(くずもちの一椀くらいで)、星屎(ほしくそ)と名づけた」という記事があります。 ホシクソという名は、青森と沖縄と日本の両端に残っていることから、もしかしたらかなり古い呼び方なのかも知れません。 また、南米のある部族では、流星を「星の放尿」と呼ぶそうです。

 又、流星の伝承には、「星が流れると人死がある」「流れ星がをみたらヒトダマが飛んだという」といった伝承も報告されています。 他に「流れ星が自分の方に向かってくればお金が入る」など縁起がよいとするもの、「流星が続くと天気がよい」など天候に関するものなどがあるそうです。(流星の和名と伝承については 星の民俗館 によりました:2006年3月付記:現在改装中で、該当ページは見当たりません)

2.中国

 流星を不吉なしるしと見るのは日本だけではありません。
 諸葛孔明は五丈原で魏の軍勢と向き合っているとき、将星という星が暗くなるのを見て死期が近いことを悟ります。 その頃、魏の将軍、司馬仲達も星を見ていると、赤色の光に角のある大きな星が東北から西南に流れ、蜀の陣地に墜ちて二度三度はねあがり大きな音がしました。 そして「孔明が死んだ」と言って喜んだ、という場面が『三国志演義』(14世紀の成立)にあり、まさに「巨星墜つ」といった感じになっています。 その後、仲達は蜀の軍勢を攻めますが、軍中に孔明を見つけて(実は木像)敗走します。

 同様のエピソードは陳寿の『三国志』にもあります。こちらは西晋(3世紀)の正式な歴史書で、いわゆる魏志倭人伝が載っている方です。 さらに遡ると、紀元前1世紀の司馬遷の『史記』「天官書」に行き着きます。 これは星座や惑星とそれらに関する占いをまとめたもので、その中の天狗星(てんこうせい)の所には、「大きな流星のようで音がし、千里の内に敗軍があったり将が殺される」という記述があります。 孔明が死んだときに都合よく流星、というより隕石が落ちるとは思えませんから、『史記』にもとづいたフィクションと思われますが、英雄の死には流星が飛ぶという考えが中国の歴史を通してあったことが分かります。
 日本にも似たような話があって、8世紀に藤原仲麻呂(恵美押勝)が反乱を起して敗死したその夜に、彼のいた小屋の屋根に隕石がおちてきた、と伝わっています。

 『史記』にある天狗星は、日本での年月日の確かな流星の初出記事にも出てきます。

舒明(じょめい)天皇九年二月二十三日戊寅(637年3月24日)、大いなる星東より西に渡る。 すなわち音ありて雷に似たり。時の人いう「流星の音なり」と。 またいわく「地雷(つちいかずち)なり。」と。ここにおいて僧旻(そうみん)法師いわく「流星にあらず。こは天狗(あまつきつね)なり。その吠いる声雷に似たるのみ。」と。(『日 本書紀』巻二十三)
僧旻は渡来人の子孫で、小野妹子を大使とした最初の遣隋使で中国に渡り、24年後に帰国した後、飛鳥時代の朝廷で活躍した人です。 天狗(てんぐ)は、この天狗星がもとになっています。

3.西洋

 英語で流星を表わす言葉は、一般にはシューティング・スター(shooting star)ですが、学術的にはミーチャー(meteor)といいます(日本語の「ながれぼし:流れ星」と「りゅうせい:流星」のようなものです)。 meteorはもとは「空の高いところにあるもの」の意味で、上や後を表わす接頭辞メタ:meta-に由来し、古くは、風、雨、オーロラ、虹、雷光なども表わしました。 隕石(メテオライト;meteorite)や、気象学(メテオロロジー;meteorology)も同じ語源です。 アリストテレスの『気象学』では、現在の気象学の他、流星、彗星、天の川(!)など、彼が月よりも下の大気中で起きると考えた現象が扱われています。
 また、世界遺産にも登録されているギリシアのメテオラ修道院の「メテオラ」も、これらの言葉と同じ語源です。 煙突のような奇岩のてっぺんに修道院の建物が乗っていて、空中にあるように見えることから、この名がつきました(PhotoseekのMeteora, Greeceに画像があります)。

 古代ギリシアのスパルタの規則には、八年目ごとに民選長官たちは月のない晴れた夜を選んで坐り、静かに空を観なければならぬ、というのがありました。 もしその徹夜の間に隕星つまり流れ星を見たなら、彼らは王が神に対して罪を犯したのだと断定して、デルポイの神託かオリュムピアーの神託が王の復位を許すまでその機能を停止することになっていました(フレイザーの『金枝篇』より)。

 ローマ時代の博物学者プリニウスの『博物誌』には、

俗衆が信じているように、・・・ 星はいずれもそれらに結びついている人間とともに昇るものでもないし、それが堕ちたからといって誰かの生命が消えかかっているのでもない。 星は特定の人と結び付いて生れたり消えたりしないし、流れ星が誰かの死を暗示したりもしない。
とあり、当時このような考え方が広くあったことがうかがえます。 又、別の所には、
星があちらこちらへ飛ぶように見えることがあるが、これは間違いなくその方角から大暴風が起こる前兆である。
とあります。 これは流星群のことを言ったのだとと思われます。 日本の伝承では良い天気の前兆とされることが多いですが、ローマでは逆だったようです。

 18世紀のロシアの女帝エカテリーナ二世はドイツ出身ですがロシアの皇帝家に嫁ぎ、後に自身が皇帝となります。 67才のとき発作が何回か起きるようになった彼女は、ある晩流星をみて「あれは死の予兆だわ」とつぶやいたそうです。 その2ヶ月後、亡くなってしまいます。

 流星といえば、流れている間に三回願い事を言うとかなう、という言い伝えのほうがはるかに有名ですが、こちらはいつ頃どこで言われはじめたのでしょうか? 僕はあまり古い例は知らないので、もしかしたら比較的新しい伝承かも知れないと考えています。

主要参考文献

斎藤国治 『星の古記録』 岩波文庫
司馬遷 『史記』 平凡社中国古典文学全集4
陳寿 『三国志』 ちくま学芸文庫
トロワイヤ 『女帝エカテリーナ』 中公文庫
プリニウス 中野訳 『博物誌』
フレイザー 永橋卓介訳 『金枝篇』 岩波文庫
羅貫中 『三国志演義』平凡社中国古典文学全集9

2000年5月8日 バージョン1.0
2000年11月10日 バージョン2.0
2003年3月16日 バージョン3.0
2006年3月20日 バージョン3.0.2
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