惑星の名、名(日本の方へ)

第1部(アメリカの方へ)の続きですが、このページ自体で
完結していますので、ここからお読みになっても構いません。

1.中国へ

 中国での惑星の呼び名は、もともと
  辰星(しんせい):水星
  太白(たいはく):金星
  螢惑(けいこく):火星 (「螢」は本当は少し違う字です)
  歳星(さいせい):木星
  鎮星(ちんせい):土星
でした。 例えば、歳星は約12年(正確には11.86年)で天球上を一周しますが、中国の戦国時代(紀元前4〜3世紀)には全天を12に分けて(十二次)、歳星がいる位置で年を表わしていたので「歳を表す星」という意味の名前が付きました。 惑星の命名は五行説の成立より先行するらしく、後になって各惑星に歳星=木、螢惑=火などと五行(木火土金水)が配当されたようです。

 唐代には、西洋の影響を受けたインド占星術が密教とともに入り、『宿曜経(すくようきょう)』などによって紹介されます。 『宿曜経』は、インド出身の僧不空(ふくう)が、自分の持っている知識を口述したもので、サンスクリットの原典はありません。 まず759年に史瑤が訳しましたが、あまり良いものではなかったので、764年に楊景風が改訳し注釈をつけました。 このとき惑星名は火曜・木曜、又は火精・木精と、他の文献(『七曜攘災決』など)では火星・木星、又は火官・木官というふうに漢訳されました。 『七曜攘災決』の「攘」は「尊王攘夷」の「攘」で追い払うの意味、全体では七曜によってもたらされる災いをはらう方法の意味で、惑星などの位置を計算するための表などが書かれています。 宿曜道は、現在の一週間の曜日や、ホロスコープ占星術などももたらしました(後述)。

 中国の正史(新しい王朝が、前の王朝の歴史をまとめた正統な歴史書)を眺めると、そこに木星などが登場するのは、(僕の見た範囲では)『宋書』「暦志」の崇天暦(1022年始行)の項が最初で、この頃にはかなり普及していたと思われます。 それまでにも、「火と土」、「木、火、土三星」といった表現はありますが、「火星」「木星」は見あたりません。 その後の『元史』『明史』では、「暦志」(暦の解説)には木星など、「天文志」(天変とその占いなど)には歳星などと使い分けられています。 木星・土星といった呼び名の方が分かりやすい気がしますが、占いの方は過去の文献からの引用が多いので昔からの表現が残った一方、暦の記述に関しては新しい呼び方が採用されたと思われます。

注):実は、『史記』に「木星与土合」という表現があり、漢代の王充の『論衡』にも「火星」と書かれています(『大漢和辞典』)。しかし、前者の前後の文中では単に「火」「土」などで「星」はかけている、又、後者の他の箇所では、火星はさそり座のアンタレスを指していることを考えると、後世の筆が入っているのかも知れません。 (別に、いくつか例外があってもいいですけれどね)

2.日本へ

 日本最古の漢和辞典『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(10世紀前半)では、長庚(ちょうこう;中国での宵の明星)の和名が「由不豆々」(ゆふづつ;「つつ」は星のこと)、明星(明けの明星)の和名が「阿加保之」(あかほし)となっています。 この書物をネタ本に使ったと言われる『枕草子』にも「星は、すばる。彦星。みやう星。夕づつ、、、」とあります(「みやう星。」がないテキストもあります)。 古代ギリシアの場合を考えると、日本でも夕づつと明星が同じ惑星だという認識があったのかは分かりません。 また、『倭名類聚抄』には他の惑星名は書かれておらず、和名は分かりません(もともと付いていなかった、という可能性もありますが)。

 『枕草子』の「名おそろしきもの」には「ほこ星」が挙げてありますが、これは彗星のことです(北斗七星の第七星を指すという説もあります)。 漢語の彗星と日本語の「ほうきぼし」は同じ発想で、日本では他に「ほたれぼし(穂垂れ星)」という呼び方などがありました。 流星の和名については、「凶兆としての流星」1.日本をご覧下さい。

 「ひ」(日)と「つき」(月)の語源については諸説あって、ひ(日)はひ(火)とは別の言葉で、ひ(霊)、又は、「ひかり」の「ひ」がもとになっているのではないか、月は、明るさが日に「つぐ」(次ぐ)ところから、又、毎月一度輝きが「つきる」から、などの説があります。 もともと、日と月、太陽と太陰がペアになっていたはずですが(太陽暦・太陰暦のように)、いつの間にか太陽と月、と言うようになったようです。

 飛鳥時代に天文の知識を中国から輸入したとき、太白、歳星といった惑星の呼び名も入ってきました。 この頃から、歴史書に日月食や、惑星の接近現象の記録が多く残されるようになります。
 『宿曜経』が成立して40年ほどたった平安時代のはじめ、中国へ留学した空海はこの書物を日本に持ち帰ります(806年)。 宿曜道(すくようどう)とともに、日本にも金星、金曜といった呼び方や、一週間の曜日・ホロスコープ占星術(3.平安時代のホロスコープ参照)ももたらされました。 藤原道長の「御堂関白記」の具注暦(日付けだけではなく、その日の吉兆が記され余白に日記やメモが書き込めるようになっている)に記されている「蜜」は、イラン系のことばの日曜を意味する「ミール」の音訳で、現在の日曜日と連続(整合)しています。 しかし、『宿曜経』はそれほど詳しいものではなく、日本で宿曜道が盛んになるのは、日延によって「符天暦(ふてんれき)」がもたらされ、それによって惑星の位置計算がされるようになった10世紀後半以降です。 又、宿曜道の人々は、日月食の予報をめぐって暦道や算道と争ったりもしました。

 神田茂氏の『日本天文史料』に載っている惑星現象の記事を見ると、日本での惑星の名前はほとんど「歳星」などですが、平安時代以降ちらほらと「木星犯天江星」や「土星犯木星」などといった記事も出てきます。 江戸時代になると専門家の間では、火星、木星といった呼び方がかなり増えていきます。 ただ、同じ本のなかでも、土星、土曜、鎮星など色々な呼び方が使われていたりと、特に用語の統一を気にしたようにも見えません。 江戸時代の百科事典『和漢三才図絵』(1713年)の見出し語は「歳星」などで、下に小さく「木曜」などと書かれているので、ある程度は一般に知られていたと思われます。 金星、火星などと統一されたのは明治になってからでしょう(『近世科学思想(下)』など、いくつかの文献を拾い読みしました)。

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 斉藤国治氏によると、天王星と海王星という名は中国で付けられたそうです。 1930年に発見された冥王星については、神田茂氏が日本名を「プルートー」とする一方、野尻抱影氏は「冥王星か幽王星としたらどうか」と提案しました。 結局、「冥王星」が日本、そして中国でも広く使われるようになりました。 ただし、神田茂氏が編集していた『理科年表』と『天文月報』では、1943年まで「プルートー」で通したそうです。
 また、中国では5惑星のことを総称して「五星」「五緯」などと呼んでいて、「惑星」という語は見当たらず、井本進氏によると「惑星」は長崎の通詞・本木良永(もときりょうえい、1735-94)の造語か、とのことです。 一時期、山本一清氏や野尻抱影氏は「惑星」の変わりに「遊星」を使っていました。 現代中国語では、個々の惑星の名前は日本と同じですが、「惑星」に当たる言葉は「行星」で、一週間の曜日は、月曜日が「星期一」で土曜日の「星期六」まで続き、日曜日は「星期天」です。

3.見出された平安時代のホロスコープ

 桃裕行氏の論文や矢野道雄氏の『密教占星術』などによると、ギリシアで発達したホロスコープ占星術(その人が誕生した時の惑星の配列から運勢を占うという、おなじみのものです)は、インドへ伝わり、そこから密教占星術(宿陽道:すくようどう)として唐代の中国、平安時代の日本まで伝わりました。 『宿曜経』に見える黄道十二宮は、
 羊、牛、男女、蟹、獅子、女、秤、蝎、弓、磨羯、瓶、魚
となっています。 ちなみに現在の名前は、
 白羊、金牛、双子、巨蟹、獅子、処女、天秤、天蝎、人馬、磨羯、宝瓶、双魚
 おひつじ、おうし、ふたご、かに、しし、おとめ、てんびん、さそり、いて、やぎ、みずがめ、うお
 (ただし、黄道十二宮と現在の星座は一致していません)
で、名称が違っているものでも、ほぼ分かります。
 やぎ座に対応する磨羯宮の「まかつ」はインドのワニに似た怪物マカラをそのまま音訳したものです。 やぎ座は上半身はやぎ、下半身は魚として描かれますが、その起源はメソポタミアにあって、ギリシア神話のパンがパニックを起こして、、、という話は、やぎ座の姿を説明するために後で作られたもののようです。 又、インドでは、ふたご座は男女のペアとされています。
 一方、もともとの東洋の占星術は、天変(日食や惑星どうしの接近、彗星など)を観察して、これは国や支配者にとって何々の前兆である(王が死ぬ、とか戦争が起きる)、というように占うもので、ホロスコープ占星術とは全く違った体系でした。

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 『源氏物語』で光源氏が生まれたときに、高麗の人相見が光源氏を親王でなく臣下にした方がいいと言い、「宿曜のかしこき道の人」も同意見だったという話がありますが、これは光源氏のホロスコープを作って占った、という想定だったようです。
 平安時代のホロスコープというのもいくつか残っています。 『続群書類従』巻908にある、天永三年十二月二十五日丑時(ユリウス暦で1113年1月15日午前2時ころ;十二月二十五日は1月14日に当たりますが、当時の1日の始まりは明け方でしたので、現代風に言えばもう日付けが変わっていました)に生まれた人のホロスコープでは、放射状に12等分した同心円の内の方に、十二宮の名前が
 白羊、青牛、陰陽、巨蟹、獅子、小女、秤量、蝎虫、人馬、磨羯、宝瓶、雙魚
(雙は双の旧字)とあって、外の方の円には、日天と月天、水星・金星などの5惑星、計都と羅ゴ(ゴは目へんに候;日月食の計算に関連した存在しない2惑星)の九曜の黄道上の位置が示されています。 この人の本命宮(誕生時に東の地平線に昇ろうとしている宮)は蝎虫宮で、本主宮(誕生時に月があった宮)は人馬宮などとして、天性、栄福、運命、行年(各年の運勢)などが占われています。 現在とは違って、太陽が入っている宮は重要ではなかったようです。 純粋な形の宿曜道が行われたのは室町初期くらいまででした。

 その後、16世紀末の長崎の天文家、小林謙貞はゴメスの「天球論」を訳して『二儀略説』 (岩波の日本思想大系63に所収)を著わしました。そこでの十二宮の名前は、
 白羊、金牛、双兄、巨蟹、獅子、室女、天秤、天蝎、弓馬、磨羯、流水、大魚
です。 ギリシア神話では、おひつじ座はイアソンが取りに行った金羊毛、おうし座はゼウスが化けた白い牡牛ですが、西洋と東洋でいつの間にか、羊と牛の色が反対になっています。

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 西洋から日本への影響というと、江戸・明治以降の直接的なものしか思い浮かびませんが、かつてはユーラシア大陸を横断するような伝達ルートもあって、惑星の呼び名を始め、曜日や黄道十二宮、さらにはホロスコープ占星術ももたらされていたのです。


主要参考文献

神田茂 『日本天文史料』原書房
斉藤国治「20世紀の落日を浴びて」『天文月報』2000年12月号731ページ
佐藤幸治 『文化としての暦』創言社
広瀬秀雄・中山茂・大塚敬節校注 『近世科学思想(下)』 岩波書店
桃裕行「宿曜道と宿曜勘文」『立正史学』39号1−20
矢野道雄 『密教占星術』東京美術
薮内清 『中国の天文暦法』平凡社


2003年3月19日 バージョン1.0
2003年3月26日 バージョン2.0
2006年3月20日 バージョン2.02
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