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日本語では天の川、中国では天漢(天の漢水)、という風に東アジアでは天の川は川に見立てられて来ました。
一方、英語のミルキー・ウェイMilky Wayをはじめとして、天の川を道とする民族も多くあります。 霊魂の道、藁(わら)盗人が藁をまき散しながら逃げた跡、などなど。 しかし、ヨーロッパにもライン川やドナウ川などの大きな川があるにもかかわらず、天の川を川とする考えはないそうです。 大林太良氏は、天の川を川に見立てるのと、4大文明が大河の灌漑によって成立したこととの関連を指摘しています。
ここでは、大河の源流に残された地名を通して、地上の川と天上の川との関連を探っていきます。1.月の山脈
「エジプトはナイルの賜物」とはヘロドトスの有名な言葉ですが、古代エジプト人はナイルの源流がどこにあるのか知りませんでした。 途中にいくつもの滝があったり、大湿地帯では川が網の目のように枝分かれしているので、下流からさかのぼって源流にたどり着くのは困難だったのです。 古代エジプトでは、ナイル川は天から、この世界との境となる山の頂に流れている、それから天界にもう一つのナイル(天の川?)があって、そこから雨が降り注ぐと考えられていました(地上のナイル川の水源については他に、洞穴を通って地下から流れ出るとも考えられていました)。 また、地中海周辺では夏は乾燥して川の水は減少するのに対して、ナイル川だけは夏のシリウスの出現と共に増水、氾濫します。 その点からも、ナイルの源流についてはギリシア、ローマ時代にも関心を持たれていました。
紀元前5世紀のヘロドトスは、ナイル川は西アフリカから流れてくる、と考えました。 アリストテレス(紀元前4世紀)は『気象論』で、ナイルの水源を「銀の山々」としています。 一方、『アルマゲスト』でも有名なプトレマイオス(2世紀)は、エジプトの南、月の山脈(Lunae Montes)から流れ出した小川が2つの湖にたまり、そこをナイルの源流として地図にしるしました。 これは、アフリカ東海岸を探検したギリシアの商人の報告をもとにしたものらしいです。 アリストテレスの「銀の山々」とプトレマイオスの「月の山脈」との関連は分かりませんが、銀月アパートもある位ですから(?)、何らかのつながりがあるのかも知れません。
さて、時は流れて19世紀、ヨーロッパ諸国は世界の植民地化を進めるなかで、探検隊を各地に送り出していました。 アフリカの奥地も例外ではなく、ナイルの源流探しも再び注目されるようになってきました。 そんな中、スピークとバートン、リビングストンやスタンリーなどのイギリス人によって源流が明らかにされました。 そこはルヴェンゾリ山脈の麓の湖で、スタンリーはこのルヴェンゾリ山脈こそが伝説の月の山脈だとしました(世界遺産にも登録されているルヴェンゾリ山脈の画像はRwenzori and Queen Elizabeth National Park - Ugandaにあります) 。
ここからが、意見の分かれるところで、やはり月の山脈は実在した、プトレマイオスは正しかった、としているものもあれば、近代の探検でもなかなか分からなかったのに、古代に知られていたとは思われない、という考え方もあります。 古代から象牙などの交易があったので、夏でも氷河を頂くキリマンジャロ山やヴィクトリア湖などの話は伝えられていました。 そこで、ナイルは夏に増水するという特徴を考え合わせて、本当にナイルに通じているかは分からないまま源流とされた、といったあたりが妥当な所ではないでしょうか。
2.星宿海
中国では、古来「河は崑崙に出ず」といって、黄河は崑崙山に発すると考えられて来ました。 一方、黄河は天上から流れ下る、という考えもありました。 西域探検で有名な張騫(ちょうけん)が、いかだに乗って黄河をさかのぼり、ついに天に達して織女と牽牛に出会った、という伝説も残っています。
又、唐の詩人、李白も君見ずや 黄河の水 天上より来たりと歌っています。
奔流して海に到り ふたたび回(かえ)らず
その後、元の時代(13世紀)の都実(とじつ)によって、黄河源流域の探検が行われました。 その報告に、河源は、・・・泉が百あまりわき出ている。泉があれば水たまりもある。・・・ かたわらの高い山に登って眺めてみたところ、水たまりは燦然として、さながら星をちりばめたようである。 そのためにホドン・ノールと名づけられている。ホドンとは、翻訳すると「星宿」の意味である。とあります(ノールは湖の意味。西安旅遊網の星宿海の写真では、たくさんの池が日光を反射して輝いています)。 この命名は、見た目が星々に似ている、ということの他に、黄河が天に通じている、という伝説の影響もあるようです。 ただ、もともと黄河は崑崙山に発すると考えられていたことや、この探検が漢民族にとって異民族である元朝によってなされたことなどから、すんなりと受け入れられたわけではありませんでした。その後の18世紀、清の乾隆帝の時代に阿弥達(アミダ)が再び、黄河源流を目指しました。 その公式発表では、星宿海の南西にそそぐ、アルタンゴールという川がある。 この川の西に高さ数丈の巨石があり、アルタンガダスチロと呼ばれている。 モンゴル語でアルタンは黄金、ガダスは北極星、チロは石で、合わせて「黄金の北極星石」の意味である。 この巨石の頂に天池があり、池のなかから泉が湧き出していて、百すじに分かれて流れているのが黄河の真の源流である、となっています。 しかしこの探検以降、この巨石を目にした人はいません。 もとの報告書では、ガダスチロの西側に山があり、そのふもとから泉が流れ出ている、というだけでしたが、いつの間にか話が潤色されたもののようです。 黄河源流をめぐる歴史については、武田雅哉氏の『星への筏』に依りました。
3.ガンジス降下
インドの聖なる川ガンジス川の起源について、昔、天上にいた女神ガンガーが地上に降ったものだ、という神話が残されています。
バギーラタ王は、先祖たちがカピラ仙という仙人を怒らせたため、焼かれてヤマ(閻魔)の国にいることを悲しんでいた。 そこで、王国を大臣にまかせてヒマラヤ山中へ行って苦行を行い、ヒマラヤの娘ガンガーに先祖の体を清めてくれるようお願いした。 神々の一千年が過ぎたときガンガーは自らの姿を現わし、願いを聞き届けると言ったが、付け加えて言うには、「私が天から降りたら、その衝撃は大変なものです。全世界にシヴァ神を除いて、それを支えることのできる者はおりません。」 シヴァ神は、バギーラタ王の頼みを聞き届けてヒマラヤに行き、ガンガーが天から勢いよく飛び降りたのを頭で受けとめた。 こうして祖先は清められた。別の神話によると、あるとき阿修羅の一種であるバリは神々にたちまさり、三界の主になった。 主権を取り戻そうと、ヴィシュヌ神は小人に化してバリの前に現われ、かれに「三歩分の土地」を乞うた。 バリが快くそれに応じたとき、ヴィシュヌは本来の姿を現わし、二歩で天と地を歩んだ。 しかし、バリの親切心を思いやって、三歩目を歩むのをやめ、バリに地下界を残してやった。 さて、インドの宇宙観では宇宙は卵のようなもので、その外側には水があるとされるが、ヴィシュヌ神が左足を天に向かって挙げたとき、かれの足の爪が宇宙卵の殻にあたって、殻に穴があいた。 殻の外の水が内側に流れ込み、途中、長い年月をかけて北極星や北斗七星のそばを通過し、天の川を流れくだり、月の表面を濡らした後、メール山(須弥山)の頂に落ちた。 そこからガンジス川を含む4つの川に分かれて、海に注ぐのだ、という更にスケールの大きな話になっています。
4.大阪の天の川
日本には、天河(てんかわ、奈良県)や月山(山形県)といった地名はありますが、川が天に通じているという伝承は聞きません。 日本は島国なので、川の源流もそれほど遠くない所にあると考えられていたのでしょう。
しかし、日本国内にも天の川があります。 奈良の生駒から、大阪の交野市、枚方市を流れて淀川にそそぐ天野川は、音が通じることから天の川とされました。 しかし、もとは豊かな実りをもたらすこの地を「あまの(甘野)」とよび、そこを流れる川を「あまのがわ(甘野川)」と呼んでいたそうです(stella's Roomの七夕伝説をたずねて(リンク切れ)より)。『伊勢物語』には、次のような話があります。 惟喬(これたか)親王と在原業平(ありわらのなりひら)が狩りをしているうちに、日暮れになりました。 そこで、天の河(天野川)に来て宴会になったときに、業平が、
狩りくらしたなばたつめに宿からむ 天の河原にわれは気にけりと詠みましたが、親王はお返しの歌を詠めないでいたので、代わりに従者の紀の有常(きのありつね)が、
(狩をして日を暮らし、今夜は織女さんにお宿をお願いしましょう。 うまいぐあいに、天の河原にわたくしは来たんですよ:福井貞介訳)ひととせにひとたび来ます君待てば 宿かす人もあらじとぞ思うと返歌を歌いました。
(織女さんは、一年に一度おいでのお方をお待ちしているのですから、いくらここが天の河だからといっても、おめあての人でもなければ、そうやすやすと宿を貸してはくれますまいと思いますよ:福井貞介訳)清少納言も『枕草子』「河は」の段で、
天の川、このしもにもあンなり(この下界にもあるそうだ)。 「七夕(たなばた)つめに宿からむ」と業平よみけむ、ましてをかし。と、業平の歌に触れています。
天野川周辺には、他にも機物神社(はたものじんじゃ)や逢合橋(あいあいばし)など星の名所が多数あります。 詳しくは、織姫と彦星が出会うまちをご覧ください。
主要参考文献 大林 太良 『銀河の道 虹の架け橋』
定方晃(アキラは本当は少し違う字です) 『インド宇宙誌』 春秋社
武田 雅哉 『星への筏』 角川春樹事務所
福井貞介ほか校注・訳 『伊勢物語ほか』 小学館
松尾聰 永井和子校注・訳 『枕草子・二』 小学館
ユゴン 堀信行監修 『アフリカ大陸探検史』 創元社