「それでシベリアではどうやった、大変やったろう」
「そりゃあ大変なんぞいうもんやない。大体な、シベリアなんぞいうところは、
人間の住むところやあらへん。ちいとでも油断したら、耳も鼻も指も、凍傷でもげてしまうんや」
「そうやろな。あの寒い満州より寒いんやからなあ」
保郎は奉天の冬を思い出してうなずいた。
「その寒い中で強制労働やろ。おまけに、一日分の食料いうても、ほんの二食分や」
「ほうかあ、大変やったなあ」
「しかしなあ、榎本。おれたちは奥村炊事長のおかげでな、生きて帰れたと思うで」
「ふーん、何でや」
「ほかの隊ではな、配給のメリケン粉やら、エンドウ豆やら、ほんの少しばかりの牛肉やらを
なんでもぶちこんでスープにする、このスープと一塊の黒パンが、来る日も来る日も、
判でおしたように出るんや」
「なるほど」
「けどな、奥村という奴は偉い奴や。
日本にいた時、板前をしてただの、コックをしてただのという奴に炊事をまかせてな、
三食三食ちごた献立にするんや。塩ニシンや塩鮭を使って、配給のエン麦やら、
アワやらコーリャンをスシに仕立てるんや」
「ふーん、スシをなあ」
「砂糖かてちいとは配給になるわな。
それとエンドウ豆で汁粉を作ったり・・・忘れられへんのは、初めてまんじゅうを作ってくれた時や。
ずらっと並んだまんじゅうを見た時な、兵隊たちはみな、おいおい声を上げて泣いたもんや。
そして、誰一人そこで食うた者はおらへん。
みんなうす汚い手拭いに包んで、持ち帰って何日にも分けて食うたんや」
保郎は黙ってうなずいた。泣き出した兵隊を見つめながら、自分も泣いたであろう奥村の姿を思った。
「それだけやない。食堂の内装もな、少しでも故郷をしのぶよすがにと奥村は思ったんやろな。
食堂に配膳の窓があるやろ。それを格子戸にしたりな、
食堂の入り口に、太鼓橋を思わせる橋を造ったりしてな」
佐藤の声が次第にしんみりとしてきた。奥村光琳の人間愛が、保郎の心に沁みてくる思いであった。
(三浦綾子「ちいろば先生物語」より引用、神学生、陸軍士官候補生、京都銀行頭取、KBS京都社長の奥村光琳のエピソード)
シベリア収容所