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今川知子

ご挨拶(Oct.25 2002 Up)


皆さん、こんにちは。元プロフィギュアスケーターの今川知子です。
この度スポーツライターの梅田香子さんと一緒にフィギュア・スケート・ファンのためのホームページを作成することになりました。
プロとして自分が人前で滑ることは引退しましたがスケートを愛する気持ちはいまだ変わっていません。
そこで皆さんとフィギュアスケートのことについて明るく楽しくいろいろ語り合えたらと思っています。感想、要望、意見など、どんどん書き込んでいただくと幸いです。よろしくお願いします。


ではこのウェブマガジン“KISS&CRY”創刊を記念して、長年スケート関わってきた一人私のスケート人生の歩みや思い等をこの場をお借りして皆さんに紹介したいと思います。
そして私のことを知っていただければうれしく思います。


私は今年でスケートを本格的に始めて24年目となります。スケートが何より好きだという気持ちとだと言う気持ちと家族を始め周囲の方々の暖かいご支援、ご協力があったからこそ続けられたのだと思います。アマチュア選手引退後もプロとして好きなスケートを引き続き職業として携わることができて、大変幸せだったと思います。
スケートを始めたのは小学校1年生の時です。とにかく当時は“風をきる感覚”そして“人前に出て皆から注目を浴びる”ことがとても好きだったのを覚えています。ところが“スケートが何より好き”という気持ちからコツコツ練習を始めていたのですが様々な壁にぶつかり苦労をしました。バッチテスト(スケートのレベルを決める進級テスト)では2級と6級のときに10回ほど不合格だったり、中学生のときにはやはり思春期ということもありウエイトコントロールが思うようにいかなかったり、学校の友達と遊びに行くことができず悩み、練習に気持ちが入らないことが多々ありました。
 そうした状況の中でそれまで3回ほど予選落ちしていた全日本ジュニア選手権の予選に臨むにあたり「これで落ちたらスケートを辞める」という覚悟で気持ちを入れ替え練習取り組みました。その結果無事全日本ジュニア選手権本線に出場することができたわけですが、それからは試合で緊張して自分の思うような結果が出ずに悔やみ苦しむくらいなら、まだ練習で苦しむほうがいいと考えるようになり「スケートリンクに行ったらいつも知子ちゃんがいる」と言われるぐらい自分から多くの練習をするようになりました。練習の楽しさというのも覚えました。私は決して才能に恵まれたわけではありませんでしたがここまで来たのはこうした練習のおかげでもあると思っています。
  一方でスケートを通して様々な貴重な体験をさせていただきました。
 崩壊寸前のソ連に行き、テレビで映っていたように食べるものがあまり売ってなくて店の前で並ぶ行列の人々の光景を本当に目の辺りにしたときはとてもショックで日本という国がどれだけ恵まれてるかを実感しました。そうした中で試合後に行ったレストランでは日本選手団とロシアの一般の人達とがいつしか肩を組んで輪になってぐるぐる回りながらカリンカの曲にあわせて仲良く一緒に踊ったときのことは忘れられません。
  又クロアチア(当時1994年頃日本ではまだクロアチアという国がどこにあってどういう国なのかを知っている人も少なかった)に私とコーチとチームリーダーの3人だけで行ったのですが、クロアチアはまだ旧ユーゴから独立したばかりで近隣諸国がまだ内戦をしているということで国連のグリーンベレーの方々がいたわけですが、その方たちが私達の試合を見に来て、とても温かく応援してくださり、試合が終わったあとに私に駆け寄ってきて「とてもファンタスティックだった」と言って握手して下さったのも大変印象的でした。
 そして震災後にスペインで行われたユニバーシアード冬季大会では旗手を務めさせていただき、他の冬季スポーツ選手、関係者の方々と知り合うことができ様々な国の人達と交流を持つことができました。他の海外試合でも色々な思い出と共に地元の方々の温かさに触れることができて幸せでした。
 又震災の約10日後に行われた私にとってアマチュアとしての最後の試合となった国体も感慨深いものがあります。周りの皆様が大変でスケートどころではない状況の中、兵庫県スケート選手団は大会直前まで参加をとりやめていましたが開会式の2日前に再度参加することが決まりました。試合会場には皇太子殿下、雅子さまもお見えになり「兵庫県」というアナウンスがされると割れんばかりの大拍手で迎えて下さり、今でも忘れられない思い出に残るものとなりました。
 またプロとなってアイスショー(プリンスアイスワールド)ではアマチュアのときと違ってチームの一体感を味わえることができ、アマチュアの時よりいかにチームのみんなと調和しつつ、自分の個性を生かしながら表現し観客にアピールするかというのを学びました。またいつ何時でもいったん本番が始まると常にお客様に喜んでいただけるような滑りをしなくてはいけないというプロ意識を持って滑るようになりました。ショーが出来上がるまでの練習始めは一ヶ月間ずっと新横浜に滞在し、練習終了時間がおそい時は明け方の4時や5時という厳しいものでしたが一度本番の幕が開くと、照明、音響に合わせながら華やかな衣装を着て人前で滑るという言葉では表せないようななんとも言えない緊張感と快感を味わうことができ、公演の終わったあとの充実感を出演者全員で味わうことができました。こうした感覚から離れたくなくショーを辞めようと思ってもなかなか抜け出せなかったのが現実です。
アイスショーを引退した時(2002年3月)は自分で滑るスケートはこれで最後だったのでアマチュアを引退するときよりつらくとても寂しかったです。
千秋楽のときは本当にスケートを始めてからのことが走馬灯のように思い出されました。
このような経験をさせていただき私にとってスケートはかけがえのない財産となりました。競技やアイスショーなどを通してライバルでありながら同じ苦しみ、喜びを分かちあえた友達や先輩方、厳しい時もありましたがいつも温かい目で見守ってくださった先生、トレーニングやバレエの先生やジャッジをされている連盟の方々など素晴らしい出会いがあり、前述したとおり普通ではできない貴重な経験もできました。又スケートを通じて私の個性を表現することができ、一つのことを長年続けることができたという自信を持つことができました。
  このようにスケートを通して様々なことを得ることができたのは私の力だけではなく周囲の方々のご協力のおかげだと感謝しています。改めてこの場をお借りして私を支えてくれた人々にお礼を言いたいと思います。

 まだまだ未熟な私ですがこれからもスケートの指導のお手伝いをしたり、こうしてホームページやさまざまな媒体で、フィギュアスケートのさまざまな情報を提供したり、スポーツコーディネーターやスポーツジャーナリストとして、微力ながら少しでもお役に立てればと思います。
 皆様今後もどうぞよろしくお願いいたします。           今川知子



 こんにちは。おまけの米国シカゴ在住、梅田香子です。スポーツライター歴は15年以上になろうとしていますが、クリスティ・ヤマグチのロングインタビューやミシェル・クワンのコメント取りなど、フィギュア・スケートの取材経験はわずかしかありません。(仕事の内容については私のホームページを参考にしてください。
もっぱらプライベートな趣味の領域で、これまでフィギュアスケートを私なりに楽しんできました。2人の子供をもつようになって気がついたのですが、シカゴはとてもスケートが盛んで、サッカー場の芝生に水をまき、アウトドアのスケート場をつくってしまいます。さすがに寒いので私はインドアに行くのですが、近所だけで5つのスケートリンクがあります。
 幼稚園も小学校も他に日本人がいない環境にあって、長女(次女も)はかなり言葉が遅く、ずいぶんと知能の遅れを心配したし、人からもいろいろ言われました。ところが、4歳半のときスケート教室に入れてからどんどん性格が変わってしまい、それまでは一語言葉しか話せなかったのに、2か月めにはじめて文章を話したのです。転んでしまった私のところにスーっと滑ってきて、「ママ、みんな転んで上手になるんだから、はずかしくないのよ」と日本語ですらすらと言ったので、「あなた、しゃべるの!」と驚いたら、「うん」と照れくさそうに笑った日のことが今日のことように思いだされます。今はうるさいほどよくしゃべるバイリンガルで、学校の成績もいいほうです。
 だから、スケートというスポーツには言葉にできないほど感謝しています。私や家族の視野を広げてくれて、友人関係も広がりました。
 今、7歳になった長女は主要コーチのレイン・ウォーカーのすすめで、週2回、元オリンピック選手のデビッド・サンティーからジャンプ・レッスンをうけ、毎週土曜の朝はカルガリー五輪のペア金メダリスト、オレグ・バレシエフのパワー・クラスをとっています。
 オレグは現在タチアナ・トトミアニナ&マキシム・マリニン・ペアと女子シングルのビクトリア・ボルチコワのコーチですから、彼らと同じリンクで同じ時間を長女が共有することもあります。
「ママ、オリンピックの人でも練習では転ぶんだねえ」
 といたく感動していました。
 ほとんどの親がそうでしょうけれど、私には競技会の成績よりもともかくケガをせず、こういう時代ですから、子供たちにまっすぐ育ってほしい。スケートの魅力のひとつはコンペにエントリーすれば競いあえるし、アイスショーを申しこめばバレエ・コンサートのようにエンターテイメントとして、滑る人間も見る人間も楽しむことができる点にあると思います。
 今川知子さんのような人と知り合えたのももちろん「スケート」というキーワードがあったからで、とても幸運でした。最初は正直なところ、私はかなりミーハーで軽い気持ちだったのですが、実際に会って話しをしているうちに、彼女の人柄といい、生き方といい、これからやろうとしていることといい、とても感銘を受けました。このホームページをとおして私自身、楽しみながら少しでも力になれたら、と考えています。
 それでは今後ともよろしくお願いします。    梅田香子  


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