世界選手権2
年連続で銅メダルを獲得し、いまや世界トップスケーターへ名を連ねた村主章枝。
8月24日、プリンスアイスワールド東京公演・千秋楽ではスポットライトを浴びながら、トリプルルッツ
とフリップを2公演とも成功させ、伸び伸びと滑っていた。公演終了後、インタビューは新
宿までの車での移動中と村主のホテルの部屋にて行われた。慌ただしい中にもかかわらず、村主は丁寧に話してくれた。
―公演お疲れ様でした。ショー中も3ルッツを成功させるなどいきいき滑っていたように見えましたが、プ
リンスのショーにも慣れましたか?
村主:うーん!?慣れたっていう実感はないですね。アイスショーの時はリンクのサイズが小さいので、そ
れを調整するのが大変でした。幸い今回のリンクは新横浜より少し大きいサイズだったので、助かりました。あと今
回はとにかく疲れました(笑)新横浜公演の時は一公演につき出番が一回で、日によっては一回だったり、休演日も
あったりしたのですが。今回の公演は一公演につき2回滑り、2公演4日間続けてだったので、体調管理の点が特に
大変でしたね。
―公演を見ててさらに痩せられたように見えたのですが。ウエイトコントロールや食事面で気をつけている
点はありますか?
村主:そうですかねー!?これでもこの夏は痩せないようにキープできた方なんですけどねー。私は体重が
減らないように気をつけないといけないほうですね。うちはもう大変なんです。お母さんが栄養士状態で、父には塩
分控えめ、妹にはダイエット食、姉は体重減らないようにしなきゃいけないので・・・(笑)
―ゴールデンウィークに行われたプリンスの新横浜公演が終わって、その後どのように過ごしてきましたか
?
村主:ショーが終わってすぐ5月に2週間ぐらいカナダのローリー・ニコルのところに振付に行きました。
それが終わって、いつもどおり新横浜で練習していました。今回ずっと新横浜に佐藤先生がいらしたので、離れると
「ちょっと(困る)なー・・・」と思って合宿も参加しませんでした。
―普段どのような練習をしているのか、練習スケジュールなども含めて教えていただけますか?
村主:それはちょっと言えないかな・・・。これは私の考えなのですが、やっぱりスケートをやっていく上
で、裏でどういうことをしているというのはその人それぞれがすることであって、その練習を強調するべきではない
という考えなんですね。やはりスケーターは氷の上で「どう結果を出すか」ですから。いろんなアスリートの方を見
ていても、中身が充実していらっしゃる人ほど口は閉ざしがちですよね。
―章枝さんの輝かしい結果の裏にはすごく努力しているということなのでしょうねー。私たちはその結果が
でるまでの、過程というものを知りたいところなのですが(笑)今はほぼ毎日新横浜の方で練習しているということ
ですが、一般営業中なども練習しているのですか?
村主:練習は日曜日以外週6回やっています。一般営業中滑るときもありますし、滑らないときもあります
し、練習もその都度変わります。時期によってもかわるし、調子によってもその時々で変わりますね。
―バレエや筋力トレーニングも本格的に行っているようですね。
村主:そうですね。バレエは本格的にと言えるレベルなのかわからないですけれども週に一回ぐらいは行く
ようにしています。個人レッスンのとき
もありますし、グループのオープンクラスに入ってするときもあります。まあそういう話とかもしなくても、見る人が見ればわかるんですよね。
―アメリカでフランク・キャロルのレッスンを何回か受けたと聞きましたが、どのようなレッスンを受けた
のか教えてもらえますか?
村主:あの、その話も非常に面白く流れているみたいなんですけれども・・・。世界選手権の後にあったオ
ープン大会だったと思うのですけど、たまたま佐藤信夫先生がいなくて、代わりにティモシーのコーチとして来てい
たフランク・キャロルに「ちょっと見て欲しい」っていう感じでフランク・キャロルに頼んで見てもらったわけです
。以前信夫先生につく前に少し見てもらったことがありましたからその関係で。試合の時だからレッスンというほど
の事もなくて、ちょっと気づいた点を注意してもらうといった程度です。いろんな人から「章枝ちゃん、もうアメリ
カ移っちゃうみたいだよ」という噂が流れていたようなのですが、そんなことはないですよ(笑)
―ローリー・ニコルには長年振付を依頼されていますが、どのような経緯で振付けてもらうようになったの
ですか?
村主:経緯は、ジュニアからシニアに上がるときにちょうど連盟の中で、「振付を海外の著名な振り付け師
にお願いしてみよう」という兆候がでた時だったので連盟の方から「章枝ちゃんどうしますか?」と聞かれて、私が
とてもミッシェル・クワンが好きだったので「じゃあ、ミッシェル・クワンの振り付け師さんがいい」ということで
連盟を通して頼んでいただきました。
―かなり長いお付き合いなので、お互い信頼しあえる仲になったのでは?
村主:そうですねー。振付をお願いするようになってから7、8年経ちますが、ローリーには「自分の子供
みたいだ」って言ってもらっています。私はもう20歳過ぎている大人なのに「夜中の○時以降は外を歩いちゃダメ
だ。」とか言われたりするんですよー(笑)
―では振付面でもローリーが言っていることは大体すぐ把握できるという感じですか
?
村主:うーん!?毎日生活しているわけではないし、海外の方ですから、そこまで「ツーといえばカー」と
いうほどの関係ではないですけれども(笑)そしてやはり彼女は芸術家ですからねー。考えているレベルが全然違い
ますよねー。私の考えは一般的なので一般人が芸術に関して考えるレベルまでしか行かないのですが、彼女の場合は
その更に上を求めているみたいなところがありますね。
―ローリーはどのようなプログラムの振付、レッスンをするのですか?
村主:プログラムを作るときには、大体の構成は決まっているのですけれど、あとはプログラムそのものを
一緒に作っていくって感じですね。ローリーが作ったものを私がコピーするという感じじゃなくて、一緒に滑って「
こういう感じはどうか」と考えながら作っています。やっぱり彼女はなんでもできますけれども、私はできるものが
限られてきますので。やっぱり彼女の能力はすごいですよー。昔ジョン・カリーのアイスショーにいて、その時の練
習がすごく厳しかったみたいで、力がついたようです。バレエのレッスンも毎日あって、ショーの公演があるときで
も毎日氷上に6〜8時間にいて練習していたと聞きました。ステップも「えっ!」って感じで、見てもわからないぐ
らい本当に早いし、真似しようと思っても難しくてできないんです。。あれだけの事は相当勉強しないとできないと
思いますよ。よく振り付け師が同じだと振りがパターン化してくるとかよく言われますけど、それは振付師の責任で
はなくてスケーターがそれだけできる度量がないからそうなってしまうと私は思います。彼女は「こう滑ってほしい
」というのがあるんだけれど、実際問題、私の技量がないからいろんな事ができない。ジャンプの前のステップでも
ローリーの場合、スピードが落
ちずにそのままジャンプに持っていくことができても、私の場合どうしてもスピードが落ちてしまうことが多いので、変えざるおえなくなってきているところもあるのです。特に私はコンパルソリーを
やっていない世代ですので、本当にああいう基礎をきっちりやっていれば、自分のスケート自体が違っていただろう
なーとは思いますね。
―今日のプログラムでもワン・フットでブラケットをしたり、コンパルソリーの要素が含まれるステップも
踏んでいましたね
村主:そうでしすねー。でもやっぱりまだまだですね。佐藤先生が見ると「なんでそういう風になるんだ」
と言われたりするんですけど(笑)今日の公演は見にいらしてたんですけど、何も言わないで帰られたのでよかった
のかなとは思っています。でもまだこれから言われるのかもしれないけれども(笑)
―ローリーが振付をする際、よく言われることとかありますか?
村主:やはり演技をするときには「必ず心から入りなさい」ハートが大事だという事は毎回言いますね。<
BR>
―今回のショーでは、新しいショートプログラムを披露し、今までの章枝さんのイメージとはガラっと変わ
った感じがしたのですが、このプログラムを提案されたのはローリーですか?このプログラムをどのように滑りたい
ですか?
昨年は「愛」や「ロマン」がプログラムのテーマと言われていましたが、このプログラムのテーマなどある
のでしょうか?
村主:今回のショートはローリング・ストーンズの「pain it black
」という曲を使用しているのですが、「何で世の中の暗いところを歌っている曲なんだろう?」とローリーと二人で考えに考えぬいたんです。その結果
、ローリーが「世の中にはああいう風に物事を暗く考える人もいるのよ」となって・・・(笑)。私は「世の中、悪
いことばかりじゃない。」と思うのでそういうものを訴えたいと思います。テーマは・・・。(少し考えて)「破壊
主義者」かしら今年は(笑)!?シーズンまでにうまく言葉にできるように考えておきます。
―ローリーからはこのプログラムを「こういう風に滑って欲しい」という指示などあったのでしょうか?<
BR>
村主:そういうのに関しては、(ローリーからの指示は)特になくて自分で解釈します。ただ解釈によって
振りもちょっと変わってきますから、そういう場合は聞いたりもしますね。
―話は飛ぶのですが、アラスカでスケートを始めてからどのような経緯を歩んでこられたのか、教えていた
だけますか?本格的にスケートを始めたのは中学3年生と聞きましたがそれまで日本ではどのような練習をしていた
のですか?
村主:スケートを習い始めたのは6歳でしたが、中3まではただふらふらスケートやっていましたね。教室
の他に個人レッスンも受けたりしていましたけれども、両親が「勉強をしないんだったらスケートは辞めてもらう」
という考えだったので小学生の頃は普通の市立の学校に行っていましたので勉強が忙しくて、一日の練習時間が1時
間程度でした。毎日練習には行っていましたけれど、1時間の練習じゃあねー。選手じゃなくて趣味のレベルですよ
ね。
私は試合でジャンプを始めて飛べることが多かったんですよ。小3ぐらいで出たときの試合でシングルア
クセルが始めて跳べるようになって、小学6
年生の時に全日本ジュニアに初出場したときに、試合で始めてダブルアクセルを飛べるようになったんです。今まで回転不足でしか降りたことないのに試合でクリーンで降りたんです。なぜ
かわからないけれど・・・。火事場の馬鹿力かしら(笑)!?中学2
年のときの全日本ジュニアの時に大失敗をして「そこで心を改めてやらなくきゃ」と思って練習を本格的に始めたんです。その後の一年はすごい練習しましたね。そ
こからトリプルが降りれるようになったんです。それまでは1種類もトリプルを飛べなかったのに、一年後には5
種類のトリプルを飛べるようになっていて、中3の秋頃には国際試合に行かせていただくことができました。一番最初に
飛べるようになったトリプルジャンプがルッツだったんですよ。その次にフリップが飛べるようになって、トゥルー
プでサルコー、ループという順番かな。だからサルコーとループがダメなんです(笑)
―3−3はいつ飛べるようになりましたか?
村主:いや、飛べてないですねー。何回かは飛んだことはありますけど、ちゃんとコンスタントには飛べて
いるわけではないですからねー。今年は是非やりたいなーとは思っています。やっぱりやらないと、時代遅れになり
ますからねー、取り残されていっちゃう(笑)
―今までの競技生活の中で一番悔しかったことは何でしょうか?やはり長野五輪代表から漏れたことでしょ
うか?
村主:そうですねー。あれはその後スケートを続けていく上でいい発奮材料にはなりましたね。その後、佐
藤先生というほんとにいい先生と巡り合えてよかったなと思いますし、先生に今でもすごい感謝しています。ほんと
に鬼のように厳しい先生ですけど(笑)
―佐藤先生のレッスンはどのような感じですか?非常に冷静に穏やかにレッスンされているように見えるの
ですが・・・。
村主:ニコニコしながらすごい厳しいこと言われますねー。精神的に攻められるというか「あなたの考え方
どうしてそう甘いんだ」ってよく言われますね。もうそればっかりです。
―具体的に章枝さんはどのようなレッスンを佐藤先生から受けているのでしょう?
村主:スケートのすごく素晴らしいところは、日常の土の上では起こりえないことがスケートではできるじ
ゃないですか。なんていうのかな。佐藤先生はどうしたら「滑る」っていう良さを出せるのかとか、見ている人が「
こう滑ればこう感じる」ってい
う伝え方が(他の人とは)全然違いますよね。よく佐藤先生は「その人の感性というものもある」でも「あ
なたにはそのセンスがない」って言うことはよく言われますね。センスって言ったらその一言で尽きてしまう部分も
あるらしいんですけど、でもやはり滑り方とか力のかけ方とか「あー、こういう風にすれば滑るんだ」っていうのは
ありますね。しかし先生がいくら指導しても、先生が滑るんじゃないから、生徒にも感じるものがないと滑れないで
すよね。だから(感じるということは)難しいですよねー。私はそういうエッジワークのことを一から学んでないで
すから「最初からついていたら、どんなに違ったことか」とは思います。
あと先生は小出しにレッスンするんですよ(笑)。佐藤先生に変わったとき、それまでに身についた私のパ
ターンというものがあったので、やはり急に変えるということには先生もとても気を使っていらしたみたいです。<
BR>
―滑るときに心がけている点などありますか?
村主:フィギュアスケートというのは、もちろん見ている人がいて下さって初めて成り立つ競技だと思って
いるので、やはりフィギュアスケートの素晴らしさというのをいつも伝えたいとは思っています。あとは私の最終的
なゴールは「一人のアーティストとして認められる」っていうなので・・・。でもそれはすごく難しいです。
やはり芸術はすごいですよ。先日も「世界バレエフェスティバル」っていう世界トップのバレリーナばかり
が出演している公演を見に行ってきたのですけど、もうほんとすごかった。最初からずーっと「ブラボー」って感じ
で全員がすごかったです。離れていてもすごく伝わってくるものがあるんですよ。ほんとに「素晴らしい」の一言に
尽きました。ああいうのを見るともちろん私も含めてですけど、「あ、フィギュアスケートってまだまだああいうも
のからは劣るなー」と思いました。私自身もああいったもののように、ほんとにたくさんの人々に見にいただけるよ
うなスケーターになりたいと思います。
―バレエが「芸術」というのに対して、フィギュアスケートは「スポーツ」ですよね。その辺どうお考えで
すか?
村主:そうですね。その部分が非常に難しいと思います。でもやはり歴代のスケーターの中で素晴らしい=
名演技だって言われていたスケーターがいますから、できないことはないと思います。ルー・チェンがサンドラ・ベ
ジックの振付で世界選手権で披露した演技もすごかったですし、やはりああいうのは歴史に残る名演技だと思う。佐
藤先生から「あなたのそういうものじゃ、残らない」って言われますからねー。
―人々の心に残る演技をするために今後どう滑ればいいと思いますか?
村主:そうですね。逆に全体的に技術がもっとあれば、芸術に余裕ができるので、できるんじゃないかなと
思いますね。なかなか技術がついていかないから難しいですね。やはり「心・技・体」全て揃ってそういったものが
成り立つと思うので、その全てが成り立つようにしたいです。
―今シーズン入るに当たって目標を教えていただけますか?
村主:今年こそは満足のできる、先ほど言ったように「一人のアーティストとして残る」というのが私の毎
年の目標だと思います。
―「今年こそは(満足したい)」と言われましたが、こちらから見てソルトレーク五輪のときなどはノーミ
スの演技で素晴らしかったように見えましたが、あの時点で満足されていなかったのでしょうか?
村主:いやー、あれじゃまだまだですよね。まあ、私があの時に持っている技術やレベルを考えたら、ほん
とにある程度のものを出し切ったと思います。けれどもそのものに満足はしていないですね。いつもプログラムが消
化しきれてないとか、いろんな細かいところが出てきますから。年々少しずつは良くなってきているかなとは思うけ
れども、満足してしまったらそこで終わりだと思う。ほんとに欲深いというのか、なんだかわからないですけれども
、やはり次から次へ「こうしたい」っていうのは出てきますね。各界のアーティストの方から「あれは素晴らしかっ
た」というのを作り上げたいなとは思いますね。それはほんとに難しいと思います。人の心に残らなかったら、「忘
れられてしまう」ので記憶に残るスケーターになりたいです。「記憶に残る、ああいうスケーターがいたな」って人
々の心に残っていければ、幸せだなーと思います。
ーお疲れのところありがとうございました。今シーズンも更なるご活躍をお祈りしております。
村主はよく「人の心に残る演技をしたい」と言う。彼女は自分の演技に満足することなく、常に「更に上
へ」と貪欲に次から次へ新しいものに挑戦しているのだ。そのために「今、自分は何をすべきか」ということがはっ
きり分かっている選手でもあり、自分にも厳しい。彼女が土壇場の大会で強く、世界選手権2
年連続メダルを獲得しているのも、その辺りにあるのだろう。
また現在日本のトップで活躍しているスケーターのほぼ全員が小学生の頃から野辺山の合宿で発掘されて
いるのに対して、村主の芽が出始めたのは中学3年生という、日本人スケーターとしては遅い時期であった。本格的
に練習をするようになってたった一年間で「5種類のトリプルジャンプが飛べるようになった」ということは驚きで
非凡な才能に変わりはない。しかし、たとえ早く芽が出なくとも、彼女のように遅くして花が開き、世界で活躍して
いる日本人スケーターもいるという事実を、私たちは忘れず未来へ続くスケーター、父兄にも伝えたい。
アイスショー公演の約2
時間前に行われる足慣らし(練習)も少し見せてもらったが、足慣らしをパスしたり、軽く流しているのに対して、村主はウォークマンを耳にかけながら、ウオーミングアップに時間をかけ、普段と
変わりなく真剣に練習していた。インタビューでは村主が私を逆質問するという茶目っ気を見せる場面もあったが、
スケートに対する熱い思いが伝わってきた。今後も一アーティストとして、更に「記憶に残る」、見ているものが心
震わすような名演技を披露して欲しいと思う。(取材・文 今川知子)

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