国際社会の正義を考える

~'06 多文化共生論~ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PROLOGUE

-UNITED NATIONS-

 

 

 

 

 

 

 

 

0554012  田美織

 

 

 

国連が創設されて60年あまり。現在に至るまで国際社会で国連は様々な役割を果たしてきたし、その意味で国連はこれからの国際社会においても欠くことはできないものであるだろう。しかしながら、現在国連は様々な問題を抱えているという状況もある。その様々な問題を、国連改革を中心に見ていき、国連の現状と問題点に迫りたいと思う。そして国連の正義、ひいては国際社会の正義について考えていきたいと思う。

 

国連の創設とその目的

 まずは導入として、国連がどのような目的で創設されたのかということについて述べようと思う。

 国連が創設されたのは1945年のこと。人類は二度の過ちを犯し、言葉を絶するほどの悲惨な経験をした。世界大戦である。その戦争という過ちを二度と繰り返さない、そしてこれからの将来の世代を戦争の惨害から救うために、国連は創設されたのである。この世界平和を構築し、維持していくためには、すべての人類の基本的人権、人間としての尊厳と価値、男女・国家の大小に関わらず有する同等の権利を保障すべきだと確認した。正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを目指している。このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するために力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、努力を結集することに決定したとしている。つまり国連とは、世界の友好的平和と人々の生活・安全・自由を保障するために創設されたのである。ゆえに国連とは、各機関を通じて活動をし、加盟国の話し合いの場として、世界平和と世界の正義を保つことを目的としている。

 

国連における『正義』

 ここでは、私の考える国連の『正義』について述べたいと思う。先ほど述べたように、国連というものは、そもそも世界の恒久的平和を将来にわたって維持していき、人々の自由と安全を守るために創設され、そのことを目的としている。ゆえに、国連における『正義』とは、世界の平和を維持し、人々の自由と安全を保障するための『正義』でなければならない。では、その『正義』とはどのような『正義』であるのだろうか。ここでまず押さえておきたいのは、世界の平和というのは、人々が安全であり、自由であり、幸福でなければ達成されないということ。とすると、人々を、安全・自由・幸福へと導くものは何であろう。私が考えるに、それは他人を思いやり、愛する心、そして善の味方をし、悪を決して許さない強い心である。他人というのも、単に自分の周りだけではない。国籍・宗教などを超えた全人類のことだ。そのことを具体的に言い換えれば、国連において加盟国は自国の利益にとらわれず、全人類の利益を考えて行動するべきであるということだ。そして国連は加盟国がそのような行動をとるように、監督をし、間違いを犯している国家があれば、その間違いを正すことができなければならない。そのために、国連は善と悪とをはっきりと測ることのできるものさしを持たなければならない。つまり私が考えるに、『正義』とは、広く善人を愛し、その人々の利益となることをし、悪と戦い、善を守ることだ。

 

国連の現状と問題点

このような経緯で創設された国連であるが、現在国連はどのような問題を抱えているのだろうか。ここからは国連改革の概要、そして現在国連が抱えている様々な問題点について触れていこう。

●国連改革の概要と達成度

  〈国連改革概要〉

   ①事務局及び運営改革

     ・内部監査部の強化

     ・国連監査システムに関する外部評価

     ・独立監査諮問委員会設置

     ・5年以上たった各機関、組織のすべての権限見直し

     ・予算、財務、人的資源に関する政策、規定、規則を現在のニーズに合わせる

     ・倫理オフィス設置

   ②平和構築委員会設置

   ③人権理事会設置

   ④人権高等弁務官事務所強化

 〈達成度〉(20059月に採択された成果文書による)

   ①開発:「15年までに国内総生産の0.7%を政府の途上国援助に当てる」との目標に向け、先進国が日程を立てる

       達成度→△

   ②軍縮と核不拡散:(文書から削除された)

       達成度→×

   ③テロリズム:あらゆる形のテロを批判(テロの定義は合意できず)

       達成度→△

   ④「保護する責任」:虐殺、戦争犯罪から保護する責任は国際社会にもある(明記)

       達成度→○

   ⑤人権理事会:06年中に創設(構成などでは合意できず)

       達成度→△

   ⑥平和構築委員会:05年内に活動開始

       達成度→○

 ここからは、国連の現状と現在抱える様々な問題点について見ていきたいと思う。

 

●職員不足

  2001年現在、世界中の国連事務所で働く国連職員は14,874人。20004月現在の東

 京都の職員が12,700人であるのに比べれば、人手不足であるというのは歴然としている。

 また、国連、およびユニセフや国連難民高等弁護官事務所を含む29の国連の専門機関、

 基金、計画では、およそ61,000人が働いている。ちなみにウィーン市の職員は70,000         

 人。ディズニーランド、ディズニーワールド、ユーロ・ディズニーで働く人だけでも、国連システム全体で働く人の数を上回っている。現在の国連では、地方公共団体並みの職員数で世界中のあらゆる問題を解決しようとしているというのが現状なのだ。

 

●分担金の滞納

  2001年末現在、国連の加盟国の分担金の滞納は22億ドルにのぼった。分担金の滞納

額が最も大きいのは、国連職員数が加盟国中最大である米国だ。2001年末現在、アメリ

カの滞納額は87,100万ドルにのぼっている。アメリカのほか、安保理の常任理事国

では、英国、ロシア、中国も分担金を何年も滞納しており、一向に払う気配を見せてい

ない。また、通常の分担金のほかに、平和維持活動への分担金がある。こちらの滞納も

ひどい。2004年末現在、米国は17億ドルのうち、7億ドルを滞納している。他の国でも、

請求額に占める滞納額の割合が、中国(64%)、ドイツ(25%)、フランス(31%)、イタ

リア(31%)と高くなっている。中でも最もひどいのが韓国で、2004年末現在、請求額

1816万ドルに対し、7030万ドルと滞納している。その割合、国連分担金上位10

国のなかでトップの65%だ。ちなみに韓国は、通常の国連分担金も13,000万ドル滞

納している。現状として、加盟国の滞納が国連を財政危機に陥れてしまっている。

 

●予算

  2002年の国連通常予算は13億ドル。この額で、ニューヨーク、ジュネーヴ、ナイロ

 ビ、ウィーンをはじめとする世界各国の国連事務所の運営をまかなっているのが現状だ。

 ちなみに、欧州共同体の管理費は45億ドルであり、チューリッヒ市でも31億ドル、東

 京消防庁でも18億ドルの予算を計上している。それと比べれば、国連の予算がいかに少

 ないかわかるだろう。また、国連平和維持活動の分担金総額も非常に少ない。2001年に

 30億ドルをやや上回ったが、これは世界の軍事支出の0.2%以下である(日本の2002

 度防衛費予算は49,560億円)。加盟国の分担金滞納とあいまって、国連は深刻な資金

 不足に陥っている。

  また、2005年から2006年にかけて予算をめぐって国連がゆれた。国連改革が一向に進まないと見た米国が予算を「人質」にとったのだ。通常国連の予算というのは2年ごとに組まれるのが慣例。しかしながら、米国が日本、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとともに暫定予算案を出した。暫定予算とは、分担金を加盟国から徴収した上で、3~4か月分の支出のみを認めるというもの。事務局側の「3ヶ月の暫定予算では32000万ドル(約374億円)以上の歳入不足が見込まれ、職員の給与遅配や出張制限につながる」とした意見や、途上国からの反発があって、2006年から2007年度の通常予算を一括承認する代わりに、半年分に限り支出を容認することでお互いが妥協した。今回は妥協案を見出すことができたからよかったものの、これからも予算決議が問題になるかもしれない。分担金の多い国が何らかの案を出し、それが通らなかったということで分担金を減らすことをやりかねないということも懸念される。

 

●疑問の多い支出

  深刻な資金不足に陥っている国連だが、その使い道など国連に全く過失はないのかと

 いうとそうではない。国連の内部査察室の平和維持活動の査察結果によると、1995年以

降だけでも内部査察室が問題を指摘した部隊は20部隊以上、総額100億円の無駄遣い

指摘されている。指摘後、PKO100億円の一部を回収したり、支出停止をしたりはしているようだ。無駄遣いの内容は、不必要な物品の購入、出張費の水増し請求等々。その背景には担当官と納入者の癒着などがある。PKO局のウィルハースト広報官は「最大の問題は、現場に部隊管理の経験を積んだ人材が少なく、現場を監督する国連本部の要員も限られているということだ。要員増加のための予算を増やして欲しい」と言っている。ここでも、やはり、職員不足、資金不足と関連してこのような問題が発生してしまっている。

 また、受注をめぐっても、公正であるのか疑問が残る事実がある。2000年、ニューヨークの国連事務局が承認した購買諸経費は68,800万ドルであったが、そのうち28%(19,500万ドル)をアメリカの企業が受注した。 国連システム全体でみると、2000年に購入された物品やサービスの費用の合計は37億ドル、そのうちアメリカの企業が受注したのは52,700万ドル(14%)。この金額は、2番目に多かった国に比べても2倍以上になる。あまりにアメリカに偏りすぎており、癒着があるのではないかということを考えてしまう。また、国連ならば、いろんな国の企業へと受注をし、多くの国の経済を潤す手助けをすることも大切なのではないだろうか。

 

●事務総長

  現在国連ではアナン事務総長とボルトン米国連大使の対立が激しさを増している。米

 国好みの効率的な国連を目指して大胆な改革を行おうとするボルトン大使と、アナン事

務総長の意見が食い違っているためだ。米国からのアナン事務総長に対する風当たりが

強まっている上、旧フセイン政権時代のイラク人道支援計画をめぐる不正問題のために

辞任まで求められる状況となっている。不正問題とは旧フセイン政権時代のイラク人道

支援計画「石油と食糧交換計画」疑惑へのアナン氏の長男の関与が取りざたされ、汚職

により事務局から逮捕者を出すまでに至ったものだ。また、米国のイラク戦争に対して

批判的であり、アナン氏を支えてきた側近であるブラヒミ事務総長特別顧問、イクバル

官房長、プレンダーガスト政治局長が相次いで国連を去り、後任には米国受けが抜群に

いいブラウン氏などが就任し、アナン事務総長は米国の国連批判に一人で立ち向かわな

くてはならなくなってしまっているのである。

 また、アナン事務総長の任期が06年末で切れるということで、次期事務総長の選任に

焦点が集まっている。アナン事務総長や多くの途上国は、地域グループの輪番で候補を

出してきた慣行を重視し、「次はアジアから」と主張。タイのスラキアット副首相、スリ

ランカのダナパラ前国連事務次長、韓国の潘基文(パン・ギムン)外交通商部長官が立

候補の意思を示している。もし、潘基文氏が選ばれることとなれば、分担金の滞納額が

非常に多い国の人が事務総長にふさわしいかということも新たな問題となってくるであ

ろう。しかし、次はアジアからと言いながら、ここでも米国との対立が浮き彫りとなっ

ている。ボルトン大使は慣行を否定し、「幅広い選択肢から決めるべきだと強調し、米国

寄りのポーランドもクワシニエフスキ前大統領を候補とする方針だ。しかも、事務局長

の選任方法は、安保理が推薦した人物を総会が承認、任命するというもの。安保理の常

任理事国の米国が首を縦に振らなければ決まらない。結局は五つの常任理事国が中心に

なって決めるというのが現実だ。この選任方法も改正を検討すべき重要な課題である。

 

●国連人権委員会から国連人権理事会へ

  もともと国連には国連人権委員会があった。しかしながらその組織は多数の問題を抱えていた。一つ目に、国連人権委員会は年に16週間だけ開かれる非常設の期間であった。2つ目の問題として、国連人権委員会の理事国の問題があった。国連人権委員会の理事国は経済社会理事会のメンバー国が選挙により選出していた。しかしながら、理事国になるのには特に条件が定められておらず、数々の人権的に問題のある国が理事国となっていた。人権問題を扱うNGOには、中国、キューバ、ジンバブエ、サウジアラビア、ロシア、パキスタンなどの適確性を疑問視する意見が存在。また、議長国となったスーダンも、ダウフール紛争で劣悪な人権状況にあると指摘されていた。このような問題を受けて、20066月から常設の機関である国連人権理事会が創設されることとなった。国連人権委員会は経済社会理事会の機能委員会であったのに対し、国連人権理事会は国連直属の機関となった。そのため、理事国も総会で秘密投票によって選出される。国連人権理事会は47の理事国からなり、最高水準の人権状況が求められている。理事国に深刻かつ組織的な人権侵害があったときには、国連総会で投票国の3分の2以上の賛成により理事国の資格を停止できることも盛り込まれた。この意味で国連人権理事会は画期的であるだろう。しかしながら、国連人権理事会にもNGOから適確性を疑問視されていた中国やサウジアラビアが理事国として入った。また、途上国から国連人権理事会に対する懸念が生まれてもいる。国内の人権問題を国際社会の問題として取り上げることで、「内政干渉」とはねつけることが許されなくなった。だが、このことを逆の側面から見て、「大国が多くの国々を支配する口実になりうる」と警戒する声も出ている。理事国選出や、国連人権理事会の運営において、総会における加盟国の意見だけでなく、人権問題を専門的に取り扱っているNGOの意見や見解をどこまで組み込めるようになるかが、今後の国連人権理事会の行方を左右すると思われる。

またこの国連人権理事会の創設においても、米国と途上国が対立した。米国は安保理の常任理事国が自動的に理事国になれるようにする一方で、他の国が理事国になるには一定の加盟条件を設けるべきだとした。もし、常任理事国が自動的に加盟できることとなれば、国際社会で人権問題の批判を受けている中国・ロシアが自動的に加盟できることとなってしまう。そのことに途上国をはじめとした多くの国が反発した。結果的に、常任理事国が自動的に加盟できることは認められず、そのことでアメリカは国連人権理事会創設に反対した。結局、国連人権理事会の創設を受けて、アメリカは協力していくことを表明したが、いつアメリカの態度が変わるとも言えない。国連人権理事会はスタートを切ったばかりであるが、充実した組織となるためには、まだまだ解決せねばならない課題がいっぱいだ。

 

●安保理改革

  安全保障理事会の常任理事国は知ってのとおり、米国、英国、フランス、ロシア、中国である。この5カ国は第二次世界大戦の戦勝国に過ぎず、いまや時代の流れにあわなくなってきているとの意見もある。地域的に見ても、アフリカ、南米が含まれておらず、偏ってしまっている。このような状況では、安保理がすべての加盟国の意見を反映しているとは言えない。また、常任理事国に拒否権を与え、かつ五大国一致の原則を設けているために、冷戦時には米国とソ連が互いに拒否権を行使して安保理の機能が停止した歴史もあった。そのようなことを受け、国連では安保理改革として、安保理拡大に動き出した。常任理事国入りを目指し、安保理改革を推進したのは、日本、ドイツ、インド、ブラジル。しかしながら、2005年に出された、安保理を25カ国に拡大し、常任理事国を6カ国増やすというG4決議案は採択されなかった。また仮にG4案が採択されたとしても、国連憲章の改正は容易なものではない。国連憲章改正には加盟国の3分の2以上の賛成が必要とされ、さらにその発効には、常任理事国5カ国を含む3分の2以上の加盟国の批准が必要だからである。現状として、早急な安保理において強い力を行使し続けたいということで、安保理改革を望まない米国や中国とG4諸国が対立するかたちとなっている。他国からも、G4と歩調を合わせるような発言をする事務総長に「調停役となるはずの事務総長が中立性を失った」と批判が集まっている状況もある。これまで共同歩調をとっていたG4のうちドイツ、インド、ブラジルが日本の説得を振り切って枠組み決議案を再提出したことで、「G4分裂」も始まってしまっている。国連の中において、総会では加盟国が平等に1票を持っている一方で、安保理では5大国が拒否権という非常に大きな力を持っている。この開きをそのままにしておいていいものだろうか。安保理において5つの国のみが強大な力を持っているこの状況も考え直さなければならない課題であるだろう。

 

●成果文書/軍縮と核拡散

  2005年に成果文書からは、軍縮と核不拡散に触れたくだりがすべて削除された。核保有国の軍縮義務の記述を削除するように求めた米国に、「核不拡散の義務だけを押し付けるのはおかしい」とイスラム諸国を中心とする途上国が反発。結果的にどちらも譲らなかった。結局、テロの定義づけもできないまま成果文書を採択してしまった。

  また、成果文書の作成においても、ボルトン米国大使は最終段階で数百ヵ所の修正を要求するなど、ここでも米国の国連に対する強引な姿勢が見られた。

 

●米国VS途上国

  戦後、51カ国で出発した国連は、旧植民地の独立で加盟国が増え、創設を主導した米国の相対的な重みが低下した。米国国内の世論でも、「非効率になった」として、国連組織への風当たりは強い。途上国など、いわゆる米国の非同盟諸国が発言力を高めると、米国は80年代半ばから、さまざまな国連批判を展開するようになった。現在の国連は、ボルトン米国大使が声高に改革を主張すればするほど、途上国や事務局の反発が強まる構図に陥っている。米国の言う国連改革が、結局はパレスチナ問題など、国連の中でも特に米国政府が気に入らない分野の組織、プロジェクトを狙い撃ちにするのでは、という不安があるからだ。上記でも触れてきたように、米国と途上国の対立点は多々ある。その対立点についてまとめようと思う。

 〈国連において重視するもの〉

   米国の主張 :安全保障理事会(安保理において素早く実効的な決断を下せるという「効率性」を重視)

   途上国の主張:総会(すべての加盟国が平等である総会の「正当性」を重視)

 〈開発〉

   米国の主張 :数値目標明記に反対

   途上国の主張:政府の途上国援助(ODA)目標額の明記を主張

 〈軍縮と核不拡散〉

   米国の主張 :核軍縮や包括的核実験禁止条約(CTBT)の明記に反対

   途上国の主張:核軍縮の停滞を非難

 〈テロリズム〉

   米国の主張 :例外のないテロリズムへの非難を主張

   途上国の主張:中東諸国などが「自決のために抵抗する権利」と主張

 〈保護する責任〉

   米国の主張 :安保理による人道的介入を容認

   途上国の主張:「大国の武力介入につながる」と反対

 〈人権理事会〉

   米国の主張 :メンバー選出要件を厳格に規定

   途上国の主張:要件厳格化に反対

 〈平和構築委員会〉

   米国の主張 :安保理直轄を主張

   途上国の主張:総会の関与を主張

 

●弱い国連

  ここでは、国連改革とは別に、設立当初から抱えている国連の問題について触れたいと思う。現在国連の位置づけとして、いわゆる『世界政府』ではなく、『主権国家の組合』という位置づけになっている。ゆえに、国際社会的な観点から見て、明らかに非人道的であると思われる行為が行われていても、その国が「内政干渉だ」といえば、国連はそれ以上踏み込むことはできない。それが国連の弱さである。安保理の問題とも関連することなのであるが、特に国連は常任理事国に関連することには踏み込みにくい。例えば、常任理事国である国の国内で非人道的な行為が行われたとしても、その常任理事国が拒否権を発動すれば、安保理は何の制裁を加えることもできない。この状況は、冷戦時代に起こっているが、様々な国が対立する今日、このような状況が再び生まれることがないとは言えない。当時のように『平和のための結集決議』が成功すればいいが、加盟国も増え、対立も抱えている今日の国連において、また成功するとは言いかねる。

 

●国連の現状と問題点の総括

  国連の現状と問題点を見ていって浮き彫りとなったのは、国連そのものの持つ軟弱さ、そして国連において強引な振る舞いをする国と、その国に対して反感を持つ国家との対立である。国連において強引な振る舞いをする国が存在すること自体も、まさに国連の弱さを露呈していると言えよう。現在の国連は腐敗への道をたどってしまってはいないだろうか。果たして、国連は軟弱なまま、加盟国に強引な行動をとらせ続けていいのだろうか、また加盟国は、その国連の弱みに付け込んで強引な行動をとり続けていいものであるだろうか……。

 

国連における『正義』の考察と結論~国連はどうあるべきか~

 以上見てきたように国連には様々な問題があるわけであるが、それらは、自国の利益ばかりに加盟国がとらわれてしまっているということ、そして国連がそのような状況を許すような体制となっていることに起因すると言えよう。そのことを正すためには、私が始めに考えた『正義』が必要だという意見は変わらない。しかしながら、その『正義』だけで完璧だろうか。ここからは、私の考えた『正義』を、相反する意見と対立させ、最終的に本当に『正義』と考えられるもの、そして国連はどうあるべきかという答えを導き出していきたいと思う。

 まず、私が最初に定義した『正義』について、どのようなものであったかもう一度確認しておこう。私は国連における『正義』は、広く善人を愛し、その人々の利益となることをし、悪と戦い、善を守ることだとした。国連において、加盟国が自国の利益にとらわれず、地球全体の人類の利益を考えて行動することが望ましく、国連は国際社会における善悪を正しく測ることが『正義』に基づいて求められる。ここで、相反する意見として、いやいや国家は自国の国民を守るために、地球全体の利益ではなく、まずは自国の利益を優先すべきだという意見があるだろう。自国が平和であり、幸せでなければ、他国ひいては世界を平和に、そして幸せにはできないだろうと。しかし、この考えは現在の国際社会における図式、つまり、“ナショナルトラストVSナショナルトラスト”の図式において、ただ通用しているだけではなかろうか。国益がぶつかり合う状況においては、自国を守るために、自国の利益を考えなければならないだろう。それならば、この現在の国際社会の図式を転換させればよいのではないだろうか。私はそう思うわけである。国家は“ナショナルトラスト”ではなく、“インターナショナルトラスト”を尊重する。“インターナショナルトラスト”を目指していくことで、世界全体が幸福へと導かれる。そのようになるべきだと私は思う。みなが“地球人”として、“地球人”を愛し、思いやり、“地球人”の利益を考えることがまさに望ましい。ここで、“インターナショナルトラスト”といっても、多様な世界において、そのようにまとまることが可能なのかという疑問を持つ人がいるだろう。そこで私は国連が、世界を統制する機関、つまり“世界政府”の役割を果たすものへとなることを理想と考える。また、このことが“インターナショナルトラスト”とはどのように考え出すべきなのかという疑問も解消してくれると思う。国連という“世界政府”がこの“インターナショナルトラスト”の判断をすればよいのだ。“インターナショナルトラスト”を考える際に必要なのは、善悪を正しく測るものさしであろう。さて、では善悪を正しく測るものさしとは何なのか、どうすれば善悪を正しく測ることができるのだろか、ということを考えなければならない。善悪を測る上で大切なのは道徳だと思う。道徳的に見て、世界の平和、人々の普遍的な安全・自由・幸福を守るものは善、そうでないものは悪だと言えるだろう。このようにして善悪を判断したならば、悪を排除しなければならない。現在の国連はこの悪を排除する強さを持ち合わせていない。国連が“世界政府”として機能するためには、この強さをもつことが必要だ。この強さを持ち合わせることで、国際社会から見れば、明らかに非人道的な行為を行っている国も、「内政干渉だ」といって道徳的に正しい介入を拒否することはできなくなる。ここで、政府がその強さを濫用して暴走したら…、という危惧があるかもしれない。だが、広く善人を愛し、その人々の利益となることをし、悪と戦い、善を守るという『正義』が保たれれば、そのようなことは起きないはずである。また、そのようなことが起きないように、この『正義』を保つ努力を絶えずしなければならない。この強さとは、理にかなった強さと言えるだろう。また他にも、国連が“世界政府”という役割を果たすことで、世界が画一化されてしまうのではという危惧もあるだろう。しかしながら、“世界政府”といっても、それは世界を支配して画一化していくものではないと私は考える。各国家を束ねる代表機関という位置づけであるのだ。ゆえに、人々は“何人”としてのアイデンティティを持ちつつも、“地球人”として、二つの側面をうまく持ち合わせていくことが最良であると思われる。

 以上いろいろと述べてきたが、結論を述べると、国連は、国際社会における善悪を測るものさしと、悪を排除する理にかなった強さを持つ、各国の代表機関“世界政府”となるべきであり、加盟国、さらに広くいえば人類は“地球人”として“地球人”の利益を考えて行動していかなければならないということだ。そして、私が結論として考える国連における『正義』とは、“地球人”として広く善人を愛し、その人々の利益となることをし、悪と理にかなった強さで戦い、善を守ることである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER Ⅰ

-SOMALIA-

 

 

 

 

 

 

0554024   梶原麻里奈

 

 

 

 

ソマリア          

「ソマリア民主共和国」は、91年に内戦が勃発、現在に至るまで対立氏族間の抗争が続いており、全土を実効的に支配する統一政府は存在しない。国土面積は日本の約1.8倍である638km2。人口990万人(2004年現在)の国である。

 

歴史

ソマリア北部は1960年6月26日にイギリスから、南部は同年7月1日にイタリアから独立し、同時に両者は合併してソマリア共和国となった。1969年10月、クーデターでモハメド・シアド・バーレ少将が実権を握り、国名をソマリア民主共和国に変更。1970年10月には社会主義国家を宣言し一党独裁体制に。1980年1月、バーレが大統領に。1977年にエチオピア(キューバ、ソ連の支援有)と戦闘状態になり敗戦、大きな損害を受ける(アフリカの角戦争)。1982年から反政府武装闘争が表面化。1991年1月、反政府勢力統一ソマリア会議(USC)が首都を制圧。バーレ大統領を追放し、暫定大統領が就任するものの、各勢力の内部抗争が表面化し、南北が再び分裂。USC内でもアイディード将軍派、モハメド派が対立。攻撃を避け首都を脱出したモハメド暫定大統領は1991年12月、国連にPKO部隊派遣を要請した。その後も内戦は激化。1992年12月、国連安全保障理事会はUNOSOMⅠのために米軍中心の多国籍軍を派遣。1993年5月、武力行使を認めたUNOSOMⅡが展開したが、米軍がモガディシュの戦闘(1993年10月3日、首都モガディシュで発生した米軍とソマリア民兵との戦闘)で失敗し撤退、国連活動も全て撤収した。1995年3月、中央政府もなく首都も二分されたままで最後のPKO部隊が撤退した。民兵、民衆に引きずられる米兵(図1)

 

国連の動き

1991年、バーレ政権崩壊後、際限のない抗争が続く中、旱魃と国内経済の崩壊によって1日推定3000人の飢餓者、全人口の5分の1にあたる170万人の流民が生まれ、ソマリアは未曾有の人道的危機に陥った。

UNOSOMⅠ→人道援助と停戦監視の双方を任務とするもの。非武装の監視団50人と軽武装の監視団500人から構成された。

UNOSOMⅠが内戦の現地状態の悪化によって十分に機能できないことが明らかになり、米

軍中心の多国籍軍(UNITAF)が派遣された。これは、ソマリアでの「大規模な人間の悲

劇」を「国際の平和と安全への脅威」と認定したうえで、憲章第7章のもとに「あらゆる

必要な措置」をとることが容認されたもの。

 

UNITAF→人道的救援物資を行き渡らせるために必要とされる安全な環境の確立を目指す

(空港、港湾の制圧、救援センターの確保、輸送路の確保や救援物資配送の護衛

に限られる)。あくまでも人道援助のサポート。

しかし、圧倒的な兵力による国際介入の前に、UNOSOMⅠの段階では抵抗を見せていた武装勢力の抵抗もやみ、効果が確実に上がる。「希望回復作戦(空港、港の制圧、救援センターの確保、輸送路の確保により援助物資の大量搬入を可能にし、配給再開を図るもの)」の効果により、作戦から二ヶ月で一日平均3000人の餓死者から1000人未満へと状態好転。 

 

UNOSOMⅡ→1993年3月26日に設置された平和強制を行う史上初めてのPKO。PKOでありながら人道援助のみならず、戦闘阻止、強制武装解除、警察・司法を含む統治機構の構築など、まさに国家そのものの再建援助が任務とされた。

同年6月5日、アイディード派によるUNOSOMⅡ部隊への攻撃・殺害事件が発生する

と、翌日6日、UNOSOMⅡのソマリア全土での実効的権限を確立するために、あらゆ

る必要な措置をとる権限が与えられた。UNOSOMⅡは、飢餓状態の緩和など人道面で

成果をあげたものの、強制行動を行うことによって自らが紛争当事者となり、数千人の犠

牲者が国連側にも出た。その後、モガディシュの戦闘の影響により、各国が人道目的より

も自国の利益(この場合、自国の兵士の命)を優先させ、部隊撤収。国連活動は全て撤退

した。

 

飢餓

国内情勢が悪化している中、わずかに生産される食料は作るそばから、武器を持った強盗集団に奪われた。見る間に飢餓は広がり、飢餓者が続出する。その飢餓者の大部分は当然の事ながら、武器をもたない老人、子ども、女性であった。食料不足から国を捨て、イエメン、ケニアに脱出する難民も激増した。1992年国連、赤十字やNGO団体によって食糧援助が行われるが、武装勢力による援助物質の強盗・略奪、NGOへの襲撃・殺害によって、援助活動は阻害された。現地での状況は悪化の一途をたどり、それぞれの武装勢力は軍隊というより、食料ゲリラ、武装強盗団というものになりつつあった。PKOでも状態を解決できない現実に対して国連は、国連初の「人道目的のPKF活動」を決定。米国が主力となる国連平和維持軍がソマリアに展開され、この作戦は「希望回復作戦(Operation Restore Hope)と呼ばれた。

また、旱魃(4年も続いた)により大量の家畜が失われるなど、旱魃による家畜の危機、負債、経済停滞ももたらされた。(図2,3)

 

   

 

国連撤退

ソマリア紛争を人道的に解決しようとした国連PKFは失敗に終わる。内戦は継続し、今も無政府状態が続いている。 96年のアイディード将軍の死後、息子のフセイン・アイディード(元アメリカ海兵隊員)がその跡を継いだ。墜落したブラックホークや破壊された装甲車の残骸は、現在もモガディシオに残されている。

『最終的には22カ国の兵士が、維持する平和など無かった土地で、国連平和維持軍に参加した。何人の兵士達が命を落としたことだろうか。(中略) ソマリア人を助けにいって、ソマリア人に殺される理不尽さに腹が立つ。これをはるかに超えるソマリア人が、希望回復作戦以後、命を落としたことも間違いない。ソマリア人を助けにいって、ソマリア人を殺すはめになった理不尽も悲しい。ソマリア人の犠牲者については、確かな数字さえ存在しない。自業自得のものもいる。けれど、戦争はいつも罪のない多くの犠牲者も作り出す。』(「ソマリア・レポート」)

 

 

国連の問題点

 

UNOSOMⅠ

     活動に紛争側の同意を必要とするために時間がかかり、間に合わなかった。

     軽武装、兵力不足で十分な活動を行えなかった。

 

UNITAF

     武装解除を含まない→短期的、局部的な人道状況の改善に過ぎない?

ソマリアの事態の深刻さは、大量の武器流入により国内闘争が過激化することにもあり、武装解除は人道的援助の確立には欠かせない条件だったと言われる。UNITAFは武装諸集団の武装解除については消極的だったため、長期にわたるソマリア全土の人道状況の安定に寄与することはできなかった

 

UNOSOMⅡ

・掲げる課題に対してUNOSOMⅡの兵力が小さかった

    (発足時1万6000人、UNITAFのピーク時は3万7000人)→武装勢力が露骨な抵抗を示すようになった

 

・国連事務総長の統制権限が十分に行使されなかった

国連事務総長の下に指揮が統制された→軍事的またはその他の措置に抑制を及ぼすため。しかし、米軍は事務総長の指揮の傘下に入らず、UNOSOMⅡの枠外で軍事作戦を行い、介入の規模が無統制になった

 

・予想以上の負担

人道的介入を行ったはずの国連が、紛争当事者と見られかねないような泥沼状態に陥ってしまい、当初予定された武力行使を大幅に越えるものとなった。しかし、アイディード派に対して宥和政策を取れば、「国連の兵士を殺しても責任を問われない」という悪例になりかねない。

 

 

ソマリアにおける正義

  これらの問題点と、ソマリアの歴史、現状を振り返り照らし合わせてみると、そこから国連のあるべき姿が見えてくる。国連は、世界の平和と経済・社会の発展のために協力することを誓った独立国が集まってできた、世界が誇れる壮大な理念を掲げた組織である。そのような機関である国連は、世界のあらゆる情報収集を迅速に行い、それらを正確に判断して的確な処置を行い、また、持ちえる権力を最善に活かせる機関でなければならないのだ。現代の情報化社会の中で迅速に情報収集を行うことは決して不可能なことではないように思われる。しかし、紛争や内戦の最中にある国に行き、正しい情報を得てくることは容易なことではないだろう。ここで提案したいのが、国連平和維持軍を紛争や内戦が起こったときに結成する、短期間の軍隊ではなく、常に構成されている「国連軍」たるものを作ることだ。国連軍が常に結成されていれば、危険な場所に情報収集のために行く際にも、武装した軍が行けば、一般人が行くよりも安全性は確実に増す。また、国連軍が構成されていることにより、集まった情報をもとに行う処置もより正確になるだろう。平和のための戦闘を常に意識している彼らは、戦闘だけでなくあらゆる危険に対応する「専門性」を持つ。よって情報を判断し処置に至るまでのスピードも正確性も現在の国連のそれより格段にあがるであろう。最後に、国連の持つ権力の行使についてだが、これもまた適切な判断が必要となる。ここでやはり、国民が生命の危険にさらされている国へ介入する「専門性」に優れた国連軍の活躍が期待できるであろう。安全保障理事会での発言権を国連軍にあたえ、多くの情報、考察、判断を各国代表に伝えて、みなで国連の権力行使について考えを深めていかなければならない。

  これらをまとめると、まず今現在の国連に一番必要だとされているものは「常に存在している国連軍」であるとわかる。

  ではここで(1)情報収集に国連軍が出動するきっかけ(2)国連軍の当事国への介入の度合い(3)国連の具体的な権力行使 の三点について詳しく述べていくことで、ソマリアにおける国連の正義について考えてみようと思う。

 

(1)情報収集に国連軍が出動するきっかけ

上に述べたソマリアにおける国連の活動では、ソマリアでの紛争、飢餓、被害の大きさを正確に把握できていなかったことが問題視された。これは、現地からの迅速で正確な情報が国連本部に不足していたためである。そこで、武力闘争が起きたときにすぐに国連軍は当事国に入国すべきだと考える。その際に、自己防衛が可能な武装はすべきである。また、国連軍が入国する際に当事国の許可は不必要だとすべきだと私は思う。その理由は、国連軍が闘争開始直後に入国してもこの時点では情報収集のみに尽力し、武装も自己防衛だけのものに過ぎないため、その国に及ぼす影響はないに等しいと考えるからだ。

現地得た情報は随時国連本部に伝え、国連本部が国連軍の平和維持活動が必要であると確認した場合、国連軍はすぐに活動を開始するようにしなければならない。現在、国連が各国に平和維持活動をするためには、その国の許可が必要である。しかし、私はこの「許可制」を廃止すべきであると感じる。今回ソマリアへのUNOSOMⅠの出動が大幅に遅れてしまったことの原因は、ソマリア側から平和維持活動を開始する許可がおりなかったからである。国連はソマリアの被害の大きさに気づいていながらもどうすることもできなかったのだ。そこで私は国連は加入国共通の規則として「国連が平和維持活動の必要性を認めた場合は、当事国の許可なく闘争に介入する」と定めるべきであると思う。国連は世界の平和と経済・社会の発展のために協力することを誓った独立国の集まりである。そのような国連に加入しているということはその国々は世界平和を切に望んでいるはずである。だからこそ、加入国は国連が平和維持活動を必要と感じたときは、自国の思索もあるだろうが世界平和を望む集団に属する一国として、平和維持活動を受け入れるべきである。では、非加入国への平和維持活動もまた、加入国と同様、無許可で行っていいのであろうか。やはりそれは禁じられるべきである。非加入国としては自らと関係のない団体から有無を言わさず自国のことに介入されたら、侵略されているようにも感じるであろう。よって、そこで平和維持活動を開始する際には当事国の許可を得て行うべきである。

2)国連軍の当事国への介入の度合い

  まず、当事国の許可が無い状態でも自己防衛のための武装のみで情報収集することができるようにすべきだ。また、国連加入国に対しては、国連軍の必要性を本部が確認したら、ここでも無許可ですぐに出動できる。しかし、ここでの平和維持活動では基本的に武器は使わず(自己防衛のときのみ使用可能)人命救助に尽力するものであるべきである。いくら武力行使の必要性を強く感じても、その当事国の許可が下りていない限り、人命救助のみに活動を留め、武力行使は行うべきではない。やはり、国連加入国における平和維持活動であっても武力行使にすぐに至ることは、その国の自治権を阻害してしまう恐れもある。人命救助と並行して、当事国から武力行使の許可を得るために説得を続けなければならない。

(3)国連の具体的な権力行使

  具体的には、情報収集のために無許可で入国する権力、また、それが国連加入国であればすぐに平和維持活動のための国連軍を出動させることができる権力があげられる。しかしここで重要となってくるのは国連軍の指揮官である。UNOSOMⅡでは国連事務総長の指揮下に米軍が入らなかったことが大きな問題であった。そこで、国連加入国における平和維持活動の際の武力行使にはいかなる場合でも国連事務総長の許可が必要であるとすべきであると私は考える。指揮官が現場で篤く指揮をとるのでも、また、国連本部で現実を把握できないまま指揮をとるのでもなく、現場からの正確な情報をうけ、本部での許可を得て、初めて武力行使は行われるものでなければならないのだ。

また、国連により武力行使が行われても、国連側に負傷者が多く出るような活動であってはならない。負傷者の発生を最大限に防ぐため、国連には武器の充実が求められる。

 

以上のことより国連における正義について再度まとめてみたい。

まず、ソマリアは国連加入国である。よって、武力闘争が見受けられた1982年の時点で国連が介入すべきだった。しかし実際はソマリアから直接の要請を受け1991年12月に国連の介入は開始され、その被害は深刻なものとなっている。やはりこの点から見ても上で述べたように国連には常に存在している「国連軍」が必要であると私は思う。国連における正義とは「常に存在している国連軍」を作り、その活動を細かく規定し、世界平和に向けて最大限に権力を行使しつつ活動を行っていくことだと私は考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER

-PALESTINE-

 

 

 

 

 

 

 

 

0554055   高橋 みどり

 

 

 

<歴史的背景の要約>

 

パレスチナとはヨルダン川とシナイ半島に挟まれた地域を指す。もともとこの地にはペリシテ人という民族が住んでいたが、BC20C頃ヘブライ(現ユダヤ人)が侵入し、しばらくは共存したものの、BC11Cに衝突し、勝利したヘブライ人がイスラエルを建国した。しかしこの国は分裂をきっかけに弱体化し、多くの国の侵略を受けることになる。AD70年に大規模な反乱が鎮圧されると、大国再建の夢を絶たれたユダヤ人たちは世界中へ離散する。これがディアスポラ民族離散)であり、現在のパレスチナ問題の原点である。世界に散ったユダヤ人は,その各地で商人として成功する一方で,様々な差別を受けた。そのような境遇から,ユダヤ人の間に,差別のない自分たちだけの国をユダヤ教の聖地であるエルサレムに建国しようという,シオニズム運動が高まってきた。世界のユダヤ人たちは,既に住んでいたパレスチナ住民を無視して大量にこの地に移住した。ユダヤ人たちの入植後、生活様式の違いなどからパレスチナ人との対立は激しくなっていく。そこでこれを一気に先鋭化させる事態が起きた。第一次世界大戦中,イギリスはユダヤ人に,イギリスへの協力と引き換えに,エルサレムの地にユダヤ人国家を作るという約束をしたのである。これがイスラエルとなった。だがこのとき,パレスチナ難民が発生した。そこで国連から国連分割決議(エルサレムを半分ずつにしようという案)が出たが,パレスチナ人の反対で実現せず,両民族の対立によって,4回にわたる中東戦争や多数のゲリラなど,民族紛争がなお続いている。

現在、自治区からイスラエル軍は撤退したが、自治区の外での入植地建設は今でも続いている。また、自治区は何ヶ所にも分断されているうえに、自治区の外側をイスラエル軍が取り囲んでいて、しばしばイスラエル軍は自治区を封鎖するため、人々が『巨大な牢獄にいる』状況に置かれているのが現実である。

 

<パレスチナ問題現代・近代年表>

 

19世紀   シオニズム(ユダヤ民族祖国再建運動)が始まる

1897年   第一回シオニスト会議

1914年   第一次世界大戦勃発

15年   英国、アラブに対して「フサイン・マクマホン協定」(対英協力などを条件に英国はアラブ独立の支持を約束)結ぶ。

16年   英国、仏・露に対して「サイクス・ピコ協定」(オスマン帝国の領土を3国で分割とパレスチナの国際管理化を定める)結ぶ。

17年   英国、ユダヤに対して「バルフォア宣言」(パレスチナにユダヤ民族国家建設を認めると約束したが、フサイン・マクマホン書簡と矛盾)を行う。

20年   サン・レモ講和会議。英国はパレスチナ委任統治権を獲得。

パレスチナ・アラブの反英・反ユダヤ闘争が起こる

30年後半 英国、アラブの弾圧とともにシオニストへの牽制策もとる。

      ユダヤ人の英国への信頼失墜

39年   第二次世界大戦勃発

47年11月 国連パレスチナ分割決議採択
 48年 5月 イスラエル独立宣言・第1次中東戦争勃発(イスラエル勝利)
 56年10月 第2次中東戦争(イスラエル勝利)

64年5月 パレスチナ解放機構(PLO)創設

67年 6月 第3次中東戦争勃発(イスラエル圧勝)・

イスラエルがヨルダン川西岸,ガザ地区などを占領
 73年10月 第4時中東戦争(イスラエル勝利)

82年 6月 イスラエルがレバノンに侵攻
 87年12月 インティファーダ(イスラエル占領地でのパレスチナ人の抵抗運動)始  まる
 91年 1月 湾岸戦争に突入
 93年 9月 PLOとイスラエルが相互承認(オスロ合意)・
      パレスチナ暫定自治協定調印
 94年 5月 ガザ・エリコ先行自治協定調印
 95年 9月 暫定自治拡大協定調印

95年11月 イスラエルのラビン首相が暗殺される
 96年1月 パレスチナ評議会選挙実施・PLOのアラファト議長が自治政府                    初代議長に当選

2000年9月 対パレスチナ強硬派のイスラエル政党リク―ドのシャロン党首がイスラム教聖地に乗り込んだことをきっかける双方の衝突が激化

01年2月 シャロン党首がイスラエル首相に当選

01年9月 米同時多発テロ

02年3月 イスラエル軍が戦車で議長府を包囲、アラファト議長を監禁受胎状態に

02年6月 ブッシュ米大統領がアラファト議長の退陣を条件にパレスチナ暫定国家の樹立を支持する中東和平構想を発表

03年3月 パレスチナ自治政府初代首相にアッバス氏任命。

     イラク戦争

03年4月 ブッシュ米大統領がパレスチナ国家の独立を認め、イスラエルとの共存を目指す新たな中東和平構想を発表

03年5月 イスラエル側も同構想を受諾

03年6月 ブッシュ米大統領とシャロン首相、アッバス首相が中東首脳会談。イスラエル側はパレスチナ国家を容認、パレスチナは武装闘争の停止を表明

04年11月 アラファト議長死去

05年1月  パレスチナ自治政府議長選挙でアッバス氏が当選

05年9月 イスラエルガザ地区からの撤退完了

06年6月 イスラエルのガザ地区北部を誤爆によりハマスは停戦を破棄しイスラエルに対する攻撃の再開を宣言

現在    イスラエルのパレスチナに対する侵攻激化

 

 

〇イスラエル派の主張

    現在のパレスチナの地にはもともとユダヤ人が4000年以上も前から独立国として暮らしていたのに,それをアラブ人に搾取され,追い出された

    現在のヨーロッパ経済やアメリカ経済が発展したのもユダヤ人商人による力が大きいにも関わらず、世界各地で差別を受けてきたユダヤ人にとって,ユダヤ教の聖地であるエルサレムの地にイスラエルを建国することは民族として当然の権利である

    パレスチナに侵入したわけではなく,正当にパレスチナの住民から土地を買って移住した

 

〇パレスチナ派の主張

    民族の大移動は世界の各地で起こったことであるのだから、今更イスラエルが自分たちの土地であると主張するのは言いがかりである(他の地域で尚も争っているところはない)

    アラブ人も2000年以上の文明をパレスチナの地で築き上げてきた

    個人の信仰の問題とこの地とは本来無関係

    大国を後ろ盾にして軍事力や経済力に物を言わすのは卑怯であり、受け渡すことはできない

 

<現在の主な問題点>

 

①・イスラエル・パレスチナ双方が「首都」と主張する聖都エルサレムの帰属問題、

②・パレスチナ人の悲願である新国家の国境・領土を謳っての「一方的な独立宣言」、③・1948年と67年の中東戦争で離散したパレスチナ難民の帰還

 

<難民問題について>

 

中東戦争により非難していたパレスチナ人が戻ってくると、そこには非情が待っていた。イスラエル政府に帰還の拒否をされた。難民たちは国外に移民したくてもパスポートが無いため、出国さえ出来ないことになった。彼らはイスラエルに対して、「イスラエル軍が強制的に排除した」と主張した。がイスラエル側は「みずからの意志で出ていったのはアラブの指示である。だからわれわれには責任が無い」といい、難民を無視した。それだけでなく、避難民の残した土地は、放棄されたものとみなされ、次々に接収していった。実に、パレスチナ人の村の47%にも及び、これによってパレスチナ難民が生み出された。この数、数十万人。

 

また、トランス・ヨルダンはヨルダン西岸地区を併合し、いわゆるパレスチナへの裏切りを行った。興奮したパレスチナ人は、1951年エルサレムのエル=アル=サ=モスクに巡礼に来ていたトランス・ヨルダン国王を暗殺してしまったのである。

戦争の結果は、パレスチナがイスラエルに、ヨルダン西岸地区はトランス・ヨルダンに、ガザ地区はエジプトに、ハイファはイスラエルに併合されてしまったのである。つまり、今回の戦争で苦汁を飲んだのはパレスチナだけで、同盟国は土地を得たのである。

 

さて、難民たちはやり困っていた。国外に移民したくても、パスポートが無いため、出国さえ出来ないのである。彼らはイスラエルに対して、「イスラエル軍が強制的に排除した」と主張した。がイスラエル側は「みずからの意志で出ていったのはアラブの指示である。だからわれわれには責任が無い」といい、難民を無視したのである。そしてさらにはパレスチナ人の住んでいた土地を所有者不在地域として、合法的に接収し始めたのである。これは実に、パレスチナ人の村の47%にも及ぶのである。

この問題をさすがに重大視した国連は国連総会決議を言い示した。これによると、パレスチナ問題に帰還権を与え、それを拒否するものにはイスラエルが保証するよう命じたのである。これに対してイスラエルは、反乱分子の存在は国家の危機である。それに、ユダヤ難民で手いっぱいだと主張した。(これが結果で第二次中東戦争が勃発したのである。)

その後、67年の第3次中東戦争(この時、西岸とガザがイスラエルによって占領された)でも多数の難民が発生した

 

現在、全世界には約500万人のパレスチナ人がいるといわれている。この中には、イスラエルが建国されたときもその地にとどまり、その後イスラエルの国籍を得た約70万人の人々、48年以前からヨルダン川西岸やガザ地区に住んでいて長くイスラエルの占領下に置かれた人々、欧米に移住した人々も含んでいる。

国連は、パレスチナ難民に対して元の居住地に帰る帰還権を認め、また帰らない場合でも財産などの保証を認めているが、イスラエルはこれを拒否している。

<考察・パレスチナにおける正義>

 

正義とは、社会全体の幸福を保証する秩序を実現し維持することである。プラトンはこれを、国家の各成員がそれぞれの責務を果たし、国家全体として調和があることと定義づけた。

私は以前、正義とは自らの友を信じ、守ることだと考えていたが、それでは「悪」とした側の言い分を無視することになるし、不幸になる者が現れてしまう。プラトンのいうように、本当に道理にかなった、人間として正しい行いをしているのはどちらかという判断を踏まえた解決策を求め、それぞれが責任をもって全体の調和を考えて、それを実現することの上に「正義」が成り立つのであろう。

 

しかしこれは現実的には難しいものである。

 

パレスチナ問題は、現代の解決しえない難題であるかのように見受けられる。この問題には様々な「正義」が交錯している。イスラエルの主張する「正義」、パレスチナの主張する「正義」、アメリカの主張する「正義」、さらに各マスコミの主張する「正義」もそうであるし、どの「正義」の言い分も一見正当であるかのように思える。

しかし、この問題は考えようによっては、そもそもパレスチナ半島にほとんど居住していなかったユダヤ人が、国家を建設したことに起因しているので、本来ならイスラエル側に100%責任があるのではないかと私は最初考えた。だがここで、どの民族も等しく平和に暮らす権利があるといってパレスチナを支持することを正義と考えると、同時に過去のユダヤ人の歴史からイスラエルという国家を認めなければならないことになる。この辺をどのように判断するのかは微妙であるし、だからこそ現在まで続いてきた問題なのであろう。また現実的に考えると、パレスチナ人にイスラエル全土を与えよと言う方もいるが、もはやパレスチナで暮らすイスラエル人すべてが退去することは不可能であるし、パレスチナ人の大半が追放された地で生まれたと同じく、イスラエルで生まれたイスラエル人のほうが他国から移住してきたイスラエル人より多いのは確実である。

 

しかしながらやはりイスラエル側の主張する正義は、その暴力性において成立しないように思われる。しかしそれを批判するとなると、その抑圧への対抗策としてのパレスチナ側の自爆テロも、多くのイスラエルの市民を巻き込んでおり、正当性を欠いているといえる。

やはり、どちらにもこの問題解決の責任があるといいたい。昔アメリカと戦ったベトナムは正義でカンボジアに侵攻したベトナムは正義ではないと語った作家がいた。彼に続く自称平和主義者たちは言葉の言いかえが上手いのだろう。これはパレスチナ問題にも似たようなことがいえるのではないだろうか。その時代、その行為によって、どちらも正義にも悪にもなりうる。正義というものは本来、人を傷つけてはいけないはずである。

世界各地域の迫害時代においては、絶対平和主義が基本であった。非暴力、非戦、平和主義こそが正義。しかしこれでは、相手がこのような思想を持っていない場合、すなわち暴力という手段をとってきた場合に、自分たちの正義を貫くことができなくなってしまう。時に、対抗することも「正義」を実現するためには必要となってしまうのではないだろうか。

そこで正戦論という思想が浮かんでくる。これはアウグスティヌスが唱えたもので、正義の名の下に戦うことを認めたものであるが、自らの欲求から戦争を起こしてはいけないこと、他社を助けるという欲求から戦う義務があることが条件となっている。これにはもちろん正当な理由が必要であり、正当な権威による執行のみによって成立するものであり、さらに動機の正しさも必要である。またさらに重要だと思われるのが、結果として、そこで得られる善が戦争という手段の悪に勝るかどうか、という判断をした上で暴力を行うことである。

しかしながらこの思想から考えると、パレスチナ問題において当事者たちが自分たちの行いの正当性について100%客観的に検証することは不可能であると思われるので,各人がやはり自分たちこそが正当であると判断した場合,イスラエル、パレスチナ、アメリカのそれぞれの主張する「正義」がまかり通ってしまうことになり、本末転倒である。当然のことながら、戦う当事者たちにとっては、自分たちの戦いは正義であり、相手は悪である。戦いはすべて善と悪とによるものなのである。

そこで仮に戦うことをやむを得ないとした場合,正戦論を主張するにあたってさらに気をつけなければならない点が、なされた不正を正すのに必要以上の力を行使しないということである。そこでやっと,正義という名の下での暴力という行為が許されるのではないだろうか。決して侵略的であってはならない。

生まれたときからイスラエル人は子供に、パレスチナ人は我々に何をしたか生まれたときからパレスチナ人は子供に、イスラエル人は我々に何をしたか …を、ずっと言われて育ってきた。そこには単一国家で育った私たちには窺い知れぬ、とてもとても大きい因縁がある。パレスチナ問題においては、イスラエルがパレスチナに対し友好的にならない以上、イスラエルが未来永劫的にパレスチナに存在する可能性は低いといわざるをえないだろう。

自分にとっての正義を貫くことではなく、相手の視点に正義と映ること行いができるかどうかが大事なのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER

-AFGHANISTAN-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0554039   小松貴史

 

 

 

1、 アフガニスタンという国の概要

 正式名称アフガニスタン・イスラム共和国、通称アフガニスタンは、西アジアの内陸に位置する他民族国家である。首都はカブールにおく。

 17世紀にパシュトゥーン人が開いたドゥッラーニー朝をもとに形成された国家であるが、パシュトゥーン人はアフガニスタンにおいて最大の民族ではあるが人口に占める占有率は4割から5割ほどに過ぎず、タジク人、ハザラ人、ウズベク人、トルクメン人などの数多くの民族が住む多民族国家である。

 西にイラン、南および東にパキスタン、北にタジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンで、国の東端は中華人民共和国に接する。

 面積は647,500k㎡で世界第40位。人口は28,513,677人で世界第38位である。人口密度は44/k㎡。

 

アフガニスタンの歴史

1747年、パシュトゥーン人によるドゥッラーニー朝が成立。

1826年、ドゥッラーニー系部族の間で王家が交代し、バーラクザイ朝が成立。

1838年、第一次アフガン戦争

1880年、第二次アフガン戦争に破れ、イギリスの保護国となる。

1919年、アマーヌッラー・ハーン国王が対英戦争(第三次アフガン戦争)に勝利し、独立を達成。

1973年、ムハンマド・ダーウードが無血クーデターを起こして国王を追放。共和制を宣言して大統領に就任。

1978年、軍事クーデターが発生(四月革命)。大統領一族が処刑される。人民民主党政権成立。革命評議会発足。

1979年、ソ連によるアフガン侵攻開始。親ソ連派のクーデターによってアミン革命評議会議長を殺害し、バーブラーク・カールマル()副議長が実権を握る。社会主義政権樹立。

1987年、ムハンマド・ナジーブッラーが大統領に就任。

1989年、ソ連軍撤退(10万人)。国土は荒廃し、食糧事情は悪化の一途。反ソ連ゲリラ(ムジャーヒディーン)と政府軍の間で内戦が勃発。

1992年、ムジャーヒディーンが攻勢、ナジーブッラー政権崩壊(その後ほぼ無政府状態)

1994年、内戦が全土に広がる。この年タリバンが急成長。

1996年、タリバンが全土をほぼ掌握し実効支配。旧ムジャーヒディーン勢力が反タリバンで一致し、北部同盟となる。

2001年、アルカーイダがアメリカ同時多発テロを起こす。アメリカは報復でアフガン侵攻する。年末にタリバン政権崩壊。

2002年、ハーミド・カルザイを暫定大統領に選出。

20041月、新憲法制定。

2004109日、初の大統領選挙。カルザイが当選。

 

地理

 山の多い地勢であるが、北部や南西部には平野がある。最も標高の高い地点は、海抜7,485m Nowshak 山である。国土の大半は乾燥しており、真水の入手できる場所は限られている。気候は大陸性で、夏は暑く、冬は寒い。また地震が頻繁に発生している。主要都市は、首都のカブールのほか、西部のヘラート、東部のジャラーラーバード、北部のマザーリシャリーフ、南部のカンダハールなどである。

 

経済

 きわめて貧しい国の一つで、農業と牧畜への依存度が高い。経済は近年の内戦やアメリカ軍の攻撃などの社会的な混乱、干ばつにより大打撃を受けている。また同じ理由から国民の多くに食料、衣料、住居、医療施設が不足している問題やインフレーションも悪化している。国民の3分の2は、12ドル以下で生活している。幼児の死亡率は1000人中257人と高い。200410月のユニセフの報告によると、幼児死亡原因の多くは非衛生的な水の飲料使用による慢性的な下痢である。 20021月に東京で開催された復興支援国の会議で支援計画が提出され、世界銀行の監督下に45億ドルの資金が集められた。復興の主要対象は、教育、医療、下水施設、行政機関、農業、道路、エネルギー、通信と多岐に渡っている。

 

2、タリバンとは

 タリバンは、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻(1979年~1988年)後の果てしない内戦の中から生まれたパシュトゥーン人を中心とする武装勢力。パキスタンの強力な支援を受けてたちまち勢力を拡大、軍閥ヘクマチアル派を破ってその勢力を吸収しカンダハルを当初の拠点とした。 「タリバン」という語はイスラム神学生を意味する「ターリブ」のおそらくはダリー語における複数形であり、イスラム神学校「マドラサ」で軍事的あるいは神学的に教育・訓練された生徒から構成される。

タリバンは1994年頃から台頭し始め、アフガニスタン統一を願う純粋な学生の運動として受け止められた。内乱時代の北部同盟諸派のモラル無き暴行略奪などに対する反発から当初は歓迎された。19969月に首都カブールを制圧し、その後3年ほどでアフガニスタンの大部分を支配下においた。

しかしタリバンの支配は、すべての音楽を禁止するなどイスラム原理主義に基づいた厳格なものであった。タリバンは、パシュトゥーン人の部族掟「パシュトゥーンワリ」に従い、これは実際にはイスラム教とは相容れない部分もあるとも言われる。 また、アルカーイダと接近してからは、その過激原理主義の影響を受け、パシュトゥンワリからも逸脱した、彼ら流の偏狭なイスラム解釈をアフガン人に押し付けるようになった。

タリバンは、軍事面および資金面でパキスタン軍の諜報機関であるISI(統合情報局)の支援を受けていた。

タリバンの出現は、中央アジアの戦略的地帯の安定化につながるとして、アメリカの支持を得ていた時期もあった。当時のアメリカは中央アジアの石油をアフガニスタンのパイプライン経由で輸送することをもくろんでいた。

 

3、国際連合とアフガニスタン

 アフガニスタンの問題には以前からUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が取り組んできた。UNHCRとは難民を保護し援助を与えるために、1951年国連総会が設立した機関である。機関自体も難民支援活動を行うが、多くの場合はNGO(非政府機関)を通じて援助計画を実施する。

 まずUNHCRの活動の経過を辿ってみたい。

 タラキに率いられた都市部の知識人が、19784月に権力を掌握、共産党国家を確立しようとした。数カ月もしないうちに、アフガン難民が隣国のパキスタンやイランへと流出する。パキスタンは19794月、UNHCRに公式に支援を要請。難民援助のための資金が1500万米ドル集まった後、10月にUNHCRパキスタン事務所が開設された。

 197912月にソ連軍がアフガニスタンへ侵攻すると、難民の数は60万人に膨れ上がった。 1989年にソ連軍が撤退した後も派閥間の内戦が続いたため、避難する市民が1990年代に急増、アフガニスタンは世界で最も深刻な難民問題を抱える国となった。1990年までに国を追われた市民の数は、630万人、そのうち推定330万人がパキスタンへ、300万人がイランへ向かった。 緊急事態に対応するため、UNHCRは援助を強化する。1979年には440万米ドルだった援助額は、1991年にはパキスタンだけで1900万ドルになった。イランへの援助資金は、比較的低額だったが、これは国際的な政治問題と、イラン政府が援助を受けることに対し消極的だったためである。 生活条件もパキスタンとイランでは大きく違っていた。パキスタンでは、主にパシュトゥン系の難民がUNHCRが設置した300以上の村で生活している。イランでは難民の多くが地域社会で生活し、仕事も見つけている。

UNHCRはパキスタンで世界最大の教育プログラムを実施しており、UNHCRが設立した学校で多くの少年が学んでいる(少女は少数)。イランでは難民の子どもたちは地元の学校に登録をしており、少女も教育を受けやすくなっている。

紛争が20年以上も続いたため、資金提供者の関心が薄れ、寄付金の額は大幅に低下した。しかし、UNHCRはアフガン難民のため、アメリカ主導のアフガニスタン軍事攻撃が起こるまでに、少なくとも12億米ドルをパキスタンでの難民支援活動に、35200万米ドルをイランでの活動に、そして7200万米ドルをアフガニスタン国内での活動に拠出している。

一部の地域で内戦が繰り返される一方で、多くの難民がアフガニスタンの安全な地域へ帰還。1992年には120万人以上の人がパキスタンから故郷へ戻った。1988年から2001年までに合計460万人以上が帰還した。

21世紀に入ると、記録的な干ばつが、既にぎりぎりの生活を送っていた何百万人もの人々を直撃し、問題を悪化させた。

アメリカで2001911日に発生した同時多発テロ事件の後、UNHCR15カ月間の難民支援活動のために必要な27100万米ドルを要請。パキスタンへ20万人以上の難民が新たに流入したことを受けて、UNHCRは新たに15ヵ所の難民キャンプを設置した。

200111月にタリバン政権が崩壊、カブールに暫定機構が成立したことで、多くの難民が自主的に帰国を始めた。UNHCRと暫定機構は、2002年にパキスタン、イラン、中央アジア諸国から合計80万人の難民と、約40万人の国内避難民の帰還支援を計画するが、帰還の規模は予想を超えてしまう。

20023月に始まったUNHCRと暫定機構の帰還計画は、開始から5カ月も経たないうちに、130万人以上の帰還を支援した。また、2002年半ばまでに約70万人の国内避難民が帰還したが、そのうち20万人がUNHCRや国際移住機関(IOM)などの支援を受けた。UNHCR2002年の帰還数の推定を、120万人から200万人に上方修正した。

アフガニスタンの問題は今なお深刻である。一部の地域は地雷や不発弾という不安材料を抱えており、長引く干ばつが、農民や家畜所有者の生活を破壊している。アフガニスタンの抱える問題を難民は認識しているが、その多くは破壊された故郷から届くニュースにもめげてはいない。そして前例のない早さで難民の帰還は続いている。

 

 

4、アフガニスタンにおける正義について

 まず先に、私はアメリカ的な善悪二元論が嫌いである。そもそも北部同盟が悪、タリバンが正義、アメリカが正義、タリバンが悪などと言い切るのは不可能である。世の中そんなに単純ではない。私なりの視点、考え方で「正義」とは何なのかを考えて行きたい。

 アフガニスタンに関する様々な論調を見ていると、中でもタリバンに関するものが非常に気になる。タリバンが去ったことで女性の人権が回復したというが、それは本当なのだろうか?アメリカのアフガン侵攻後、カブールの女性たちは伝統的衣装であるブルカを脱ぎ、今まで禁止されていた教育の機会も与えられた。確かにタリバンの支配下では女性の権利は制限され、タリバンが去った後は女性の権利も保障されている。しかし、タリバン支配以前はどうだったのだろうか。

調べてみると、1992年、ソ連の傀儡だったナジブラ政権が崩壊し、反政府ゲリラがやってきたことで治安は極端に悪化。旧イスラム連立政権内で内輪もめが起きたのが原因である。街は略奪、強姦、暴行が日常茶飯事となった。市民たちは旧連立政権に失望。こんな状態である、当時の女性の権利は毛ほども保障されることなどなかった。いや、男女問わず常に命の危機に晒されていたといえる。そこで登場したのがタリバンである。彼らはイスラム原理主義を統治理念に、とにかく治安を回復させた。以前は昼間でさえ営業中に強盗にあったり、ミサイルが飛んできて店の営業すらできなかったようだ。だがタリバンが政権を掌握してからは、車に鍵をかけなくても大丈夫といわれるほど治安はよくなった。なにせ軽い盗難だけでも死刑になり得るのだから。だからタリバン統治時代が良いとまでは言わないが、近年の内ではだいぶマシな方だったはずだ。タリバンは潔癖すぎるところがあるとはいえ、姦通者には石打刑、泥棒の手は切り落とすといった厳罰主義をとり、その手法が野蛮だとはいえ、その場所、状況には適したやり方があるのではないか。アフガニスタンという国は昔から争いの絶えない国だ。

ブルカに関しては脱いで喜んでいる女性はすでに近代化され、ある程度裕福な人たちなのではないだろうか。カブールはアフガニスタンの中でもある程度発展していて、西洋の影響を受けている都市である。アフガンの伝統では村の女性はもともと顔を隠すものなのだ。報道された女性たちはカブールの人たちであったし、カブールを離れればまだブルカを着ている女性たちがたくさんいるという。もともと伝統的な衣装なのだから、当たり前といえば当たり前だが。

また、女性が学校で学ぶことをタリバン政権も黙認していたという事実もあるようだ。「隠れ学校」といい、ユニセフを中心とし、女児の教育をする場所である。カブールにも数十箇所あったようだ。もちろん、公然には女性の教育や就職の機会は奪われていて、これは深刻な問題だった。働くことが許されないということはすなわち、未亡人になった場合、物乞いになる他無いということだ。治安は安定したとはいえ、内戦はまだ続いていた。つまり未亡人になる可能性はかなり高いわけである。子供がいた場合、養うこともできない。これが2000万人いるアフガニスタンで630万人が飢餓に苦しみ、乳児死亡率が高いという事実に深く関係しているというのは言うまでも無い。医療で言えば女性は女医しか診ることが許されない。男性が女性を診察することは禁止されていたのだ。だが女医になるにも、まずお金が無い。その上タリバン政権下ではどうやっても高等教育以上を受けることができない。現行の女医の数だけでは患者を診きれないので、そのままでは更に深刻な事態になることは目に見えていたわけだが、タリバン政権はそこのところをどのように考えていたのだろうか。

アメリカによる侵攻後、タリバン政権は崩壊し、カブールには自由がもたらされた。そう、カブールには。地方に行けば各地方の武装勢力が幅を利かし、日本で言う戦国時代のような群雄割拠のような状態になっている。これはアフガニスタンがパシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人、トルクメン人などの民族で構成された多民族国家であるという事実にも起因しているが。また、タリバン政権下では厳しく禁止されていた芥子の栽培が活性化し、今やヨーロッパで消費される麻薬の9割以上がアフガニスタン産であり、世界最大の芥子生産国にまでなっている。世界のアヘン生産の4分の3、3600トン(2003年度)、アヘン輸出額25億ドル(2002年度)GDPの40%とのことだ。GDPの40%を麻薬が占めているというのは尋常な沙汰ではない。完全に麻薬国となっている。

またアメリカによって自由がもたらされたと書いたが、その前にいったい何人のアフガンの人々が空爆の犠牲になったのだろうか。今回アメリカはピンポイント爆撃だけでなく、絨毯爆撃もやっている。アフガニスタンは正確な国民国家ではなかった。つまり民衆がタリバンを選挙で選んだわけではないし、戦争を望んだわけでもない。だが民衆は容赦なく殺された。徹底的空爆によってアメリカは大して血を流すことなく。私はもし戦争によって勝者に血が流れなくなったら、圧倒的勝者にとってゲームにも似た感覚を持つようになったら、絶対に戦争はなくならないと思う。いや、むしろ拡大するのではないか。それはもはや「戦争」とよんでいいのかもわからないが。戦争には曲がりなりにもルールがある。それは軍隊以外の人間を殺してはいけないということだ。確かに今回のようなゲリラ戦では一般民衆なのかタリバンなのか見分けるのは至難の業であろう。だが、誰がどう見てもやりすぎだ。ホロコーストにすら見える。しかもアフガニスタンは山が多く、空爆で破壊されたが報道されなかった村も数多くあるはずだ。

さあ、正義とはいったいどのようなものなのだろうか。その地に住まう民が平和に暮らせることが正義なのではないか、とも思ったが、それではそのためなら大虐殺や他国が勝手にその国の政権を崩壊させてもよいのだろうか。結果主義でよいのだろうか。いや、良いはずがない。そこで私が思うのは、正義とは「伝統」を守ることなのではないだろうか、ということである。それはまさに今の潮流とは反対なことかもしれない。なにせグローバル化によって様々な面で、特に経済の面で統一化が進んでいるのだから。それだけならまだしも、このグローバル化は自由、民主を絶対的・普遍的価値として広めている。確かに、私も現在の政治の形としては民主主義が一番良いと思うし、自由はすごく大切である。しかし、それはときに文化侵略にもなりうるのではないか。アフガニスタンの場合もそうだ。アメリカがアフガンに侵攻して自由をもたらしたというが、ブルカで言えば先ほど述べたように、アフガンの村々やカブール市内でも、まだブルカを着ている女性がいる。なぜか?それはタリバン政権下、単純に強制されていたからではないということを示している。そう、伝統だからだ。なのにアメリカのフェミニストたちは女性の権利侵害だとして騒ぎ立てている。現地の人たちより騒ぐのはいかがなものか。

伝統というのは文化と同じように、時間、場所が変わるに連れて微妙に変化していく。アフガニスタンが民主主義になるのならそれもいいだろう。だがその場合、自らの力でならなければならない。誰かが肩押しする程度の援助をしてもいいが、他者が勝手に現在の政権を倒し、自国よりの政権を作るなんていうのは確実に正義に反している。アメリカによるアフガニスタン侵攻。だがこれは確たる証拠を提示できぬまま突入してしまったのだ。そのような事態が起きたら国連が止めなければならないのだが、今回はそれが無理だった。だがそれは戦い方が下手だったようにも思える。いくら最強の軍事力を誇っているアメリカといえども、全世界の目に晒されたら身動きはとり辛い。アフガン戦で報道規制を引いたのがいい証拠だ。だから国連は情報力を強化すべきである。CIAのようなものを作るべきである。戦争を仕掛ける正当性が相手に無いことを提示し、世界に発信できれば戦争を仕掛けようとしている国にとっては、とんでもない足かせになることだろう。

伝統を守る。これは自国の伝統だけではなく、他国の伝統をも守ることである。その地にはその地なりのやり方がある。世界すべてが民主主義に染まるほど世界は単純ではない。今はこの思想の押し付けが新たな紛争を生み出し、アフガンにしてもイラクにしても戦いは終わっていない。いや、もうこの戦いは終わらないのかもしれない。同じ中東であるイラクをとって考えてみれば、フセイン政権が崩壊したとき市民は暴徒と化して盗みを働いた。アフガニスタンもタリバン政権後、一気に地方武装勢力が群雄割拠する戦国時代に逆戻り。このような地で民主主義が育つとは思えない。時期尚早という他無い。決して独裁政治や恐怖政治を肯定するわけではないが、その地、その国民性にあった政治というものが必ず存在する。我々はもう一度そのことを深く考えてみる必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER

-VIETNAM-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0554056  高場 絢子

 

 

 

○アジアにおける貧困について

今回、私はアジアにおける飢餓を担当した。飢餓と聞いたとき、私の中で一番に思い浮かんだのは、アフリカの子供たちの姿だ。そう思ってアジアの状況を調べてみると、アジア地域の飢餓は大幅に改善されていることが分かった。依然貧しい状態はあるものの、飢餓とまではいかず、貧困や貧富の差が問題となっているようだ。よって、テーマをアジアにおける貧困として、報告しようと思う。特に今回はベトナムに焦点を当てて、貧困について考えてみた。

◎ベトナムの基本情報

・首都 ハノイ

・人口 約8300万人(世界13位)

・国土 33万キロ平方メートル(世界65位)

・1945年9月、フランスより独立

・政治

政治はベトナム共産党による事実上の一党独裁政治が行なわれており、しばしば政治の民主化を望む人々が逮捕されることがある。書記長、国家主席、首相の3人を中心とした集団指導体制であり、現在の共産党中央委員会書記長はノン・ドゥック・マイン(農徳孟)、国家元首はチャン・ドゥック・ルオン(陳徳良)国家主席であり、首相はファン・ヴァン・カイ(潘文凱)。

建国以来、一貫して集団指導による国家運営を行っており、国父ホー・チ・ミン(胡志明)も独裁的な権力を有したことはなく、対米戦争中の一時期には失脚に近い状態にあったとも言われている。

政府の運営は、極めて官僚的であり、中国に類似している。

ベトナムの国会は、2006627日、チャン・ドク・ルオン国家主席の引退に伴い、新国家主席にベトナム共産党のグエン・ミン・チェット政治局員(党ホーチミン市委員会委員長)を選出した。また、国会は引退するフォン・バン・カイ首相の後任にグエン・タン・ズン党政治局員を選出した。国会は、28日、新首相の提案に基づき8閣僚の交代人事を承認した。ダオ・ディン・ビン交通運輸相は、解任というものの同省傘下の疑獄事件で指導責任を問われ、事実上更迭された。

国外にはベトナム共和国政府関係者を中心とした反共産党政府組織が幾つか存在しており、特にアメリカを根拠地とする「自由ベトナム政府」は、2000年前後にベトナム国内外でテロ活動を実施(或いは実施未遂)している。しかし、これらの反政府組織は今なおベトナム共和国時代の対立を解消できておらず、1960年代に南ベトナムからの独立を企てた少数民族組織フルロ(FULRO)関係者はこれらの組織とは対立関係にあり、各組織の力を一つに集めることができるリーダーシップを有した指導者が存在しない。また、1975年のベトナム共和国消滅から30年以上経ち、世代ごとの反共主義に対する考え方の違いが鮮明になりつつあることから、最近では必ずしも亡命ベトナム人の間で反政府組織が支持されるとは限らなくなっている。

・経済

198612月のベトナム共産党第6回大会で、社会主義に市場経済システムを取り入れるというドイモイ政策が採択、中国と同様に改革・開放路線へと転換した。1996のベトナム共産党第8回大会では、2020までに工業国入りを目指す「工業化と近代化」を二大戦略とする政治報告を採択した。

政府開発援助と外国投資が経済を牽引している。アジア通貨危機で一時失速した国内総生産GDP)の成長率も、2001年は6.8%027.0%037.2%047.7%と安定成長が続いている。中国では人件費が上昇基調にあることから、新たな投資先として近年、注目されている。こうしたことからも、WTO加盟が政府にとって重要な目標となっている。労働人口の66%が第一次産業に従事しているが、近年は第二、第三次産業が急成長。観光業の伸びが特に著しく、重要な外貨獲得源となっている。

主な輸出品目は原油、衣料品、農水産物。特にコメについては、タイに次ぐ世界第二位の輸出国。

・貧困の現状

ベトナムでは、ストリートチルドレンが特に問題となっている。ストリートチルドレンとは、路上で暮らす子ども達のことだ。これらの子供たちは、両親と暮らしていない、死別・離婚・別居などで両親がいない子供たちだ。しかし、本当に両親もわからず道端で暮らしている子どもは数少なく、昼間は道端で物乞いをしたりして過ごし、夜は家に帰ったりする子ども、さらには家族全員が道端で暮らしている場合もある。彼らの多くは学校に行かず、働いていることが多い。ベトナムには、ストリートチルドレンが5万人いると言われている。そうした子どもが生まれた背景には、様々な問題がある。共通している部分は「貧困」ということだ。ストリートチルドレンと言われる子どもの多くは、農民の子どもたちである。ベトナムの人口の80 %を占める農民の生活は、大変貧しいものだ。農民は政府から土地を借りている。政府は「合作社」という農業会社のようなものをつくり、土地はその合作社のものとしている。農民は土地代として、合作社に米を納めていく。それ以外の余った分が農民の利益となるのだが、ほとんどは自分達が食べていく分に消えてしまうのだ。自給自足でなんとか食べていくことはできるが、それは本当に最低限の生活である。現金収入はほとんどなく、年間収入は100150$(約1300020000円)と言われている。
また、ベトナムの農業は現状では機械化がされておらず、まだまだ人の手(特に父親)や水牛に頼って作業をしている。農地が家族の人数によって割り当てられるので、人数が多い方が得である。そうしたことから、農民は子沢山の家庭が多いが、その反面、子どもの面倒をみることが大変にもなる。そうした厳しい状況の中で、貧しい農民の生活が嫌になったり、父親が亡くなったりして農業が続けられなくなると、仕事を求めて大人も子どもも都市に流出する。
こうした「貧しさ」を作り出した背景には、歴史的、政治的な問題もある。ベトナムは本来豊かな国である。石炭などの地下資源が豊富で、現在では米の輸出量もタイに次いで世界第二位であり、農業にも適した国だ。国が発展していくためには、農業・軽工業・重工業などを平均的に発展させていくことが大切だが、ベトナムは植民地時代にその成長を妨げられてしまったという過去がある。それは、1800年代にフランスの植民地になったとき、フランスは自国に都合の良いような農業や産業しかベトナムで発展させなかった。例えば、ゴムが世界市場で高く売れれば、ベトナム中をゴムのプランテーションにし、世界中にゴムを高く売って、フランスが大儲けしていたのだ。
そして、1960年代のベトナム戦争では国土が破壊され、工場や学校、農地など、人々が生きていくのに必要な場が次々と破壊された。つまり、ベトナム人自身が原因ではない、外国の侵略や干渉・植民地主義の結果で貧しくなった部分もある。1975年にベトナム戦争が終わり、1976年にベトナム全土が社会主義となった。ベトナム政府は、社会主義国の先輩であるソ連(現ロシア)の経済政策を参考にしたが、失敗。一時は貧しさのために米が食べられずに芋やとうもろこしを食べていたほどだった。そして、この状況を改善するために、1986 年に「ドイモイ」という政策をとり始めた。これは社会主義国ではあるが、経済には資本主義を導入するという、変則的な政策である。ドイモイの成果で、一部の人は大金持ちになり、ホーチミンではプール付きの豪邸に住んでいる人もいる。しかし、豊かな人が益々お金持ちになっていく反面、農民などは相変わらず貧しい生活のままだ。都市間(ホーチミンと地方)の格差、都市と農村の格差、裕福な人と貧しい人の格差など、貧富の差があらゆる面で広がってしまい、多くのストリートチルドレンを生んでいる。

○支援における正義

私の考える国際社会における正義とは、‘全世界の人々が、幸せに、裕福でなくても最低限衣食住が満ち足りている暮らしができるよう行動すること’だと思う。よって、国際社会で行われる様々な決め事や支援は全て全世界の人の幸せのために行われねばならないと考える。世界には豊かな人と、そうでない人がいるのは確かである。この格差を小さくするのが先進国や国連などの団体が行う援助、支援であるが、それが本当に受ける側のためになっているのか、しばしば問題になる。ベトナムに対する支援の内容を見ていくなかでも、疑問が浮かんだ。本当にベトナムの人々のためになる支援とは何だろうか、と。今回は支援における正義について考えてみようと思う。

ベトナムに焦点を当てて考えてみると、日本はベトナムに対してかなり多くの援助を行っている。その内容は、資金援助、インフラの整備、法整備の支援、など、多岐に渡る。日本のみならず世界中の団体がベトナムに対して支援を行っている。ここで考えなければならないことは、支援する側は、どれだけ自分の利益を考えずに、純粋に相手のためになることをできるかということである。援助が、果たして本当に現地の人々にとって一番必要ためになることなのか考えなければならない。他の国に対する支援でも問題になるが、自然破壊や現地の人々の生活域を壊すことにつながりはしないだろうか、自国の利益ばかり考えていないだろうか、などについてよく考える必要がある。

確かに、ベトナムに関しては多くの団体がストリートチルドレンの子供たちに対する生活援助や、学習指導などを行っている。子供たちに対する支援は確かに必要だが、この場合、私は、援助の対象がこの問題を作り出しているもっと根幹にあるべきではないかと思う。例えば、貧しく、仕事もないという人々に対して技術を提供し、自立できるような支援をすることや、国家としての支援をもっと強化させることである。支援は末端ではなく根幹にも行わなければ、一時的な解決にはなるけれど、本当に一時的なものでしかなくなってしまう。ここでいう根幹に関わる問題とは、政治制度や、政策に関わる問題のことである。たとえば、北朝鮮における飢餓の原因は、明らかに政治制度にあるといえる。キム・ジョンイルの独裁を許したままでは、絶対に北朝鮮の飢餓はなくならない。こんな場合に、どこまで相手国の政治に介入できるかということが問題となる。内政不干渉の問題もあるが、本当に、心から問題を解決したいと思うのならば、必要なことだと思う。

このような、相手国の内政に関わるような問題を指摘するのは、一国では難しいことかも

しれない。こんなとき、多くの国からなる国連が活躍すべきなのだ。国連の力は、問題解

決のためにはその国の深い部分まで立ち入っても良いと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER

-RWANDA-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0554069  永濱 翔

 

 

 

ルワンダ紛争における正義

 

199446日、ルワンダ大統領ハビャリマナとブルンディ大統領ンタリャミラを乗せた飛行機がタンザニアをルワンダの首都キガリに向かって離陸した。現地時間の2030分、キガリの空港に近づく機目がけて、対空ミサイルが2発発射される。機は直撃を受け、墜落、炎上。搭乗者は全員死亡する。

 

この墜落が人類史上、類を見ないような100日間で少なくとも80万人と推定されるジェノサイド、大量虐殺の開始の合図となった。

 

もともとルワンダは、このジェノサイドが起こる以前から多数派の「フツ族」と少数派の「ツチ族」の民族衝突がたびたび起こっており、ルワンダ大虐殺はアフリカの民族間の反目から生じた民族紛争の表れとして当時見られていた。しかしながら、現状が明らかになるにつれて、この大虐殺は決して民族紛争という言葉片付けられるような出来事ではなかった。また、この出来事はアフリカのある小国内だけの問題ではなく、国連を中心とした紛争処理における国際社会全体の問題を包括したものであった。この章では、この紛争、大虐殺が起こるまでの経緯を丁寧に追いつつ、国際社会がどうしてこの虐殺を止められなかったのか、またルワンダ紛争における正義を考えていきたい。

まず、この悲劇の主役である「フツ族」と「ツチ族」について見ていく。

 

ルワンダは国土全体が1000m以上の高地に位置する国で、山々が自然の要害となり、近年までは外部勢力の介入をあまり受けておらず、19世紀末以降にはじめて、白人の探検家や宣教師がルワンダに足を踏み入れ、この地に大きく分けてフツとツチという二つの民族が住んでいることがわかった。

大多数を占めるフツ(人口の8割前後)は肉体的に近隣に住むバンツー諸族と非常に似通っており、農業に従事していた。一方、少数派のツチは、フツを含む周囲の民族とは大きく異なっており、背が非常に高く、痩せ型で、顔の造作は細長く鼻は高い。長身のツチは背の低いフツをしたがえ、高度に集権化された王国を築いていた。このようなルワンダの人々のグループ分けは、当時帝国主義の名の下に植民地政策を推し進めていたヨーロッパ人に利用されることになった。

当時のヨーロッパで有力だった人種理論に、「ハム族神話」と呼ばれるものがあり、ノアに不敬をはたらいたハムやその息子のカナンの末裔=ハム族こそが黒人の起源であるとされた。これは植民地などにおける奴隷制の正当化に用いられ、19世紀初期までハム族といえば黒人全体を指した。

19世紀中ごろから言語学におけるハム語族などの区分の変遷を経て、徐々にハム族は肌の黒いコーカソイド(白人)、つまり黒人の「優越種族」を指す言葉に変化していった。この優越種族に含まれるのはベルベル人、エチオピア人、マサイ族、ソマリ族、ウガンダのガンダ族など、サハラ以北を中心とした雑多な人々であり、王制、高等言語、一神教を含む高度な宗教制度、牧畜、製鉄や灌漑などの文明的な発明は、すべてハム族の手によって「暗黒大陸」アフリカにもたらされたとされた。ヨーロッパ人が目にしたルワンダの状況は、彼らの人種理論に完璧に適合していた。

長身で白人に造作の似かよった牧畜民で戦士階級であるツチが、背の低い農耕民族であるフツを支配している。そのうえツチは高度に中央集権化された王制を敷き、複雑な儀式を持つ宗教を執り行っていた。ルワンダ史は、まさしく優越種族が劣等種族を征服した歴史であり、ツチはハム族の居住地である北方からこの土地に侵入し、フツの征服を行ったに違いない。ヨーロッパ人はそのように考え、ツチの優秀さ、フツの劣等性、ツチの北方侵入説は人種科学の正統理論として、ルワンダでフツ・ツチ双方に教え込んだ。
だが、牧畜がツチの到来以前からルワンダ一帯で行われており、また文化に関していえば、フツ・ツチともに共通の言語(キニャルワンダ語)を話す同一の文化圏に属しており、外見も交婚などにより、単純な二分化では語れない。 

大きな過ちは、フツとツチにおいて、歴史を超越した不変のアイデンティティのように語ることである。民族とはしばしば第三者の利益のもとに歴史的に「創り上げ」られる。

それを如実に示すように、フツ/ツチの文化・階級・経済的区分が明らかに生まれたのは、ドイツ人やベルギー人の助けを借りてできたルワンダ王国(ブルンディ)においてであった。つまり、ルワンダにおけるフツとツチの大げさなまでな区別はヨーロッパの植民地政策による代物であり、王国外の人々は、そもそもフツでもツチでもなかったのだ。

 

しかし、王国の拡大につれ、従属させられた国々は、一般にフツの身分を与えられ、征服された土地の首長はツチにすげ換えられた。これが後にルワンダだけでなく、隣国のブルンディやザイールでもフツ対ツチの抗争がおこる遠因となった。

 

その後、王国の後継者争いに乗じてドイツがルワンダ(ブルンディ)の植民地化に乗り出し、ドイツの次の宗主国になったベルギーによってルワンダ社会は更なる変容を遂げる。ルワンダにおいてハム族神話は植民地体制に組み込まれ、事実、優越人種であるとの理由でツチは多くの特権を享受した。こうしてカトリック教会によってハム族神話は広くルワンダ社会に根付き、ツチの特権は具体的に教育と地方行政で現実に反映されていった。

このように、植民地政策によって分けられたフツとツチがお互いに敵対視するようになっていったのは容易に想像できるだろう。第二次世界大戦後、この“差別”の是正が国際連合の監督下によって行われたが、国連はルワンダ社会の現状を正確に把握しておらず、この不十分な改革は逆にツチ・エリートには特権を失うのではという恐怖を与え、力をえ始めたフツ知識人には挫折感と不満を残した。こうしてフツとツチの双方が急進化していく結果となる。1959年、フツとツチの間に暴力的な衝突が起こり、政変が勃発、これは「フツ革命」へと発展し、1962年にルワンダはフツ主導により正式に独立したが、1963年までに13万人ものツチが国外に逃亡した。これらのほとんどが難民となるが、難民の多くが隣国のブルンディに流入すると、ブルンディでもツチとフツの関係が悪化し、ブルンディにはルワンダと反対のツチ主導による親社会主義の軍事政権が誕生した。この紛争の中でフツの軍将校、政治家が多数処刑され、一般市民も数千人犠牲になった。

 

こうして、冷戦体制にフツとツチの関係は組み込まれ、ルワンダとブルンディの一方で始まった活動が、他方に反動を呼び起こす。このような関係が1994年のジェノサイドまで続いていくことになる。

その後、ブルンディのツチ政権の成立やそれにともなう虐殺などにより、ルアンダの社会不安が増大し、クーデターによりフツのハビャリマナによる独裁政権が成立する。このハビャリマナ政権は不安定ながらもフツ革命のときなどに比べたら比較的安定していた。しかし、ブルンディに逃亡した政権復帰を目指すツチ勢力(ルワンダ愛国戦線=RPFなど)のテロ的な攻撃が相次ぎ、攻撃がなされる度に報復として一般市民や女・子供に対しても無差別に虐殺が繰り返された。そして、そのたびにツチ難民が増え1990年の時点で60~70万人程度が難民として各地で生活し、ウガンダやザイールなどにおいて深刻な社会問題になるほどであった。

 

このように国家間においてフツとツチの緊張が高まる中、国際社会はどのような対応をとっていたのであろうか?

ここで、一番注目されるのがフランスの迅速すぎるほどの介入である。あるアメリカ人ジャーナリストは「フランスは理由があるときに介入するのではない。ないときにするのだ」と結論付けているほどである。しかしながら、主な理由として二つほど有力なものがある。

一つ目は、当時のフランス大統領フランソワ・ミッテラン親子とハビャリマナ一族との間の親密で個人的な付き合いである。これがフランスの強力な支援に繋がったとも言われる。この関係をめぐって、様々な後ろ暗い噂が取り沙汰されており、個人的な関係で国策が決められているのならばあきれるしかない事態である。

 

もう一つは文化/政治的説明である。ルワンダはベルギーの植民地としてフランス語を教育されたため、フランス語圏の一国として、フランスの大いなる庇護の対象となっていた。一方、ルワンダ愛国戦線、すなわちRPFはブルンディのほかにウガンダから侵攻し、その支援を受けていた。ウガンダは旧イギリス領なので、当然英語を話す。また、ウガンダとアメリカは緊密な同盟関係を結んでいた。実際には、フランスにとってRPFはウガンダ=イギリス=アメリカら、アングロサクソンの操り人形である外国勢力なのである。外交において常に独自路線を守ろうとするフランスと、世界のリーダーを目指す合衆国の勢力争い、そして英語圏(RPF)対フランス語圏(ルワンダ)の闘争がアフリカ大陸上で繰り広げられていると言っても過言ではない。

 

いかなる理由があったにせよ、ルワンダ情勢が悪化し続けたにもかかわらず、フランスはルワンダに対し強力な軍事的・財政的支援を続けたのは紛れもない事実なのである。

92年から93年にかけてRPFとルワンダ政府の間で和平交渉が行われ、9384日、アルーシャ協定が調印された。しかし、その一方で最悪なシナリオも着々と進行していたのである。RPFの侵攻が激しくなるにつれて、フツのみがルワンダの真の国民だとするフツ至上主義が台頭してくる。おそらく92年ごろからフツ至上主義者の中で“最終解決”のシナリオが議論され始めたと推測されている。この頃に公的機関と平行して「ジェノサイド機構」とも言うべき対応組織が登場しはじめ、プロパガンダも頻繁に行われるようになった。また、ツチに対する自衛のためとして、民兵組織が整備され、“暗殺リスト”ともいうべき要注意人物のリストも作成された。また、ここでも住民の「自衛」のため、民兵の訓練がルワンダ政府から要求されると、フランスは十分な選別もなしに新兵や民兵を訓練し、図らずもジェノサイドの実働部隊を育て上げてしまっている。

 

こうした中、アルーシャ協定にしたがって国連平和維部隊がルワンダに展開することになった。しかし、国連の対応はあまりにもずさんであった。ここでも第二次世界大戦後のときと同様、国連平和維持部隊はルワンダ情勢の危うさについて、情報をほとんど得ていなかった。また、国連の本部は1993年4月の時点で、ジェノサイドの可能性をはっきりと警告する報告書を出していた。にもかかわらず、この報告書は維持部隊には届けられなかった。また、アルーシャ協定の履行を支援するには、少なくとも5000名の兵士が必要であったが、アメリカは当時ボスニア、ソマリア、ハイチに米軍を派遣しており、これ以上は兵士も金も出す気はなかった。また、当時の国連は世界各地の17のミッションに70000名の平和維持軍を派遣しており、コフィ・アナン率いる国連平和維持活動局は過重任務に頭を痛めていた。またメディアの報道もルワンダの優先順位はこの時点では決して高いものではなかった。結局、維持部隊は2500名に削られた。

 

こうして、混沌とした中、冒頭にも書いたように大統領機墜落をきっかけにジェノサイドという国がらみの大犯罪が行われるのである。

 

最後に、ルワンダ紛争における正義について考えてみる。

 

私は、今回ルワンダ紛争の経緯やジェノサイドの実態などを調べていく中で、どうしようもない無力感を感じた。実際、最後のジェノサイドが行われる前に、規模は小さくても残虐な虐殺や粛清はルワンダ、ブルンディ各地で行われていた。その時点で、それを把握していたであろう国連を中心とした国際社会は何らかの対応を取れたはずである。確かに、国連の平和維持活動には、参加する各国家間の利害が対立し、適切な活動を行えるだけの兵力規模を維持できないことや、中立性との兼ね合いや内政干渉などの問題が山積みである。そのような点を考えれば、「当事者の主権を尊重し、状況をひたすら静観する」という“正義”もあるのかもしれない。

 

しかしながら、国連を中心とする国際社会は、先述のように最後には国際世論に押されて、介入することになる。その意味では、上記にあるような“正義”を貫けなかったことになる。現在のPKO部隊は、ルワンダのように内戦が激化してからでは派遣しても手遅れであり、公平な第三者としての調停機能も果たせない。かといって、軍事力をもって紛争を沈静化させるほどの兵力を差し向ける力は、現在の国連にはない。であれば、現在のPKOの規模でも成果をあげられるように紛争の早期あるいは予兆段階において予防的な活動を地道に行っていくしかないのではないか。ルワンダにおいても初期段階の虐殺事件や粛清を適切に察知し、できるだけ早くに、そして中立性を保った慎重な対応を行っていれば、結果は違ったであろう。「紛争初期における、予防的な活動」が紛争解決における“正義”のひとつの要素である。

 

20世紀の人類の歴史は、地理的に大規模な戦争や国際間の紛争の歴史でもあったといえる。そういった体験から考えても、紛争当事者の一方が徹底的に善であり、また他の一方が徹底的に悪であるなどと言うことはあり得ない。ところが、ルワンダ紛争でも同じように、紛争が巻き起こり、メディアのセンセーショナルな報道で世界が興奮に包まれるとき、私たちはその原則をしばしば忘れてしまう。私自身もニュースを見つめる目が、勧善懲悪的価値観を帯びてしまうことがしばしばある。

 

ルワンダの虐殺事件に続いて発生した難民問題において難民キャンプは、「ルワンダに侵攻して政権奪還を目指す旧ルワンダ政府軍(フツ系)の隠れ蓑である」とか、「虐殺事件の犯人に手を貸す必要はない」などの報道がなされ、国際世論でもそういう批判が少なからず起こった。これは、国際世論を形作っている国際政治の思惑が、国同士のエゴのぶつかり合いを産みだし、結局政治的決断から人間的視点を排除してしまっているからであろう。実際のキャンプの中で暮らす一人一人の難民の人たちの苦しみは、どんな人でも同じである。これは、決してジェノサイドを指導した人たちを許すということではない。いくら、戦闘下でもあっても人間としての尊厳は保たれないといけないであろうし、大罪を犯した者はその罪を償わなければならない。平和な日本の住んでいる私にとって、人を殺しても許されるようなルワンダにおける環境は想像もつかない。しかし、想像できないからこそ殺人を憎み、肌や目の色、文化が違う“隣人”と平和に暮らしていくことの素晴らしさを訴えていけるのではないだろうか。私たちは難民キャンプに生きる人たちが、平穏無事な生活を送っている自分と同じように、夢も希望も喜びも悲しみもある一人の人間だということを改めて認識する必要がある。

 

ルワンダにおいて、正義はきっとフツにもツチにもどちらの民族にもある。この点で、「紛争当事者の一方を“正義”とみなし、援助する」ことは決して正しい行為とは言えない。地域紛争に対してフランスのように、「一国で」対応、介入しようとすると、どうしても自国の利害が絡んでしまい、ある一方を無批判的に支援する傾向にある。紛争には、国際社会として「多国で」対応するのが望ましい。これも紛争解決における“正義”のひとつの要素である。

 

また、先述したような勧善懲悪的価値観のもとでは、複数の国で対応したとしても、当事者の「一方のみを」支援してしまうことになる。その意味で、「中立性をたもつ」ことも紛争解決における“正義”の要素のひとつである。

 

ルワンダの悲劇を二度と繰り返さぬように、上記の内容をまとめた「紛争初期において、国連を中心とした多国間の協力のもと、ジェノサイドなどに対する中立的な予防措置を速やかにとる」ことが紛争解決における国際社会の“正義”であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

EPILOGUE

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0554032  木村 圭吾

 

 

 

始めに各章における正義を簡潔にまとめておきたい。

 

◇国連における正義◇

国連における『正義』とは、“地球人”として広く善人を愛し、その人々の利益となることをし、悪と理にかなった強さで戦い、善を守ること

 

◇ソマリアにおける(国連の)正義◇

世界のあらゆる情報収集を迅速に行い、それらを正確に判断して的確な処置を行い、また、持ちえる権力を最善に活かせる機関であること

⇒「専門性」をもった常設軍を有することが望まれる

 

◇パレスチナにおける正義◇

・なされた不正を正すのに必要以上の力を行使することなく社会全体の幸福を保証する秩序を実現し維持すること

・自分にとっての正義を貫くことではなく、相手の視点に正義と映ること行いをすること

 

◇アフガニスタンにおける正義◇

その地にはその地なりのやり方、正義があり、これらを伝統のもとに守ること

自国の伝統だけではなく、他国の伝統をも守ること

⇒侵略や干渉は認められず、国連は情報力を強化しこれらを予防するべき

 

◇ベトナムにおける正義◇

・全世界の人々が、幸せに、裕福でなくても最低限衣食住が満ち足りている暮らしができるよう行動すること

・支援する側は自分の利益を考えずに、純粋に相手のためになることを行う

⇒国連は支援という名のもとに、明らかな不備のある場合は一国の政治制度や政策に積極的に関わる権利を持つことが望まれる

 

◇ルワンダにおける正義◇

・殺人を憎み、肌や目の色、文化が違う“隣人”と平和に暮らしていくことが素晴らしいこと

・国連は紛争初期における、予防的な活動を行う

紛争解決においては中立性をたもち、多国で取り組むこと

 

 

 

以上、ソマリア、パレスチナ、アフガ二スタン、ベトナム、ルワンダの諸問題から国際連合の在り方を見直す形で国際社会における“正義”を探ってきた。それぞれの地域は飢餓や貧困、内部紛争、国際テロリズムなどの問題を抱え、国民たちの平和な生活が脅かされている、というのが現状である。しかし、この現状が国際社会の正義に反しているのか、適っているのか。その考え方は二通りあるようである。まず反していると捉える見方から国際社会の正義を定義すると、人類共通の利益は平和であり、それを侵す立場は悪とされる。ゆえに人々の平和を脅かす存在は排除されなければならず、社会は国際機関によって何らかの形で統治され、平和を目指す方向に向かう。国際連合という概念が生まれた根底には、人類共通の幸せを肯定的に捕らえる見方があり、つまり、国際社会は世界平和を実現させるというひとつの道筋にむかって共に歩むことが可能であるといえる。他方、今の国際社会の現状が正義に適っているという見方はどうか。ここで正義と呼ばれるものは、己を守ることである。永きに渡る人類の歴史のなかで生まれた多くの民族、文化、宗教、そして国家。これらには個々に自らの正義を持ち、時に互いが対立することも止むを得ない。武器を持ち、平和を乱すようなことになろうとも己を守ることこそ正義なのだ。つまりは人類に共通する幸せ、という概念が存在せず、ナショナリティーを尊重するなかで個々の幸せは見出されるのである。前者のような正義が国際社会で声高に叫ばれるようになった背景には、20世紀の世界大戦という大きな悲劇が起因していることは言うまでもない。近代化に伴う科学技術の進歩は、いつしか人類を破滅に追いやるほどの巨大な力を持つようになった。再び今の国際社会が世界大戦に巻き込まれるような事態が起これば、それは人類の歴史に終止符がうたれることを意味する。しかしながら民族や宗教において、自分たちを守るという正義が存在する以上、国際社会が武器を放棄し足並みを揃えて平和に向かう方向には思うように進んでおらず、ジレンマを引き起こしている。この“理想の正義”と“現実の正義”の狭間で揺れ動いているのが国際社会の現状なのである。

 

さて、この正義の二元化をいかにして解消し、国際社会はどのような道を歩むべきなのか。まず考えたいのは「戦争」についてである。前述のとおり、今日において戦争は人類を滅ぼす力を備えており、脅威の存在である。“理想の正義”の見地からすれば、世界中からありとあらゆる兵器が根絶されることが望ましい。それによって、人類は平和を手にするであろうし、パレスチナで、アフガニスタンで、ルワンダで、むやみやたらと罪なき人々の血が流されることも無くなる。だが、“現実の正義”ではまったく逆である。力を持った兵器を抑止するのは、兵器それ自体に他ならない。己を守るために個々が兵器を持ち、それらが拮抗し、危ういバランスの中で平和が保たれるのだ。兵器の脅威が増せば増すほど、抑止力としての効果も大きくなるが、一方では、誰か一人の些細な判断によって最悪の過ちを犯してしまうことにもなりかねない。さらに、紛争や内戦、テロリズムといった個と個の主張がぶつかる場面でも、兵器が選択肢として用いられることを余儀なくされる。パレスチナの章でも少し触れられたが、現在国際社会において戦争に関する考え方は三種類に分けられる。いかなる場面でも戦争ないし軍事力の行使は正当化しないとする(ⅰ)絶対平和主義、ある一定の国際ルールを設けてその条件の範囲内で合致できる戦争のみ肯定するという(ⅱ)戦争限定主義、戦争は主権国家の固有の権利としそれを制限するようないかなる規制も存在してはならないとする(ⅲ)戦争無差別主義がそれである。ちなみに、国際連合の規律を定めた国際連合憲章からみる国連の立場というのは(ⅱ)に該当する。国連憲章においては加盟国に対して国際紛争の平和的解決を義務付け、「武力による威嚇または武力の行使」を禁じている。ただし、例外として認めているのが自衛権の行使である。この行使にあたっての発動要件は厳しく制限されており、外国からの侵攻、攻撃が行われて初めて発動できるものとし、攻撃を受ける恐れがあっても決して先制攻撃は認められず、自衛のための処置も必要最小限のものに限られる。本来は軍縮による絶対平和主義が理想なのだろうが、現在の国際社会において各国の軍備増強は歯止めが利かず、いつ何時攻撃を受けることになるかもしれない状況において、兵器を手放すことはできない。しかも、この国連憲章は十分な効力を発揮しているとは言えず、アフガンやイラクのようにアメリカの自衛の域をはるかに超えた武力行使を抑えることはできなかった。「戦争」について国際社会の正義を見る限りは“現実の正義”を色濃く反映しているようである。

 

それでは、世界大戦という悲劇を体験してもなお世界を破滅に追いやるほどの兵器を開発・保有し、自らの平和がいつ崩壊するかもしれぬ脅威と隣り合わせになりながら、国際社会では“現実の正義”があり続けるのか。つまりは“理想の正義”を掲げる国連が現段階でその影響力を拡大することができないでいるのだろうか。もちろん、多くの正義が各民族や宗教間に混在していることも一因であるが、それらが対立し合い、兵器で応戦する今の実情にはからくりがある。“資本主義による自由競争”である。今日の国際社会をリードする先進各国は資本主義経済のもと、豊かな生活と高水準の社会指標を実現させてきた。日本経済が戦後60年で活気ある経済を再建できたのも、アメリカ主導で市場に自由競争原理を働かせたことによる功績が大きい。一方で、これらの競争社会には勝者がいると同時に敗者もいる。今の国際社会は人類共通の平和という国連創設の理念とは裏腹に、一部の貧困や紛争によって一部の富や平和を保障するという体系から成り立っている。事実上、人類共通の利益など認められないのだ。先進国はドルや円、ユーロといった力を持った国際通貨によって国際経済を掌握し、国際社会において発言権や実行権を意のままにする。国連という国際機関は人類共通の平和を自らも目指しているというアピールのための一種の隠れ蓑であり、実際に国連が力を持つことは先進各国にとっては避けるべきことにほかならない。まずこの先進各国のエゴイズムを排除しなければ“理想の正義”はいつまで経っても空言の域を脱することはできないだろう。国際経済が先進国の一人勝ちにならぬよう体系を改革し、アフリカや中央アジアのように経済基盤が弱い国や地域の経済を安定させ、さらに国際社会における発言権を強化していかないと国連の理念は達成へと向かわない。

 以上のことから、国際社会が果たすべき正義とは経済体系の改革、それによる世界各国の立場が反映された国連を組織すること。そしてそれらが整ってこそ、世界は軍縮に向けて具体的な指針を持つことができ、“現実の正義”におけるナショナリティーを守るための手段が平和的な話し合いのもと進められることになることで、最終的に“理想の正義”である人類共通の利益が獲得されるのではないだろうか。パレスチナやルワンダの紛争に見られるように各民族、各宗教によってそれぞれの正義があり、それらを統一しようとすることは不可能なのだ。つまり、兵器がある以上戦争・テロリズムが無くなることはない。しかし、戦争やテロが続くならば人類は確実に破滅に向かうことになる。国際社会において軍縮は絶対であり、最大の正義である。その役目を果たせるのは国連のみであり、国連という概念が成長するためにはすべての地域、すべての国が平等に権利を有するような新たな経済体系が望まれる。資本主義社会の恩恵を受ける先進各国が果たしてこの痛みを受け入れることができるのか。“現実”が“理想”へ近づけるか否か、最大の正義の行く末は先進国に託されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考資料

URL

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SOMALIA

 

   

1            図2                図3 

 

 

【参考資料】

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AFGHANISTAN-

 

     

  

 

 

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タリバーン支配下のカブール http://www.asiawave.co.jp/afghan1997KABUL.htm

タリバーン政権下の女性たち http://www.asiawave.co.jp/afghanFURUI.htm

田中宇の国際ニュース解説 「アフガニスタン民主化の茶番」

http://tanakanews.com/e1019afghan.htm

田中宇の国際ニュース解説 「タリバンの復活」

http://tanakanews.com/e1019afghan.htm

田中宇の国際ニュース解説 「終わらないアフガン内戦」

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アフガニスタン復興の現状と支援のあり方 ―アフガン・イメージの見直し―

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アフガニスタン情報 -ひとめでわかるアフガニスタン情報

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RWANDA-

 

 

(ルワンダ難民写真集より)

 

参考URL

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