世界と日本のスキー歴史館・歴史・年表・年譜 アルペンスキー競技☆歴史

アルペンスキー競技の種目



アルペンスキーコンバインド(複合)
 一般的な複合競技では、日程を2日間に分け「1日目・滑降、2日目・回転」とすることが多いが、回転1本と滑降(またはスーパー大回転)1本を同じ日に実施するスーパー複合という方式もあり、'05シーズンからスタートし、FISワールドカップでは多く開催されている。
 種目としての複合が最初に実施されたのは、1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック。
 1988年のカルガリーオリンピックで再び男女複合が復活し('36 '48以来)、また男女スーパー大回転が追加され全5種目となった。

スーパー・コンビネーション(スーパー複合、SC))
 2004/2005シーズンからは新しい種目が追加された。スラローム(1本のみ)とダウンヒルを1日で行なう「スーパー・コンビネーション」である。午前9時からスラローム、午後1時からダウンヒルという過激なスケジュールである。
 この種目は2005年は、男子が2005年1月14日、ウェンゲン(スイス)でベンヤミン・ライヒ(AUT)が優勝。女子は2月27日、サン・シカリオ(イタリア)で、ヤニツァ・コステリッチ(クロアチア)が優勝。
 長年にわたりワールドカップの複合では、実際に競技を実施せずに、同じ開催地で別々の日に組まれたスペシャルDHとスペシャルSLの成績によって順位を決める方式が採用されていた。記録上だけでのレースなので、「ペーパーレース」と称されていた。
 2000年代中盤以降、国際スキー連盟(FIS)はスーパー複合方式の導入を進め、従来のペーパーレースを置き換えていった。2005-06シーズンには、ワールドカップにおいて男子のスーパー複合が3回に対してペーパーレース1回、女子はスーパー複合2回でペーパーレースなしであった。



スキー競技会の誕生日とそれぞれの歩み


★ クラッシックレース
◇三大クラシックレース
 アールベルグ・カンダハー大会(1928年)、ラウバーホルン大会(1930年)、ハーネンカム(Hahnenkamm)大会(1931年)と相次いでスタートした3大会。
 1966年にワールドカップがスタートしたとき、この3大会はFISワールドカップスキーの中心的なレースとして指定された。
1911 明治44年 ◇カンダハー・スキークラブにてカンダハー伯の主催で、初の滑降レース「ロバー卜・オブ・カンダハー・スキー大会(the Roberts of Kandahar Cup)」開催。
 場所はクランモンタナ (Montana-sur-Sierre) 。これが有名なカンダハーの滑降レース(1928)となる。それは1922年の初のスラロームレース(スイスのミューレン)へと引き継がれていく。
1928 昭和3年
カンダハー大会


(後に、3会場
 持ち回り開催)
◇3月に、イギリスの貴族、サー・アーノルド・ラン(arnold Lunn 名門スキークラブ、カンダハークラブの創設者)がハンネス・シュナイダー(Hannes Schneider)と協力し、国際的なアルペンスキー競争「アールベルグ・カンダハー競技」を開催する。
 さかのぼること17年、アルペンスキーの大きなレースは、1911年にシオンの谷のクランモンタナで、カンダハー伯の主催で開かれている。これが有名なカンダハーの滑降レース(1928)となる。

◇アールベルグ・カンダハー大会
1928年に開催された最古のクラシック。「アールベルグ」と「カンダハー」という2つのスキークラブの対抗戦として開始したこの大会、現在はサン・アントン(スイス)、シャモニ(フランス)、ガルミッシュ・パルテンキルヘン(ドイツ)の3会場で持ち回り開催になっている。ちなみ05シーズンでは、1月のシャモニーと、2月のガルミッシュでのダブル開催。

◆シュテム・シュブングの進化
 1928年のそこで競われたのは、シュテム・シュブングの優劣であった。オーストリア選手の圧倒的な力が証明されて、オーストリアはスキー大国と呼ばれることになった。
 そのスキー界にひとりの鬼才が現れた。アントン・ゼーロスはスラロームの名手として世界の注目を浴びていたが、シュテム・シュブングを進化させて、強い前傾と上体の順方向へのひねりによって、より速く、しかも鋭いターンを生み出したのである。そのゼーロスの技法はテンポ・シュブングと名付けられ、パラレル・シュブングの基礎となった。
【日本のスキーを語る 連載41 志賀仁郎(Shiga Zin)】 シュテム・シュブングはいつ消えたのかより、この部分は参照)
 この志賀さんの資料を信用すれば、この1928年大会で使われた技術はオーストリア勢のシュテムを中心に、ゼーロスのテンポ・シュブング。従って競われた競技種目は、滑降競技ではなく、回転競技(スラローム)ということになる。

◇ 1975年ガルミッシュの滑降「カンダハーコース」
 1954年以降、コースはほとんど変わってはいない。全長3140m、標高差820m。ゴール以外はまったく日が当たらず、暗く急峻で、最も多くの怪我人を出しているダウンヒルコースなのである。1994年、オーストリアのウルリケ・マイアーがレース中に死亡。
 フランツ・クラマーはこの最も危険なコースで、驚異的な平均時速109.42km/hを記録し優勝した。

◇ 2010カンダハー大会(1928年スタート)は、戦争などによる中断は不明だが、誕生来82年になる。
 この'10ガルミッシュのカンダハー男子DHを制したのは、23歳カルロ・ヤンカ(SUI)。ステンマルク、トンバ、ヘルマンに次ぐ、スーパースターになる可能性大、と当サイト管理人は見ている。
1930年、昭和 5年
ラウバーホルン大会
ラウバーホルン大会がスタートした。

◇ラウバーホルン大会 ウェンゲン(スイス)
1930年に開始。三大クラシックの中でも第2次世界大戦中に唯一継続され、'05で75回目を迎える名門大会。
 第二次世界大戦の期間中、他のレースは全て中止に追い込まれても、開催を続けた。戦争でスポーツの灯を消してはならない、という地元の人たちの努力のたまものだ。
 戦後はトニー・ザイラー(AUT)が55〜58年まで滑降で4連勝を上げている。
 ワールドカップに指定されてからは、インゲマル・ステンマルク(SWE)の75〜77年の3連勝を含む回転5勝、フランツ・クラマー(AUT)の75〜77年の滑降3連勝が光っている。

◇ ウェンゲンのクラシック「ラウバーホルン」回転レース。

 スタート:1445m、ゴール:1290m、全長:480m、標高差:155m
 最大斜度:36度、最小斜度:5度、平均斜度:19度
 回転コースは最大36度という「壁」のような急斜面という超難関大会でもある。(新設のコースではこんな急斜面は許可にならない。)
 2003年の72回大会では佐々木明(ガーラ湯沢SC)選手が2位入賞。
◇ ウェンゲンのクラシック「ラウバーホルン」滑降レース。
「ラウバーホルン」滑降レース。FIS公認コースとしては世界一長い滑降コースで、全長4,260m(〜4,455m)、標高差1,012m(〜1,028m)。
 1969年にカール・シュランツ(AUT)は3分01秒60を記録。これはジャンクロード・キリー(FRA)の成績を5秒16破るコースレコードだった。
 6年後の1975年フランツ・クラマー(AUT)は、それまでのカール・シュランツの持つ記録を一気に26秒41も短縮し2分35秒19のコースレコードで優勝。しかも2位のヘルベルト・プランク(ITA)に3秒54という大差。

 '08ウェンゲンでは、上部の緩斜面では80km/h、それがトンネルを抜けて急斜面入ると150km/h弱。'08WCで総合優勝したボディー・ミラー(アメリカ)も148km/hほど。また30位以下の選手でも、145km/hは大勢いた?ように管理人は記憶。
◇2010年ウェンゲンのラウバーホルン大会が今季で80回。キッツビューエルのハーネンカム大会は70回。いずれ劣らぬ歴史と伝統の大会である。
◇3年連続勝利は成らなかったボディ・ミラーですが、ウェンゲン滑降レースとはいろいろあります。
1931年 昭和 6年
ハーネンカム大会
キッツビューエル(チロル州・オーストリア)ハーネンカム(Hahnenkamm)大会がスタートした。

◇ハーネンカム大会 キッツビューエル(オーストリア)
 ハーネンカムの滑降コースはスタート地点が標高1660m、ゴールが800m、全長3510m、標高差860m。見通しが悪く、恐ろしいほど蛇行する急斜面、世界でもっともテクニカルで難しい滑降コースと言われている。また国内中のファンが大挙して詰めかけるため、世界一熱い熱いスキー大会としても有名。

◇ダウンヒルではフランツ・クラマー(AUT)。'75年から'77年まで3年間連勝優勝の偉業を成し遂げ、7年後の'84年にこのコース4勝目を上げた。ダウンヒル最多優勝記録である。
◇インゲマル・ステンマルク(SWE)は、ハーネンカムのスラロームで5勝を上げた。1982年には2位のフィル・メーア(USA)に3秒16の大差で優勝し、ワールドカップ・スラロームにおけるレコードとしてギネスブックにも載っている。
◇コースレコードは1997年にフリッツ・ストローブル(AUT)が出した1分51秒58である。
◇2010年ウェンゲンのラウバーホルン大会が今季で80回。キッツビューエルのハーネンカム大会は70回。いずれ劣らぬ歴史と伝統の大会である。
 ハーネンカム大会は、単純計算すれば2010年-1931年+1 = 2010年は80回になるハズだが、それが70回とは、間で戦争などにより10回の中断があったのだろうか。

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★ オリンピック
1924 大正13年 ◇第1回冬季オリンピック、シャモニー(仏)大会開催。参加16カ国258名で日本はゼロ。(日本の初参加は1928 昭和3年 第2回サンモリッツ大会)
 スキー種目は距離(クロスカントリー18kmと50km)、耐久、リレー、ジャンプのみ。アルペン競技が正式種目に採用されるのは、1936年の第4回から。
1936 昭和11年 ◇第4回冬季オリツピック、ガルミンシュ・バルテンキルヘン(ドイツ)大会開催。28カ国755名(668名との資料もある)が参加。
 この大会からアルペン競技が正式種目となる(種目はダウンヒルとcombined スラローム)。
1937 昭和12年 ◇I.O.C.ワルソー総会で、第5回冬季大会が札幌に決定されたが、アマチュア資格問題により、I.O.C.とF.I.S.が対立し、スキー競技が冬季大会から除外される。
1952 昭和27年 ◇第6回冬季オリンピック、オスロ(ノルウェー)大会開催。30カ国732名が参加。アルペン複合が廃止され、大回転が加えられる。女子距離競技が新設される。
1956 昭和31年 ◇第7回冬季オリンピック、コルチナ・ダンペッツオ(伊)大会開催。トニー・ザイラー(オーストリア)がアルペンの三冠王となる。
 日本からは7名参加(日本選手団スキー監督は野崎 彊)。一時は片足反則かと騒がれたが、猪谷千春がスラロームで2位に入り、日本初のスキー・メダリストが誕生する。
◇日本のスキー人口は600万、または700万人とも。
1964年 クリスチーヌとマリエル・ゴワシェル姉妹(フランス)
 1インスブルック冬季オリンピック・アルペン女子回転。クリスティーヌが金メダル、姉マリエルが銀メダル。大回転では逆にマリエルが金メダル、クリスティーヌが銀メダル。
 1つ五輪でゴワシェル姉妹が4つのメダル、それもすべて金か銀という素晴らしさ。
 (ちなみに1984年サラエボ・アルペン男子回転では、兄フィリップ・メーアが金 、スティーブ・メーアが銀メダル獲得。アメリカの双子兄弟による1、2フィニッシュである。)
1968 昭和43年 ◇第10回冬季オリンピック、グルノーブル(フランス)大会開催。
 ジャン・クロード・キリー(フランス)が史上二人目のアルペン三冠王となる。
1972 昭和47年 ◇第11回冬季オリンピック、札幌大会開催。
 (当HP管理人 注: アルペン優勝候補カール・シュランツ(オーストリー)が、アマ・プロ問題で五輪から追放。但し1989年IOCが過去の非を認め復権 (えん罪?による追放と名誉回復))
 (当HP管理人 注: アルペンスキー界1970年代の10年間はアンネマリー・ブレル大活躍の時代。WC通算62勝は約30年後も女子歴代1位。)
 (70m級ジャンプは、1位笠谷幸生、2位金野昭次、3位青地清二、と3位まで独占。複合5位勝呂祐司。)
1980年  インゲマル・ステンマルク(Ingemar Stenmark、ウェーデン )レークプラシッドオリンピック、大回転と回転でそれぞれ金メダル。
 インスブルックオリンピック(1976年)大回転で銅メダル。
 ちなみにワールドカップ1976/1st, 1977/1st、1978/1stと3年連続のクリスタルトロフィー獲得の偉業。不出生の天才スラローマー。1989年3月 志賀高原を最後に引退。ワールドカップ通算86勝(回転 40勝、大回転46勝)は、歴代第1位である。
 World Championships(世界選手権)も1974〜1987まで5回出場し、2大会で金3、銀1
1988 昭和63年
◇第15回冬季オリンピック、カルガリー大会開催
 A・トンバ(伊)、大回転・スラロームの2冠王。
 この大会の特徴は、男女複合が復活し('36 '48以来)、新たにスーパー大回転が追加され全5種目となったこと。
 ちなみにスーパーG(またはSG)はアルペンスキー競技種目の中では最も歴史が浅く、種目としての誕生は不確かだが1980年代であろう。
1992 平成4年 ◇第16回アルベールビル五輪(フランス)開催。
 コンバインドの三ケ田礼一、河野孝典、阿部雅司、荻原健司の日本チームが金メダルを獲得。
   ※ 第16回までは、夏季オリンピックと同年開催。第17回からは、夏季オリンピックの中間年に開催。
     なお1940、1944年は第二次世界大戦のため中止。
1998 平成10年 ◇第18回長野オリンピック開催。
 日本チームがメダルラッシュ。ジャンプ団体(岡部孝信・斉藤浩哉・原田雅彦・船木和喜)金メダル。
 ラージヒル船木・金メダル、原田・銅メダル。  ノーマルヒル船木・銀メダル。
 フリースタイル・女子モーグルで、里谷多英が金メダル。
   史上最多のメダルを獲得した。
ワールドカップヴェイソンナ(SUI)で木村公宣が3位。
2006 ヤニツァ・コステリッチ(クロアチアCRO)
 2002 ソルトレイク(USA) K/1位、GS/1位、SL/1位、SG/2位
 2006 トリノ(ITA) K/1位、 SG/2位、SL/4位、 五輪アルペンスキー史上女性初となる4冠を達成。
 2回の五輪で合計4個の金メダル、2個の銀メダルは、五輪アルペンスキー史上女性最多のメダル獲得数。

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★ 世界選手権大会
1931 昭和6年 ◇F.I.S.が、スイス・ミューレンで国際競技会(現在の世界選手権大会)を開催(アルペン種目)。
1937 昭和13年 ◇シャモニー(フランス)で開催。エミール・アレー(Emile Allaisフランス)は、滑降と回転の2種目に圧勝。コンビネーションにも金メダル。世界一のアルペンレーサーとなっている。
 フランス人は誰も勝ったことのないアルペン競技でのエミールの活躍で、フランス中が沸き返った。
1954 昭和29年 ◇世界スキー選手権大会アルペン競技に、日本から戦後初めて参加する。
1966 昭和41年 ◇夏8月、チリのポルチーヨで世界選手権大会。標高2885mの高地で行なわれた。
 フランスのアルペンチーム絶頂期で、24個あるメダルのうち16個ものメダルを獲得。ジャン・クロード・キリーは滑降勝利のあと、スキーとブーツ、ウェアを付けたままでプールに飛び込んだ。
(管理人のおぼろげな記憶では、この時の滑降レースでの優勝したキリーは平均120km/h)
◇1966年8月11日、スキー・ワールドカップの誕生宣言
1978年 インゲマル・ステンマルク(Ingemar Stenmark、ウェーデン )
 World Championships(世界選手権)も1974〜1987まで5回出場し、2大会で金3、銀1
  1978 Garmisch Partenkirchen GS/1st, SL/1st.
  1982 Schladming GS/2nd, SL/1st.
 ちなみにオリンピックでは1980レークプラシッド、大回転と回転でそれぞれ金メダル。
 インスブルックオリンピック(1976年)大回転で銅メダル、
 ワールドカップでは1976/1st, 1977/1st、1978/1stと3年連続のクリスタルトロフィー獲得の偉業。不出生の天才スラローマー。1989年3月 志賀高原を最後に引退。ワールドカップ通算86勝(回転 40勝、大回転46勝)は、歴代第1位である。
1993年 荻原健司、ノルディック複合で個人・団体の2冠優勝。
1995年 荻原健司・次晴の双子兄弟、ノルディック複合・団体戦で優勝。

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★ ワールドカップ
1966 昭和41年 ◇夏8月、チリのポルチーヨで世界選手権大会。標高2885mの高地で行なわれた。
◇1966年8月11日、スキー・ワールドカップの誕生宣言
1986 昭和61年 ◇第1回F.S.S.(フリースタイル・スキー)世界選手権大会開催(フランスのティーニユ)。
1967 昭和42年 ◇1967年1月5日、ワールドカップ第1戦のスラロームが、ドイツのベルヒテスガーデンで行なわれた。ハイニ・メスナー(AUT)がこの歴史的勝利。
◇数日後ジャン・クロード・キリーの連続勝利が始まった。「私にとってワールドカップは、世界選手権、オリンピックなどより、はるかに重要なものである」とキリーは言った。
1973 昭和48年 ◇日本で最初のワールドカップレース、苗場大会開催。
 柏木正義の回転10位入賞は、日本人初のワールドカップ獲得ポイント。
1978 インゲマル・ステンマルク(Ingemar Stenmark、ウェーデン )が総合優勝。976/1st, 1977/1stと3年連続のクリスタルトロフィー獲得の偉業。不出生の天才スラローマー。1989年3月 志賀高原を最後に引退。ワールドカップ通算86勝(回転 40勝、大回転46勝)は、歴代第1位である。('07シーズン現在も最多記録で、第2位ヘルマン・マイアー AUT 53 を大きく離している。)
 ちなみにオリンピックも、インスブルック(1976年)大回転で銅メダル、レークプラシッド(1980年)大回転と回転でそれぞれ金メダル。
 World Championships(世界選手権)も1974〜1987まで5回出場し、
  1978 Garmisch Partenkirchen GS/1st, SL/1st.
  1982 Schladming GS/2nd, SL/1st.
1979/80シーズン
1980 昭和55年 ◇日本初のジャンプ・ワールド・カップ大会、札幌で開催される。
◇1979/80シーズン、姉弟でワールドカップの総合優勝を果たしたアンドレアスとハンニリヒテンシュタイン)。ワールドカップの歴史の中で、男女ともに姉弟が総合優勝を飾ったのは唯一、という快挙である。
 弟アンドレアス・ウェンツェル、ワールドカップ 通算 14勝 (内、SG1勝、GS3勝、SL4勝、K6勝)
 姉ハンニ・ウエンツェル、通算 33勝。かつ、1977/78シーズンと1979/80シーズンの2回総合優勝を果たした。
83年  81〜83年までフィル・メーア(アメリカ)が、連続3年間W杯総合V。1984年引退。
 フィル・メーアが持つ通算27勝(内GS7、 SL 9、K11勝)というアメリカ人による最多勝利記録が破られるのは、実に彼の引退24年後の2008年、ボディ・ミラー(MILLER Bode)によってである。
1993 平成 5年 ◇ワールドカップ・ノルディック複合(コンバインド)で、荻原健司選手が日本選手初のWC総合優勝。
1994年 シルビア・エダー(AUT)は、14年間、高速系のスペシャリストとしてワールドカップで活躍している。
UT)は、14年間、高速系のスペシャリストとしてワールドカップで活躍している。
 優勝経験は、デビュー翌年の1982年バドガスタイン(AUT)滑降レース。そして引退する1994年に、ヴェイル(USA)スーパーGで2勝め。この間、12年間である。2勝目までの最長記録ではないだろうか?
1995年 荻原健司・次晴の双子兄弟。W杯でリベレツ(チェコ)とオスロ(ノルウェー)で、兄弟で2度の1、2位ゴール。(いずれも1位は健司)。
 さらに同年の世界選手権大会の団体戦で健司とともに優勝。
02/03 ◇ビルギット・ヘーブ・バトライナー(LIE)、ワールドカップ13年目にしての初優勝
 02/03女子大回転第2戦、パーク・シティ(米国ユタ州)で大回転のスペシャリスト、ワールドカップ13年目にしての初優勝である。
 リヒテンシュタインの優勝ということになると'84年3月20日、ズイーゼル(BRD=当時)でハンニ・ウェンツェルが優勝して以来ということになる。
2008年1月18日 ◇ワールドカップ勝利の最年長記録マルコ・ビュッフェル(LIE)
 2008年1月18日キッツビュールのスーパーGは、リヒテンシュタインの大ベテラン、36歳のマルコが優勝。ワールドカップ勝利の最年長記録更新。
 これは前'07シーズンのLake Louise(CAN ・2006年11月25日)男子滑降レース第1戦に優勝し、創った最年長記録35歳と21日を、36歳のマルコ自身が塗り替えた偉業である。
 「36歳ワールドカップ勝利の最年長記録マルコ・ビュッフェル(LIE)」(36歳2ヶ月と14日)
2010年 ◇ウェンゲンのラウバーホルン大会が今季で80回。キッツビューエルのハーネンカム大会は70回。いずれ劣らぬ歴史と伝統の大会である。
  Wengen1967-2013全98Races優勝者名
  Kitzbuehel Men's Races(ski-db.com/ '67〜歴代勝者リスト 英語サイト)
◇2009年12月30日 アルペンスキーワールドカップ男子滑降第4戦はイタリアのボルミオで行われ、スロベニアのアンドレイ・イエルマンが2分00秒32で優勝。本人は3シーズンぶりの優勝だが、スロベニア人による滑降レース優勝は、アルペンWC史上初ではないだろうか。

クラッシックレースについて、詳しく説明

*ワールドカップポイント
1位100p、2位80p、3位60p、4位50p、5位45p、6位40p、7位36p、8位32p、9位29p、10位26p、11位24p、12位22p、13位20p、14位18p、15位16p、16位15p、17位14p、…30位1p

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★ 全日本スキー選手権
1923 大正12年 ◇第1回全日本スキー選手権大会が小樽で開催される。(アルペンスキーが採用されたのは第15回 1937年 滋賀県・伊吹山から? )
1924年 ◇第2回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技) 新潟・高田
1925年 ◇第3回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技) 青森・大鰐
1926年 ◇第4回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技) 樺太・豊原
1927年 ◇第5回全日本スキー選手権大会 大正天皇崩御のため中止
1928年 ◇第6回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技) 北海道・札幌
1929年 ◇第7回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技) 新潟・高田
1930年 ◇第8回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技) 青森・大鰐
1931年 ◇第9回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技) 樺太・豊原
1932年 ◇第10回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技) 長野・野沢温泉村
1933年 ◇第11回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技) 北海道・札幌
1934年 ◇第12回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技) 青森・大鰐
◇第回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)
1935年 ◇第13回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌
1936年 ◇第14回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)新潟・小千谷
1937 昭和12年 ◇第15回全日本選手権大会を滋賀県・伊吹山で開催。初めてのアルペン種目が採用(男子新複合、女子滑降のみ)。
1937年 ◇第15回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)秋田・大館
1938年 ◇第16回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)北海道・札幌
1939年 ◇第17回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)北海道・札幌
1940年 ◇第18回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)新潟・高田 /アルペン新潟・妙高高原
1941年 ◇第19回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン北海道・小樽
1942年 ◇第20回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)青森・大鰐
1943年 ◇第21回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)栃木・日光
1944年 ◇第22回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)戦争のため中止
1945年 ◇第23回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)戦争のため中止
1946年 ◇第24回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)中止
1947年 ◇第25回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)中止
1948年 ◇第26回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)長野・野沢温泉村 国体と併催
1949年 ◇第27回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)北海道・札幌 国体と併催
1950年 ◇第28回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)山形・米沢 国体と併催
1951年 ◇第29回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)暖冬のため中止
/アルペン 新潟・妙高高原
1952 昭和27年 ◇第30回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン 北海道・富良野
 全日本スキー選手権大会と国民体育大会スキー競技会が分離される。
1953年 ◇第31回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)秋田・大館 /アルペン秋田・大湯町
1954年 ◇第32回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)新潟・高田 /アルペン新潟・妙高高原
1955年 ◇第33回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン北海道・富良野
1956年 ◇第34回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)秋田・大館 /アルペン秋田・大湯町
1957年 ◇第35回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)長野・野沢温泉村 /アルペン長野・志賀高原
1958年 ◇第36回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・小樽 /アルペン長野・志賀高原
1959年 ◇第37回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)青森・大鰐 /アルペン長野・志賀高原
1960年 ◇第38回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)新潟・高田 /アルペン新潟・妙高高原
1961年 ◇第39回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技/アルペン)長野・志賀高原
1962年 ◇第40回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン北海道・ニセコ
1963年 ◇第41回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン長野・白馬村
1964年 ◇第42回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)青森・大鰐 /アルペン新潟・苗場
1965年 ◇第43回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン新潟・苗場
1966年 ◇第44回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)青森・大鰐 /アルペン長野・白馬村、宮城・鳴子町
1967年 ◇第45回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌/アルペン長野・白馬村
1968年 ◇第46回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌/アルペン新潟・苗場
1969年 ◇第47回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・小樽/アルペン長野・志賀高原、新潟・苗場
1970年 ◇第48回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・小樽 /アルペン北海道・札幌
1971年 ◇第49回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・小樽 /アルペン北海道・札幌
1972年 ◇第50回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)青森・大鰐 /アルペン長野・白馬村
1973年 ◇第51回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン長野・野沢温泉
1974年 ◇第52回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン長野・白馬村
1975年 ◇第53回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン北海道・富良野
1976年 ◇第54回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン北海道・富良野
1977年 ◇第55回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン秋田・田沢湖町
1978年 ◇第56回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌/小樽 /アルペン長野・白馬村
1979年 ◇第57回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)札幌/大鰐 /アルペン北海道・ニセコ
1980年 ◇第58回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)青森・大鰐 /アルペン北海道・ニセコ、長野・白馬村、北海道・札幌
1981年 ◇第59回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン青森・大鰐
1982年 ◇第60回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)大鰐・札幌 /アルペン青森・大鰐
1983年 ◇第61回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン岩手・雫石
1984年 ◇第62回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)田沢湖・札幌 /アルペン岩手・雫石
1985年 ◇第63回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン岩手・雫石
1986年 ◇第64回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・旭川 /アルペン北海道・旭川
1987年 ◇第65回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技 /アルペン)北海道・旭川
1988年 ◇第66回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)青森・大鰐 /アルペン長野・志賀高原
1989年 ◇第67回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン長野・志賀高原、北海道・名寄
1990年 ◇第68回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン岩手・雫石、北海道・旭川
1991年 ◇第69回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)秋田・鹿角市 /アルペン岩手・雫石、北海道・旭川
1992年 ◇第70回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)札幌・倶知安町 /アルペン北海道・白滝村、長野・白馬村
1993年 ◇第71回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)白馬村/札幌 /アルペン北海道・ニセコ、青森・大鰐
1994年 ◇第72回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン北海道・白滝村、青森・大鰐
1995年 ◇第73回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)長野・白馬村 /アルペン長野・白馬村、長野・志賀高原
1996年 ◇第74回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)長野・白馬村 /アルペン岩手・雫石、長野・志賀高原
1997年 ◇第75回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・音威子府村 /アルペン長野・白馬村、岐阜・鈴蘭高原
1998年 ◇第76回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌 /アルペン岩手・雫石、群馬・尾瀬岩鞍
1999年 ◇第77回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)白馬村/音威子府村 /アルペン岩手・雫石、長野・白馬村
2000年 ◇第78回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌/長野・白馬村 /アルペン岩手・雫石、長野・志賀高原
2001年 ◇第79回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)長野・白馬村/北海道・札幌 /アルペン長野・野沢温泉、岩手・雫石
2002年 ◇第80回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)長野・白馬村 /アルペン長野・白馬村、岩手・雫石町
2003年 ◇第81回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌市 /アルペン長野・野沢温泉、岩手・雫石
2004年 ◇第82回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌市 /アルペン長野・白馬、長野・志賀高原
2005年 ◇第83回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌市 /アルペン長野・白馬、長野・野沢温泉
2006年 ◇第84回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌市/音威子府村 /アルペン長野・志賀、長野・白馬
2007 ◇第85回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)長野・白馬 /アルペン長野・野沢温泉、岩手・雫石、長野・野沢温泉
2008 ◇第86回全日本スキー選手権大会(ノルディック距離競技)北海道・札幌市 /アルペン、

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★ 国民体育大会スキー競技会 国民体育大会(wikipedia)
1946年 第1回近畿国体(夏季・秋季)。冬季は翌年。
1947年 第1回近畿国体(冬季スケート - 青森・1月25日〜26日、冬季スキー - 長野県・中止)
第2回石川国体(夏季、秋季のみ開催で、冬季競技は無い)。第1回のみ冬季競技は秋季大会後に開催、以後は秋季大会前に開催となったので、第2回に冬季競技は無い
1948 第3回 国民体育大会冬季大会スキー競技会(長野県野沢)アルペン、ノルディックスキー・スペシャルジャンプ
全日本選手権を兼ねる。(第1回ではスキー中止、2回では冬季大会は存在しない)
1951年 第6回 広島国体  天皇杯(冬)誕生=北海道(冬) 皇后杯(冬)誕生=北海道(冬)
1952 昭和27年 ◇全日本スキー選手権大会と国民体育大会スキー競技会が分離される。
1974 昭和49年
第29回国民体育大会スキー競技会開催(猪苗代)。皇太子ご夫妻、高松宮殿下ご臨席

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★ 全日本学生スキー選手権
1928 昭和3年 ◇第1回全日本学生スキー選手権大会が大鰐で開催される。
1947 昭和22年 ◇全日本学生スキー選手権大会が第20回大会として復活、小樽で開催。(第二次世界大戦のため中断)


★ インターハイ
1952 昭和27年 ◇第1回高等学校スキー選手権大会が水上で開催される。
◇1954(昭和29)年
 第3回全国高校大会開催(猪苗代)
◇1964(昭和39)年
 第13 回全国高校スキー大会開催(猪苗代)
◇1985(昭和60年)
  2月、第34 回全国高校スキー大会開催(猪苗代)
2008年02月 第57回全国高校スキー大会(インターハイ、新潟県の苗場スキー場)アルペン女子SLで、富良野緑峰高3年の武田 里江(18)が初優勝。
 3人の姉に続き、インターハイのタイトルを手にした。4姉妹そろっての全国制覇は大会史上初めて。

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★ 全国中学校大会
1929 昭和 4年
1回全国中学校大会、沼尻にて開催
 全国より大泊、豊原、札幌一中、高田、柏崎の各中学、北海商、高田、山形の各師範学校、福島県内より会津中、福島中、喜多方中、福島師範が参加。
 競技は5km、15km、2km、滑降、ジャンプの5種目。
1930 昭和 5年
第2回全国中学校大会(沼尻)
第1回県中学校大会(猪苗代)
1982 昭和57年
第19回全国中学校大会(猪苗代)
第18回東北中学校大会(猪苗代)
2000 2.10  第37回全国中学スキー大会 福島猪苗代(大回転1位:武田友希・2位:武田千夏)
 北海道の武田4姉妹の長女と次女で1、2フィニッシュ。
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