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用具から見た歴史 スキー靴の変遷 もう1つ別の |
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このページでは、用具と滑り方・技術は密接な関係にあるという観点から、スキー靴を中心にしてスキーの歴史を述べてあります。
昔から国内では用具に関する歴史資料は見つからず、私が若い頃に購読していた、アメリカのスキー誌とスキーイング誌の記事を参考に、資料を作っていました。
それを基に、実業之日本社のSKI'75-No.1〜5に「靴のエンサイクロペディア」を連載しました(各号7ページ程度)。当時としては革新的なもので、一般スキーヤーの方だけでなくスキー界全体にも小さな影響は与えたものと自負しています。
ここでは、その'75-No.1の導入部分で書いた歴史関係のところをベースにして、加筆しました。
2004/ 8/** 土方あきら
スキー靴の歴史
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スキーの男神・ウル |
雪の野山を歩いたり、狩猟したりするために、日常の生活に欠かせぬ道具としてスキーが誕生した。北欧神話のスキーの男神ウルと女神スカディーの姿や、岩壁や洞くつから発見されたスキーの絵を見ても、大半が狩猟をしでいる姿である。その歴史は古く、六千年以前といわれている。
しかし、スキーがスポーツとして急激に発達したのは、19世紀の後半からである。ノルウェーの軍隊にスキー部像が編成されたり、はじめてのジャンプ大会開かれたり、探検家ナンセンがグリーンランド横断に成功したりしている。
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スキー靴の夜明け
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| 編みあげ式ブーツ |
1896年になると、マチアス・ズタルスキーがリリエンフェルト式スキー術を編みだした。アルプスの急斜面に適したシュテム技術を確立し、一本の長い杖と最初の金属金具が特徴である。
この頃の靴は石器時代にくらべれば、大変にすばらしいものになっていた。深くて非常に柔らかで、編みあげ式のよく女性がはいているようなブーツや、一般の作業靴、といったていどのものである(イラスト)。防水と防寒ということで、その上に布のスパッツをつけて滑るのが流行していたようだ。
1920年頃に、ハンネス・シュナイダーの「スキーの驚異」(映画=1920と著書=1924)が発表され、二本杖のアールベルグスキー術が人びとのあいだに急速に広まっていった。
その10年後に、スキーのエッジがラドルフ・レトナーによって考案されている。これによって、高速や氷の斜面の滑走が可能になり、スキーの世界に新しい生命が吹きこまれた。
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| 締具と前傾ベルト |
アッテンホーファーが性能のいいカンダハー式パインディングを開発したのは、1935年である(1912年に解放締具が、スイスの特許庁に登録されたが、実際の製品が誕生したのは、その登録が消滅した後のこと)。
強い前傾とローテーションで有名なエミール・アレーが、国際レースに君臨した時代である。
アールベルグスキー術のシュテムに対し、フランスがパラレルを武器に大論争を挑んでいった。カンダハーという新兵器と前傾の組み合わせで、強いカが靴のカカトに加わり、靴底が曲がってしまうという問題が生まれたが、それも靴底の中に金属板や木片を入れることで解決できた。
その結果、靴の造りもいくぷんしっかりしたものに変わった。それでもレーサーは、2m近い皮ベルトで靴とスキーをしばり、前傾と横への動きの正確さを求めていた。
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近代スキー靴の誕生
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| ヒモ式のスキー靴 |
そのモリトールを追いかけてリーカーが、ダブルの靴を誕生させている。今では17〜28cmくらいの深さがあるが、当時は13cmもある深い靴が生まれたと話題になった。
50年代になると、トニー・スピースやクリスチャン・プラウダによる、オーストリアの大攻勢がはじまった。ローテーションに対し、上体を比較的静かに保つ滑りである。腰から下でのスキーの振りと、減速しないためのフラットな滑りが、一流レーサーの目標になっていった。
その結果、反対の力強いエッジングの効果が発見され、エッジを効かすために靴の横が硬くなり、ほんのわずかずつ深くなってきた。スキー技術と他の用具の進歩が、靴に対してよりしっかりしたものを要求したのだ。しかし、足入れはかえって犠牲にされてしまったようだ。
その頃になると、1952年にはアメリカのA&T社が締具を開発。1954年には西ドイツのマーカーが最初の開放式締具(リリース・バインディング)を開発。このように締具の世界も大きく変化している。
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ハイバックの出現
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1958年ホックランドの世界初の バックル靴 撮影:土方あきら |
コチコチのアイスバーンでも、前傾による切り込み技術と新しい靴とスキーに征服されでしまった。
これは技術だけでなく、フランスチームの新しい靴とスキーの用具開発の勝利でもある。
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| パトリック・リュッセル |
そのエッシング(フランス)のプラスチックのラミネート靴は、高さはふくらはぎまで、前傾は27度もあるというパケモノだった。
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◇その後の、1970年代半ば?の数年間、ロングブーツ ドロミテ(伊)を中心に数社が、まさしく長靴とも呼ぶべきロングブーツを発売した。 膝下までというもの凄い深さのスキー靴だが、大きな流行には至らず、数年で姿を消している。 |
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スキー靴 新素材、新方式の登場
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ローズモント 撮影:土方あきら |
1958年には、同じアメリカのラングが、新しい材料の研究に取り組んだ。プラスチックの靴だが、当初はあまりかわりばえのする靴ではなかったらしい。
しかし、硬いプラスチックを足にフィットさせるために、その後で開発したラングフローは大きな功績である。これが、今日の足型に合わせるパッド材(フォームやフローなど)の引き金になったことはいうまでもない。
オールプラスチックブーツ誕生は同じラング社によってだが、1964年説もある。(Reference.com/Encyclopedia/Ski(英文)
1965年になると、いかにもアメリカ人らしい発想のローズモントが生まれた。非常に硬いプラスチックの外側は、横から二つに開くように設計され、多数のスプリングやネジなどを内蔵し、靴というより精密な機械という感じであった(写真)。
足そのものを根本的に研究し、靴を工学的に設計したものである。従来の靴というイメージを離れ、まったく新しく足と靴を考えなおしたという点で、近代スキー靴の生みの親といっても過言ではなかろう。
但しそれとほど普及することもなく姿を消し、他社からの類似も生まれることもなかった。(なお1975年には、グンゼ産業がローズモントの靴と締具を取り扱っているので、土方の記憶よりも商品は長く続いたのかも知れない。)
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スキー靴 その他、いろいろ
▼プラスチックブーツの誕生・普及今では常識のプラスチックブーツの誕生は、本当にごく最近のことだ。バックルやグラススキーの誕生と同じ1958年に、アメリカのラングが最初に手をつけている。しかしまだしばらくの間は、世界の主流は革靴のままだ。
オールプラスチックブーツ誕生は同じラング社によってだが、1964年説もある。(Reference.com/Encyclopedia/Ski(英文)
次に流行った、皮の上にプラスチックをラミネートした靴の登場はその8年後(1963年頃)。防水性、硬さ、耐久性、天然材には難しい材質の均一性などが、プラスチック材の特徴である。更に色も黒一色だったものが、カラフルになり、しかもその色が鮮やかで、ファッション性からも、若者や女性に積極的に歓迎されていったのは当然である。
その数年後から今日の一体成形のプラスチックブーツが、ぽつりぽつりと増えていき、と同時に革靴とラミネートの靴が減り始め、現在ではそのほとんど全てがこのタイプのスキー靴になっている。
この硬いシェルを締めるためには、もはやヒモ式では不可能で、バックル・スキー靴に変わっていったのは当然である。(1958年にホックランド、またはヘンケが最初のものを開発)
1968か69年頃?の春に(株)エバニューの依頼で、ダハシュタインの赤色のプラスチック・ブーツをテスト。多分、輸入可否の検討のためだったと思うが、男性の自分が初めての赤色ブーツを履き、恥ずかしく感じた記憶がある。
それ以前は、革靴のひも締めが大半だった。
杉山 進さんも「(1968年)私が始めてプラスチック製スキー靴を見たのも、このアスペン(第8回インタースキー)だった。皮革製と違いに違和感を覚えたことを記憶している。これは履けない、とその時思った。靴はラングだった。」とのこと。
時代としては、だいたいこの辺りで間違いないようだ。
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▼ラミネート革
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'73の国内市場ではラミネート(ケミカルシート)が多く、一部にインジェクション成型。エアーフォームとフォーミングも。
このエアーフォームとは、インナーブーツの中に空気室を造り、そこにエアーを注入することでフィット感を調整するもの。多分、西村一良氏(故人)の開発したシステムで、バイソンなどの国産スキー靴メーカー数社で大々的に採用。スキー靴はラミネート(ケミカルシート)であった。数年間は流行したが、その後姿を消した。
▼フォーミングの普及
1970年の夏に、イタリアのサンマルコ社を訪れたときに、初めて開発中のフォーミング・インナーを知り、1夏テスト。'73頃から市場に出始め、その後かなり長い間少なくないシェアを占め、今でも続いている。上級者や選手などを対象に、ウレタン?などの発泡材2液を混合することで、より高いフィット感をもたらすものである。1972年、商品として、フォーミング登場。'72、'73は大ブレーク。その後'74、'75はほとんど姿を消したのは、ショップが持つリスクの大きさという販売システムが主因ではなかったかと、私は思った。その後、上位モデルに復活し、2006現在に至っている。
◇1981 昭和56年に、サロモンがスキーブーツの発売開始。即ちリアエントリータイプが誕生の年かと思う。
リアエントリーは、なによりも着脱の容易さと、シンプルなスタイルで軽量化が図れることがメリットである。しかし、その反面、ホールドが不十分で上級スキーヤーには不向きとされていた。
ところが、サロモンが発売4年目にして、リアエントリータイプだけで世界ナンバー2に成長し、このタイプが多くのユーザーの支持を得たことから、'85シーズン以降は多くのメーカーが後追いで参入している。数年間は一大ブームになる。
しかし'00シーズン頃?には、気がついたらリアエントリーは全く姿を消してしまっていた。それなり長所はあったのだから、改良を続けて一部に残すべき商品であったと私は思う。無責任なメーカーの姿勢を問いたい。
▼小物・スポイラーとパワーベルト
まだスキーブーツがそれほど深くは無かった'69シーズン頃の数年間、スポイラーという商品があった。ブーツの後に差し込み、固定のためにベルト(バックル式?)が付いていたように思う。これによりブーツの後端を深く(高く)することで、アバルマン的な滑りでの後傾時の支えを強くするためのものである。
半分は遊び心とお金がなかったため、仲間のスキーコーチたちとおしゃもじ(へら)をスポイラーとして使った記憶がある。
パワーベルト(ベルクロストラップ)の誕生は不明である。しかし大昔からレーサーたちは、流れ止め革ベルトなどを自分で足首に巻きつけることで、ブーツとの一体感を強めることは行っていた。
'84〜'88の間では、まだ選手などトップモデルのごく一部での採用にとどまっていた。それがその後上級者モデルなどに広がっていく。本来の目的以外にも、ブーツの持ち運びのときにも、パワーベルトは大変に便利である。
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スキー靴 おまけ写真
1935年(昭和10年)頃 スキー靴 |
1958年ホックランドの 世界初のバックル靴 バックル靴普及は1975以降 撮影:土方あきら |
1959年頃のスキー靴 当時の主流はヒモ式 左はダブル、右は選手用 (写真 : 海野治良) |
1967?頃ローズモント(米) 歴史的にも特異な構造の靴 撮影:土方あきら |
左は1970?頃バックル靴、 右は1965頃ヒモ式靴 |
1978サンマルコ(伊)の 靴・トップレーサー。 土方あきらも愛用の名機 |
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