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▼ スキークラブ・スクール・協会・連盟 の歴史▼

▼ 1800年代
1875 / 1877年
1875年に、最初のスキークラブが、クリスティアニア(現在のオスロ)に設立された。
その2年で後1877年に、最初のスキースクールがクリスティアニアに設立された。

 なお日本では今日まで、「1877年に最初のスキークラブ、1880年に最初のスキースクールがクリスティアニアに設立された」、ということになっていた。しかし英文資料によれば、少し異なるが、どちらが正しいかは不明。(2006/ 5/30)


1877 明治10年
 ノルウェーのクリスチャニア(今のオスロ)に、初めてスキークラブが結成される。(1875年という説もある)
 例えば、パラレル・ターンをかってはパラレル・クリスチャニアと呼んだのは、この地の選手の強さによる。
1880 明治13年
 クリスチャニア(今のオスロ)にスキー学校設立。(1875年という説もある)
 ノルウェー派スキー技術の特徴、丘陵地用(直線滑降型)、長いスキー、高い姿勢、停止技術としてテレマーク・クリスチャニア。
1883 明治16年
 ノルウェー・スキー連盟創設。
1890 明治23年
 中央ヨーロッパで最初のスキークラブは、ドイツのミュンヘンで創設された。
 但し北欧では、1875または1877年に最初のスキークラブが、クリスティアニア(現在のオスロ)に設立されている。
1896 明治26年
 マチアス・ツダルスキー(オーストリア。Mathias Zdarsky。マティアス・ズタルスキーとも表記。1856〜1940)が、
 「山岳(リリエンフェルト)スキー滑降術」を公表および出版。
 ツダルスキーが、最初の金属締具を考案。(1893年/明治26年フリッツ・フィットフェルトによるフィットフェルト式締具の説もある)
 それまでと比べ短めのスキー、ミゾ無しの滑走面、2本杖から1本に改良。急斜面山岳地用の実用性を重視して、
 低い姿勢と、回転技術はプルーク・ボーゲン、シュテム・ボーゲン。
▼ 1900年代
1901 明治34年
 マチアス・ツダルスキー(オーストリア)が、チロルの山岳地帯にスキー学校設立。
 サンクト・アントンの隣村サンクト・クリストフの「ホスピッツ」にて、歴史上初の「スキークラブ・アールベルグ(SCA)」が創設される。
1907 明治40年
 ハンネス・シュナイダーによるスキー・レッスンが始まる。
 場所はオーストリアのチロルまでは確か。サンクト・アントンの隣村サンクト・クリストフかも?
1910 明治43年
 オーストリア将校のゲオルグ・ビルゲリー(Georg Bilgeri)が「山岳スキー術(Alpine skiing)」を出版し、リリエンフェルト・スキー術とノルウェースキー術を折衷する。滑走面にミゾを採用、1本杖を廃して2本杖を採用。回転技術では、ノルウエー派のクリスチャニアを取り入れた。
 彼のプログラムで、(1910 明治43年かそれより少し後に)最初のスキースクールはチロルで始まった。
1911 明治44年
 新潟県高田市にオーストリアのテオドル・エドレル・フォン・レルヒ少佐が来日し、スキー専修員(青年将校10名、あるいは14名の説もある)
 に教授する。(ツダルスキー方式による「リリエンフェルト・テクニック」)
 高田市に我が国初のスキークラブ設立(2月)。−−「越信スキー倶楽部」
 大日本体育協会設立。
▼ 1920年代
1921 大正10年 (または1922 大正11年の説もある)
 ハンネス・シュナイダー(Hannes Schneider)がオーストリアのサンアントンに、アールベルグ・スキースクール創設。
1922 大正11年
 大日本体育協会内に、スキー部が設けられる。
1924 大正13年
 シャモニー(フランス)において、F.I.S(国際スキー連盟)誕生。
1925 大正14年
 S.A.J.(全日本スキー連盟)創設(2月)。会長稲田昌植が就任。
 S.A.J.日本体育協会に加盟。
1926 大正15年
 S.A.J.、F.I.S.(国際スキー連盟)に加盟。
 全日本大学専門学校スキー競技連盟結成。
1927 昭和2年
 オーストリア・スキー教師国家試験制度制定。
1928 昭和3年
 スキー技術の最先端を進むオーストリア国立スキー学校、国立ブンデスシュポルトハイム(現在は国立ブンデススキーアカデミー)が、サンクト・クリストフに創設される。
 何代目かの校長がシュテフアン・クルツケンハウザー教授(1988.10.01 永眠、享年82歳。日本の現代スキーの恩人)
  その次の校長が故フランツ・ホッピヒラー教授(元オーストリア・ナショナルスキーチーム監督。クルツケンハウザー教授の娘婿)
 米国最初のリゾートベースのスキースクールは、1929年にSugarヒル(ニューハンプシャー)で開かれた。
 また同じ年、ボストンからの組織化されたスキー列車、はニューハンプシャーのホワイト山脈に走り始めた。(米国)
▼ 1930年代
1931 昭和6年
 新潟県スキー連盟が創立される。
1933 昭和8年
 新潟県連創立2年後、長谷重スポーツ店を母体として新潟スキー倶楽部が誕生。第1回倶楽部行事、妙高高原スキーツアーを開催。
1939 昭和14年
 ナチスドイツが、オーストリアを併合(1938年)。
 アメリカヘ亡命したハンネス・シュナイダーが、ノース・コンウエイにスキー学校開設。アメリカのスキーの新しい発展の力となる。
 技術章検定(1、2級)制定。1級14日名、2級525名合格。
 第1回指導員検定講習会が五色(山形県米沢市 五色温泉 宗川旅館)で開催され、11名の指導員が誕生する(文部省と本連盟共催)
 (当HP管理人 注: たぶん、猪谷六合雄、三浦敬三先生達も参加のハズ?)
1941 昭和16年
 第2次世界大戦勃発(12月8日)
 特別指導員制度制定
 全日本スキー連盟、財団法人になる(厚生大臣認可4月23日)。
1942 昭和17年
 全日本スキー連盟解散、大日本体育会スキー部会となる。
 戦技スキー指導者誕生。
1945 昭和20年
 第2次世界大戦終結(8月15日)。
 財団法人全日本スキー連盟復活(会長小島三郎)。
▼ 1950年代
1951 昭和26年
 第1回国際スキー教育会議(略称インタースキー)がオーストリアのツールスで発足する(参加9力国)。
 スキー指導に関する初めての国際会議。各国間の情報交換と人的交流の必要性の認識。
 講演とデモンストレーションの組み合わせ。特徴、ローテーション技術。
 12月 蔵王スキー学校(SAJ)草創。
1967 昭和42年秋
 '68 磐梯プロスキースクール設立(その後、'70 磐梯チロリア・スキースクール → '73 チロリアスキースクールと改名し、
 1977年 6月 磐梯ひじかたスキースクールに変更。)。
1968 昭和43年
 日本職業スキー教師連盟(SIA) 発足
1981
 SIA社団法人となり、(社)日本職業スキー教師協会

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