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 目 次   ( 相変わらず夜型人間の土方への 相変わらず夜型人間の土方あきらへのMail )
磐梯ひじかたスキースクール・スキー学校の赤馬マーク    ▼ 慎んで各シーズンの報告 ▼
  2000  2001  2002  2003  2004 (2004/ 8/01 訂正)
 磐梯チロリアSS
  '70パンフ表紙より
原 正
68-84原 正

 43歳頃
  (1984/ 7没)
矢野邦史
68-77矢野邦史

 25歳頃
  (1999/ 9没)
土方あきら
土方あきら
 27歳頃
大島清史
69-86大島清史

 21歳頃

土方あきらのイラスト
 (提供:スキージャーナル)

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★トピックス 3代目校長は、田端 敦君になりました

3代目校長は、tabat_a
 先日、スタッフ横山茂樹君の急死という悲しい事件があり、固辞していた田端君の考えが変わり、本2003年6月14日を交代の日としました。
 ちなみに、初代校長 原 正('68〜'77 )、2代目校長 土方あきら('78〜'03)と経ています。

 

◇土方あきらの今後・肩書きなど

 磐梯ひじかたスキースクールは、私が代表取締役を務める(有)スキー工房の1つの事業です。これは今後も、しばらくは変わりません。
 また私は、これからも時間的にも、精神的にも、今まで同様にスクールに関わっていきます。例えば冬シーズンは、ほぼ100日間、猪苗代に滞在します。
 スクール内での私の肩書きは、突然の変更だったために、まだ考慮中です。(本当は、肩書き無しの平のコーチとして現場に戻りたいのですが、、、)
 例えば、一般的なら代表、会長の辺りが妥当かと思います。
 しかし第一大統領・第二大統領、第一首相・第二首相、第一副大統領・第二副大統領、第一副首相・第二副首相というポジションを持つ国家すら存在するので、田端を(第一)校長、土方を(第2)校長という考えも、少しあります。

◇スクールの姿勢
 こと学生団体レッスンに関しては現在でも有数の存在である、という自負をしています。田端と話し合ったのもこの点です。我々の自惚れ過ぎかも知れませんが、こういうスクールを消滅させることは絶対に出来ない、と。
 だから、土方がぼける、衰える、死ぬなどする前に、しっかりと移行をさせる必要があると考えます。前述の横山君の急死によって校長就任を決意した田端ですが、今度のシーズンからとまでは考えてはいませんでした。
 そういう意味では、両者間の移行についての引き継ぎや、ノウハウなどは不十分な面は残しています。しかし、この2冬はほとんど一緒に風呂に行き、毎回サウナで長時間いろいろな話し合いをしていますので、私は安心をしています。
 経営面については、土方が全責任を負い、運営面については校長・田端が中心となり、しばらく土方がサポートして、場合によっては口も出すという形で進むことになるかと思います。

 今まで同様に真面目に質の良いレッスンを行い、お客さまに喜ばれるスクールでありたいと考え、そのように両者で努力していく所存です。
 これからも宜しくお願い申し上げます。

2003/ 7/05 土方あきら





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ご挨拶と、いきさつ


 斎藤俊蔵さんの、『日本身体障害者スキー協会の福島県支部のホームページを作りたい』という言葉に誘発され、私も急きょ挑戦してみました。
 最初は、もっと簡単なものを考えていましたが、やり出すと私の性分で欲と色気が出て、何度となく手を入れ、作り直し、あれもこれもで、予定以上の大規模のものになってしまいました。

 暗中模索で、四苦八苦。そのために本も5冊買い込み……、お勉強もしました。
 初歩段階では、石屋のヒデロウ君にも泣きついたりしています。この1カ月は、大半の時間をこのために費やし、残りの時間に少し仕事をしている感じです。(1999/06/29 土方あきら)



 いつかは、現役およびOB、OGの皆さんが、近況などを話し合える専用の談話室を作りたい、と思っています。しかし、無料掲示板の利用なら簡単なのですが、その代わり書き込みが少ないと、自動消滅してしまいます。
 ですから、私がプログラムを書き自作できるようになるまでの、まだしばらくは、共同の スキー学校の掲示板 『 掲示板 』などをご利用ください。

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2000年を迎えて、ご挨拶


新年明けましておめでとうございます。

 去年の秋から初冬の暖かさがまるでウソのように、雪に恵まれました。11月下旬にチラチラと雪が降り、12月の中旬〜下旬までは、雪が降り続きました。
 「たまには晴れてくれよ!」なんていう、ゼイタクな戯言をのたまうスタッフが出たほどです。
 12月18日が猪苗代スキー場オープン。その日が、当スクールの現地集合日でしたが、その数日前からリフトが運転されるという凄さ!
 まるで今までの猪苗代とは、別世界のスキー場で過ごしています。
 でも、年末から正月にかけては少し暖かく、降雪もなく、積雪は減っています。


 でも、でも、でも、です。
 新聞情報によれば、志賀や斑尾などの信州も、石打などの上越も、安比スキー場などの北東北も、どこもかしこも雪は例年より少な目です。
 それから見たら、いつも雪不足に泣く猪苗代スキー場が例年以上の積雪は、2000年シーズンの奇跡が起きたのかも知れません。


 1999年12月30日には、当スクールに珍しいOBが訪ねてきました。
 一人は、「69-86大島清史」さん。猪苗代では10数年ぶりかも。もう一人は、さらに古いOBの「72-73三沢孝明」さん。そして「84-87渡辺 英樹」さんからのメール。

 翌31日は、私と矢野君との大親友であるコビさんこと「68-73小桧山 博」さんが、白河から長電話をくれました。
 もしかして、コンピューターの2000年問題の誤作動で、某ロシアのミサイルが飛んできたらたいへんです。磐梯山の雪も、私の命も消えかねないので、1900年代の滑り納めとして、久しぶりにスキーをしました。(以降、毎日初滑りを願っているのですが、なんせ私は事務のおじさん。1月9、10日に入っているお得意様のプライベート・レッスンが、滑り初めになりそうです。)


 2000年1月1日にも、OB・OGからメールが続きます(年賀状は省略します)。
 「70-71中野 浩二」さん、「81-82沖田(佐藤)恵美子」さんのお二人は、オーストラリアに在住。  常勤助っ人としてこの数年、三重県から来て2カ月弱を助けてくれる「74-81岩花光博」さんからも。


 2日には、クリスマスにお子さん誕生という、大大プレゼントを贈られた「94-95伊藤英朗」さんから。Jr時代のお客さまから、スタッフになり、今は助っ人で、今シーズンも助けに参上してくれます。
 そしてその夕方には「86-88石田(大友)恵子 」さんが、小さなお子さんを連れて、猪苗代のスクール事務所に。やはり10年ぶりか、それ以上での懐かしの対面でした。
 4日には、長年事務スタッフとして助けてくれた「92-96青木一恵」さんからも(=実は、私の姪です)。
 など、など、など、など。

 とても、懐かしく、嬉しい年末、年始を迎えることができました。
 皆さまにも、よい1年でありますように!! (2000/ 1/ 5 土方あきら)

PS
 6日には「93-97岩城 圭祐」さんから、翌7日にはその友人の「93-97伊勢崎 唯」さん(マニラ在住)からのメールが届きました。懐かしく、嬉しいで〜す!

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磐梯ひじかたスキースクール・スキー学校の赤馬マーク
イラスト谷井健三さん
 (スキージャーナル)
 

磐梯ひじかたSS組直系 副校長会 歴代総長


原 正 大島清史
土方 あきら
土方 あきら
岩花 光博
岩花 光博
1985頃 月岡一公37歳頃
月岡 一公
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田端 敦
◇磐梯ひじかたスキースクール組直系◇
副校長会 歴代総長校 長
初代原  正'68〜'77
初代安藤 徹'782代目土方あきら'78〜'03
2代目渡部 寿雄'79
3代目岩花 光博'80
4代目大島 清史'81
5代目月岡 一公'82
6代目横山 茂一'83
7代目細矢 誠'93 '94
8代目井上 裕明'95
9代目田端 敦'96
10代目五十嵐 伸'97
11代目吉田 京子'98
3代目田端 敦'04〜
その他 役職
  '83〜  原 正   = 会長に就任(1984.7 死去までの間)
  '09〜  八木 正路 = 主任コーチに就任
 1977年春(6月)、東京の虎ノ門のわが家に原先生、渡部寿雄、大島清史、松崎 実、崎田純子、岩花光博、安藤 徹さん達にお集まりいただき、「チロリアSS」の解消について話し合いました。
 私が引き継ぐに当たって希望条件の1つは、
 「経営・運営責任は土方が持つが、校長と副校長を毎年ローテーションさせる」ことでした。
 しかし賛否の結果は、「校長=土方で固定、副校長のみ=ローテーション」という妥協案でまとまりました。
 その結果として、上記のように現在までに11代の副校長が誕生しています。

 本来なら毎年交代で20代以上の副校長を誕生させたかったので、ある事情で間に休みが入り、最近は中堅スタッフ不足などの問題もあり、現在のようになっています。
     (2000/ 3/26 土方あきら)

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