No.26 パソコン揺籃期時代
パソコンの「メモ」程度のソフトを使用してワープロ練習を始めたのが昭和63年3月ごろであった。最初の作文とし、小学校時代から還暦までの約50年間の出来事を、400字詰めの原稿用紙に100枚程度を書き全角で1行に38文字、38行というパターンで1話1頁で50頁程度を書いた。その後、時間を見つけては文章の追加を行った。当時のことでCDやデジカメ、スキャナーが開発されていなかった時代であり、3.5インチFDに格納した。
練習を開始して2年後には自分史を1話から112話まで拡大し、3.5インチFDの使用容量は約380キロバイトになった。文章で文字の修飾をしなければ、A4判で1000文字程度なら3キロバイトが平均値となっていることが判明した。これでも3.5インチFDの容量1400キロバイトの3分の1であり、鮮明な写真1枚を格納すると、数枚の写真で3.5インチFDは占領されるが、文章はあまりメモリーを食わない。この380キロバイトの自分史をホームページにアップロードするために、HTML言語を使用すると4倍程度の1300キロバイトになったがこれが、私の自分史の基本ファイルである。
CD−R/RWが出現し、スキャナーが発売されると、太平洋戦争時代に在学していた航空機乗員養成所の集合写真をパソコンに組み込んだのが平成11年ごろであった。一般の中学生と異なり、全員、揃いの軍服を着た童顔の少年の集合写真を大切に保存していた。入所願書に添付した写真、どのような募集広告をみて応募したか、理科、国語、数学の3科目の試験問題もスキャナーでパソコンに取り込んだ。
インターネットを行うためプロバイダーに申し込んだ。このとき基本料金で提供されるホームページの基本容量は10メガバイトであった。IDSNを使用しており、ホームページへのアップロードが不慣れのため、アップロードするための操作では、通常の電話料金を負担するため、内容の更新はあまりできなかった。また文字化けの処理に苦労した。3年前よりASDLに切り替え、ホームページへの内容の充実を図ってきた、
自分史は登録ファイルを2種類にした。ホームページ用で10メガバイトの自分史とCD−Rの650メガバイト使用の自分史であった。平成6年よりホームページの基本料容量が10メガバイトより20メガバイトに引上げられた。また数ヶ月後に30メガに、その後、一挙に100メガまで使用できるようになった。これは大変な朗報であった。
このホームページの容量の拡大は太平洋戦争時代の回顧録から、「情報処理体験記団塊の世代の人々」のように、過去に体験した事柄を、多くのひとが所有してゆくものと思われるパソコンで再開発を行い、これをホームページで紹介することは、これから定年を迎えられるひとの再就職には役に立つものと考えた。
ホームページは内容の更新を行わないと、見る人はきわめて少なくなる。アクセスカウンターにより、ホームページをみた人の数は把握できる。12年から17年9月までの6年間では100件程度であり、自分史というのが私自身に興味があっても他人からみるとそうでもない。
平成17年8月15日で太平洋戦争が終わって60年になり、太平洋戦争体験者で自分史を新たに作成したい人は次第に減少しており、ここで発想を変えてホームページに研究情報を紹介することにした。幸い私のホームページを見る人が増えたので、これを励みとして連載を続行することにしホームページは内容の更新を行わないと、人が見てくれる順位が次第に低下してゆく。ホームページは生もので、「賞味期限」が存在しているようである。
以上。