Q7 会社退職時の担当業務(電算機と貨物の企画)

 

第四十話 総務部事務機械課長・貨物部企画課長兼務     

 

  四十二年三月に東京港区田村町の阪急交通社ビルに富士通の小型コンピユータが設置さ

れ、これを管理するため総務部事務機械課が設立された。私は事務機械課長であったが貨

物部業務係長を兼務していた。

 四十三年三月には、貨物部門では係長から課長に昇格した。このため総務部事務機械課

長・貨物部企画課長兼務となり、航空貨物セールスツールとして、「航空貨物と海上貨物

との総流通経費分析」システムなどを開発し、これを英文業界紙で発表した。

 

B0491

 

 阪急においては四十四年三月で電鉄より交通社に出向している社員の身分が取消される

ことが発表され、電鉄に復帰したいものは電鉄へ帰り、また交通社に留りたい社員は電鉄

を退職して交通社に残ることになった。このとき出向社員を交通社に引き止めるには、交

通社の将来への展望が必要となり、長期計画がクロズアップされた。

 六月に阪急交通社で社長、営業関係の重役、部長で構成された長期計画委員会が発足し

た。委員長は鷹峰常務であった。この時、コンピユータのソフト開発が必要のため鷹峰委

員長は私を委員に加えた。 

 鷹峰氏の貨物部長時代には東京貨物課長が吉田氏、大阪貨物課長が益田氏で私は貨物部

業務係長であった。このため長期計画委員会の開催に於いては委員長、貨物部長、海外旅

行部長などとはきわめて良好な関係があった。海外旅行と航空貨物の代理店を兼業してい

る会社では貨物と海外旅行部門を経験しているのが有利であった。

 「日本航空新聞」より執筆を依頼され、元旦の読み物として、44年1月1日号に「大量

輸送時代の情報処理」の原稿を書いた。

 

B0556

 

第四十一話 富士通EDP論文集への掲載 

 

昭和四十二年三月、会社は富士通小型電算機 FACOM 230−10を設置した。
富士通コンピユータ利用者で結成する富士通ファミリ会はFACOM EDP論文集を

出版することとなった。私は第一集および第二集に研究論文を発表した。

第一集は四十三年四月に出版され、科学・技術分野で、「航空貨物輸送を決定する要因

と比重について」が掲載された。五百頁ぐらいの論文集で百名程度執筆したと思われる。

一般のサラリーマンが手で書いた研究資料を無料で活字にし、論文集なるものに掲載で

きるというのは、航空業界でもないため、これは非常によい機会と考え、原稿を富士通に

提出した。 

 福岡で海外旅行のセールスマンが、東京へ転勤、航空貨物の仕事に転職した。貨物部門

においては航空貨物運送状の発行、税関の通関業務、貿易実務というような業務知識が求

められていたが、私は航空貨物の需要開発という観点から、業務の研究を開始した。

私は航空と海上とを荷主がどのような基準で選別しているか?これに興味があり、転勤

した直後の三十七年よりこの分野の研究を行った。三十九年には青山学院大学大学院経営

学部の公開講座に出席、統計学の需要分析と予測で、「航空貨物輸送を決定する要因と比

重について」のレポートを提出、八単位評価「優」を取得した。

四十二年四月に阪急交通社で富士通の小型電算機が導入され、私は総務部事務機械課長

貨物部業務係長兼務であったので、自分の研究を自分でプログラムを組み、十月には業界

の英字新聞に発表した。これを富士通論文集一集に掲載した。

 

第四十二話  国際航空貨物需要委員会委員の委嘱                      

 

  四十三年三月に富士通コンピユータ利用者の団体で発行する FACOM EDP論文集

第一集に「航空貨物輸送を決定する要因と比重について」の論文を発表、翌年五月に発行

された論文集第二集に「航空および海上輸送貨物流通経費分析」の論文を発表した。

  代理店の社員として航空貨物の経済性の研究では業界では珍しい存在であったが、貨物

部企画課長という業務では海上貨物を如何に航空貨物に切替えさせるかが需要開発のポイ

ントと考えた。

 どのような貨物が航空輸送になりうるかという研究をコンピユータで行っていたが、こ

れは航空貨物の需要予測を行う上で輸出商品の価格と航空と海上との輸送の分担の測定で

は、参考になる研究でもあった。

  新東京国際空港貨物施設の建設規模の策定において、航空貨物需要予測の必要性が痛感

され、財団法人航空振興財団の四十三年度事業として、「国際航空貨物需要予測委員会」

が、六月に設立された。委員には経済企画庁、大蔵省、運輸省、空港公団の政府機関十七

名、荷主として三菱商事梶A三井物産梶Aソニー鰍フ三名が選ばれた。これに阪急交通社

の貨物部企画課長として私が指名された。

 日本航空鰍ゥら三名、貨物業界としては航空貨物輸送協会事務局長、混載部会長、代理

店部会長、海事産業研究所、日本通運総合研究所、日本工業会、航空振興財団より各々一

名、合計十一名が民間であった。総員三十一名の委員会であった。

  私が委員になった背景には三十九年に航空混載貨物の運賃申請での運賃体系の理論設定

を行ったことと、業界誌などに航空貨物輸送経済の研究を発表していたためである。

 

  包装業界の専門月刊誌「包装技術」の四十四年の一月号に「コンピユータによる海上と

航空貨物の判定方法」と題して執筆した。

   論文要旨

 1 1969年における航空業界の話題

 2 スピードを金に換算する手法

 3 流通経費分析とは何か

 4 流通経費分析機械化のポイント

 5 流通経費分析のインプットとアウトップト

 6 輸送要因からみた輸送手段の判定

 7 むすび 

 

C1C2

 

 

二月に出版された約三百頁の国際航空輸送需要予測委員会の報告書には、委員の名簿と
委員会が需要予測で参考とした文献の紹介が行われ、研究項目では五、六ヶ所、私の研究

が引用された。輸送する商品の価格は運賃の負担能力と密接な関係があり、これは航空貨

物の需要を予測する上で不可欠であるという私の研究が紹介された。

 

この報告書は関係官庁、荷主、航空会社、代理店に数多く配布されており、航空輸送経

済の専門家ということを立証した記念すべき資料であった。三十八年に青山学院大学大学

院経営学部の公開講座に出席、統計学の「需要予測・需要分析」を学んだが、これは大変、

為になった講座であった。

  阪急退社後、坂本システム研究所を設立した。取引先として運輸省、日通総合研究所、

日本通運梶A日本航空梶Aソニー梶A三井物産鰍ェあり、航空貨物需要予測委員会委員で

あったことは、阪急退職後の仕事では大変プラスになった。航空貨物需要予測委員会も報

告書の要旨は次の通りであった。1 

 昭和四十三年度 [航空運送の経済調査]事業                          

国際航空貨物の輸送需要の予測 報告書 [I]   はしがき

  昭和四十三年度[航空運送の経済調査]事業の一環として国際航空貨物の運送需要の予測

を調査することになりました。

 調査の実施に当たっては別項のごとく、航空運送行政当局者、航空運送経済専門家によ

る委員会を組織し、調査基本方針を検討の上、委員会の協議に基き本調査を財団法人三菱

総合研究所に委託しました。 途中省略   昭和四十四年二月

参考文献

 1.航研シリーズ [アメリカにおける航空貨物の発展と問題点]航空政策研究会 

 2.       [続アメリカにおける航空貨物の発展と問題点]航空政策研究会 

 3.       [長期航空政策の展望と課題]      4.運輸白書

 5.[国土開発縦貫自動車道路]  早稲田大学生産研究所

 6 奥猛 [鉄道と道路の輸送効果比較] 

 7. [続 国土開発縦貫自動車道路]早稲田大学生産研究所

 8. [交通量推定方法]日本道路公団経済調査課

 9. [交通量の配分に関する一試論]早稲田大学生産研究所

10. [輸送需要の輸送機関別配分に関する研究]計量経済研究所

11.坂本清助[コンピユータによる海上と航空貨物の判定方法]包装技術69年1月

 この報告書の中に次のような文章で私の研究が紹介された。     

 ”航空貨物の予測にあたってまず検討しなければならないのは、どんな品目が航空輸送
の対象になっているかである。

 しかもこれを時系列的に分析して、対象となる品目がどのように増えているか?また

(註1)航空貨物の特性として単位重量あるいは容積当りの財の価格が非常に重要な要因
であるが、航空輸送の一般化に従って単位重量当りの商品価格がどのように変化してい
るか?などのデータ上の分析が必要である。W            

註1 坂本清助[コンピユータによる海上と航空貨物の判定方法]包装技術 69.1          

 W一般的な傾向として重量当りの財の価格が高いほど航空貨物の対象になり易いか

ら、時系列的に商品価格分岐点(航空貨物対象品目のうち最低重量価格当りの価格)

の推移をみて将来どの程度の価格の財まで対象が拡大するかという考慮が必要である。“

  (註2)商品価格分岐点の動向が生産性その他の指数と関連づけられるならば、λの

シフトが推定できる。λの将来値が推定できれば 2.(ii)で検討した配分関数によっ

て総貨物量を航空と海運に配分できる。W

註2 この考え方は坂本清助、前掲書

 

     国際航空貨物需要予測委員会 委員名簿

 

経済企画庁調整局交通課補佐官 (前)   和久田 康 雄

経済企画庁調整局交通課補佐官 (新)   長 岡 宏 二

大蔵省関税局業務課補佐官         岩 本  卓 也

運輸省大臣官房開発課長          原 田 昇左右

運輸省大臣官房開発課流通企画官      高 橋  顕 詞

運輸省大臣官房開発課付補佐官       松 木 洋 三

運輸省大臣官房開発課付企画係長      山 本 昌 彦

運輸省大臣官房調査統計部調査解析課長   米 田   博 

運輸省大臣官房調査統計部管理課補佐官   橋 本 昌 史

運輸省海運局外航課補佐官         渡 辺  幸 生

運輸省航空局管理部監督課長(前)     住 田 正 一

運輸省航空局管理部監督課長(新)     山 元 伊佐久

運輸省航空局管理課補佐官         増 田 信 雄

運輸省航空局管理課補佐官         寺 倉 恭 尚

運輸省航空局管理課企画係長        中 島 勝 己

運輸省航空局飛行場部計画課補佐官     小野寺 俊 一

新東京国際空港公団企画室需要予測係長   乾   常 治

三井物産鞄結梔^輸部航空貨物課長     勝 木 政 雄

三菱商事渇^輸保険部総合受付課長     横 山  剛 男

ソニー滑O国業務部流通業務課長      伊 藤   誠

轄繼}交通社貨物部企画課長        坂 本  清 助 

日本航空渇ン物郵便部企画課長       野 村   雄

日本航空渇ン物郵便部貨物開発課長     岡 崎   彬

日本航空樺イ査開発室課長         仲 町   保                      

日本国際航空貨物輸送業者協会事務局長   吉 田    晃 

日本国際航空貨物輸送業者協会混載部会   鈴 木 健 吾 

日本国際航空貨物輸送業者協会代理店部会  保 坂  正 三               

(財)海事産業研究所第一部長       赤 羽 憲 男

鞄通総合研究所主任研究員        田 野   稔

日本航空工業会ORセンター        加 藤   滋

(財)航空振興財団理事長         飯 野  毅 夫  以上                     

 

第四十三話  航空混載貨物運賃体系研究会講師             

 

 四十四年二月六日の航空混載運賃の研究会でのニュースを二月二十日の航空関係業界紙

TRAVEL POSTは次のように報道した。

                 記事

  航空混載運賃体系の研究会を開催                  航空局監督課

  航空局監督課の主催で二月六日午後二時より霞ヶ関全日空会議室で、国内航空運賃委員

会として、航空混載運賃体系の研究会を開催した。

 講師は阪急交通社事務機械課長坂本清助氏。

 現行の国際航空運賃体系は昭和三十九年五月十五日に発効したIATA航空会社の大幅

な特定品目大口割引料率に基づいて設定されたものであり、この理論構成を担当したのが

同課長であるため、今後の運賃設定に必要な基礎理論をオペレーシヨンズ・リサーチの手

法を用いて英文テキストを使い説明した。


OR手法による航空混載貨物理論
,

 

  そのテキストの内容は 1序論 2 混載業と代理店との収入源の分析 3 共同混載

4 混載仕立の条件 5 混載に要する経費 6 混載業の成立すべき条件 7 混載業の基礎

的営業方針 8 小重量貨物に対する損益分岐点 9 混載差益についての観念 10 むすび

となっていた。

 特に同課長が協調したのは 1 運賃改定においては関係者の間でトラブルが発生しやす
いのは総合的なものを見ない時に多く(イ)混載と代理店との収入源の変更は航空会社
荷主、混載業者、代理店との間の総合収支をみること、ロ)重量並びに運賃には度数分布
の研究が必要であること。

 2 業界としては、業界の各専門委員会委員などスタッフ組織を平時においても整備し、

たえず研究ができる体制にしておかないと大量輸送時代においては運賃体系が根本的から

変化したとき、その対策が困難」となり、業界の混乱を招くおそれがある。これは混載運

賃が公共料金である以上、運賃体系の基礎理論の研究会は重要となるというもの。

                                      以上

講演する阪急、坂本課長  講演会で黒板を背にして説明する写真が添付された。

主催は監督官庁の航空局監督課であり、出席者は日本航空、全日本空輸と東亜国内航空
の運賃専門家で構成される研究会のメンバーであった。航空会社の代理店課長が航空会社
スタッフへの講演であった。

当時、ワープロが無いため活字として研究資料を保存するには、英文タイプを使用して
いた。日本人に説明するため約十頁、英文で書き日本語で説明した。

 官庁の行政指導というのは広報が必要であり、業界紙は私が講師となった情報を航空局

監督課より入手し、業界紙として報道するわけである。官庁を訪問した記者が私を個人的

に知っているということが、記事として取り上げられるという背景でもあった。

 監督官庁が私を講師としてこの研究会に呼んだのは、国際航空混載貨物料金の申請業務

において、私が開発した原価計算方式が採用されていたためでもあった。

                         

第四十四話 出向社員の身分解除と長期計画委員会                   

 

  電鉄と労働組合との協議により四十四年三月末で阪急交通社へ出向した電鉄社員の身分

が取消されることとなり、電鉄へ復帰或は阪急交通社へ残るか・決断を迫られた。

 当時、阪急交通社で働いていた社員の数は明確ではないが約千人程度で、そのうち電鉄

の出向社員は百五十一名であった。電鉄に復帰したものは八名でこの中で、二十八年に入

社した同期生の四名は関西出身で電鉄へ復帰した。一旦、電鉄に復帰し、それから関連会

社へ出向したほうが、ポストとして有利であると判断したかもしれない。

 交通社に残ったものは百三十五名、退職金をもらって退職したものは八名ということが

あとで判明した。最終的にはこの八名のなかに私は入ることになる。

四十三年八月に会社において長期計画委員会が設置され私は委員となった。

 出向社員がなくなり阪急交通社としての今後の展望を明確にするため、将来にわたる経

営の事業計画であった。私はこの委員であるため、交通社から去る考えはなかった。

 

第四十五話 海外へ研究資料の審査依頼

 

 四十三年四月にスカンディナビア航空会社よりの手紙で私と同じような航空貨物開発の

研究を行っているのが米国の航空機メーカーマックドナルド・ダグラス社であることが判

明した。

  四十三年九月に私の友人である我澤雅夫氏がマックドナルド・ダクラスのPR代理店に

知合がいたので、研究資料を米国本社に渡し審査を要請した。

  航空と海上との貨物輸送判定システムおよび航空と海上との貨物総流通経費分析システ

ムで説明資料としては英文業界紙で紹介された記事と内容の説明のためCOBOL言語で
書いたプロフラムを添付した。COBOL言語は米国で開発、英語の会話形式であるため、
別に説明を加えなくとも内容が相手には把握されるもとと確信した。

この時点では航空機メーカーの担当者と共同研究を行うことを希望し、阪急を退職する
考えはなかった。十月にダグラスより米国籍の取得を前提とする勤務の招聘状がきた。

初任給は三十六万円(当時の金で千ドル)であった。先方では入社志望と受取った。
航空機メーカーに入社して航空貨物開発ツールを研究し、航空会社へ航空機を販売する仕

事であり、コンサルタントになるわけである。 航空機メーカーよりの招聘を上司の鷹峰

常務に報告したら大変名誉なことであると賛成された。当時、出向社員の身分の打切りで

電鉄復帰の社員もおり、社員が阪急交通社から去ることには制約がない状態であった。

 

第四十六話 会社よりも職業にチャレンジ

 

 私は総務部事務機械課長と貨物部企画課長とを兼務していたが給料は安く、私の本俸は

月額七万一千七百二十円でこれに家族手当、勤務手当を加算しても十万円を割っていた。

 コンピユータの業務は社内的な説得の仕事となり、接待費などが必要であるが、全額自

弁していたため経済面では会社には魅力がなくなっていた。総務部は大阪が本社であり、
いずれ貨物部企画課長の兼務が解かれるが私は航空貨物分野で進みたいと考えた。

  四十四年三月末の出向社員の身分取消時期に会社を退職する旨、四ヶ月前の四十三年十

一月に、会社へ事前予告を行ったが、後任の事務機械課長は任命されなかった。総務部事

務機械課長と貨物部企画課長という異例のポストが発生したのは、コンピユータの課長に

なりたい希望者がいなかったためで、前任者が退職することは労多くて、報われないこと

を警戒したためであろう。

 海外旅行の会社では海外へ旅行にゆけるポストが優先しており、不慣れなコンピユータ

の管理職を希望する社員がいなかった。私の退職後、阪急電鉄鰍ェ出資して、阪急コンピ

ユータ・サービス鰍ェ設立され、大阪が本拠となった。阪急交通社のコンピユータ化は
事務機械課が窓口となり、コンピユータ会社がデータ処理を行うようになった。

 鷹峰常務はコンピユータ会社の役員に就任された。阪急交通社におけるコンピユータ化
は、鷹峰常務が担当となったもようである。阪急交通社に継続して勤務すれば、恐らく大

阪へ転勤、コンピユータ会社へ出向することになったに違いない。私は会社で管理部門へ

進むよりも、航空貨物の開発という職人の道を希望していた。 

  阪急で導入したコンピユータは小型機であり、経費が安いために導入が可能であったが

海外旅行部門にコンピユータ・システムを拡大するには、機械のレベルアップが必要であ

り、機械を導入して二年で機械がパンクする状況を想定した。貨物部企画課長の兼務は解

かれ、総務部事務機械課長の専任となる。

 社内での機種切替を想定すると、ここで会社を去っていたほうがよいと判断した。航空

貨物分野で世界で最初というレッテルを貼られた航空と海上との輸送方法判定システムと

航空と海上との貨物輸送における総流通経費分析システムは、貨物部門から総務部門へ転

勤し、社内の管理部門のコンピユータを担当すると、この研究は消滅するわけである。研

究の継続が重要であった。

  福岡から東京への同一企業内転職は海外旅行業務より航空貨物の転職で、阪急電鉄とい

う会社への就職を重要視したが、電鉄の身分取消においては、航空貨物という仕事を重視

し、会社への帰属性がなくなったわけである。サラリーマンが会社を退職して自営業を行
うとすると、私に対する外部の評価はコンピユータの技術者ではなくて航空貨物の研究者
であり、研究の方法としてコンピユータをユーザーとして使用できる点の評価であった。
四十四年は西暦一九六九年で次の年は一九七○年である。

航空業界においては七十年代というのはボーイングB747(ジャンボ機)が就航し大
量かつ高速輸送時代といわれており、新しい幕開けとなることが期待されていた。四十四
年には日本と米国との航空路線で問題となっていたパシッフィクケースで米国の貨物専門
航空会社、フライング・タイガーが太平洋線に乗り入れを開始するということが、数年前
より決定されていた。これも退職での一つの判断材料であった。

    

昭和四十四年一月、旅行業界誌トラベルジャーナルでの新春対談記事 

 

B0551 B0552

 

 阪急退職五日前に発表とした航空と海上との貨物流通経費分析での輸送経済、この記事

を利用して、パンフレットを作成、自営業をスタートさせた。 

 

B0553

 

阪急は四十四年四月末日で退社し、日本経営科学研究所が発行する「コンピユータ・
レポート」という月刊雑誌の四十四年四月、五月および六月号に執筆し、今までに富士

EDP論文集に掲載されたものを再編集した。         

 航空と海上との貨物輸送流通経費分析

   論文要旨

1 はじめに

2 流通経費分析 (1)総括的経費の把握 (2)TCC運用面の困難性

(3)機械化システム運用上の問題点 (4)流通経費分析のポイント

(5)商品価格分岐点の考えかた (6)電算機による分岐点の求めかた。

 3 流通経費分析の事例研究 (1)インプットとアウトプット (2)分析例 

 (3)科学技術計算としての適用例(4)流通経費分析と区間別ケース・スタディ

 4 航空輸送の時間的効果 (1) ADK方式の適用例

 (2)コンテナ船の航空輸送に対する影響力

 5 輸送要因分析と流通経費分析との比較(1)輸送を決定する要因 (2)表の説明

(3)流通経費分析における商品価格 (4)航空貨物の経済性への解明

 6 終りに         

 

第四十七話  阪急電鉄鰍フ辞令

 

 阪急電鉄鰍ヘ四十四年三月末で退職、その後、嘱託として残り、四月末で阪急交通社を

退職した。事務引継ぎのため、後任の課長が任命されるまで待ったが、決定されないまま

退職、総務部事務機械課は解体し、その後、社長室となった。

                        

  阪急においては辞令を小冊子に記入し、退職時、社員へ交付されていた。

 

昭和  年 月  日     基本給月額  摘要

二十八年四月 一日    九、八五〇円  試雇に採用、代理店部福岡営業所勤務を命ず

二十八年五月 一日                 社員に採用、代理店部福岡営業所勤務を命ず

二十八年四月 一日  一一、一〇〇円

二十八年七月 一日  一一、一二〇円

二十九年四月 一日  一二、五九○円  勤務給七級

二十九年四月 一日  一四、六○六円 勤務給作四

二十九年九月 一日  一四、六三六円

三十 年四月 一日  一五、四四一円

三十 年四月 一日  一七、一一一円  勤務給監一

三十一年四月 一日  一八、七九三円 

三十二年四月 一日  二〇、〇三七円

三十三年四月 一日  二〇、九九〇円

三十三年四月 一日  二二、七四○円  勤務給監二

三十四年四月 一日  二三、九一五円

三十五年四月 一日  二六、九六七円  勤務給監二

三十五年七月  一日  二六、九九四円

三十六年一月 一日                 特命休職、轄繼}国際交通社出向のため

三十六年四月 一日  三一、○○○円  勤務給監二

三十六年七月                       轄繼}国際交通社東京貨物課へ転勤

三十七年四月 一日  三四、一〇〇円

三十七年四月 二日                 轄繼}交通社出向(社名変更のため)

三十七年六月 一日  三八、四五○円  係長

三十八年一月  一日                 轄繼}交通社貨物部業務係長

三十八年四月 一日  四一、八〇〇円

三十九年四月 一日  四六、八三〇円

四十 年四月 一日  五一、四一〇円

四十一年四月 一日  五六、九一〇円

四十二年四月 一日  六三、五八○円  轄繼}交通社総務部事務機械課長

                                   貨物部業務係長兼務                   

四十三年四月 一日  七二、七二○円  轄繼}交通社総務部事務機械課長

                                   貨物部企画課長兼務                   

四十四年三月三一日                 依願退職。退職金 一、七五九、二九二円

 

註:阪急電鉄鰍ヘ社員の辞令の交付には一冊の小冊子を渡し、本人が確認すれば、

これを返していた。退職時にその小冊子が交付される。新しいところに就職した

ときは、この小冊子を見せればよい。外部から人事課へ、本人の在職中の事柄を

照会する必要がない。

                     

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