板門店を北から眺める

  朝から開城へ向かう。ここは高麗時代の古都で、日本で言えばさしずめ京都ということになるのだろうか。開城経由で軍事境界線である板門店へ向かうのは北朝鮮ツアーにまず漏れなくついてくる定番コースである。バスは他に一台も車のいない高速道路を快適にすっ飛ばす。対向車も全然いない。途中検問所のようなところで休憩。その後はずっとパトカーが先導し、何だか物々しくなってきた。私は元来お寺や神社というものにあんまり関心を示さない質で、開城でどこを見学したのかよく覚えていない。ただ印象に残っているのは、そこかしこに出没する不自然な絵描きたちだ。この人たちは風景画を主に描いているのだが、覗き込むとどうも既に描かれてある下絵をエンピツでなぞっているように見える。描き始めのキャンバスというのは全然なくて、たいていほぼ完成したものだ。まあ、なんでもかんでもヤラセじゃないかと疑うのも失礼な気がして見て見ぬ振りをした。

  退屈な開城観光を終えてバスは一路板門店へ。非武装地帯の手前で国境周辺の案内を兵士から聞いたあと、金網の張りめぐらされた道を100メートルほど歩くとまた待ち受けていたバスに乗って国境付近まで行く。 コンクリートの粗末なラインが境界線だ。手前に立っているのが北朝鮮の兵士で、向こう側は国連軍。韓国人が多いが中には米兵もいる。北朝鮮の案内人は「このように南朝鮮人民はアメリカ帝国主義者に抑圧されているのです」と嬉しそうに話す。韓国ももう少しうまくやればいいのに、と思った。緑のテーブルの真ん中にマイクのコードが走るおなじみの光景。音響機器の保守や首脳へのお茶出しはどっちの仕事なのだろうかと気になった。案外こういう場所では仲良くしているのかもしれない。テレビでしか見たことのない国境がそこにあった。会談をするためのプレハブの小屋がいくつかある。そのうちのひとつ、北側の管理している建物に入るとこれまたおなじみの交渉テーブル。国連の旗やマイクが備えてある。この小屋の中では数メートルとはいえ南側に入ることができるわけである。写真撮影はここでもまったくの自由。南の兵士や米軍将校、物見櫓からこちらをうかがう韓国人(たぶん観光客ではない)が数十人。国境線はコンクリートのブロックのようなもので味気ないが、存在感は大したものだ。南の方を向いた兵士は微動だにしない。記念撮影をして騒ぐ日本人と対照的な姿であった。 車で少し引き返して朝鮮戦争時に南北が停戦協定を結んだという建物を見学。交渉場所を自国の領土側に引き入れたことを北側は自慢していた。案内人は一生懸命説明するのだが、通訳がまずいと在日らしき人から苦情の声が聞かれた。帰りのバスは引き続き自己紹介であったが、マスコミ関係者、元満鉄車掌、退役軍人等々、極めて多彩かつアクの強い人が多い。この傾向は今回のツアーに限ったことではないらしく、テリー伊藤の「お笑い北朝鮮」にも同様の記述があった。この中に入れば私たちなど極めてまともな普通の人であったと思う。

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