ページ作成者のコメント
「仮想戦記」とは1990年頃から、書店の新書版コーナーで、やたら見かけるようになったSFの1分野です。
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参考書籍である「架空戦記ガイド」では「架空戦記」の名前を採用していますが、この名前には違和感があります。 従って、当ページでは IF戦記<仮想戦記<架空戦記 この順に範囲が広がると考え、「架空戦記」ではなく、「仮想戦記」の名前を採用させていただきます。
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「架空戦記ガイド」に掲載された作品を調べてみますと、大体、以下のような特徴があります。
3項は定義としては必要はないと考えますが、全世界に目を向けると、えらいことになるので、このページに載せるのはやめておきましょう。
「本来は修正不可能な、過去の世界を舞台にした架空の戦記」 ということになろうかと思います。定義については、各リンク先のページの方も意見を述べていますので参考にしてください。
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| このジャンルの発生期には、檜山良昭氏が「IF戦記」という言葉を用いて表現されています。これは「過去の歴史に置いて、もし(IF)このようなことが起こったら」という仮定で戦記を描いていることからつけられたのでしょう。
初期の作品では、「なぜ、歴史が別の歩みをするのか」という点が問題で、檜山氏の作品では、タイムスリップ、タイムトラベルを導入し、荒巻氏の「紺碧の艦隊」では「後世」という概念を導入することで、歴史の変更原因を説明しています。 しかし、仮想戦記がブームになってくると、もはや、そのような、歴史変更要因の説明はなくなり、「よくわからんが、なぜか、歴史が別の歩みを始める」状態になってきました。さらに、「もしも〜」の内容が段々過激になり(志茂田景樹氏のせいか?)、また「ここをこう変えました」という説明も無くなり「IF戦記」という名前ではカバーしきれなくなってきたようで、ブーム期以降は「IF戦記」の名前は廃れてしまいました。 また、始祖であるタイムスリップもの自体が最近は下火ですね。 |
| さて、「仮想戦記の定義」でも触れましたように、当データファイルは情報が古く、またかなりの部分は「架空戦記ガイド」を参考に書いたもので、伝聞調でしかないというのが正直なところです。
実際に読まれた方で感想などがありましたら掲示板かメールで送っていただければ幸いです。m(_ _)m |
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「日本がアメリカに勝利」で終わる作品は、分類Aでは軒並みE3以上を与えなければならないですね。どうあがいたところで、ワシントンD.C.に日の丸を建てるなぞ不可能です。ワシントン州に立てることはできるかも知れませんが。(笑) 次に、日米講和で終わるパターン。これは軍事と外交戦略を最大限に駆使すれば不可能ではないでしょう。それを実行する中央官庁の連中の能力には思いっきり疑問符がつきます。 しかし、日本が負けなかったとすると、日本の体制は戦前の超国家主義が存続するわけです。その後に東欧やフィリピンのように民衆による革命が起こるなどということは、まず期待できません。 恐らく北朝鮮のような個人崇拝国家になるのが関の山でしょう。 これを考えると、引き分け、勝利より「敗北」は必要なことだと言えます。 敗戦を前に進めるには「どこで、降伏すべきかだったか」はいくつかポイントがありますが、問題は軍部がそれを受け入れるかです。従って軍部に敗戦を受け入れさせるには、抗戦意欲をそぐだけの精神的打撃を早期に与える必要があります。 恐ろしいことですが、戦争を極端に早期終結させるには、原爆をもっと早く投下するしかないということになります。呉、舞鶴、横須賀といった連合艦隊各部隊を核1発で全滅させることで、彼らの戦争意欲を打ち砕くことが唯一の方法でしょう。
敗戦を後ろに下げるあの時点で、日本は自然崩壊する運命だったと言われていますから、原爆を投下しなければいいわけです。ただし、それまでの時間は結構かかりますし、佐藤大輔氏が指摘するように、ソ連の北海道侵攻により、日本が分断される危険もあります。 名誉ある敗北 そして、もう一つ重要なのは、「後ろ指をさされるような、戦いをしてはならない」ということです。どうせ負けるのなら、後世の歴史家から評価される戦いを行うべきでしょう。 捕虜虐待、一般住民の虐殺、強盗、軍票でお買い物は論外です。 初期の「紺碧の艦隊」及び「帝国の決断」あたりは、この理想の終戦を目指しているといえます。現在、日本人が、アジアに抱く複雑な感情は、戦争中の行為に原因があるので、これを何とかしなければなりません。 よく、産経新聞あたりでは「日本はよいこともした」という論旨がありますが、そこから「悪いこと」を引き算すれば、収支はマイナスです。大体、発言者自信が「も」をつけていること自体、収支マイナスなことを認めているようなものです。 そもそも「プラス思考」をもってすれば、いかなる行為も正当化は可能でしょう。なぜなら、この世に絶対の善と悪が存在しない以上、ほんの少しの善を取り上げて、大袈裟に吹聴すれば、善に見せかけることが可能だからです。 |
| 仮想戦記に対する批判の中でよくいわれるのがこのフレーズです。(私も会社の人に単に話題として出したら、えらく本気になって、このセリフを返された)
しかし、歴史のIFを考えることがそんなに意味のないことでしょうか? 大学の入学試験問題を見ると、重箱の隅をつつくがごとき枝葉末節を問う問題が出題されていますが、あんなものをひたすら記憶することの方が、よほど意味のないことではないでしょうか? そもそも、我々が歴史を学ぶ理由を突き詰めれば、「過去の人類の歴史を知り、それを将来の選択に生かす」という点にあります。 「もしこの時、こういう選択が取られたら・・・・」というシミュレーションの方がよほど歴史の活用には役に立つ行為でしょう。 枝葉末節の暗記が、IFを考えることより重要だという人々は、「暗記はいいが、考えることができない」という人間を大量生産している日本の悪しき教育結果に染まっていませんか。(そのくせ、一番重要な近代史は教えない。徳川幕府の13代将軍の名前よりもよほど重要なことだ。) |
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