作家

 小さい頃から、いろんなことに手を出し、その度に中途半端に終ってしまったオレですが、メシを抜いても買い続けているものがある。「本」だ。小さい頃、近くに気の利いた大きな書店がなかったこともあり、最近できた大型古本屋、大型店舗には定期的に通っている。酒を飲んだ帰りでもふと寄り道をし、新古本等を買うこともある。東京へ出張しても必ず神田の古本屋だけには行く習慣がついてしまった。近頃は図書館も自宅で蔵書を検索できるようになったので、金に余裕がなくなったら入り浸ろうと思っている。
 ここでは、好きな作家だけを随時整理していきます。古い作家ほど絶版になった本が多いので、収集家泣かせの状態となっています。

                            日本人作家   外国人作家

日本人作家

今東光(1898〜1977)
 作家、天台宗中尊寺貫主、画家、元参議院議員など昭和の怪僧と呼ばれるのにふさわしい人物。中学を2回退学となったが、独学で万巻の書を乱読し、仏教書、和漢洋にわたる文学、哲学、歴史、芸術に明るかった。それら読破したものは終生忘れなかったと言われる。
 川端康成らと旧制一高で学び、旧東京帝国大学でモグリ学生として現役の学生と間違われるほど講義や図書館に入り浸り、学内(?)でも先頭に立ち活躍していた。
川端康成を初めとして、谷崎潤一郎、芥川龍之介、菊池寛等の当代一流の文学者の知己を得若くして東郷青児、関根正二等の天才画家等とも幅広い交流があった。
 この人は、一般には『毒舌和尚』として知られており、権力者にはあくまでも厳しく、伸びようとしないものやアマちゃんには、「ボヤボヤするんじゃねぇ!」と昭和50年前後の若者を叱咤激励し当時の若者から絶大な人気を博していた。根底には人間愛があり、庶民には暖かい目を向けていた。学殖の豊富さと現実を直視する目、人間の度量を持ち合わせている日本人は少ない。小説はあくまで史実を追求し、花街を舞台とした作品も多いが、語りがうまくその講演要旨をみてもウイットに富んでおり随筆のほうが抜群におもしろい。
古くないねぇーこの人の意見は。今でも全然遜色ないよ。裏を返せば日本人は全然成長していない歴史に学んでいないということになるのか。また今さんの作品は数多く映画になっている。「悪名シリーズ」特に第1〜2作目、最終作品は特におもしろい。
 第36回直木賞受賞   今東光語録    略歴
梶山季之(1930〜1975)
 雑誌のトップ屋の第一人者、作家。韓国ソウル生まれ。昭和45年には所得で文壇番づけ第1位となるほど超流行作家であった。昭和34年美智子さんの婚約をいち早くスクープしたのはこの梶山である。
 原稿を依頼されれば、どんなに多忙でも引き受け、月産1000枚以上書いていたと言われるその筆は速く、隣の部屋で聞いていたものは、規則的な万年筆の音に驚愕していたという。酒豪で知られ、執筆以外は銀座などで豪快に遊んでいたという。
 性豪作家、エロ作家と言われるほど、その手の世界に通じていたが、根底に流れていたものは、人間を見つめる目であった。豪快で繊細、他人への思いやりに通じ、終生梶山を悪く言う人間は、ほとんどいなかったと言われる。
 昭和46年から48年まで梶山季之責任編集により発行された月刊『噂』は、当時の野良犬会(今東光、梶山季之、野坂昭如、黒岩重吾、藤本義一ら)を初めとする多彩な人々と、文学や芸術、時事ルポなどについて、深く鋭くつっこんだ雑誌であった。この雑誌より単行本化された書籍もあるが、梶山責任編集だけあって内容が深く広く非常におもしろい。
 エロ、グロ、ナンセンス小説が多いが、速筆で一説によると生涯に執筆した原稿は10t車1台分にもなったという。梶山の真骨頂は、これらの小説よりも歴史小説「李朝残影」、産業スパイ小説「黒の試走車」やノンフィクション選集等ではなかったか。
 ライフワーク「積乱雲」執筆中に香港で客死。朝鮮、ハワイ移民等梶山が真摯に、全勢力を費やして執筆した原稿と膨大な資料は、ハワイ大学図書館に寄贈されている。
柴田錬三郎(1917〜1978)
 戦後の時代小説の第一人者。シバレンの愛称で呼ばれていた。文壇デビューは昭和26年
。短編「イエスの裔すえ」で第26回直木賞を受賞したことに始まるが、慶応大学在学中の昭和13年より三田文学に小説を発表していた。シバレンが時代小説の流行作家に躍り出たのは、昭和31年5月より週刊新潮に「眠狂四郎無頼控」を連載することに始まる。
 以降、眠狂四郎シリーズは続々と執筆され絶筆後の現在でも高い人気を誇っている。
 「小説とはウソを書くことである」が持論であった。しかしながら、創作の背景となる中国文学、西洋文学、歴史には非常に造詣が深く、講談(立川文庫)、歴史に埋もれた人物をその時代背景の中で生き生きと映し出す筆力は他の追随を許さなかった。歴史小説よりも時代小説の第1人者と言われる所以である。
 無口で苦虫を噛みつぶしたようなニヒルな形相が持ち味だった。都内のあるホテル内の喫茶室のいつものテーブルでコーヒーを飲みながら構想を練る。その姿はまさにニヒルなシバレンであった。
 剣豪小説を書かせては、史実にもとづきながらもシバレン一流の工夫を凝らし物語を構成していった。本当なのか?と思わせるほどストリーリーテラーであった。
 今東光、梶山季之等と野良犬会を結成しているが、最後まで孤高の時代小説家を貫いた。 
 
胡桃沢耕史(1925〜1994)
 この人は非常な多作家である。それというもの昭和30年代には”シミショウ(清水正二郎)”と言い、当時性豪作家として約500冊書きとばしていた。
 胡桃沢氏と旅は切っても切れない縁があり、昭和17年弱冠17歳のとき満州へ一人旅に出かけている。以後3年間中央アジア一帯を放浪している。これが後の「天山を越えて」を生み出すことになる。また終戦後ソ連軍の捕虜になったため直木賞受賞作「黒パン俘虜記」という作品をとなる。
 昭和30年代司馬遼太郎、寺内大吉、黒岩重吾、伊藤圭一、永井路子らと 「近代説話」の創刊し、昭和34年〜39年までに上記5名の作家が直木賞受賞。しかし、清水正二郎だけが取り残された。
 昭和42年に約500冊の版権を1冊5万円で売り払い、インド、アフリカ、南米など世界を放浪する。この旅は昭和50年まで続いている。
 帰国後、ペンネームを”胡桃沢耕史”と変え、翔んでる警視シリーズ、旗手シリーズ等精力的に書きまくった。また、旅を題材にした作品も多い。また、直木賞には、並々ならぬ情熱を注ぎ、昭和58年に「黒パン俘虜記」で念願の第89回直木賞を受賞した。読ませる、楽しませるサービス精神に富んでおり、一流のエンタティナーであった。生涯直木賞をとることに執念を燃やし、ついに自分の墓を直木三十五の墓の側に建てた。
落合信彦(1942〜 )
※何故”国際ジャーナリスト”の彼を、この「作家」の範疇で整理したか?
  それは、文字どおり彼の作品、経歴等そのものが、小説の手法を用いた形跡があるためだ。実質デビュー作は、「あめりか冒険留学」 (勝利出版1971)なのに、彼の履歴では、1977年「二人の首領」となっている。ここから彼の「偉大なる作家」への道のりが続くのだ。

 1942.1.8東京葛飾生まれ。多くの著書で言っているが、家は貧しかったため、アメリカ留学を決意する。トラック運送助手をしながら或いは唯一の楽しみであった映画館で英語をマスターし、念願の米オルブライト大学へ。学生時代に、睡眠時間を削り哲学、文学、歴史等の勉学の傍ら空手道場での指導運営、恋愛、ケンカに全力を投じる。
 卒業後、テンプル大学大学院へ進むが、独立系石油会社を設立。オイルマンとして活躍するが、石油危機、情勢を読み権利を売却。以後”自称”国際ジャーナリストとしとして多くの著作を手がける。(著作リストはここ詳しい) (・・・と彼の著書履歴から整理)
 以降、精力的に、国際情勢関係本を出版。テレビ等のメディアに出てくることはないが、過去ビールのCMに出ていた。現在は著作、特定雑誌、会員制のHPで活動を知ることができる。(私は非会員) The World 0f Nobuhiko Ochiai(勝ち組倶楽部)
 世界の政治、経済の動向をマクロに分析する手法は変わらないが、過去〜現在までの著作で言っていることを調べると、食い違いが多い。ジャーナリストとして致命的なミスをしているが、小説とみれば啓発されることは多い。書かれている情報そのものは正しいかもしれない。だが、真実を伝えるジャーナリストとして現時点で評価しない。数々の矛盾に満ちた自著の批判に真っ向から立ち向かう姿勢を見せないあなたの姿勢は、30年間言い続けたことと矛盾する。だから「小説」にしか過ぎないのだ。余談だが、ブルースリーを3分で倒したと発言したことで、さらに私を怒らせた。そんな事実はない!
 「狼たちへの伝言」シリーズで若者たちへ熱きメッセージを送っていたが、近年は、日本経済、政治に関する著作、秘密主義的講演等に限られる。もう「トリプルAクラスのCIA情報源」「世界のトップクラスの企業人との交流」の隠れたエピソードは書かないのか!ある出版社で著作が2000万部以上売れたからといって気が緩んだのか?絶版となった「あめりか冒険留学」以外の著作を、ほとんど読破してきたオレを騙すのか。今後も彼の動向を見届ける。全てがウソで塗り固められていたのなら「大いなる作家」としてこのリストに加えておく。
立花隆(1940〜)
 長崎市鳴滝に生まれる。東大卒。作家、ジャーナリスト。本名:橘隆志。
 北京、茨城、千葉で過ごし、1959年都立上野高校卒業。東京大学文科二類入学。
 1964年文藝春秋入社。「週刊文春」に配属。1966年文藝春秋を退社。1967年東京大学文学部哲学科に学士入学する。
 1967年10月、「素手でのし上がった男たち」を立花隆の名で、「文藝春秋」臨時増刊号に発表し、言論活動を開始する。1074年11月文藝春秋、週刊文春等で、田中角栄の金脈問題を徹底追及。
 「田中角栄研究」で当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった総理大臣田中角栄が、1976年7月27日に逮捕される。
 日本の「知」の代表者。

  立花隆の応援HP・・・書斎の様子、蔵書などがわかります

(主な著作)
 「同時代を撃つ」「エコロジー的思考のすすめ」「脳死」「脳を鍛える」「青春漂流」「知のソフトウェア」「農協」「宇宙からの帰還」「サイエンス・ナウ」「精神と物質」「日本共産党の研究」「私はこんな本を読んできた」「東大生はバカになった」など
 
邦光史郎(1922〜1996)
 本名=田中美佐雄。東京生まれ。高輪学園卒。京都にて五味康祐たちと『文学地帯』を創刊。のち放送ライターとなる。企業を舞台にしたミステリーで作家として活躍。社外極秘で第48回直木賞候補(1962)妻も直木賞候補作家でもある田中阿里子。以後、企業推理、歴史小説、古代日本の探求、「法隆寺の謎」「謎の正倉院」などの歴史書で多くの読者を魅了。
 企業小説では、財閥「三井王国」「三菱王国」「住友王国」「ダイエー王国」「トヨタ王国」「松下王国」等のシリーズが抜群におもしろい。
 歴史物では、日本の歴史の流れの中で体系的に読めば、新たな発見をすることに気づくだろう。小説家の目で歴史をわかりやすく語っている。
司馬遼太郎

 一言では言い表せないので、じっくり考えてUPします。
大藪春彦(1935〜1996)
 韓国京城生まれ。1958年早大3年生の夏休み、郷里の高松で「野獣死すべし」を一気に書き上げデビューした。これを早稲田の同人誌「青炎」に発表した。これが評判になり江戸川乱歩に見いだされた。乱歩の推薦により「宝石」に転載され一躍脚光をあびることになる。
 江戸川乱歩はその作品紹介の中で「異常の人生観を持つ一青年の大量殺人物語で、拳銃による十人切り、二十人切り、三十人切り、ハードボイルドの机竜之介である」と評した。主人公の「伊達邦彦」は、いまでも大藪ワールドの中でも最も人気のある永遠のヒーローとなっている。
 大藪ワールドで一貫しているもの。それは、国家、権力者、組織暴力への徹底した抵抗、破壊、愛するものを陵辱されたことへの復讐心である。主人公はほとんど単独で行動していく。主人公はあくまで逞しく優雅だった。車・ガン(銃)の描写は、病的と思われるほど綿密でこれに酔いしれファンになったものは多い。
 代表作品として、「野獣死すべし」「汚れた英雄」「ウインチェスターM70」「蘇える金狼」「傭兵たちの挽歌」「優雅なる野獣」「アスファルトの虎(タイガー)」「俺に墓はいらない」「狼は復讐を誓う」「戦場の狩人(ウェポン・ハンター)」「黒豹の鎮魂歌」「長く熱い復讐(ころし)」
上前淳一郎(1934〜)
 岐阜県生まれ。昭和34年東京外国語大学英米科卒。同年朝日新聞社入社。通信部、社会部記者を経て41年退社。評論家となる。昭和52年「太平洋の生還者」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。「複合大噴火」「」人・ひんと・ヒット」「世界の一流品紀行」などがある。
 昭和58年「週刊文春」に連載された「読むくすり」は、2002年10月現在で、単行本(文藝春秋)で第37巻、文庫本(文春文庫)第32巻のロングセラーとなっている。
 本の副題の「人間関係のストレス解消に」のとおり、読んでもストレスは溜まらない。
 この本は、上前氏とそのスタッフが全国をまわり、現代社会の企業の商品開発の中のこぼれ話、海外日本人の涙ぐましい話、ほのぼのとする話、失敗から学んだ話、成功した人の知恵(知識ではない)などを拾いあげ、エッセイにまとめたものである。一つの話が短いので読みやすい。マイナス志向ではなく、常にプラス志向なのが心地よい。
 疲れたときには、一服の清涼剤となる。ぜひ蔵書としたいシリーズだ。
景山民夫(1947〜1998)
 1947年3月20日、東京生まれ、慶応大学文学部中退。武蔵野美術大学デザイン科中退。1968年、在学中に日本テレビ「シャボン玉ホリデー」でTV放送作家としてデビュー。その後、「お笑い頭の体操」「タモリ倶楽部」等放送作家として活躍。1993年フジテレビ「料理の鉄人」の準審査員として出演。
 作家デビューは、1984年の「普通の生活」。1987年、処女長編小説「虎口からの脱出」で第8回吉川英治文学新人賞および第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞を受賞。1988年「遠い海から来たCoo」で第99回直木賞を受賞。その他著書「トラブルバスター」(1〜4)「ティンカーベル・メモリー」「だから何なんだ」「リバイアサン1999」「ONE FINE MESS」など多数。
 1998年1月27日、東京成城の自宅2階の書斎が出火し死去。享年50歳。未だに、何故自宅が出火したのか私には謎となっている。本人は、小説や随筆でも書いていたように、特殊な霊的能力があったといっている。幸福の科学への入会は本人の自由だが、オレにとっては意外な出来事だった。
 「普通の生活」「だから何なんだ」等の随筆は、現代社会、現代人気質を景山流の自由奔放さと常識で斬っていた。人を食ったような話がおもしろい。私は、この本から、次々と読み込んでいった。小説では、「トラブルバスター」シリーズや「遠い海から来たCoo」が気に入っている。
近藤紘一( 〜1986)
  年月日生まれ。
 早大文学部仏文専修を首席で卒業後、サンケイ新聞社に入社。ベトナム、カンボジア、イラン、バンコク、フィリピン等を中心に活躍したジャーナリスト。1971年から75年まで、産経新聞の外信部記者として、戦時下のサイゴン特派員となり戦時下のサイゴンを綿密に取材。
 1980年3月国際ニュース報道で活躍した日本人ジャーナリストに贈られる’79年度のボーン上田賞を受賞。
 (受賞作:わたしは生き残った-カンボジアから奇跡的に生還した内藤泰子さんの証言を元にまとめたルポタージュ-)
 インドシナのさまざまな事件について現地で直接取材し、ジャーナリズムに新生面を開いた。また難民問題、米中ソ関係等を的確に解説報道したことが受賞理由だった。また、'79年には「サイゴンから来た妻と娘」で、第10回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
  1986年1月27日胃ガンのため死去。享年46歳。希代のジャーナリストだった。
 ベトナムの歴史、サイゴン陥落前後の緊迫感を知るには、一連の著作を読んでおいたほうがよい。ベトナム人の奥さんのナウさん、娘のユンさんの著作も多く、当時の世相と異文化を知る上で実におもしろい。

(主な著書)
 
「サイゴンから来た妻と娘」「バンコクの妻と娘」「妻と娘の国へ行った特派員」「戦火と混迷の日々」「サイゴンのいちばん長い日」「したたかな敗者たち」「目撃者―近藤紘一全軌跡1971〜1986」「戦火と混迷の日々悲劇のインドシナ」など
吉川英治(1892-1962)
 大正・昭和期の小説家。本名は英次(ひでつぐ)。神奈川県生まれ。高等小学校中退、税務監督局の給仕、横浜ドックの船具工など各種の職業につく。19歳で上京。絵師、記者などを経て、川柳の世界に入り雉子郎(きじろう)の筆名で作品を発表。
 一方講談社系諸雑誌の懸賞小説に入選、「険難女難」(T14-15)で注目された。「鳴門秘話」(T15-S2)で時代小説家の地位を確保。
「万花地獄」「貝殻一平」を発表、「かんかん虫は唄う」(S5-6)を執筆する前後から新しい模索を始め「檜山兄弟」「松のや露八」を経て「宮本武蔵」(S10-14)に至り、剣の求道者像に新次元を開き「新書太閤記」「三国志」をまとめた。
 戦後は「新・平家物語」(S25-32)「私本太平記」(S33-36)を書き国民文学の創造に努めた。昭和35年文化勲章受章。吉川英治文化賞・同文学賞が設けられた。
 個人的には「宮本武蔵」が気に入っている。

 東京青梅市に吉川英治記念館がある。
筒井康隆

 鬼才、奇才・・・現在どう表現しようか唸っています。
深田祐介(1931〜)
 1931年7月13日、東京生まれ。早大卒。日航入社ごフランス駐在、広報部次長。'58年「あざやかなひとびと」で第7回文學界新人賞、'75年「新西洋事情」で大宅壮一ノンフィクション賞。’82年「炎熱商人」で第87回直木賞受賞。'87年「新東洋事情」第49回文藝春秋読者賞。
 主な著書に「スチュワーデス物語」「西洋交際始末」「あざやかなひとびと」「バンコク喪服支店」「カイシャの不思議」「革命商人」「暗闇商人」「最新東洋事情」「中国に媚びてはいけない」「アジア再考」「決断」等多数。
 日航時代の経験を生かした、スチュワーデス関連の話、フランス・イギリスなどの駐在員時代の日本からの来客の接待騒動、ワインとフランス料理などの話がおもしろい。また、西洋人とのつき合い方、日本という会社、企業のありかた、最近では中国韓国等のアジア、ヨーロッパ等の国際情勢等のルポや小説を精力的に書いている。
花登匡

 読み返してます。大阪商人のことを小説に書かせたら右にでるものはない?全てTVか映画の原作になるかもしれない。放送作家、脚本家。
芥川龍之介


 私ごときが何を紹介するのか。それが問題だ。
森鴎外

 上に同じ。私ごとき頭では紹介は難しい。しかし、はずせません。
坂口安吾(1906〜1955)
 1906年10月20日新潟市生まれ。本名炳五。
 新潟中学入学後、文学、スポーツに熱中するが、学業が不熱心だという理由で四年目に放校。東京の豊山中学転校後、インターハイのハイジャンプで優勝。1925年豊山中学を卒業するが、勉強嫌いから大学受験を断念し、下北沢で代用教員となる。仏教へ傾倒し、’26年東洋大学印度哲学科に入学。梵語(サンスクリット語)、文学等の猛勉強をしたため神経衰弱となる。1930年東洋大卒業。翌31年「風博士」を発表しこれが、牧野信一氏に絶賛される。
 1946年に「堕落論」を発表し、敗戦で虚脱状態にあった知識人に、有名な「人間は生き、人間は墜ちる。そのこと以外に人間を救う近道はない。・・・しかし、人間はどん底まで落ちてしまうほど強くはない・・・」いう論調を張る。これが、熱狂的な支持を集め、一躍文壇の寵児となる。その後精力的に作品を発表していくが、神経衰弱が完治せず、酒・アドルム・ヒロポン中毒となる。'47年神経科に入院するが、退院後も国税庁と喧嘩したり、死ぬまで情緒不安定だったが、発表作品は一貫した思想があった。一般には、織田作之助、太宰治などと「無頼派」と言われているが、安吾は「絶滅派」、太宰は「自滅派」であり同一範疇で語られるのはおかしい。三千代夫人の「安吾随想」「クラクラ日記」等も併せて読んで欲しい。
 最近'46〜'47年頃の未発表作品、「インチキ文学ボクメツ雑談」(400字詰め原稿用紙5枚)と「わが施政演説」(400字詰め原稿用紙7枚)が見つかったそうだ。 1955年2月17日脳出血により死去。享年49歳。
(主な著作)
  上記著作の他に、「白痴」、「桜の森の満開の下」、「教祖の文学」、「散る日本」、「不連続殺人事件」、「安吾巷談」、「安吾捕物帖」、「 安吾新日本地理」など。私が、初めて全集を買った小説家。
三田村鳶魚(1870〜
 江戸文化をこれだけ調べ上げている人はいない。江戸雑学の大家です。
 明治3年、八王子市に生まれ。本名:玄竜。青年時代は、三多摩壮士のひとりとして、政治活動に携わり、日清戦争には従軍記者として活躍。のち山梨日日新聞記者となる。
 明治・大正・昭和の三代にわたって活躍。江戸時代の文学、風俗の研究家として名高い。大名のお家騒動・囚人の生活・相撲・芝居・江戸期の性風俗等多岐に渡っている。時代考証に生涯を投じた作家で、その功績は高く評価されている。
 時代小説作家の海音寺潮五郎、山岡荘八らの大家も、しばしば鳶魚を訪れ教えを請うている。その文献は、今や貴重なものとなっている。現代のTVの時代劇など一刀両断だ。
時代考証が滅茶苦茶だという。これからも、時代を超えて長く生き続ける江戸文化の研究家である。
(主な著書)
 「未刊随筆百種」「鳶魚江戸ばなし集成」「西鶴輪講」「元禄別快挙録」「江戸風俗」など50冊前後。


準備中です

外国人作家

アガサ・クリスティー (1891-1976) Agatha Christie
 英国西部の町トーキイの上流家庭の子として生まれた。父は米国人、母は英国人。
 コナン・ドイル、エラリー・クイーンと並ぶ誰でも知っている推理小説家。
 1914年第一次大戦時に赤十字病院で、看護婦、薬剤師として働いた。この時の毒物についての知識が推理小説に如何なく発揮されている。彼女の長編66のうち、41に毒薬が使われている。
 また、中東旅行をきっかけに、1930年考古学者で14歳年下の Max Mallowan (1904-78) と結婚(再婚)。この中東の旅への随行が、外国ものを書くキッカケとなっている。 
 クリスティーといえば、有名な「灰色の脳細胞を持つ」小柄なベルギー人の名探偵エルキュール・ポアロ、ミス・マープル等のキャラクターが有名だ。エルキュール・ポアロは、「スタイズル荘の怪事件」(1920年)でデビュー。以降、ポアロはクリスティーの主要作品で次々と謎解きをしていく。
  この人の凄いところは、1930年に既に「カーテン」が書かれていたということだ。死後に発表するという意図で書かれたこの作品、何故か死去する1年前の1975年に「カーテン」は刊行された。内容は読むべし。また、1926年12月、謎の失踪事件を起こしている。これが今でも謎となっている。
 「アクロイド殺人事件」(1926)は、そのトリックが、フェアーか否かで物議をかもした作品だ。この人の作品を集中的に読んでいた時がある。しかし、まだ50冊程度しか読んでいない。死ぬまで、書きとばした真の推理小説家だった。

主な著書・・・長編66編、短編も多数
 特に好きな作品「スタイズル荘の怪事件」「アクロイド殺人事件」「カーテン」「オリエント急行殺人事件」「ナイル殺人事件」「そして誰もいなくなった」など
 アガサ・クリスティーの部屋 年代別リスト(長編、短編)などがわかる
アリステア・マクリーン(1922-1987)Alistair MacLean
 英国スコットランドのデイヴィオット生れ。
 グラスゴー大卒後、海軍勤務。中等学校の歴史教師を経て作家となる。
 第2次大戦中海軍の従軍体験をもとに描いた「女王陛下のユリシーズ号」(1955)で作家デビュー。 続く「ナバロンの要塞」(1957)は、映画化され大ヒットとなり、以降冒険小説の第一人者としての地位を確立した。その他の作品も映画化されている。イアン・スチュアート(Ian・Stuart)名義の作品もある。
主な作品
 「女王陛下のユリシーズ号」「ナヴァロンの要塞」「黄金のランデブー」「八点鐘が鳴る時」「荒鷲の要塞」「ナヴァロンの嵐」「最後の国境線」「金門橋」

 作品一覧  映画化された作品
エラリー・クイーン(1905〜1982)Ellery Queen
 クイーンには、ずっと騙されていた。こう紹介しないといけない。
 
マンフレッド・リー(1905-1971)、フレデリック・ダネイ(1905-1982) の2人の作家だと。
 
 「マンフレッド・リー」と「フレデリック・ダネイ」は、ニューヨーク・ブルックリン生まれのいとこ同士。つまり、合同合作のペンネームだ。
 映画会社に勤めていた「リー」と、広告代理店に働く「ダネイ」が、ある雑誌社が長編の探傾小説を募集した時に、共同執筆で応募。見事当選。
 これが
デビュー作「ローマ帽子の秘密」(1929刊行)。これで、名探頒エラリー・クイーンが誕生する。(この名前も人をくっているけど)
 「クィーン」の正体を秘密にしたまま、2人は「オランダ靴の謎」「ギリシア棺の謎」等の国名シリーズを次々に発表。その一方で、
「バーナビー・ロス」名義で「]の悲劇」を別の出版元から出し、以後「Yの悲劇」「Zの悲劇」「ドルリー・レーン最後の事件」4部作を発表。
 2人は、「ロス」の正体も長いこと隠し統け、それぞれが
「クイーン」と「ロス」として覆面を着けて講演会に登場し、論争したことは有名。クイーンの代表作は、この国名シリーズとロス名義の四部作だと思う。勿論それ以外の作品も秀逸だが、抜きんでている。4部作で活躍する盲目の「ドリルレーン」の謎解きは今でも色あせていない。
 また、
国名シリーズでは、ストーリーの終盤になる頃「読者への挑戦状」をたたきつける手法をとった。
 1941年には、ダネイが中心となり、「EQMM」(エラリー・クィーンズ・ミステリー・マガジン)」
を創刊。ミステリーを中心とした作品の編纂にも力を尽くした。ミステリー、推理小説分野で、揺るぎない地位を確保している。

(主な著作)
  上記の4部作と国名シリーズから始めることをお薦めします。

アルベール・カミュ(1913-1960)Albert Camus
 仏領アルジェリアの地中海岸に近いモンドヴィ生れ。
 自動車部品販売人、船舶仲買人、市庁吏員、測候所員、アルジェ市の地方新聞の記者となったが、ここで手腕を認められ、パリの新聞界に進出。ドイツ軍のフランス侵攻により、再びアルジェリアに帰り私立学校に教鞭をとりながら、地下抵抗同志と共に「自由フランス」のために闘かった。戦下のパリで発表した「異邦人」がサルトル等知識人に絶賛され、一躍注目される。秀逸な文体と卓越した思想により、1957年44歳という若さでノーベル文学賞を受けた。初めて「異邦人」を読んだとき、理解不能だった。カミュにより、人の世は不条理に満ちているというのを知った。
 1960年1月4日、執筆先の別荘からパリへの帰途自動車事故のため即死。享年47歳。

主な著作
 「異邦人」「シューシュポスの神話」「ペスト」「誤解」「カリギュラ」「闘争」
 カミュの生涯
クライブ・カッスラー(1931〜)Clive Cussler
 アメリカイリノイ州生まれ。TV界から作家に転身し、'73年に「海中密輸ルートを探れ」でデビュー。'76年に発表した「タイタニック号を引き揚げろ」で一挙に海洋冒険小説の第一人者として世界的に認められる。以後、ダーク・ピットシリーズで世界的ベストセラー作家として活躍している。2002年10月現在、日本では17冊が翻訳されている。(うちダーク・ピットシリーズは15冊)
 また、沈没船の引き上げ、クラシックカー蒐集ではアメリカでも有数の存在であり、特に南北戦争時代の有名な戦艦や潜水艦の沈没場所の特定や引き上げを実際に行なっている。引き上げを行なうため、ダーク・ピットシリーズで登場する国立海洋海中機関(NUMA)を実際に設立している。この経験をノンフィクションとして「沈んだ船を探り出せ」として発表。この作品が契機となり、ニューヨーク州立大学海洋学部から文学博士号を授与されている。王立地理学協会、アメリカ海洋学者協会会員。さらに詳しい説明はココ(英文) タフなダークと相棒ジョルディーノ、サンディガー提督のコンビは絶妙。新作をいつも待ちこがれている。未訳本の翻訳も待たれる。
コナン・ドイル(1859〜1930) Sir Arthur Conan Doyle
英国生まれ。開業医をしていたが上手くいかず、生活するために、1891年『緋色の研究』で名探偵シャーロック・ホームズを登場させた。ホームズは、国民の圧倒的な人気を集め一躍作家的地位を確立した。探偵小説を書く傍ら、『勇将ジェラールの回想』等の歴史小説、チャレンジャー教授の活躍する『失われた世界』等のSFにもすぐれた業績を残した。今なお世界中に『シャーロキアン』という熱狂的なファンがいる。
 ホームズの住所は、ベイカー街221B だ。ここには世界中のファンから「ホームズ」あてに手紙が届く。現在、ここは銀行だそうだが、ホームズ専用の受付嬢を配置し手紙の整理をしているらしい。粋だね。
シャーロック・ホームズが初めて登場したのは、「緋色の研究」である。ホームズが、ワトソン博士と組んで最初に手がけたのがこの事件だ。
主な著作
 「四つの署名」「シャーロック・ホームズ最後の事件」「シャーロック・ホームズの冒険」「シャーロック・ホームズの叡智」「わが思い出と冒険」(自伝)「失われた世界」「マラコット深海」「毒ガス帯」等多数。
 世界のシャーロキアンのHP・・・Sherlockian.Net  年代別作品リスト シャーロックホームズ大全
サマーセット・モーム(1874〜1965)
 英国人でパリ生まれ、ニースで没。亨年91歳。文豪と言われている。
 シンガポールのラッフルズホテルには、「モームの部屋」(78号室)がある。世界一となったバンコク「オリエンタルホテル」もモームの定宿で今でも「サマーセット・モームスイートの名の部屋」がある。これだけでも東南アジアビイキの私を引きつけますね。1923年、モームはオリエンタルホテルに宿泊しているが、旅行記である「The Gentleman in the Parlour」には、部屋はうす暗く食事ものどが通らないなど不満を言っている。その後何度も宿泊しているので、ここが気にいったからではないか。小説も好きだが、アジア好き作家には親しみを感じてしまう。
主な著作
 月と6ペンス」「人間の絆」「雨」「作家の手帳」「お菓子と麦酒」「コスモポリタンズ」「アシェンデン」「手紙」「劇場」「東洋航路」「要約すれば」など
ジェフリー・アーチャー(1940〜)Jeffrey Archer
 英国生まれ。'66年ロンドン市議会議員として政界デビュー。'69年には最年少の英国議員として下院入りを果たすも、投資失敗のために破産。自らの体験をもとにした小説「百万ドルを取り返せ」が世界的ベストセラーになる。
 このデビュー作は、詐欺事件で逮捕され獄中で書いた小説である。この成功を機に政界進出を果たし、「鉄の女」サッチャーの側近となる。しかし、多くのスキャンダルに直面し紆余曲折をたどり、サッチャー政権でリタイアーし、ブレアーにより復活。ロンドン市長選への立候補を画策したが、売春容疑でまたまた挫折した。そして、この疑惑に関する偽証工作を行なったといわれる。注目が集まったのは、彼のそれまでの経歴と、その重要な鍵を握る売春婦が裁判の最中に突然謎の交通事故死を遂げたことにある。
 有罪判決は、アーチャー氏が上院議員として受けたLordの称号(従って彼の正式な呼称はLord Archer、アーチャー卿である)の剥奪論争にまで発展している。作品より彼の人生そのものがまさに小説になる。2002年現在、偽証罪で禁固4年の実刑判決を受け、獄中生活中だが、周5日は社会復帰のために劇場の大道具を運んだり、お茶くみをしたりしている。賃金は周90ドルだという。(ロンドンAP=共同、2002.8.19)
 過去、自分の経験をモチーフにした作品を発表している。「転んでもタダで起きない」作家なのだ。次作が楽しみである。

 作品リスト
 ちなみに、私は処女作「百万ドルを取り返せ」や「ケインとアベル」「めざせダウニング街20番地」などが好きだ。
スタンリー・エリン(1916〜1986)Stanley Ellin
 1916年10月6日ニューヨーク生まれ。1936年ブルックリン・カレッジの卒。卒業後、作家活動する前は、ボイラーづくりの見習い、教師、製鋼所の職工。趣味は、フットボールと野球、ボクシング、バレーとオペラ鑑賞。野球では、ブルックリン・ドジャーズの大ファンだったという。
 優れた短編の名手と言われる。作品数は驚くほど少ない寡作家だった。一文を書くために、丹念に何回も校正と練り直しを行なった。アイデアが浮かぶと毎日やたらと散歩をしたり、ニューヨークで発行されている全新聞を読み散らしたりした。書けると判断したときは、毎日8時間〜14時間タイプライターをたたき続けていたらしい。完成後も何回も書き直し、12回も及んだらしい。また、その文章は平易な英文らしいが、その分翻訳者泣かせだという。
 「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の短編探偵小説コンテストに9回連続入賞の記録を持ち、アメリカ探偵作家クラブの最優秀短編賞を前後2回獲得しており、アメリカが生んだ最高の短編作家と言われている。
 初作発表は1947年「The Specialt of the House」(特別料理)で特別賞を受賞。この作品は今でもスタンリー・エリンの代表作と言われている。
 エラリー・クイーンの絶賛を受けた作家というだけでもその才能が窺い知れるだろう。
(主な著作)
 「カードの館」「9時から5時までの男」「断崖」「ニコラス街の鍵」「第八の地獄」「空白との契約」「鏡よ鏡」等。
 「ニコラス街の鍵」は『二重の鍵』(ジャンポールベルモンド)という映画にもなっている。絶版が多いので文庫化して欲しい。
ダシール・ハメット(1894-1961)Dashiel Hammett
 ハードボイルド作家の第一人者、先駆者。
 米メリーランド州生まれ。職と転々とした後、ピンカートン探偵社(今でも有名)に勤務。パルプマガジン作家になった後、その経験を元にコンチネンタル・オプ・シリーズを発表し、一躍人気作家となった。探偵という得意な分野を開き、非情でハードな文体は「ハードボイルド派」と呼ばれ、以後のハードボイルド小説の基本となった。
 主人公の名無しの探偵「コンチネンタル・オプ」は、L.チャンドラーなど後のハードボイルド小説の原型となり多大な影響を与えた。34年の「影なき男」以降、作品は発表していない。
 晩年は赤狩りに連座し、証言拒否などによる法廷侮辱罪で投獄されたこともあり晩年は不遇だった。しかし、70年代に作品の価値が認められ復活した。

(主な作品)
 「マルタの鷹」「血の収穫」「赤い収穫」「ガラスの鍵」「影なき男」「デイン家の呪」「フェアウエルの殺人」「スペイドという男」など
   映画化された作品一覧
フレデリック・フォーサイス(1938〜)Frederick Forsyth
 英国生まれ。国際的スパイ小説第一人者。
 1971年「ジャッカルの日」で鮮烈にデビュー。フォーサイス氏の小説はこれまでに30ヵ国以上で翻訳され、6000万部以上売れている。
 東西冷戦時代にソ連に取材した時、メモはとれなかった。目や耳を集中させ、記憶力だけを利用して取材したと語っている。
 新作『Quintet』をインターネット上で独占的に出版する。この作品は、5つの物語から構成されている。(2000.9.27、英オンライン・オリジナル社)フォーサイス氏は、電子書籍を出版する最初の有名イギリス人作家となる。また、彼の著作を元に、彼みずから画面に登場し案内解説する《スパイ・スリラー》ビデオ6巻も発売するなど時代に対応した試みを精力的に行なっている。 Mystery Video Catalogue

(主な著書)
 「オデッサファイル」「悪魔の選択」「戦争の犬たち」「シェパード」「帝王」「第4の核」「ネゴシエーター」「売国奴の持参金」「神の拳」「騙し屋」「イコン」「マンハッタンの怪人」など
ミッキー・スピレイン(1918〜 )Mikey Spillane
 1950年代に活躍した米国の探偵小説作家。'47年に発表した I .TheJuly(裁くのは俺だ)でデビューした探偵「マイク・ハマー」シリーズが、当時アメリカで大ベストセラーになった。また、'64年にはThe Day of the Guns(銃弾の日)で「タイガー・マン」をデビューさせている。
 ミッキー・スピレインは、ハードボイルドに詳しい批評家から言わせれば、評価は高くない。しかし、私は、ストーリー展開、ちょっと甘い探偵マイクが好きだ。ガチガチの探偵では、息苦しくなるのだ。50年代のこんなおもしろい『ハードボイルド』作家を評価しない評論家のほうが変だと思っている。50年代のペーパーブックスの大ベストセラー作家ですよ。
 なにも、ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルド、ロバート・B・パーカーだけが、ハードボイルドを背負っている訳ではない。あの、内藤陳氏も、もっとランクを上げよと言っているが、私はもっと上げないとだめだと思っている。

 わかりやすい解説「ザ・ハードボイルド
(主な著作)
 「裁くのは俺だ」「復讐は俺の手に」「大いなる殺人」「ガールハンター」「蛇」「ねじれた奴」「燃える接吻」「女体愛好クラブ」「縄張りを渡すな」「エレクションセット」「死の狩人」「俺のなかの殺し屋」「おれはヤクザだ」「皆殺しの時」「殺戮へのバイパス」「銃弾の日」「鮮血の日の出」「殺す男」('89)など
 
レイモンド・チャンドラー(1988〜1959)
 米国フィラデルフィア生まれ。
 アイルランド系の血をひく両親の下に生まれる。七歳の頃、父親の酒乱から両親が離婚し、母親とともにロンドンの叔父のもとに引き取られる。

 1900年ダリッチ・カレッジに入学するが、1905年大学進学を断念して退学し、ミュンヘンに渡る。
 1907年イギリスに戻り海軍省に就職するも半年で辞める。その後、ジャーナリスト生活を続け、1912年(24歳のとき)に、アメリカへ渡る。この頃、短編小説"The Rose-Leaf Romance"を書く。その後、フランス、カナダなどへ派遣。
 1919年退役後、銀行・LAのデイリー・エキスプレス・ロサンジェルス乳業・ダブニー石油シンジケートに転職。副社長にまで昇進するが、1932年(44歳)飲酒、無断欠勤、狂言自殺などが続き石油会社を解雇。この頃から、生活費を捻出するために小説を書こうと考え始める。
 1933年ブラック・マスク誌の編集長に認められ、事実上の処女作【脅迫者は撃たない】を発表。これ以降、次々と長編、短編を発表していくが、晩年は過度のアルコール中毒となり入退院を繰り返す。
 1959年未刊となった「ブードル・スプリングス」を書き始めるが、3月26日ラ・ホヤにて急死。 享年70歳。

 
 名探偵「フィリップ・マーロウ」は、その後のハードボイルド作家に大きな影響を与えた。
(主な作品)
 「雨の殺人者」「ベイ・シティ・ブルース」「大いなる眠り」「さらば愛しき人よ」「湖中の女」「高い窓」「かわいい女」「長いお別れプレイバック」「ブードル・スプリングス」など
   bar-chandler       作品 ハードボイルド映画 
ロアルド・ダール(1916〜  )Roald Dahl
 1916年9月13日 サウス・ウェールズ生まれ。一言でいえば短編の名手と言われている。あの「007は二度死ぬ」(1967、日本が舞台)の脚本を手がけている。今まで知らなかった。
 『あなたに似た人』『オズワルド叔父さん』、『来訪者』、『キスキス』、『王女マメーリア』などの小説を次々と読みあさった。ナンセンス、ブラックユーモア等不思議を創造していくダールの世界。今東光和尚も言っていた。「きざなワイン」にまつわる話が好きだと。
 ところが、調べていくと、童話作家としても不動の人気を誇っている作家なのだ。それも大人でも子供でも楽しませてくれるのだ。
 競馬で大勝ちする白雪姫、独身を選んだシンデレラ、したたかな赤ずきんちゃん。『チョコレート工場の秘密』、『ガラスのエレベーター宇宙にとびだす』、『ぼくらは世界一の名コンビ!』、『マチルダは小さな大天才』など。
 死後10年たったが、好きな作家アンケートで、今話題の『ハリー・ポッター』くローリング)を押さえてダールが1位となっているらしい。

 奇才ダールの面目躍如。すべてが洗練され、ウイットとユーモアがありおもしろい。
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