香港 重慶マンション


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 香港では、ココにしか宿泊したことはない。(一度だけ空港ホテルにタダで泊まったことはあるが)何故こんな摩天楼のような、悪魔の巣窟のようなところにしか泊まらないのかって?それは、「香港のホテル代がべらぼうに高いからだ。」常識を越えているのだ。ここだって、2000〜3000円以上するのだ。香港なんて、アジアやヨーロッパへ行くまので経由地にすぎなかったから、高い金は使えない。ココの最上階のTimeTravelという旅行会社いまでもあるのだろうか?安かったが、「北京語」でやりとりしていたら、ねぇちゃんいわく「英語もしゃべれないのにヨーロッパに行くのか?」ときた。ムッときたから「フランス語とドイツ語はしゃべれるから問題ないよ」とやり返しておいた。

 初めてこの魔屈と呼ばれている部屋に泊まったのは、中国広州から鉄路で香港に入った1988年である。その日のことは良く覚えている。多分、一度泊まったことがある先輩から安宿情報をもらいここを目指したのだ。この時は、珍しくひとり旅ではなかった。広州でまずO君と合流し、数日後Fさんと広州駅でうまく合流。3人で羅湖→香港行きとなったのだ。適当にバスを乗り継ぎ、チムシャッツイにある重慶マンション(チョンキンマンション)へ。外でウロウロしていたら、神経質そうなオバサンがしきりに部屋を斡旋する。右も左もわからない時期だったので、一回その部屋を見に行った。狭い!「男3人」が泊まれるような部屋ではなかった。しかし、めんどくさくなり別の広い部屋に泊まることにした。
 簡易ベッドを入れたら、もう身動きができないようなそんな部屋だった。値段は200H$だった。当時高いのか安いのか全くわからなかった。しかし、別のGuestHouseを探索に行ったO君が言った。「騙されたようです。同じ値段で広く部屋ありましたよ」と。
 この香港で、何故か別ルートで香港入りした1人と合流。計4人。金を出すのが面倒だったようなので、同じ部屋に、4人でギュウギュウ詰めで寝たこともある。まさに強烈な思いを残したマンションなのだ。


 もうここに何回泊まっただろう。たぶん10回以上泊まっている。しかし定宿はない。部屋は、いつも適当に探し回るのだ。今考えるとAブロックの中間以上の階にあるGuestHouseが多かったのではないかと思う。Bブロックにも勿論泊まったことはある。
 この1階フロアーには、世界中のバックパッカーがいる。また、目立つのはぎらぎらした目を持つインド人だ。特に危ない目には会っていないが、一度だけ、財布を狙われたことがある。
財布は持ち歩かない主義なのだが、たまたまジーンズのポケットに入れてぶらぶらしていた。何か後ろに人の気配がする。「ゴルゴ13」並の感でわかった。目の前の雑貨屋のおばちゃんが、そのインド人と思われる男に目配せする。(オレに目配せしたのかも知れないが真相はよくわからない)。後ろを振り向くと「サッと」顔を横に向く180cmぐらいのインドのネズミ男一匹。
 こっちは、わざとポケットから財布をとりだし(たしか日本円で2000円)そいつの目の前でヒラヒラさせてやった。「とれるもんならとってみろ」と。それにしてもおばさんこの男が、泥棒だと知っていたはずだ。おまえらはグルか。 


 泥棒と言えば、エレベーター前の一角で、欧米人らしき若い男が、東洋系の男にすごい剣幕で英語で文句を言っている。なんだなんだ。ケンカか!?警官もきている。それも2人だ。
よくわからないが、東洋系の男が金を盗んだので、追求しているらしい。この男中国人(漢民族)らしい。外国人が集まるこの界隈で、泥棒の常連をしていたのだろう。やがて、野次馬に罵声を浴びせられながら、その男は警官に連行されたのだった。


 ここのエレベーターは、1988年頃にも有名だったようだ。乗り方を間違うと、ブザーが鳴るのだ。それも4人しか乗っていないのにだ。長期滞在者は、慣れたもので、つま先でバランスをとり、ひどいときにはエレベーターのサンをつかんでバランスをとる。そうすれば、うまくドアが閉まり、上昇していく。この原理が一体どこからくるのか今でも理解に苦しんでいる。
 また、このエレベーター死ぬほど遅い時がある。フロアーで数人乗せたあと、下降しやっと乗れるかと思うと、もう新たな客がドア周辺に押しかけ、都合3回乗りそびれたこともあった。
エレベーターしか頼りにならない。このマンションの階段は、互いのブロックをつないでないのだ。火事のときは・・・・・???考えるとおかしくなる。最上階から階段を使って降りてみたことがあるが、1階まで到達できなかった。同じブロックでさえ、全うに降りることができなかった。まさに迷路、迷宮なのだ。


 オレにとっては、死ぬほど退屈な香港に5泊したことがある。オレは買い物も、観光も全く興味がないのだ。日本からのツァー客は香港を目指すが、買い物ブランドに一切関心がないものにとってはこれほどの地獄はない。それじゃ何故香港にいるのか?当時、バンコクをよく知らず、中国語や英語で格安航空券を交渉できるのは、ここ香港だったからなのだ。バンコクを知っていたら、あるいはマニラをよく知っていたら、香港とはおさらばしていたハズだ。ともかく、ウイーン行きの安いチケットが手に入らないのだ。高いのはあるのだが、それではおもしろくない。従って、あちこちの旅行会社をまわりチケット購入行脚とあいなった。結構探せばあるのだ。3日目にはすっかり慣れて、TELだけで交渉したこともあった。
 結局、こりゃいかん早く行かねばせっかくの休暇が台無しになると思い、中間の値段で手を打った。啓徳空港を出発したとき、思わず「ヤッター」と一人喜んだことは言うまでもない。